社畜、戦う(中編)
マサトは完全無欠の社畜である。
仕事がたまらなく大好きで――
そこに、嘘はない。
でも、本当は、心のどこかに傷を負っていたのかもしれない。
もう辞めたい、でも辞められない……そんな気持ちはマサトにだってあった。
だから、これで、仕事を離れられる――
「勝手なことだし……心残りはあるけれど……」
あの金髪の女性の顔が脳裏から離れない。
だが、もはや体が動かない。
そして、もう頭も回らない。
「……眠いや…………もう、休んでいい……かな?」
そして社畜は静かに、まぶたを――――
「寝るな、この社畜ッ!!」
「なっ……!?」
天が割れ、地を引き裂くような衝撃が、マサトの脳髄にぶち込まれた。
「寝るんじゃないわよッ! 『休める』とか言ってんじゃないわよッッッ! それでもあんたは社畜かッ!!」
まるで、会社ぐるみの勤怠改ざんを発見した労働基準監督官が、机をバンバンバンッ! と叩いて、「この会社はどうなっておるんだァッ! 社長をよべぇ!」とキレ散らかすがごとき怒声だった。
「う……っ!?」
脳の芯に直接響いてくるそれには、聞き覚えが、あった。
「あなたは……めが……」
トラックにはねられたあと、雑に天国とやらを押しつけてきてた――
「めがね……のめがみ?」
「眼鏡って言うなッ‼」
あの、経理の眼鏡みたいな女神の再降臨である。
「だって、相変わらず紙の領収書に追われてそうな感じだから……」
「神だけに紙ってかぁ!? こちとらとっくに電帳法、完全対応済みじゃい‼」
『楽々明細』みたいな――クラウドの奇跡万歳!
経理というところは否定しないらしい。
「そんなこたぁどうでもいいわよッ! というか、私にあれだけのことをして、楽に死ねると思ってんのか!」
「あれだけの事って、ええと……なんでしたっけ?」
「き、さ、まッ!!」
社畜とは、都合の悪い記憶を忘れ、墓場まで持っていける生き物である。
しかも今は、あまり思考が回っていない。
マサトは、切れぎれの意識をなんとか揺り起こし――
「……ああ、すみません。あの時は」
謝った。
「謝っても、許してなどやらん! このまま死なせて、魂ごと消滅させて、天国も地獄も、なかったことにしてやろうかしらッ⁉」
「ああ、そういう選択肢もあるんですね……」
「ふん、レベルアップしたから出来るようになったのよ!
わたし神様だもん! Verアップ、ナメんなよ⁉」
神のアップデート――ものすんごいドヤ顔がおまけで付いている。
ただし、根っこはトンデモ駄女神だから、バグフィックスは止まらないだろう。
「それで…………ね」
女神は落ち着いた感じで、ふいっと顔を背けたかと思うと、なぜか空中にタブレット端末っぽいものをスッ……と出現させた。
そこには『システムログ』とか『神界業務進捗管理票』とかいう謎のウィンドウが浮かんでいる。
「……ちょっと、あのね? ちょっち言いにくいんだけどね?」
「はぁ……?」
女神は妙に結論を後伸ばしにする。
「ほんの、ちょ~~~~っとだけ、手違いがあってぇ」
「……手違い?」
「そう、ちょびっとね? ほんの、数バイト分……」
眼鏡の奥が泳ぐ泳ぐ。
マサトは事情をなんとなく察した。
「察しましたとも……
~~こうしてまた、現場は帳尻合わせに巻き込まれるのだった~~
ってことでしょう?」
「そのナレーション調、今ここで必要ぅ!?」
スギータとかトビータとかいう幻聴が響いた気がするが、気のせいだ。
「メタいし、アブナいし、そういう地の文はやめなさい!」
「とにかく、精算しておかないといけないのッ!」
「はぁ……」
女神は、小口現金を少なめに渡してしまった経理のように言った。
祝福を出し切っていなかったなどとは駄女神にもほどがあるが、まあ、メガハラされてたし、一応は納得できる。
「つまり…………」
「そうよ……悔しいけれど。」
駄女神はともかく、マサトには――希望の芽が、うっすらと見えた。
祝福の残りを使えば、この事態を解決できるかもしれない。
「では……魔王を倒すことは、できますか?」
「それは無理、断言するわ。チョッピリ残った祝福じゃ、あのイレギュラーな魔王には殺せないもの。現実介入ってほんと難しいのよ。だから、もうちょっと小さな願いでヨロシコ」
「そう、ですか……」
だが、残りの残金がわずかでも、まだ『予算内』だ。
ゼロやマイナスではない。
「では回復を。もう一度、戦えるだけの力を。それなら、いけますか?」
「へぇ、魔王にボコボコにされたのに? また同じことにならないかしら?」
女神は出来ないとは言わなかった。
「ええ、それでいいです。可能性が0でなければ――やれます」
「なにそれ、あまり社畜っぽくないわよ、そのセリフ。まさかあなた、世界のためとか、勇者的なノリじゃないわよね?」
マサトはそこで、小さく息を吐いた。
「違いますね、魔王を倒すのは目的ではなく、手段です」
「手段……では、目的は?」
「はい、『ある人との約束』を、守るため」
「ある人との約束……? へぇ……ある人ねぇ」
女神は小さく笑った。
「なーるほどぉ……なるほどォ!」
「あ、そういうのはわかっちゃうんですねぇ……」
「まぁ、私ってば、恋の女神的な~そういう性質とかあるしぃ~~☆」
口のきき方はアレだが、もう彼女には怒りはない。
それどころかその瞳には、どこか興味深そうな色が宿っていた。
「だけど、そう言うのって――嫌いじゃないわ」
そう言った女神は、駄女神ではなく、まさしくいと慈悲深き神に見えた。
……ほんの一瞬だが。
「じゃぁ、『社畜』を回復してあげましょう。あとは自己責任でよろしくね」
「ははは、『社畜』は自己責任ですから、ノープロブレム!」
「んじゃ、とっとと精算します。社畜回復――――くるりんぱッ☆」
女神は光を放ち、祝福の残り香が、温かく厳かに周囲に降り注いだ。
そして「さらだばー!」と言い残し、女神は消えた。
女神の姿が消えたあと、辺りには静けさだけが残った。
それは、ほんの数秒。されど、永遠のような間。
ふと、微かに空気が揺れる。
そして――
「……う、動ける……」
マサトが、ゆっくりと立ち上がった。
「ぬぉっ⁉」
その様子を見た魔王が、驚愕の声を上げた。
マサトが立ち上がるなど、彼の中では『想定外』の極致である。
「なんと……まだ、起き上がれるというのか⁉」
「まぁ、いろいろありまして。詳細なご報告をしたいのですが、それは冗長と、言うべきなので、割愛いたします」
マサトは身体の状態を確認しながら、飄々と嘯いた。
「だが、お前ひとりで何ができる……」
魔王は呵々と笑い、詠唱を続けた。
その魔法は、すでに最終段階に達していた。
逃げ道も、打つ手もなかった。
――だが。
魔王の、眉がぴくりと、動き――
わずかに一拍、詠唱が、止まった。




