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バタフライ&ローゼス・ガーデン  作者: 池田 和美
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バタフライ&ローゼス・ガーデン・2-2



「ナカムラさん、聞こえますか?」

 突然横から話しかけられて、公一は飛び上がってしまった。

「もしもし? ナカムラさん?」

 声の質からしてヒカルであるようだ。

「え? え?」

 だが、あたりを見回してもヒカルの姿は視界に入らなかった。

「コレだよ、コレ」

 その様子が滑稽に見えたのか、吹き出しながらジュンは自分の側頭部あたりを指差した。いつもそばに置いているウィンチェスターライフルと同じように、被りっぱなしのヘッドセットを示しているようだ。

「? ああ、通信機」

 一瞬だけ意味が分からなかったが、すぐに思いついた。

「これ、返信はどうやるんだ?」

 公一の質問に、二人の声が重なった。

「大丈夫。普通に話せば声を拾ってくれるよ」

「聞こえていますね」

 公一は大きく頷くと、ヒカルの質問にこたえた。

「聞こえているぞ」

「準備はできましたか?」

「できたつもりなんだが?」

 もう一度、自分の姿を見おろしてみる。一通り装備しているはずだが、公一はミリタリーマニアではなかったから、何が足りないのさえ分からなかった。

 そんな様子の公一を見て、自信をつけさせるためか、ジュンが大きく頷いてみせた。

「準備できたか?」

 声の質が変わった。どうやら相手がシローになったようだ。

「復命を行う。ガンナー」

「チェック」

 シローの呼びかけに、不愛想なヒメの声が答えた。それを聞いて、リュウタが慌てて走り出した。公一はその背中を見て、追って走った方がいいのかと不安になったが、目の前にはゆったりと構えているジュンがいた。

(ジュンと行動を共にするんだったけな)

 その間にも復命は続いていた。

「ドライバー」

「おう、いつでもいいぞい」

 それを証明するかのように、アイドリングで保たれていたゴリアテのエンジンが噴かされた。轟音と共に排気管から黒い煙がポワッと塊で出た。

「コミュニケーター」

「準備完了です」

 ヒカルの冷静な声。

「ローダー」

「夕飯も含めて準備完了」

 リュウタの声は少し荒いように感じた。どうやら間に合ったようだ。

「レコン」

「いつも通り」

 壊れたウィンチェスターライフルを斜に背負ったジュンは、映像回線は無いのに頷いて答えた。

「それとナカムラさんは、レコンの二人目だから、ブラボーな。ブラボー、準備はできたか?」

「準備完了」

 なにか気の利いた一言をつけ加えようと思ったが、思いつかなかったのでやめておいた。

「よし。では、これから目の前にある『第一七三実験施設』の探索を開始する。昔ヒロたちが探索した時のレポートにゃ、危険は無かったと書いてあるが、何がどうなっているのか分からねえ。気を引き締めていけ」

 シローの発破に、各人がそれぞれ個性的な答えを返した。

「それじゃあジュン。出入口を頼む」

「了解。行くよ」

 軽快に通信機へ答えたジュンは、背中のウィンチェスターライフルを揺らしながら、小走りに走り出した。慌てて公一も追った。

 普段の彼ならばすぐに横へ並ぶところだが、いまは重いボディアーマーと運動の邪魔をする八九式ライフルのせいで、全然追いつけなかった。

 パムのところへ行くのかと思ったら、二人で設置した警戒線の出入り口の方へと走る。手前の地面へ直接敷いた警戒線を、まるでハードル走のように跨ぎこすと、外側の警戒線を受け持つ警報器の所まで行った。

 公一もそこまで行こうとしたが、ジュンから通信が入った。

「コーイチはそっちの糸を巻いて」

 見ればジュンは、糸に手をかけて、大きく波打たせた。それだけで反対側の棒の先端から糸の先についたナスカンが外れ、地面へと落ちた。

 そして凄い勢いで足元へ巻き始める。しかもただの円を描いているのではなく、どうやら8の字を書くように巻いているようだ。

 公一が受け持つことになった警戒線は、地面に敷いただけで、反対側は特に固定していないはずだ。

 ジュンの真似をしようとしたがうまくいかないので、ただの円を描くようにして巻き取ることにした。

 二人が糸を巻いている間に、ゴリアテが動き出した。

 リヤカーと連結している後部フックを車内からの操作で解放して身軽になった。それからパムにぶつからないように切り返しを始める。キャタピラなのだから、その場でグルッと回れるはずだが、そうしないようだ。わざわざ面倒臭そうに、ハッチからシンゴが顔を出して周囲を確認しつつ前に出たり、後ろに下がったりして、車体の向きを実験施設とは反対側に設けた野営地の出入口へと向けた。

 その間も楔のような砲塔は、いや主砲の砲口は、滑らかに旋回して実験施設の方向を向いたままだった。

 二人の前を、砲塔の向きを逆にしたゴリアテが轟音を上げて通り過ぎた。

 ジュンはゴリアテが出た瞬間から、また走り出した。手には警戒線を張る糸の先端であるナスカンを持っていた。普通、こういう糸を一方的に引っ張ると絡まったりするのだが、スルスルと素直に伸びていくようだ。魔法のような技の肝は、どうやら8の字を描くように巻き取ったところにあったようだ。

 公一も端を持って走りたかったが、足元にあるのは円を描いた束である。同じように引っ張ったら絡まる事間違いなしだ。

 他に方法も知らなかったので、公一は敷設した時と同じ要領で、束を持ち、後ろ向きになって繰り出すことにした。

 先程は簡単にできたが、いまは重いボディアーマーで動きが機敏にできない。また背中にまわした八九式ライフルも、腕の動きを制限した。

「ほらほら、はやくはやく」

 ジュンの声に顔を上げると、彼女はゴリアテ後部にあるドアの横にくつろぐように寄りかかっていた。

「手伝ったらどうだ?」

 この声はリュウタだ。

「何事も修行だよ」

 ジュンの素っ気ない返事。

「陽が暮れちまう」

 これはシローだ。だが、この怒りを感じさせる声が聞こえた時には、最後の一巻を解く瞬間だった。

「警戒線復旧」

 どうやらゴリアテの器械でモニターしていたらしい。公一が作業を終わらせると同時に、ヒカルの声がした。

「ほらほら、置いて行くよ」

 ジュンがゴリアテの後部ドアのところで手を叩いていた。そこまで全速力で走る。途中にある外側の警戒線は、華麗にジャンプ…、できなかった。

 みっともなく跨ぎ越し、やっと野営地を出たところで待っていてくれたゴリアテに追いついた。

「遅いぞ」

 シローが、百言文句があるのを濃縮したと言わんばかりの声を出した。

 なにか言い返したかったが、考える事すら面倒になるほど息が上がっていた。

 公一を押し込むようにして、ジュンがドアからキャビンへと乗り込んだ。壁のスイッチを操作して上下に開いていたドアを閉じた。

 後部ドアを指先確認してジュンが声を上げた。

「後部ドア閉鎖確認」

「了解」

 シローの声は不機嫌なままだ。

「?」

 ゴリアテの車内は、昨夜乗った時と雰囲気が違っていた。特に違うのは匂いであった。

「おみそしる?」

 ほのかな味噌の香りが充満していた。

「つまみ食いはダメだからな」

 砲塔の方から声がした。そこから覗き込むようにしてリュウタが微笑んでいるのが見える。昨夜と椅子の位置が違うように見えるのは、砲塔が旋回して後ろを向いているからだ。つまり砲塔に座る三人は、キャビンの方向を向いて座っていることになる。向かって右に顔を出しているリュウタ。左のヒメは真剣に自分の前に設置されたモニターを睨みつけている。

 真ん中の席、昨夜ジュンが当直で座っていた席は、巨大な主砲の駐退器であまり見る事ができなかった。シローの足だけが器械の間に見え隠れしていた。

「つまみぐい?」

「そこのキッチンだよ」

 背中に回したウィンチェスターライフルをおろして、ジュンは壁に取り付けられたベンチシートへ腰を下ろした。ジュンの左手がベンチシートとは反対側の壁を指差した。

「キッチン?」

 昨日見た時にはそんな設備は無いと思っていたが、一〇人ぐらいは車内で生活できるというのはウソではないようだ。

 ロッカーのようにキャビンに出っ張っているトイレの横に、小さなテーブルがあった。そこにリュウタの寸胴鍋が置いてあった。

 ただ置いてあったら揺れた時などに中身を零してしまうが、いまは上下からロボットのような腕でがっちりと蓋ごと抱え込まれていた。

 腕はキャビンの壁に取り付けられていた。これならば、真っ逆さまにしても、蓋にある蒸気穴以外からは零れる事もないだろう。

 特に熱源など無いように思われるが、鍋からは薄く湯気が立ち続けていた。

「あれって?」

「今日の夕飯」

 ジュンがニコッと笑ってくれた。朝があんな簡単な物だったし、昼は抜きだったので、途端に公一の腹が鳴った。

「メシの時間はまだ先だよ」

 ジュンがからかうように言って来た。

「わかってるよ」

 肩から八九式ライフルを外しながらジュンの隣へと腰を下ろした。手にした八九式ライフルを持て余していると、ジュンが自分のウィンチェスターライフルを足の間に立てるようにしてみせた。

「ああ、なるほど」

 さっそく公一も真似をしてみる。ストックを床に着けて、ハンドガードのところを握ると負担も無くて丁度良かった。座りにくいなと思い腰まわりを確認すると、ボディアーマーの前垂れが変に折れ曲がって股に挟まっていた。

「よいしょ」

 重さのある前垂れを引きずり出して定位置へ持って来る。なるほどリュウタが邪魔だと言っていた意味が分かった。

 ゴリアテが走り始めたようだ。キャビンにはガーッと大きな機械が動く騒音が溢れ、会話が出来そうもなかった。

 見ていると、三人が座る椅子の位置が刻々と変化し、少しずつ砲塔が旋回しているのが分かった。おそらく野営地の外側を回り込むようにして施設に近づいているのだろう。車体の向きと施設の位置関係が変化し続けるので、砲塔の旋回も止まらなかった。

「グラスのアイコンを目でクリックしてみて」

 騒音の中でもジュンの声がハッキリと聞こえた。これもヘルメットについた通信機のおかげである。

「アイコン?」

 ヘルメットのツバから垂れ下がった透明なシート状のグラスが、公一の視界に幾つかのアイコンを表示させていた。その一つを見つめると、公一の瞬きに合わせて反応があり、視界が変わった。

