社畜、粉砕する。
そしてB級に昇格してから、しばらくが経過した。
ある日、マサトの耳に『A級認定試験』の話題が飛び込んでくる。
「A級は試験があるんですね?」
「すごく危険な試験があるんです」
マリーベルが規定通りに説明した。
その瞬間、マサトの瞳がギラリと燃え上がった。
B級など通過点にすぎない。A級こそ、待望の『新たなるブラック』領域。
――当然の反応だった。
「受けます! 受けさせてください!」
「言うと思ってました。……試験の手続き、もう済ませてあります」
「さすがマリーベルさん、仕事が早い!」
この頃には、二人の呼吸も自然に合っていた。
仕事も業務も息のすり合わせが命。
ただし、この『すり合わせ業務』の責任割合は、マリーベルのそれが九割九分九厘九毛ほどかもしれない。
そんなやり取りの裏で、一人の男がじっと様子をうかがっていた。
腕を組んだままマサトを見据える初老の男、ギルド中央の幹部――サンジェロである。
「ふん、なるほどあれが『死なない男』と呼ばれ、あらゆる依頼を無休で片づけてしまうという噂の張本人、か」
すでにこの、マサトの名はギルドの中枢にまで轟いている。
「いずれA級試験に挑むだろう」とも、早くから予測されていた。
――本当にA級に値するのか。
その資質を見極めるべく、ギルド中央はサンジェロを派遣したのだった。
「なぁ、ちょっといいかな君。ああ、私はギルド中央のサンジェロ、見ての通り黄金級冒険者でもある」
A級の冒険者証をチロリと見せたサンジェロは腕組みしながら、斜めにマサトを見据えた。
「まどろっこしいことは嫌いだ。私は君が、この黄金の冒険者証に値するか事前査定に来た」
サラッと立場を明かしたサンジェロはこう尋ねる。
「君、仕事に命をかけてるらしいな?」
「ええ、働かないと私は死ぬんですよ!」
「働かないと死ぬ……なるほど、『死なない男』などと言われているらしいが、どんな仕組みなんだね?」
「仕組み? 気合と根性ですよ! いえ、実際は休むと激痛が走る体なんです」
「ほぉ、休むと激痛が走る体ね。それが本当なら、普通なら発狂すると思うが……」
サンジェロは、手元のメモに《異世界出身? 死なない男》と走り書き。
「ところで、こちらからも一点、確認させていただきたいのですが」
「何かね?」
マサトはじっとサンジェロの冒険者証を見つめながら、言葉の流れをさらりと奪った。まるで交渉の場で『こちらの番ですね』とでも言いたげに、礼儀正しく、しかし堂々と――
「Aクラス、黄金級冒険者にはお初にお目にかかりますが……A級になったらもっとハードな依頼を受けられるんですよね? 危険なモンスターや国家レベルの案件とか」
「ああ、A級以上は国境付近の魔獣騒ぎや国家指令レベルもあるから、確かにハードだ。ギルドとしても任せられる人材が足りない。働きづめになることも多い」
「うわぁ、それはいいですねぇ! 仕事が厳しかったり多いと燃えるんですよ! 寝ずに働き続けるのは得意ですから、きっと貢献できます!」
うんうんと頷いたマサトは、さらに尋ねる。
「なるほど……それから、ギルドの幹部……本当の幹部にもなれると聞きました」
「まぁ、最初は下っ端幹部からだがね? あれこれ面倒の多い仕事さ」
それを聞いたマサトは――
「あれこれ面倒が多いッ! やはりこの世界にもそういうものが……ドロドロとした仕事の醍醐味が……ふふふ」
いつもとは違った、キツネかタヌキのような笑みを浮かべた。
(なるほど……馬鹿ではないのだな)
「是非私めをA級に、ギルドの利益にもなるなら、まさにWin-Winですよ!」
「うぃんう……だがそれも合格すればの話だがな。本番の試験では戦闘能力だけでなく人となりや倫理観なども見せてもらう」
「職業倫理とかコンプライアンスですな。大丈夫、労基法以外なら順守できます!」
「ろ、ろうきほうとは……?」
「仕事の敵です。敵ですから、破っても問題ありません!」
「そ、そうなのか……」
いや、そうではないのだが、(これは突っ込むと長くなりそうだな)と思ったサンジェロは深いため息をつき「……まぁいいさ。そういう事にしておこう」と独りごちた。
調査を終えたサンジェロがギルドの事務室に入る。
マリーベルがお茶を出しながら、こんなことを尋ねた。
「事前調査はどうでした? マサトさんはかなりの変人ですけど……」
彼女は、かなり控えめな表現を用いて尋ねた。
「弟の話と合致する。明らかに変態とか狂人の類だろうが」
実のところこのサンジェロ、あのクリードの実兄である。
「だが、ギルドの利益になるとも思う。私の『魔眼』に狂いがなければ」
「――サンジェロ様の目にそう映るのならば、そうなのでしょう」
