バタフライ&ローゼス・ガーデン・3
「女?」
車長席のモニターに、公一が被っているヘルメットからの映像が届いていた。
差し込む光に姿を現したのは、白い肌をした黒い装束の女。しかもジュンとはそれほど歳も変わらなそうな少女であった。
シローが彼女を認識した途端に、ゴリアテの車内が騒がしくなった。
警報に警報が重なり、メーターやグラフが最大値を示したかと思えばマイナスを示し、まるで計器がドンチャン騒ぎを始めた感じだ。
「なんだ?」
訝しむ間も無く、ゴリアテの砲塔脇に備えられていた発煙弾発射器が自動で作動した。途端にシローの体は前に持って行かれ、公一からの画像を映していたモニターへ顔から突っ込むことになった。
ぶつけた時のゴチンという音を、耳ではなく脳が直接聞いた気がした。
「脱出! 脱出して下さい!」
ヒカルが通信手席で悲鳴のような声を上げていた。
「わかっとるわい」
ゴリアテの車内に、エンジン音が響き渡った。シローが命令を下していないのに、シンゴが床を踏み抜く勢いでアクセルを踏んでいるせいだ。それでシローは、彼の額がモニターと仲良くなった原因が、シンゴによる後方への急加速だったことを理解した。
「お~、いたた」
シローと同じように頭をぶつけたらしいリュウタが、被っているキャップの上から頭を撫でていた。
「出るぞ!」
シンゴの声で、いつの間にかに前後方向へ傾いていたゴリアテの車内に、一瞬だけ浮遊感が生まれた。すぐにズンと椅子に押さえつけられるような感覚がやってきた。
モニターが明るい外の風景を映し出していた。
どうやらシンゴは全速力でゴリアテを外へと走らせたようだ。いま事務棟前の交差点で停車したところだ。先ほどの浮遊感は、地下からのスロープをあまりの速さで飛び出したせいで、ゴリアテがジャンプでもしたのだろう。
「追撃なし」
冷静なヒメの声に、シローは我に返った。
何があったのかはすぐに把握できた。ゴリアテに、ミサイルなどを誘導するレーザー光か、レーダー波などが当てられたのだ。
ゴリアテは自車の周囲を色々なセンサーで常時監視していた。なぜそんな事をするのかは簡単な事である。対戦車ミサイルを撃ち込まれたら、一発で破壊されるからだ。厚い装甲で守られているゴリアテだが、ミサイルの直撃を受けても平気というわけでは無い。むしろ直撃しなくとも、キャタピラなどの重要な部品キャタピラなどへ、破片が当たるだけで行動不能になる可能性があった。
その予防として、ミサイルなどに狙われていると車載電子機器が判断した場合、自動的に発煙弾を発射して煙幕を張り、防御するようになっているのだ。
もちろん煙幕を張ったからといって、ボーッと立ち止まっていたらミサイルが当たってしまう。よって発煙弾が自動発射された場合は、車長の命令を受けずとも、操縦手はゴリアテを移動させることになっていた。
それが今の騒動の顛末だ。
何者かにより走査されたのでミサイル警報が出た。出たことにより発煙弾が自動で発射され、煙幕が展開された。ミサイル警報が出たらすぐに逃げなければいけないと叩き込まれているシンゴが、シローに無断でゴリアテを全力バックで地上へ脱出させたのだ。
シローだってゴリアテの車長を今日や昨日で始めたわけではないので、基本的な事は頭に叩き込んであった。すぐに状況を把握できなかったのは、いきなりモニターに頭をぶつけて、目の前に星が散ったせいだ。
シローは頭を一振りさせると、気合を入れ直した。とりあえず現状を把握しないといけない。
「ガンナー」
「チェック」
ヒメは相変わらず冷静な声だった。
「ドライバー」
「おう」
シンゴは緊張した声を出した。狙われたのがよっぽど怖かったとみえる。
「コミュニケーター」
「各部問題なしです」
先ほどは慌てた声で警告したヒカルだったが、もう冷静な声に戻っていた。
「ローダー」
「おでこにコブが出来たよ」
リュウタのふざけた声は少し固いように感じた。シンゴの緊張が伝播しているのだろうか。
「レコン」
「…」
ジュンからの返信はなかった。
「ブラボー」
「…」
公一からの返信も無い。シローは計器をチェックして、ゴリアテ側に問題の無い事を確かめた。
「ヒカル。二人から返信が無いぞ」
「地下という閉鎖空間で煙幕を張ったので、もしかすると二人は酸欠になっているのかもしれません」
「酸欠?」
「呼吸に必要な酸素が足りないという事です」
「それって…」
モニターから視線を外すと、直にヒカルの背中を見た。
「…ヤバくないか?」
「はい。ヤバいです」
ヒカルは素直に認めた。
「助けに行くぞ!」
シローが慌てる声を上げた。
「待ってください。ゴリアテで救助に向かうのは危険です」
ヒカルに止められて、シローはゴリアテを前進させる命令を躊躇した。急いで頭を回転させた。
(たしかにミサイル警報が出た場所に、それを食らわしてきたヤツも確認できていないのに、もう一度ゴリアテを突っ込ませるのは危険だ。だが空気に問題がある場所に歩いて行くわけにも…)
「なにか解決策はあるか?」
シローはヒカルに訊ねた。ハッティフナットの彼女ならば、現状使える装備で行える最善策を示せるはずだ。
「地下駐車場などの施設には、火災が起きた時のために、排煙装置が設けられているはずです。それを試してみては如何でしょう」
「どうやって動かすんだ?」
「ゴリアテが撃った榴弾の爆発に反応しなかったということは、自動で起動するための機能は故障していると思われます。手動スイッチで運転を指令すれば可能かと」
「その手動スイッチってのはドコにある?」
「おそらく、アチラに」
ヒカルが席に座ったまま振り返り、ゴリアテの斜め後ろを指差した。
「?」
シローは椅子の高さを変えるレバーを引き、自分の頭の上にあるハッチに付属したキューポラの窓からそちらを観察した。
そこには、この施設に入ってすぐに探索した警備員詰所があった。
シローの決断は早かった。
「よし、ヒカルとヒメで排煙装置のスイッチを探してきてくれ。もちろん見つけ次第全力で動かせ。俺はリュウタと地下へ行く。シンゴはゴリアテを頼んだぞ」
「了解」
全員の声が重なった。
すぐさま各員が、自分のハッチから外へと這い出した。それぞれの手にはそれぞれの武器がある。シンゴだけは車内に残り、ゴリアテをもうちょっと後ろへ動かし始めた。
弓矢を構えたヒメが周囲を警戒しながら先に立ち、首からサブマシンガンを提げたヒカルが街の散策といった態度で後に続いた。対照的な二人が警備員詰所へと入って行った。
二人を見送ったシローは、リュウタと一緒にサブマシンガンを構えて、地下駐車場へと続くスロープを下り始めた。
スロープの半分も下りないうちに、行く手を濛々とした煙幕に遮られた。二人は先人たちに、端に触れるのには害は無いが、中へ突入するにはガスマスクを着用するように教えられてきた。よってギリギリまで近づいたところで待機した。
さらに言うと、煙幕は地下階のような閉鎖空間では使用は避けるように教わって来た。今回はゴリアテのミサイル防御システムが自動で働いた結果なので、シローに責任は無いはずだった。
しかし地下へと下りていく段階で、システム自体を切っておくこともできたはずだ。地下階の探索も予定されていたのだから、ジュンや公一が車外で活動する事は分かっていたはずだ。しかし、まさかあんな場所でシステムが反応する程の走査を受けるとは、車長として経験を積んでいるシローとしても盲点だった。
「早くしてくれよ」
スロープの壁に貼りつくようにしたシローは、背後を振り返ってヒカルたちが排煙機のスイッチを入れるのを待った。
警備員詰所に入った二人は、奥の机には向かわなかった。それよりも壁に一体化されている防災設備のスイッチ類の方に用事があったからだ。
すべてのランプ類が点灯していないが、地下駐車場に関する部分はすぐに見つけられた。
タッチパネルなどではなく、頑丈そうなロータリースイッチやタンブラースイッチが並んでいる場所に「地下駐車場排煙機」とプレートがつけられたスイッチも混じっていた。
ヒカルは、自動になっていたロータリースイッチを手動に切り替え、運転スイッチである押しボタンを押し込んだ。
遠くでバンと鉄板を叩いたような音がした後に、ウーンというモーターが回り始める音が聞こえてきた。
制御盤に、もっと奴に立つスイッチが無いかヒカルがチェックしている間に、弓矢を構えたヒメが警備員詰所の外へと出た。
モーターの作動音は遥か上から聞こえてきた。振り仰げば事務棟の屋上から、灰色をした煙がモクモクと立ち上がるところだった。
同時にスロープで排煙機の作動を待つシローたち二人は、背後からの風を感じ始めた。地下階の気圧が下がっているためだ。
みるみると煙が地下駐車場へ引いて行く。まるで砂地へ染み込んでいく水たまりのようだ。
「行くぞ」
「おうさ」
煙幕の中から飛び出して来た何者かに襲われないように、煙幕からちょっと距離を置いて二人はスロープを下り始めた。いくらドワーフが闇を見通す目を持っているとはいえ、煙幕の向こう側までは見る事はできなかった。
地下階へ下りると、天井に設けられた複数の排煙吸気口へ、ドンドンと煙が吸い込まれているのがわかった。
スロープから奥へ進むと、外の明かりが届かなくなるが、ドワーフにはそんなこと関係なかった。
完全に煙が排除される前に、地下駐車場が見通せるようになってきた。
「…」
二人は頷きあうと、赤外線誘導のミサイル対策に人肌程度の温もりを持っている煙の中へ突入した。
三○台弱の駐車スペースを速足で駆け抜け、穴を開けた隔壁へと取りついた。
断面のギザギザに注意をしながら中を覗くと、小さな駐車スペースの向こうに、閉められた自動ドアがあった。
シローとリュウタは再び顔を見合わせると頷きあい、まずシローが先に隔壁をくぐった。
リュウタが構えたサブマシンガンの銃口が忙しくアチコチを向けた。どこから襲撃者が見ているかも分からないので、少しでも威嚇になればという動きだった。
何事も無くシローはスリガラスでできた自動ドアに取りつくことができた。両手を空けるためにサブマシンガンを肩にかけ直したシローが、強引に自動ドアをこじ開け始めた。
特にカギがかけられているわけでも無いので、ゆっくりとスリガラスでできた扉を開く事ができた。
「ジュン! 無事か?」
自動ドアの向こうへ声をかけて耳を澄ませると、どこからか男の声が聞こえてきた。どうやら歌を歌っているようだった。
「♪そうさディアラマよ、ディアラマよ、ここでメシアライザーが使えったら~、危ない!死ぬな! あ、死んだ~」
楽しそうな歌声にシローは、追いついて来たリュウタと顔を見合わせた。
ピピピと、まるで目覚まし時計のようにジュンが持つガス検知器が鳴り始めた。
「なんだ?」
振り返った公一が目にしたのは、自動ドアの向こう、隔壁に開いた穴から吹き込んでくる塊のような煙だった。
すぐにゴリアテからの明かりが遮られたのか、周囲が暗くなった。
「あ…」
隔壁の中に籠っていた少女を確認するなり、なぜか呆けてしまったジュンのところへ寄ると、彼女の手ごとガス検知器を持ち上げて、画面を確認した。
スマートフォン程度の画面にデカデカと赤い字で「酸素量急減危険」の文字が表示されていた。
「やばい」
いくら公一が普通の成績しか取ったことが無くても、こんな地下の閉鎖空間で酸素が無くなったら命の危険があることぐらい、すぐに連想できた。
公一は慌てて、まだ自動ドアのところでもたついているジュンの腕を引いて室内へ入れると、自動ドアに両手をかけて力を込めた。
「ふんぬ」
荷物をたくさん載せた台車を坂道で押す程度の抵抗で自動ドアを動かすことができた。一人が通れたぐらいの幅しか開けていないので、煙が迫って来る前に閉じる事ができた。
だがガス検知器の警報は鳴りやまなかった。
「奥へ」
ジュンの手を取って診察室へと移動しようとした。
必然的に、ここへ閉じこもっていた少女へ近づくことになった。
「君も」
八九式ライフルを慌ただしく肩へかけると、彼女の刀剣を持ったままの右手を掴んで、診察室の方へと移動した。
呆けたままのジュンと、事態を呑み込めていない風の少女が、慌てる公一に引かれる形で、診察室の奥へと移動した。
だが、まだ警報は鳴りやまなかった。
「ダメか」
天井に残された消え残りの熾のような明かりで見透かしてみれば、自動ドアの隙間から、まるで意志があるように煙がこちら側へ侵入してくるところだった。
周囲を見回すと、自動ドアのところから見た通り、様々な医療機器が散らかっていた。もちろん、昨日まで二一世紀で普通の高校生だった公一には、どれも使い方が分からない物だらけだ。
機器の間から四方の壁を見れば、一方に引き戸があるようだ。そこから、さらに奥へ入れるようだ。
「この奥は?」
「…」
公一が訊ねても少女はちょっとだけ首を傾げるだけだ。
彼女の仕草がどういう意味かを判断する前に、ジュンの手から派手なブザー音が鳴り始めた。
画面を見ると、一杯に「危険」の文字が表示されていて、下側を小さな字が流れていた。色々ある中に「酸素量低下危険域」と読めた警告に、公一は焦って再び周囲を見回した。
(医療施設ならあるはずなんだが…)
公一が捜していた物はすぐに見つかった。医療用の酸素吸入器である。
緑色や黒色、灰色をしたボンベが並んで台車に乗せられ、それが配管で纏められて利用しやすくなっていた。
脇にポケットがあって、そこに複数のマスクがチューブのついたまま入れっぱなしになっていた。
マスクを手に取ると、透明なチューブはボンベの配管と繋がっていた。
(百年の間に詰まってたら運が無かったということで)
公一は使える事を祈りつつ、ボンベの上にあったコックを開いた。
シューという音と共に呼吸可能な空気がマスクから噴き出した。
「よし」
いったん自分の肺にそれを詰め込むように吸い込んでから、公一はまずジュンにマスクを装着した。次のマスクは、まだ名前も知らない少女へと差し出した。
「…?」
どうやら、これが何を意味するのか分からないようだ。キョトンとした表情のまま小首を傾げていた。
「空気がやばいんだ。これを吸え」
ジュンの手からまだ喧しく聞こえてくる警報に押されるように、公一は少女の顔にマスクを押し付けた。
「…!」
ビックリして逃げようとする彼女の腕を引き、マスクのストラップを頭に回した。髪の毛の結んであるところで止まってしまったが、外れないようにするぐらいの役割は果たせそうだ。
マスクはまだ二つ以上残っている。安心して自分の分を取り上げたが、ヘルメットが邪魔でストラップが回せなかった。
躊躇せずにヘルメットを脱ぎ捨てた公一がマスクを着けたところで、足元に(公一にとっては)正体不明の煙が漂って来た。
(触るだけでヤバイ毒ガスとかじゃないだろうな)
ミリタリーマニアだった中学校の時の同級生に吹き込まれた情報によると、皮膚に触れるだけで相手を攻撃する毒ガスがあるらしい。二一世紀にですらそんなヤバイ毒ガスがあるのだ、この時代の毒ガスならば近づくだけで即死という物があってもおかしくないだろう。
「移動するぞ」
少しでも逃れようと、同じ酸素ボンベが載せられた台車に繋がれた二人を促し、診察室の奥に見えた引き戸の方へと移動を開始した。台車を公一が押して進み始めると、同じ台車にチューブで繋がれている関係以上、二人も着いて行かないと引っ張られる形になってしまう。ジュンの腰に巻いた鎖と、少女が左腕に巻いた鎖が、歩くたびにチャリチャリと鳴って、公一は不謹慎にも犬の散歩を連想した。
台車を停めて、引き戸を開くと、向こう側も暗さはあまり変わらなかった。
そこは入院病棟のような設備が整っていた。
一つのベッドに対して、周囲の視線を遮るように配置されたカーテン。壁には埋め込み式の酸素供給装置。ナースコールもあるし、通常と緊急に分かれた電源もあった。
天井に残る老朽化した非常灯がポツポツとした明かりを提供しているのは、診察室と同じだった。