「うひゃあ」

 まるで外にいるかのように視界が切り替わった。どうやらゴリアテに複数あるカメラやセンサーなどの情報と繋がったようだ。

 公一の体はキャビンのベンチシートに座ったままだというのに、ゴリアテの外の様子が三六○度見通すことができた。

 さすがに画像同士が繋がる所には不自然な角みたいなものがあったが、車内に居ながら周囲の様子は手に取るように分かった。

 これならば戦場で視界に入りづらい車体の影に敵が隠れていても、降車と同時に襲撃される恐れはないだろう。

「便利な機能じゃないか。ジュンは使わないのか?」

 ジュンがいるだろう右側に振り返るが、そちらにも荒野が続いているのが見えただけだった。

「戦う相手が軍隊なら必要だったかもね」

 ジュンの素っ気ない返事。

「え、じゃあ…」

「いまじゃイヌなんかしか相手しないもん。そんなに重い物被ってたら肩が凝っちゃうでしょ」

「そうか、そうだよな」

 たしかにジュンに指摘されて、自分の首への負担が自覚できた。

 ほぐすついでにゴリアテが進む先を確認する。段々と、あの校門みたいな鉄製のゲートが近づいて来た。

 ある程度の距離でゴリアテの進む力が無くなった。おそらくシンゴがアクセルを緩めて惰性に任せたのだろう。やがて緩やかに揺れも無くゴリアテが停車した。

「ジュン、頼む」

 エンジンのアイドリングの音の中でシローの声が聞こえた。

 正門は半分閉まっていた。このままではゴリアテごと施設に入ることはできない。いやゴリアテぐらいの装甲を持つ車ならば、そのまま体当たりして強引に施設に入ることはできそうだが、そうした乱暴な方法を取ると後々トラブルが多そうだ。

「よし、行くよ」

 ジュンが立ち上がった気配がした。遅れてはいけないと公一も立ち上がったが、キャビンの中だという事を忘れていた。

 見えない天井へ、思いっきり頭をぶつけてしまった。

「あいてえ」

「プーッ」

 ジュンが吹き出す気配。

「これ、キャンセルするには…」

 自分の視界の中に残るアイコンをチェックする。そのものズバリ「戻す」と書かれた丸印に視点を合わせて瞬くと、ゴリアテの車内の様子が戻って来た。

 目の前でジュンが体を折って震えていた。

「そんなに笑う事無いだろ」

「いや、ゴメンゴメン。あまりにもお約束だったからさ」

 声にスキップさせながらジュンが謝罪してくれた。ウィンチェスターライフルを鷲掴みにして立ったジュンは、壁のスイッチを操作してゴリアテの後部ドアを開いた。

「よし」

 パンと自分の頬を叩いて笑顔をどこかへやり、公一と顔を見合わせた。

「うん」

 公一も気合を入れ直して頷いた。八九式ライフルを握る指に握力がかかった。

 二人はゴリアテの外へ飛び出すと、まず視界に入る後方をチェックした。

 相変わらずの荒野だ。ちょっと離れた所に置き去りにされたパムとリヤカーが寂しそうに見えた。二張りのテントは、あいかわらずの風に抗っていた。

 ドアを閉める操作をしたジュンが、装甲の角から前を確認した。ゴリアテに腰に巻いた鎖が当たって、ジャリンと硬い音がした。

 公一もその背中に貼りつくようにして、前を確認する。

「うふふふ」

 ジュンがまた笑い声を上げた。まあ、今度はとても小さくて、目立たない物だったが。

「ど、どうした?」

「ボクにくっついてまわって、まるでヒヨコみたいだね」

「ヒヨコ」

 そんなことを言われた事が無かったので、公一の目が点になってしまった。

「くすぐったいよ」

「あ、ごめん」

 慌ててジュンの体から離れる。すると、少し残念そうな顔をしてみせた。

「そういう意味じゃないんだけどね」

「?」

 ジュンの言いたいことが全く分からず、公一は首を捻るばかりだ。

「じゃ、行くよ。まわり見てて」

「おう」

 ジュンの声色が戻ったので、公一も体を強張らせた。

 パッとジュンが走り出したので、慌てて公一も続いた。周囲を見ろと言われていたので、キョロキョロと首を動かしながらついていく。

 足元が変わった。しっかりとした踏みごたえに見おろすと、地面が石だらけの荒野の物ではなく、アスファルトで舗装された物に変わっていた。

 久しぶりの感触に、感動すら湧いて来た。

 そんなことでモタモタしていた公一を残して、ジュンはゲートに取りついた。

 手に提げてきたウィンチェスターライフルを背負うと、ゲートを全身の力を使って開く方向へ押し始めた。

「手伝おうか?」

 重そうなゲートに公一が訊くと、ちょっと厳しい目で睨まれた。

「まわり見ててって言ったでしょ」

「りょ、了解」

 慌てて八九式ライフルを構え直した。前後左右を確認するが、施設の様子は相変わらずで、無人の構内に風が巻いているだけだ。

 左側にある警備員詰所も、もちろん無人であった。

 正面には大きな窓と受付のカウンター、その脇にある出入口は開いたままで、どこからか砂が少し吹き込んでいた。

 大きな窓のおかげで室内までよく見える。壁面には複数のランプがあるようだが、どれも点灯はしていなかった。

 警備員詰所の向こう側に、小さな駐車場があった。錆で表示が読みにくくなった看板に「来場者受付駐車場」とあるから、車で来た者はそこへ停めて入場手続きをしていたのだろう。

 構内道路の反対側には枯れた木が数本。構内道路自体は大型トラックが余裕ですれ違えるほどの幅を持っていた。

 構内道路はすぐに交差点になっており、手前側は来場者駐車場と反対側の緑地、奥側には四階建ての建物と、何らかのモニュメントのような塔と一体化した四階建てが向き合って建っていた。

 真っすぐと見通せる構内道路の左右には、他にも公一には意味が分からない塔やタンクなどが立ち並び、それらをパイプラインが繋いでいた。やはり二か所ほどガーターで補強されたパイプが、構内道路の上を横切っていた。

 横切っているパイプの真ん中に「構内速度一〇キロ」の標識がかかっていた。

 ゲートを重そうに押しているジュンにくっついて公一も少しずつ端の方へと移動した。

左側車線が空いたところでゴリアテがエンジンを吹かし始めた。振り返るとゆっくりと動き出したようなので、公一はさらに端へと避けた。

 キャタピラでアスファルトに白い爪痕をつけながら、ゴリアテがゆっくりと敷地内へと進入してきた。もう開く必要が無くなったと理解したのだろう、ジュンはゲートを押すのをやめた。

 ゴリアテは来場者駐車場に斜めに入ると停車した。



「行くよ」

 ジュンがゴリアテに向けて小走りに走り出したので、慌てて公一は追った。

「ヒカル、頼む」

「はい」

 シローの短い言葉に、ヒカルの短い返事。バシュッと空気の抜けるような音がして、車体ハッチの一つが持ち上がった。装甲の厚み分持ち上がると、横に回転して人の出入りができるようになった。

 通信手席から直接出る事ができるハッチを開いて、車内からヒカルが顔を出した。両手をマットレスのような物が敷かれた正面装甲について、下半身を抜き出した。

「?」

 公一の喉から変な音が出た。ヒカルは首から、まるで巨大なネックレスですよと言わんばかりに、銃を下げていたからだ。

 形は公一が持たされている八九式ライフルに似ているが、一回り程サイズが小さかった。カービン銃もしくはサブマシンガンといったところだ。

 他はいつものヒカルである。丁寧にハッチを閉めてから正面装甲の端まで行ったところで、さっと寄ったジュンに手伝ってもらいながら地面へと足をおろした。

 もう一回バシュッと空気の抜ける音がしたのでゴリアテを振り仰ぐと、砲塔のハッチを回しながらシローが顔を出すところだった。

「ヒカルは警備室でローカルネットの検索をしてくれ。ジュンたちは、その護衛だ」

 不愛想に命令だけ告げると、シローは車長ハッチに備えられた機関銃を構えて、周囲へ鋭い視線を送り始めた。

「シローは緊張しすぎ」

 ジュンがからかうように地面から声をかけた。

「俺は臆病なんだ」

 周囲の建物を睨みながらシローは言い返した。

「それでここまで来れたんだから、いくらでも緊張するし、臆病にもなる」

「ハゲが大きくなっても知らないからね」

「え?」

 ジュンのからかう声に公一がビックリしていると、さすがにシローが見おろしてきた。

「まだガキの頃の十円ハゲのこと言いやがる。もう治ってんだからな」

 忌々し気なシローの言葉に、ジュンは堪えきれないとばかりに、顔へ両手を当てた。

「そんなこと言ってると、気が付いた時には親父さんみたいになるんだから」

「とっとと行け!」

 シローが怒鳴り返すと、通信機から複数の失笑が聞こえてきた。

「おまえら、おぼえてけよ」

 シローは胸元を覗き込むようにハッチから車内へ視線を移すと、ちょっと迫力のある声を出した。

「あれ?」

 公一は出会った直後の時を思い出した。確か制帽を脱いだ時には、そんなハゲなんて見つける事はできなかった。むしろ豊富な髪、そして髭の量に驚いたぐらいだ。

「まだお尻に青いのが残ってる頃にね、ココらへんに円いハゲがあったんだよ」

 ジュンが自分の右耳の後ろ辺りを指差して教えてくれた。

「ジュン!」

 公一へ自分の思い出したくない過去を教えた事を非難する声を上げるシロー。

「いいじゃん。もう無いんだろ?」

「よろしいですか?」

 唇を尖らせてそっぽを向くジュンに、ヒカルが確認した。

「そろそろ警備室の探索と行きたいのですが」

「うん、じゃあ行こうか」

 ジュンは町歩きするかのように気軽に歩き出した。ヒカルも特に警戒する様子は無く並んで歩き出した。

「ナカムラさんよ!」

 通信機を介さずとも聞こえる声でシローが心配げな声を上げた。

「二人を頼むぜ」

「了解」

 ジュンの真似事の敬礼を返し、公一は八九式ライフルを構えると、先を行く二人の背中を追った。



「それ、なんだよ」

 公一がヒカルに訊ねると、不思議そうにヒカルは振り返り、そして自分の胸元に彼の視線が向いていることに気が付いた。

「ああ、このサブマシンガンですか? 私には必要無いと常々シローには言っているのですが、持たされるのですよ」

 ちょっと微笑んだような仕草をして見せた。

「まあ、彼なりの気遣いという物ですか」

「どうせヒカルは使わないのにねえ」

 これはジュンだ。

「ヒカルは見るのが仕事で、自分から何かしないもんね」

「いえ、誰かが危害を加えられそうになった時は使用するつもりですよ」

 瞬きを表現したのか、瞳の無い目を一回だけ明滅させた。

「それで? ここには何がありそう?」

「前回探索したヒロ班が、大概な物は持ち帰ったはずです。水に食料や燃料、放置されていた車両からは使えそうな部品」

 ヒカルの中にはしっかりと前回の記録が残っているようだ。ウインドショッピングを楽しむ中学生といったジュンに、淀みのない返事をしていた。

「じゃあ、やっぱり情報ぐらいしかアテは無いと?」

 ちょっと後ろからついてくる公一を気にしたように、チラリと視線を送って来た。

「おそらく」

 ヒカルは相変わらずだ。

 距離も離れていないので、警備員詰所の前にすぐに着いた。

 まずガラス越しに内部の様子を確認する。もちろん誰も居ないし、また白骨化した何かが転がっているという事もなかった。

「誰もいないね」

 当たり前のことをジュンが口にし、それでも背中に回していたウィンチェスターライフルを構えると、まず自分が最初に扉をくぐった。

 一〇畳ほどの室内は、小さな役場といった雰囲気だった。

 カウンターのまわりには空の本棚。それと据え付け型のモニターが残されていた。他にも室内にはこういった部屋にありがちな事務机や椅子が残されていた。

 机一つに一つずつ、カウンターと同じ据え付け型のモニターが乗っていた。ただ一番奥に置かれた机だけはモニターが三面あった。

 机の配置からして、ここの責任者の席だったことは間違いないだろう。

 壁面には、外から窓越しに覗いたように、ランプやら表示やらが並んでいた。劣化して見づらくなっているが「火災報知盤」の表示があるので、敷地内で火事などの異常があった場合、それらが点灯することになっていたのだろう。

