ダンジョン運営物語6
ゼノンを見つけたサラとレイチェルは、ふらふらとした足取りで錬金術師の方に近寄っていく。ゼノンは正気を失いかけてる二人の様子を見て、途方も無く嫌な予感がしていた。
だが、しかし、ひとまず何があったのか聞かなくてはならない。
「サラ、ここで一体何があったんだ?」
「あ゛あ゛? 見てわかるじゃろ? 酒場のみんなで酒を飲んでいただけじゃ」
「いや、そうじゃなくて。どうして、従業員の方々も床に突っ伏しているのかなーって」
「何を言っておるかよくわからんが、酒を拒むノリの悪い連中は、わしが手ずから飲ませてやった」
「要するに全員に無理やり飲ませたわけか……」
ゼノンは大体の事情を察したが、それはとても喜べるものではなかった。
というよりも、今まさに酒瓶を持った酔っ払い二人が、容赦なく錬金術師に迫ってくるのだが、床に転がって寝ゲロまみれになった男を見て、ゼノンはそれを自分の末路と重ね合わせて、危機感のあまり逃走経路を探したのだが、その寝ゲロ野郎が店長だったため、ゼノンは彼を置いて逃げ出すことができなかった。
(オレは大人しく死ぬしかないのか……?)
半ば、諦めの境地にゼノンは立っていた。ゼノンはサラが何かした時のフォローを店長に頼んでいた。つまり店長が寝ゲロで倒れている理由は、ゼノンの頼みを聞いてくれて何とかフォローしようとした結果なのだろう。ここで逃げられるわけがなかった。
「ちょっと二人とも待ってくれ。まずは話をしよう。だから酒瓶を置いてくれ」
「なんじゃ? お主もわしの酒が飲めぬというのか?」
「そうですのよ? アタクシのお酒が飲めないですの?」
「いや、そもそも君、誰?」
少しの時間でも稼ぎたかったため、ゼノンは話を逸らすことにした。緋竜に正攻法で説得しても無駄だろう。そう考えたゼノンは一縷の望みをかけて隣にいたドワーフに話を振ってみたのだ。……もっとも、このドワーフも酔っ払っている辺り、全くアテにならなさそうであるが。
「アタクシの名前はレイチェル。武器商人をやっておりますの? もうよろしい?」
「ああ、ひょっとして、君がアンリエッタの言っていた商人だったりするのか? ちょうど良かった。売って欲しい武具があるんだけど、今度お願いできないか?」
ゼノンはなんとか話題を逸らそうとした。
「わかった。売ります。もういいですの?」
「予定の空いている日があれば教えて欲しいんだけど、いつなら訪問しても大丈夫?」
「暇だからいつでもよろしくてよ。もういいだろ?」
「いや、全然よくない。ていうか、さっきからどれだけ飲ませたいんだよ……」
積極性で言えば、サラよりもレイチェルの方が高いのかもしれない。今か今かと酒瓶を口に突っ込ませようと構えている。まるで見えない使命感にでも支配されているような様子だった。
何が彼女をここまで駆り立たせるのかゼノンにはわからないが、酒で他人を溺れさせてでも完遂させなければならない矜持が彼女にはあるのだろう。
「わかった。飲む。飲むから、自分のペースでやらせてくれ。くれぐれも酒瓶を突っ込むような真似だけはやめてくれ」
「自分で飲むのも人に飲まされるのも大して変わらないだろ。良いから口を開けろ」
「それ、だいぶ変わるから!」
擦り寄ってくる二人の酒豪とゼノンの間に割って入る一人の女がいた。
「まあまあ、君たち待ちたまえ。この男も嫌がっているじゃないか。せっかく二人とも美人なのに、そんなにがっついてはいい女が台無しだよ」
銀髪のショートヘアーに幻想的な白い肌。血のように赤い瞳、華奢な体躯に漆黒のワンピースを纏った少女だった。ゼノンはこの女性を知っていた。
ゼノンにダンジョン運営を教えた先輩であり、同じダンジョンを運営するメンバーのウィピルチカだった。
「ウィピルチカ! ……って、どうしてここにいるんだ?」
「やあ、ゼノン。どうやらピンチみたいだね。なに、たまたま用事があって来てみれば、この惨状だったからね。しかし、君が居てこの有様とは、なかなか彼女には手こずっているようだね」
(正直、かなり助かったが、それにしてはタイミングが良すぎるような……)
ゼノンは不審に思ったが、そのことをウィピルチカに追求している余裕は無い。
アルビノの少女は、錬金術師を庇いながらサラを睨みつけている。
敵意の篭った態度に、サラは何かしただろうか、と記憶を辿ってみるが、心当たりが見つからなかった。そもそも彼女とは顔見知り程度の関係だ。しかし、名前は知っている。確かゼノンが苦手だと言っていた相手ではなかっただろうか。
どうでもいいからコイツにも酒を飲ませよう、と緋竜は結論付けた。
「あー、なるほどのう。お主がゼノンの言っておったウィピルチカか。よし、せっかくじゃからわしが飲ませてやろう。口を開けろ」
「生憎だがボクはワインしか飲めないんだ。体質でね。しかし、君はそんな醜態を晒していて何とも思わないのかい? 仮にも君は誇り高い生き物だろう?」
