六逆純子が見せた場所 三
林道へと入っていく。葉の隙間から微かに日が差し込むだけの、ほの暗い林道だ。空気は冬のように冷たい。私は両手を擦りながら、純子の言葉に耳を傾ける。
「今でこそ沢山住んでるけど、昔の緑冬市は…木々におおわれた丘陵地だった」
なんとなく聞いたことがある。昔の緑冬市は自然のなすがままで、人の住む場所ではなかった。それを少しずつ切り開き、今では中部地区でも上位のベッドタウンとなりつつある。
「ここは元々人間のいない、文明から隔離された…特別な場所だった。そういう場所では、変わった現象が起こることがある」
「変わった現象?」
純子がこちらを振り向く。
「空気が変わるの」
質問の意味が分からず、私は目を細める。
「例えば…墓地やお寺に入ると、普段とは違う、冷たい空気を感じることってあるでしょ?」
「…まぁ、そうかも」
「そういう場所には少なからず、幽霊の存在が影響してる。魂が一つの場所に集まると、ごく稀に、不思議なことが起こるの」
「不思議なこと?」
「見れば分かる」
そう言って純子は立ち止まった。気がつくと、目の前には一本の空木がそびえている。満開の白い花が咲き、日も当たらないきも関わらず、仄かに輝いていた。
「これが私に見せたいもの?」
確かに綺麗だ。満開の桜並木や植物園とは違った趣がある。
たった一本の木なのに、見入ってしまう何かがそこにはあった。
「違うこれじゃない」
純子はかぶりを振る。右手で木に触れると、空いた左手を差し出してきた。
「さあ掴まって」
私は訳も分からず純子の手を取る。
「目をつむって。私が良いと言うまで…開けちゃだめ。分かった?」
「うっ…うん」
不安と好奇心に胸を高鳴らせながら、私は頷く。これから何が起こるのか、自分が思いの外ワクワクしていることに今さら気づく。
私がそっと目を瞑ると、純子は空木に向かって言葉をかける。その口調は友達にでも話しかけるような、そこに私以外の誰かがいるような、親しげなものだった。
「ほら…来たよ。あの場所に連れてって。約束したでしょ?」
純子の言葉に呼応するように、葉がそっと揺らめく音がする。風も吹いていないし、鳥が羽ばたいた訳でも無い。なのに空木が揺れはじめて、心地の良い旋律を奏で始める。
数分ほどそれに耳を傾ける。私は声もあげず、ただ純子の手を握って目を瞑り続けた。
ほんの少しだけ覗き見たい衝動にかられた。それを察知したのか、純子が私の耳元で囁く。
「だめ。もう少し我慢して」
それから更に数分がたった頃、葉の音がピタリと止んだ。
今度は静寂が訪れる。聞こえるのは私の鼓動と、純子の息づかいだけ。
「もう良いよ。目を開けてみて」
私は強ばった瞼をゆくっりと開いた。その景色は、私の想像していたものを遥かに越えていた。