 いまはどれも消灯していて、近代芸術の作品といった雰囲気を醸し出していた。

 角に扉があって、奥にもう一部屋あることを臭わせていた。ただそちらの探索は必要ないかもしれない。ドアにプレートがかかっていて「仮眠室」と読めたからだ。

 ヒカルは特に急ぐ様子も無しに、三面モニターを備えた席へと歩み寄った。

「死んでるんじゃねえの?」

 荒野の中にポツンと建つ施設である。公一には電気が通じているとは思えなかった。

「記録では、この端末で構内の情報が検索できたはずです」

 ヒカルが奥まで行くので、つきあうようにジュンと並んで公一もモニターが見られる位置まで進んだ。

 ヒカルが席に着くと、モニターを撫でるような仕草をした。途端にブンと電源が入り、モニターが青く点灯した。

「お?」

 公一が感心した声を上げる。さらにヒカルはモニター前の机を撫でるような仕草をした。するとそこにどこからかキーボードの画像が投影された。

 投影画像のキーボードは伊達では無いようで、その上を滑るようにヒカルがタイピングすると、右側のモニターに「所内警備履歴」といった堅苦しい文章が浮かび上がった。

「ヒロ班が探索してから訪れた者が無いか、ログを検索します。検索終了。やはり誰も訪れた者はいないようです。たまにイヌ、もしくはウサギのような獣が出入りした事をセンサーが感知した記録が残っていますが、そのどれもがすでに退去したよ…」

 不自然にヒカルの声が途切れた。

「どした?」

 公一の質問に、ヒカルは画面から振り返った。

「ログの最後に書き込みがあります」

「最後?」

 ジュンが眉を顰めた。

「なんて書いてあるんだ?」

 公一の質問に、ヒカルはその箇所を拡大して正面のモニターへ表示した。読みやすいようにと体を傾けて視界を確保してくれた。

「『狂王の訓練所にようこそ。一生遊んで飽きない面白さ。退屈はさせない。九○才以下の子供は両親、守護者、司祭、または悪魔と同行すること。例外は認めない』なんだこりゃ?」

 とんでも文章に目を丸くしていると、ジュンが苦笑して教えてくれた。

「ヒロだ。あいつ、行った先々でこの文句を残していたからなあ」

「彼なりのメモリアルといったところですね」

 ヒカルも慣れた様子だ。

「なんだ、前の人のイタズラかぁ」

 胸を撫で下ろした公一はホッと一息つくと、思いついたままの言葉を口にした。

「でも、そのイタズラが二○年後に読まれるなんて、思っていなかったろうな」

 公一の言葉にジュンとヒカルは顔を見合わせた。

「それは逆です、ナカムラさん」

 ヒカルが教えてくれた。

「ヒロは自分がここに来たことを思い出してもらうために書き残したはずです」

「世界は終わっちゃったから、せめて最期まで、生きていた証を残したかったんだって」

 ジュンがヒカルの説明に付け足した。

「コレをアチコチに書いておけば、今のボクたちみたいに、ヒロの事を思い出すヤツがいるかもって。まるで自分が先に死ぬことを知ってたみたいだったな」

 しみじみとジュンが口にする言葉に公一は何も言えなくなった。会ったことも無いヒロという人物の人となりがなんとなくわかったような気がした。

「どうだ?」

 黙り込んでしまった三人に、無遠慮な声が降って来た。通信機の向こうでシローが焦れている姿が簡単に想像ついた。

「記録と変わる所は無いようです」

 ヒカルが正面のモニターに構内地図を呼び出した。ワイヤーフレームで表示された地図は、建物の部屋まで細かく掲載されているようだ。それどころか途中で切断されている形のテニスコートの向こう側まで地図に表示されていた。

「向かいの四階建てが事務棟。その反対側が蒸留精製建屋。パワープラントに、集塵施設。どれもヒロの残した記録と同じです。ゴリアテに転送しますね」

 転送と言っても、ヒカルは特に何も操作する事はしなかった。

「ふうむ」

 通信機からシローの唸り声のような物が聞こえてきた。どうやらゴリアテの方にも構内地図が表示されたようである。これがヒトのやったことなら「なにも操作せずに凄い」となるが、ロボットであるらしいヒカルだと「出来て当たり前」であろう。

 記録のままでは、ここには何も残されていないことになる。だとすれば、まったくの無駄足だったということだ。

「この事務棟の四階にある『所長室』に、なんか手掛かりが残っているかもしれねえ。それと、蒸留ナントカの二階にある、この部屋はなんだ?」

「この部屋?」

 ヒカルの指が机を撫でると、モニターの中のカーソルが移動して、蒸留精製建屋の二階を範囲指定した。使っていなかった左側のモニターにアップとなる。

 一見しても何も特徴が無い建物の平面図に見えた。

「このジカンコウテイセキニンシャ室って、なんだ?」

 蒸留塔基部などの部屋名の間に「時間工程責任者室」という長ったらしい名前の部屋があった。

「名前からして二四時間で施設が稼働している時に、その当直時間での責任者が詰めていた部屋だと思われますが」

 ヒカルの説明に、シローが煮え切らない声を出した。

「怪しい物は調べろって言われてきたしな。ここも一応調べるか…。この赤バツは何だ?」

「赤バツ?」

「事務棟の地下だ」

 今度は事務棟の地下をアップにする。すると地下駐車場の奥にある「有事応急所」という名前の区画全体に赤いバツ印がついていた。

「少しお待ちください」

 ヒカルは正面の画像をそのままに、凄い勢いでキーパンチを始めた。すると右モニターの警備記録が下から上へ流れ始めた。

「まず有事は分かるとして、オウキュウトコロって何だ?」

 公一が訊くと、手を休めずにヒカルが答えてくれた。

応急所(おうきゅうしょ)ですか? ナカムラさんに合わせて答えるとなると…、そうですね救急外来が一番近いですかね」

「キュウキュウガイライ?」

「これでも難しいですか。では救急病院ではどうですか?」

「救急車が行く先かな?」

「そうです。戦闘で負傷した兵士を運び込んで手当てをする拠点と言えば分かりやすいですか?」

「あれ? でも…」

 公一は中学の時の同級生でミリタリーマニアの北条君に、強引に突き合わされて観た映画を思い出した。

「そういうのって『野戦病院』とか言うんじゃないの」

 映画の中で、ちょっと野蛮な将軍が、精神病で入院していた兵隊に拳銃を突きつけていたのを思い出した。

「もちろん、そういう類の物も用意されましたが、ここはもう少し踏み込んだ治療をする施設です。腕や脚を失った者など、前線では手に負えない重傷を負った兵士が運び込まれたはずです」

「腕や脚…」

 ふとヒメの右足に意識が行った。

「それに、ここはヒト用の施設では無かったようです」

「ヒトじゃない?」

「はい。ドワーフやブリガのように、調整された者たちのための施設だったようです。ありました」

 突然、会話の流れが変わったので驚いていると、右モニターに流れていた文章が止まっていた。

「シロー。個人、もしくは一集団がシェルターとするために、内側から隔壁を下ろしてロックしたようです。日付が最終戦争の最終日になりますから、ここの施設に勤めていた者かもしれません」

「中は?」

「手動でロックされたので、内部とコミュニケーションを取ることは不可能です。ただ日付が日付ですから、中にいる者と話し合うことは永久に無理でしょうが」

「え? なんで?」

 公一が不思議そうに訊くと、面倒臭がらずにヒカルは答えてくれた。

「ナカムラさんは忘れているようですが、最終戦争から一三九年経過しています。物資がある程度備蓄されているはずの応急所ですが、そこまで水や食料があるとは思えません」

「ああ、そうか」

「たぶん、中の住人はミイラになってるんじゃないかな」

 これはジュンだ。

 二人の意見も聞いていたのか、シローが決断を下した。

「よし。事務棟の四階と、建屋の二階、この二つを探索目標にする。班分けはいつもの通りだ。俺とジュン…、それとナカムラさんが事務棟。ヒメとリュウタがこっちの建屋だ。シンゴとヒカルはゴリアテでバックアップしてくれ。で、何か見つけたらヒカルが行って詳しく調べる。それでいいな?」

 シローの問いかけに、通信機には返事が溢れた。

「ナカムラさんも、それでいいな?」

 公一だけ答えなかったのに気が付いたようだ。

(どんな地獄耳だ)

 そんな感想を抱いた事はおくびにも出さずに、慌てた風を装って公一は返事をした。

「了解」

「よし。んじゃあ、ヒカルが戻り次第、それぞれ出発する」

 端末をシャットダウンして、ヒカルが席を立った。

「なにも残って無さそうだね」

 ジュンがまた気楽に歩き出した。背中に回したウィンチェスターライフルが機嫌良さそうに揺れており、それに合わせて腰に巻いた鎖がチャリチャリ鳴っていた。

「まあ『ここには無かった』という事がハッキリすることも重要かと」

 これはヒカルだ。

「ここに居たヒトは、みんな地下に入ったのかな」

 公一はいちおう八九式ライフルを構えてみた。といっても脅威を見つけたわけではなく、ただ単に持て余しただけなのだが。

「そうかもね~」

 ジュンが公一を振り返ると、ニッと笑った。

「なに考えたか当ててみせようか」

「わかるか?」

 面食らった顔になった公一が訊ねると、ジュンはクスクスと笑い出した。

「わかるよ。顔に書いてあるもん」

「そおか?」

 自分の顔に手を当ててみる。ヘルメットのグラスが指に当たった。

「先に行きますよ」

 ヒカルがスタスタと行ってしまう。いちおうシローから彼女の護衛役を言い使っているので、放っておくわけにはいかない。

「ほら、ヒカルに置いてかれちゃうぜ」

 慌ててヒカルを追い抜いて、警備員詰所を出る。するとゴリアテ後部のドアが開いて、シローが出て来るところだった。



 ゴリアテから出てきたシローも、ジュンと同じで特に装備品を変えている様子はなかった。ただ一つだけ違ったのは、肩からヒカルと同じサブマシンガンを提げていることだった。

「よし、俺たちは事務棟だ」

 ヒカルが入れ違いに入ろうとして、立ち止まる。中からヒメとリュウタが出て来るのを待ったのだ。

「ヒカル、バックアップよろしくな」

「はい」

 シローに念を押されたヒカルは、はっきりと答えると車内へ入ってドアを閉めた。

「ヒメとリュウタは、アレだ」

 交差点の対角線にある塔やパイプ等と一体化した建物を指差した。

「了解」不愛想なヒメの返事と「そんなに骨が折れる仕事ではなさそうだな」正反対のリュウタの返事が重なった。

「ええと」

 二人を見て公一は戸惑った。いや、正確に言うとヒメの装備を見てだ。

 リュウタはシローと同じで、サブマシンガンを提げていた。一方ヒメはというと…。

「弓矢?」

 金属製の輝きを持つ弓に、釣り竿みたいに色が塗られた矢を入れた矢筒を腰に提げていた。弓は自身がしなるのではなく、握り手の上下に関節があり、そこに強力そうなバネが架かっていた。

