特訓
どこかから、おいしそうないい匂いが漂ってくる。
目を開けると、いつもより天井が高い。自分の部屋ではないことに気が付き、起き上がって部屋を見回していると、扉の隙間から白いふわふわしたものが入り込んできた。
何だろうと思いながら目で追っていると、そいつがピタリと動きを止め、大声で叫んだ。
「ノア様! ルークが目を覚ましましたよ!」
謎の物体がいきなり喋り出したので、俺はギョッとした。
「ちょうどいい、皆で食事にしよう」
声のした方に目をやると、扉の前にローブ姿の魔術師が立っていた。俺は身構えて腰に手を伸ばしたが、木剣は身につけていなかった。
魔術師の目がギラリと光ったかと思うと、俺は身動きができなくなった。
「話をする間、じっとしていてもらおうか。私の名はノアだ」
そう言って頭に被ったフードと、顔を覆った布を取り去ると、現れたのは魔獣の姿だった。
獲物を捉える鋭い眼、ひと噛みで命を奪えるほどに大きく尖った牙、豊かな毛に覆われた猛々しい顔つき。
見た目は魔獣そのものなのに、人間のように二本足で歩き、言葉を話している。
「私は人間と魔獣との間に生まれた獣人だ。私が生まれた国では、攫ってきた学者や研究者達を脅して、様々な実験を行わせていた。その実験の一つが、人間と魔獣とを交配させて、新たな種族を創り出すことだった」
あまりのおぞましさに、俺の全身には鳥肌が立った。
「人間と魔獣との間に生まれてきた獣人を選別し、より魔力の強い獣人同士を掛け合わせ、種の改良が重ねられた。そうするうちに、突然変異で生まれてきたのが私だ」
「成長するに従って魔術を使いこなし、魔力を増大させていく私を、監視の者達は恐れるようになっていった。そして、実験施設ごと闇に葬り去ろうとしたんだ」
聞きたいことがたくさんあるのに、ノアに動きを封じられているせいか、俺は言葉を発することが出来ない。
「ある日、建物が魔術師に包囲されて一斉に攻撃を仕掛けられた。その時、私の世話をしてくれていたベンジャミンという研究者が、私を庇って大怪我をした」
「血まみれになったベンジャミンの姿を見て、私の中で眠っていた力が覚醒した。光の壁が出現して私達を包み、全ての魔術を弾き返した。そして、気が付くと我々はベンジャミンが生まれ育った国に降り立っていたんだ」
「覚醒した能力は、魔術防護壁と瞬間移動だった。この二つの力のおかげで窮地は脱したが、ベンジャミンは息も絶え絶えだったし、追っ手が迫ってくるかもしれない。そんな私達に、この国の王族が手を差し伸べてくれた」
「当時、この国の王と王妃には三人の子供がいて、一人目は癒しの力を持ち、瀕死のベンジャミンを救ってくれた。二人目は……ルーク、お前と同じ破壊の力を持つ者だった。そして三人目はーー」
ノアはそこで一旦言葉を切って俺の目を見つめ、しばらくしてから再び口を開いた。
「三人目は、私の大切な友人になってくれた」
話し終えたノアがゆっくり目を閉じると、俺の体は自由を取り戻した。
「アレキサンドラは無事か?!」
口がきけるようになった俺は、まず最初に一番気になっていたことを訊ねた。
ノアは虚をつかれたように目を瞬くと、
「私のさっきの話を聞き終えて、まず訊ねることがアレキサンドラのこととはね」
と言って笑い出した。
「いいから答えろ!」
俺が怒鳴ると、ノアは微笑みながら答える。
「安心しろ。かすり傷ひとつ負わせていないよ。そもそも、今回のことはアレキサンドラに頼まれたんだぞ。得体の知れない魔術を使う者がいると相談されて、ひと芝居打つよう提案したんだ」
「芝居?」
「そうだ。お前が魔術を使ったのは、アレキサンドラがダニエルに襲われそうになった時だと聞いた。だから同じ状況を作り出すことにしたんだ」
「じゃあ、アレキサンドラが俺につきまとったり、打ち合いで叩きのめしたりしたのは……」
「見張っていても尻尾を出さないから、打ち合いで追い込んで力を使わせようと考えたんだろう」
「でも俺は、魔力もほとんど無いし、使える魔術は忘却術だけだ」
「今まではな。だが、これからは違う。まだ覚醒しきっていないが、鍛え上げれば恐ろしい人間兵器にもなれるだろう」
俺は人間兵器という言葉にゾッとした。
「そんなものにはなりたくない」
「では、力を封印して無能力者として生きていくか?」
