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社畜、向き合う。

 薄暗い森を抜け、山道に入る。


 だが、陽はまだ高いはずなのに、空の色がじわじわと鈍く濁り始めている。


「雲行きが……」


 マリーベルが空を見上げて眉をひそめた。


 薄墨色の雲が重く垂れこめ、風の音も次第に湿気を帯びてくる。

 遠くで、ゴロゴロと地を這うような雷鳴が響いてもいた。


「これは……降られてしまいますね、十中八九、いえ確実に」


 マサトも馬上から天を睨みつけながら言った。


 もし、彼ひとりだったなら、たとえ雷雨だろうとこのまま進んでいたに違いない。

 「雨天対応、装備ヨシッ! 体力ヨシ!」と、迷わず前進だ。


 けれど、横にいるマリーベルの姿が、マサトを押しとどめた。


 (彼女が風邪でもひいたら、自分の『責任』だしな……)


 社畜は自分に厳しいが、逆に他人には優しいところもある生き物だったりする。


「雨宿りできそうな場所を探しましょう」


「あら、てっきり時間を稼ぐために強行軍かと……別に私は大丈夫ですよ」


 マリーベルは、レインコートを取り出そうとしていた。

 実のところ彼女は実家にいたころは、結構お転婆さんだったのかもしれない。


「急がば止まれ、です。」


「でも、雨宿りできるような場所は……」


「大丈夫、私は鼻が利くんです」


「鼻?」


 マサトはそこでシュパッと手を振り山道の脇を示した。


「そこに隠れている山賊さん、出てきなさい!」


 同時に、実にRPGっぽく山賊(10)が現れた!

 戦闘開始のドラムロールが鳴り切る前に、掟破りのフライング!

 マサトの拳と脚が、PPK、PPK、PPPPPPK♪

 山賊たちはまとめて吹っ飛び、ログアウトッ!

 15の経験値。

 残念、レベルは上がらなかった。


「はい終了――!」


「展開、早っ!?」


「近くに彼らのアジトがあるでしょう」


 近場にはぽっかりと口を開けた小さな洞穴、山賊どものアジトだ。

 ああ、無情とばかりに社畜が残党を蹂躙。

 『賊の拠点を確保する(30個目)』と、何かのフラグが達成された気がした。


「ほら、ここで雨宿りしましょう」


「もう驚くことはやめましたわァ……」 


 これぞ雨宿りできなければ作ればいいじゃない。

 現地調達の極み、まさに『社畜の山賊活用マニュアル』の実践だ。


 そして数分後、雨が降り始めた。


「雨……ギリギリでしたね」


 雨音を聞きながら、マリーベルが口を開いた。


「なに、計算通りでしたよ」


 そう嘯いたマサトは洞窟内に残った山賊たちの焚き火の跡で火起こしをしている。


「いやぁ、山賊のくせに備品を整理しているなんて……これはもう、定期棚卸ししてますね。感心感心」


 火打石と薪と、残っていた油脂。

 手際は完璧、すぐに火が点く。


「うわっ……雨が凄くなってきたわ……」


 雨が滝のような勢いになっていた。


「ほぉ……こいつは、昔を思い出す」


 火の前に腰を下ろしたマサトがポツリと言った。


「昔……ですか?」


 焚き火をはさんだところに座ったマリーベルが尋ねると、マサトはちょっと苦笑いしてから、こう続ける。


「そうですね。客先に向かう途中でした。前が見えなくなるような、滝みたいな雨に降られた田舎道……傘が吹き飛ぶほどの横殴りの風……それが一時間たってもやみませんでした」