「下手な鉄砲より、よく当たるよ」

 ジュンが公一の構えている八九式ライフルと見比べるようにしながら教えてくれた。

「ちょっと持たせて」

 好奇心からヒメに求めると、ヒメは黙って弓を差し出した。触ってもいいという事だろう。

 八九式ライフルと交換するように弓を手にする。重さはあまり感じなかった。握り手の部分には滑り止めなのか布が巻き付けてあり、弓弦は金属製のワイヤーであった。

「ひいても?」

「…」

 公一の質問に頷くヒメ。

 是という事だろうと、公一はマンガで見たイメージで弓を撃つ姿勢を取り、弓弦に手をかけた。

 ピンと張ったワイヤーで、指の皮が剥けるかと思った。まったく動きもしなかったのだ。

「ふん!」

 今度はワイヤーを鷲掴みにして引っ張ってみる。自分の力で指の関節にワイヤーが食い込んで痛みが走った。

「いてえええ」

 右手を振って痛みを飛ばすと、ヒメが黙ったまま左手を出した。どうやら返せということのようだ。

 素直に弓と渡していた八九式ライフルを交換した。

 その手でヒメは弓を引いてみせた。バネが軋む音をさせて、グイッと弓弦がしなった。

「はえ~」

 感心のあまり変な声が出た。

 ゆっくりと元の位置に戻したヒメが、表情を変化させた。公一の基準では表情が曇ったようにも感じたが、おそらく微笑んだのだろうと思えた。

「遊んでないで、ほら、行くぞ」

 シローに声をかけられて、公一が振り返ると、ジュンが顔面を両手で覆っていた。

「どした?」

「い、いや。なんでもない」

 どうやらヒメの弓を引けなかった公一を見て、全力で笑いをこらえていたようである。

「それじゃあ、よろしく頼むぞ。危ないと思ったら、すぐに逃げて帰って来いよ」

 シローが心配そうにヒメへ声をかけていた。ヒメは微かに浮かべていた表情を消して、黙ったまま頷いた。

「じゃあ、行こうか」

 リュウタが銃身を肩にかけるようにして歩き出した。ヒメは矢を一本矢筒から抜くと、番えていつでも弓弦が引けるようにして後に続いた。



 蒸留精製建屋に向けて行動を開始した二人の背中を見送ってから、シローとジュンが動き出した。小走りに事務棟へと近づいていく。慌てて公一も追った。

 事務棟の一階は、半分が地下駐車場へ下りるスロープとなっており、残り半分が建物の入り口となっていた。

 幅の広いスロープを三車線に分けるように、白線が引いてあった。一番左の車線には「地下駐車場入口」、隣が「出口」とペンキで大書してあって、さらに間違えないように矢印まで描かれていた。

 一番右の車線には「救急車」とだけ書いてあり、矢印はなかった。

(地下の閉鎖区画か…)

 公一はスロープから地下を覗こうとしたが、暗くて中は見通すことはできなかった。

 スロープの端に、扉が開けっ放しの小部屋があった。壁に「地下駐車場炭酸消火配管配置図」という名前がつけられたプレートが張ってある。どうやらここは駐車場の管理員が詰めていた部屋であるようだ。

 何も無い小部屋は覗いただけで通り過ぎ、スロープの前を横切って、建物の入り口へと取りついた。

 ガラス製で両開きの自動ドアは、人が通れるだけ開いたまま停止していた。

 公一が緊張して唾を飲み込んでいると、サブマシンガンを構えたシローが先に扉をくぐった。

 シローの背中を守るように壊れたウィンチェスターライフルを構えたジュンが続き、最後に腰の引けた公一が続いた。

 壁や天井がある空間に入ったことにより、三人は自分たちの足音と、ジュンが腰に巻いた鎖が鳴る音を聞くことになった。他に獣の唸り声などはしないようだ。

 一階は受付とロビー、それと小さな事務区画、便所といった構成だった。

 事務区画には警備員詰所に並んでいた物と同じ、モニターを乗せた机と椅子が乱雑に置いてあった。壁際に並んだロッカーと一緒に、開けられる箇所は全て開けられていた。

 おそらく前回探索したというヒロ班の仕業であろう。家探しは徹底的に行われたようだ。

 他の階には階段とエレベーター両方が繋がっているようだ。

 階段左の壁に取りついて、ジュンが上を窺った。やはり物音一つしない。公一はその背中に貼りつくようにして、同じように上を窺った。

 その公一の背中をシローは鷲掴みにすると、放り投げるように階段右側の壁際へ押し付けた。

「?!」

 驚いている公一の胸倉を掴むと、シローは迫力のある声で言った。

「相方が左に取りついたら、自分は反対の右につけ。右なら左だ。そうして死角が無いように警戒するんだ。わかったな」

「は、はい」

 寄せられた髭面の血走った目に、素直な返事が出た。

「相方が上を見たら下。足元を確認したら空を見るんだ」

「りょ、りょうか…い」

「シローったら」

 ジュンがクスクス笑って言った。

「ヒロたちが調べて何もなかった所だし、そう緊張しなくてもいいんじゃないかな」

「そうか?」

 面白くなさそうにシローが答え、突き放すように公一を解放した。

「足音とか鳴き声とか聞こえないし。警備室のログにも残って無いから、危険はないでしょ」

「そうだといいんだが…」

「じゃ、上がるよ」

 それでもジュンは、ウィンチェスターライフルを両手で構えると、抜き足差し足といった風情で、ゆっくりと音を立てずに階段を上り始めた。短めのスカートで腰を屈めぎみなので、いつもより白い太腿が剥き出しになるが、公一に眺めている余裕は無かった。

 途中の踊り場で、上を覗いてからすぐに顔を引っ込め、もう一度確認するという仕草をした。

「なにかいるのか?」

 シローの押し殺した声に、軽く肩を竦めて背筋を伸ばすジュン。

「なーんにも」

 シローの教育的指導という奴で、すっかり意気消沈した公一は、二人の後に続いて上った。

 そのまま三人は二階まで上がった。

 階段室と二階との間にある防火扉は閉められたままだった。ジュンが慎重に開き、一旦首を突っ込んでサッと確認してから体を引いた。

「どうだ?」

「なにもなし。変な音も、臭いもなし」

 シローに報告すると、今度は堂々と防火扉を開いて、二階へと入った。

 そこは小さなエレベーターホールになっていた。

 端に枯れた観葉植物の鉢が残されていた。

「結構広いな」

 シローが二階を見通せるだけ見回して言った。一階の入り口が、地下へのスロープのせいで、だいぶ建物の端に寄っていたので、上下階を繋ぐ階段もフロアーの一番端に設けられていた。二階はエレベーターホールから廊下が伸びているのだが、まるで消失点があるような直線なのだ。

「上も同じかな?」

 首を捻るジュン。

「手間がかかるな。二手に分かれるか」

 シローはジュンを振り返って、天井を指差した。

「ジュンは三階をチェックしてくれ。全部家探ししなくてもいい。襲ってくるヤツがいるかいないか確認したら、四階のココで待っていてくれ」

「シローは?」

「俺はコイツと二階を調べてから追いかける」

 突然シローに指差されてビックリしてしまった。

「四階で会おう。もちろんヤバくなったら遠慮なく通信機を使え」

「了解。コーイチも一緒?」

 ジュンが納得いかないように眉を顰めた。

「ああ。ナカムラさんは、俺と一緒にココを担当する。それでいいな? ナカムラさんよ」

「は、はい」

 探索の知識なんて持ち合わせていない公一が、なにか口を出せる雰囲気では無かった。

「ん?」

 ちょっと不思議そうな顔をジュンはした。心配そうに公一とシローの顔を見比べた。

「わかった。じゃあ四階でね」

 ジュンは浮かんだ疑問を口にすることなく、再び防火扉をくぐると、階段を上がって行った。

 階段を上っていく足音の代わりに、腰に巻いた鎖が鳴る音が離れて行った。

「よし、調べちまおう」

 公一の顔を身長差から見上げてシローがトンと彼の胸へ軽く拳を置いた。

「了解」

 二人はスリガラスで廊下から見通せないようになっている二階フロアーに、進入した。一階の受付奥にあった事務室と、基本は同じであった。

 大量の机と椅子。乗せられたままのモニター。開けっ放しのロッカー。こちらの方が広い分、枯れた観葉植物や、中身が空っぽのウォーターサーバーなんていう物も置いてあった。

 事務机が並ぶ空間の先、廊下の消失点の方向に壁があり、扉が設けられていた。

 窓際をチェックしていたシローが躊躇せずにその扉をくぐり、廊下側を歩いていた公一が続いた。

 そこは会議室として利用されていたようだ。大きな楕円形をしたテーブルを囲むように、座り心地のよさそうな椅子が並んでいた。

 向かいの壁にある扉は、さらに向こう側へ今までチェックしたような事務スペースが続いていることを予感させた。

 壁際に残された、これまた中身が空っぽの様子のウォーターサーバーの横には、半分使って放りっぱなしになっている紙コップの束が置いてあった。

「ナカムラさんよ。まあ、座れや」

 シローはそこからコップを一〇個ほど抜き取ると、中の方にあったためホコリを被っていなそうな二個をテーブルに並べた。

「は?」

 どうやらシローがジュンと別行動したのには訳があるようだ。

「まだ、この椅子だって座れるだろ」

 バンバンと座面を叩いてホコリを飛ばしたシローが、コップを置いた席に着いた。

「ん~、なかなかの座り心地だな」

 調子に乗って背もたれに体重を預けたところで、ボキッと破壊的な音がした。腹筋だけで体重を支えたシローは、床へと落ちた背もたれを振り返った。

「気を付けた方がよさそうだ」

 そこで、まだ立ったままだった公一を、睨むように見た。

「まあ座れって」

「いいんですか?」

 上の階ではジュンが一人で探索をしているはずだ。こんなところで油を売っていていいのだろうか。

「まあ休憩だ」

「はあ、まあ」

 公一は気の進まないまま、シローと向き合う席についた。するとシローは水筒を取り出し、それぞれのコップへと茶色い液体を注いだ。

「まあ茶でもどうだ」

「いただきます」

 ここは(おとこ)らしくお酒なのかと思ったが、中身は朝食の時と同じほうじ茶であった。

 水筒に入れてあったので温度は熱くもなく冷たくもなく、公一からすれば色のついた水の様だった。

 シローも唇を湿らせてからコップを置くと、制帽へ手をかけた。

「ナカムラさんも、それ。外したらどうだ?」

 シローは制帽を脱ぐと、耳にかけっぱなしになっていたヘッドセットをテーブルの上に置いた。

「そうですね」

 なにせ防弾である。ヘルメットの重さに首と肩が悲鳴を上げ始めていたところだ。顎紐を外して、一気に脱いでテーブルの上に置いた。髪をまとめている中帽は、汗が染み込んでいた。公一は中帽も脱ぐと、ヘルメットの中へ放り込んだ。

