大人の階段
かぽーん!
タイルを敷き詰めた空間に、木桶の間抜けな音が響き渡る。
湯気で霞んだ視界には見渡す限りの肌色。
他の奴等も我先にと新しい浴場に入ってくる。
だがしかしっ、先陣を走るのは誰にも渡さないっ!
「シュテンくぅん、走っちゃ危ないよ!」
「あっ、まずは身体を洗って…」
「へへーん、それは聞けない話だぜ!この大浴場、最初の一番風呂は俺が頂きだっぜ~い!」
きゃいきゃいと煩いお姉ちゃんを振り切って、俺は波一つ立っていない湯舟へとダイブした。
ばっしゃーん!!
三秒後、ぴくぴくと痙攣しながら浮き上がる俺。
顔やお腹に得も言われぬ痛撃を受けた俺は、この浴場初の土座衛門になった。
「は~い、シュテンちゃん。大人しく体を洗いましょうね♡」
「あっ、今日は私達が洗う番だって決まったよね!」
「ふへへ、このモチモチ感が堪らないんだよね♡」
ふっ…モテる男は辛いぜ。弟分達も同じ目に遭ってるけど。
そもそも大浴場が出来る前も、毎日お姉ちゃん達にお湯に浸した布で体を拭かれてたし。俺は大樹に帰れば風呂に入れるって言うのに、半ば襲い掛かられて…マウントを取られてるから逆らえないのだ。
うぬぉ…しかし、おちんちんまで洗われるのはちょっと屈辱だ。
ガーくん特製の大浴場が完成した今日が初使用なわけだが、この大浴場(女子専用)にはサウナまで付いている。男子用には別に造った個人風呂を割り当てているが(ルゥ兄ぃはこっち)。
厳正なくじ引きの結果、今は孤児院の半数(勝者)が大浴場に来ている状態だった。
案外時間がかかったが、ここに至るまでにはガーくんもルゥ兄ぃも結構苦労したらしい。まず、下水道が思ったよりも汚くて詰まる危険性があったので、ルゥ兄ぃがチート増殖させた藻とそれを好物にしてるスライムを下流まで放流して浄化にあたった。次に井戸から水を汲み上げるポンプやお湯を沸かす魔道具を探して王都を奔走した。結局、ポンプはあったが、お湯を沸かす魔道具はコスパが悪いってことで薪を燃やす方式になった。
まあ、御蔭で現代の魔道具技術の底が知れたのは良かったと言えよう。とても、俺の野望に役に立つレベルじゃないってな…トホホ…。
ばしゃ~!
石鹸の泡を洗い流すと全身ぴっかぴかだ。
お姉ちゃん達もちょっと前までは肋が浮き出ていたのに、今はそこそこ見られた体形になっている。これも栄養と鍛錬とルゥ兄ぃの超回復の御蔭である。
だが、そんな肌色天国の中に一人だけタオルを巻きつけた不届き者がいた。さっきまで俺がお姉ちゃん達に揉みくちゃに洗われるのを、ニタニタと見ていた獣人娘だ。
「おい、ミュー!俺等が裸の付き合いをしてるってのに、一人だけタオル着用なんてマナー違反だろうがっ!」
「えっ…それは、その…アタシはお姫様だから高貴な裸体は見せられない…って感じで…」
しどろもどろに返答して目を逸らすミュルン。
「あっれー?ミュルンちゃん、私達と体を拭く時は豪快にすっぽんぽんになってたよね?」
「くふふ…誰かさんにだけは羞恥心が働いちゃうとか?可愛いなぁ♡」
「あっ…そういう事か。んー…あたしも狙ってたのに、ミュルンちゃんがライバルじゃ勝ち目ないなぁ…」
さっきまでシゴいてくれた師匠をニヤニヤ揶揄う弟子たち。
「ちょ…違うからっ!アタシはただ…」
「おらーっ!ごちゃごちゃ言ってないでタオル取れやー!」
「ぴゃあーっ!引っ張らないでよおッ!見えちゃうじゃないっ!」
「んあ?そうまで隠すとは…もしかして耳や尻尾みたいに、チンチンでも生えてんのか?」
俺は掴んだタオルを持ち上げて中を覗…
「んなわけ…あるか、ボケーッ!!」
「おぼぉッ!?」
ミュルンに蹴り飛ばされた俺は、サウナ横の水風呂に落ちて派手な水飛沫を上げた。
ばしゃ!じゃば!ばちゃ!