引き戸はバネ仕掛けか何かで自動的に閉まるようにできているようだ。三人が繋がれた台車が通過した後に、誰も触れていないのにゆっくりと動きはじめた。
こちらにも同じ台車を見つけた公一は、その横まで行くと、誰も被っていないのにコックを全開にした。
無駄に室内へボンベに詰められた気体が放出されていった。だが逃げ場のない室内に空気を放出したおかげで気圧が高まったのだろう、引き戸が自動で閉まったこちらの部屋に煙が侵入してくる事は無いようだ。
ジュンの手にまだ握られているガス検知器も静かになった。
「もういいかな」
我ながら素晴らしい対応だったと自画自賛しながら、公一はマスクを外した。
いちおう最初の呼吸は緊張したが、やはり異常は無いようだ。
「外しても大丈夫みたいだ」
まだ呆けたままのジュンのマスクを外してやろうと手を伸ばした。どうやらストラップが長い年月で劣化していたようで、パチンと切れてしまった。
「いて」
ストラップが叩いた頬をジュンが押さえた。そのまま不安げな目で公一を見上げてきた。
「この部屋まで、あの煙は入って来ないって」
彼女の不安を払拭しようと、公一は笑顔を向けてやった。とはいえ彼にその確信があったわけではなかったが。
「そうじゃなくて」
ジュンの視線が、自分でマスクを外し始めたもう一人の少女に向いた。
「?」
彼女に何か問題があるのだろうか。
改めて見ると、やはり最初に抱いた感想の通りに、とても美しい少女であった。ジュンを最初に見た時と同じように、つい通っていた高校で『学園のマドンナ』と祭り上げられていた女子と比べてしまう。向こうは芸能界に一人ぐらいは居そうなレベルの美人だったが、こちらは、歴史的な絵画や彫刻のモデルになっているようなレベルの美しさだった。あまりにも整っているので、人工物ではないかと疑ってしまう程だ。
意志の強そうな紺色の瞳に、切れ長の目。まるで職人が植えたように揃った睫毛。すっと通った鼻梁の下に、リップを塗ったように程よく湿っている唇。顎のラインも年頃の女の子らしく脂肪がうっすらと曲線を保つようについていて、険しい感じというより優しい感じがした。
それらの美人と称して問題ない特徴を持つ面差しと、強い視線を持つ目とが、いいバランスを保っていた。
体のラインも、ビキニトップにホットパンツという衣装であるから丸見えであった。
前を開けっ放しの黒いコートが白い肌を際立たせ、抱くと折れそうな細い腰回りを強調していた。
ただ、バストサイズに関してだけは、ジュンとどっこいどっこいのようで、まあ顔を埋める前に肋骨に当たるような感じがした。
とはいってもあからさまに骨が浮いているような不健康な痩せ方をしているのでなく、そちらの方も適度な脂肪が纏わりついていて、痩せすぎというほどではないのだが。
足はヒールのあるブーツを履いているので、目線の高さは公一と同じぐらいであったが、本来は彼よりも少し低いぐらいであろう。
左腕に巻いた鎖は二重三重と重なり合っており、とても重そうだ。反対側の手に握る刀剣は、一見すると太刀のような形をしており全体が反っていたが、似ているのは形だけだった。
ただの鉄板を似た形に切り取って研いだような、まったく装飾など無く、握りと刀身が一体化した物であった。もちろん日本刀を打つ技術など使われてはいないようだ。
刀の鍔も、刀身と一緒に同じ鉄板から切り出したままであり、そこだけ厚みが変わっているということも無いようだ。
そして何より目立つのは、脇腹の傷痕である。
せっかく美の工芸品として造られた作品を、うまくできなかったから作者が力任せに鉄棒で叩いて破損させたといった具合に抉れており、紫色に爛れているのだ。
「そこ痛くない?」
つい公一は訊いてしまった。
「…」
彼女は恥じたように刀剣を握ったままの右手で、抉れている傷跡を隠すような仕草をした。
「キミは死んだと思ってたよ」
ジュンが挑戦的な視線を、身長差から下より投げかけていた。
「?」
今まで見せなかった怖い程の真剣な態度に、公一は彼女を振り返った。
ジュンは明らかに怒りを抑えていた。その証拠に両方の青い瞳がランランと輝いていた。
「もしかして…、知り合いですか?」
その力のある目に腰が引けて、つい丁寧な言葉で訊ねてしまった。
「知ってるよ」
怒った声でジュンが告げた。
「このコは『ルーク』。『魔弾の射手』のドラゴン『ルーク』だよ」
「どらごん?」
公一は首を捻った。
「このコが?」
「コーイチは『ビショップ』にだって会った事あるんでしょ? だったら、この姿をしていてもドラゴンなのは分かるよ…、ね?」
ジュンの言葉が途中から弱くなって途切れた。公一が大声を上げて笑い始めたからだ。
「このコがドラゴン! そりゃあ大変だ!」
ゲラゲラと笑い続け、あまりの勢いに身を屈しているほどだ。
「こーいち?」
さすがに異常に気が付いて、ジュンは公一の両肩に手を置いて正面を向かせた。
「どうしたの? コーイチ」
「ひーっ、だってジュンが笑わせるからだろ~」
「いや冗談ではなく。コーイチは『ビショップ』を覚えていないの?」
「覚えてるよ~」
顔を赤くした公一は満足そうに頷きながら言った。
「いまじゃ感謝してるよ~。だってこんな美人と知り合いになれたんだもん」
「コーイチ?」
公一はジュンの腕を振りほどくと、前から両腕でジュンを抱きしめた。
「かわいいねえジュン。チュウ」
そのまま頬へ何度もキスしてきた。
「わ、わ」
目を白黒させたジュンは慌ててもがくが、払っても払っても公一の腕がジュンの体に纏わりついて来た。
「ちょっと…」
「んチュウ」
限界をどこかにやった公一は、そのまま熱くジュンの唇まで奪った。
「~~~!」
顔を真っ赤にしたジュンは、ドンと強めに公一を突き放し、やっと彼から脱出した。
「ど、どうしたんだコーイチ」
フラフラと突き飛ばされたままの反動で後退る公一へ指を突きつけるが、半目になった彼は気分良さそうに答えた。
「どーもしないよー。ただ気分よくてさああ。ジュンに幸せを分けてあげたい気持ち~」
段々と呂律も回らなくなってきた。
動きもなんだか変だ。元から偉丈夫とは正反対の姿勢ではあったが、今はまるで骨の抜けたようなふにゃふにゃした動きになっていた。肩にかけていた八九式ライフルも取り落してしまったほどである。
「ひょっとして、酔ってるの?」
「よってる?」
その意味する事を理解するのに一〇秒ぐらい天井を見上げてから、ニマアと粘着質な微笑みをジュンに向けて公一は言った。
「よってなんてないよ~」
力の入ってない右手が横に振られた。
「酔っ払いが言う言葉で一番信用できない言葉きたー」
「…」
戸惑っているジュンの肩をつつく者がいた。彼女に『ルーク』と呼ばれた少女だ。
「?」
振り返ると彼女の指がジュンの手元を指し示していた。
いまだ握ったままだったガス検知器から、まるで着信音のような「ぴ、ぴ、ぴ」と電子音が上がっていた。
「?」
画面を顔の前に持って来ると、周囲の空気を分析し続けているガス検知器の画面に「注意」の文字が躍っていた。よく確認すると「注意:亜酸化窒素を検出」と読むことができた。
「なんか毒ガス?」
画面を見て誰ともなしに呟いたジュンの肩を、さらに『ルーク』がつついた。
「?」
指差す方向を見ると、公一が先程バルブを全開にした医療用の酸素吸入器が、いまだにボンベの中身を噴いていた。
緑色のボンベにはステンシルの漢字で「圧搾空気」と書いてあった。
黒色のボンベには同じく漢字で「酸素」と書いてあった。
そして灰色のボンベには「亜酸化窒素ガス」と書いてあった。しかも但し書きのように小さな字で「笑気ガス(しょうきがす)」とも書いてあった。
「これか!」
慌ててバルブを閉めに動こうとしたところに、酔っ払いが割って入って来た。
「ジュンも美人さん。るーくんも美人さん。いせかいは美人さんだらけで幸せだなあ」
「るーくんってダレだよ!」
こんな酔っ払いの戯言に付き合っても意味が無いのを知っていながらも、ついジュンはツッコミを入れてしまった。
「ええ~、ジュンが言ったんじゃないかあ」
また前から抱き着かれた。今度はジュンだけでなく、先ほどまでガス検知器の画面を覗き込んでいた『ルーク』まで一緒だった。
「…」
無表情ながらも、わずかに困ったような顔をして『ルーク』も抱きしめられていた。
「るーくんじゃなくて『ルーク』な」
ジュンの指摘を聞いているのか聞いていないのか「二人とも、ちこうよれ、ちこうよれ。えんりょするでない」などと、まるで悪代官のような事を言いだした。
「ちょっと、離してよ」
乱暴に突き放そうとするが、骨なしになったかのように立っているので、暖簾に腕押しといった感じで受け流されてしまった。
「なんだよ。おれのチュウが受けられないってか?」
「ああ、もう」
苛立ちながらジュンは、公一の足の甲へ自分の踵を落とした。半長靴を履いているとはいえ、そこはあまり鍛えられない箇所で、普通ならば抱えて転がる程の痛みが走るはずだ。
だが酔っ払いには効かなかったようだ。
「じゃあ、わかった。公平に、るーくんにもチュウ」
そのまま恐れ知らずにも、公一は『ルーク』の唇まで奪ってみせた。
「…」
どちらかというと無表情な感じだった『ルーク』も、これには頬を赤く染めた。
「なにやってんだよ!」
いい加減堪忍袋の緒が切れたジュンは、膂力に任せて公一の胸倉を掴むとギリギリと締め上げた。
しかし酔っ払いには大して効いていないのか「んふ。おやめになって、あれ~」とかほざいていた。
たまらずジュンは公一を脇へ放り投げた。いちおう怪我をしないようにベッドの上を狙ったが、足首がベッドのフレームにぶつかってガインという痛そうな音を立てた。
「一番! 中村公一! 歌います!」
ベッドに放り出されたまま、公一が調子外れの歌をがなり始めた。
なんか草原や荒野を進んで冒険をするとかいう歌だった。
今の内にとばかりにジュンは、二つある酸素吸入器のバルブを全部閉めた。
「大丈夫か!」
そこへ新しい声が入って来た。
振り返ると診察室との引き戸を開けて、二つの小柄な影が入って来るところだった。
風が巻き起こって、室内の空気が扉から吸い出されていく。加圧状態から陰圧状態へと変化して耳がキーンとする。その風に逆らうように入って来た者の顔を、ポツポツと点いている非常灯の明かりを頼りに確認した。二人ともズングリムックリの体形をしていたので、最低でもドワーフだということが分かった。
さらに被っている帽子が違うので、シローとリュウタということもすぐに分かった。
「シロー! リュウタ!」
「…」
ジュンが好意的に迎え入れる態度を示したので、とっさに刀剣を構えた『ルーク』は何もしなかった。
「大丈夫か? ジュン」
彼女の声を聞いて、安心した声を出すシロー。
「ボクは大丈夫。だけど…」
心配そうに放り投げた公一の方を見た。彼はベッドの上で大イビキを掻いていた。
「?」
立ちすくむジュンに、寝こける公一。さらにもう一人、見慣れない少女という図式に、シローが眉を顰めた。
「コイツがやったのか?」
サブマシンガンの銃口を『ルーク』に向けたシローが訊ねた。あからさまな敵意に『ルーク』は眉を顰めた。
「違う違う」
慌てて二人の間にジュンは体を入れた。
「コーイチは、ガスで酔っ払っちゃったの」
「がす?」
一瞬理解できなかったのか、シローは険しい顔をさらに歪めた。
そしてジュンが指差した医療用の酸素吸入器に並んだボンベを見て、そこから公一を眠らせた何らかのガスが発生したのだろうと判断した。
「わかった。とりあえず場所を移動しよう。お前さんも一緒に来てくれるか?」
銃口を向けたのを詫びるように、シローの声は優しい物に変わっていた。
五人はスロープから地上へと出た。
ジュンにドラゴンの『ルーク』と呼ばれた少女は、雲に覆われた空を眩しそうに見上げていた。
一方、シローは場所を移動するとは言ったが、そのアテに心当たりはなかった。
昨日仲間に加わった公一ならばゴリアテに収容してもいいが、初めて会った少女を無防備に招くほどお人好しではない。しかも彼女はいまだに抜き身の刀剣を手にしているのだ。
地上に出て迷ったが、警備員詰所からヒメとヒカルがゆっくりと出てきたところを見て、あそこにしようと思い立った。
「問題は無かったようですね」
五人の姿を見てヒカルが言った。
「問題無さそうに見える?」
ジュンが非難する様にヒカルを身長差から見上げた。なにせ公一はリュウタに背負われて、ガーガーとイビキをかいているのだ。
「命に別状は無さそうですが?」
誰かの命の危機ならば、もっと緊迫感があるだろうと言いたげだ。
「いちおう看てみてくれ」
リュウタが公一を背負いなおしながら言った。さすがに体格に差があるので、とても背負いにくそうである。
「では、こちらに」
ヒカルが警備員詰所に取って返した。
横に並んで歩き出したヒメに、シローが声をかけた。
「ヒメ。しばらくしたらリュウタと一緒に地下の探索に入ってくれ。特に医薬品、次に水や食料だ。あ~、それと毒ガスに注意だ」
「…」
ヒメが軽く敬礼して了承を示した。
七人は警備員詰所へと入った。ヒメだけは出入り口で、周囲の警戒をするためにそこへ残った。
ヒカルの先導で奥にある仮眠室へと進んだ。毛布もシーツも剥ぎ取られたベッドが二つ並んでいるだけの殺風景な部屋だ。窓にカーテンすらかかっていない。
片方に公一を寝かせるように指示すると、ヒカルは彼の手首を両手で握って脈を取り始めた。
「説明を」
「変なガスを吸ったようだよ」
ジュンが機嫌の悪い声を出した。いまだに持っているガス検知器の画面をタッチして、検出記録を表示して見せた。
「ああ、亜酸化窒素を吸いこんだのですね」
一発で原因を理解したヒカルは、落ち着いた様子で公一を見おろした。
「いわゆる笑気ガスと呼ばれる医療用のガスです。麻酔なんかに使われることが多いのですが、不要に吸い込むと酩酊作用が見られる場合があります。いまのナカムラさんも、その状態なのでしょう」
「治るの?」
ジュンが心配そうに訊ねた。
「とくに濃いガスを吸引した場合には色々と副作用が出る場合がありますが、ガス検知器に記録された濃度では大丈夫でしょう。というより酩酊する程の濃度ですらありません。おそらく閉ざされた地下空間というプレッシャーなどの数々のストレス、そして二一世紀からこの時代に突然やってきて、蓄積されていた疲労などが重なったのでしょう。すぐに目を覚ますと思いますよ」
「毒…、では無いんだな?」
シローの確認にヒカルが頷いた。
「もちろん度を越して吸入すれば問題が起きますが、排煙設備が稼働しているので、じきに薄まるでしょう」
「よし。じゃあリュウタ。後でヒメと二人で地下の探索をしてくれ」
「おうよ」
リュウタは、公一を背負っている間、シローに預けていた自分のサブマシンガンを受け取った。
「医薬品が優先だ。次に水と食料だ」
「了解だが、まともな物が残っているのかねえ」
「そうじゃないと困る」
ニヤリをしてみせるシロー。それに対して肩を竦めるリュウタ。
「じゃあ、行って…」
「そう慌てなくてもいい」
リュウタを止めると、シローは居住まいを悪そうにしている少女に振り返った。
「で? お前さんは何者だ? 記録じゃ、あの隔壁は一〇〇年以上も閉まったままだったはずだ」
「…」
真っすぐとした視線に、彼女も真っすぐな視線を返した。
「おっと、こりゃ失礼」
シローは首を竦めると、身長差から彼女を見上げながら名乗りを上げた。
「俺は、表に停めたゴリアテの指揮官をしているシローっていうもんだ。見ての通りドワーフだ。お前さんは?」
「…」
彼女は何か言いたげにジュンを見た。
「シローも聞いた事ぐらいあるよね」
視線の意を汲んだのか、脇からジュンが口を挟んだ。
「『魔弾の射手』のドラゴン『ルーク』」
「『ルーク』?」
シローの眉が顰められた。脳の記憶野から必要な情報を浮かび上がらせる。
「ああ、あれだ。『守るために戦ったドラゴン』ってやつだ」
「彼女がその『ルーク』よ」
「へ~」
