ダンジョン運営物語7
馬を飛ばしてゼノンは林の中を駆けていた。
向かうはダンジョンのあるボデガス鉱山である。そこには古くて立派な坑道が張り巡らされており、ゼノンたちはトンネルを改装してダンジョンにしていた。
坑道は迷路のように複雑で反対側まで開通している。
反対側には緑湯城へと続く抜け道となっていて、坑道の丈夫さから、現在でも輸送路として利用されていたものだ。
ダンジョンギルドはそこに目を付けダンジョンに改築した。
山の麓にはトゥルスの街の冒険者ギルドが簡易宿舎を建てており、ダンジョンを攻略しようとする冒険者の支援活動をしている拠点があった。
ゼノンは、そこまでたどり着くと、馬を止め、ダンジョンに潜るための受付に向かう。
冒険者数組の列があった。
「おや? アンタは一人かい?」
しまった、とゼノンは思った。冒険者は普通、パーティを組んで複数でダンジョンに潜るものだ。
普段ならば、サラやウィピルチカ、ダンジョン運営のメンバーを連れて複数人でダンジョンに戻るのだが、焦っていたゼノンはそのことを失念していた。
「浅い入口付近で少し調べたいことがあるだけですので……。一人でもいいかなと」
言いながら後ろを振り返ると、そこには屈強そうな男とその後ろに彼のパーティメンバーらしき人物たちが並んでいた。
どうやら彼らもダンジョンに潜るらしい。
ゼノンは素早く彼らの装備を見ると、軽い失望と安心感を得た。
彼等はおそらく、今日ダンジョンで死ぬ程度の冒険者だろう。ゼノンが配置したスライムに対しての対抗策も見られなければ、武器の使い込みも足りない。鎧には傷があり、攻撃を避ける技術がないことが伺える。彼らのレベルでは、ダンジョンから生きて帰るには足りないと思われた。
今日死ぬのならば、蘇生魔術で教会に戻るということだ。それならば、今日ゼノンに出会ったという記憶はなくなる。
ゼノンの姿を彼らに覚えられる心配はないだろう。
「なぁ? 兄ちゃん。一人だと何かあった時のフォローができないぜ? もし、良ければだが、俺たちと一緒に入らないか? 一人くらいなら、邪魔にもならないしな」
「ありがとうございます。ですが、問題ありません」
軽くあしらうと、屈強な男はそれ以上何も言わなかった。そんなやり取りをしている間に、受付の順番がゼノンまで回ってくる。
ゼノンはダンジョンギルドから用意されたニセの身分証を提示すると、偽名を書き込み、受付を済ませた。
あとは、他の冒険者と中で鉢合わせしないようにダンジョンに帰るだけだ。
ゼノンはダンジョンに入ったあとの行動について考え始めた。
(まず、事実の確認とサンプルの回収からだ。緑湯城の冒険者から、木刀を入手しなければならない。場合によっては、直接オレが奪う。モンスターは役に立たない可能性があるからな)
冒険者の敵はダンジョンだけではないという言葉がある。
それは、冒険者が冒険者を襲うということが有り得るからだ。
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ゼノンが坑道のダンジョンに入ると近くにあったトラップが機能停止した。
これは、ダンジョンスタッフがダンジョンのトラップに引っかからないための安全装置が働いたためである。
ダンジョンスタッフにはメンバーを識別するための呪印が施されており、この呪印が周囲のトラップと反応するようになっているのだ。
この呪印があるため、ダンジョンスタッフは本物のダンジョンコアがあるエリアには入れないようになっている。また、ダンジョンのどこにいるのか常に把握されるため、ダンジョンコアを狙うダンジョンスタッフは監視している上位の誰かに一目瞭然となる仕掛けだ。
しかし、呪印の無い冒険者にこれは適用されない。裏切り者がダンジョンコアを狙うために冒険者と手を組む理由である。
ゼノンは罠の止まったダンジョンの中を走ると、とある行き止まりの前までやってきた。
そこでゼノンは周囲に誰もいないことを確認した上で、小さな声音で暗号を唱える。
すると、壁の一部が静かに開くと、中から地下に続くハシゴが現れた。
地下に続く隠し通路である。
ダンジョン内は基本的に転移魔術の類を妨害しているため、完璧なワープを利用してダンジョンの中を行き来するのは難しい。(ただし、蘇生魔術を阻害しないために転移魔術を使えないわけではなく、あくまで妨害しているだけ)
そのため、ダンジョンスタッフがダンジョン内部を移動するためには、基本的に隠し通路に頼ることになる。
隠し通路は張り巡らされており、中には冒険者に利用されてしまうこともあるようだが、それでもこの隠し通路のシステムは上手く機能しているので、新しいシステムに一新されることはない。
しかし、これこそが、ゼノンの不安の元凶でもあった。
(裏切り者が隠し通路の情報を流した場合、冒険者も同じ移動方法ができるということになる)
つまりは、そういうことだった。