俺は返す言葉が無かった。自分にしか出来ないことを探し求めていたはずなのに、手に入れた力は望んでいたものとは程遠い。俺はどうすればいいのか分からなくなってしまった。
「まあ、まずは食事をしてからゆっくり考えるといい。ピピ、ルークを案内しておくれ」
ノアが先程の白いモフモフとした物体に声をかける。どうやら、ピピという名前のようだ。
「こちらへどうぞ、ルーク」
と言って、ピピが飛び跳ねながら部屋から出て行く。ノアに促されて俺もその後に続いた。
テーブルの上には焼き立てのパイやスープが並んでいた。ローブを着た少年が皿に取り分けてくれる。
「サイラス、お前も食べなさい」
ノアが声をかけると、サイラスと呼ばれた少年は俺の隣に座った。
「俺はルーク。よろしく」
と挨拶すると、サイラスは少し困ったような顔をした。
「サイラスは事情があって口をきくことが出来ないんだ。耳は聞こえているんだがね」
ノアが説明する。それを聞いて、俺は片手を差し出した。
「そっか。じゃあ、握手で挨拶しよう。よろしくな」
サイラスはそっと俺の手を握り、ニッコリと笑った。
ミートパイを口に運ぶと、サクッとした歯応えのあと、ふんわりとバターが香る。トマトソースが染みた挽き肉からは旨味が溢れ、口の中いっぱいに広がった。
「うまい! これ、すっごく美味しいな! もしかしてサイラスが作ったのか?」
俺が聞くと、サイラスは小さく頷いた。
「天才料理人だな!」
俺の言葉に、サイラスの顔はみるみる赤くなっていった。
ふと顔を上げると、食卓の上をピピがフラフラと漂っている。
「なぁノア、ピピには飯を食わせないのか?」
ノアが俺の質問に答える前に、ピピが体を膨らませて喚き出した。
「無礼者! ノア様と呼べ!!」
あまりの剣幕にのけぞった俺は、椅子から転げ落ちそうになる。
「ピピ、やめなさい。ルーク、私にはお前に良く似た友人がいてね。ルークにノアと呼ばれると、彼と一緒にいるようで、懐かしくて嬉しい気持ちになる。だから、ノアと呼んでもらって構わないよ」
ノアがそう言うと、ピピは膨らませていた体を萎ませた。
「さっきの質問だが、ピピは魔力を餌にしているから、食事は必要ないんだよ」
ノアの答えに、ますます疑問が深まった。
「じゃあ、ピピって一体何者なんだ?」
「ピピの正体が何なのかは、私にも分からない。実験施設から瞬間移動した時に紛れ込んだようで、いつの間にか一緒にいたんだ。獣人の実験にしか携わっていなかったベンジャミンも、ピピについては何も知らないと言っていた」
そう言ってピピを手のひらに包むと、ノアはいきなり握り潰した。
「やめろよ!!」
俺は慌てて止めに入ったが、ピピは指の隙間から煙のように噴き出し、散り散りになって消えた。俺が呆然としていると、空中を白い靄が漂い始め、少しずつ集まって塊となり、モフモフとしたピピの姿が再び現れた。
「たぶん、何らかのエネルギーの集合体なんだろう。それがなぜ意志を持ち、言葉を喋るのかは分からないが」
ノアはもう一度ピピを手のひらに乗せると、今度は慈しむように触れた。俺はその仕草に深い愛情を感じた。
隣を見ると、サイラスが羨ましそうにピピを見ている。
何となくそうした方がいいような気がして、俺はサイラスの頭をなでた。すると、彼はビクッと体を固くしてこちらの様子を窺っている。
「ごめんな、嫌ならもうしないよ」
俺は急いで手を引っ込めた。
サイラスは食べ終わった自分の食器を片付けると、ペコリと頭を下げて厨房へ戻っていった。
「サイラスは孤児院で酷い暴力をふるわれていたんだ。体に触れられると、殴られた時の恐怖を思い出すんだろう」
ノアはそう言って悲しそうに目を伏せた。
「孤児院にいたのか……」
「無能力者は親に捨てられることが多いんだ。首都にはそんな子供達がたくさんいる。孤児院を巡回していた医術師にサイラスのことを相談されて、うちの使用人として雇うことにしたんだ」
「ノアは優しいんだな」
「そうじゃない。こんな見た目だから、普通の使用人では逃げ出してしまうんだ。それに、王宮の者達が訪ねてきて密談することもあるから、口が堅い者でなくてはならない。その点、サイラスなら話を聞かれても口外する心配はないからな。優しいどころか、私はあの子の境遇を利用しているんだよ」
ノアはそう言うと話題を変えた。