シローとリュウタの目が丸くなった。
「ドラゴン『ルーク』は最終戦争で死亡したと思われてきましたが…」
ヒカルが探るようにしながら喋り始めた。おそらく情報を検索しながら話しているのであろう。
「こんなところに身を隠していたのですね。外見の特徴はジュンがおっしゃる通り、ドラゴン『ルーク』に九○パーセント以上合致するようです」
「『魔弾の射手』さまが、こんなところで何してたんだ?」
シローの疑問に、『ルーク』は鎖を巻いた左腕で脇腹の傷をさする動作をしてみせた。
「ドラゴン『ルーク』は『栄光の勝者』のドラゴン『キング』と激しく戦いました。それは地上だけでなく海中、空中、地中、宇宙空間にまで及びました。結果としてその破壊の余波で地上はここまで荒廃したのです」
まるで寝物語を語るように喋るヒカルの言葉に、片眉を額の方へ上げたシローが面白くなさそうに言った。
「つまり、その『キング』とやらにやられた傷を癒してたわけか」
「…」
彼女は小さく顎を引き是の意思表示をした。
「それを俺たちが掘り当てちまったわけか。ちぇ、もうちょっといい物を引き当てたかったなあ」
ボリボリと後ろ頭を掻くシロー。
「ん? おかしいぞ」
シローの手が中途半端なところで止まった。
「『魔弾の射手』なら、あの超有名な武器はどうしたんだ? ええと『借金のメザシ』とか何とかいう大砲は?」
こんな終わってしまった後の世界である。願えばなんでも叶った未来都市の話しよりも、子供に語って聞かせるにはドラゴンの話しは最適だった。特に自分たちを守って戦ってくれた『ルーク』を贔屓するような話しをシローは大人たちから聞かされて育ったのだ。その中に、彼女が使用した「何をも貫く大砲」の話しも混じっていた。
「シロー、それを言うなら『灼熱のメギド』です」
ヒカルが訂正した。
「ドラゴンたちはそれぞれ一つずつ『芸術品』と呼ばれる武器を所持していました。『魔眼持ち』のドラゴン『ビショップ』ならば『輪廻るギヤ』、『栄光の勝者』のドラゴン『キング』ならば『魂魄のハーベスター』などです」
ヒカルが例えを上げている間に、『ルーク』は悔しそうに唇の端を噛んでみせた。
「あ~、あれだ」
ちょっと下を向いた『ルーク』の顔を覗きこみながら、からかうような声でジュンが指摘した。
「無くしちゃったか、壊されちゃったか、どっちかだ」
事実を事実と指摘されてムッとしたのか、『ルーク』の紺色をした瞳がジュンに向いた。
「おっと」
ヒラリと軽いバックステップで距離を取ったジュンは、両肩にかけていたライフルの内、公一が地下で放り出した刃八九式ライフルを捨て、愛用の壊れたウィンチェスターライフルをクルリと回して構えた。
青色の双眸が挑発的に輝き、それに対称的に銃剣がほのかに赤い光を放っていた。
「こんなトコでやろうって言うの?」
「…」
挑発的なジュンの態度に『ルーク』は困った顔をしてみせた。ゆっくりと頭を振ると、再びシローを見た。
「まあまあ、こちらとしてはやりあうつもりはねえ。大体世界を滅ぼすほどの力を持ってるドラゴンさまに敵いっこねえや。それに親父たちを守ってくれたから、いま俺たちがこうして生きているわけだしな」
肩を竦めたシローは、ちょっとおどけた様に言った。
「で? お前さんはこれからどうするんだ? 俺たちと一緒に来るか?」
シローの誘いに、顎へ左手を当てて考える顔になった。
「オレたちは別にいいぜ。戦力が多い程、安心して眠れるってもんだ」
リュウタが明るい声で口を挟んだ。その彼を見て、ちょっと訝し気な顔をしてみせた。
「おう、そういえば、俺たち最後の大隊の紹介がまだだったな。ヒメ!」
出入り口で警戒に当たっているはずのヒメを大声で呼びつけると、その場にはゴリアテから出たがらないシンゴ以外のメンツが揃った。
「まずゴリアテで射手をしているブリガのヒメだ。ヒメ。こちら『魔弾の射手』のドラゴン『ルーク』だそうだ」
「『ルーク』…」
ヒメは黒眼しかない目を丸くして見せた。彼女だって世界が終わった後に生きる者だから『ルーク』の名前ぐらいは知っていた。
「ヨロシク」
「…」
彼女の探るような挨拶に『ルーク』は顎をちょっと引いただけで答えた。
「次は運転手のシンゴなんだが、極度の外出恐怖症なんで、まあ許してやってくれ。後で挨拶させる。俺と同じドワーフだ。いまは表のゴリアテの中で当直についている」
「…」
了承したと言うように、彼女はまた小さく頷いた。
「次はヒカルだ」
シローに呼ばれてヒカルが一礼した。
「?」
「ハッティフナットに名前をつけてるなんて、お前さんも変に思うのか。でも彼女だって俺たちの仲間だぜ」
「端末番号八一九〇・九七三五・一四一四・三八七八となります」
「…」
ヒカルにも頷くようにして挨拶を返した。
「その次は装填手のリュウタだ。ウチのコックも兼ねてる」
「よろしく。料理はドワーフ風になっちまうが、アンタは食べれない物とかあるのか?」
「…」
彼女はゆっくりと首を横に振った。
「ならオレたちと同じモンで大丈夫だな」
反応が薄い本人ではなく、ドラゴンの事だって全て知っていそうなヒカルにリュウタは訊ねた。
「ドラゴンの食事は、基本的にヒトと同じです。ただ今回の件で分かるように、一〇〇年を超える時間、飲食をしなくても特に問題は発生しません。なにせ彼女たちは完全生物ですから」
「完全生物?」
聞き慣れない単語にシローが眉を顰めた。
「単体で宇宙空間に放り出されても死ぬことはありません。考えうるあらゆる障害、宇宙線や太陽風のような一般生物に有害な放射線も平気ですし、飢えや渇きにも耐えます。もちろん太陽表面のような灼熱も、理論上だけ存在する絶対零度にも対応できます」
「じゃあ、この嬢ちゃんは殺しても死なないってことか?」
「極端な事を言えばその通りです。彼女たちドラゴンを殺すには、彼女たちが持つアーティファクトか、それに準じる武器で無いと不可能です。おそらくゴリアテの主砲が命中しても、我々が蚊に刺された程度にも感じないはずです」
「は~」
感心した溜息をシローが漏らした。
「世界が終わっちまうわけだ」
「…」
何か言いたそうだった『ルーク』だったが、結局言葉は発せず、シローを身長差から見おろした。
「まあいい、まあいい。次に行こう。彼女は偵察員をしてくれているエルフのジュンだ」
「本当に『ルーク』と一緒に行動するの?」
いまだウィンチェスターライフルを構えたジュンが、チラリと一瞬だけシローに視線をやって訊いた。
「本人が嫌じゃなければな」
シローは確認するように彼女を見た。その彼女というと、とても不思議そうな顔をしていた。
「?」
「『魔弾の射手』のドラゴン『ルーク』」
ヒカルが改まった声を出した。
「彼女はエルフのジュンです。エルフというのはヒトの改良種です。その改良によって不老長寿の種族となっています。お判りいただけたでしょうか?」
ヒカルにそう告げられると『ルーク』は部屋の中を見回してから頷いた。
「いいかな?」
彼女が納得したと確認したシローは、親指で背後のベッドを指差した。
「あと、ここでぶっ倒れているのが、最後のヒトであるナカムラさんだ」
シローの発した「最後」という単語に『ルーク』は目を見開いた。
脱力して寝ている公一を観察してから、いかにも質問があるようにシローを振り返ったので、彼は繰り返した。
「そいつが最後のヒトだ。他には誰も残っちゃいない」
シローの言葉が届いた途端に、彼女はとても悲しい顔をした。
一瞬だけ泣き出すのではと思えるほど顔を崩したが、なんとか留まってシローを見つめた。
「最終戦争で世界がこんなになっちまって、それでもヒトやドワーフは生きてきたんだ。でも、こんな世界じゃ食べるものどころか飲む水だってろくに手に入らねえ。この前は一人倒れ、今日は二人倒れた。明日は何人だろうって、段々と数を減らしちまった。で、ついに世界には俺たちだけになっちまった」
彼女はガックリと肩を落とした。
反逆を起こしたドラゴンたちから世界を守るために、一人で戦った彼女である。戦った結果がコレであると知らされては、目の前が暗くなるのも当然であろう。
「ま、ナカムラさんはちょいと別口だがよ」
「?」
「なんでも二一世紀からやってきたらしい。ほら『魔眼持ち』のドラゴン。あいつのせいらしいぞ」
シローに説明されて『ルーク』はまじまじと公一の顔を見た。
どんな幸せな夢を見ているのだろうか、彼は少し微笑んでいた。
「で、大事な質問がある」
シローは声色を変えた。
「ドラゴンのお前さんなら知ってるだろう事だ」
「…」
シローが雰囲気を変えたことにより『ルーク』も身構えた。
「プラントはどこだ?」
「…」
プラントと聞いてすぐに思い当たる場所があったのか無かったのか、彼女は興味深そうにジュンとヒカルを見比べた。
「ちなみにエルフであるジュンは知らないそうだ。生まれた場所はおそらくソコだろうが、小さい頃にホイクエンとやらに移されて、どこから来たのか分からなくなっちまったんだと」
シローの補足に納得したのか『ルーク』は一つ頷き、そして目を伏せて首を横に振った。
「そりゃどういう意味だ?」
彼女の意思表示の意味するところが分からなくて、シローが分厚い眉毛を寄せた。
「知らないってことか? それとも、もう無いってことか?」
「…」
紺色の瞳を『ルーク』はシローに黙って向けた。
チリチリと神経が逆立つような緊張感。それを待っていたかのように、一斉に通信機が呼び出し音を鳴らし始めた。
「どうしたっ!」
シローが反射的に自分のヘッドセットを押さえて訊き返した。この場にほとんど顔ぶれが揃っている状況で、唯一ゴリアテに残っているのはシンゴだけである。呼び出しを鳴らしたとすれば彼しかいなかった。
「空がっ!」
「は?」
シローに応答したシンゴの言葉は、信じられない物だった。
「空が裂けてく!」
「シロー!」
出入り口に立つヒメが悲鳴のような声を上げた。
一瞬だけリュウタと顔を見合わせたシローは、サブマシンガンを手に外へと駆け出した。
「なんだあ」
相変わらずの薄曇りの空に、定規で引いたように青い線が一本描かれていた。その青い線から空は、まるで幕が開いて行くように、左右へと雲が動き始めていた。
公一はグッスリと寝ていた。
その彼に声をかける者が居た。
「中村公一さん…。起きなさい、中村公一さん…」
「!」
目を開いて上体を起こすと、そこに白い羽根の生えた少女が浮いていた。
「…だれ?」
薄い紫色をした長い髪を赤いリボンで纏め、金色の瞳をした少女は、公一の知らない学校の制服らしき姿だった。上は白い長袖カーディガン、下は赤いチェックのプリーツスカート、カーディガンから覗くブラウスの胸元には青いリボンタイが結ばれていた。
そして(思春期の公一にとって重要な事に)巨乳であった。
白い羽を羽ばたかせると正面へと下りて来た。
「天使?」
背中の白い羽を見ただけでも、当たり前の感想だった。さらに付け加えるなら、まるで聖母のような慈愛に満ちた微笑み、そして髪の左右につけたアクセサリーは銀色の十字架であった。頭の上に輝く輪と合わせて公一がそう感じたのも自然であろう。
「わたしは天使じゃないわ。あなたの銃、二一八九式標準型小銃の精です」
変な事を言いだした。
「はああ?」
半ばパニックになった公一は、慌てて周囲を見回した。
荒野でも施設でもない、どこかの学校の屋上だった。手すりに、安い防火タイル。たくさんある空調機の室外機の向こうには、見たことも無い校舎が群れているように並んでいた。
「ここは?」
「ここはこの私、二一八九式標準型小銃の精の空間。『マーボー空間』」
もっといいネーミングがあるのではないかと目が点になる公一。
「あなたはもうここから出られないの。ここで一生、不思議な作品に出続けないといけないのよ」
「はあ?」
相手の言っている事が分からずに、さらに公一の目が丸くなった。
「あなたはこれから私と一緒に、心臓の無い少年と麻婆豆腐の歌を歌ったり、声が久野美咲な八歳の幼女を監禁したり、先輩や後輩と一緒に全身に酸素や栄養素を運んで映画化されたりするの」
その途端、バーンという音がした。
呆然としていると、突然彼女の額に穴が開き、そのまま血飛沫を上げて倒れた。
彼女が狙撃されたのだ。
「!!」
バタリと倒れた彼女を見て、腰が抜けそうになった。銃声は背後からした気がしたので振り返ると、そこに同じ年頃をした少年少女の集団がいた。
「そいつはニセ者よ。危ないところだったわね」
唯一拳銃を構えているセーラー服を着て白いベレー帽を被った少女が言った。
集団の服装はバラバラで、ある者は学ランを身に着け、ある者はブレザーを着ていた。だが統制は取れているようで、全員がベレー帽の少女の後ろで何らかの武器を構えていた。
その中に、銀色の髪に金色の瞳をした少女がいた。
金色をした瞳の少女が前に出ると公一に話しかけてきた。
「そろそろ目覚めなさい。ジュンやシローが待っているわ」
まるで中学生にみえるぐらいの小柄な少女に言われ微笑まれた。その手の甲には禍々しい牙のような物が生えた手甲が嵌められていた。
「…」
三秒だけ考えた公一は、あさっての方向を指差した。
「あ、あんなところでガルデモがライブを」
「どこ? 止めに行かなきゃ」
「こっちにはケースを持ったZが」
「強い男の遺伝子が必要なの」
「そっちにはジューシーから揚げナンバーワンが!」
「トゥットゥルー♪」
「…」
「…」
「起きろ! コーイチ」
耳元に響いた大声に、公一は目を開いた。
見た事の無い天井を背景に、彼を覗き込んでいる美少女が一人。
「じゅん?」
「ボーッとしてないで! はやく!」
ジュンから焦った声が出ても、まだ半分寝ぼけている公一は、上体を起こしてのんびりと室内を見回した。
何もかも剥ぎ取られてマットレスだけのベッドが二台あるだけの、粗末な部屋であった。窓から差し込む陽光が眩しい程だ。
カーテンもない窓から青空が見えた。
(あ~、今日もいい天気だなあ)
「はやく!」
まだボーッとしている公一へ、ジュンは持っていた八九式ライフルを放り投げた。目の前から飛んで来る鉄の塊が、自分へ顔面に衝突する前に、どうにか手を伸ばしてキャッチすることに成功した。
「どうした?」
「攻撃だ!」
ジュンがそう言った途端に、まるで地震のように建物が揺れた。パラパラと公一の上に建材の欠片が降って来た。
「うひい」
中途半端に寝たせいか、少し思考が巡っていなかった公一であるが、振動を感じて一瞬で覚醒した。慌てて八九式ライフルをちゃんと構えて持った公一は、ベッドから飛び降りた。
「あ、痛っ」
「なに? 怪我した?」
「なんでか足首痛いんだけど」
まるで捻挫した時のような痛みが足首に走った。だが公一にはそこを怪我した心当たりは無かった。チラリと彼の足元を見たジュンの答えは簡単だった。
「構うな」
「おれの体なんだが…」
「急いで」
ジュンが中腰で走り出した。慌てて公一もその背中を追った。
「攻撃って? 相手は誰だ?」
「とりあえず外に!」
ジュンは隣の部屋も駆け抜け、公一も続いた。周囲を確認して、自分がこの施設に来た時に、最初に探索した警備員詰所で寝かされていた事を知った。
「まだ出るな」
出入り口にいたヒメが腕を伸ばして通せん坊をした。そこで急ブレーキをかけた二人は、彼女と同じように、そこへしゃがみ込んで身を潜めた。
再び爆発が連続し、外は炎に包まれた。
公一は咄嗟に上から覆いかぶさって、炎から浴びせられる熱波から二人を守った。
「重い」
「どけ」
熱い風はすぐに吹き抜け、火傷などの被害は無かったが、下から二人に不満を告げられてしまった。まあ二人より体格はいいし、さらにボディアーマーは着たままだし、ついでに八九式ライフルまで持っているのだ。重いというのはウソではないだろう。公一は二人の上からどいて、一歩前でしゃがみ直した。
ずぶの素人だがボディアーマーを身に着けている以上、二人の盾となるべきと思ったからだ。
「なんだってんだ?」
