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社畜、戦う(前編)

 最後の四天王を数の暴力で圧殺したマサトたちだったが、それまでの激戦で、さすがに手傷を負っていた。


「エナジードリンクです!」


 マサトは、エナドリもといポーションを、負傷した冒険者たちに手際よく配り始めた。


 冒険者たちは「差し入れ、ごっつぁんです!」と、ありがたく頂戴し――


「かぁ~~ッ! 五臓六腑にしみやがる。やっぱ仕事のあとの一杯は格別だぜ!」

「あらやだ、魔力だけじゃなくてやる気まで回復してるわ……これ、合法⁉」

「甘露なり……これぞ神薬。まさに、働く者に与えられし『労神の雫』よ!」

 

 高級ポーションは、あっという間に空ボトルの山と化し、もはやポーションバー。

 だが効果は抜群だッ! 

 冒険者たちが、ズザザッと立ち上がる。


 彼らは完全回復を確認し、不敵な笑みを浮かべていた。

 たぶん、残業の許容時間もフルチャージされたのだろう。

 ……この世界に36協定は存在しないが。


「高級ポーションを豪勢にばらまきやがって……ってか、ここまで回復させる必要あったか、マサト」


「なんですかクルードさん。『回復できるときに回復する』『撤収できるときに撤収する』って、いつも言ってたじゃないですか」


呆れ顔のクルードだったが、マサトが珍しく正論を返したので、「ふん……まぁいいさ」と頷き、帰還の準備を呼びかけた。


「おい、兄貴もだ。一旦、戻るぞ……」


 クルードが声をかけるが、サンジェロは反応もせず、やや上方を向き、どこか遠くをじっと見つめている。


「ああ、何してんだ……遠見の魔法か?」

サンジェロは距離を置いて魔法支援を行う『魔法策士』だ。今の姿は、遠方を探る法儀式そのものだった。


「…………むっ!? なんだこれはッ⁈」


サンジェロが目を見開き、驚愕の色を浮かべる。


「なんだ、何を検知した……⁉」


「ぐあっ……!」


突然、サンジェロが右目を押さえて苦悶の声を上げた。


「おい、兄貴! 大丈夫か⁉」


「ぐうっ……魔眼が……軋む……っ!」


 何らかの干渉が、サンジェロの眼に圧力をかけていた。


 周囲の空気が、次第に暗く、重く、淀んでいく。


「ぐくっ……魔眼が……黒く塗り潰されていく……っ、何者かが、魔眼を“視らせまい”と……これまでのものとは比較に………ぐうっ⁉」


 パキィィィィィン!

