追憶
オルロフの軍がエスペラントに到着し、崩れた王宮でミルンの目覚めを待っていた僕達を、兵士達が見つけて治療院まで運んでくれた。
そこで僕が目にしたのは、永遠の眠りについたシャーロットの姿だった。
彼女の側には、オルロフが寄り添っている。
僕に気付くと、彼は悔しさを滲ませた声で言った。
「すまない。間に合わなかった」
部屋の隅から、小さな女の子を連れた男が僕に声をかける。
「アルト様……娘が、シャーロット様に何があったのかを知っております」
父親に促されて、女の子が話し始める。
「あのね、シャーロット様がここに来た時、ベッドも床も病人でいっぱいだったの。お父さん達も連れて行かれちゃって、私はひとりぼっちで、だからシャーロット様にお願いしたの。みんなを助けてって」
僕は、そう言われた時のシャーロットの表情を、容易に思い浮かべることができた。
きっと、微笑んでいたはずだ。
大丈夫だって、必ず助けるって、この女の子を安心させるために。
「そうしたら、シャーロット様はお庭に出て、空に向かって両手を上げたの。体が光り出して、あんまり眩しいから、私は目をつぶっちゃった。周りの呻き声が聞こえなくなってきて、目を開けたら、空からたくさんの光の粒が降ってくるのが見えた」
「苦しんでいた人達は元気になったけれど、シャーロット様はお庭に倒れて動かなくなっちゃった……。ねえ、シャーロット様はまだ眠っているの? 私、早くお礼が言いたいな」
僕は、女の子の頭をそっと撫でながら、膝を折って目線を合わせた。
「シャーロットは疲れてしまったみたいで、なかなか目を覚まさないんだ。君がお礼を言っていたってことは、伝えておくから大丈夫だよ」
女の子は安心したように笑顔を見せると、父親と一緒に部屋から出て行った。
僕は、エマが言っていた「浄化」の話を思い出していた。
シャーロットの行為も、たぶん同じような効果をもたらしたのだろう。
女の子の話を聞いて、僕達が無傷だった理由が分かった。
ノアのおかげで灰にはならずに済んだが、破壊の術を全て跳ね返せたとは思えない。
焼け付くような痛みを覚えているから、それなりにダメージを受けていたはずだ。
意識を取り戻した時に怪我ひとつ無かったのは、シャーロットが放った光を浴びたからに違いない。
ノアとシャーロットが守ってくれなければ、僕の命はなかった。
僕とオルロフは、長い間、黙ってその場に佇んでいた。
呪術を操るオルロフは、冷酷な死神と呼ばれ、同胞の魔術師からも恐れられている。
だが、悲痛な面持ちでシャーロットを見つめているオルロフからは、冷徹さのかけらも感じられなかった。
オルロフがリリーを侍女として送り込んだのは、シャーロットを監視するためではなく、守るためだった。
側近を偵察に寄越したのも、獣人が現れたことをリリーから知らされ、心配になったからだろう。
そして、エスペラントが奇襲を受けたと知るや、兵を率いて駆けつけた。
オルロフは、心からシャーロットを愛していたのだ。
僕は、シャーロットから預かったペンダントを、彼女の手に握らせようとした。
すると、手から小さな瓶が落ちて、オルロフが拾い上げる。
しばらく小瓶を眺めていたかと思うと、彼は鼻を近付けて匂いを嗅いだ。
僕の視線を感じたのか、
「香水の瓶のようだ」
と言って、オルロフは小瓶を自分の服のポケットにしまった。
僕は、彼の言動に少し違和感を覚えたものの、この時は喪失感に苛まれていて、特に深く考えることはなかった。
僕とオルロフは、悲しみに沈みながら眠れない夜を過ごした。
一夜明け、ミルンはノアと共にエマ達を迎えに行った。
その後、ミルン達の報告を受けたカバリロ王は、兵を派遣してペルフィードの地下にいた人々を救出した。
オルロフは、エスペラントの復興を支援すると約束した上で、事態が落ち着いたらシャーロットと婚礼の儀式を行いたい、と願い出た。
死者との婚礼など、本来なら許されないことだ。
けれど、オルロフの深い愛情に胸を打たれた僕は、その願いを受け入れた。
どんな呪術をかけられたのか、シャーロットの亡骸は腐敗することなく、生前と同じ美しさを保ったままだった。
そして、婚礼の儀式を執り行うため、オルロフはシャーロットを連れてマルベノへと出立した。
そこからは、目まぐるしい日々を過ごすことになる。
オルロフやカバリロ王の支援のおかげで、エスペラントは目覚ましい復興を遂げた。
ペルフィードの地下から救出された人々の内、他国から攫われた人々は故郷へ帰り、行き場の無い人々や実験施設で生まれた者達は、エスペラントで暮らし始めた。
癒しの力を持つ者は治療院で、研究者や学者は、ベンジャミンが創立した学術院で、その能力を存分に発揮した。
だが、戦闘に特化された魔術師は扱いが難しかった。交戦的で、エスペラントの魔術師とは相容れない存在だったからだ。
困り果てていた時、ノアが彼らの中に入って戦闘を繰り広げ、圧倒的な強さで従わせることに成功した。
それ以来、ノアは魔術院の重鎮として扱われることになる。
騎士団には、新たにミルンとエマ、それからアイオライトが所属し、立て直しを図った。