「……驚いたのう」
「何がだい?」
「まさか誰とも知らない小娘の言葉で気分が滅入るとはな。そうか、わしは本当に弱くなったのじゃな」
サラは寂しげな表情を浮かべていた。緋竜が昔の自分と今の自分を比べて消沈していることは誰の目にも明らかだった。ウィピルチカも、流石に彼女の傷心を抉るのはやりすぎたと思って謝る。
「……今のは言い過ぎだったね。謝るよ。君を傷つけるつもりはなかったんだ。許してくれ」
「まあ、それとこれとは話が別じゃがな」
「ごぼぼがばー!」
酒瓶を突っ込まれてウィピルチカは文字通り酒に溺れた。
ウィピルチカは緋竜を振り払おうとするが、緋竜の腕力は常人を超えている。
どれだけ暴れようとも掴まれた腕を離してもらえなかった。
酒瓶の中身はどんどん減っていき、やがて空になる。ウィピルチカの意識はもう無かった。
一部始終を近くで見ていたゼノンは思う。
(酷い悪夢だ……)
次は自分がこうなる番だとわかっていながら、ゼノンは逃げることができなかった。
店長に続いてウィピルチカまで倒されたのである。ここで二人を放っておいて自分だけ逃げるという選択が錬金術師にはできなかった。
「ゼノンさん、すみません。私の代わりに生け贄になってください」
アンリエッタだけが二人の魔の手を逃れていたことを、誰も知らない。
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緋竜のサラと、武器商人のレイチェルから始まった酒場の騒動は、二人が追加の酒を求めていなくなったことで終止符が打たれた。
やがて、酔いがさめて正気を取り戻した従業員により、荒れ果てた酒場は粛々と片付けられていく。
店の入口には一時休業の札がかけられ、客は各々帰らされ、従業員以外に残っているのは、ゼノンとウィピルチカだけになっていた。
「それで、ウィピルチカ、いったい何の用です?」
誰にも聞かれないように小声気味にゼノンは尋ねた。
窓際の離れたテーブルにいる彼らの声は、他人の耳には届かない。
「ダンジョンの方でトラブルが起きてね。ダンジョンのモンスターは、ゼノン、君の担当だろ? 至急、ダンジョンに戻って対策をして欲しい」
「オレが錬金術で作ったモンスターに不具合でも起きましたか?」
「いいや、正常だよ。そうではなくてだね、対策が必要なのはモンスターなのだが、原因は冒険者の方にあるというわけだよ」
「まったくハッキリとしない言い方をしますね。いったい何が起こっているんですか?」
「冒険者の間で木刀が出回っている」
何を言われたのかゼノンはわからなかった。笑い話なのかとすら思った。
しかし、次の一言でゾッとすることになる。
「しかも、丈夫で、よく切れるやつだよ。鉄の剣と大差ないレベルで。だから、君の作った金属を腐食させるスライムが、まったく役に立たなくなっているんだ」
「……特攻武器というやつですか? 木刀なのに?」
「そのとおりだよ。たかが木刀と笑えない成果を上げている。冒険者……というより、人族の貪欲さというべきかね。どこからでも使える物を探し出そうという執念がそういう訳のわからない事態を引き起こさせたのだろうか? ボクは一連の流れを聞いて、笑うどころか恐ろしくなったよ」
「そもそもの話になりますが、どうやって木刀を鍛えているんですか? 金属じゃないんですよ?」
「ボクが知るものか? そんなこと。……とにかく、緑湯城では、そういう武器が新しく生まれて、流行りだそうとしている。まだ、本格的に流行っているわけではないがね。流行るのは時間の問題だよ」
「緑湯城の方で武器が蔓延したら、ダンジョン運営の前提が崩壊する……」
緑湯城がトゥルスの街にとってポーションの仕入先であるように、トゥルスの街は緑湯城にとっての武器の仕入先である。
その流通路を封鎖することで、ゼノンたちの運営するダンジョンは冒険者に対して優位性を確保している。
流通路の真ん中にダンジョンを建てるということは、流通先の二つの街を同時に相手にするということだ。
ゼノンたちダンジョン側のメンバーは、トゥルスの街と緑湯城の両方の冒険者を相手にしている。
トゥルスでポーションを消耗させるように、緑湯城では武器を消耗させる計画だった。
それが、ゼノンたちダンジョンギルドが二つの街の冒険者と戦うための条件だ。
「急いでダンジョンに戻ります」
「そうしてくれたまえ。一刻も早く対策してくれないと、ボクたちごと街が死の砂漠に飲み込まれかねない」
ゼノンは慌てて『踊る白骨亭』を飛び出していった。
その様子を見て、ウィピルチカは、ぼそり独り言をいう。
「……さて、あの慌てた様子を見るに、ゼノンは木刀の新技術を提供したわけでも、ダンジョンの情報を流したわけでもなさそうだね。裏切り者は、果たしてどこにいるのか?」
ウィピルチカは優雅な仕草でくすねていたワインの瓶を開けると、グラスに注いで飲み干した。