六逆純子の見る孤独
門限が近くなってきたため、私達はカラオケボックスを後にする。二人と別れ、自宅方向へと向かう電車に乗りこんだ。
嫌なことは、嫌と言えばいい。
寺乃の言葉が頭の中をめぐる。なんで私は、そんな単純なことが出来ないのだろう。
嫌われたくない。私が人と関わる時、頭の中にはその考えが張り付いている。誰かが私を突き離す度、世界から色が消えていく。そして最後には、空虚なモノクロだけが残される。そんなイメージが頭の片隅で常に蠢いている。
真姫や寺乃とは気兼ね無くいられるけど、ずっと二人に甘えている訳にもいかない。少しずつでもいいから、ちゃんと人と関われる人間にならないと。
心の中で密かな決心をする。そんな折、隣の席から強い視線を感じた。
「奇遇だね千秋」
なぜか純子がそこにいた。制服のまま、両脇に大量の大根が入った買い物袋を携えている。
「…純子ちゃん。こんな時間になんで?」
「私は買い物の帰り。郊外のスーパーで特売セールがやってたから」
そう言いながら買い物袋をまさぐり、大根を私に差し出してきた。
「買い過ぎた。一本あげる」
「……ありがと」
剥き出しの大根を懐に抱えながら、私は純子と電車に揺られる。何を話せばいいのかも分からず、しばらくの沈黙が続いた。
「純子ちゃんって―――
沈黙に堪えかねた私がそう切り出すと、純子はすかさずそれを遮った。
「純子でいいよ」
「えーと、じゃあ純子」
「何?」
「その大量の大根…どうしたの?」
「スーパーで安売りしてたから、つい買っちゃった」
「料理も純子がするの?」
「そうだよ、でも朝ごはんとか、お昼のお弁当は叔父が作ってる。私…朝起きるの苦手だから」
“両親はどうしてるの?”という疑問が、頭の中で浮かんだけど、私はそれを隅に追いやった。それは、私にとっても聞かれたくないことだから。
「千秋はどうしてたの?」
「私は友達と遊んでた。真姫と寺乃とカラオケ」
純子は首を傾げて言葉を返す。
「誰?」
私はその反応を意外に感じた。
二人ともも学校の中では目立つ方だ。真姫は持ち前の人当たりの良さで誰とも仲良くなれるし、寺乃は成績優秀で皆から一目置かれている。人と交流しない純子でも、名前くらいは知っていると思ったけど。
「ブロンドの派手な子が真姫で、黒縁メガネの仏頂面な子が寺乃だよ」
純子は少しの間思案すると、はっとしたように声をあげた
「………ああ。千秋と一緒にいる二人だ」
抜けていると言うか、人に興味がないのか。純子らしい反応に少し笑ってしまう。
彼女は誰の顔色も伺わず、いつでも自分の世界を持っている。そんな所が私は羨ましかった。
(でも、本当にそれで平気なのだろうか?)
どんなに強くても、どんなに確固たる自分があったとしても。やっぱり一人でいるのは寂しい気がする。
「純子は一人で平気なの?」
「なにが?」
「純子って学校でいつも一人でいるでしょ?。疎外感を感じたりしないの?」
自然公園での一件から、私に話しかけてくることはあっても、他の生徒と言葉を交える姿を見たことは一度も無い。そのせいで、周りからは浮いた人間として扱われている。そんな状況でも、純子は気に病む様子はない。彼女の揺るがない自分は、一体何処から来ているのだろう
「……寂しいよ」
小さくそう呟いた。微かな暗さを含んだその言葉は、今までの純子とは違う印象を受けた。
「幽霊が見える。自分の見る世界を…誰とも共有出来ない。それが私にとっての…孤独。自分だけが…別の世界を生きていて、一人取り残されてるように気がするから」
彼女の陰りが空気を伝い、私の心へと入りこむ。純子のことなのに、なぜだか私自身の事のように感じられた。
純子は取り繕うように言葉を続ける。
「そんな顔しないで。これは私だけの悩みじゃないから」
「どういうこと?」
首を傾げる私に向かい、純子は答えた。
「誰だって…自分にしか理解できない世界がある。言葉に出来ない…心の起伏とか、常識や道徳の外にある…本性とか…それは誰とも共感することは出来ない。誰しもが持つもの。その人にしか分からない…世界だから。私に幽霊が見えるように、千秋には…千秋にしか見えない世界がある」
「…私だけの世界」
なんとなく府に落ちた。心にこびりつくこの寂しさは、漠然とした不安は、私が間違っているからだと考えていた。
でも、そうじゃない。ただそれは…私にしか見えないだけなんだ。他の人には見えない、私だけの世界なんだ。
「でも…それって悲しいね」
純子の言葉が真実だとするなら、本当の意味で、他人と分かり合える人間は、誰一人いないということになる。一生一人で、その苦しみを抱えて生きなくちゃいけない。
純子は微笑を浮かべた。
「そんなことないよ。同じ景色を見れなくても、推し量ることは出来るから。千秋が…私の世界を知ろうとするように。私も…千秋の世界知りたい。理解出来なくても…お互いに…その断片を伺うことは出来る。きっとその中で…交わることができるから。だから…悲しくなんかない」
その言葉を聞きながら、私は堪らなく可笑しくなった。
「純子ってすごいロマンチックなこと言うよね」
「そうかな?」
「そうだよ。言葉が詩的でポエミーなんだもん」
「もしかして私…変なこと言った?」
「ううん。そういうの嫌いじゃない。なんか元気出てきた」
声を上げて笑う私に、純子はキョトンとしながら首を傾げる。
「よく分からないけど、喜んでくれて…よかった」
私に、幽霊は見えない。それは純子にだけ見えるものだから。でも推し量ることは出来る。
いつか、私と純子の世界が、交わったなら。どんなものが見えるだろう。
ふと、そんな考えが浮かんだ。