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私を守るための嘘

作者: 吉良玲
掲載日:2022/11/07

 


「お姉ちゃん、久しぶりだね」


 10年間会っていなかった妹に話しかけられた。

 妹の言語機能は回復したみたいだ。

 その隣には妹の両親が立っていた。


 私はこの日に備えていた。



 私が5歳の時、2つ年下の妹が大病を患った。

 なんとか妹は生還した。

 しかし、妹は言葉をかなり失い少しのことで熱を出すようになった。


 毎週、妹の診察のためにホームドクターが我が家を訪れる。

 親は妹に付きっきりになった。

 私はお姉さんだから、1人で静かに過ごした。


 半年もすると妹は少しずつ話し始めた。

 半年ぶりに家族全員で食事をすることになった。


 私は気づいた。両親の目には私は映っていないと……。


 その時から私は天涯孤独の身となった。

 家人が衣食住を整えてくれるが、私は誰とも喋らなくなった。



 7歳の時、私は風邪をひいた。治療されないように元気なふりを続けた。

 風邪が拗れれば……親に心配されるからという理由ではない。

 単に死にたかった。


 生まれた家を間違えた。

 いや、生まれた順番を間違えた。

 それとも、性別を間違えたのか。

 いずれにしても今となっては後の祭りだ。

 私がいなくなれば私の孤独は解決すると思った。


 元気なフリにも限界があった。

 身体が熱い、コンコンと咳が続く、誰も気づかない。

 いや、誰も私のことを気にしない。

 だから油断した。部屋の扉が少し開いていた。


 私の部屋の扉が突然開いた。

 白衣を着た医師が飛び込んできた。


「その咳はいつから? 症状を話せますか?」


 背中が痛い、喉の奥からごぉ〜と変な音がする。


 医師が私に聴診器を当てる。

 医師は、私と妹を間違っているのだろうか?


「『お姉ちゃん、様子、おかしいから』と妹さんが心配していた」


 医師はそう言った。

 冗談じゃない。治療なんかされたら、姉という仮面をつけたまま透明な存在として生き続けることになってしまう。

 あの妹はなんて余計なことをしてくれたのだろう。


 聴診中に医師は顔色を変えた。注射の準備と入院させる旨を看護師に指示した。

 私は抗った。息も絶え絶えで主張した。


「……放っておいて……」

「なっ! どうして!?」


 ホームドクターは焦った。

 少女の目には患者特有の「助けて」という色、医師に診てもらったという安心感が見てとれない。


 往診に訪れると、少女の親は「先生、下の子をお願いします。他は皆元気ですから」と妹の部屋に案内する。毎回、決まってそうだった。医師はそれに麻痺していた。この家にはもう1人幼児がいたのだ。