「明日から魔術の訓練を始める。アイオライトには話をしてあるし、宿舎の荷物もこちらに運んでおいた」
「勝手に決めるなよ! 俺は破壊の魔術なんか使うつもりはない!」
俺が抗議すると、ノアは鋭い視線を向けてきた。
「今のお前は、いつ力が暴走するか分からない非常に危険な状態だ。まずは力をコントロール出来るようにしておかなければならない。これはお前のためだけじゃない、お前と関わる全ての者達の安全のためにやるんだ」
俺は自分のことしか考えていなかったことに気が付き、恥ずかしくなった。
「食事を済ませたら、今日はもう休みなさい」
ノアはそう言って、ピピと共に部屋から出ていった。
翌日から、王宮魔術院での訓練が始まった。結界を張り巡らせた広い空間に、俺とノアの二人だけしかいない。疑問に思った俺はノアに訊ねた。
「他の魔術師はいないのか?」
「別の場所で訓練している。生半可な魔術師では、お前の力で灰にされかねないからな」
ノアの答えに、俺は冷や汗が出た。
「あのさ、昨日から俺の力を凄いものだと思ってるみたいだけど……全然大したことないぞ」
ノアは俺を一瞥すると、手のひらを上に向けた。ブォンと音がして、手のひらの上にゆらめく炎が出現する。振りかぶって壁に投げつけると、炎が壁一面に広がって消えた。俺は息を飲んで一連の動作を眺めていた。
「一番簡単な魔術攻撃のやり方だ。一点に魔力を集めてからの方が、全身から放出するより威力が高いし命中率も上がる。まずはこの攻撃をマスターすることだ」
「すげえ! ノアは炎の魔術も使えるんだな!」
俺が感嘆の声を上げると、
「魔術はひと通り使える。ただし、治癒魔法と破壊の魔術だけは使えない。この二つは特別なものなんだ」
ノアはそう言って、俺の指導に取りかかった。
その日から毎日、基本の魔術攻撃を練習し続けたが、目立った成果は得られず、俺は日に日に焦りを募らせた。
「上達する気が全然しない」
俺がぼやくと、ノアが励ましてくれた。
「そんなことはない。魔術のコントロールが上手くなっている」
確かに、凝縮した魔力を狙ったところへ命中させることは出来るようになってきたが、破壊力はほとんどない。
「大した破壊力じゃないんだから、特訓なんかしなくてもいいんじゃないか?」
俺が言うと、ノアは真剣な顔をする。
「破壊の力を甘く見るな。眠っていた魔力が突然目覚めたら、甚大な被害を引き起こす。そうならないように、訓練を積んでおかなければならない」
ノアに言われて、俺は仕方なく訓練を続けた。
その日も上手くいかずに肩を落としていると、ノアがピピを呼んだ。
「ピピ、お使いを頼まれてくれ」
ピピがそばに行くと、何らや耳打ちをした。
「ルーク、お前は昼食をとっておいで」
ノアに言われて、俺は休憩することにした。
サイラスの手料理を食べて戻ってくると、見覚えのある姿が見えた。
「アレキサンドラ!」
俺は駆け寄って話しかけた。
「どうしてここへ? 俺、お前にいろいろ聞きたいことが……」
「ノア様に呼ばれたんだ。お前と話すために来たわけではない」
アレキサンドラは俺の話を遮ると冷たく突き放した。そして俺の肩越しに目をやりながら言った。
「ノア様! ピピから伝言を聞いてこちらへ参りました」
振り返るとノアが立っていた。その両腕は天井に向けられ、無数の氷の刃が宙に浮かんでいる。
「アレキサンドラ、私がいいと言うまで、決してその場を動くんじゃないぞ」
そう言うと、ノアは氷の刃をアレキサンドラに向かって投げつけた。
考えるよりも先に体が動いた。俺はアレキサンドラの前に立ち塞がると、全ての魔力を両手に集中させた。たちまち周囲に黒い靄が立ち籠める。
体の内側から、恐ろしいほどのエネルギーがうねりをあげて溢れ、手のひらから奔り出る。向かってきた氷の刃を、光の波動が包み込んで消し去り、破壊のエネルギーはそのままノアへと向かっていく。
このままではノアが危ない。そう思った瞬間、ノアが巨大な火柱を出現させて、破壊の力を打ち消そうとした。しかし、防ぎきれずにノアは壁に叩きつけられてしまった。
急いで駆け寄り抱き起こすと、ノアは苦しそうにうめいている。
「ピピ! 医術師を呼べ!!」
アレキサンドラの叫ぶ声が聞こえた。
俺はノアを抱きしめながら、自分のしでかしたことに怯えて全身を震わせていた。