今はそういった動きが無いようだが、裏切り者はいつでも隠し通路の情報を冒険者に伝え、利用させることができる。
それをしない理由は動くべき時ではないと裏切り者が考えているからだ。
ゼノンはハシゴを降りきると、回転扉の外を伺いながらダンジョンの内部に出た。
そのまま歩いて次の隠し通路に向かう。
今度はT字路の真ん中壁の方に向かって暗号を唱えると、回転扉が開く。
ゼノンは中に入った。
そこは錬金術の器具が揃った小部屋だった。ゼノンの私室扱いとなっている仕事部屋だ。
「さて……」
小包が一つ机の上に乗っていた。形状から、例の木刀と予測できる。
ウィピルチカが気を利かせてゼノンにサンプルとして用意してくれた物だ。
他人が自分の仕事部屋に入った痕跡と、ここまで来るまでの時間でゼノンは冷静になっていた。
ゼノンは念のため、部屋に盗聴器の類など怪しい道具が無いかを調べ始める。
裏切り者が情報を流しているのなら、ダンジョンのモンスターを担当している自分の情報は、敵側が知りたい情報のはずだったからだ。
敵の情報収集を避けることもゼノンの仕事の一つとなってしまっている。
情報を漏らさないように対策をする。それだけでは駄目だった。あと何か工夫がいるとゼノンは考えていた。
(ダンジョンのモンスターを対策してくる冒険者の裏をかける工夫が必要だ)
ただし、工夫を入れるということは、自らが裏切り者の存在に気づいているとほのめかすことにも繋がる。裏切り者を探すゼノンは疑われてはならなかった。
もっとも有効な手段は、敵の仕掛けてくる対策に無防備なことだ。その上でモンスターを突破させないという荒技ができるならば、それ以上はない。
ゼノンはそういうモンスターを念頭に置いて木刀の解析を始めた。
取られる時間がとにかく惜しかった。
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アンリエッタは知ってしまった事実に恐怖を感じていた。
ことの発端はゼノンから聞いたポーションの話だ。
アンリエッタはゼノンから聞いたポーションの話で悩んでいた。
もし、ゼノンの危惧するように、でっち上げの儲け話だったのなら?
もし、ゼノンから聞いた話のように、自分はレイチェルに騙されていたのだとしたら?
ゼノンがアンリエッタに話した作り話は、毒のようにアンリエッタを蝕み、アンリエッタに確かな不信感を抱かせていた。
アンリエッタはゼノンの目論見通り、武器商人であるレイチェルについて調べ回っていた。
そして、知ってしまったのだ。
アンリエッタが聖剣の贋作を盗んだ武器屋こそが、レイチェルの店だったことを。
それは、足場が崩れ落ちるほどの恐怖だった。
アンリエッタにとって聖剣の贋作とは、ダンジョン攻略において闇を切り裂く光の剣である。
それをパーティーの中で使用するということは、自らの罪を告白することに等しい。
そんなことはできるわけがなかった。窃盗の罪を被ることならばまだしも、その先に待っているものは投獄であり、投獄の先に待っているのは病気の父親の死だ。
愛する父親を守るため、それだけは避けなければならないことだった。蘇生魔術でダンジョンからの帰還が約束されている以上、ダンジョンの中で死ぬほうがマシなくらいだった。
(どうして、よりによって……)
暗い絶望が再びアンリエッタを覆っていた。
アンリエッタのような実績のない新米冒険者が、冒険者ギルドで募集するパーティーに入ることは難しい。
その中でも実力派であるレイチェルのパーティーに入れたことは、アンリエッタにとって幸運としか言えない。
手放し難い大きな幸運だ。
(今更、レイチェルさんのパーティーを離れるなんて考えられない……。レイチェルさんほどの冒険者はそうそういない。離れてしまったら、私はきっともうダンジョン攻略を諦めなければならなくなってしまう……)
アンリエッタは唇を噛み締めた。
悪い想像ばかりが彼女に襲いかかる。
幸いにも、彼女がレイチェルの武器屋で万引きを働いたことは誰にも気付かれていない。
このまま、聖剣の贋作を隠し続けていれば、何も無かったことになる。
しかし、それは、諦めるということだった。
聖剣の贋作がなければ、いつか自分がダンジョンに負けてしまう実力であることをアンリエッタ自身がよく知っていたからだ。アンリエッタがダンジョンを攻略するためには、ダンジョンの中で、レイチェルの目の前で、盗んだ剣を使わなければならない時が来ると彼女はよくわかっていた。
恐ろしい想像が幾つも幾つも彼女の頭によぎっては消えていく……。
幾つも、幾つも……。
それでも、やるしかなかった。
病気の父親のためにも、アンリエッタはこれしきの試練に負けるわけにはいかなかった。
そして、それは明日だ。
レイチェルから、ダンジョンに明日入ることをアンリエッタは聞かされている。
アンリエッタのダンジョンデビューの時は近かった。