「さて」

 制帽だけを被り直して、シローが言いにくそうに切り出した。

「これだけお膳立てしたんだ、話しがあるってのは分かるよな」

「はあ」

 それから自分で切り出したくせにシローはしばらく口を開く事を躊躇してみせた。公一が再びジュンのことが気になった頃に、やっと話を始めた。

「ナカムラさんは、ジュンの事をどう思う?」

「どうって…」

 返答に困っていると、シローが怖い顔をさらに険しくした。それに押されるように公一は慌てて言葉を繋げた。

「…かわいいなあって思うけど?」

「…そうか…」

 公一の答えを聞いて、フッとシローの気配が和らいだ。

「あの…」

 質問の真意を計りかねて、煮え切らない声が出た。シローは変に優しい声を出した。

「俺は…。俺たちはジュンに幸せになってもらいたいと思ってる」

「はあ」

「で、だ。昨日からの様子を見ていると、ジュンはナカムラさんを気に入った様なんだが、お前さんはどうなんだ」

「へ?」

 まさかの告白に、公一は目を点にした。

「いや、あの…。しあわせ?」

 シローは苛立った声を出した。

「ジュンはなあ。俺たちのお袋よりもお袋なんだ。だから幸せになってもらいたいって思うのは当然だろうが」

「お袋よりお袋?」

 キョトンと訊き返した公一に溜息を返すシロー。

「まだゴリアテだけじゃなく、いっぱいのクルマにいっぱいのヒトやドワーフが乗ってた頃だ。俺の親父は戦車乗りで忙しく、お袋は整備班で忙しくしてた。そういった二人の間に産まれた俺なんかは、面倒見ている暇がないからバスに乗せられていたんだ。そのバスにゃ似たような境遇のヤツも集められていてな。ちっこい頃から理屈は分かっていたが、まあ他の家族は一台のクルマに乗ったり、トラックの荷台で固まったりしていられて、そらあ羨ましかったもんだぜ。シンゴもリュウタも似たようなモンだった。で、そんなちっこい連中の面倒を見てくれたのがジュンだったんだ」

「へえ~」

「飯食わせてくれたり、ウンコ漏らしたら片付けて着替えさせてくれたり。赤ん坊だったヤツにはミルクやったり、オシメ替えたり。熱出したら看病してくれて、暇だったら遊び相手になってくれた」

 公一は実家の近くにあった保育園を連想した。

「え、じゃあ…」

「そういう事だ。俺たちにとってジュンは、実のお袋たちよりも、いつも一緒に居てくれた。言ってみれば育ての母みたいなもんよ」

「ちょっと待て。シローは幾つだよ?」

「いくつ?」

「歳! 年齢!」

「今年で…」

 シローは指を折って数えるふりをした。全部折られては伸ばされること九回目の途中で仕草が止まった。

「八十…、七かな?」

「はちじゅうなな?」

 公一の声が引っくり返りそうになった。

「そのウンコ片付けてたって、ジュンは何歳だよ」

 呆れて公一は頬杖をついた。

「本人に訊け。たぶん軽く三桁には乗ってるぞ」

「はえ~」

「俺たちはヒトとは違うからな。力だって出るし、見えない物も見えるし、寿命だって長い」

 昨日の腕相撲を思い出した。

「だからって朴念仁じゃねえ。だから分かる。昨日からのジュンはちょっと違う」

 公一は思っていたことを正直に口にすることにした。

「おれはてっきりジュンはあんた…、シローといい関係なのかって思ってたぜ」

 公一の言葉にシローが難しい顔をした。

「ナカムラさんは、自分のお袋に女を感じるタイプなのか?」

 シローに問われて、自分の母親がエプロン姿で振り返りざまにウインクしてきた幻を見た。ゲッソリした。

「いやいやいや」

「ヒカルが言うには『ウエスターマーク効果』って言うらしいぞ」

「へえ」

「小さい頃から世話になった相手には、欲情しにくいんだそうだ。だから俺たちじゃダメなんだ」

「いや、でも…」

「ジュンだって遊びたいとか、いい男と連れ添いたいとか、色々我慢して俺たちの面倒を見てくれたんだ。もう世界は終わっちまったから、無意味かもしれねえが…。最後ぐらいはジュンが幸せになってもいいだろうよ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 慌てて公一は声を上げた。

「お、おれの気持ちを無視するなよ!」

「いま『かわいい』って言ったじゃねえか」

 シローが本気で睨んできた。

「たしかにそう言ったけど、その…」

 恋愛経験なんて片思いが少しだけの公一である。そこにこんな重い話をされても、ただ困るだけであった。

「わかってるよ」

 シローが力を抜いたように溜息をついた。

「いきなり過去から飛ばされてきて、世界がこうだもんな。まあ色々とあらあな。だが、これだけは覚えておけ」

 シローが再び本気で睨んだ。

「ジュンを不幸にしやがったら、八つ裂きじゃ済まさねえ」

 公一はあまりの迫力に首を竦めたが、それだけでは許さないとばかりにシローはまだ睨んでいた。

「わかったよ。おれだって女の子を泣かせるのは趣味じゃねえ」

 そう言い返すのが精一杯の矜持であった。

「そら男だったら誰だってそうだろ」

 シローが何を当たり前のことを言うんだとばかりに鼻息を噴いた。

「男だったら…。う~ん」

 公一は座ったまま腕組みをした。

「なんだ? 難しい顔をして」

「いや。女といっても、ジュンとヒメぐらいだろ」

 意識的にヒカルを除いて公一は質問した。

「二人が泣くのが想像できない」

「ん、ま、まあな」

 シローが不自然にどもった。

 しばらく二人は無言で顔を見合わせた。

「降参だ」

 公一がまったく意図していないのに、シローが両手を上げた。

「あの二人が泣いたなんて、数えるぐらいしかねえ。最近じゃ、親父が死んだときぐらいなもんだ」

「さすがにヒトが死んだら泣くのか…」

「ヒトじゃなくてドワーフだがな。こっちゃは慣れてないから、慰めるにしたって、おっかなびっくりだ」

「ジュンはまだしも…」公一はテーブルに頬杖をついた。

「ヒメって泣くのか」

「そら泣くさ」

 シローに言われて公一は想像してみた。だが純粋な人間ではないと聞かされている先入観からか、彼女が感情を面に出すところは、やっぱり想像できなかった。

「シローは…」

 公一は言いにくそうに訊いてみた。

「シローがジュンに萌えないのは分かったが、ヒメはどうなんだ?」

「もえる?」

 シローの濃い眉が寄せられた。

(あ、こういう言い方だと通じないのか)

 すぐに察した公一は言いなおした。

「シローはヒメのこと、女として見られないのか?」

「そらあ種族が違うからな」

 なにを当たり前のことをといった態度でシローが頭を振った。

「ジュンとだって種族は違うだろ?」

 公一の指摘に「ウッ」と言葉を詰まらせるシロー。種族が違うのが理由ならば『ウエスターマーク効果』なんて言葉を出さなくてもよかったはずだ。

 三秒間だけ睨みあってから、またシローが両手を上げた。

「好みじゃないとか?」

「んまあ、それもある」

 認めるのが嫌そうにシローは言った。

「だが考えてみろ。相手の女に『ヒメは自分との子供が欲しいので、死んだら苗床になってくれ』なんて告白されてみろ」

「それは…」

 さすがに公一も絶句した。

「だからよ、だからだ」

「?」

 シローの言葉に力が入った。

「だから俺たちはプラントを見つけなきゃならねえ」

「なんでだ?」

「プラントならドワーフの女だろうが、ヒトの女だろうが、今からでも合成して生み出してくれる。そしたら両手に美人を抱えてウハウハな生活ヨ」

 ニヤリと顔を歪めて見せるが、公一にすらそれが作り笑いだという事が分かった。

「プラントって、そんな魔法みたいにポンポン人間を生み出すことができるのか?」

「聞いた話じゃな」

 シローが聞いた話が本当ならば、今はゴリアテに納まる数の人数しかいないが、それこそ一つの国丸ごとの人口に増やす事だってできるかもしれない。

「それはいいな」

 シローの不敵な笑みが作った物だと気が付きませんでしたと、そらっとぼけて公一は言い返した。

「おれも一〇人ぐらい美人を作ってもらって、夢のハーレム生活だ」

「ジュンを頼むって言ったよな」

 公一の軽口にシローがまた元の表情に戻った。

「わかってるって」

 公一はウインクを返した。

「プラントが見つからなかったら、そういう事もあるだろうし。見つかったらジュンにハンサムなお婿さんを用意してやればいいんだろ」



「おそかったね」

 四階の踊り場でジュンが待っていた。するとシローが仕方なさそうに公一を親指で差した。

「ハンデつきだ。許せ」

「ふうん」

 ひょいとシローの髭面をかわすと、公一の顔を下から覗きながらジュンは訊いた。

「もしかしてイジメられたりしてた?」

「そんなことはなかったけど」とか答えた声が裏返ってしまったので、なにかあったのは簡単に察する事ができただろう。

「あ~」

 ジト目になったジュンが、シローを責めるように薄い視線を送った。

「男同士の話し合いってヤツだ」

 シローが面白くなさそうに答えた。先ほどまでの会話でシローに少しは親近感を得ていた公一は、助け舟を出す事にした。

「そうそう。キン○マの裏についてだよ」

 …。

「は?」

 公一のトンデモ発言に、ジュンが目を丸くしてみせた。年齢が三桁に届くとか教わった後だが、キョトンとした表情は、公一には年下にしか見えなかった。

「汚いわねえ」

「まあな」

 話しを合わせてシローが重々しく頷いた。

「男にしか分からねえキン○マ話だ」

 渋面をするジュンに気づかれないように、公一はシローと目配せをしあった。ちょっとだけジュンに距離を置かれたのはいささか心外であったが。

「さて」

 気を取り直すために、シローが仕切り直した。

「ココもサクっと調べちまおう」

 やはり閉まっていた防火扉を開け、エレバーターホールに出た。他の階と変わったところは無かった。

「やっぱり、誰もいないね」

 それでもウィンチェスターライフルを構えていたジュンは、周囲を見回した。端っこにトイレへ繋がる通路があり、正面には二階と同じような長い廊下があった。

 ただ正面の廊下は途中で終わって壁になっていた。感覚的に言うと、下の階で公一がシローと話した会議室の真上に当たる辺りで途切れていた。

「いちおうチェックしないとな」

 ざっとトイレの方を覗き、それから下の階と同じようにスリガラスで廊下と隔てられていた事務室へと入る。ここまでは下の階と同じだ。ただ、奥に他とは意匠の違う壁があるだけだ。

 窓際をシローが、廊下側をジュンがチェックしつつ奥へと進む。公一は二人を背後から襲う何者かがいないようにと警戒する役…、と言えば聞こえがいいが、ただ単にジュンの後をヒヨコのようについていっただけだ。