「ぶはーっ!げほっ、ごはあ!つ、冷たぁーッ!!」
心臓が止まりそうなほど冷たい浴槽から、俺は必死に脱出した。
「ガクガクブルブル…お、おい…馬鹿ミューっ!これは幼児虐待だぞ、死んだらどうすんだっ!」
「………ふんっ」
ミュルンは真っ赤な顔でそっぽを向く。タオルの裾を強く押さえて…。
「え~、今のはシュテン君が悪いと思うなあ…」
「うんうん、女の子に対してあれは無いね」
「幼児と言えどもそこは察するべきだよね」
な…なんで酷い目に遭った俺が責められてるんだ?
たまにこの女子特有の謎論理には付いていけなくなるんだが?
きゅる、きゅるる~
「あ、あれ…?」
この音は…それになんだかポンポンが痛くなってきた。
ぷぴっとオナラも出た。
「マ、マズイ…爆発しそう…」
俺はお腹を押さえて、内股でよろよろ歩き出した。
いかな俺とて羞恥心はあるし、これ以上お姉ちゃん達に弱味を握られたくはないのだ。
裸で脱衣所をふらふら出た俺は、全力で叫んだ。
「ル…ルゥ兄ぃ、おトイレーっ!ウンチ洩れちゃう~っ!!」
ぷぴ~っ、ぷりぷり…
「ふぅ~っ…間に合ったぁ…♡♡♡」
様々な野菜が栽培されている中庭で、鹿を模したオマルに優雅に跨る俺がいた。
流石ルゥ兄ぃ、迅速対応のサポートはもはや職人芸である。
くすくす、ひそひそ…
「おまるに座るシュテン兄ちゃん…なんか可愛い」
「ぷくく…また妙に似合ってるよね~」
「あんた達、笑っちゃ駄目よ。”おまる”は幼児にとって必需品と言っても…ぶふっ…」
ただし……今回はめっちゃ急がせた所為か、俺のプライバシーについては完全忘却されていた。
「お前等…いい加減、俺に気を遣うべきだろおっ!」
今の俺は、十数人のお姉ちゃん&妹に絶賛生き恥を晒している最中である。いくら俺と言えど、二十人余りの女子に脱糞する姿を見られては恥を覚えずにはいられないのだ。
「ふふふ…うちのシュテンはいつだって可愛いんですが、特に無防備なこの瞬間が一番キュートと言っても過言ではありません!」
「あっ、それ判るぅ!」
「うちの弟妹たちは三歳までにはおトイレデビューしちゃうから、お世話し足りないんだよね」
「うんうん、今はクイン君(二歳児)が最後の癒しだもんね」
「僕もシュテンのお世話はいつでも歓迎なんですが、やっぱりもう五歳ともなると将来に不安が…」
「え~っ、ボスには是非とも今のまま大人になって欲しいんだけどぉ」
「オヤビンは今のままでもオイラの勇者ッスよ」
ルゥ兄ぃ…親馬鹿ムーブで俺の恥を拡散しないでぇ!俺、もう泣いちゃうよ?
それからミュー!バスタオル巻いただけの姿で外に出てくんなよ!お姫様設定はどこいった?
ガーくん、こういう時は慰めないでくれると有難いかな…。
身内の三人には言いたい事はいっぱいある。が、まずは…
俺は鹿の角を掴んでお尻を持ち上げる。
すると、ルゥ兄ぃとの阿吽の呼吸で、暖かい水流が俺の肛門を洗ってくれる。
次には温風がお尻を乾かしてくれた。これがまた「あふぅ…」と声が出るくらい気持ち良いのだ。
まさに至れり尽くせり。俺がトイレを使えないのは過去のトラウマの所為だが、このルゥ兄ぃの完璧なお世話に依存しているのも大きな理由だ。
ルゥ兄ぃも楽しそうだし、大した問題ではない…はず。
「ふう~…こんな完璧な環境なんて、この世界の王族でもなかなか…」
だがこの瞬間、俺に稲妻のような天啓が落ちた!
そう…この世界には無くとも、異世界にはウォシュレットという文明の利器があったじゃん!水で洗って風で乾かして、音楽まで流れるって奴が…。
しかも現在、大浴場建築でガーくんには結構なノウハウが蓄積されているときた。
「そうだよ!トラウマなんて克服しなくても、華麗に回避すればいいだけじゃん!ガーくん、俺と一緒に、この孤児院からおトイレ革命を起こしてやろうぜっ!」
「なんか判んないけど…合点ッスよ、オヤビン!」
そういうノリの良いところ大好きだぞ、ガーくん!
