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バタフライ&ローゼス・ガーデン  作者: 池田 和美
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バタフライ&ローゼス・ガーデン・2-1



「ナカムラさん」

 夢も見ずに寝ていた公一に、誰かが静かに声をかけた。

「ん?」

 いつもの朝ならば、階下のダイニングから聞こえてくる母親の怒鳴り声で飛び起きる公一である。こんな「文化的」に起こされるのは、小学生以来であった。

「そろそろ起床時間となります」

(この声は誰だっけな…)

 寝袋の中で寝ぼけていた公一は、声の正体に気が付いて急激に自分が覚醒するのを自覚した。

「ヒカル?」

「はい、そうです。現在午前五時五十八分、あと二分で起床時間です」

「ごじ? いや、ろくじ?」

「はい、急いでください」

「なんだよ、まだ夜じゃないのか?」

 公一が寝袋ごと上半身を起こしたのを見てから、ヒカルが自らの体を光らせ始めた。

「すぐに朝食兼ミーティングとなります。いつまでも寝汚(いぎたな)くしていると、シローに怒鳴られますよ」

「うへえ」

 慌てて寝袋のジッパーを開いて、足を出して、靴を履く。他に朝の仕度などはないはずだ。

 朝の冷気にブルッと体が震えた。

「また飯盒持って集合?」

「ええ。ついでにジュンの分も持って来て下さい」

「コップも?」

「はい。飯盒とコップ、両方が必要となります」

 公一の言葉にヒカルが頷いた途端、外からリュウタの声が聞こえてきた。

「朝飯だぞぉ」

「おっと、行かなきゃ」

「お待ちください」

 そのまま首をほぐしながらテントを出ようとする公一をヒカルが止めた。

「?」

「寝袋と歯ブラシをついでに片付けた方が、何度もテントに戻らなくて済んで、効率が良いですよ」

「そっか」

 野営のために広げたアレコレが次に必要となるのは移動した先のどこかとなるのだ。たしかに荷物は片付けながら行動した方が良さそうだ。

 ヒカルに教わりながら寝袋を丸め、右脇へと抱え込む。左手に歯ブラシを握って移動の準備は完了した。



 テントから顔を出すと、今日も相変わらず天気は曇りだった。

 朝が早いので違う景色が見られるかと荒野の方を眺めたが、とっくに夜が明けているらしく、朝焼けも何も見られなかった。

 首を巡らし昨夜、食事の配給を受けた辺りを見ると、シローが二つの飯盒を受け取っているところだった。

「早くしないと遅刻ですよ」

 ヒカルの忠告に急いで荷物を持ってリヤカーへと行き、銃座の手摺から二つの飯盒を掴み、コップを指に引っ掛けて戻ると、ちょうどヒメが飯盒を受け取るところだった。

「お願いします」

「おはよう」

 飯盒を受け取りながらリュウタが笑顔を向けてくれた。

「おはようございます」

 またリュウタは深鍋からオタマで飯盒へ食事をよそってくれた。中蓋に乗せられたのはビスケット数枚である。

「アッチでミーティングだから」

 蓋を閉めた飯盒を差し出しながらリュウタがニッコリ笑って教えてくれた。彼の示したのはゴリアテの前にあたるところで、そこにシローとヒメが座っているのが見えた。

「オレもすぐ用意するから」

 リュウタは深鍋に残った液体を、自分の飯盒へと注ぎ始めた。待っていてもいいが、シローに遅いなど言われたくもないので、みんなのところへ移動する事にした。

「先に行ってて構わないかな?」

「ああ。オレもすぐに行くから」



 受け取った飯盒を下げて、シローたちが座っている場所へと移動する。そこはゴリアテの正面となる所だった。ゴリアテの真ん前にシローが胡坐をかいて座って待っている。それに向き合うようにヒメが両膝を抱くような座り方…、いわゆる体育座りをして待っていた。

「おはようございます」

 公一もその横に並ぶように腰を下ろしながら挨拶をした。

「おはよう」

 二人から、ぶっきらぼうな挨拶が返って来た。どうやら朝が苦手なのは公一だけではないようだ。

 二人とも自分の分の飯盒を横に置いている。蓋を開けていない所を見ると、まだ手を付けていないようだ。

(食べ始めるのは全員が揃ってからなのかもしれないな)

 公一がみんなに遠慮して待っていると、ゴリアテの砲塔にあるハッチが開かれた。

「よいしょ」

 中からまず、あの壊れたウィンチェスターライフルが差し出され、砲塔の天板へと置かれた。それからジュンが顔を出し、両手をつくと一気に体を引き抜いて、砲塔の上へと上がった。

 砲塔の上でウィンチェスターライフルを回収して、昨日のように(はす)に背負う。それから足元にあるオプチカルサイトや、増備されている機関銃に気を付けながら車体へと下り、前部装甲の方へ歩いて来た。

車体の前ギリギリから車座になっている一同を見おろし、公一を発見するとニッと笑った。

「おはよう」

 石しかない地面へと軽く飛び降りて来ての挨拶。シャラランと腰に巻いた鎖が鳴った。

「おはよう」

 二人が公一にしたように、ぶっきらぼうにジュンへ挨拶を返した。

「おはよう」

 ジュンは公一にだけ念を押すように挨拶をしながら、横へ腰をおろしてきた。

「おはよう。これ、ジュンの分」

 スカートの裾を直すのを待ってから、配給を受けていた飯盒を差し出す。さすがに昨夜迷ったので、どっちが自分の物か見分けられるように、よく観察しておいた。

 他の装備品などと同じく、飯盒の表面にも白い流星マークがプリントされていた。ジュンの飯盒は爪でひっかいて削ったのか、その星の中にハートマークの形をした傷があるのだ。