初めは反発していた既存の騎士達も、彼らの実力を目の当たりにして一目置くようになり、人柄を知るにつれて敬意を表するようになった。
僕は表向きは追放されたことになっていたので、厳密には王族ではなかったが、僕以外のエスペラントの王族が死に絶えた今、王の代理として奔走していた。
そして月日は流れ、国民から正式な王を望む声が聞こえてくるようになった。
僕はエマとミルン、そしてベンジャミンを呼び集めると言った。
「正式な王として、ベンジャミンにこの国を任せたい」
エマとミルンは、僕の提案を真剣に吟味し始めたが、ベンジャミンは断固として拒否した。
「馬鹿なことを言わないでくれよ。私には王族の血なんか一滴も流れていない。それに、剣を握ったこともなければ、魔術が使えるわけでも無い。昔、私にそう言ったのはアルトだぞ」
ベンジャミンは珍しく感情を露わにしながら言った。
「それでも、君が王に相応しいと思う。魔力も武力もないけれど、何よりも大事なものを持っている。ノアに人の心を教えてバルド王の野望を阻止したし、エスペラントの復興に力を尽くしてきた。それにーー」
僕の話を、ベンジャミンが途中で遮る。
「バルド王を倒したのは、ノアとアルトだ」
「ベンジャミンがいなければ、ノアは味方になっていなかったよ」
「……私は人体実験に加担した罪人だ」
「それなら、破壊の力で多くの命を奪ってきた僕は、大罪人だ」
「でも、アルトのおかげで救われた人は、もっと沢山いるじゃないか」
「だからって、僕の罪が消えるわけじゃない」
ベンジャミンが黙り込む。僕は話を続けた。
「学術院の研究成果も素晴らしいじゃないか。学術院で開発した数々の薬品は、癒しの力を持たない国々で飛ぶように売れているよ。おかげで、エスペラントのような小国でも、大国と対等に渡り合える」
ベンジャミンがすぐに否定する。
「あれは私の力じゃない。オリバー達の努力の賜物だ」
「ベンジャミンはいつもそうだね。失敗の責任は自分が一人で背負うのに、成功したことは皆んなのおかげだって言う」
「それが……事実だからだ」
僕は諦めずに説得を続けた。
「エスペラントは、自国を追放された人々が力を合わせて創り出した国だ。今この国には、実験施設で生まれて、行き場の無い人々がたくさん暮らしている」
「ベンジャミンなら、彼らの苦しみを理解し、寄り添うことが出来る。だから僕は、君にこの国の王になって欲しいんだよ」
ベンジャミンは何も言わない。
「カバリロ王にもオルロフにも、ベンジャミンを次期国王に推す話はしてある。大臣も全員賛成してくれた。エマとミルンはどう思う?」
僕が訊ねると、
「賛成だ」
ミルンが短く答える。エマも賛同し、
「いいんじゃないか。文句を言う奴がいたら、私が黙らせてやるよ」
と力強く請け負った。
「……勝手なことを言わないでくれよ。大体、どうしてアルトが王にならないんだ?」
ベンジャミンに聞かれて、僕が答える。
「僕は、王女の遺体をオルロフに差し出し、死後の婚礼を許可した狂人だぞ。王になんかなったら、暴動が起きるよ」
それから、少し間を置いて付け加えた。
「それに……ここには思い出が多すぎるんだ」
僕の言葉を聞いて、ベンジャミンは再び沈黙する。
「引き受けてくれる?」
僕の問いに、
「考えさせてくれ」
とベンジャミンが答えた。
話し合いの後、僕は魔術院へ行ってノアに会った。
「アルト! 久しぶりだね。忙しかったの?」
ノアはずいぶん体が大きくなり、ミルンの厳しい指導によって言葉もかなり上達した。
「しばらく忙しかったけれど、もう落ち着いたよ」
僕が言うと、フワフワと宙を漂っていたピピが会話に入ってくる。
「ノア様はご多忙ですから、手短にお願いします」
ピピは、正体不明の存在ということで、地下にいたピピの仲間と共に、大きな樽へ入れて隔離されていた。
研究者が分析しようと樽の蓋を開けた時には、ピピ達は全て一体化して一つ塊になっており、言葉まで話せるようになっていた。
研究者達が危険はないと判断すると、本人の強い要望もあり、ノアが面倒を見ることになった。
「すぐに帰るよ。ちょっと伝えておきたいことがあってね」
僕はピピに声をかけてから、ノアの方を向いて言った。
「ノア、僕と君は、ずっと友達だよ」
ノアが聞き返す。
「トモダチ?」
「そう、友達。どんなに離れていても、大事で、大切な存在だ。困った時は、必ず助けにくるよ」
「大事で大切なトモダチか……いいね。うん、ずっとトモダチでいよう」
ノアはそう言うと、嬉しそうに笑った。
その日の夜、僕は荷物をまとめてそっと部屋を抜け出した。
かつて祝福の庭があった場所に立ち、周囲を見回す。
あの頃の面影はなく、虹の花や珍しい植物の代わりに、見慣れた草木が生い茂っていた。
目を閉じると、シャーロットやディーク、そして父や母の顔が浮かぶ。
僕は、時間を忘れて思い出に浸った。
幸福な日々が、瞼の裏に蘇る。
このまま夜の闇に溶けてしまえたらいいのに。
叶わない願いを胸に抱きながら、僕はいつまでも月明かりを浴びていた。




