社畜、足止めする。
国境付近の薄明かりの中、ギルドからの志願者部隊は、凍りつくような空気の中、魔王軍の侵攻を待ち構えていた。
誰もが、これが"死地"だと理解していた。
マサトとクルードらのレイドパーティが、待ち伏せ地点で待機していると――
「あぁ、マサト。ここにいたか」
黄金級冒険者サンジェロ――クルードの兄が声を掛けてきた。
「どうした、兄貴がなぜここに……? あんたはギルド中央の大幹部様だろ。連合軍の反攻部隊にでも行ったらどうだ」
「『死なない男』が足止めに出ると聞いてな。何をやらかすか心配でね」
クルードの言葉にサンジェロが答える。
「本音を言えば、どこまで『死なずに済む』か、いや、『何をなせるのか』。それをこの目で確かめたかったのかもしれん。ここにいる皆も、同じだろうな」
その言葉通り、現在マサトの周囲には、およそ百名の冒険者たちが集結していた。
ほとんどが、『死なない男』に助けられた者や、彼の狂気じみた働きぶりに影響を受けた者たちだった。
当然、マサトにしごかれたヤルキ・ギョーム・イミの三人の姿もそこにある。
「で、リーダーはマサト君かね?」
「ええ、一応そういうことになってます」
本当はリーダーをクルードに任せたかったマサトだが、クルードに「お前がやれ。A級の看板はこういう時のためにある」と押し切られ、渋々その役を引き受けることになった。
「では、私はマサト君の参謀役にでもなろうかねェ」
「え、でもA級としてはサンジェロさんが先輩なんですが……」
「ああ、君はリーダーとして先頭を引っ張れ。私は後ろで全体を見ておく。少しぐらい暴れてくれた方が、皆の士気も上がるだろう?」
「なるほど、私が前線で動いて、サンジェロさんが後方支援ってことですね! プレイングとマネージャーで役割分担です!」
「……君がそう思うなら、その通りだろう」
マサトの突撃には勢いがある。そして、それを支える理性が後ろにいれば――暴走は戦術になる。
この無謀とも言える作戦に、『確かな現実味』を与えていたのが、参謀サンジェロの存在だった。
そうして魔王軍の先陣が現れる。
「かぁッ、なんて数だっ!」
見渡す限りの魔族。
ざっとこちらの二十倍はいる。クルードは思わず唾を飲み込んだ。
だが、マサトは、血走った目で大軍を見つめ、うっすら笑った。
「いいですねぇ……久々に『限界突破』の予感がしますよ」
大軍を前にしてなお笑みを浮かべる指揮官がいれば、周囲の冒険者たちは思わず声を漏らす。
「ははっ、笑ってやがる。さすがだ」
「やれるかも……いや、やれるぞ!」
「まぁ、先頭は『死なない男』に任せときゃいいんだよ」
マサトの笑顔が、彼らの不安を吹き飛ばしたのだ。
「では、手筈通りに」
「ああ、マサト、気を付けてな」
マサトは粛々と行動に移った。
冷たい風が吹き抜ける中、マサトと数十名の冒険者が、魔王軍の至近まで隠密接近する。
「……………」
もう、敵は目の前。
頃合いを見定める。
「抜剣……」
静かな、号令。
そして――
「目標、魔王軍。総員、とぉつげきに、移れぇぇぇぇぇぇ!」
先頭を駆けるのは、暴走シベリア超特急のごとき『死なない男』マサト。雄たけびを上げて全力疾走するその姿は、まるで蛮族の突撃。
マサトの背に続く冒険者たちは、見事な連携で肉体のパンツァーカイルを形成。
それはまさに、『狂気に統率された突撃』だった。
「突き破れぇぇぇぇぇッ!」
マサトは、鎌倉武士のごとき気合いをぶち上げ、敵陣へと斬り込んだ。
「うわっ、なんだこいつ――⁈」
「ま、前が、前列がやられたっ!?」
「うわああ、なんだ、何が起きてるッ!」
映画なら、ここから華麗な殺陣が始まるだろう。
だが、現実はもっと泥臭い。
勢いが途切れた瞬間に待っているのは、死と隣り合わせの乱戦地獄だ。