 程なく、奥の壁に辿り着いた。

 真ん中に木調の扉。その両脇にかつて青々しかったと思われる観葉植物の鉢が並んでいた。

「これ」

 ジュンがその枝に気が付いた。なにか枝の影に隠れるように取り付けられていた。

 見た目はクリスマスツリーの飾りによくあるような銀色の珠であった。しかし細いケーブルがその珠から生えており、見えにくいように根元を通り、その先は壁へ消えていた。

「なんらかの警備システムのようね」

「まあ、偉い奴の部屋のようだしな」

 これはサブマシンガンを構えたままのシローだ。

「じゃあ、いちおうこの先は今までと同じではない可能性があるってことだ」

 ジュンがシローに確認するように訊いた。

「おそらくな」

 二人とも銃のグリップを握り直した。その緊張感は公一にも伝わって来て、すっかり渇いて唾も出なかったが、喉が鳴った。

「よし」

 シローがハンドガード上のコッキングレバーを引いて、初弾を送り込んだ。リリースレバーを押し込んで、いつでも撃てる状態になった。

「いい?」

 ジュンが扉のノブに手をかけた。シローが頷いて答えた。

 素早くジュンが扉を開くと、シローは銃身だけを部屋にツッコミ、まず正面、右、左と素早く銃口を向けた。

 それから天井を向けて力を抜いた。

「なんじゃコラ」

 確かに扉の向こうは今までと雰囲気が違った。

 かつては豪勢だっただろう調度類はすべて焼け焦げ、炭化した残骸しか残っていなかった。

 正面に見える大きな机も半壊し、入って左側にある応接セットも見るも無残だ。

 そしてとどめに、朝から変わらない曇り空が丸見えになっていた。

「見て。足跡がある」

 ウィンチェスターライフルを立ててジュンが床に手をついていた。焦げた絨毯に、見分けがつきにくいが、素人の公一にも分かる程、確かに足跡が複数あった。

「ヒロたちのじゃねえか?」

 足跡の一つの横にシローは足を置いた。グッと踏みつけてから上げると、同じような跡が残った。靴の裏の模様から何からそっくりだった。

「たしかに。一〇〇年前の足跡じゃあ無さそうだもんね」

 納得した様子のジュンが立ち上がると、腰の鎖に音を立てさせながら、足元を確認しつつ部屋に内部へ歩き出した。

「崩れそうもないしね」

「いちおう気をつけろよ」

 シローも後に続いた。

「気のせいか、弱くなってね?」

 最後に入った公一が訊くと、ジュンが気楽な様子で振り返った。

「絨毯がまだ柔らかいんじゃないかな。それで踏みごたえがおかしいんだと思うよ」

「ああ、なるほど」

 言われて公一は納得できた。

 焼け跡なのは間違いないので、三人は警戒を緩め、壊れた机へ辿り着いた。

 今まで見てきたような他の机と同じように、かつてはモニターが乗っていたような形跡はある。しかしそれは何らかの原因で焼かれ、無残にもゼリーのような輝く物を机上にぶち撒いていた。

 ジュンが、警備員詰所でヒカルがやったように、モニターの前で手を振ったり撫でたりするような仕草をしたが、うんともすんとも言わなかった。

「ダメだね。壊れてる」

「そうだな。データのサルベージとかいう問題じゃねえな」

 シローは深い溜息をついた。

 二一世紀でも壊れたコンピューターからデータを得る方法があると聞いたことがあったが、部屋ごと焼かれた上に、物理的にこれだけ壊されているのだ。こういった精密機械や未来の道具に詳しくない公一にだって壊れているのは一目で分かるのだから、二人から見ればこのモニターが使い物にならないのは明白なのだろう。

「今回は、まったくの無駄足か…」

「ほ、ほら。いちおう昨日、コーイチと出会えたじゃん。それだけでも、ね」

 肩を落とすシローを励ますジュン。なるほど母と子と言われても納得してしまう雰囲気であった。

「あの~、一ついいか?」

「なんだ」

 公一が手を挙げて発言しても、もう自分の中のやる気は欠片ほども残っていないという声をシローが出した。

「地下の封鎖区画を開けてみないか?」

「は?」

 厭世観タップリで、まるで溜息のような反応だった。

「なんでだ?」

「ヒカルによると、救急病院だったんだろ? ココの地下」

「みたいだな」

「だったら医薬品がまだ残されているかもしれない」

「まあ、そうだろうな。今まで閉鎖されているって事は、ヒロたちも入ってねえってことだ。ま、閉める前に運び出してねえかぎり残ってんだろうな」

「そしたら、ヒメの足を治せる薬もあるかもしれない。ヒカルは言ってたもんな。手足を失う程の怪我をしたヤツを運び込む施設だったって」

「たしかにそう言ってたけど」

 面白くなさそうにジュンが答え、シローの顔色を窺うように彼を見た。

「薬は無くても、もうちょっとマシな義足があるかもしれないし」

「だがよ、ナカムラさん。どうやって隔壁を開けるんだ? 中からロックされてるんじゃ、開けようがないぜ」

 いちおう意見を聞く態度は取るシロー。

「それに開けても、なんにも残されちゃいねえ可能性もある」

「ま、そこは宝くじみたいなもんだから、開けてのお楽しみってところだけど…。開ける案はある」

 素晴らしい笑顔で答えた公一の腰を折るように、ジュンが訊ねた。

「宝くじ? なにそれ?」

「あっと、えーと」

 なんと説明していいのか分からなかった公一は、最後の手段を使うことにした。

「後でヒカルに訊いてくれ」



 照明が全く点いていない地下駐車場の奥に大きな鋼鉄製の壁があった。丁度真ん中あたりに組み合わせたような線が浮いていた。

 普段ならば闇に沈んでしまっているだろう、しかし今は強烈な白い光が円く投光され、表面がハッキリと見えた。

 鋼鉄の表面には、元からなのだろう「LOCKDOWN」と大書されていた。そして公一の胸よりも下、いまオデコをその壁に着けているヒメの目の高さに塗装をナイフか何かで削って「Welcome to Proving Ground of Mad Overload」の落書きがあった。

 いちおう八九式ライフルを構えている公一は、その塗装を削った落書きをつたない英語力で読解しながら、恐る恐るといった態で訊いた。

「どう?」

 瞼を閉じて一心不乱に集中していた様子のヒメが壁から離れて公一を見た。身長差から彼を見上げる事になるのだが、普通のヒトで言うところの白目まで黒色なので、その視線を意味するところを把握しづらかった。

 まったく頭髪の無い頭を傾げると、ヒメは「初めてやることだから」とポツリと言った。

 しばらく待ったが、それ以上の言葉は無いようだ。

 彼女が何をやっているかというと、隔壁の厚みを調べているのである。

 使っている方法は超音波による走査だ。

 公一は、昨夜ジュンに教えてもらったヒメが暗闇を見通す方法、反響定位(エコーロケーション)を覚えていた。

 超音波で見えない闇を見通すことができるならば、同じ超音波でできる物質の断面を見通すことができないかを本人に訊ねたところ「やったことない」の一言だったのだ。

「じゃあ試してみてよ」の一言に、彼女は黙って頷いた。

 このヒントになったのは、公一の時間感覚からして昨年に、母親が受けた乳がん検診だった。市役所からのがん検診の案内で受けた乳がん検診で、右側にしこりがあるとかで再検診となったのだ。その再検診から帰ってきた後に聞かされたグチによると、胸を痛いぐらいに板で挟んで平らにし、そこへ超音波を当てて体内を透視したのだそうだ。

 同じ原理で隔壁の透視に成功した場合、厚みや構造から破壊が可能かどうか分かることになる。可能ならば隔壁を破壊して閉鎖区画へ進入しようと、こうしてゴリアテごと地下駐車場まで乗り込んできたのだ。

 いざとなればゴリアテの主砲を使ってでも隔壁を破壊するつもりだ。こんな終わった世界では、医薬品の補給にはそれぐらい価値があった。まあ使用期限はとうの昔に切れているのは、重々承知の上だったが。

「分からないのか?」

 自信なさげに首を横に振るヒメを見て、公一は諦めた声を出した。

「お手上げか…」

「逆」

「ぎゃく?」

「厚みとか構造とか、大体わかった。あとはイケるかどうかが分からないだけ」

「そうか、分かったんだ」

 公一は自分のアイデアがうまくいったことを素直に喜べなかった。これがジュンならば大喜びしているだろうが、こう話し相手のテンションが低いと喜んでいいのかそれとも別のリアクションを取った方がいいのか、イマイチ分からなかった。

 まあジュンみたいに明るすぎるのもたまに煩く感じるが、ヒメの低いテンションも考え物だ。こんなに感情表現が薄いと、人生経験がまだ浅い公一は困ることしかできなくなる。

「ヒカル」

 他の乗組員がヘッドセット型の通信機を使用している中で、ヒメだけはトランシーバー型の通信機を使用していた。これもハンチング帽みたいな頭の形が影響しているようだ。この形では、ヘッドセットを被ることは難しいだろう。

 ヒメは通信機を、ジャンパーの下に着た戦闘服の胸にある(公一から見て)何でも貼りつく箇所へ上下逆さに着けていた。上から鷲掴みにするようにしてスイッチを入れると、こういう分析が得意そうなヒカルへ最低限の情報を送った。

「四重、緩衝材なし」

「でしたら粘着榴弾の後に榴弾といったところですか」

 答えは通信機からではなく大音量のスピーカで伝えられた。

「うるせ」

 防弾ヘルメットで耳が覆われているとはいえ、こんな地下空間で拡声器を使われたら煩さを感じても当たり前の事だ。

 公一は強烈な光を投げかけてくるゴリアテの方向を振り返った。

 逆光で分かりづらいが、砲塔のハッチからシローが半身出している様子がわかった。

「よし。みんな車内へ入れ。こんな場所で榴弾を使用したら、爆発の圧力で耳や肺がやられちまう」

 シローの命令は通信機で届けられた。

 公一のヘルメットと、ヒメの右胸の通信機が同時に受信した二人は、一緒にゴリアテへ向けて歩き出した。

「しかし、便利なもんだな」

 低いテンションのヒメを一所懸命褒めてみようと公一は努力してみた。

「自分が言った事」

 ヒメが平板に言い返した。

「ヒメはこんな使い方出来るとは知らなかった」

 そしてグッと公一を身長差から見上げると、親指を立てて見せた。どうやら顔には出ていないが、彼女は彼女なりにみんなの役に立てたことが嬉しいようだ。

「お、おう」

 真似をして親指を立て返すと、彼女が微笑んだ気がした。

 サーチライトの強烈な光から外れ、ゴリアテの後部ドアから車内へ入った。キャビンではジュンが待っていた。

「いけそうだね」

 公一の目が眩しさに慣れてしまっていたので、車内灯が薄暗く感じられた。

 二人が乗り込むと、いちおう外を確認してジュンがドアを閉めた。

「さて、久しぶりだから、ちゃんと撃てるかな」

「…」

 悪戯気に微笑むジュンに無反応な視線をやって、ヒメは砲塔内の自分の席…、前へ向かって右側になる射手席へと上って行った。

「各ハッチの閉塞を確認」

 シローの命令に、ジュンが再び後部ドアを操作するスイッチを確かめた。

「ガンナー」

「チェック」

 シローが復命を求めた。ヒメが自分の頭の上にあるハッチを拳で叩いて確認した。

「ドライバー」

「おう、ワシは出ておらんからな」

 それでもシンゴはヒメと同じように頭の上のハッチを殴りつけた。

「コミュニケーター」

「準備完了です」

 ヒカルの冷静な声。彼女はハッチを殴るようなことはしなかった。まあロボットのような物らしいから、彼女が間違うという事はしないであろう。

「ローダー」

「準備完了」

 リュウタも頭の上のハッチを叩いて確認した。

「レコン、ブラボー」

「オーケー」

 ジュンが答えた。公一に向けてニヤリと笑うので、彼女の代わりに後部ドアを公一が叩いた。

(大丈夫だ閉まっている)