「かなり危なそうなシチュエーションですねぇ」


「ええ、そのうち足まで水に浸かって川のようになったし、なんかもう折れた木の枝が風に乗ってビュンビュン飛んでましたから」


「それって冗談抜きに命がけじゃないですか?」


「ええ、でも、そのまま歩きました。シャツの中までずぶぬれになりながら。そして、やっとたどり着いたら、誰もいなくて――はは、よくある話です」


 それは誇らしげでも、嘆くでもなく、ただ事実を語る口調だった。

 マリーベルは小さく首を振った。


「はぁ……昔から、そんなことをしていたんですね」


「はい、昔からです」


 それを聞いたマリーベルは(……昔から。そうだったんだ、この人は)と思った。


「でも、なんでマサトさんはそこまでして……」


 マリーベルは思わず口にしたが、その先の言葉に自分で戸惑い、ふと息を呑む。


「あ、ごめんなさい……変なことを聞きました」


 問いかけたはずなのに、その続きを知るのが少しだけ怖かった。

 踏み込んではいけないような気がしたのだ。

 でも、なぜか目を逸らすこともできなかった。


 マサトはしばらく黙っていた。

 炎が揺れ、その明かりが彼の瞳に微かに揺れる。


 そして――


「……仕事をしていないと、怖いんです」


 ぽつりとそう呟いた。


「え?」


「何もしていない自分には、価値がない気がして。手が止まった瞬間、心が落ち着くどころか、奈落にどんどん落ちていく感覚があるんです」


 マサトは言葉を選ぶようにして続けた。


「だから成果とか、納期とか、評価とか……ああいう数字に追われてる方が、まだ『居場所』がある感じがするんです。休むことが……逆に、怖い」


 焚き火の炎が、ふいの風に揺らされ、小さくぱちりと音を立てた。


「立ち止まると、自分が空っぽになる気がして……」


 それだけ言うと、マサトはそれ以上口を開かなかった。


(いつも誰かの目を気にして――誰かに『価値がある』って認めてもらいたいだけ……そんなところ、か)


 病的な社畜の思考だが、それは本気なのだと、マリーベルは得心した。

 随分とマサトの理解が進んだマリーベルはこう思う。


(可哀相なひとなんだ……)


 けれど、それを言葉には出来ない。

 

 そしてそれきり、二人の間に言葉はなかった。


 ただ、洞窟に響く雨音と木が爆ぜる小さな音が、静かな余韻を運びつづけた。



 小一時間もすると、雨はあがっていた。

 雲間から差し込む光が、葉に滴る水をきらりと照らす。


 マリーベルが外に目を向け、静かに口を開いた。


「……晴れましたね」


「よぉし、行きましょう! 日が高いうちに、山を抜けましょう!」


 いつもの調子に戻ったマサト。


 二人は馬に跨り駆け出した。


 雨に洗われた山道は露に濡れ、ひんやりとした空気がある。

 

 しばらくそのまま穏やかな騎行が続くが、

 小一時間も馬を進めたところで、マサトがこんなことを言い始める。


「そうだ、マリーベルさん」


「なんでしょう? マサトさんが何を聞くかは想像がつきますけれど」


 マサトの目がやけにギラギラとしていた。

 

「『任務地までに移動時の職務範囲』を確認しておきたいんですが」


「そう言うと思いました。『移動中のアクシデンツは任務の一環』という解釈でしょ?」


 そこでマリーベルはいつものような素敵な笑顔を浮かべた。


「例えば、道すがら出会った山賊を倒したり、少しばかり寄り道して凶暴なモンスターと遭遇して討伐したり、つい見つけちゃった遺跡を探検したり――それを『や』ってOKかってことですよね?」


 と、軽やかに言った。


ご賢察のとおり(イグザクトリィ)!」


 そして社畜は「行ってもいいでしょいいでしょ、御主人様ァン!」と、獲物を見つけた猟犬のように目をキラキラとさせる。


「……駄目ですよ?」


 言葉に反し、その目は笑っている。


「到着時刻に遅れたりしちゃ駄目ですよ?」


「おおっ! ありがとうございます!」


 マリーベルは苦笑いとも微笑みともつかぬものを顔に浮かばせてこう続ける。


「それから、私の目に入る範囲で――それが条件です」


「はは、自分の仕事を見てて貰えるなんて、社畜の本懐ですッ!」


 無邪気にも見える社畜のガッツポーズ。


 それを眺めたマリーベルはこう思う。


(ええ、私が、見ててあげます)


 それは、社畜の同行者としての『覚悟』か、それとも――


 そうこうして目的地に到着するまでのいくばくかの時間が過ぎる。


 ジャーンジャーン! という銅鑼の音。

「げぇぇ社畜ッ!?」という叫びが聞こえたかもしれない。

 

 結果発表――

 山道に潜んでいた盗賊団が3つ壊滅。

 ついでに古代の封印施設に潜む強力な邪霊が消し飛んだ。


 いつも通りな、社畜のやりすぎ、大・爆・発!


「はぁ、邪霊を片手間になんて、さすがはA級冒険者というところですわね」


「お褒めにあずかり恐悦至極」


 現場で社畜の働きを実際に目にしたマリーベルには、ドン引きを通り越して感心する風だ。

 それに自分が担当する冒険者――マサトが活躍をして、どこか自分のことのように嬉し気な表情すら浮かべてもいた。


「でも、少し遅れてますわ。もう寄り道はなしですよ」


「はいっ、マリーベルさんの仰せのままに」


 そうして二人は手綱と歩調と心を合わせて、一路目的地に向かうのだった。

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