不思議とあまり煙は上がらない。そのおかげで公一にも状況が把握できるようになってきた。
施設の敷地中央を縦断していた構内道路には、いくつもの穴が開いていた。向かいにあった緑地帯の枯れ木には火が点いており、パチパチという音を立てて燃え落ちるところだった。
事務棟の反対側に建つ蒸留精製建屋の上半分は崩れ落ちて、周囲に瓦礫が積みあがっていた。その中に埋もれるようにしてゴリアテが停車していた。
「くそくそくそくそ」
砲塔の上では、まるで呪詛のように唸りながらドワーフの誰かが、備えられた機関銃に取りついているところだった。
離れているので顔まで確認できないが、頭に着けている物がヘッドギアなので、シンゴであると見当がついた。
二回コッキングレバーを引いて、筒先を空へと向ける。ということは攻撃してきた者は上に居るのだということが分かって、公一も空を見上げた。
一面の快晴であった。そこを行き来する黒い点のような物があった。
「ばかやろう!」
ゴリアテの方向から罵声が聞こえたので視線を戻すと、足掛けを使って車体の上に登ったシローが、シンゴを怒鳴り散らすところだった。リュウタもその尻を追いかけるようにして前面装甲の上へと這いあがった。
「空からじゃ車両はいい目標だ! 逃げるんだ!」
「くそくそ!」
シローの言っている意味が分からないのか、シンゴが空へ向けて機関銃を放った。何発かごとに一発含まれている曳光弾がオレンジ色の軌跡を青い空に残した。銃を使っての戦闘にいまいちピントが来ていない公一から見れば、威勢のいい花火のような光景であった。
しかし威勢のいい花火はすぐに止んだ。首根っこをシローに掴まれたシンゴが砲塔から引きずり出され、さらにバタつかせる足をリュウタが絡げ取ったのだ。
「ばっきゃろ~」
せめて口で反撃とばかり大声を上げていたが、そのままゴリアテの影へと連れ込まれた。
「もしも~し」
と、シンゴが上げた罵声に返事をするように声が降って来た。聞いた事の無い声である。トーンから考えて大人の声ではなかった。男でも無さそうだ、間違いなく女の声だ。
「居るんでしょ? 偉大な『キング』に逆らった愚か者『ルーク』」
上空の黒い点が円を描くように動いたかと思うと、そのあたりからピンク色をした光の球が降って来た。
それが建物や地面、アスファルトに命中すると、ドカドカと大爆発を起こした。爆風でしゃがんでいる公一の体が後ろへ飛ばされそうになった。
背中にジュンがぶつからなかったら、無様に転がっていたかもしれない。
「『シルバー』ちゃんが会いに来ましたよ~、顔を出して下さいな~」
黒い点は、今度は八の字を描くように動いた。
「汁婆ちゃんって、誰だよ…」
つい呟いた公一に、ジュンが教えてくれた。
「『空飛ぶ魔女』のドラゴン『シルバー』。あいつは探知系に優れているから、地上に出た『ルーク』の気配を察してやって来たのかも」
「おれたちじゃなく?」
「うん。だって、ボクたちは弱いから怖くないけど、『ルーク』なら…」
「居るんでしょ~?」
またピンク色の光球が降って来た。
連続する爆発に思わず顔面を庇った。
次の瞬間、背後の警備員詰所のド真ん中に光球が命中し、建物に嵌っていた全てのガラスが、空気を入れすぎて割れた風船のように、はじけ飛んだ。
「うわあ」
前からの爆風に耐えるために重心を移動させていたせいで、公一の体はコロコロと前へ、つまりアスファルトの方へと転がった。
頭を抱えるようにして庇った公一は、周囲の静寂に顔を上げた。
ボディアーマーにガラスや建材の破片が刺さっていた。襟が高くなければ首回りにそれらの鋭利な断面が当たり、頸動脈に深手を負っていたかもしれない。手に持っていたはずの八九式ライフルはどこかに行っていた。
「コーイチ!」
声をかけられて振り返ると、警備員詰所だった残骸の前で、ジュンとヒメが折り重なっていた。
どうやら爆発の瞬間、ヒメがジュンを庇ったようだ。上に乗ったヒメの体はダランとしていて、少なくとも気絶しているように見えた。
「コーイチ! 逃げて!」
「へ?」
ヒメの下から飛ばされたジュンの叫び声に、公一はキョトンとしてしまった。
その彼の視界へ、足から黒い服を着た少女が入って来た。
なんと少女は空から、地球の重力を無視しているように、ありえないゆっくりとした速度で、公一の目の前へ降りてきたのだ。
まず確認できたのは、膝までを覆う編み上げの黒いブーツだ。右の足首には、まるで冗談のように、大昔の囚人が着けていたような鉄球に繋がれた足枷が嵌っていた。
どのような力が働いているか分からないが、その鉄球すら、まるで風船のようにフワフワと浮いていた。
ブーツの次に目に飛び込んできたのは白い肌が眩しい太腿であった。魅惑の曲線はレースを縁にふんだんにあしらった黒いAラインのワンピースに隠された。腰のところで白いボディスを締めているので、女性らしいシルエットがはっきりと分かった。
胸元に小さなピンク色をしたリボンが結ばれていた。
半袖から覗く腕は、すぐに黒い長手袋で覆われていた。
一輪挿しの花瓶のような細い首の上に乗った顔は、溜息が出るかのような美しさだった。
また不敵に微笑んだその表情がとてもよく似合っていた。
ただ年の頃はそう行っているとは思えなかった。公一と同じか、ちょっと下のような年齢に見えた。
長い黒髪が周囲の破壊跡でくすぶる炎の残骸からの気流を受けて、まるで意志のある生き物、ヘビやウナギのように束ごとに蠢いていた。
表情を半分隠すかのように、大きな鍔をした黒い三角帽子を被っており、左手に握った曲がった柄をしたホウキと合わせて「魔女」という印象がまず浮かぶ服装であった。
少女は最後まで重力が無かったように、つま先からゆっくりと着地した。構内道路に爆発でできた凸凹で、右足に嵌めた鉄球と繋がった足枷がチャリンと鳴った。
そして(これは公一にとって重要な項目なのだが)意外と胸はある方だった。
「ふうん。『ルーク』の仲間かな?」
少女はピンク色をした瞳で公一を見た。声は間違いなく上空から響いていた物と同じだった。
「ナカムラさん!」
どこかに隠れていたらしいヒカルが飛び出して来た。首から提げていたサブマシンガンを手に取ると、上から降りてきた少女へと銃口を向けた。
「逃げて!」
遠慮なくヒカルがトリガーを引いた。公一が想像したよりも早いサイクルで銃弾が吐き出され、少女を襲った。
しかし彼女は特に避けるそぶりもしなかった。夕涼みの風がスカートを孕ませた程度の態度で、ヒカルからの銃撃を全身に浴びた。
ヒカルの攻撃が、まるで玩具だったかのように涼しい顔をしていた。血を流して倒れるどころか、衣装に埃すらつかなかった。
確かに彼女の体や服にぶつかった二、三の弾丸が、弾けて公一のほうへと飛んできたが、すでに威力は失われ、風の強い日に吹き付ける砂ぼこり程度の感触しか無かった。
「なあに? いくら虫でも噛むんだったら潰すわよ」
彼女は右の人差し指を立てた。細い指先にピンク色をした光の球が現れる。先ほど空から降って来た物と同じだった。
ヒュンと周囲の空気に穴を開けるような音がして、人差し指の先から光球が飛んだ。緩い曲線を描いて飛んだ光球は、狙い違わずヒカルの頭部へと命中し、そこを爆砕した。
頭部を失った彼女は、あっけなくバッタリと背中側へと倒れた。
「いっ! ひ!」
ヒカルの名前を呼んだつもりだった公一は、彼女の最期を見ると、まるでバッタのように撥ねてから走りだした。
目指すはジュンが開いた正門ゲート。さらにその先に広がる荒野にアテがあるわけではない。ただ「魔女」から逃げようと反対側へ走り出しただけだ。
「おやおや。足の速いことで」
背後から彼女の声がした。胸に走った悪い予感に、公一は咄嗟に横へとジャンプした。
痛む足首のせいで、ほとんど横へ倒れただけだったが、今さっき自分が占めていた空間を、ピンク色をした光球が通り過ぎ、ゲートに当たると爆発を起こした。
「うひゃあ」
前から襲って来た爆風に、また頭を抱えて地面を転がって耐えた。その回転が何かにぶつかって止まった。
恐る恐る見上げると、薄笑いを浮かべたままの『シルバー』がそこにいた。そして、その表情がハッと何かに気が付いたかのように変わった。
「きゃ」
女の子らしい悲鳴を上げてワンピースの裾を押さえると、公一の腹を蹴り飛ばした。
「ぐふ」
体の中からパンという音が聞こえた気がした。しばらく全身を浮遊感が包み込み、それから背中に衝撃を受けた。
「おげえ」
こみ上げてきた胃液を土の上にぶちまけた。血が混じっていないところをみると、内臓が損傷したわけではなさそうだ。
視界のはじに炭化した立ち木がある。おそらくアレにぶつかって止まったのだろう。痛みに霞む目で周りを確認すると、公一は緑地帯まで蹴り飛ばされたようだ。
「まったく。女の子のスカートを覗くなんてっ!」
怒り顔になった『シルバー』は、それでもまだ美しかった。
ちなみに余計な事ではあるが参考までに「白」であったことを明記しておく。
彼女は再び右手の人差し指を立てると、瞳の色と同じ光球を灯した。
「お、おがあさん…」
公一の頭が悪くったって、この先に起きる事は容易に想像がついた。ヒカルと同じように殺されるのだ。
痛む腹を押さえて公一は立ち上がった。
(もしかしたら…)
家のダイニングで微笑む母親を思い浮かべながら公一はガクガク震える足を突っ張った。
(もう一度「死ぬ」ことで戻れるかもしれない)
二一世紀に居た頃に、そんなライトノベルを読んだような気がした。
「コーイチ!」
彼女の向こう側で、まだヒメの体を持て余しているジュンが叫び声を上げた。
「念入りに灼きつくしてあげる」
それだけ怒り心頭ということなのだろうか『シルバー』の人差し指の先に灯った光球が、そこからフワッと浮き上がった。
彼女の周りを衛星のように周回すると、段々と巨大化し、さらに分裂までした。
一つだけでも公一の半身ほどある。それが全部で八つ。絶体絶命であった。
「消し炭すら残してやらない」
公一の視界がピンク色の光に埋め尽くされた。
連続した爆発が八回。一つ一つの威力から考えても、ゴリアテすら形を保っていられない程の爆発だ。
眩しい爆発光が収まった後に、その場所に立つ人影があった。
相手を確認した『シルバー』は息を呑んだ。
その時、一万キロも離れた場所では。
やはりここも石だらけの荒野であった。荒野の中にはポツンと残された物があった。
遠くから見たら徳利のような形をしているが人工物ではない。高さはビルほどもあるが、生物である。
上の方にだけ葉が茂り、テーブル状になる頂部に、あるかないか分からない木陰を提供していた。
最終戦争前にはバオバブと呼ばれた植物である。
石だらけの荒野で、その一本だけ故意に行ったかのように、残されていた。
「♪~」
幹の頂部になるテーブル部分へ横になる人影があった。
こんな登るのにも苦労しそうな場所だというのに、黒い衣装を身に着けた華奢な体格をした女性である。
まるで葬られた者のような真っ黒な色をしてフレアをたっぷり使ったドレスを身に着け、ミニスカート風の裾からのびる足を、これまた黒い七分丈レギンスで覆っていた。履物は黒いガラスの靴だ。
レギンスの左腿には、まるでキャットガーターのように鎖を一周巻き付けており、あまった二つほどのリンクが風に揺れていた。
黒いバードケージベールを着けているため、顔の半分はよく確認できないが、少なくとも顎のラインは整っており、そこへさらに黒い色を基調とした化粧まで施していた。
もともと白い肌に立体感を出すための暗褐色のチークシャドー、口紅の色も黒。ラッパになった長袖から覗く手指の爪も黒いマニュキュアが塗られている。
黒く塗られた形の良い唇に、一枚の葉っぱを咥え、小さく「ロンドン橋落ちた」を口ずさんでいた。
と、周囲の落ち葉を払いのけながら、彼女は上体を起こした。
ベールの上からも分かるほど赤く光る瞳を開き、遠く東を眺めた。
同時刻、さらに一万キロ離れた地球の夜の面。
空には雲があるため、月の光も星の光も届かない。それでも明るさを感じるのは、どこを見回しても氷の大地であるからだ。
氷の上に薄く積もった雪に、一対の足跡が続いていた。
足跡を目で追ってみると、小柄な影が冷たい風に吹かれながら足を運んでいることが分かった。
一人の女の子だ。
年の頃は小学生高学年といった程度。こんな人跡未踏の地に不似合いな登場人物である。
着ている物は背中に白い流星マークの入ったコートであった。寒さを避けるためかフードを被り、そのせいで顔の表情は見えなかった。
足元はこんな氷原を往くには不便であろうショートブーツ。コートの裾から見える衣装は白いベルトを巻いたホットパンツであるから、足元の氷雪と同じようにどこまでも白く見える肌を晒している脚の全部が、切り裂くような寒風にさらされていた。
お尻の所から、ちょっとだけ垂らした鎖が尻尾のように見え隠れしていた。
そして一番の特徴は、小柄な体格に不釣り合いなほど巨大な騎士槍台を背負っていることだった。
コートの上から幅広のベルトで背負っているランスレストは空っぽではなかった。本来の使い方のままに、見事な三角錐の形をした騎士槍が備えられていた。
大の男でも持ち上げるのには躊躇するような鋼鉄の武器である。そんな物を苦行のように背負っており、あまりにも巨大なため足の動きさえ阻害して、歩行すら難しいと思われた。
氷雪に富んだ土地。どこまでも切れ目のない雲。寒さに耐えることに合わない服装に加え、腰に吊るした重量兵器。しかしそんな悪条件を一切感じていないかのように、彼女の歩みは止まることを知らなかった。
と、一陣の風が吹いた後、少女は顔を上げた。
フードを捲り、進行方向である東を見る。
黒い髪は強い風にさっと撫でられた。
顔にかかった前髪の間から、彼女のオレンジ色をした眼差しが覗いた。
さらに一万キロ離れた地点。
石だらけの目印が全くない荒野だが、昔は人間たちから到達不能極と呼ばれた場所。
ここにアルミやチタンで作られた筒のような残骸が、まるで蛇のように長くのびていた。
あちこち折れ曲がり外装が破け構造材などが露出している箇所もあって見る影も無いが、かつては軌道上を周回していた宇宙ステーションのなれの果てだ。
室内には、軌道上で働いていた時には意味があっただろう大小の色とりどりをしたランプなどは、もう点灯する事はない。
屑鉄となった宇宙ステーション自身が、自らが軌道で活躍した栄光の日々を思い返し、その夢に出てきた星の海が具現化したようでもある。
ランプがたくさんある円筒形の居室に一脚のソファが置かれていた。無重力空間では必要のない家具なので、後から誰かが持ち込んだことは確実である。
そこに一人の少女が寛いでいた。
年の頃は、まだ小学生といった程度であるが、顔の容姿はもうすっかり整っており、さらに五年後十年後の成長が楽しみになるような面差しである。
寝ているのだろうか、瞼は閉じられ、あどけない唇が薄く開かれていた。
豊かな蜂蜜色の髪が肩を越して、肩甲骨ぐらいまでの背中に伸びていた。
着ている物も年相応に黒いワンピース風の服装の上に、白いエプロンを纏っているように見えた。が、そのワンピースは布ではなく全て細かい鎖でできていた。
肩の所が膨らんだデザインとなっており、長い袖はそのまま下腕を守る手甲と繋がっていた。
ハイサイブーツ風の脚甲で脚を守り、傍らには黒い円盾に剣まである。
何よりも特徴的なのは頭に被ったティアラだ。全て刃先を上にしたナイフを連ねたような黒い冠なのだ。
「ヒヒーン」
遠くで馬の嘶きがした。
すると着ている物に金属同士が擦れあう音をさせて、少女が身じろぎをした。
背後、つまり西の方向を振り返ると、瞼を開き黄色い眼光を光らせた。
光の溢れるどこか。
真っ白な光が満ちている中で、真っ白な肌をした少女が瞳を開いた。
真っ白な髪の間から覗くその瞳は紫色をしていた。
八回の爆風を、台風襲来時の強風程度に感じた公一は、自分でも知らず知らずのうちに瞑っていた瞼を開いた。
(生きてる?)