 鋭い魔法音が響いた。

 サンジェロの魔眼を構成していた法儀式が、崩壊した音だ。


「サンジェロさん!」


「私は大丈夫だ……しかし、この力は……っ!」


 サンジェロは叫ぶように続けた。


「マサト、クルード、今すぐ全員を要塞から脱出――」


 ……そう言い切る前に、彼の言葉が詰まった。


 圧力に喉を押さえられるように、続きが出てこない。


 サンジェロは苦悶の表情を浮かべたまま、立ち尽くしていた。


 そして――


「おいおいおい、兄貴、これはなんだ……あの四天王どころじゃねぇ、明らかに格が違うぞ⁉」


 魔力検知の能力には兄に劣るクルードですら、実感できるほどの圧が、辺り一帯を覆い始めていた。


「何かが……近づいてくる……サンジェロさん、こ、これは一体……」


 マサトですら、その圧に本能的な警戒を強いられた。

 空気はさらに重くなり、物理的な淀みすら目に見えてきていた。


 周囲の冒険者たちの中には、その圧に溺れるように「おぼっ……」と、えずきを漏らす者さえいた。


「ええい、時すでに遅しかっ……アレを見ろ!」


 サンジェロが指さしたのは、最後の四天王が座っていた玉座。

 そこでは、目に見えるほど濃密な漆黒の魔素が、魔法風と共に渦を巻いていた。

 しかも、それは急速に膨れ上がり、成長を続けている。


「あ……!」


 ようやく事態を察したマサトが、玉座へ向き直り臨戦態勢を取る。


「野郎ども、玉座を中心に半包囲陣形を構築! 前衛職はマサトの左右を固めろ!」


 プレッシャーに圧されながらも、クルードは最善と思われる指示を即座に飛ばした。


 冒険者たちもすぐにそれに呼応し、迅速に配置へと動く。


 半包囲が完成するや否や――


「各自、ありったけのバフ魔法を上掛けしろ! 出し惜しみは一切なしだ!」


 サンジェロが、バババッと呪印を高速で刻みながら詠唱する。


「オーダー・チェントォリォ!」


 その瞬間、部隊全体に能力を大幅に向上させる加護の魔法が展開された。


 神官や魔導士も加護やら法儀式を展開、精霊使いでもある耳長族を中心に、各種の戦闘妖精が召喚された。


「来るぞッ!」


 玉座の上で渦巻いていた魔素が、一瞬で魔力へと変換され、連続して魔法構造が形成されていく。


 漆黒の閃光が玉座を起点に走り、空間に完璧な真円を刻み出す。

 それは、光と対を成す“闇魔法”の法儀式。


 キュバッ!


 形なきはずの闇が、抗えぬ“存在の質量”として顕現――

 あるはずのない『概念』が、この世界に受肉する。


 ただ在るだけで、声なき咆哮が脳髄を貫き、

 魔力でも、音でも、理でもない“恐怖”が本能を侵蝕する。

 全身が内側から軋み、思考すら染め上げられていく。


 その存在は、まるで大気そのものが言葉を発しようとしているかのように、

重々しく、ゆっくりと口を開いた。


「やれやれ、四天王を全滅させるなど、予定外にも程がある。たかが冒険者風情が、虚仮にしてくれたものよ」


 その一声が、場の空気を根底から塗り替えた。


「だが、こうなれば、我が、自ら出向く必要もあろうて」


 声は飄々としているのに、圧倒的だった。


「お……お前は……」


 誰かがそう呟いた。

 あるいは、マサトを含めた全員のものだったのかもしれない。


「それは、言わぬが仏というものよな」


 四天王をすべて打ち倒した直後、支配者然とした存在が現れれば、その空気に、誰もが察するほかなかった。


 誰かが、喉を詰まらせるように呟く。


「こっ、こいつ…………」


 その続きを言葉にすることすら、許されない。

 脳が、自らの意志にブレーキをかけてくる。


 だが、恐怖が思考を焼き尽くし、魂を凍らせたとき――


「「「…………ま、魔王ッ!」」」


 その名は、口を突いて漏れてしまう。


「ああ……言ってしまったか。ならば、もう逃げられんぞ?」


 魔王の声には、ただ、確定した『終わり』の色が乗っていた。

 魔王からは逃げられない。

 それは、この世界でもまた、紛れもない真実だった。


「これが……魔王…………」


「いかにも。で、お前が、『死ねない男』か?」


 魔王の声は、ただの音ではなかった。

 魔力が言葉となって押し寄せ、聞くだけで筋肉がこわばり、思考が鈍る。


 マサトは応えられなかった。

 ただ鋭い眼差しを向け、呼吸を整え、わずかに構えを直す。

 ……それが、精いっぱいだった。


「では、一匹ぐらいは残ってくれよ?」


 魔王が静かにそう告げた次の瞬間――


「カァァァ――――ッ!」


 空間ごと揺るがすような大喝が放たれる。


「ッ……⁉」


 闇の波動、としか言いようのない衝撃が、マサトたちを中心に一気に炸裂した。


 威圧魔法。


 それは、術者の格と魔力に応じて敵の意識を砕き、立つことすら許さぬ『足切りの呪い』である。


 最初に膝をついたのは、耳長族の弓手だった。

 次に、重装の戦士が「ぐっ……!」と呻きながら、その場に崩れ落ちる。

 僧侶は祈りの言葉すら出せず、ただ震えていた。

 