「マサト君、一旦突き抜けろ!」
後方から、サンジェロが魔法音声で進路を伝えてきた。
「続けっ!」
マサトは勢いのまま突き破り、その背に冒険者たちが怒涛のように続いた。
――数瞬後。
魔王軍の中央で、ドカドカッと爆発が連鎖する。
炎と轟音が巻き上がり、大地に閃光が走った。
後方の高台に陣取ったサンジェロ率いる魔導士部隊が、「乱れ撃ちィッ!」とばかりに爆炎魔法を一斉発射した。
爆炎は、魔王軍の縦列編隊の先頭と殿を直撃したのだ。
四列縦隊の中央を挟むように、炎の壁が立ち上がってもいた。
本来であれば、魔族側は即座に対抗魔法で迎撃すべき場面だ。
だが、先ほどのマサトらの突撃が、敵の意識を完全に接近戦へと引き寄せていた。
魔王軍全体の統制が崩れ始めた。
さらに弓兵の狙撃部隊が、「狙い撃ちィッ!」の号令とともに弓を放つ。
飛び交う矢が、混乱する魔王軍の中から指揮官格の魔族を次々に仕留めていく。
実に狡猾な作戦。
その完成度の高さは、まさに参謀サンジェロの面目躍如といったところである。
その後、マサトらは数度にわたって突撃を繰り返し、魔王軍の先頭部隊を徹底的に蹂躙した。
士気と統制を失った魔王軍は、ついに撤退を余儀なくされた。
「大戦果だったね、マサト君!」
「ありがとうございます。サンジェロさんの補佐のおかげです」
魔王軍を押し返した後、マサトたちは後方に戻り、サンジェロと再合流した。
サンジェロは満足げにうなずき、クルードも肩をすくめながら笑う。
「勢いまかせも、たまにはありだな。……意外と、やれるもんだ」
誰もがそう思った。
その時は。
しかし、これだけでは終わらないのが魔王軍である。
地平線の向こう――
ゴワワ……ドォッ! という低音の効果音とともに、どす黒い瘴気がもくもくと立ち昇った。
「なんだありゃ……」
次いで響いてきたのは、ゴチャッ、ドチャッ、ズチャッという不気味な足音。
軍靴というより、腐った肉の波が地面を這うような音がした。
「くそっ、ありゃ……アンデッドだぜ。数が尋常じゃねぇ!」
さっきの魔王軍の数倍はありそうな、腐臭の大軍勢が押し寄せてくる。
しかも、その中央には――
「なんか、でっかい骸骨もいますねぇ……」
「うへぇ、ありゃぁリッチか……?」
「いや、違う。……もっとヤバいぞ」
サンジェロの顔が引きつる。
「ハイリッチだ……あの軍勢は、あいつの魔力で動いてる……つまり、何度叩いても蘇る……並の攻撃じゃ意味がない」
魔導策士であり法儀式にも通じたサンジェロが断定した。
「まずいな……あれを止めるには、高位聖職者100名かかりでターンアンデッドするしかないぞ」
サンジェロ曰く、筋肉ムキムキで発音の悪いヒゲのオッサンがアメリカGO! という必要があるらしい。
「兄貴…………そんなヒゲのおっさん、ここにゃいねぇよ! これはもう、一旦退くべきだぜ!」
「……だが、我々の背後には村々がある……」
「このままだと飲み込まれますね……サンジェロさん、他に方法はないのですか!?」
「ううむ……そうだな。あの軍団は、ハイリッチ一体の魔力を核にして動いているから……あの中心のハイリッチを倒せば、軍団は霧散するはずだ。魔導力学……死霊的な魔法であれば、間違いない。ただ、それができれば、の話だが――多分あれは魔王軍の四天王というやつだろう。強いぞ、魔力だけではなくその特殊能力も――」
サンジェロは、一つ一つの言葉を噛み締めるように、慎重かつ悠然と説明を続けていた。戦場のただ中とは思えぬ落ち着き――それは知恵者の風格でもあり、同時に、緊迫した空気――
「あれ?」
彼が、ふと横を見ると――
「おい……マサトはどこ行ったァ⁈」
「兄貴がウンチク垂れてる間に飛び出ていったよ」
社畜はすでに全力疾走中だった。
「た、単独、特攻ッ⁈」
「あいつらしいよなァ」