 往診時に姉の様子を最低でも目視するべきだったと医師は後悔した。姉を診たのは2年ぶりだった。


「あぁ、ごめんね。先生が来るのが遅れちゃったね。

 治療しようね」

「治療は嫌、楽にして!」


 医師は言葉をのんだ。7歳の子が死を望むなんてありえない。


「……そ、そんなことを言わないで……苦しいでしょ?」


 医師は目の前の少女の様子が心身ともに重篤なことに驚く。


「ご両親が心配……」


 そこまで言って医師は口をつぐんだ。


 今日だって、妹のことを心配するばかりで、姉のことに関して親は何も言わなかった。

 この熱、この咳は、急変ではない。

 病弱な兄弟姉妹がいる子を「きょうだい児」という。きょうだい児はネグレクトに近い状態になりがちである。酷い場合、きょうだい児は看護の担い手として扱われてしまう。

 医師として私は見落とした。


 医師の心を読んだように少女が口を開いた。


「面白いでしょ。

 親でなく妹が気づくなんて……色々とやり直したい。

 だから、治療はいらない。帰って」


 医師は逡巡した。


 少女は「色々とやり直したい」と治療を拒否する。7歳の少女は相当な傷を負っているに違いない。死を望む状態では治るものも治らない。


 医師は少女を治療するための説得をはじめた。


「医師である私はあなたをこのままにすることはできない。それに……色々と助けてあげたい。君のやり方でやり直すまえに、この家を出てみないか?」

「一時的に場所が変わっても解決しない。だから、もういいの……」


 少女は冷静だった。簡単に期待しない。なにもかも諦めている。

 いつ、この少女は、この答えに辿り着いたのだろうか。


「まず、ここを出よう。治療をしよう。考えが変わるかもしれないよ」

「変わらなかったら?」

「その時は、また考えよう」



 医師にとっては償いであり、賭けだった。

 医師は少女の両親に重篤な状態であると伝え少女を家から連れ出した。


 入院先で少女は検査を受けた。

 肺炎だった。しかも何度も肺炎になっている形跡があった。

 栄養も足りていない。

 少女の心身は蝕まれていた。



 少女が入院してから2週間が経過した。


 病人が病院で大事にされる。そんな当たり前が、少女には嬉しかった。

 微熱と咳があるものの回復傾向だということを少女は実感した。

 しかし、元気になってしまうと家に戻される恐怖から少女は食事を拒否した。


 病院の医師たちが集まった。

 少女を病院に運んだ院長のほかに2名の医師が話し合う。


「峠は越えたが両肺が真っ白だな」

「熱が引くまで相当かかる、あの咳が取れるまでは半年かな?」

「年単位の経過観察になりそうです」

「それ以前に食事をとろうとしない」

「で……親は?」

「昨日の往診の際も何も」

「そうか、裁判所に親権剥奪の訴状を」

「院長が引き取るのですか?」

「そうなる。風邪を引くだけであの子はまた肺炎になる。家に戻せるわけがないだろう」



 この国では子どもの権利が強い。医師の言い分は裁判で優先された。


 裁判所に少女の両親は呼び出された。

 両親は泣いて詫びた。少女に会いたいと言った。妹が寂しがっていると言った。


 このあと、子への虐待ネグレクトにより少女の親権剥奪が言い渡された。

 この国の成人年齢17歳になるまで接見禁止となった。






 私にはお姉ちゃんがいた。

 私は両親にねだった。


「おねちゃん、と、遊ぶ」と

「『お姉ちゃんと遊びたい』でしょ、言いなおして」

「おね、お姉ちゃんと遊びたい」

「一緒に遊ぶと熱が出るでしょ、諦めなさい」


 毎日ねだったが、毎日同じ答えだった。だから私は諦めた。

 食事の時しか会えないけど、お姉ちゃんはお人形のように美しい人だった。


 ある日、お姉ちゃんは居なくなってしまった。

 きっと、白い服のお医者さんが助けてくれたと思う。


 しばらくすると、お父さんとお母さんは毎日泣くようになった。


「お姉ちゃんに会って一緒に遊びたい。と証言しなさい」


 そう両親に言われて、私は練習した。


 ある日、裁判所というところに連れていかれた。

 練習した成果を発表する場だった。


 だけど、証言の前に嘘はダメと言われた。

 言いたくなければ黙っても良いけど、嘘はダメって。


「『一緒に遊ぶと熱が出るでしょ、諦めなさい』ってパパとママが言ったから、もう一緒に遊ぶのは諦めたの。お姉ちゃんとは食事の時しか会えなくて……」


 涙が溢れてきて私は何も言えなくなった。

 もう、お姉ちゃんとは会えない気がした。


「お姉ちゃんは、元気ですか? とっても具合が悪そうだったの……」


 私は、黒い服の裁判官という人に聞いた。


「生きていますよ。ただ、長い時間、色々と治療が必要な状態です」

「治りますか?」

「時間がかかりますが、いつかは」


 裁判官は優しく笑い、両親は泣き崩れた。



 少し大きくなって、私は色々なことを知った。

 周囲から、姉は私の犠牲になったと教えられた。


 本当にそうだろうか?

 どうして、両親は私だけを見てお姉ちゃんを忘れたの?

 それは、熱を出した私のせいなの?



 お姉ちゃんが帰ってこなくなってから家の空気は重い。

 両親は私に「人前で笑うな、楽しそうにするな」と言う。

 そうすることで償っているつもりらしい。


 何に償っているの?