ギルド中央の幹部にして、黄金級冒険者でもあるサンジェロは、魔法策士と呼ばれる特殊職。
遠隔系の法儀式に長け、とりわけ常時発動型の《魔眼》は、あらゆるものを見通すとまで噂されている。
「さて、彼を担当している君からの説明が欲しい。思ったことを口にしてくれ」
「……ええと、色々言いたいことはありますが、一言でいうなら仕事馬鹿です。本人は社畜っていってますけど」
「ふむ……他には?」
「最近思うようになったのですけれど、彼って生真面目なのかもしれません。馬鹿真面目の類ですが……」
「ふむふむ、それから――ああ、彼に助けられた事があるそうじゃないか」
「ええ、認めます。彼は紳士的です」
「ふむ…………そ、れ、で、だねぇ」
サンジェロはそこで声の調子を変えて「君は彼のことを、どう思っているのかなァ?」と尋ねた。実に意味深な口調だった。
「な、何をおっしゃっているのか分かりませんわ。彼とは仕事の上だけの関係ですわっ!」
マリーベルは少し語気を強めて答えた。
「なるほど…………まぁいいさ、そういうことにしておこう」
サンジェロはそれ以上は言わなかった。
頬を少しばかり赤く染めた女性に、それ以上なにかを尋ねるのは野暮というものだ。
そして試験当日、ギルドの演習場でいよいよ『死なない男』の真価が試される。A級認定試験は三段階構造で行われるのが通例だ。まずは単純な戦闘力を測る試験、次に頭脳の力を測る試験、最後に複数人で力を合わせて討伐対象を倒す連携試験だ。
第一試験は強力なゴーレムとの模擬戦だ。
巨大な鋼鉄製のゴーレムの身体は強力な魔力障壁に覆われており、安易に接近戦を挑めば跳ね返されるのがオチだ。
「はじめっ!」
「マサト、いっきまーすっ!」
ところが、マサトは最初から魔力障壁など一切無視。ゴーレムの鋼鉄の拳を、まるで歓迎でもするかのように正面から受け止めると――
「うごぉぉぉぉぉっ! 痛い、痛いぞっ! 痛みは最高の目覚ましだぁぁっ!」
裂かれるような衝撃にもかかわらず、その表情にはどこか愉悦めいた笑みが浮かんでいる。そして通常であれば大きく後退して体勢を立て直すところを、マサトは力まかせにゴーレムの腕をねじ伏せようと組み付いた。
「お、おい、魔力障壁で焼かれるぞ――!」
試験を見守るサンジェロが悲鳴じみた声を上げる。魔力障壁は下手に触ればその力が暴走し肌や肉を焦がすような効果がある。だが、マサトは意に介さない。むしろ「ビリビリきますよぉぉぉぉぉっ! 障壁の痛みは最高だぁっ!」と笑う始末。
結果、魔力障壁を力ずくで歪ませながらマサトはゴーレムを粉砕してしまう。その光景に試験の見物者たちはどよめきを隠せない。
「聞いてはいたが、本当に非常識だな……」
サンジェロは唖然としつつも、思わずニヤリと笑う。
こうして第一試験は呆気なく終了。ゴーレムを撃破したマサトは「よし、まだ働けます!」と上機嫌だ。
第二試験は罠だらけのダンジョン模擬攻略。落とし穴やギロチントラップ、幻影を生み出す魔法陣など、A級試験ならではの仕掛けがふんだんに用意されたダンジョンが演習場の地下に作られている。
これらはダミーなどではなく、半歩間違え即死と言う剣呑なものであり、普通の受験者は慎重に仕掛けを見破り、安全なルートを探りながら進むのが定石だ。
ところがマサトは「罠ごと踏み潰せばいいんじゃないですか?」とばかりに強行突破の構えで、むしろ罠のほうへ積極的にダイブ。
「ここが落とし穴……なら飛び込んだらショートカットできるかも!」
周囲は「正気か!?」と悲鳴をあげるが、それは杞憂だ。
落とし穴の底には鋭い刃が仕込まれているのに、マサトは自分の体でそれらを強引に弾き飛ばしさらには足場としてしまうからだ。
当然激痛が走ってはいるが、「痛え……だから目が覚める! いや、何かに目覚めそうだぞぉぉっ!」とさらなるハイテンションに突入するのだから始末に負えない。
そして通常数時間はかけてゆっくり罠を解除してクリアするべきゾーンを、マサトは10分程度でクリア。
その様子を見た者のひとりが、信じられないものでも見るように「バケモンか……」と呟く。
サンジェロも複雑な表情を浮かべながら「本来の試験意図とは違うんだが……まあいいさ、結果は結果だ」と頷いた。
最終課題第三試験は多頭のキメラ討伐だ。
これは模擬連携戦であり、少数精鋭の冒険者が協力して討伐するテスト。
キメラは頭部がヤギと獅子で構成され蛇の尾を持ち、毒ブレスや強酸の唾液、そして巨体を生かした猛突進で相手を圧倒するオーソドックスな上級モンスター。
しかもキメラは単体ではなく、複数体が一斉に襲いかかってくる。
最早、殺しに掛かっているとしか思えないシチュエーション。
連携が崩れれば、一瞬で壊滅しかねない。