彼の前で黒いコートがはためいていた。
「ジュン?」
背中に大きく書かれた白い流星マークを確認した公一は、心当たりのある名前を呼んだ。
爆風の名残の中で、右側だけちぎれたツインテールという髪を靡かせた少女が、半分だけ振り返った。
「るーくん?」
名前を呼んでから、公一はその見慣れない少女の事を思い出した。
(地下に閉じこもっていた女の子だ。会った途端に煙から逃げなきゃいけなくなって、さらに奥へ逃げて…。あれ? その後どうしたっけ?)
ジュンか彼女を抱きしめたような記憶があるがよく覚えていなかった。
背後に庇った公一の無事を確認した彼女は、ゆっくりと『シルバー』に向き直った。
「やっぱりヒトを庇うんだ…」
ポツリと呟いた『シルバー』は、口を三角形に開いて笑い声を上げ始めた。ただ目は見開いたままで表情は無いし、声だってわざとらしいので、聞かされる者にとって狂気を感じさせる笑いであった。
「やっぱりいた『ルーク』。みんな捜していたんだよ。あんたがあの程度じゃ死なないって思ってたもの」
挑発的な声をかけられても『ルーク』は、ゆっくりと右手の刀剣を構えた。
「でもお、もう逃げきれないぞ。あたしが見ちゃったから、今ごろは他のみーんなにも伝わっているはずだもの」
「…」
からかうような声に対し『ルーク』は足元の砂にジリッと音をさせた。
「あれえ? 自慢の大砲はどうしちゃったのぉ? あ、そうだった。あの時あたしが壊しちゃったんだっけ、ボカーンと」
右手を上に向けて『シルバー』は指を開いて爆発を表現した。
「で、代わりにそんな醜い物を手に入れたわけだ、ふうん」
ちょっと前傾し、相手の得物を観察するように目を細めた。
「それ、もしかして…、あんたの肋骨? 悪趣味ねぇ」
彼女に握られている黒い刀身から、いつの間にか青黒い光が漏れ出すようになっていた。
「大砲が無いあんたなんて『キング』にかかれば、あっという間よ。それとも…」
ニヤリと美しい面差しに似合わない歪んだ笑みを浮かべた『シルバー』は、その表情のまま前に乗り出した。
「このあたしでも倒せるかな? 百ン十年前は、あんたに傷一つつけられなかったあたしだけど、これでも色んな物を相手に『練習』してたんだよね」
「…」
彼女の挑発に乗らず『ルーク』は右手の刀剣を持って自然体で立っているだけだった。
「なんか言ったら? 前はあんなにお喋りだったじゃない」
「…」
それでも『ルーク』は沈黙したままだった。
「わかったわ」
何度もうなずいて姿勢を戻した。
「あたしとは言葉を交わす価値も無いって? ホント腹立つ!」
再び『シルバー』は光球を呼び出した。それを見て『ルーク』は腰を落として、戦闘態勢を取った。
「コーイチ…」
横から声をかけられた気がして、公一はそちらの方を振り返った。警備員詰所だった残骸の間から、ジュンが顔を出して手招きをしていた。
一緒にいたヒメは、目を閉じてダランとして彼女に抱えられていた。
「…」
チラリと公一を見た『ルーク』の瞳が、アッチへ避難していろと言った気がして、公一はおっかなびっくりジュンの許へ走り寄った。
どうやらいつの間にか腰が抜けていたようで、ギクシャクとしたみっともないフォームだったが、なんとかジュンとヒメが身を隠す建材の名残の影へ走りこめた。
「いくよ」
どうやら『シルバー』の方も公一が移動するのを持っていてくれたようだ。いや、自身が呼び出した光球が、充分に大きくなるまでの時間稼ぎだったのかもしれない。
今度は公一の背丈ほどの直径をしたピンク色の光球が、やはり八つ、『ルーク』に襲い掛かった。
彼女はそれを刀剣ではなく、鎖を巻いた左腕を振るって迎撃した。
一発ごとに左腕の表面で大爆発が起きるが、どうやらダメージは受けていないらしい。八つの光球を受けきると、右手の刀剣を振りかぶって『シルバー』へと斬りかかった。
だが『シルバー』も黙って結果を待っているわけでは無かった。次の光球をすでに呼び出していた。こちらは時間が足りなかったのか、数はやはり八つだったが、大きさはバスケットボール程度だった。
新たな光球は直線ではなく、上下左右に軌道を曲げて『ルーク』に襲い掛かった。
アスファルト上で急ブレーキをかけた『ルーク』は、その場所でステップを踏むようにして、八つ全てを再び左腕の鎖で受け止めた。
どんな素材でできた鎖なのか、あれほどの爆発を何度も受けているが、一向に切れる気配すらなかった。『ルーク』が盾として使用するだけはある。
攻撃を受けきった『ルーク』は、前へと飛んで距離を縮め、満を持して右腕を上段から振り切った。
カツンという軽い音と共に、切っ先がアスファルトへと食い込んだ。
「どこ?」
彼女の姿を見失った公一が、隠れている警備員詰所の残骸から『シルバー』の姿を探して首を左右に振った。
「上よ」
ヒメを抱えたままのジュンが、空を指差した。
公一が上空を振り仰ぐと、ホウキに左手だけでぶら下がった『シルバー』が四階建ての屋上付近まで飛び上がっていた。
ホウキはまるで見えない舞台装置に繋がれているかのように安定している。その体勢から『シルバー』は右手の人差し指を『ルーク』へと向けた。
「そおれ追加」
上からさらにピンク色の光球で爆撃を加える。ムキになったかのように『ルーク』はそれを左腕の鎖で受けた。
幾つかが流れ弾のように公一たちが身を隠すガレキの方へと降って来た。
「あぶない」
再び公一は二人の上に覆いかぶさった。あんな攻撃が直撃したら助からないが、光球が破裂した後に飛んで来る建材やアスファルトの破片からならば二人を守ることが出来るはずだ。
バラバラと背中にそういった物が当たる気配があった。
一つ一つは重い物で無いのでぶつかっても平気かもしれないが、たまに刃物のように尖った破片が混じっているから、公一が着たボディアーマーの防御力が十分に生かされた。
「重いってば」
それでもジュンが不満そうに声を上げた。ヒメも、まるで文句を言うように呻き声を上げた。公一はヒメの声で、彼女が死んでいるわけでは無いと気が付いた。
「ヒメは大丈夫なのか?」
「気を失ってるだけ」
上からどきながら訊ねると、ジュンが答えてから頬を膨らました。
「ボクの心配は?」
「…」
(めんどくさいな)
一瞬だけ表情に出かけたが、慌てて消して、公一はなるべく真面目な顔を作って訊ねた。
「ケガはしてないか? ジュン」
「あちこち擦り傷だらけだよ」
膨らんだままのジュンは、それでもヒメを抱きかかえたまま、プイッと明後日の方向を向いてしまった。
バンという破裂音のような音がして、二人は振り返った。
アスファルトには出来立ての窪みがあるだけで、彼女の姿はなかった。
(まさか…)
公一が嫌な予感に囚われている前で、ジュンが上空を振り仰いだ。
「え?」
彼女の視線を追って公一も上を見た。
どうやらその窪みは『ルーク』が空を飛ぶために踏み切った事でできた物らしい。一直線に『シルバー』へと空中を突進する彼女のコートが風ではためいていた。
だが『シルバー』のように自由に飛べるわけではなさそうだ。
だいたい『シルバー』と同じ高さまで上がったが、振るった刀剣は切っ先も届かず、あとは放物線を描いて重力のままに地上へと落ちて来た。
「あるれえ」
わざとらしく小首を傾げる『シルバー』。そのまま光球でなく言葉を降らせてきた。
「どうしちゃったの? 『ルーク』。まさか飛べなくなっちゃったなんてことは無いよね? それともアレ? 『ランス』に受けた最後の突撃。あれが一〇〇年経ってもいまだに効いているのかな?」
膝を曲げて着地のショックをやわらげた『ルーク』は、挑発的な『シルバー』の言葉にもまったく動じていなかった。
冷静なまま彼女を見上げ、それから傍らに建つ蒸留塔建屋の残骸へ視線を移すと、今度はそちらに向かって大ジャンプをした。
残骸の頂部に残った鉄骨を足場に、もう一回ジャンプを加えた。
ギュンと空気を突っ切る音を残して『ルーク』が『シルバー』に接近した。
「!?」
まさか飛べない相手がこの高さまで肉薄すると思っていなかったのか『シルバー』の反応が遅れた。慌てて高度を稼ごうとするが『ルーク』の方が早かった。
振り抜かれた刀剣が固い音を立てて弾かれた。
彼女が左手に握ったホウキの柄がビインと不快な振動音をさせていた。
公一には見る事が出来なかったが、どうやらとっさの判断で『ルーク』の斬撃を『シルバー』は、いつの間にか穂に赤い光を纏わりつかせたホウキの柄で受け止めたようだ。
再び重力のままに地上へと落下する『ルーク』。だが今度は高度があったので、しばらく空中で無防備な態勢となった。
「なにすんのよ!」
その背中に向けて『シルバー』が光球で追撃した。
体勢すらまともに変えられない中で『ルーク』は身を捩って左腕で『シルバー』の追撃を受け止めた。
爆発の反動すら利用して『ルーク』は再び地上へ降りたった。
まだ降って来る光球をその場で全て受け止めた。
「わたしのホウキがキズついたじゃない! 弁償よ! べ・ん・しょ・う!」
さらに高度を上げ、公一からは黒い点にしか見えなくなった『シルバー』が怒っているのか泣いているのか分からない声を降らせてきた。
その点を振り仰いで確認した『ルーク』は、周りを見回した。その紺色の目がゴリアテに止まった。
彼女はゴリアテに駆け寄ると、足掛けなど使わずに、一跳びで砲塔の上へと上がった。
「お? なんだ?」
ゴリアテと建屋の間に身を潜めていたリュウタが、地面から『ルーク』に声をかけた。
「オレたちに用か?」
「…」
しかし『ルーク』はまったく取り合わず、右手に持った刀剣を左手に持ち替え、空いた右手で砲塔上部に備えられた機関銃へ手をかけた。
「なにしやがる」
シローがサブマシンガンを『ルーク』へと向けたが、まったく無視されたままだった。
パキンと軽い音をさせて『ルーク』がゴリアテから機関銃を毟り取った。
「ああっ。壊しやんの」
リュウタが泣きそうな声を上げた。壊れたと言っても機関銃には異常は見られない。壊れたのはゴリアテ側の支柱と機関銃を接続する部分だ。
大の男でも両手に抱えるようにしないと構える事すら難しい機関銃を『ルーク』は軽々と持ち上げた。そのまままるで拳銃以下の重さの銃器にするように、右手一本で振り上げた。
運が良かったのか、それとも最初から狙っていたのか、捥ぎ取ったのは先程シンゴが射撃した装填手ハッチ側の機関銃であった。
初弾が薬室に送られていたので、トリガーを引くだけで射撃が可能だった。
ちょっとゴリアテを囲むガレキから離れた『ルーク』は、上空の『シルバー』に向けて機関銃を一連射した。
バラバラとアスファルトに散らばる薬莢。空へ向かう曳光弾だけが視認できた。
「いただだだだだだだだ」
上空の黒い点の挙動がおかしくなり、そして再び高度を下げてきた。
「なにすんのよ、痛いじゃない」
ビルの四階程度に降りてきた『シルバー』が自分の顔を半分だけ押さえ、ホウキを握ったままの手で『ルーク』を指差して文句を言った。それに対する『ルーク』の返事は、新たな一連射だった。
「いただだだだだだだだ!」
左右にサッサッと避けるが、『シルバー』の動きは全て見切られていた。彼女が動く前に『ルーク』が左右へ弾道を変え、『シルバー』自ら当たりに行っているような錯覚を覚えるぐらいだ。
弾丸はすべて吸い込まれるように『シルバー』の顔面へと命中していた。ゴリアテの主砲が効かないと教えられたが、顔面へ連続攻撃はやはり効くようだ。
「このっ!」
彼女の左手に握られたホウキが一振りされ、突風が発生した。地上に埃が舞い上がり、しばしの間だけ『ルーク』の視界を遮った。
「女の子の顔になにすんのよ! えい! 死んじゃえ!」
両手でホウキの柄を掴んだ『シルバー』が、腰だめに構えると、柄の先を『ルーク』へと向けた。すると柄がビーム砲の砲身だったとばかりに、ピンク色の光線を吐き出した。
光の速さで『ルーク』を襲う光線だったが、それも彼女の左腕に巻かれた鎖に防がれた。
破裂音がして、威力があったろう光線は消えて無くなった。お返しにとばかりに『ルーク』は再び機関銃を『シルバー』に向けて発射した。
「いたいいただだだ」
再び顔面に弾丸を受けた『シルバー』は、堪らないとばかりに施設の奥の方へと飛んだ。
右手に握った機関銃をチラリと見た『ルーク』は、それをその場に捨てて走り出した。大きな弾倉がついているが、連射速度も速いので、あと一連射程度しか弾丸は残っていないはずだ。
まるでドラッグカーレースのような加速力で『ルーク』は、あっという間に視界から消え去った。
「も、もういいかーい」
まるでカクレンボをしていた時のように公一は首をガレキの間から出した。
遠くから破壊的な音が聞こえてくるが、ここら辺には平穏が戻っていた。
「よ、よし。いまのうちだ」
公一は立ち上がって振り返った。
「逃げないとね」
自分より体格の大きなヒメを背負おうと、ジュンが苦労しながら答えた。身長差から見おろしていると、無駄にバタバタとあがいているように見えなくもなかった。さらに腰に巻いた鎖がチャリチャリと小気味のいい音を立てるので、一層そのように見えた。
「おれが背負おうか?」
「お返しだから」
(ああ、庇ってくれた事に感謝してんだ)
納得した公一は、せめてもとヒメの背中を支えてやりながら、ジュンの言葉を訂正した。
「逃げても逃げきれないだろ」
「どっちが勝つか分からないけど、ケンカが終わったら、ボクたちみたいな弱い存在なんて忘れちゃうよ」
「それはどうかな?」
