社畜、志願する。
くだんの研修から数週間後――
早朝、ギルドのロビー。
まだ陽が昇りきらぬうちから、マサトはギルド受付の前に立っていた。
昇進したとしても、重役出勤などお断り。それが社畜だ。
「おはようございます、マリーベルさん!」
「おはようございます、マサトさん!」
マサトの姿に、受付のマリーベルは、豊かな胸の内で鼓動を高めた。
それは驚きでも呆れでもない。
(はぁ……何でこんなに胸が苦しいんだろう)
昔は『死なない男』などと呼ばれるマサトの非常識ぶりにドン引きしていた。
何度も危険な依頼から生還して帰ってくる姿を目の当たりにし、日々どうにもかみ合わない会話をしているうちに、彼のことを心配するようになり、心配が積み重なり、そして溢れ――
(もう、わかってる……私……)
そうした感情を抱いたのは、いつのころからだったか。
騎士団崩れから守ってもらった時には、火種は撒かれていたのだろう。
今では、それをはっきり自覚している。
(……目の下のクマがなければ、結構素敵……なのよね……)
目の前のマサトの顔は、どう見てもアレだが。
マリーベルは少し顔を赤くして心の中でこう呟く――
(うん、素敵だわ……それに仕事熱心なのは悪いことじゃないし)
何度も言うが、人間というものは何事にも慣れることができる生き物だ。
慣れとは怖いものという、いい見本だろう。
「マリーベルさん、どうしました? なんだか、ぼぉっとしてますよ?」
「あ、すみません」
彼女はぎゅっと書類を抱え、思いを振り払うかのように小さく息を整えた。
周囲は、そのなんとも微笑ましい光景を暖かい目で見守る。
それがこのところのギルドの雰囲気――
だが、そんなところに、ギルド中央からの緊急連絡が舞い込んだ。
「魔王軍によって北の大要塞が一晩で陥落した。大規模攻勢の気配。未確認だが、魔王の復活の気配もある」
ギルド長サラームスの言葉に、ギルド内が騒然となる。
魔王軍とは北の大地に住まう魔族の集団。
知性のあるモンスターともいえる彼らは、優れた身体能力と高い魔力を持ち、特殊な個体は一人で都市を落とせると言われている。
そのトップは魔王。
単体で国一つを落とすことができると言われる怪物。
優れた統率力を併せ持ち、我が強く組織としては烏合の衆である魔族を束ね、100年ほど前には、いくつもの都市を廃墟にした。
当時の人類――亜人を含む国家は連合軍を結成し対抗。
どうにか防衛線を形成し膠着状態には持ち込んだ。
しかし、魔王の絶大なる力、次から次へと現れる魔王軍の増援にジリ貧――
伝説ではその時、とある男――異世界から転移してきたという勇者的な存在が、魔王を打ち取り、魔族を北へ追いやったとされている。
その後の男の仔細は定かではないが、魔族が再び侵攻することにおびえた連合軍は、北の大地に向けた大要塞を作った。
そしてそれが陥落した。
その上、魔王の気配があるという。
こうなると、各国の騎士団や諸国お抱えの高位冒険者を総動員しての大規模作戦が必要だが、要となる大要塞はすでに陥落。
数日の間でも足止めが必要――
このギルド支部から、最低でも10名の志願者を出してほしいという事だった。
だが、それはまさに死に至る道。
ハッキリ言って『捨て石』同然。
ぶっちゃけ日の丸特攻隊に志願するようなものだ。
『そんな仕事、引き受けたら死ぬぞ……』と、ざわめきが広がった。
だが、 さも当たり前のようにマサトが手を挙げた。
「希望します! 切望します! 熱望します!」
彼の言葉にはまるで緊張感がない。
強力な無数の魔物が大挙してくるのを押しとどめるという、九死一生よりも手酷い任務だというのに、彼は『キツイ仕事は大好物であります』といういつもの調子だ。
「マサトさん……念の為ですが、A級でも命がいくつあっても足りない依頼ですよ」
「命の危険……おお、そいつは素敵だ!」
マリーベルが一応そんなことを言うが、マサトはギラギラと燃える目をしながら「股座がもうアレコレ逝っちゃいそうです!」などと宣った。
マリーベルはそんなマサトを見て僅かなため息をつくだけだ。
