社畜、手に入れる。
「これがCランク冒険者証です」
新たな冒険者証を差し出すマリーベル。
マサトは盗賊団壊滅の功績によりランクアップを果たしたのだ。
「それからCランクからは、ギルドの正式メンバーになります」
「ええっ!? それって、正規雇用ってやつですか?」
「役職なしの専門職ということになりますけれど……」
「……やったよ、やったぜ! 父さん母さん、俺は『正社員』だ――!」
マサトは、絶叫しながらボロボロと涙をこぼした。
実はマサトには無職なプーさん時代がある。
バイトから契約社員、そして正規雇用に這い上がった経験から、『正社員』という言葉にひとしおの感慨があるのだ。
なお、正社員になった会社は超絶ブラック企業だったから、家族はあまり喜ばなかった模様だ。
「賃金は発生しませんが、従業員用の宿舎、引退時の手当があります」
「マジですかっ?! 社宅と退職金があるだって!?」
「社宅とか退職金が、なにかはわかりませんが……」
マサトにいろいろと引っかき回されっぱなしのマリーベルだが、ここ最近は現代日本ワードが飛び出しても特に驚くこともない。
人間の適応性は思ったよりも高く、それは女性の方が優れている。
「ギルドって、ホワイト企業だったんだ!」
「ホワイト企業……なんとなくわかりますが……あの、建物はかなり古くて……」
「古くてもなんら問題ありません! 住まいがあるだけで感謝です! ギルドに感謝ッ! 仕事に感謝ッ!」
「では、これからはもう、馬小屋で仮眠するのはやめてくださいね」
「ええっ? 馬と一緒に寝るのも業務の一環なんですけど……」
時折マサトは、馬の世話の仕事を掛け持ちしていた。
最初は怯えていた馬たちだが、結構ウマが合ってきて、近頃はヒツジの王と牧場ネコみたいに一緒に寝たりしていたのだ。
「ギルドの正式なメンバーになったのですから、ある程度は外聞も大事ですよ?」
「外聞っ…………確かにそれは……ギルドの看板を背負う社員として……っ!」
正規のギルドメンバーが馬小屋を宿舎がわりに使う――アウトだ。
考えてもごらんなさい、職場の同僚が公園とかで寝泊まりしてたら、どう思う?
「あと、その……匂いが……。実家で馬は飼っていましたから私、慣れてますけど……」
冒険帰りのマサトは基本ボロボロだが、なぜか受付に来る頃には一応『清潔感ギリ合格ライン』には戻っている。
だが、馬のお世話の後は――ちと臭い。
それを女性に指摘されると――ちと、どころではなく、メチャンコへこむ。
「ね、わかりますわよね?」
マリーベルは、にっこり笑ってダメ押しした。
「わ、わかりました……善処します」
「では、宿舎にご案内しますね」
「ええっ、マリーベルさんが直々に……!?」
「はい。鍵の受け渡しと、確認作業もあるので」
ギルドの受付嬢は総務まで兼務らしい。
いつもお仕事とご苦労様です。
「あの、あくまでお仕事です。他意はありませんことよ?」
とはいえ金髪美人な受付嬢が宿舎までご案内。
凡庸な異世界転移者ならば、下心をうかべて、ニヤけてしまうかもしれない。
「なるほど、『大事な仕事』ですね!」
マサトは仕事ということを、強調した。
その眼に嘘はないことが良くわかってしまう。
(なぜかしらないけれど、そういうところは安心できるわね。ふふふ)
マリーベルはそんなことを思い、心の中でそっと微笑んだ。
しばらくの後――
「こちらになります」
ギルド本部から通りを三つ抜けた先。
年季の入りすぎた木造家屋が建っていた。
壁は剥がれ、屋根は傾き、扉は風でギィィと鳴く仕様。
「こ、これって一軒家じゃないですか⁈」
「ええ、普通は長屋みたいな集合宿舎なんですけど……いま満室で。それで、こちらにだけ空きがありまして……」
マリーベルは申し訳なさそうに、少し目を落とした。
雰囲気はまるで不動産屋の社員のようだった。
「あ……出ますね? ここ、絶対出るやつですね?」
「……正解です。出るんです」
間髪入れずにうなずくマリーベルの目が、妙に真剣だった。
アンデッドだの死霊だのが普通にいる世界の話である。
「むしろごっつぁんです! 大掃除がてら退治しますよ」
「ははは、そう言ってくれると思ってました」
多分、物理で殴るつもりだ。
それが出来るだけの実力がマサトには備わっている。
いささかC級を超えちゃっている気もするが。
「そんなことより、ここ、ギルドに近いですよね。そう言う意味では超優良物件じゃないですか!」
「は、はい、ギルドまで歩いて三分以内なので、確かに通いやすさは抜群ですわ」
「家が、会社に近いなんて最高だ!」
マサトにとっては『仕事と住まいの両立』が何よりも大事らしく、職住近接の住まいに大興奮。
「はい、鍵をどうぞ。お気をつけて……」
マリーベルが鍵を渡す。
マサトが木造の扉を開けると軋むような音が響き、薄暗い内部が見えた。
なんとも薄気味悪い空気が漂ってもいる。
だが、そんなことを気にするでもなくマサトは――
「失礼しまぁぁぁぁぁぁす! 死霊関係者の方、いらっしゃいますか――?」
