社畜、素敵になる。
C級以上になると、依頼は掲示板から取ってくるのではなく、個別に受付嬢からもらう形式になる。
「C級の依頼はどんなものがありますかね?」
疲れ切った顔ではあるが、マサトの眼にはキラキラとした光が宿っていた。
以前の『ただ充血しているだけの目』とは明らかに違う。
マサトがレベルアップした証かもしれない。
マリーベルも(あら? 前よりは見られる顔になったじゃない?)などと思う。
注文を受けた彼女は、カウンター越しににっこり微笑みながら「これなんていかがでしょう?」と言った。
「ダンジョンの調査案件のような物なんですが、ちょっと奇妙なんです」
「奇妙な? どれどれ……」
マサトは依頼書をしげしげと眺める――
調査対象は、□□地方□□村の外れ付近に不定期に出現する「料理店」。
内部構造は一般的な料理店とさほど変わらない。訪問者を認識すると自律式のゴーレムが、“接客行動”を自動的に開始し、順路を指定、身支度・入店準備など段階的な指示(注文)を始める。
壁には――
「この店では、お客様に最大限満足いただくために、いくつかだけ。ほんの少しだけ、ご協力いただきたい“お願い”がございます。」
服を脱いでください
耳を清めてください
体をやわらかくしてください
こころを落ち着けてください
素敵になってください
という、ハウスルールが掲げられている。
席に着くと、ゴーレムはこの規約の通りにするよう客に指示する。
この一連の指示は、ゴーレム内部に存在する□構造体(検閲済)。ザッ――
および、魔道的音声案内機能を持つ□□□(ノイズ)によって制御されている可能性がある。ザザッ――
⚠補足:現在までに派遣されたD級冒険者は全員逃走。ただし“満腹証明書”と書かれた思われる書類(血痕付き)が毎回ギルド宛に届いている。書類はいずれも高級文具で書かれており、フォントは優雅な筆記体。
「ね、奇妙でしょう? 危険じゃないんですよ、ほんとに。ただ皆さん怖がって……誰も行きたがらないんです。それで、C級案件に引き上げられたんです」
最近ではC級でも受け手がいないらしい。
危険はないというが、知らないうちに魂でも抜かれてそうだから、仕方がない。
「ですが、実に興味深い依頼ですねぇ……注文の多い料理店か……」
まぁ、マサトが乗り込めば、異常構造の謎を社畜的ロジックで突破するだろう。
若干面白がっている節があるから、まんざらでもないらしい。
「よし、これにしましょう」
「はい、では処理しますね」
マリーベルがニコリとした素敵な笑みを浮かべたその時――
「おぃ、邪魔だ、そこをどきな」
「はい…………?」
「邪魔だって言ってんだろ、聞こえてねえのか!」
「どわぁ――――っ!?」
野太い声と同時に、マサトは突然ドンっと跳ね飛ばされる。
「ケッ…………」
低く、嫌悪をにじませた声を吐き捨てたのは、C級冒険者のライゼルである。
濃い眉に鋭い目つき。
元騎士団上がりの武骨な実力者であり、C級の中でもトップクラスの実績がある。
「なにを……するんです……」
床に尻もちしながらマサトは抗議の声を上げるが、それを無視してライゼルは、受付のマリーベルに顔を突き出した。
「おい、マリーベル。俺の依頼はまだか? 早くしてくれよ」
「あなたの依頼は処理中ですが……」
マリーベルはものすごく嫌そうだ。なにせこのライゼルは元騎士団、つまりは騎士団を追い出されるような中身の持ち主なのだから。
「ああん? なんだよそんな顔をするなよ。俺はC級だぜ、同じギルドのメンバーじゃねぇか。もっと笑えよマリーベル」
ライゼルはこめかみに筋を浮かべながらそう言った。
マリーベルは強張った顔を見せる。
「今は、マサトさんの依頼を……」
「くそったれっ、マサトがなんだ! あいつが現れてからだ! 急によそよそしくなりやがって……俺が話しかけても、前みてぇに笑わねぇ! 『業務中です』だと? なんだよそれ、まるで俺が邪魔者みたいじゃねぇか! どういうつもりだ!」
「私は前から変わりません……」
「うるせぇ!」
そんな光景を眺めていたマサトは(ああ、察し)と思った。社畜は仕事の事しか考えていないようで、意外に人間関係に鋭いところがある。
そして、彼の中で、何かが静かに『カチッ』と切り替わった――
「ライゼルさん…………私に文句があるんじゃないですか?」
「んだてめぇ…………あるに決まってるだろうが!」
立ち上がったマサトの声は淡々としているが、眼は笑っていなかった。
「失礼ですが、あなたの言動は業務妨害に該当します」
マサトの言葉が変わっている。まるで違う人格のように、冷徹な口調だ。
「マリーベルさんは、ギルドの職員です。業務優先の姿勢は職務上当然です。私情を挟む余地などありません。仮にそう見えたなら、あなたの側に、尊重の欠如があるのでは?」