ヒメを背中に収めたジュンが立ち上がるまで支えてやった公一は、腕組みをして首を捻った。
「るーくんだったら、おれたちに危害を加えそうも無いけど、汁婆さんだと『ついで』とか言って殺されそうな気がするけど」
「そうかなあ…。あ、ボクのライフル持って来て」
ジュンの指示に足元を確認すると、ジュンの壊れたウィンチェスターライフルと、先ほど失ったと思った自分の八九式ライフルが置いてあった。
二挺のライフルを拾い上げ、公一はジュンに自分の考えを告げた。
「黙って殺されるぐらいだったら、るーくんに協力して倒しちまった方がいい」
公一の言葉に対して、ジュンが唇を尖らせて反論した。
「逃げるが勝ちって言ってたじゃないか」
「そうだけどよ」
「過去に記録された『シルバー』の思考パターンからして、彼女が私たちを攻撃して来る可能性は充分有り得ます」
「だろ」
賛成意見を貰って鼻高々になった公一は、会話に違和感を覚えてキョトンとした。
(あれ? ここに居るのは、おれにジュン、そしてヒメの三人。他の三人はゴリアテのところに居るし、ヒメは気絶しているみたいだし、今のはいったい…)
公一は恐る恐る声のした方向を振り返った。
「彼女にダメージを与える事は無理でしょうが、気を反らすなり囮になるなり、できることはあると考えますが」
二本の足で立ったヒカルが提案してきた。その彼女の首から上は無かった。当然だ『シルバー』の攻撃をモロに喰らって、首から上は爆散したのだから。
「きょーわー」
変に裏返った悲鳴が公一の喉から出た。
「? どうかしましたか?」
自分の現状を理解していないのか、ヒカルが不思議そうに訊き返してきた。
「ヒカル。首」
ヒメを背負ったまま振り返ったジュンが、一番の異常な点を指摘してやった。
「あ。これは失礼いたしました」
見る間にヒカルの肩の上が沸き上がると、卵型の頭部が形作られた。その間に盛り上がった背中から分離した出っ張りが髪の毛になり、頭部と繋がった。
「???」
公一は彼女を指差して硬直してしまった。すっかりと元通りのヒカルになっていた。
「私はハッティフナットなので、頭部を失ったぐらいでは活動停止には至りません。ただ衝撃が大きかったので、再起動にお時間を頂きましたが」
「ろ、ロボットですらないのか?」
やっと公一から声が出た。
「はい。自己紹介の時にも申し上げた通り、私はハッティフナットです。ロボットという概念に近い存在ではありますが、根本的には違う存在です」
「どうなってんだよ、その頭」
やっと現状を認識し始めた公一からは呆れたような声が出た。
「詳しく説明するには時間が足りません。ナカムラさんに分かるように説明するならば、私の体は固体ではなく小さな粒の集まり、粉粒体で出来ていると申せばよろしいでしょうか」
ヒカルの説明に公一は有名なハリウッドの某大作映画を思い出した。レジスタンスのリーダーを務める男の存在を消してしまおうと未来から暗殺者が来るというシリーズである。第二段の敵がそういった感じであった。
「液体金属?」
「そのような物です」
試しに呟いた単語に、ヒカルは頷いて答えた。
「さあ、急いで。二人の戦いがこちらへ戻ってくる前に、シローたちと合流しましょう」
ヒカルに促されて、公一とジュンは構内道路を横断し、瓦礫に埋まったゴリアテの所まで行った。
「無事だったか」
シローの心底ホッとした声が出迎えた。ドワーフが三人並んでいる絵は初めてだった。
「提案がある」
公一は、どうせ自分が言った提案は却下されるだろうと思いつつも、先ほどジュンと話した『ルーク』への助太刀を口にすることにした。
「このままゴリアテの主砲で、るーくんを援護しよう」
「え」
案の定、シローはとても嫌そうな顔をした。
「別にシローたちは逃げてもいいし、隠れててもいい。ただ主砲の撃ち方だけ教えてくれ。おれ一人でいいから」
公一は『ルーク』が閉じこもっていた地下室のある事務棟を指差した。
「あそこの地下なら、まだ助かる確率は高いだろ」
「お前さんはそれでもいいが、俺が納得いかねえ」
シローが怖い顔になって公一を睨みつけた。
「今までゴリアテの指揮を執って来たのは俺だ。ドラゴンが怖いからって、尻尾巻いて逃げるなんざ、ドワーフの流儀にも反する」
「いや…、オレは隠れてようかな…」
ボソボソと呟いたリュウタを振り返ると、シローの目つきはさらに怖くなった。だが、シローは、彼へ何か言う前に溜息のような物を唇の間から押し出した。
それだけで気分が入れ替わったのか、悟りを得たような落ち着いた声でリュウタに告げた。
「お前はジュンやヒメを守って地下に行け」
「嫌だよ」
今度はジュンが反抗する番だった。
「シローがゴリアテで戦うなら、ボクを置いて行くなよ」
シローは彼女を見ると、今度はあからさまに溜息をついた。
「ヒメは?」
シローがヒカルに訊ねた。ジュンに背負われている彼女の脈をヒカルは取っていた。
「爆発の衝撃で気絶しているだけのようです。寝かせておけば大丈夫かと」
「よし、じゃあキャビンへ」
ゴリアテの後部ドアを指差したシローへ、ジュンが満足そうな笑顔を返した。腰の鎖を鳴らしながら、背負ったヒメを天井にぶつけないように気を付けながら後部ドアをくぐっていった。
「シンゴ」
シローはついでのように、後ろに立つシンゴを振り返りもせずに呼んだ。
「なんじゃ」
「お前は?」
「もちろん参加じゃ。我が家をそうそう諦めるか」
意外にもウキウキとした態度で告げると、ゴリアテの後部ドアから車内へ乗り込んでいった。これから世界をこんなにしたドラゴンと戦うとは思っていないような態度だった。
「ヒカルはどうする?」
「私が参加しない理由はありませんが?」
逆に不思議そうに訊ねられた。
「私という個体が活動停止したとしても、世界にはまだまだたくさんの私がいますから。もし私だけが活動停止して、他のハッティフナットを仲間に加える事になりましたら、その私とも仲良くしてあげて下さい」
「よせやい、縁起でもない」
シローが臭い物を嗅いだように手を振った。
「そういうのはアレだぞ、フラグって言うんだろ?」
彼の態度にヒカルはクスクスと笑って答えた。
「それでは配置につきます」
「おう」
一礼してヒカルは後部ドアをくぐった。
「で?」
ゆっくりと振り返ったシローは、リュウタと対峙した。
「ヒメは寝ているが、主砲撃つだけだったら俺だってできるし、弾こめるんだってナカムラさんができるぞ。お前はどうする」
ちょっと俯いたリュウタは、下からシローと公一の顔を見比べた。
「…」
なにか口の中でボソボソと呟いた。
「どうするんだ?」
シローが優しい声を出した。
「お前が別行動するならそれだっていいぜ」
「?」
顔を上げるリュウタに、微笑みすら見せるシロー。
「俺たちがゴリアテごと、おちんじまっても、お前が生き残るってことだもんな。パムもあるし、食い物だって当分は大丈夫だろ」
「そんな悲しい事言うなよ」
リュウタが涙を浮かべながら言った。
「一人ぼっちなんて、そっちの方が残酷だよ。連れて行ってくれよぅ」
「よし、決まりだ。配置につけ」
シローは肩越しにゴリアテの後部ドアを指差した。
シンゴがエンジンの再始動に取り掛かったらしい。セルモーターの軽い音が続いた後に、獣の咆哮のような音が排気管から黒い煙と共に噴き出した。
後部ドアから入るリュウタを出迎えるように黒い煙が渦を巻いていた。
彼がドアをくぐるのを見てから、シローは肩を使って大きな溜息をついた。
ゆっくりと、まだ残っている公一へ振り返った。
「ナカムラさんには、ジュンを連れて逃げて欲しいんだが…」
「本人が嫌みたいだぞ」
公一は素直な感想を告げた。シローはまた大きな溜息をついた。
「だよなあ…」
ちょっとの間だけ空を見上げた。
空は『シルバー』来襲時にはあんなに晴れていたのに、もう雲で覆われていた。
「よし、ガンナー席に着け。撃ち方は教えてやる」
「へ?」
まさかの命令に顎を外していると、怖いぐらいに迫力を込めた微笑みで凄まれてしまった。
「こんな提案をした責任を取って貰うからな」
「ひえ」
公一が悲鳴のような声を出した途端、爆発音が轟いた。
二人揃って首を竦めて音の方向を見ると、施設の奥の方で大きな爆炎が上がるところだった。
頭の中の地図と照らし合わせて「火気厳禁」と書かれた看板と一緒に残されていたタンクの列があった辺りだ。まだ中身が残っているところへ、二人のどちらかの攻撃が当たったようだ。
「急いで配置につけ」
「了解」
ジュンがやっていたような敬礼の真似事で答え、公一は後部ドアをくぐった。
公一の背中に続いて、シローが後部ドアをくぐり、やれやれといった感じで肩を竦めた。ドアを閉めるように壁にあるスイッチを操作して、キャビンに入った。
「はいこれ」
キャビンでは公一が、ヒメをベンチシートに寝かせたジュンへ、預かっていたウィンチェスターライフルを返しているところだった。
「うん」
自分の愛用品だけでなく、公一の八九式ライフルも受け取ったジュンは、不安そうな顔をシローに向けた。
「シロー…」
ヒメをベンチシートに寝かせたジュンが、不安そうな顔で彼を出迎えた。
「なんとかなるだろ」
もう色んな事を考える事を放棄して、シローは髭の中で笑った。
砲塔へ潜り込むようにして移動して、定位置の車長席へと着いた。備わったモニターにゴリアテのコンディションが表示されていた。
外部映像をメインモニターに呼び出してから、まず戦闘準備を終わらせることにした。
「ガンナー」
シローの呼びかけに返事が無かった。
「おっと、そうだっけな。ナカムラさんよ、こっちでセッティングしておくから、まずはモニターに主砲の照準器を呼び出せ」
「どうやるんだ?」
椅子の調整方法すら分からなかった公一は、やっと脇にレバーを発見して、高さを自分に合わせ始めた。
「モニターの電源は入っているか?」
「入ってる」
「現在の表示は?」
「これは正面なのかな? 外の様子に、たくさんの三角形が合わせて表示されてる」
「おう、それが主砲の照準器だ。真ん中の黒い三角形の頂点に弾が飛んで行くようになってる。それで狙え」
「狙うって、どうやって?」
「前にハンドルがあるだろ」
正面コンソールには飛行機の操縦輪のような黒いハンドルがあった。
「回して左右、押したり引いたりすれば上下に動くはずだ」
試しに公一は少しだけハンドルを上下左右に動かした。砲塔は少しも動かなかったが、砲座を支える油圧シリンダーが小刻みに震えて、砲身を少しだけ動かした。
「本当は距離によって三角の上だったり下だったり狙わにゃならんのだが、そんな精密射撃はできんだろ」
シローの説明に黙ったまま頷いてしまい、それでは他の乗員に自分の意志が伝わらないと悟った公一は、慌てて口を開いた。
「当たったらマグレだな」
「だが、いい方法がある」
「?」
「ハンドルの左についているボタンが、主砲発射用のボタンだ。それを押せば主砲が発射される。じゃあ右のボタンは何だと思う?」
モニターの映像から目を離し、手元を確認する。確かにシローが言うように、左右に分かれた操縦輪の握り頂部にそれぞれボタンがあった。
「ええと?」
公一はゴリアテの外見を思い出してみた。車体の右側には固定機関銃が備え付けてある。左側にはヒカルが座る席で操る前部機関銃だ。砲塔の上にはシローの座る車長席の上にあるハッチと、リュウタの座る装填手席の上にあるハッチに、それぞれ一挺ずつ機関銃が備えられていたはずだ。もっともリュウタ側の機銃は『ルーク』に捥ぎ取られて今は無いが。
ゴリアテにはもう一挺、主砲の砲身に沿う形で、他とは一回り大きい機関銃が搭載されていた。
「もしかして機銃?」
「そうだ。同軸機銃のトリガーだ。そいつは主砲と同じ弾道を飛ぶように調整されている。だから同時に撃つと、主砲の弾は、同軸機銃の弾の下一メートルを飛ぶようになってる」
「ええと、つまり?」
段々とシローの言いたいことが分かって来た。
「同軸機銃は曳光弾がだいぶ多めに入っているから、まずそっちを目で追って当てるんだ。んで、ここぞって時に左のボタンを押せば…」
「望んだ場所に主砲が当たる?」
「正解だ」
よくできましたとばかりにシローが拍手をしてくれた。
「ローダー!」
シローが外部モニターから目を離さずにリュウタを呼んだ。
「はいよ」
先程までの意気地の無い態度も消え失せて、いつもの調子でリュウタが答えた。
「弾種はHESHだ」
「APではないのか?」
不思議そうにリュウタが訊き返した。その疑問にシローが答えた。
「軍隊が総がかりで倒せなかった相手に徹甲弾が効くとは思えねえ。だが粘着榴弾だったらどうだ? 装甲を抜くんじゃなく、衝撃を与える粘着榴弾だったら、ボディブローのように効いてくれるかもしんねえ」
「つまり…」
シローの説明が分からなかった公一にも分かるようにリュウタが答えてくれた。
「アーマーを着こんだ相手にゃ、刃物でぶっ刺すより、ぶん殴った方が、ダメージがデカいんじゃないかってことか?」
「そういうことだ」
「了解。HESH装填」
公一の左側になるゴリアテの主砲がガシャコンと重々しい作動音をさせた。地下の隔壁を抜いた時を思い出し、リュウタがシローの言うとおりの砲弾を装填したことが分かった。
主砲の照準モニターに砲弾が装填されたことを示すのか、砲弾を模したマークが右隅に小さく表示された。同時に公一が操作していないのに細いゲージが現れ、あっという間に振り切れた。
「いちおう強装薬で撃ってみるか」
シローがモニターを見てブツブツと言っていた。どうやら砲弾を飛ばすための火薬は、シローが操作して装填してくれたようだ。