マサトは両手を大きく広げ、A級冒険者の身体能力と、ご自慢のマクロ魔法をフル回転させ、猛烈な勢いで突っ走っていた。
その様は――騎手が勝利を確信して、思わず飛行機ポーズをブチかますような、テンション爆発の疾走だった。(※なお、実際にやると過怠金を取られる)
もはや、止められないし、止まらない。
見る見るうちに、その突撃はアンデッド軍団と正面から重なっていく。
援護しようにも、もう遠すぎた。
さて、そのころ魔王軍では――
「きぇぇぇぇぇっ!」
魔王軍四天王が一人。
フランシーヌ・ド・デュームが叫んでいた。
腐乱のフランシーヌとも呼ばれる彼女は、御年2000歳のハイリッチ。
体は干からびているが、声だけは妙に生気に満ちている。
「魔王様の復活を祝して動き出したってのに、なんてザマだいぃぃぃっ!」
叱責されているのは、先陣の露払いを務めていた魔族の将。
優秀な男だが、2000年モノの不死者に、湯屋の魔女めいた声で怒鳴られては仕方がない。
「化け物がいた? 顔面蒼白でボロボロの化け物だって?
……バカモン! 化け物って呼ばれるのは、魔族のほうなんだッ!
ええい、これ以上の言い訳は無用さね!
お前さん、生きながらアンデッドにしてやるわさァァァッ!」
そうフランシーヌが断罪しようとした――まさに、その瞬間だった。
何かが、ものすごい勢いで飛び込んできて、こう言った。
「失礼いたしますッ!」
「え……お前はいったいっ⁈」
目玉のない眼窩を丸くして、フランシーヌばぁさんは驚くしかなかった。
「あなたが、アンデッド軍団のボスですね?」
「あぁ……まぁ、そうだけど。お前さんは誰だい?」
「申し遅れました。わたくし、こういう者です」
マサトは懐から名刺をシュパッと取り出し、両手で包むように差し出した。
フランシーヌは、しばし空洞の眼窩でそれを見つめ――ぽかんと固まった。
が、そこは年長者、経験が違う。
「あら、ご丁寧にどうも」
フランシーヌは名刺を受け取ると、スッと老眼鏡を取り出し、空っぽの眼窩にかけ「どれどれ……」と確かめる。
「異世界出身の冒険者……A級ランク社畜の、マサトさんかい」
「はい、お見知りおきを」
「それで、何しに来たんだい……?」
「ええ……ただ、非常に申し上げにくいことでございまして……ご年配の方にこのようなことお伝えするのも心苦しく、また差し出がましくもあり、大変申し訳ないことではございますが。ひとつだけご提案させていただければと……」
「なんだい、随分持って回ったくどい物言いさね。いいから言ってごらんな」
彼女は2000年ほど死んでいたが、こんなこと言う奴は初めてだった。
「ここを立ち退いていただきたい、
そして二度と来ないで欲しいの二点です。
なお、補償は特にはございません」
「…………は? それは一体どういう……お前、愚弄しているのかッ⁈」
「いえいえ、愚弄など。ですが、やはりご理解いただけませんでしたか、まったくもって残念です……では」
これ以上、語るまでもない。
結論、マサトはアンデッド軍団を速攻で霧散させた。
なお、フランシーヌの最期の言葉は、こうだった。
「お前は人間じゃないッ!?! 人の皮をかぶった悪魔か鬼だ――ッ!」
人の皮をかぶった、ただの社畜――それだけだ。
この一部始終を、サンジェロたちは魔法の遠眼鏡や魔眼で観察していた。
「なぁ、兄貴……」
クルードが手を震わせながら呟いた。
「足止めって、どんな意味だったかな?」
弟の素朴な疑問に、サンジェロは小さくため息をつき、静かに答えた。
「……それ以上言わなくていい、弟よ」
そして兄弟は、肩を並べ、声を揃えて呟いた。
『……まぁ、いいさ』
ヒュゥ……と、兄弟の肩を撫でるように風が吹き抜けた。
ふたりの顔には、乾いた笑みだけが浮かんでいた。




