六逆純子に見えるもの
「何を見てるの?」
赤錆色に朽ちた焼却炉の前。六逆純子がぼんやりとそれを眺めている。その姿は、奇抜なテレビCMに釘付けになる子供のようだった。
「もうすぐ授業だよ。遅れるよ?」
長い黒髪の持つ妖しげな同級生。その瞳は暗く陰りを帯びていて、深い水底を連想させる。
皆が彼女を疎んでいて、話しかけようなんて考えたりはしない。私も見てみぬふりで通り過ぎれば良かったけど、つい声をかけてしまった。
「純子ちゃん?」
何度声をかけても反応がない。私は純子の前に手をかざして左右に振ってみる。
「純子ちゃん純子ちゃん、聞こえてる?」
純子がはっとしたように後ろに退いた。目をパチパチとしばたかせながら私を見ると、キョトンとした顔で言葉を返す。
「何?」
「だからもうすぐ授業だよ。遅れたらまた叱られるよ」
しばらくの間を置いたのち、「ああ…そうだった」と反応が返ってくる。まるで他人事みたいだ。
「そうだったじゃないよ。早く行こう」
私は純子の手首をつかんで、半ば強引に連れて行こうとする。さすがに三日連続で授業に遅れるのはまずい。仲の良いクラスメイトじゃないけど、見てみぬふりをするのも気が引けた。
「ちょっと待って」
純子は私の手を振りほどいて、焼却炉の前に戻っていく。数逡の間をあけたあと、肩掛けのポーチから一枚の紙を取り出した。
「何をするつもり?」
「これは…菖蒲の押し花。人から貰ったやつ。だからここに置く」
私の問いかけによく分からない返答を返すと、突然素手のまま焼却炉の前の土を掘り始める。
「何をしてるの?」
「土を掘ってる」
「そんなことは分かるよ。なんで掘る必要があるの?」
「そうして欲しいって…言われたから」
「もう…」
私は大きくため息をついた。
この蒼華高校に入学して、一ヶ月と少しが経つけど、純子の噂はもう学校中に広まっている。授業中に突然教室から抜け出したり。壁に向かって一人で話していたり。会話の途中で急に押し黙って、何も無い空間をじっと見つめたりと、悪い意味で話題に事欠かない同級生だった。
「このままで良いの純子ちゃん?。変な噂とか悪口とか言い出す人も増えて来てるんだから」
「別に平気。馴れてる」
「そういうことじゃなくて、せめて理由くらいは説明してよ。みんな怖がってるよ」
私が少し語気を強めると、純子は土を掘る手を止めた。しばらく掘りかけの穴を見つめながら思案する。
「ここに…子供がいるの。その子に頼まれた」
ぼそりとそう答えた。
「子供って?。近所の子が遊びに来るの?」
その子供が埋めた押し花を掘り返す?。それとも二人の間だけで通じるごっこ遊び?。どう解釈しても奇行に変わりはないけど、彼女なりの理由があるみたいだ、
でも返ってきた言葉は予想外のものだった。
「違う。もう死んでる」
私は言葉を詰まらせる。
「………ゆっ…幽霊ってこと?」
「うん。幽霊」
「………………」
そんな事って…でも、頭ごなしに否定するのも良くない。話も聞かずに否定されたら誰だって傷つく。とりあえず合わせてみよう。
「何で幽霊が焼却炉の前にいるの?」
純子は穴掘りを再開しながら、淡々とそれを説明する。
「彼女は…この学校の生徒だった。だいぶ昔、まだ…この焼却炉が使われてた頃の人。彼女、同級生からはいじめられてて、度が過ぎた嫌がらせに遭って、花壇に頭をぶつけて死じゃった。それで…その同級生達は、彼女の死体を焼却炉で焼いて、それを埋めて隠したの」
純子の言葉は無機質で単調な言い回しだった。でもその声色は、直接本人から聞いたかのように堂々としていた。
「その花壇は…彼女が手入れをしていて、この時期に咲く…菖蒲の花を眺めるのが好きだった」
純子はそれなりの深さになった穴に、菖蒲の押し花をそっと置いた。私の方に視線を移して、言葉を続ける。
「彼女は満開の菖蒲が見たいと言った。でもこの近くに花を売っている店は無い。だから押し花で我慢してもらう。それが理由」