「はぁ…………? なっ……⁈ て、てめぇ……」
ライゼルが一歩詰め寄った。怒気が肌を刺すようだ。B級に近いC級ともなればオーラぐらいは身にまとわせる。
「言ってくれるじゃねえか……ああ、そうだ。お前みたいな狂った働き方するやつが、ギルドの主役みたいな顔してんのも気に食わねえんだよ!」
「お気持ちとして理解しますが、感情論はレポートに記載できませんので、議論の場には不適切です」
そういったマサトはスッとマリーベルの前に立った。
まるで彼女を守るかのように。
「何やってんだてめぇ……」
「私情を業務に持ち込まないでください。あなたがなにかに嫉妬していることは理解できます。ですが、それはあなたの努力の不足を補う理由にはなりません。以上!」
しん、と空気が凍りついた。
「て、てめぇぇぇっ‼」
「はい、まだ言うなら、これを見てください」
激発したライゼルからもの凄いオーラがあふれるが、そんなことはお構いなしにマサトは一冊の本をドンと差し出した。
それは分厚いギルドの規定集――
「これ以上騒ぐのなら、規定にのっとり、この件、正式な報告としてギルドに提出します」
「なにぃ? お前にその権限が」
「あるんです。私もギルドの正式メンバーですから」
マサトはチロリとC級――昇格した証を見せる。
「さて、規定によれば……」
そこからのマサトが凄かった。
「まず第一に、222条1項――」
ありとあらゆるギルド規定を引き合いに出し、ライゼルの言動が何条に抵触し、どの規定で処罰対象となるか、その執行権限が誰にあるか、さらには黙っていることで不利になる理由まで、徹底的に理詰めで叩き潰していった。
「理解できない? では、もう一度、順を追って説明しますね」
書類の束を手にバンバンバン! と叩く様は、歴戦の検察官のようにもみえる。
赤カブが大好きな副検事のような生ぬるいものではない実に冷酷非情な論理。
加えて――
「女性に懸想するのは勝手ですが――あなた恥を知りなさい、恥を!」
剣で切るよりも、殴るよりも、重い一撃だった。
「こ、この野郎――!」
そしてライゼルは歯を噛みしめて睨みつけ、手にした武器を抜くような素振りを見せた時だった。
「そこまでだ。それ以上やると、いかなC級だとしても許さんよ?」
ギルド長のサラームスがいつも間にか現れていた。
ただ立っているだけで場の空気がピリリと引き締まる。
サラームスは「話は一部始終聞かせてもらった」と頷いてからこう告げる。
「結論、マサトが正しい」
「うぐっ……」
端的なギルド長の物言いに、ライゼルはギリリと歯を食いしめるほかない。
「なお――マリーベルに対する業務外の接触、あるいは威圧行為が続いた場合。
私の職権により、即時、ギルドから追放処分とする。……異論は認めん」
静かに、淡々と、だが、ビシリとした威圧を放つギルド長。
そして、これ以上ない素晴らしい裁定。
――こんな人を、嫌いになれるはずがない。
ライゼルは「くそっ……覚えていろ」と捨て台詞を吐き、忌々しそうに踵を返して立ち去った。
――サラームスも、無言のまま、その場を離れていった。
そして、マサトはゆっくりとマリーベルの方へ振り返る。
「大丈夫でしたか?」
「……ううん。ありがとう。あの、言い寄られて困ってたんです」
「やっぱりねぇ、ははは」
マサトには珍しく、カラッとしたいい感じの笑みだった。
「でも、すごかったですね……マサトさんのあの言葉……」
「ああ、部下にストーキングをかました奴が社内にいまして。その時覚えた社内対応マニュアルを脳内参照したんです。淡々と、冷静に、事実だけを伝えるってやつを」
マサトは「まぁ、社畜は物理的には人を殺さないけど、社会的にはやるときはトコトン……」などとチョッピリ怖いことを呟いてから、「申し訳ない、これ以上はやめます」と苦笑い。
「ともかくありがとうございます!」
「いえ礼には及びません。ああいう女性の敵みたいなのが大嫌いなだけなんです」
その言葉に、響く真摯さは、まるで鋭い刃のような物言いだった。
でも、それにより守られたマリーベルは――
「ええと、あの、その――」
「はい?」
マリーベルは小さな声でぽつりと――
「ちょっとだけ…………素敵でした……よ?」
と言った。
受付カウンターの隅で、二人の間に、いつもとは違う空気が流れた。
なんともいえない小さな沈黙が、ふわりと漂う。
「あ、いえ、違います。そういう事じゃなくって! あ、はい、これ、C級の依頼書を処理しておきました!」
頬を赤らめたマリーベルがワタワタと、誤魔化すように依頼書を差し出した。
「は、はぁ……? え、あの……」
社畜の重要業務評価指数には『素敵』という項目は含まれていないのだ。
いささか思考を停止させたまま、マサトは依頼書を受け取った。
「で……では行ってきます!」
そして、火でもついたかのように、走り出した。