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社畜、開く。

 ギルド宿舎、深夜。


 月明かりの差し込む部屋の片隅。

 A級試験を終えたばかりのマサトが、静かに椅子へ腰を下ろした。

 目の前には木製の机――無駄に堅牢で、無駄に重い、無駄に重厚なオフィスデスクっぽい机。

 

 マサトは両手を組んで口元に添える。

 唇がニヤリと歪み、不敵な色を宿した目が光り、静かに告げる。


「では、はじめよう――ステータスオープン」


 その瞬間、空中に光のウィンドウが展開される。

 いわゆる異世界チート――ステータス・オープン。

 筋力、敏捷、魔力、スキル、称号――通常なら『わかりやすい強さ』が並ぶはずだ。

 

 だが、マサトの前に開かれたのは――まったく別のものだった。

 マサトは目を細め、笑みを深めた。


「……ついに開いたか、『次』が」


 ――ここに至るまでの道のりは、決して平坦ではなかった。

 それはマサトがC級冒険者になった頃に遡る。

 

「頭打ち……か。そろそろ別の手を考えないと。スキルとかいろいろと」

 

 この世界には《スキル》と呼ばれる特殊能力が存在する。

 筋力強化、身体強化、魔法発動――多くの冒険者はそれを習得し、戦いに役立てている。


 だが、マサトはそれらをまだ一つも習得していなかった。

 理由はひとつ――「まずは基礎を固めてから」だ。


 異世界転移者たる自分には、チート的な力が眠っているかもしれない。

 だが、基礎も固めずにスキルに頼るようでは、いずれ崩れる。

 マサトはそう考えた。


 彼は、肉体鍛錬と業務遂行に特化した『社畜流基礎修練』を愚直に積み重ねていった。『死なないカラダ』――その加護(あるいは呪い)が、それを可能にしていた。


 体力・筋力ともに格段に向上、精神面も以前とは比較にならぬほどタフに。

 重い荷物を担いで1日中全力疾走しても息ひとつ乱さず、三日三晩のダンジョン掃討作業すら、ブラックコーヒー一本で乗り切れるほど。

 忍耐力、集中力、時間管理能力に加えて、スケジュール調整力、報・連・ホウレンソウ、応答反射、クレーム対応耐性まで――業務遂行に必要なあらゆる資質が、無自覚のうちに研ぎ澄まされていた。

 もはや、肉体・精神・職能の三位一体を備えた完全社畜体が完成しつつある。


 だが――力押しだけでは、こなせる仕事にも限界があった。

 正直、頭打ちを感じてもいたのだ。


「だが、基礎は整った。

 効率化、見える化、最適化――さらなる改善のため。

 その先にある応用へ、踏み出す時だ――ステータスオープン……!」


 ――ピピッ。


 軽やかな音が鳴り、宙にウィンドウが浮かび上がる。


「おお、ウィンドウが――!」


 お見事、異世界あるある大成功。

 常識的にはもっと物語の序盤でやるべき儀式なのだろうが。

 

「これで、自分のステータスがわかる…………ふふっ、自己分析、完璧な自己分析」

 

 ――まぁ、普通のステータスウィンドウなら、そういうものだろう。


 だが、マサトのステータス画面は一味違った。


「こ、これはっ……!」


 最初に目に飛び込んできたのは、白地に整然と並ぶ無数のセル。

 その上部には、メニューの文字列がずらりと並んでいる。


「ファイル」「ホーム」「挿入」「データ」「表示」――


 下には「Sheet1」や「年間ゴール(KGI)」、「月次ミッション一覧(KPI)」といったワークシートが並んでいる。


「ステータスというか……表計算アプリだとっ⁈」


 これには社畜は目を疑った。


 そこに現れたのは、標準的な異世界冒険者のステータスではなく――

 社畜時代に日常的に使っていた、あの画面だったのだ。


「まちがいない、スプレッドシートだ……!」


 彼はゴシゴシと目をこすったが、光景は変わらない。


 かつての職場で朝から晩まで火花を散らし合った――『好敵手かつ相棒』の姿。

 マサトは、懐かしきその画面に目を細めながら、呟いた。


「『スプレッドシート構築』は仕事のエンジン、『スライド起案』は説得の刃、『ビジネス文書作成』は契約書の骨格――職場というダンジョンを生き延びるための三種の神器のひとつが、なぜ、ここに……?」