「ドライバー」
今度はシンゴの番だ。
「なんぞ?」
「一発撃ったらドデカイ仕返しが来るだろうから、何も考えずに突っ走れ」
「了解。んで? 準備完了ってトコか?」
操縦席からシンゴが楽しそうに訊いた。
「たぶんな」
シローは椅子のレバーを握ると、ハッチに頭をぶつけるのではないかというぐらいの高さに調整した。
ハッチのレバーを回すと、油圧でハッチが浮き上がった。それからハッチ自体を回転させて隙間を作ると、頭を半分だけ出して外を肉眼で確認した。
「おー、やってるやってる」
戦闘騒音はゴリアテの環境センサーでも拾われていた。その派手な破壊音から察するに、モニターには映っていない場所で、派手に『ルーク』と『シルバー』はやりあっているようだ。
と、一段と大きな破裂音がしたと思ったら、通路を何か黒い塊がぶっ飛んできた。
公一のモニターを横切って、すぐ視界から外れた。確認しようと車内を見回すと、メインモニターの上に横へ細長いモニターが乗っており、そこにアスファルトに突っ込むようにして止まった人影を確認できた。
着ている物はホットパンツではなくAラインワンピースだ。
慌てて主砲を向けようとハンドルを握ると、後ろからシローの怒鳴り声が背中を襲った。
「動くな!」
「ひえ」
シローの一喝だけで公一の体は硬直してしまった。
モニターの中で『シルバー』は、腹の辺りを抑えながらヨロヨロと立ち上がった。黒い装束にはこれと言って切り裂きなどは出来ていないが、どうやらダメージを受けたようである。
「やったわねえ」
ギラリと飛ばされて来た方向を睨みつける。そしてハッと振り返ると、いつの間にかに彼女の背後に、青黒い刀剣を振りかぶった『ルーク』がいた。
「きゃあああ」
見た目相応の女の子らしい悲鳴と共に、ギインという耳障りの悪い金属音がした。
やはり常人の目では追えなかったが『ルーク』の斬撃を、また『シルバー』は手にしたホウキで受けたようだ。
グラッと体勢が崩れたところへ、追撃とばかりに『ルーク』の回し蹴りが入った。
斬るような鋭さを持った蹴りを『シルバー』は交差させた腕で受け止めたが、威力を殺すことはできなかった。
受けた姿勢のまま『シルバー』は背後に向かってぶっ飛んで行った。飛んだ先には事務棟があったが、その壁がまるで発泡スチロールで出来ていたかのように、容易く抜いて、姿が見えなくなった。
コンクリートが砕かれた時に沸き上がる煙が、スロープ横にあった小部屋の扉、スロープ、一階の開けっ放しの自動ドアの順に噴きだした。最後には建物の向こうに煙の塊が上がったので、公一には彼女が蹴られた勢いで建物を斜めに貫通したことが察せられた。
さらに追おうと『ルーク』が体を低くした時だった。
「もう殺す!」
大音量で『シルバー』の声が聞こえてきた。
「あたしの力で、全部灼き尽くす!」
決意を込めた宣言が聞こえた後に、奇妙な音が聞こえてきた。
聞こえてきたのは、校内放送でマイクとスピーカの設定が正しくない時に起きるハウリングのような不快な音である。
その音節が終わらない内に事務棟の向こうにピンク色をした光のドームが現れた。
駆けだそうとしていた『ルーク』は、それを見上げるようにして体の緊張を解いた。
「…」
ドームを一瞥してから、周囲へと視線をやる。
施設はだいぶ破壊されていた。あれだけ整然と並んでいたパイプ類は切断され、破かれ、千切られていた。正体不明の液体を垂れ流すパイプもあれば、火花が散っているパイプもあった。
正面右側に建っていた蒸留精製建屋は、上半分ほどが失われ、その瓦礫にゴリアテが半ば埋まっていた。
反対側の事務棟だって無傷ではない。いま『シルバー』が貫通して行った後の他にも、上空からの爆撃で最上階の半分ぐらいは崩れていた。
公一が目を覚ました警備員詰所に至っては、元の姿がどんなだったか思い出せない程に崩れ去っていた。
そして『ルーク』は正門の向こうに広がる荒野を見た。
拳大の石だけでできた地平線の遠くに、薄く山並みが目に入った。
空は『シルバー』がやって来た時に晴れていたが、今はもうお終いと幕を閉じたように、曇に閉ざされていた。
「…」
彼女は小さくため息をついた。
それに合わせたかのように、ピンク色の光をしたドームは現れた時と同じように唐突に消えた。
「ANGYAAAAAA」
そして後には、見上げるような大きさの銀色をした竜が立っていた。
「なんだありゃ」
シローの口から呆れた声が漏れた。
「ゴジラかよ」
これは公一だ。
ピンク色をしたドームが消えると、そこには四階建てのビルに肘をつけるほどの大きさをしたモノが立っていた。ゴリアテの今の位置から下半身は事務棟に隠されて見えないが、明らかに哺乳類が栄える前に地上を支配していたと言われる恐竜や、いま公一が口にしたような怪獣といった姿をしていた。
銀色に輝く鱗に覆われた爬虫類のような胴体。鋭い爪を備えた逞しい腕。背中には蝙蝠のような飛膜でできた羽。そして頭もワニのように吻が前にとび出した形をしていた。
公一が二一世紀で読んでいたライトノベルに出て来るドラゴンそのものと言って間違いない姿だった。
違うのは、一面の曇りで弱いはずの太陽光ですらキラキラと反射する銀色をした鱗と、その特徴的に前へ突き出た顔のところに、黒い服を着た少女を座らせるようにして乗せているところだった。
少女の姿は先程まで『ルーク』と戦っていた『シルバー』と変わる所はほとんど無かった。ただあれだけ振り回していたホウキと、右足に嵌めていた足枷の鉄球はドコに置いたのか、見当たらなかった。
銀色をした怪獣の顔を玉座に見立て、吻を座面として見るなら、眉間がちょうど背もたれとなる。少女は両腕を広げるようにして寄りかかっていた。少女の両腕が丁度ドラゴンの瞼の位置にあたる。細い両腕が動き瞼と瞬膜が開くと、ピンク色をした獰猛そうな獣の瞳が見開かれた。
「ヤキツクス」
声帯が人間とかけ離れているのだろうか、機械で合成されたような声でドラゴンは宣言した。
大きく息を吸い、いまだゴリアテの横で見上げている『ルーク』に向けて息を吐き出そうとした。
次の瞬間、横面を張り飛ばされたドラゴンは、左の方角へ溜めていた物を吐き出した。
いつの間にかに大ジャンプして双方の距離をゼロにした『ルーク』が、回し蹴りの余韻で宙に浮いたままクルリと半回転していた。
地震のようにゴリアテが揺れた。どうやら事務棟の向こうにドラゴンが倒れたようだ。衝撃が地面を伝ってゴリアテを揺さぶったのだ。
揺れが収まる前に、モニターの画像がピンクと黒の二色だけとなった。
モニターの自動調光が間に合わない程の眩しい光である。椅子に着いていたゴリアテの乗員全員が手で目を庇った。網膜が悲鳴を上げる中、公一は何とか原因を確認しようと目を細めた。
光は数秒で止んだ。
どうやらピンク色をした光の奔流といった物をドラゴンが吐き出そうとし、その直前に『ルーク』に横面を蹴られて狙いが上空へと向いたようだ。
一面に広がっていた雲が、決戦の上空だけ円形に晴れていた。
再び雲が青空を覆い隠そうと侵食して来る風景の中に、黒い点があった。場所は事務棟の屋上の端になる。先程まで眩しかった光の残像かと思ったが、風に髪が揺れて『ルーク』の背姿だという事が分かった。
右手の刀剣を構え直した『ルーク』が、そこから事務棟の向こうへ飛び降りた。
「シネエエエ」
横面を蹴られて体勢を崩したドラゴンが、再び立ち上がりざまに、飛び降りてきた『ルーク』に右腕を突き出した。鎌のように凶悪に伸びた爪と、空中の『ルーク』が斬り結んだ。
質量差からか『ルーク』は事務棟の影に弾かれた。
「よし! ドライバー前進!」
戦況を確認したシローが命令した。
「ほいな」
軽い調子でシンゴがアクセルペダルを踏みこむ。が、ゴリアテはエンジンの唸り声を上げるだけで、まったく動かなかった。
「バックバック!」
シローが慌てて命令を切り替え、今度はシンゴが黙ってギアを切り替えた。
ゴリアテの装甲と、周囲の瓦礫が擦れあい、ゴリゴリという気持ちの悪い音が車内に響いた。
(これで抜け出せなかったら、どうすんだろ)
事務棟の向こうで戦っている気配をモニターで確認しながら、公一は別の事が気になった。
だがそれは杞憂だったようだ。最初は慎重にバックさせていたシンゴだったが、徐々に加速させて、瓦礫を振り落としたゴリアテを、無事に構内道路へと出す事に成功した。
「よし、前進」
あいかわらず肉眼で周囲を確認しながら、シローはシンゴへ命令した。
シンゴはブレーキをかけてゴリアテを停車させると、ギアを入れ直して、自転車ぐらいの速度で前進を開始した。なにせアスファルトには『シルバー』が上空から降らせたピンク色の光球のせいで、けっこうな穴や窪みができているのだ。
「角から顔を出ししなに撃って逃げるぞ! ガンナー用意しとけよ」
「了解」
公一が操作していないのに砲塔が旋回し始めた。それをモニターの中の景色が流れる事で実感した公一は、自分の掌がじっとり汗ばんでいることを自覚した。
環境モニターからは激しい金属音が聞こえていた。音階はめちゃくちゃだが、鉄琴を激しく演奏している様に似ていた。
ゴリアテは確実に前進し、事務棟の端が近づいて来た。
その前に、太い物がドーンと振り下ろされた。銀色の鱗といい、一列に並んだ襞の共通性といい、ドラゴンの尻尾に間違いないだろう。
砲塔が左へ旋回したことにより、公一の右脇に見えるようになった運転席でシンゴが身じろぎをした。アクセルペダルに乗せた足も動いたようで、少しだけゴリアテの前進速度が変化した。すぐに元通りになったのは流石と言う他はないだろう。
モニターから視線を外した公一は、肩越しに車長席を振り返った。ハッチから外を覗いているシローは、まったく動じていないようであった。
「しっかり照準器を見てろ」
どうやって気配を察したのか、視線は外のままでシローは公一に言ってきた。
「は、はい」
ちょっとだけ首を竦めて、記号が並んだモニターへ視線を戻した。ゴリアテはもうすぐ建物の陰から出るところだった。
陰から出た途端に、色々な物が見えてきた。
まず飛び込んできたのは、ドラゴンの背中である。高速道路の上り口のような感じで、広い背中が地面から上へとのびていた。中央にセンターラインのように並んでいるのは、背中から尻尾まで続いている襞だ。
その盛り上がった筋肉の山のような向こうには、ドラゴンの後頭部が見えた。休みなく左右に振られているのが分かる。おそらく『ルーク』と斬り結ぶのに忙しいのであろう、こちらには気が付いていないようだ。
ドラゴンは、両手を使って地面を掘っているように見えた。しかしそれは間違いで、地面に立つ『ルーク』を両手で攻撃しているので、そう見えただけだ。
ドラゴンに対して、あまりにも『ルーク』の体が小さかったこともある。
右から左から襲うドラゴンの鉤爪に対し『ルーク』は、右手一本で持った刀剣で対抗しているようだ。
体重差だけでも何十倍もあるような相手である。爪が襲い掛かって来た方向に全力で体当たりするような勢いで駆け出し、大振りした刀剣をぶつけてやっと互角であるようだ。
右からの攻撃が止まっても、すぐに左からの攻撃が襲ってくる。よってドラゴンの四肢の向こうに見える『ルーク』は右へ左へと忙しい。たまにジャンプして爪を飛び越えるが、そうすると今度は噛み砕こうと凶悪な牙の生え揃った口が上から襲うのだ。
戦いのための激しい動きに合わせて銀色の鱗も次々に角度を変え続け、その一枚一枚が虹色に光を反射しているものだから、倒すべき相手ながら公一は見とれてしまった。
(こんなしなやかな生き物っているんだな)
観察するというより眺めていると、公一はある一点に気が付いた。
角やエラのようなヒレが生えたドラゴンの頭部と、盛んに地面へ振り下ろされる腕を支える肩の筋肉が繋がる所、ヒトで言うところの盆の窪あたりに、色の違った鱗が生えていた。
他が光を反射して虹色に輝いているのに、そこだけが自らの力で輝きを発しているような、そんな感じのする鱗であった。
(あれって、まさか…)
公一が過去にやったゲームなどから得た知識の中にソレはあった。
(あれが「竜の逆鱗」って奴じゃないか?)
竜には一枚だけ逆さに生えた鱗があり、そこを触られると激しく怒るという。怒る理由は様々と伝えられているが、公一の知識では「そこが弱点だから」となっていた。
「ガンナー!」
なかなか射撃を開始しない公一に焦れたのか、シローが怒鳴り声を上げた。
「は、はい!」
慌てて答えてハンドルを握り直した。
(よし! どうせ狙うなら、あそこを狙おう)
中央にある三角形の頂点を輝いている鱗に合わせ、まず右のボタンを押し込んだ。
赤い点線を描くように、同軸機銃から曳光弾が断続的に発射された。
最初は明後日の方角だったが、すぐにドラゴンの背中に着弾点を修正した。弾丸が鱗に当たってあっけなく弾かれているのが分かった。
「主砲は一メートル下に当たるからな!」
シローも肉眼で曳光弾がドラゴンの背中で弾けるのを見ているのだろう。厳しい声で、先ほど教えてくれた事を念押しした。
「はい!」
公一はハンドルを引き、緩い放物線で飛んで行く曳光弾の列を、もっと上に当たるように調整した。羽の根元で曳光弾が撥ねていた着弾点が、公一の操作で着実に上に移動し、輝いている鱗を越えて首の近くまで到達した。
離れているから着弾点の一メートル下と言われたって分かりはしなかったが、公一はなぜか確信することができた。
(いまだ!)