「マサトが行くなら、俺も行こう」
マサトが手を上げたことにより、クルードをはじめとしたB級冒険者を中心に志願者10名が集まる。A級冒険者のマサトが一緒なら安心ということでもある。
「お前ばかりに良い恰好はさせられんしな」
「別に私が一人で10名分働けばいいような気もしますけど」
「はっ、お前は一人の方が危険があって良いとか言うだろうが、相手は軍だ。討ち漏らしがあれば一般人の被害が増える――なら、手は多いほどいいだろう?」
「それは、まぁ……」
微妙に不承不承と言った風のマサトに、クルードは「まぁいいさ」などと口癖を言いながら、魔王軍撃退任務の手続きを取り、すぐさま準備に入った。
そして志願者たちが町を離れようとした時の事である。
門を抜けたところでマリーベル以下、受付嬢総出で冒険者たちを見送る。
彼女たちと冒険者の間には、知り合い・友人・恋人などと様々な関係性がある。
「ご無事で」
「頑張ってください」
「アンナァ――いかないでぇ!」
というような言葉がかかった。
「おおよ!」
「やってくるぜ!」
「泣くなグロリア。『あたし』は必ず帰ってくるさ!」
などと少しばかりの歓談タイム。
百合カップルがいるのも微笑ましい一幕だが――それはさておき。
マサトとマリーベルがこんな会話をしている。
「マサトさん、いつもよりスゴイ装備ですね……というかスゴイ荷物だわ」
「フル装備に在庫のポーション全部持ちです!」
これまでコツコツ溜めた金で買ったブレストプレート、鋼の兜と小手。
仕事の速度重視で最小限の防具という彼にしてはかなりの重装備。
その上、これまでに買い貯めた回復ポーション多数、および超高級エリクサー数本を、背中の大型リュックにしまい込んでいた。
「……危険だとは分かっているんですね」
「それはまぁ音に聞こえる魔王軍ですから。動けなくなるほどの怪我をしたら、私でもどうなるかわかりません」
さすがのマサトも少しは考えているらしい。これまで腕が折れようが足が潰されようが昏倒しそうなダメージを頭に食らっても死にはしなかったが、相手は魔王軍だ。
腕が切断され、足が砕かれる程度ならば、まだマサトは動ける。
だが、脳みそをバチコンッ! と散らすような即死攻撃を喰らってしまえば――
「そうやって働けなくなったら、死にますしね。多分だけど」
「そう……ですよね」
死なないカラダと言っても、そのような限界はある。
「あ、あの……」
マリーベルがマサトに手を伸ばす。
引き留めようとしたのだろう。
でも、その手は届かない。
いや、彼女自身が、届かせなかった。
だから、言葉を漏らすことしかできない。
「絶対に……」
彼女は目に涙を溜めながら、続ける。
「帰ってきてください……」
それは切実な願い。
祈るような、すがるような。
そんな彼女の姿を見つめ、マサトは何も言えなかった。
頭のおかしい社畜といえど、女性の涙には弱い。
「あ、ええと…………」
彼は呟くように言葉を漏らし、沈黙した。
顔には、いつもの不気味で不敵な笑みなどなく、真剣さだけがある。
そして10回の呼吸の後――
マサトが「ンッ!」とした声を上げた。
意を決して、思い切ったように口を開く。
「私からもお願いです。また、戻ったら――――」
マサトの声には、必ずとか絶対というものではなかった。
彼はこういう時に嘘をつけない性分なのだ。
そして、マサトはマリーベルの手を取って――
「あなたに……
『マリーベル』に……」
彼女だけに聞こえるよう、なにかを囁いた。
「……ッ――!」
名を親し気に呼ばれた上に、何事かを告げられて声を上げる彼女。
頬を赤らめ、声を押し殺し、口に手を当て、胸を押さえた。
そして、マリーベルはグッと涙をぬぐって――
「はい、お待ちしております!」
と、素敵な笑顔を浮かべたのだ。
「ははっ、いつも通りの笑顔ですねぇ! では、行ってきます!」
「行ってらっしゃいませ!」
笑顔に送られながら、社畜は快活な調子で足を踏み出した。
マリーベルはマサトの背中が見えなくなるまで見守り――
「待ってます……から、ね」
ただそれだけを、呟いた。