社畜、並走する。
マサトは為すべきことを心に刻み、ギルドを彷徨った
だが、カウンターにも事務室にも姿が見えない。
間違いなく、マサトを避けているのだろう。
そして、うつうつとした、紋々たる日々が始まる。
ただ、依頼を受け続けるだけの毎日。
そうしないと、死んでしまうから。
彼に、いま、出来るのはF級依頼――『道路工事』。
いつもであれば、「道幅4メートル、3層構造。ローマ街道みたいな設計でいこう」 などと、勝手に決めて、真っすぐな道が正解だと、山を掘り抜き、無許可で橋までかけたりと、暴走するに違いない。
だが、今のマサトは、ただ篤実に、作業をするだけ――
背中には見えない十字架が重くのしかかっている。
決して折れない男の心が、折れそうにもなっている。
謝罪できない――
会いたい――
マリーベルに――
謝罪すべき女性に出会えないという、深い悲しみを抱えながらの労働。
いや、それは労働ではなく、贖罪の時間だった。
そんな社畜がギルドを出ようとした。
顔を伏せ、なにかを隠すようにして――
「仕事前にすまんが、少し時間をくれんか?」
ギルド長サラームスだった。
「ギルド長……」
マサトは即座に背筋を伸ばして直立した。
悲嘆にくれる日々が続き、落ち込んではいたが、培った礼儀と言うものは、反射的に出てしまう。
「では、あとで、私の部屋に来てくれ」
「承知しました」
そしてギルド長室――
扉を開けるとそこは応接室仕様となっており、ソファが並ぶ。
すでに先客がひとり。
金髪の美人受付嬢が座っていた。
「「あ…………」」
二人は口を揃えて声を漏らし、そろって口を閉ざす。
まるで時を止める魔法を掛けられたような沈黙――
しばらくして社畜が口を開く。
「……マリーベルさんも、ここに?」
「ええ……ギルド長に呼ばれました」
二人の声は少し硬く、またしても沈黙が落ちた。
「あの、ええと、道路工事のほうは、順調のようですね……」
先に口を開いたのはマリーベルだった。
「はい……」
また沈黙が落ちる。
会話は続いているのに、どこかぎこちない。
その気まずさを断ち切ったのは、ギルド長サラームスだった。
「ああ、二人とも。待たせてすまないね」
そう言ったギルド長は二人の様子をチロリとながめ、「ふむ……」とだけ、小さく唸った。
「さて、話に入ろう」
サラームスが静かに切り出した。
「君たち二人にある任務を与える」
そこでマリーベルは(ええっ、マサトさんはともかく、私にも?)と思ったが、ギルド長の言葉を遮るでもなかった。
「うむ、ギルド中央本部の訓練所へ向かってもらいたい。任務の内容は到着後に伝達される」
「……内容の分からない任務ですか」
「言うまでもないが、A級たる冒険者には相応の特典が与えられている。そしてその代償として、重要な任務も課されるのは知っておるな?」
「はい、もちろん」
重要な任務と聞いたマサトは否応もなく同意し、「内容を教えてください!」と目を輝かせながら言った。
「内容は、私にも伝えられてはおらんのだ」
「極秘の任務ですか。そいつはときめきますね……」
いつもより力ないが、マサトは快活な笑みを漏らした。
マサトを眺めたマリーベルは(あ、変なスイッチが入っちゃったわ……)と呆れたが、それよりも彼女には知るべきことがあった。
「よろしいでしょうかギルド長、私が同行する意味はあるんですか?」
「ああ……」
マリーベルの問いに、サラームスは、ほんの一瞬だけ目を伏せ、そして重たく言葉を紡いだ。
「ほれ、こやつを一人だけでギルド中央に送り込むとする。すると道すがら、ものすごい危険なイベントが発生する――想像してくれ」
「はぁ……」
「普通は迂回する。だがマサトは喜んで突っ込む。君なら分かるはずだ」
「ま、まぁ、そうですわねぇ」
「よろしい、マサトなら解決はするだろう。だが、その結果、トンデモない副作用や弊害が出ると思わんか?」
「否定……できません」
マリーベルはマサトをチラッと眺めてから首肯した。
「つまり、私の任務は『お目付け役』?」
「さすがは我が支部一の才媛、察しがいい。なお、これは決定事項だ」
サラームスは「君ならできる! いや、君にしかできんのだ」と、どこかで聞いたような殺し文句をキメた。
とはいえ、ギルド長の決定であれば、否応もない。
マリーベルは、静かに首肯した。
さて、ギルド中央本部へと向かう段――
通常であれば乗合馬車のようなもので向かうところだが、マサトはギルドから支給された葦毛の馬にまたがり、馬具の点検を行っていた。
「指先確認、革の締め具、あぶみの調子、荷物の固定もヨシッ。移動準備完了です」