理由は不明。だが、マサトはすぐに答えを出す。


「あの駄女神が送り込んだ異世界だから、たぶんそういうことなんだろう」


 深く考えることなく自己完結。そして即座に思考を切り替えた。

 重要なのは、目の前にあるこの画面――

 

「おお……このシートは……!」


 マサトは、下部のシート一覧をゆっくりスクロールする。


 「自己管理表」という名のシートが目に留まった。


 そこには体力、集中力、やりがい、ストレス、睡眠欠損といった各種パラメータがリアルタイムで表示されていた。総労働時間、月次勤怠、稼働実績といった指標も並んでいる。


「普通の異世界ものとは違うけれど……これが自分の『ステータス』……!」


 ステータスというか、個人評価とか労働分析レポートだが。

 

「操作できるぞ……」


 視線を動かすと、表の中のアクティブセルがススっと動いた。

 試しに空白セルで、「123」と念じれば、その通りの数値が入る。


「ふむ……入力は念じるだけでいいのか」


 さらに視線を滑らせていくと、一部の項目には編集制限がかかっていた。


「なるほど……パラメーターの基幹部分はロックされてるね。これが自由にいじれたら、チートだもんな」


 だが、それ以外の部分――空白セルへの入力、列の追加、行の分割、セル結合、コメント挿入、罫線の設定――そのすべてが自由自在だ。


「ははっ、思いのままに改造できるなんて、最高だ」


 通常、冒険者のステータスウィンドウは『閲覧専用』のもの。

 だが、マサトのステータス画面はまるで異なっていた。

 編集可能どころか、運用管理ツールなのだから。


 しかも、表示エリア上部――そこにあるのは見慣れたアレがある。


「数式バーまであるのか」


 とあるセルの中身を触ると、中には、いくつかの関数が入力されていた。


 集積術式《SUMサム

 分岐術式《IFイフ

 条件呪法《ISERRORイズエラ

 算出術式《COUNTカウント

 照合術式《VLOOKUPビールック

 結合法儀式《CONCATENATEコンケート


「なんか、関数っていうか、完全に魔術体系だな……」


 関数の構文が魔法っぽい。が、内容は理解できた。

 機能もExcelで使っていたものとほぼ同一。

 となれば――


「条件付き書式は……あるか」


 体力が30%を切れば黄色、精神安定値が10を下回れば赤に――

 迷わぬロジックが、完全自動で警告してくれる。

 

「体力の限界も、精神の消耗も、すべてを『明確化』してくれる……素敵仕様……」


 マサトの目が鋭く光った。

 体力が減少すれば、回復行動の提案が即座に表示される。

 精神安定値が続けて下がると、ログが強調される。

 すなわち自己崩壊リスクを事前に察知し、抑制できる仕組みだった。


「スキルもない、チートもない? だが、それがいい。この『業務最適化ツール』があればいい!」

 

