プロローグ その手を握ってくれたから
『……おいで』
橋の下から声が聞こえた。それはとても暖かく、穏やかで、私の心をほぐしていく。
『…おいで』
声は、再び私を呼ぶ。手すりから身を乗り出し、濁流の流れる川を覗きこむ。曇天に包まれた水面は、夜の闇よりも深い。三日三晩続く豪雨によって、濁流へと変わっていた。
川はごうごうと音を鳴らす。それでも、私を呼ぶ声ははっきりと聞こえた。
「…だれ?」
私は問いかける。
『あなたの…理解者』
声の主は、優しげにそう言った。もうその頃には、濁流の音も、氾濫する川も、意識の中から外れていた。
『ずっと…孤独だったんでしょ?。受け入れられず。否定されてきた』
私はこくりと頷く。
「だれも…分かってくれないの。パパもママも、そんなものは…いないって言うの」
物心がつく前から、それを見てきた。生きた人間と同じように、当たり前の存在だった。だからみんなにも見えている。そう思ってた。
でも、それは違った。朧気で儚い彼らの存在は、私だけにしか見えていなかった。
私は、虚ろな目で問いかける。
「私…おかしいのかな?。本当はあなたも…他の子も、いないのかも」
『どうして…そう思うの?』
「だって…ママが言ってた。私は…病気なんだって。だから…お薬を飲んで。みんなと同じように、見えなくならないといけないの」
薬を飲むと、身体が重たくなってくる。喉が乾いて、頭もぼんやりしてくる。それを伝えても、ママは無理矢理薬を飲ませようとしてきた。
『それは違う』
声は、私の言葉を否定する。
『私は存在する。あなたの見たものは、全て真実』
「じゃあなんで、みんなには見えないの?」
『嘘つきだから』
「なんで嘘をつくの?」
『あなたが…特別だから』
「特別?」
『そう、特別。長い年月を過ごしてきたけど、私の存在を知覚出来る者は、ほとんどいない。あなたの両親は、それに嫉妬して、あなたを異常者に仕立て上げた』
「ほんと?」
『本当だよ。私は嘘をつかない』
水面から、手を差し出された気がした。
『さぁ…おいで。私の元に来れば、そんな苦しみからは…解放される。私は、あなたを否定しない』
声の主は、私の求めていた言葉を放った。その甘美な響きに、抗うことは出来なかった。
差し出された手を掴む。
『おいで』
ゆっくりと、水面へと吸い込まれていく。全身に伝わる浮遊感が、心地よい安らぎを与えてくれた。
この川へと飛び込めば、苦しみは無くなる。私の居場所は、この水底にある。
「だめ!」
叫ぶ声が聞こえた。
見知らぬ少女が、私の手を掴んでいた。飛び降りようとする私を引き留めている。冷えきった私とは違う、暖かい手だ。
「死んじゃだめ!」
少女の声が、ふわりとした感覚を打ち破る。私の意識は、現実へと引き戻された。
「死んじゃだめ!。生きて!」
少女は私に呼びかける。熱を含んだ手に力を込め、川へと飛び込もうとした私を引き上げた。
「なんで…なんでそんなことするの?」
少女は涙を流しながら、私の胸に顔をうずめる。
「死んじゃやだ…生きて……生きてよ」
懇願するように、何度も、何度もそう言った。視界の端で、朝顔の髪留めが煌めく。顔を埋めるあまり、それは地面へとぽろりと落ちた。
生まれて初めて、救われた気がした。あなたはあなたのままでいい。そう言われた気がした。
まぶたが熱くなり、せき止めていた感情が溢れだす。
気がつけば少女を抱きしめ、一緒に泣いていた。どれだけそうしていたのかすら、思い出せない。伝わる体温がとても心地良くて、いつまでもそうしていたかった。
心に誓った。この温もりに報えるのなら、どんなことでもすると。
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