「はい、こちらも問題ありません……」
社畜に同行するマリーベルも、黒毛の馬にまたがっていた。
その装いは、いつもの受付嬢とはまるで別人だった。
身体に沿って仕立てられた濃紺の乗馬用ジャケットは、肩から腰へと美しいラインを描き、袖口にはギルドの紋章が控えめに縫い込まれている。
豊かな胸元を包む白いシャツの襟がちらりと覗き、腰には細身の革ベルトと小ぶりなサイドポーチ。
深い茶の乗馬パンツ、ぴたりと足に馴染んだ黒革のロングブーツ。
そのブーツの先で馬の腹を軽く蹴るたび、馬がリズムよく反応し、蹄が草地を小気味よく叩いた。
無駄のない機能美と、自然な優雅さが調和する騎乗姿。
凛とした金髪美人のその佇まいは――まさに、『旅の人』だった。
「では、このルートで進みます」
「……はい」
ルートは、馬車では通れない起伏の激しい山道や林道を通るショートカット。
モンスターが多少出没する危険なルートではあったが、A級冒険者であるマサトがついていれば特段の問題はない。
二人は馬に跨りパッパッパと駆け出した。
手綱を握る姿はやたら様になっている。
最初は、二人とも黙っていた。
マサトの無自覚さ、マリーベルの涙――
二人ともそれを思い出していた。
だが、素晴らしいスピードで駆け抜ける二人だ。
解放感溢れるシチュエーション――
そうともなれば、少しずつ、わだかまりが落ち着き――
「……馬に、乗り慣れてるんですね――」
マサトは、そっと会話を切り出した。
「……実家で飼ってたって言ったでしょ?」
「そ、そうですね……」
ピシャリと言われたマサトは、顔をしかめたが――
「でも、こうして並んで走るなんて、思ってませんでしたわ――」
「あっ……そうですね」
マリーベルは特段怒っているわけでもないらしい。
「それよりマサトさんは――どこで馬の乗り方を? 馬の世話をしていたのは知ってますけど。あと、その乗り方って独特ですね……」
「ああ、これですか、馬の負担が軽くなるらしいですよ」
マサトは現代競馬の騎手がやるような、尻を浮かせてつま先で馬の腹を抑えるような、いわゆるモンキー乗りをしている。なお、彼は別段、競馬学校出身というわけではない。
「自分のカラダに独自開発の『魔法』を使っています」
「魔法?」
「はい、私はマクロ魔法と言っています。カラダの動きを完全に自動化するというものですよ」
それは、扉を開いた社畜の魔法――身体制御魔法。
マサトの異常な戦闘能力――それはこの魔法に寄与するところが大きい。
「それからこの馬にも使っています」
葦毛の馬は「ぶひぃん」と鼻を鳴らしながら、舌をベロベロさせている。
ときおりものすごい変顔までするものだから、あの不沈馬を彷彿とさせる。
多分、"金色旅程"から派生した"黄金船舶"とかいうコードを使っているのだろう。
「はぁ、独自魔法ですか…………」
マリーベルは首をひねったが、マサトのことなので、それ以上は続けない。
それよりも彼女には告げるべき言葉が残っていた。
それをマサトに手渡すべく、彼女は、こんな言葉を紡ぐ。
「わたし……その……」
マリーベルはそこで少しだけ、口を閉じた。
でも、意思を振り絞って言葉を続ける。
それは告げるべき言葉を紡ぐための、会話の助走。
「ええと……その、あのですね……」
頬がほんのりと色づくのに気づいてもいる。
鼓動が高鳴る。
そして最後の助走の一言――
「あの時……」
実のところ、マリーベルは後悔していたのだ。
マサトもマサトだが、アレは言い過ぎだったかと。
「私――」
「マリーベルさん」
マサトが、ふいにそう言った。
「あの時――あの時のこと――」
マリーベルは思わず視線を向けた。
マサトはいつもとは違う、思いつめたような顔をしている。
「俺は……間違っていました」
「……え?」
マリーベルは目を白黒させる。
マサトは間違いを認めるような男だったろうか。
そして――
「ごめんなさい」
それだけ言ったマサトは、そっと顔を背けた。
見えずとも、気恥ずかし気な表情がありありと見える。
頬を赤くしているのが分かる。
「…………」
マリーベルは、声をかけることができなかった。
こんな時、男の顔を振り向かせるなんて、ただの辱めだとわかるから。
自分に告げるべき言葉があったとしても、いまは、ただ。
馬の蹄が刻む音が、どこか心臓の鼓動にも似ていて――
まるで――何かが少しずつ、動き始めているような気がする。
彼女には、この瞬間が――とても大切なものに思えた。
ぬくもりのような、この時間が、心地よかった。