 彼にとってステータス画面とは、冒険者としての能力を誇示するものではない。

 あくまで――働くための基盤、『異世界スプレッドシート』という武器だった。


 ――さてそれから、マサトがB級昇格を果たしたある日。

 いつものようにスプレッドシートを確認していると――


「これはまさか……」


 画面右端。

 これまで頑なに沈黙を守っていたタブの一部が青く、かすかに点滅していた。


 そこには、見覚えのある二つのボタン。


 【記録】と【実行】――


「マクロ……か」


 思わず体を乗り出しそうになるのを必死に抑え、

 震える指先で、慎重にそのボタンをクリックした――

 それは、『記録』の始まりであった。



 起床、歯磨き、荷物の確認、出発――ギルドへの出社、依頼受注、現場への移動、作業の開始、終了報告、退勤、帰宅、仮眠、そして再び起床。


「すべての行動が、自動でログに記録されていく……すると、実行は……」


 マサトは、震える手で『実行』を押した。

 次の瞬間、身体が――勝手に動き始める。


「カラダが、勝手に!?」


 こうして始まった、完全自動化された社畜ライフ。

 第三者から見れば地獄のようなそれ、マサトは満面の笑みで受け入れていた。

 自動化できるものは、すべて自動化したいタイプの社畜なのだ。

 

 しかし、問題はすぐに起きた。


 初期設定の不備により、ポーションを二十本一気飲みするバグが発生。

 『掃除→出撃マクロ』では動線設定が甘く、モップを手にしたままモンスターボックスへ突入。

 さらには『深夜見回りマクロ』がループを抜けず、三日三晩にわたって町を彷徨い続けるという事態まで起きた。


「これは……使い方を考え直さないといけないな……」


 以後、マクロの使用は短時間の行動に限定されることとなった。


 ただし、戦闘時の単純な運動――鍛錬の反復には、非常に有効だった。


 武術の達人は、日々の修練を通じて技を身体に刻み込む。

 無駄を削ぎ落とし、長い年月をかけて完成された動作を身につけていく。


 だが、マサトには《記録》がある。


 一度の動作を記録し、全身の挙動を細かくセルに記録する。

 無駄な動き、遅延、バランスの崩れ……それらを関数によって補正すれば、次回の『実行』ではすでに最適化された動作が再現される。


 そして実行、また実行――100%の精度で動作を身体に刻み込める。

 人が十年かけて身につける完成動作に、社畜は百回程度の『記録と実行』で到達する――経験を効率的に再現できるシステム。


「これぞ……社畜式超効率鍛錬法……!」


 それがマサトの――異常な戦闘能力の正体であった。


 だが、次の壁が立ちふさがる。


 ある夜、マサトはスプレッドシートを開いたまま、画面をじっと睨んでいた。

 そこには手直しして完璧なはずの戦闘スキルマクロ群――


「完璧だが、現実の変化に対応しきれない……」


 社畜がセルをスクロール――イレギュラーの一覧が現れる。

 どれも戦闘行動におけるパターン外だった。


「IF関数のネストは、現実的に組めて8階層まで……すべてのケースを詰め込もうとした瞬間――バグる……」


 敵が20種の攻撃パターンをもっていれば、20のイフが必要だ。

 しかしそれでは構造が複雑になりすぎる。


「複雑すぎる関数は――バグの原因。自動化に精度も限度があるし……ううむ」


 マサトは、ゆっくりと画面右端に視線を移す。


「ここにあるはずのものが使えれば……」


 そこには、ずっと灰色のまま、沈黙を保ってきたボタンがあった。


 何度クリックしても開かない。


「まだ早い……ってことか」


 高み(上級管理職)にならねば触れることのできない領域。

 機能解除にはA級冒険者の称号が必要だと確信もしている。

  

「ならば――」


 マサトは決意した。


「ならば高見を目指そう。『世界の仕様』を書き換えられる、その席へ……!」


 

 そして時はA級試験突破後に戻る。


「……ついに開いたか、『扉』が」


 世界が、次の段階への扉を解放した。

 ――それは、フロー改善の先にある、真の自由化の兆し。


「では、見せてもらおう――」


 扉の先で、マサトは手にすることになる。


 恐るべきアイテムを。


 地獄の摂理すら効率化し、

 神の業務すら最適化し、

 世界をこの手で運用管理できる、


 そう、確信させるほどの――武器。


 V.B.A(Very Brutal Automation:超残業型自動処理)言語を。

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