 そして――バタリ、バタリ。

 倒れる音が、静かに連鎖していく。


「ふむ……それなりに残ったか」


 魔王はわずかに笑みを浮かべた。

 満足というより、興味深そうに、選別の結果を眺めるように。

 

 その場に立っていた冒険者は、マサトとサンジェロ&クルード兄弟。

 それに、数えるほどの者たちだけだった。


 ……いや、それも『立っているだけ』の者を数に入れるなら、の話である。


 一応、マサトの社畜特訓を最後まで生き延びた『ヤルキ・ギョーム・イミ』の三名も、立ってはいた。


 だが、三人とも虚ろな目で口を開けっぱなし、まるでゾンビのそれだった。

「ころ、して……」「し、にたい……」「やめた、い……」などと、それぞれ深く業を背負った呪詛のようなうめき声を漏らしていた。


 正直、立っているだけでも偉い。

 だから、実質的な戦力は、3名である。


「上出来だ! 褒めてつかわそう。――ふはははッ」


 魔王は、『愉快』といった風情を見せた。

 

「くっ……魔王と……強制戦闘……しかも、ほぼ全滅だと……」


「うかつ……致命的うかつ……もっと早く察していれば……」


 サンジェロとクルードの兄弟が、呻くように言葉を漏らす。


 それに対し――


「だけど……それを言っても始まりませんよ」


 マサトは目をしっかと見開きながら、深く息を吐いて言った。


「やるしかないんです」


 一瞬の静寂。


「ああ……魔王からは逃げられない。ふっ、まぁいいさ」


「けっ、分の悪い賭けは嫌いだが…………まぁいいさ」


「はい、では『いつものその調子』で、お願いします!」


 ……だが、彼らの言葉は、強がりに過ぎなかった。


 数分後。

 サンジェロとクルードは、次第に動きが鈍くなり、限界を迎えて倒れ伏した。


 マサトもまた、魔王にしがみつくように戦い続けていたが――


「……っは、が……ッ」

 

 ゆっくりと膝をつき、そのまま崩れ落ちた。

 

「予想以上に粘ったが……無意味なことだったようだなア」


 魔王は冷たく言い放った。

 

「働き続ける限り死ねない身体などという、ばかげた呪い、か。それに社畜病だと? 笑わせてくれる」


 マサトの『死なない理由』は、すでに完全に見抜かれていた。

 魔王が見下ろしながら続ける。


「……今のお前に、その力は残っているのか?

 這いつくばり、我を見上げるだけの、お前に」


 魔王は静かに、まるで、真理を述べるように、残酷に宣言した。


 マサトは呻きながら、胸を押さえた。


「ぐっ……」


 その痛みは、戦いの傷によるものではなかった。

 休もうとするたび、胸を抉るように襲ってくる『あの』激痛だった。


「では、ここまで我を楽しませた礼として……最大魔法で、葬ってやろう」


 その口調は穏やかで、どこか慈悲深さすら滲んでいる。


 マサトは血に濡れた口元を歪め、最後の力で減らず口を返す。


「ぐっ……そいつは……どうも……」


 それに対し魔王は口の端をゆるりと持ち上げる。


「ふん……お前は社畜というより……だが、これ以上は言わぬが花よな」


 魔王はオォンと一声、喉の調子を確かめ、歌声を紡ぐように、詠唱を始めた。

 荘厳で重厚なバリトンが、本来であれば対勇者戦闘に用いるべき地獄の葬送曲を紡ぎ、一小節ごとに魔素を集め、転換し、魔力が高まってゆく。


 空間を支配し、すべてを終わらせる――

 静かなる死の調べに身をゆだねながら、マサトは、かすかに、口元を、歪めた。

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