 拳にジンワリと痛みが染み込んできたが、変な音がしなかったのは間違いなかった。

「そして、オレと」

 最後まで砲塔から半身を出していたシローは、自分が立っていた椅子から降りて、ハッチを閉めた。座る前に自分でいま閉めたハッチを叩いて確認した。

「よし、主砲射撃用意」

 公一は好奇心から砲塔内の作業を見ようと首を突っ込んだ。

「第一射は弾種HESH、続けてHE」

「了解」

 装填手であるリュウタが席を立ち、覗き込んでいる公一の頭の上、つまり砲塔後部にある小さな扉を開いた。そこから一抱えもある緑色をした砲弾を抜き出し、駐退器の後ろに備わったパイプを半分に割ったような箇所へと乗せた。公一には意味が分からなかったが、緑色の砲弾には、黄色い輪が弾頭を囲むように一つだけマークされていた。

 砲弾を乗せたリュウタが上半身を捩じると、自席のモニターへ指を伸ばした。モニターに現れていた「装填」のウィンドウをクリックすると、ガシャコンと大げさな音を立てて砲弾を乗せていた台が動き、砲弾を薬室へと送った。砲弾の尻が砲に飲み込まれるのと同時に尾栓が閉じられた。

「これだけの至近距離だ、装薬は弱装。その代わり狙いを外すなよ」

「チェック」

 両手で自席にあるハンドルを握ったヒメが答え、モニターを操作してからハンドルを少しだけ倒した。シローの唸り声のような音を立ててわずかにだけ砲塔が回転し、そして大げさな音を立てて尾栓を支えるシリンダーが作動して主砲の角度が調整された。

 公一が覗き込んでいる位置からだと、ヒメのモニターを覗くことはできなかったが、おそらく同じ画面を映しているだろうリュウタの席のモニターは見る事ができた。

 専門知識があれば何を意味するのか分かるだろう円や線、三角形が組み合わされた照準が、目の前の隔壁に合わされた。もっと正確に言えば床からちょっと上の高さだ。

 照準が合わせられている間もリュウタには休みが無いようだ。別のモニターで数ある中から弾種を選択すると、公一の頭の上で重々しく機械が動く音がした。どうやら砲塔後部にある弾倉の中で機械が砲弾を選択しているようだ。

 次に砲弾を取り出した扉を開くと、真っ赤に塗られた砲弾が引き出された。どうやらモニターで選択すると、扉の向こうでローダーが次の砲弾が抜き出しやすい位置へと運ばれてくるようだ。

 リュウタは赤い砲弾を、緑の砲弾が装填されて空になった台へと乗せた。

「照準よし」

「よし。撃て」

 静かにシローが命令すると、ヒメが左ハンドルの先についた赤いボタンを押し込んだ。

 ズンという振動だけが車内に響き、駐退器が後ろへと下がった。駐退器はただ下がるだけでなく、下がった勢いを利用して尾栓が開いた。下がった主砲本体が、そのまま台の上までやってきて、そこに乗せてあった赤い砲弾を飲み込んだ。前へ戻りながら尾栓が閉まっていく。次弾の装填が自動でなされたのだ。

(あまり音はしないんだな)

 公一はそう思いつつ、命中した砲弾がどうなったのか、リュウタのモニターで確認した。

 隔壁の命中した位置は、まるで蚊に刺されたようにポコンと盛り上がっていた。先程までそばにいたので、その盛り上がりが直径三○センチ以上だという事が分かる。なにせ誰かが表面を削って書いたラクガキのすぐそばだ。比較する物があったので大きさの把握は容易かった。

「続けて第二射」

「装填完了」

「チェック」

 リュウタがすかさず報告し、ヒメがモニターを操作した。

「薬莢が出ないんだな」

 公一の口からつい出た感想に、リュウタが振り返った。

「液体装薬だ。薬莢は出ないよ」

 ニッコリと笑うリュウタは、命令もされていないのにモニターで次の砲弾を選択していた。モニターには「APFSDS」とあった。再び公一の頭の上でゴトンと器械が動く音がした。

「照準よし」

「よし、撃て」

 先程と同じやり取りが繰り返され、再びズンという振動があった。

 次の瞬間、隔壁を映していたモニターは爆炎で何も見えなくなった。車体全体からまるで大雨に出くわした時のようなザーッという音がする。おそらく砲弾が隔壁に命中した後に爆発し、爆風と共に砲弾自体の破片や、破壊できていたのなら隔壁の破片が飛んできてゴリアテを襲っているのだろう。

 だがゴリアテは全身が装甲で守られていた。音はするが何か異常が発生するとか一切無かった。

 爆発に伴う煙が晴れてくると、隔壁に穴が開いている様子が見えてきた。

「おっ? おっ!」

 公一はゴリアテの主砲の威力を目の当たりにし、うまく言葉にすることができずに、変な声だけが出た。

「よし。どうやら通れそうな穴ができたようだな」

 モニターにスケールが浮かび上がった。どうやら車長席のシローが操作したようだ。それによると穴の直径は一メートルほどあるようだ。

 サーチライトに照らされているが、その強い光でも隔壁の向こうに潜む闇を晴らすことはできなかった。

「レコン、ブラボー」

 席から公一を見おろしたシローが二人を指名した。

「中の探索を頼むぞ。もちろんヤバイ者が隠れてたら、すぐに逃げて来るんだ」

「了解」

 公一は敬礼の真似事をしてキャビンへ首をひっこめた。すでにジュンが後部ドアのところで待機していた。

「面白かった?」

 どうやら主砲発射の感想を求めているようである。

「ああ、勉強になった」

「そりゃあよかった。開けるぞ」

 ジュンがドアを開けると、周囲にはまだ煙が残されていた。

 ジュンが首を出したので、彼女とは反対側をチェックするために、公一も首を出した。

 煙は公一が二一世紀でも嗅いだことのある臭いがした。

(夏の花火大会の臭いだ)

 ちょっと煙が多くて息苦しいが、活動できない程ではない。だが小さな警告音と共にヘルメットのグラスに文字が投影された。

「なんか黄色い字が出たんだけど」

 車体の左を確認しているジュンへ告げると心配そうに振り返った。

「なんて書いてある?」

「酸素量低下注意」

「注意か。危険に変わったら教えて」

「了解」

「まてまて」

 二人のやり取りを通信機で聞いていたらしいシローが割って入った。

「注意警告が出たら、それに対応する装備を準備しろ」

「でもシロー」

 ジュンはキャビンへ首を引っ込めると、通信機を使わずに直接大声で、シローに一番重要な点を指摘した。

「酸素ボンベなんてリヤカーにだって積んでないじゃん。無い物は振れないよ」

「それを言うなら『ない袖は振れない』だろ」

 同じようにキャビンへ戻った公一が訂正してやった。

「で? タンクトップは困るんだけど、どうすんの?」

「タンクトップ?」

「袖が無いんだろ」

「ああ…」

 突然ジュンが発した「小粋なトーク」に(おやじギャグとも言う)公一は目を丸くした。

(やっぱ歳上かもしんない)

「いま失礼な事考えてなかった?」

 ジュンのジト目から視線を慌てて逸らす公一。

「そんなことないよ」

「うぬぬぬぬ」

 砲塔の方からシローの唸り声が聞こえてきた。

「携帯用のセンサーがあったろう。それを持ってけ」

「…。あの毒ガス用の?」

 ジュンが聞き返すと、なぜかリュウタが笑い出した。

「あれはシンゴの屁がどれだけ危険か確かめるために使ってから壊れているんじゃなかったか?」

「そうだったの」

 砲塔の向こうからしみじみとした声が聞こえてきた。

「たしか『即死レベル:すぐに避難が必要』と出てから…」

「お前ら、装備品で遊ぶなって前から言っているよな」

 シローがとても迫力のある声を出した。

「大丈夫だよ」

 ジュンがフォローする。

「たしかイカれたんで、新しいのと交換しておいた」

 ジュンはそう言いながら、キャビンの天井近くにある戸棚のようなところから、スマートフォンのような器械を取り出した。

 脇にあるスイッチを入れた途端に、ビービーと喚くように警報音を上げ始めた。

「危険! 危険! 毒ガス域です。すぐに避難が必要です! 防護服が必要です!」

「あ、こっちは壊れた方だった」

 慌ててスイッチを切ると棚に戻し、同じところから同じ器械を取り出した。

 脇のスイッチを入れると、今度は画面が一旦白くなり、起動画面らしき物に切り替わった。

 それと同時に公一の視界に「ガス検知器と同期しますか?」との質問が表示されたので、視線をあわせて瞬きでクリックして了承した。

 一回、長めに「ピー」と不快な音を立ててから、動作は安定したようだ。

 器械の画面と、公一の視界に重なる視界と、同じ表示が現れた。細かく酸素から窒素、硫化物質など周辺大気に含まれる成分が細かく表示された。

 その項目の多さに、リストがざっと下に流れるほどだ。

「これ、ろくに前が見えないじゃないか」

 あまりの文字の多さに、公一には周りがちっとも見えなくなっていた。なにせヘルメットのグラスに投影されているのだ。手前の文字で風景が隠されてしまっていた。

「いちおうボクが見てるから、接続切っちゃっても大丈夫だよ」

「了解」

 グラスに表示されている「戻る」というアイコンを選択し、視界を取り戻した。

 ジュンは腰の鎖に音をさせてドアまで戻り、腕だけを外に出すと器械を振って見せた。

 公一の視界に、先ほどと同じ「酸素量低下注意」の黄色い文字が現れた。どうやら接続を切っていても警告だけは表示されるようだ。

「それじゃあ見て来る」

「お宝があればいいが…。なんにしろ、やばかったら逃げてこい」

「了解」

 シローの心配げな声に送られて、二人はゴリアテの外に出た。

 ヒメが隔壁の透視をしようとしていた時は、底冷えする感じがした地下駐車場であった。が、今は爆発のお陰で生ぬるいぐらいの気温になっていた。

 ゴリアテの後ろから隔壁の穴を観察する。何かが出て来るとか、変な声がするとか、異常は見られないようだ。

「よし」

 ジュンはウェンチェスターライフルを手にすると、隔壁に開いた穴の左側へと走って行った。

(左の時は右だったな)

 先程教わったことを思い出した公一は、八九式ライフルを構えるとジュンの背中を追いかけた。段々と右へ逸れるような走り方をし、隔壁に取りつく時には穴の反対側をキープした。

 肩から体当たりするような勢いで隔壁の影に身を隠す。顔を上げれば、ジュンも似たような姿勢でこちらを見ていた。ニヤリと、あのいたずらっ子のような笑顔を公一に向けた。

「問題は?」

「なんもなし」

 ジュンは手にしていた検知器を振って見せた。黄色い「酸素量低下注意」の文字が相変わらず表示されていた。

(息苦しいとかは無いな)

 器械が警告するので覚悟をしていたのだが、肩透かしをくらったような気分だ。多少爆発の残り香のように硝煙が立ち込めているが、息ができない程ではない。重いボディアーマーをつけて走った割には肺へ酸素は取りこめているようだ。