「あ…またシュテンが何かを踏み外してる気配が…」
「ぷくく…まあまあ、あれもボスの個性なんだし…ほんと見てて飽きないよね」
際どい格好も忘れ、お姫様は御機嫌に尻尾を振っている。
「ハァ~…君も、もうちょっと見られる事を意識した方がいいよ」
◇
そして、二日後。
俺は再び生き恥を晒していた。
新築のトイレが三つ並んだその真ん中で、ドアを開け放って観衆に排便の一部始終を見られている。
石造りの西洋便座に座った俺が力むと、観衆達も一緒に力んでいた。
ぷりぷり~
全員でほぅ~と安堵の吐息。こらそこ、鼻を摘まんでんじゃねえ!
臭いはルゥ兄ぃが風魔法で外に排出しているのだ。
そして、本番はこの後である。
便座横にあるボタンを押すと、お尻に温めのお湯がジョジョーッとあたった。
「おふ…」
いかん、観衆の前で思わず声が出てしまった。
”止める”ボタンで湯の噴出を止めた後、手の届くところまで積み上げたチリ紙を取る。
昔は硬い葉っぱを揉みこまずに使用したために余計なトラウマを追加してしまったが、これなら充分柔らかいし水分を拭くだけなので問題ない。
如才なくふきふきした後、立ち上がって後ろの蓋を閉める。
横のレバーを引くと、便器内に勢いよく水が流れる音。
俺は悠々とタンク内に流れ落ちる水で手を洗い、横に掛けたタオルで手を拭いた。
そして、澄まし顔で出口に振り返り、見事な着地を決めた体操選手のように両手を拡げた。
フルチンで…。
わあああああああああーっ!!
周囲の観衆がドッと歓声をあげた。
「おめでとう!若様っ!」
「とうとう、おトイレデビューを成し遂げたんだね。立派な主人が誇らしいよ、ぐすっ…」
「シュテン君、おめでとう!なんだか…ちょっと漢らしいわ♡」
「お姉ちゃんはとっても誇らしいよ!そして、可愛いっ!!」
「さすがシュテン兄ちゃんだよ!もう、無敵と言っても過言じゃないねっ!」
「まあ…胆力だけは勇者級かもね、ポッ♡」
「ボクをお嫁さんにしてぇ!」
なんか必要以上に称賛されている気がするけど…まあ、俺的にもコンプレックスを解消したという意味合いは大きい。……トラウマを克服した訳じゃないけど。
ちなみに堂々とフルチンなのは、半脱ぎスタイルはトラウマに抵触するからだ。パンツに絡まってトイレで足を踏み外した記憶は、生涯忘れそうにない訳で…漢は黙って下半身すっぽんぽんである。
ルゥ兄ぃが俺の半ズボンとパンツを片手に、本気で咽び泣いていた。
「ぐすっ…僕はシュテンがやり遂げるって信じてたよ。いつの間にこんなに成長したんだろうね。もう僕の出番が無いかと思うと…うぅ…ちょっと寂しくなっちゃうよ…ぐすん」
「いやいやいや、ウォシュレットならおトイレ可能になっただけで、まだまだルゥ兄ぃにはお世話になるからね!なんなら、ずっと一生お世話になるくらいの勢いで…」
「ふふっ…それは嬉しいね。シュテンのお世話なら僕もずっとしていたいな♡」
どさくさに紛れて言ってみたが、これは言質を取ったと見るべきか?
勿論、こんなんで「俺が大人になりたくない!」なんて言っても、ルゥ兄ぃが認めてくれるはずもない。ルゥ兄ぃは俺の健全な成長を願っているからな。
でもな…俺はトイレの穴以外なら、足を踏み外すことも恐れない漢なんだぜい。正規ルートから転げ落ちても、ルゥ兄ぃが必ず拾い上げてくれると信じてるからなっ!
鼻息も荒い俺の頭を撫でながら、何故かルゥ兄ぃが真剣な表情になっていた。
「シュテン…少しだけ大人になった君になら、話してもいいと思う。ジオニダス将軍の話やミュルンが裏稼業連中を締め上げて得た情報、シュテンにそっくりな第三王子…僕達なりに分析・推測した君自身の出生に纏わる陰謀と真相を…!
幼い君には酷だと思うけど、これからの対処の為にも知る必要があるんだ」
「ん~、ふむむ…?」
なんか…俺のお気楽な頭じゃ、ちょっとムズい内容って事だけはよく判った。