「協力して戦うのが大事ですよね、わかります!」
そう言ったマサトは仲間役の冒険者たちに笑顔を向けた。
「……わかりますけどッ! その前にやっちまえば文句ないですよねぇぇぇッ!!」
始まってみれば、マサトがあっという間に単身突撃。
「お、おい待てッ! せめてフォーメーションぐらい……!」
という声が上がるが、暴走超特急と化したマサトの耳には届かない。
なにせ『過程より成果』――それが社畜の信条だったからだ。
獅子の頭が咆哮を上げブレスを吐きかけてきても、「おかわり!」などという意味不明な返答をしながら真正面から突っ込む。
ヤギの頭が魔法を放ってきても、腕で受け止め、「おおおおっ、やっぱ魔法の痛みは一味違う! さぁ、もう一発!」と血を流しながらさらに加速する。
「お、おい……死ぬぞ!」
仲間たちが声を張り上げるが、マサトは聞く耳を持たない。
キメラのヘイトを一身に引き受け、通常なら致命傷となる攻撃を受けても恍惚の表情。懐へ潜り込んでは殴り、蹴り、斬り、あらゆる手段で粉砕していく。
「やべえ……こいつにサポートする余地なんてあるのか……連携どころか、何にも……できん……」
あまりの狂気に、仲間役の冒険者たちはフォローに回ろうにも、どう動いていいか分からないという状態だ。
やがてキメラたちは一体、また一体と地に伏し、マサトは最後のキメラの蛇の尾を力ずくで引きちぎるようにして止めを刺した。いつしか周囲は沈黙に包まれ、唖然として口をあんぐり開けることしかできない。
「はあ……はあ……いやあ、気持ちよかった! やっぱり痛みこそ仕事の証です!」
全身血まみれ、手傷はひどくズタボロとも言っていいのだが、マサトは一仕事終えたサラリーマンの素敵な笑みを浮かべた。周囲は「これ、模擬戦というより……地獄?」と呟いた。
そして試験官サンジェロの判定だ。彼は眉間に深いシワを寄せながら書類を見る。
「第一の試練、ゴーレム破壊……合格。第二の試練、これも合格にせざるを得ん」
サンジェロはそこで言葉を区切り最終試練の成績を見つめる。
「連携力を見るための試験だったが……ひとりで片づけてしまった……ハッキリ言って測定不能――だが、一応クリアってことになる」
そこには呆れと畏怖が入り交じった口調がある。
仲間とのフォーメーションを示さなかったという点では減点要素だが、それを補って余りある『成果』があることも事実。結局、サンジェロは「まぁいいさ」と、ため息をつきながら口を開いた。
「合格……だ。いや、こんな例外は初めてだがな。普通の基準じゃ測れない『規格外』だ。死なない男……お前の噂に偽りはなかったようだな」
周囲がどよめきの声を上げるなか――
「ありがとうございます! これでA級の仕事も堂々と受けられますね。より過酷な任務が楽しみです!」
などと、マサトは清々しい笑みを見せた。完全に粉砕され血が垂れる腕をプラプラとさせながら、だ。周囲は改めて「こいつはほんとに人間か……」と口々に囁いた。
こうしてマサトは三段階の試験を突破し、正式にA級冒険者となった。
「よぉし、これでA級! もっと強い敵と戦える!
さぁ、ドラゴンでも、バジリスクでも、ヒュドラでも――神話級モンスター全部まとめてかかってこいッ!」
もう、ワクワクが止まらない! ってな感じだ。
A級なのだから、並みの異世界転移者なら、自分の強さに酔ってもいい。
だがマサトは、ただの異世界転移者ではないから、こんなことも放言する――
「それに、やっと俺にも、利権のすり合わせと派閥抗争の火種が回ってきたッ! 政治と責任の板挟みッ! 立場と自分のせめぎ合いッ! これぞ昇格ッ!」
この社畜、もはや戦うことそのものに飢えているらしい。
剣も魔法も通じない、言葉と沈黙が飛び交う職場戦。
会議室こそが次なる戦場だッ!
まあ、A級といってもピンキリ、すぐにそこまでいかんだろうが。
けれどいずれは、大学病院とか、金融機関やら、捜査機関などでよくある――
『組織力学で人が飛ぶ(意味深)』系の地獄にも、喜々と突っ込む可能性は高い。
「会社は、会議と、根回しで、回るんだッ!」
組織という深淵にチラリとでも触れたことがあれば、分かりたくないのに、分かってしまうこの世の真実。
「組織を覗く者は、組織からもまた覗かれる……ですねぇ」
そう呟きながら、社畜は笑顔で帰っていった。
後ろ姿を見送るギルド関係者たちの間には、共通の思いが生まれていた。
試験で粉砕されたモンスターやらダンジョンと同様に、常識というものが、今後も粉砕され続けるのだろう、と。
――その認識は、まさに的を射ており、いずれ現実となるかもしれない。
ギルドが『社畜の時代』に飲み込まれるまで、残された猶予は、どれほどだろうか。