突撃お化けの晩御飯とばかりに、飛び込み営業のノリで突撃する。
バキッ、ボコッ、ドカッ、ガキッ! っというような格闘音が響く。
ギェアアアアアアアアアッ! という叫び声がした。
数分後、マサトが窓からヒョイと顔を突き出す。
「はい、中の掃除は終わりました。中は安全ですよ!」
「は、早い……」
並みのC級冒険者の手並みではない。
ともかく、マリーベルが内部を確認するため足を踏み入れると――
「素晴らしい…………!」
マサトが部屋の中を検分しながら歓声をあげていた。
家の中はちょっとした土間の先に六畳分ほどの小さなスペースがあったり、簡素な寝室と調理場などがある。
机や収納箱の調度品、バケツなどの日用具も置かれている。
内装も外装と同様、かなり古びていたが、結構まともだった。
マサトは目を輝かせながら床板をトントン叩いてみたり、壁の木材を「むふん……」などと喜びの色がはなはだしい。
「実に良い…………! マンガ喫茶とは段違いだ!」
「ええと、マンガ喫茶って……?」
「あれですよ……空気はヤニと汗と加齢臭のミルフィーユ。壁は紙より薄くて、音がダダ漏れな激狭な激安宿みたいな。ホントは宿にしちゃいかんのですが」
マサトは終電を逃した後の定宿として、漫喫を満喫することがあったのだ。
それに比べれば、確かに大分マシ、どころか天地の差があるだろう。
となれば、ご満足いただけたのも納得だ。
「家の中の備品はお好きなように使ってください。バケツは……雨が降ると天井から水が漏れてくるので……」
「雨漏りですか! 目覚ましが、いつ鳴るかわからない緊張感……これはもう、強制起床装置完備とは!」
マリーベルは「そうですか、あははは……」とかすれた笑い声をあげた。
そこにはもう、ツッコミも呆れも超えた、何かを悟った者の微笑みがあった。
可哀そうだが、彼女はマサトの担当受付嬢なのである。
「よぉし、じゃあ少しばかり掃除をするか……」
死霊は立ち退いたか成仏したかしているが、いささか汚れも目立つ家。
マサトは「荷物置き場とか、仮眠にしかつかわないけれど、最低限キレイにしておかないと」などと言った。
それは身に染みこんだ5S(整理・整頓・掃除・躾――最低限の清潔感)の精神。
真の社畜とは、職場環境の改善と維持に、深い造詣を持っていなければならない。
……前回、血まみれだったのは――男の勲章ということで、どうか許してほしい。
「では、私もお手伝いしますわ」
「え、でも、そこまで――――」
「掃除と称して備品を壊されたら、あれなので……」
「ああ、なるほど……」
お目付け役と言うのだから、これにはマサトも納得だ。
マリーベルはフフフと笑い「では、始めましょう」と言い、どこからか取り出した三角巾を頭にかぶった。
金髪家政婦さんの完成である。
そしてしばらくの時が過ぎ――
「よし、だいたい終わりました」
「はい、こちらもです」
マサトは、ぞうきんを脇に置き、「ふぅ……」と息をついた。
マリーベルは三角巾に手を当て、「ふぅ……」と艶のある吐息を漏らした。
――なぜか、ふたりの呼吸は、自然にひとつに重なっていた。
「お手伝い、ありがとうございました!」
「いえいえ、どういたしまして」
頭を下げるマサトに、マリーベルは柔らかく微笑んだ。
その笑顔に釣られるように、マサトもふっと微笑み返した。
「ああ、ついでですけど、手当の件をお伝えしておきます」
宿舎の他の福利厚生、引退手当についてマリーベルが説明を始める。
「ギルドメンバーとして長年務め上げた方とか、怪我で動けなくなった場合最低限の手当を出す取り決めがあるんです。本当ォ~に最低限ですけど」
「社宅に退職金! これはもう……ギルドってホワイト企業の鏡ですねッ!」
危険と隣り合わせの生活の代償。
宿舎による囲い込み。はした金同然の手切れ金。
だが、そういう福利厚生を味わったことのないマサトは本気で感激していた。
ホントのホワイト企業の味を教えたら、発狂するかもしれない。
「念のためですが、ギルドメンバーになったと言っても、賃金は発生しません。これまで通り、依頼報酬だけが実質的な収入源になりますので……」
「ええ、全然OKです。仕事さえやっていれば十分稼げますから!」
マサトはアホみたいな依頼を一人でこなし、報酬もガッツリもらっている。
だが、回復費用などで全然プラスになっていない。
それを知っているマリーベルは「はぁ……」と短くため息をついた。
冒険者の現実としては報酬がゼロになることもありえる。
だが、そんな警告はマサトに言っても意味がないだろう。
「ひとまず宿舎の案内は終わりです。何かあればすぐギルド受付までどうぞ」
「では、すぐに帰りましょう。ギルドに戻って次の依頼をもらわないと!」
自宅を手に入れ、掃除をしたら、即座にギルドへ逆戻り。
休むという単語は、社畜の辞書に最初から存在しない。
あったとしても、ページごと破って埋めたはず。
「そう言うと思ってました!」
マリーベルはやれやれと首を振ったが、(でも、あなたらしいわね……ふふっ)などと、温かな笑みを浮かべたのだった。