 今も、月1回、姉を連れ去った医師の助手が往診にくる。

 両親と姉の細いつながりらしい。

 その助手は姉の近況を両親には話さない。


 私はこっそり姉のことを聞く。

 助手は「元気だよ」と答えてくれる。


「お姉ちゃんが、17歳なったら会いに行っても良いかな?」

「それは、君が決めることだよ」

「お姉ちゃん。笑ってくれるかな?」

「それを強要してはいけないよ」

「はい」


 それからは姉のことを聞くのを私はやめた。

 姉が17歳になったら、私は会いに行くと決めたから。






「お姉ちゃん、久しぶりだね」


 ああ、あれから10年がたったのね。

 私が病院に運ばれてからは静かで穏やかな日々の連続だった。


 家に戻らなくて良いと裁判所に告げられ、院長に保護されたと確信したとき、私は空腹を感じた。

 退院後、院長の家で過ごした。学校にもそこから通った。


 両親は養育費を渡してきたが、院長が拒否した。

 養育費で縛られないようにと院長なりの配慮らしい。

 ホームドクターとして私を2年間診察しなかった院長なりの贖罪らしい。


 院長は何かにつけて律儀だった。


 妹が会いたいと言っていると院長から聞いた。

 私が17歳になったら会いに来るかもしれないと知らせてくれた。


 ずっと妹と離れていたせいか、妹には何の感情もない。

 私は妹を含めた家族と関係を持つ気はない。


 だから「お姉ちゃん、久しぶりだね」と言われようと……。


「はじめまして」


 私は不思議そうな表情を作った。

 両親は落胆の表情を浮かべた。

 妹と目が合った。


「お姉ちゃんって呼んでもいい?」

「7歳の時に高熱をだし、それまでの記憶が曖昧ですが……。

 私には家族はいないはずです」


 これは、私を守るために考えた嘘だ。

 私からの決別の言葉だ。


 本当に記憶が無くなった方が幸せだったのかもしれない。

 育児放棄にあったなんて自覚したくなかった。

 何もかも気づかずに終わらせたかった。

 それでも、心とは裏腹に私の身体は生きることを選んだ。


「私は会いたかった」


 そう言って妹は涙を流した。


 この子はまだ私に「お姉ちゃん」を要求するのだろうか?

 あなたにはパパとママをあげたじゃない。

 まだ足りないの?

 まだ満たされていないの?

 あの家はあなたを中心に回っているはず。


 幸せだから、私のことなど忘れたはず。

 なぜ、接見禁止期間が切れるのを待ち構えたかの如くこのタイミングで来たの?

 あの家に1人残されこの子もそれなりに苦労したの?


 私はこの子に助けられた。

 でも私は助けない、姉であることを10年前にやめたから。


 この子は何も悪くない……だからなに?


 あの時の可哀想な私が今も人知れず静かに泣いている。


 妹の両親が、私の名を呼び近づこうとした。

 私の身体が強張った。

 私の親を放棄した人達が、妹のためだと私に「姉」を演じさせようとする。

 過ぎた10年分の「姉」を私に求めている。


 やり直しって……何を言っているの?


 もう許して。もう解放して。もう私を見ないで!


 意外にも私の感情は揺さぶられ、そう叫びたくなった。


「今日は、もうお引き取りください」


 院長が助けてくれた。

 私は3人の背中を見送った。


「よく逃げなかったね」


 私は泣いていた。


「君の気が済むまで、記憶がないということにしておきなさい。

 涙も流せなかった幼少期の君は大きく前へ踏み出したね」


 そうか……。

 この涙は、7歳の可哀想な少女の涙。

 そして、10年分の涙。


 この揺さぶられた感情は、全てを諦めた7歳の少女の心の片隅で息を殺して潜んでいた感情が自由になったから。


 私の両親は子への対応を間違った。

 子の誕生と同時に完璧な親が誕生するわけでもない。


 あの時の私と今の私にその理解を求めるの?


 誰にとっても人生はぶっつけ本番だ。

 だったら、私はあの人たちとやり直さないことを選ぶ。

 寂しい人生と言われようが、幸せな人たちのそんな言葉を信じない。


 私は生きたいように生きて死ぬ前に答え合わせでもしよう。

 どうせ人生なんてやり直せないのだから答え合わせは不要かもしれない。


 親から忘れられた可哀想な子だから私は目立たないようにしていた。

 私はやりたいことを我慢していた。


 今日、実感した。やはり、私には心通じる血縁者はいない。

 今日まで私を守ってくれた人達を信じよう。

 親に忘れられた私を許してあげよう。

 もう7歳の可哀想な少女を葬ってあげよう。


 これからは自由に生きよう。






 お姉ちゃんが穏やかに微笑んで輝いていた。

 でも、私と両親を見たら輝きは消えた。

 お人形のような美しい表情に変わった。

 その懐かしい表情は戸惑いで溢れていた。


 お姉ちゃんは何かの犠牲になって、家に戻らなくなった。

 家に戻らないお姉ちゃんは、女神のように輝いていた。


 だから、私はもう会いに行かない。


 そして、私は親の償いの巻き添えにならない。


 これから、私は私のために生きる。

 楽しい時は笑い、堂々と生きよう。






 ──── 私を守るための嘘 おわり ────



 

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