公一が左ボタンを押し込むと、雷のような発射音が車内へ轟いて来た。地下で隔壁を破る時に使用した時はハッチを全て閉鎖していたが、いまはシローが開けっ放しにしているため、主砲の発射音が車内にも届いたのだ。
ポンと手を打つぐらいの間があった後に、ドラゴンの背中で爆発が起きた。
「逃げろ!」
シローが、戦闘車両の命令とは思えない事を叫んだ。
「がってんしょうち」
シンゴがアクセルを踏み込んで、全力でゴリアテを走らせ始めた。砲塔が左を向いているので、公一の体が椅子の上から左に落とされそうになった。
「ガ!?」
主力戦車ですら装甲が破壊される爆発である。しかし沸き起こった煙や炎が消えても、爆発前と同じ姿勢のままでドラゴンがいた。さすが世界を終わらせた種族だけあって鱗の一枚すら欠けている様子は無かった。
だがダメージがあるのと、怒りが湧くのとは直結していなかった。
「ムシガ、チャチャヲイレルナ」
振り返って一目散に逃げるゴリアテを確認したドラゴンは、反撃をしようと尻尾を振り上げた。
「…」
「!?」
瓦礫を踏み台にして飛びあげる気配に慌てて前を向くが、その時にはもう『ルーク』が眼前に迫っていた。
「ガアアア」
口を開いて光を放つが、難なく『ルーク』は避けて、右手一本から両手で握り直した刀剣を、ドラゴンの眉間へ突き立てた。
そこは丁度、吻の上に腰かけた「魔女」の心臓に当たる位置だった。
「ぐうう」
「グウウ」
少女とドラゴンが同時に呻き声を上げた。
「…」
それに構わず『ルーク』は一段と深く刀剣をドラゴンへと突き入れた。
「ごぼっ」
少女が口からピンク色の液体を零しながら上半身を起こし、両手を伸ばした。
しかし『ルーク』の左腕には鎖が巻き付けられており、少女の右手は鎖に突き立ったところで止まった。反対に左手のヒトにしては長く伸びた爪が『ルーク』の右腕を捕まえるように食い込んだ。
だが血が滲むほどでもなく、白く浅い引っかき傷を数センチ残しただけで、もうその左腕も力を失った。
「やっと…」
心臓を貫かれた形の少女は満足そうに言った。
「やっと、あんたに傷をつけることができた…」
「…」
まるで幼児が戯れで爪を立てた程度の痕である。傷と呼べない程の白い筋だが、たしかに『ルーク』の右腕に残された。
そして少女は満足そうに微笑んでいた。
「こんな物しかないけどよ」
焼き払われ建物も半壊した施設に、全員が揃っていた。
警備員詰所の向かいにあった緑地帯に、小さな土の盛り上がりが出来ていた。
中央にちぎれた鉄材が差してあり、表面に石で傷をつけて文字を書いてあった。
「シルバーの墓」
鉄材も古く、文字も薄いので、ゴリアテが去った後にどのくらいの期間を墓石としての役割を果たすのかは分からなかった。
だがそれを読む者など、もうこの世界には他にいないのだ。ここにいる者たちが分かればよかった。
土の下には、実は彼女の体は眠ってはいない。ドラゴンの死体は、風に溶けたのだ。
正確ではないが、公一の目にはそう見えたのだ。
全力で走ったゴリアテが、戦場に戻ると、ドラゴンの体は崩れ始めていた。まだ警戒を解かないシローから車外へ出る事が許可されなかったため、モニター越しでしか見る事ができなかったが、全員死んだドラゴンがどうなるのかを観察する事はできた。
あれだけ輝いていた銀色の鱗も、力強い筋が走った腕や脚も、そして被膜の羽も何もかも、色が変化していた。
端から銀から白、そして物が腐っていくように暗褐色へと色が変わっていった。戦車砲すら通さなかった体も輪郭がぼやけていった。全身の細胞が細かい泡のように変化し、最後は相変わらず施設の間を吹き抜けている肌寒い風が攫って行ったのだ。
見る間に形は崩れ、一山の暗褐色をした泡の塊と成り果てた。
周囲に建物があるのでスケール感が変になるが、それだけ見せられたら、汚れた手を石鹸で洗った後に残された泡のようでもある。
そんな見たことも無いような風景の中に、黒い少女は立っていた。
片方がちぎれたツインテールに、コートの背中に白く描かれた流星マーク。右手にはとどめを差した刀剣が相変わらず握られていた。
「『ルーク』」
背中を向ける少女の肩が震えているような気がして、公一は慌ててハッチに取りついた。ハンドルを回すとロックが外れて浮き上がり、横へ回転させると外だ。
「あ、おい!」
シローが制止する声を上げるが、お構いなしに公一は砲塔へ立ち、車体の上へと下りた。まだゆっくり動いているゴリアテから地面を見て、ちょっと怖気づいたが、えいとばかりに飛び降りた。
ガツンと足の裏から衝撃がやってきた。慣性が体を地面に転がそうとするので、授業でやった柔道の受け身のままに前転をして受け流した。
「あつつ」
自分では痛めた記憶の無い足首が悲鳴を上げたが、構ってなどいられなかった。
「おい」
受け身から立ち上がり、黒い背中に声をかけて近づくと、彼女はゆっくりと振り返った。
(あれ?)
「…」
泣いていると思った『ルーク』は、相変わらずの無表情のままだった。
公一の顔を確認すると、再び自分の前に転がっている物へ振り返った。彼女の足元には『シルバー』が右足に嵌めていた鉄球のついた足枷と、自慢していたホウキが落ちていた。
「…」
黙って見おろしている『ルーク』が、やっぱり泣いているような気がして、公一はどう声をかけていいのか分からなくなった。
「あ~あ、おっちんじまったか」
二人の背後から無遠慮な声がかけられた。振り返ると尻を掻きながらシローが近づいてくるところだった。
彼の背中に隠れるようにしてジュンもついてきていた。
「これ、害は無いのか?」
シローが泡の塊を指差してジュンに訊ねた。
「食べたりしなきゃ、たぶん…」
問われたジュンが歯切れの悪い答えを返した。それから身長差から下に向いていた視線を、キッと厳しくして公一を見上げて、ビシッと彼へ指を突きつけた。
「ダメでしょ、飛び降りたりしたら」
「ああ、悪りぃ」
結構な剣幕で怒鳴られて、公一の腰が引けた。
「余分な怪我をしても、もうお医者さんはいないんだからね」
「気を付けます」
相手が、見た目が中学生のようなジュンではあるが、公一を怒りながらも心配する声は、学校の先生か、自分の母親のような威厳を感じさせる物だった。
(ウンコの片付けまでしてたんだっけ)
シローに教えられた事を思い出した。嘘か本当かシローにジュンの年齢は三桁に届いていると言われたことも思い出した。
「どうするんだ? これから」
ジュンの怒りから逃げるために、公一は話題を変えようとシローに訊いた。
「これから?」
何を当たり前のことを訊くんだと言い返すように太い眉毛が顰められた。
「もちろん決まってる。墓を建てるんだ」
「はか?」
「敵だろうが味方だろうが、誰かが死んだら墓を建てるのが、生き残ったモンの役割だ」
「はへ~」
シローが口にする理屈が分からずに、変な声が出た。
「それが文化的な営みってヤツだ。これを失ったら、俺たちも獣と変わらなくなる」
(たしかにそうかもしれない)
シローの言葉に納得するところがあった。
公一も、犬や猿、海豚のような知能の高い動物を幾つか知ってはいたが、そのどれも墓を建てるなんて聞いたことが無かった。
公一は、泣いているように見える背中へ話しかけた。
「じゃあ、一緒に建てる? お墓」
半分だけ振り返った彼女は、ちょっと内気な女の子がするように、弱々しく頷いた。
そうして建てたのが、この墓である。
刺した鉄材の下に埋まっているのは、彼女が嵌めていた足枷である。
肉体だった物は、適当な場所を決めて穴を掘っている内に消えてしまったのだ。
傍らに彼女のホウキを抱いた『ルーク』が立っていた。
彼女は、このありあわせの墓を作っている間は、見ているだけであった。まあ重労働に程遠い作業であるから、手を貸してもらわなくても別に困らなかったが。
穴を掘った、いや掘らされたのは公一で、鉄材を拾って来たのはリュウタだった。
その表面に白い石で字を書いたのはジュンである。
「よし、整列!」
シローが号令をかけた。相変わらず外が苦手なシンゴは、ゴリアテの車内で当直に就いているはずだ。
「強敵だった『シルバー』の魂に、敬礼!」
流石にコマンダーだけあって、シローの敬礼は様になっていた。
背中に軽い火傷を負っただけですんだヒメの敬礼も見事な物だ。
シンゴの分の空間を開けて立ったヒカルは、敬礼でなしに両手を合わせていた。
リュウタはちょっと不真面目に、傾いた姿勢で敬礼をしていた。
背中に相変わらずウィンチェスターライフルを背負ったジュンも、ヒカルと同じように手を合わせて目を閉じていた。
一同それぞれのポーズに、公一はどうすればいいか一瞬だけ迷った。
(あんな綺麗に敬礼できないしな)
無理して無様だったら格好が悪いと思い、仏壇に手を合わせる感覚で公一も、敬礼ではなく手を合わせることを選択した。
「…」
みんなの姿を哀しそうな目で見ていた『ルーク』も、墓に向かって手を合わせた。
全員が哀悼の意を示す姿勢になったところで、シローが声をかけた。
「リュウタ。いつものやつを頼むぞ」
「了解」
リュウタが苦笑いのような物を浮かべてから、とても陰気な声で呪文なような歌を歌いだした。
「♪ナ~ンマイダ、ナンマイダ。おまえの母ちゃんナンマイダ。ナ~ンマイダ、ナンマイダ。おまえの父ちゃんナンマイダ…」
(なんだこれ?)
公一が初めて聞く歌である。おそらく「ナンマイダ」は「南無阿弥陀仏」が訛った物であろうが、他の歌詞が酷すぎた。丘の向こうに屁をコキに行こうとか、参列者を笑わせようとしているのではないかという、無茶苦茶な歌詞なのだ。
しかも陰気な一本調子で歌うものだから、笑うわけにもいかず、手を合わせたままチラリと横のジュンを見た。
「これであってるのか?」
歌を邪魔しないように、極力小さな声で訊ねてみる。
「シィ」
とても小さく吐いた息だけで注意されてしまった。
(ま、コレがこの時代の作法なら従うしかないか)
歌詞の中では花柄の衣装を着たオジサンがダンスをしながら向島へと渡っていくところだった。
十分ぐらい続いたリュウタの歌は、月桂冠を被ったブタが海の向こうへ飛んで行って終わった。
「…」
リュウタの歌が終わった途端に『ルーク』はきびすを返した。
「…⁉」
だが彼女はどこへも行けなかった。上に着たコートの裾を、ジュンが握りしめたからである。
「どこ行くんだよ」
「…」
彼女の質問に『ルーク』は困って眉を顰めた。
「まさか、ボクたちを見捨てるつもりじゃないだろうな」
「見捨てるって…」
公一は耳に入った単語を繰り返した。
「『シルバー』を倒しちゃったんだから、他のドラゴンたちだって、ボクたちを追いかけて来るに決まってる。その時キミがいなかったら、皆殺しにされるだけだと思うけど」
「皆殺しって、穏やかじゃないなあ。意味もなくヒトを殺すのか? ドラゴンって」
公一の質問に、ジュンは視線だけで荒野の方向を示した。
「意味もなく殺したから世界はこうなったんでしょ」
「あ…」
ジュンに突きつけられた現実に、公一は言葉を失った。施設の中に居たので忘れがちになるが、敷地から外には石しか転がっていない荒野しか無いのだ。
「こうなった責任を取って」
ジュンは身長差から『シルバー』を見上げて言った。その目はとても強い輝きを持っていた。
「…」
彼女は不安そうに他の者を見回した。シローやヒメは不愛想に立っているが、リュウタが人懐っこい笑顔を向けた。
「こんな世界なんだから、一人でいると寂しいぞ。オレたちも仲間が増えた方が嬉しい」
優しい言葉に『ルーク』はもう一度ジュンを見て、それから公一へ視線を移した。
「…」
「?」
彼女がなにを言いたいのか分からずに公一はキョトンとした。
「公一さん。あなたの意見はどうなんですか?」
横からヒカルが助け舟を出してくれた。
「おれも嬉しい」
ニッコリと彼が笑顔を作ると、彼女は照れたように笑った。
★Dragon of the Next Chapter appearance。
その丘には一面に黄色いムサシノキスゲの花が咲き乱れていた。
こんな世界が終わった後では珍しい場所だ。
こんもりと幼児が砂遊びで作ったような形をした円い丘。そこに黒い影が立った。
周囲を取り巻く石だらけの荒野からやって来たのではない。忽然と現れたと表現するほうが正しいような唐突さだった。
童謡の「ロンドン橋落ちた」を小さく口ずさみながら、黒いガラスの靴を履いた足が、花々の間を踏みしめた。
足を一歩ずつ踏み出すごとに、ささやかに鈴のような音がする。左腿にひと巻だけキャットガーターのように巻いた、黒い鎖の余ったリンク同士が揺れて当たって鳴っているからであった。
そう注意は払っていないような足運びであるが、一輪の花も踏みつける事は無かった。花々も、まるで女王にかしずく騎士たちが頭を垂れて控えているかのように、風に揺れているだけであった。
白い腿から上は黒いレギンスで覆われており、腰からはミニスカート調のフレアを持った黒い服を身に着けていた。真っ黒な衣装は、葬列に参加している者のようでもあり、また葬られた側のようでもあった。
女性的な曲線は、フレアをたっぷりと使ったワンピース越しでもはっきりと分かり、豊満な胸部には、これまた黒いレースがあしらわれ、細く長い首までを飾っていた。
歌を口ずさんでいる唇の色も黒に化粧され、対照的に白い肌を際立たせていた。
微笑んでいるようでもあり、蔑んでいるようでもある表情は、それ以上の意味を読み取ることを拒否するように、バードケージベールに覆われていた。
ここまでで彼女が優雅な貴婦人の如く雰囲気を纏った存在だということが分かると思うが、手には山形の凶悪な刃を持つ武器を提げていた。形だけ言えばパン用の包丁に見えなくもないが、大きさが違い、ヒト程の長さがあった。凶悪な武器を握る黒いマニュキュアで飾られた長い爪と合わせて、腕だけは優雅と言うより彼女の獰猛さを表現していた。
彼女の足が頂上手前で止まった。
丸い丘の頂上には、白い十字架が刺さっていた。
「誰かのお墓?」
突然、背後から声がかけられた。
今さっきまで誰も居なかった場所に、彼女と同じように黒い衣装に身を包んだ少女が立っていた。
背の大きさといい声といい、小学生ぐらいに見える女の子は、背中に白い流星マークが描かれた黒いフード付きのコートを着ていた。だがその流星マークのほとんどが、背負った冗談みたいな大きさの騎士槍に隠されていた。
話しかけられた方の女性は、ベール越しにも分かる赤い瞳で振り向き短く説明した。
「ええ、私の」
つづく