「見てる? シロー」

 ジュンが相変わらずサーチライトで光を投げかけて来るゴリアテを振り返った。

「見とるぞ」

「じゃあ、これから中に入るね」

「入るなら、ナカムラさんを先にしろ」

 シローの言葉に二人は顔を見合わせた。

「いや、言っちゃなんだけど、コーイチに先に行かせるのは…」

「そのためのボディアーマーだろうが」

 シローの指摘に、公一は肩をすくめた。

「言われてみれば、そのとおり」

 公一は八九式ライフルを握り直すとジュンへ頷きかけた。

「コーイチ」

 とても心配そうな顔をしていた。

「逃げ足だけは得意なんだ」

 安心させるために口先でそう告げた。実際は、あの交通事故から逃げそびれてこの時代に来たような物だから、逃げ足なんて普通の人並みの自覚しかなかった。

 この施設の探索で、ジュンなどの動きを見ていたので、あれを真似して行動することにした。

 サッと穴を覗いて、すぐに首を引っ込めた。

「どう?」

「暗くてよく見えない。あとグラスが曇った」

 爆発が起こった場所だからなのか、公一のヘルメットのグラスに煤がついて視界を遮るようになっていた。

「それかけてた方が暗視機能とかもあるんだけど」

 ヘルメットのツバにグラスを畳む公一を見て、ジュンが不安そうな声を上げた。

「見えない方がもっと怖いよ」

 グラスを畳んだ公一は、もう一度穴の向こうをチラ見した。

 やはり暗くてよく見えない。と、ゴリアテのエンジン音がちょっと大きくなった。

 移動でもしたのかと思って振り返ると、ゴリアテの砲塔が少し回って、サーチライトの位置が変わっていた。

「これならどうだ?」

 どうやらシローの指示で光の具合を変えてくれたようだ。

 もう一度、公一が穴の中を覗くと、今度は光が奥の方まで差し込んでいた。

「いい具合だ。じゃあ、行ってくる」

 隔壁は五○センチほどの厚みがあった。穴はほぼ床に接するように開いていたので、くぐるのには苦労は無かった。

 断面にギザギザができているので、不用意に触れて怪我をしないように気を付けながらくぐり抜けた。

 向こう側にも駐車スペースが続いていた。といっても隔壁の手前よりはだいぶ狭くて、左右に二台ずつ停めれば一杯になりそうだ。

 右側にだけバイクのような四輪車が二台止められていたが、手前の一台は見るも無残に破壊されていた。

 どうやら隔壁を破壊した時に飛び散った破片が直撃したようである。

 もう一台の方は暗くて細部は分からないが、無事の様であった。まあアレを持ち出すとしたら隔壁を開けなければならないが。

(とりあえずバイクみたいのがあったから、これが使えれば無駄じゃなかったってことだな)

 もちろんパムに二人乗りすることに抵抗は無い。いや、どちらかというとジュンと密着できるから、少し嬉しく感じるのは、公一が思春期の男の子だからであろう。だが使える車両が増える事は、使える戦術も増えるという事にもつながるはずだ。

 駐車スパースの向こうはスリガラスの自動ドアだった。八九式ライフルを構えたまま前に立つが、うんともすんとも言わない。

 スリガラスを通して向こう側を透かして見るが、点々と壊れた照明が点いているだけのようだ。

「さすがに自動ドアは壊れてるんじゃない?」

 ジュンが追いついて来た。

「どうする?」

公一の質問に、人差し指を立ててみせた。

「自動がダメなら手動しかないでしょ」

 ジュンが両開きのスリガラスに向き合うと、指を隙間へと差し込んだ。

「よいしょ」

 そのまま力任せに開いていく。公一は施設の正面ゲートを思い出し、ジュンの頭の上から八九式ライフルを室内に向けて構えた。

 扉の内部はすぐに診察室といった雰囲気だった。おそらく応急処置をそこでして、容態が安定したら奥へ運ぶようになっていたのだろう、一見して病院のような器材が揃っていた。

 薬類を乗せたワゴンに、点滴台。簡易な手術までできそうな処置台に、それを周囲の視線から隠すクロスパーテーション。ただクロスパーテーションは汚れたり破れたりしていて無事な物は残っていなかった。

「よし」

 ジュンの両腕が伸び切る前に、公一は彼女を横へ優しく押しのけ、先に進入する事にした。

 やはり応急処置で必要になると思われる酸素吸入装置や、心臓へ電気ショックを加えるための電極をたくさん持った器械など、大きさも種類も様々なワゴンが散らかしっぱなしになっていた。

 そして壁際に、黒くて大きな影がうずくまっていた。

 大きく開いた顎に牙がずらりと生え、ランランと紺色をした瞳が二人を見つめていた。

 背中には、まるでコウモリのような一対の翼が生え、力強い腕や脚には鋭い爪が備わっていた。そしてトカゲのようにしなやかな尻尾が揺れていた。

 漆黒の闇の中で獲物を待ち構えていたのは伝説の怪獣ドラゴンであった。

「うわあ! 出たア!」

 公一は飛び退ろうとして尻もちをついてしまった。八九式ライフルのトリガーを引かなかったのは、彼が素人以下だったからで、ちゃんと判断したわけでは無かった。

「どうした!」

 すかさずシローが反応した。

「…」

 そして場が沈黙した。

「あ、あれ?」

 公一は恐る恐る立ち上がり、もう一度よく室内を観察してみた。

 しなやかに揺れているように見えたのは、破けたクロスパーテーションが自動ドアを開けたことで吹き込んだ風のイタズラ。力強い腕や脚、そしてそこに備わっていた鋭い爪は、隔壁の穴から差し込むゴリアテのサーチライトが悪戯して見せた、潰れたベッドの影。

 大きく開いた顎に生えた牙は、隔壁の穴の断面に残ったギザギザが、ここまで影をのばした結果だ。

「どうした? 報告しろ!」

 シローの真剣な声で公一は我を取り戻した。

「ご、ごめん。おれがすっころんだだけ…」

 言い訳の言葉は途中で空気に溶けた。

 紺色のランランとした瞳は錯覚でもなんでもなかったからだ。

「おんなのこ?」

 問いかけるとまず足音がした。

 闇の中から浮かび上がるように一人の人物が、サーチライトの光の中へ歩み出した。

 たしかに女の子である。歳の頃は公一と同じ高校生程度に見えた。雪のように白い肌を持ち、上半身は黒いビキニのような物の上に、ジュンなどが着ている白い流星マークが入った黒いコートを羽織っていた。下半身は黒いホットパンツに白いベルトを巻き、黒いロングブ-ツである。

 コートの前は開けているので、かわいいオヘソを含めて腹部を見る事ができた。が、左脇腹に見るも無残な傷痕があった。まるで抉られたように柔らかなボディラインがそこだけ途切れて、紫色の凹みができていた。

 両手には黒い長手袋を嵌め、左腕の肘から下には鎖が雁字搦めに巻き付かせており、反対の右手には剥き身の刀剣を握っていた。

 長い黒髪は左右で結んだいわゆるツインテールという髪型だったが、右側の束はまるで切断されたかのように短くなっており、左右非対称になっていた。さっきのドラゴンに見えた影の翼部分は、このツインテールが壁に映した影だったことが分かった。

 一言で言えば色白の美少女である。

 なによりも印象的なのは紺色の強い輝きを持った瞳であった。

「…」

 彼女は自動ドアまで二メートルといったところで立ち止まると、そこで固まっている二人を見比べた。

「どうしたナカムラさんよ! ジュンでもいい! 応答しろ」

 まさか生きている者に会えると思っていなかった公一は、言葉が浮かんでこなかった。

 そしてジュンは一言だけ呻くように言った。

「『ルーク』…」



 ★Dragon of the Next Chapter appearance。


 一面の岩場が広がっていた。

 かつては日本最高峰と呼ばれた物の残骸である。今は宝永山より上は失われて何もない。

 陽も差さない薄暗く曇った空。大小の赤い岩。わずかに目に入る緑色は、忘れられたように生えている地衣類である。

 こんな土地でも世界が終わった今では戦前の自然が残された貴重な場所であった。

無秩序に散らばっている岩の中央には、置かれたようにマイクロバスほどの大きさをした岩があった。周囲の赤いガレ場と同じ夕陽のような色をしていた。

 風が通り過ぎるだけで、動物は何も存在しないかのように思われたが、その岩の上に腰かけている者がいた。

 中学生か高校生と言った年頃の女の子である。

 美少女と陳腐な表現では済まされないような整った顔立ちである。

 まるで冗談のように大きな鍔を持った三角帽子を被り、Aラインのワンピースを身に着けて、胴回りをボディスで締めて女の子らしい曲線をしたラインを強調していた。

 想像される歳の割には、はっきりとした体形をしていた。

 身に着けているどれもが黒色をしていて、脇に立てかけるように持っている曲がった柄のホウキと相まって、魔女のようにも見えるファッションだった。

「♪~」

 かすかに風に乗って彼女が口遊んでいる歌が聞こえた。

 目を閉じて、長い黒髪を風が遊ぶままに戦がしている。

 膝まで覆う編み上げブーツを揺らして、歌の拍子を取っていた。揺らすたびにチャリチャリと金属音がするのは、右の足首に大昔の囚人が着けていたような鉄球に繋がれた足枷を着けているからだ。

 そのまま悠久の時の向こう側まで時が過ぎても変わらないような風景に、変化が起きた。

「お?」

 謳うのをやめて、長い睫毛が生え揃った瞼を開くと、そこに常人ではありえないピンク色をした瞳が現れた。

「おや?」

 瓜実型をした滑らかなラインを持つ顔の表情を、不思議そうに変化させる。

 大きな瞳がキョロリと動き、太陽が昇る方向を眺めた。

「まさかね…」

 独り言を言い、小鹿のようなしなやかさで岩の上に立ち上がった。

 と、無粋な唸り声が辺りに響き始めた。

 いつの間にか、大岩の足元に複数の獣が現れていたのだ。

 全てが黒く長い体毛を持ち、胴はとても太い。長い尻尾を持つが、顔にはまるで爬虫類のような鱗がびっしりと生えていた。

 この世界でわずかに生き残った者たちが「イヌ」と呼んでいる獣である。

 どうやらイヌたちは、久しぶりに見つけた獲物に食欲を刺激されているのだろう、大きく裂けた口から垂れるヨダレを隠そうともしていなかった。

「おおーん」

 遠吠えで会話をするように連絡を取り合い、大岩を完全に包囲する。

 少数が姿を晒しても彼女に反応は見られなかった。それで大胆になったのか、イヌたちは次から次へと岩陰から現れてきた。最終的には数十匹という大所帯であることが見て取れた。

「ガウッ!」

 とうとう一匹の勇者が、その高さをものともせずに彼女へ飛び掛かった。

「うるさいよ」

 まるでハエやカに集られたように、飛び掛かって来た個体を平手で叩いて落とした彼女は、そこで初めて自分が包囲されていることに気が付いた。

「いま、ちょっと忙しいから、遊んでいられないんだ」

 彼女はホウキを握る左手ではなく、右手を上に掲げるように差し伸べた。

 辺りにピンク色をした炎が荒れ狂い、イヌたちは悲鳴を上げる暇も無く炭素化合物へとなり果てた。

「かかって来るなら、相手の実力をちゃんと見極めてから、かかって来なきゃね」

 そう炭になった獣たちへ言い渡すと、顔全体を歪めたような笑顔となった。

「そうだよねぇ。ちゃんと見極めないとね」

 彼女はホウキに跨ると、そのまま空へ飛び立った。



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