純子は手際良く押し花を埋めると、土のついた手をパンパンと払う。
幽霊、私はそれをただのフィクションだと思っている。
実際に、目にしたことがないから。
見えないものはいないのと同じ。今まで、私の周りにそれを見た人は一人もいない。仮に幽霊が見える人が現れても、勘違いか幻覚の類いに違いない。
(もしくは嘘をついてるか)
人の注意を引きたくて、平気で虚言を並べる人もいる。テレビに出ている霊能者とか、怪しげな宗教家なんかがそうだ。
漠然とした物事を全て幽霊のせいにして、意味もなく恐怖心を煽り立てる。私はそういう人達が大嫌いだ。
(全部でたらめだ。幽霊なんて存在しない)
少し昔、両親が亡くなった時のことだ。家族を失った私と祖母のもとに、幽霊が見えるという、霊能者が現れた。自分の言うこと聞けば、再び家族と再会できると言って。
幸い祖母は聡明な人で、そんなでたらめに騙されるようなことはなかった。それ以来、私はオカルト染みた物事が苦手になっていた。
純子もその手の人間だったのかと、内心ショックを受けていた。変わり者なだけで、根は純心な子なんだと思っていた。
無性に腹が立った。友達でも無いのに、裏切られた気分になった。
「喜んでくれるといいね、その押し花」
代わりに口から出たものは、心にもない優しい言葉。
私に怒る権利なんて無い。私は彼女に何かしてあげた訳じゃないし、彼女も私に興味なんてない。赤の他人、それなりの言葉でキャッチボールをして、無難にやり過ごすだけのクラスメイト。
「ところで…何て言う名前?」
唐突に純子が問いかけてきた。私は目を点にしたまま視線を合わせる。
「誰って…同じクラスの播磨千秋だよ。この前も授業で一緒のグループだったでしょ?」
「そうだったけ?。ごめん。顔は覚えてるんだけど。私…名前を覚えるのが苦手。だから気にしないで」
それはそれで問題だと思うけど。純子の発言としては違和感がない。そもそもこの子は、他人に興味が無いのかも知れない。いつだって自分の世界に浸っている。
そんな子がなんで、幽霊が見えるなんて嘘をつくんだろう。
「今週の日曜日空いてる?」
純子が突飛な質問をぶつけてくる。会話に接続が無いというか、マイペース過ぎる。
「ん?え?日曜?」
質問の意図が分からず、私は困惑する。
「連れて行ってあげたいところがある。千秋が良ければ…一緒に行こう」
今の今まで名前すら知らなかった人間に、そんなことが言えるだろうか。これも嘘の一つなのか。からかってるのか。
「どうする?行く?行かない?」
純子が私の手を握り、詰めよってきた。さっきまで土を触っていたせいか、その手はひんやりとして冷たい。なよやかで暗い瞳の奥には、かすかな輝きが宿っていた。
「千秋と見たい景色がある。出来れば…一緒に来て欲しい。お願い」
純子の顔が近づいてきて、私の鼻先に少し触れる。私は半歩あとじさり、しどろもどろに言葉を返した。
「えっ…ちょっ……うっ…うん。行く」
「良かった。じゃあ日曜日に、駅前に集合ね」
訳も分からず約束をしてしまった。なんなのこの子。距離感が分からない。私に見せたいものって何?。
午後の授業を告げるチャイムが鳴った。私はそれで平静を取り戻した。
「早く戻ろう純子ちゃん」
「そうだね」
私と純子は教室へと戻るために走り出そうとした。
その時。そっと風が吹いた。それはか細い指先が、優しく首筋に触れるような感触だった。
(誰?)
純子は私の前にいる。触れたのは純子じゃない。
私は後ろを振り向いて辺りを見回す。当然誰もいない。
『また…来て…』
どこからか、声が聞こえた気がした。幼くも少し大人びた、女性の声だ。
一瞬過った考えを、頭の中から振り払う。
幽霊なんていない。いたとしても関係無い。
私には見えないから。
それは、純子にしか見えないから。