社畜、拝命する。
白亜の門が姿を現す。
ギルド中央、大訓練所。
マサトとマリーベルを出迎えたのは、ギルド中央幹部サンジェロだった。
「来たか、マサト」
サンジェロは快活な笑みを浮かべながら手を差し出した。
マサトはガシッと握手で応える。
「それで、任務とは?」
「『育成』任務だ」
「ほぉ? 育成……ということは、つまり『社内研修』ですね?」
マサトの目がギラリと光った。
社畜の中でも、研修という単語に異様に反応する個体、それがマサトだ。
「受け持ってもらうのはC級冒険者20名。全員が『万年C級』だ。10年以上昇格なし。性格・協調性・成績、どれも最低クラスの、いわば『ギルドのお荷物』」
そこでサンジェロは20名ほどの冒険者の報告書が入ったファイルを差しだす。
マサトはそれを手に取り、さらりと目を通しながら問い返した。
「万年C級……それが、ギルドにとって問題になると?」
マサトの素朴な疑問に、サンジェロは静かに頷いた。
「万年C級でも、ある程度の実力があるのは認めよう。だが向上心がない、危機感もない、そして他人に依存する癖がついている。本人たちは『慣れた仕事』に胡座をかき、戦うことも、成長することもやめてしまっている」
「なるほど……いますね、どこにでも」
「うむ、そして最低限の成績は出すから、ギルドは彼らを切ることもできずにいる」
「ははぁ、つまり社内に溜まった不良債権ですな。その『再教育』」
バブル期入社の無能な――だが、給料だけは一人前。
「昔はこうだったよねぇ」と武勇伝を垂れ流し、「我慢は美徳」と語るだけで、ものを教えもしないし、責任も取らない害悪の化身。
マサトの目が一瞬ギラリと光った。おそらく、彼の過去に何か刺さるものがあったのだ。
「なんだ、やはり経験者か」
サンジェロの口元がわずかに歪んだ。
彼は机の縁を指で叩いた。その音がやけに響く。
「業績が出ないだけなら、まだいい。責任から逃げ、他人に寄生し、自分だけを守る――まだ、それだけなら、かろうじて、許すことができるかもしれない」
サンジェロの声音は鋭い。
ふつふつとした怒りが奥底に込められていた。
いつもは飄々としている彼が、歯ぎしりの音を立ててもいる。
「だが、そのうちの一人が任務中に手を抜いて事故を起こす。それに巻き込まれるのは、いつだって真面目に働いてる仲間たちだ」
この時、彼の目にも、過去の光景がありありと浮かんでいた。
「俺はな、それを何度も見てきた。奴らのせいで新人が泣きながら辞めるのを、何人も、何人もだ。いや、それどころか、死――クズどもの怠慢が、それを呼ぶ」
その言葉の圧は、怠惰の悪魔に怒りを叩きつける戦槌のようだった。
声音はまるで鋼鉄の刃に憤怒の神を押し込めたがごとし。
「だから……やり方は任せる、やんわり改善ではどうにもならん。連中に必要なのは、徹底的な再構築、覚悟の修正だ!」
サンジェロは声を荒げてそう断言した。
「なるほど……」
マサトがチロリと報告書を改めて覗く。
そこにはこんな冒険者のタイプが書かれている。
①不真面目型:
依頼の遅れは日常。「仕事が終われば、いいんだろ?」が口癖。
②自己愛・要領型:
動かず吠える。または手は抜くが口だけは動く。評価だけは貰いたがる。
③無自覚・無能型:
自称「頭が切れる」。実際は「指示待ち・判断ミス・暴走」の三冠王。
――目を細めたマサトがゆっくりと報告書を閉じた。
「若手が潰れ、真面目な奴ほどが犠牲になる――実はこの無能どもには、思うところがあったのです」
無能のとばっちりを受けるのも社畜の宿命かもしれない。
けれど、自分はともかく――他の仲間がそんな目に遭うのは、やっぱり看過できなかったようだ。
「うむ、君なら理解――いや、共感してくれると思ったぞ。よし、教育方針は任せる。『洗脳してでも良い』。失敗しても、脱落者が出ても構わん。だが、その場合は、確実に、へし折れ。これは中央ギルド長からの直命令ある」
サンジェロは報告書に添えられた封筒を開き、命令書を取り出した。
そこには血のような紅いインクで『へし折れ』との文字が朱書きされ、しかも下三重線でゴリゴリと強調されていた。
「了解しました! ご期待に添えるよう、全力で叩き込ませていただきます!」
狂気のスイッチが入った。
マサトは拳を握りしめ、目をキラキラと光らせた。
まるで、今この瞬間を十年来待ち望んでいたかのように。
「社畜魂育成プログラムVer3.2!
就労適応型人格再構築術式!
準・拷問型フィジカルトレーニングッ!
魂をぶっこ抜き、ぶっ壊し、ぶち込むッ!
最終的には『仕事をください』と言い出すまで叩き直しますともッ!」
社畜は握った拳をガッ! っと持ち上げ、一息でセリフを吐き出した。
「うむ、任せたぞッ!」
「お任せくださいッ!」
二人は固い握手を交わす。
なんだかスッゴイ熱量で盛り上がる二人だ。
そこに少しだけ場違いな声が静かに割り込む。
「あのぉ……それで……私は、なにをすれば?」
控えめに手を挙げたのはマリーベルだった。
二人の勢いに一歩も二歩もドン引きしてはいるが、わざわざここまで来た理由が知りたいのは当然だろう。
「ああ、そうだったな」
サンジェロは軽く咳払いしながら、ようやくマリーベルに視線を向けた。
「君には『サポート』を任せたい。マサトの……というよりは、対象者たちのな」
「対象者の?」
「万一、研修中に誰かが過労で倒れて、死なれてはさすがに困る。多分マサトは無自覚に追い込むだろうからね」
「追い込むでしょうねえ……それはもう、とことん」
「だから、最低限の管理とケアを担当してほしい」
「つまり、マサトさんが『鬼教官』、私が『良心』? 心を折ったら私が優しく修復――駄目冒険者があっという間に真人間に……あら、これって、マッチポンプ?」
「うむ、的確な理解だっ! さすがはギルド随一の才女と呼ばれる君だ! そう、詐術を用いた魂と精神のスクラップアンドビルドなのだ!」
サンジェロは大変ご満悦だ。
マリーベルは(洗脳の片棒担ぎ…………)などと深くため息をついたが、諦める。
「…………拒否しても無駄、黙ってても暴走――だったら最初から諦めたほうが早いですね……はぁ」
マリーベルのぼやきは誰にも届かなかった。
再教育任務――『万年C級リブート計画』の実行開始は確定事項だったからだ。
それは、魂の矯正、精神の洗浄、そして――やりがいの強制注入。
恐るべき企てが、この訓練所で始まろうとしていた。