「あ、ありがとね」

 ジュンがニッコリと笑った。

 相変わらずの雲ばかりの空模様だが、朝日が差したような気がした。

「お、遅れてすまんな」

 リュウタが声をかけながら車座に加わった。円の中心にケットルを置いて、ヒメの向こう側へと腰を下ろした。

 これでゴリアテの乗員は、ほぼ揃ったことになる。

 シローが面倒臭そうにゴリアテへ振り返った。

「シンゴォ!」

「はいよお」

 シローが上げた怒鳴り声に、小さな返事があった。シローの真向かい、つまりゴリアテの真向かいでもある場所に座った公一から見て、車体の左側にあるドライバーズハッチから、ヘッドギアがはみ出しているのが見えた。

「全員揃ったな」

 シローが睥睨するように見回して確認した。

「ヒカルは?」

「はーい」

 公一の質問に、シンゴの横のハッチから返事があった。シンゴと同じようにハッチから半分だけ頭を出しているのが見て取れた。

「さてと、朝礼を始めるぜ」

 シローが言いながら飯盒の蓋を取った。それに合わせて全員が飯盒を開くので、公一も従うことにした。

 中蓋に置かれた先割れスプーンを、合わせた両手の親指へ横向きに乗せた。

「いただきます」

「いただきます」

(なんか戦闘服で固めた人たちが揃って「いただきます」って言うのも、何か変だよな)

 公一は腹の底から笑いがこみ上げてきたが、我慢する事ができた。

 朝食は、昨夜のシチューを薄めたスープに、ビスケット三枚。以上であった。

 いちおうスープは塩味で整えてあったが、具もほとんど残っていなく、塩味のお湯に近い代物だった。鍋をただ洗って残飯を捨てるよりは、みんなの胃の中へ収めてしまおうというレベルの物だ。

 ビスケットも、よく噛めば甘みが出て来るのだろうが、粉っぽくて「旨い」という感想を言える物ではない。どちらかというと保存が第一に考えられた食物だった。

 まあモソモソするビスケットに塩味がついたお湯であるから、喉が異様に渇くということは無かったが。

「よっと」

 シンゴが飯盒を脇に置いて腰を上げた。円の中心に置いたケットルを手にすると、シローの前に置かれていたコップへ湯気の上がる液体を注いだ。

「うむ」

 満足そうにシローが頷いた。

「お?」

 シローの分を注いだついでに、短くケットルを差し上げて、ヒメに必要か訊ねた。

「…」

 ヒメが頷いて要求した。

「今日のお茶はナニよ?」

 ジュンもコップを自分の前に置きなおした。

「普通にお茶だよ」

 シンゴがやってきて、ヒメの次にジュンのコップへと中身を注いだ。見れば濃く出たほうじ茶であるようだ。

「どうだ?」

「いただきます」

 公一にもケットルをちょいと持ち上げて必要かどうか訊ねて来たので、慌ててコップを差し出した。

 ドバーッと濃い色の液体が注がれた。

 湯気を吹き飛ばしながら口をつけた。二一世紀でもなじみのあるお茶の香りが口腔内に広がった。

「ほー」

 ちょっと出すぎのようでもあったが、昨夜の薄いココアに比べたら、こちらの方が何倍もマシであった。

「リュウタ、ワシにも」

 ドライバーズハッチから上へ、コップを握った腕が伸ばされた。

「自分で注ぎに来い」

 笑顔でリュウタはそう言うと、ケットルを元の位置へと戻した。なにせゴリアテのハッチは高い位置にある。ただ車体の上へ上がるのだって一仕事なのに、さらに飲み物の入ったケットルを持ったままとなると、大変な事になることは自明の理であった。

「ちぇ」

 シンゴは口ではそう言ったが、あまり残念そうではなかった。

「そろそろいいか」

 飯盒の蓋を閉じたシローが、思い思いの朝食風景を確認するように見回し、それぞれの食が一段落したことを見て取って言った。

「今日の予定だが…」

 シローが口を開いた事により、緊張感が生まれた。公一ですら畏まったぐらいだ。

「いつもの通り、ジュンがパムで先行し、目標を偵察、安全を確認する。目標は『第一七三実験施設』だ。ここらへんじゃ一番充実した中央司令軍の研究所だったと思われる場所だから、もしかすっとプラントの情報が残っているかもしれねえ。いちおう二十年ぐらい前に一回、ヒロたちが探索したが、まあ念のためだ。ここからなら巡航速度でも朝の内に着くだろ?」

「たぶんね」

 ジュンはお茶で唇を湿らせつつ頷いた。

「念を押すが、一人で先に施設に入るなよ。探索はゴリアテと合流してからだ」

「わかってるよ」

 ジュンがつまらなそうに唇を尖らせた。それを見たシローが一つ頷いた。

「他の配置はいつも通りだ。そしてナカムラさん」

 シローの首が巡って来た。

「いちおう確認する。指揮権は俺にあるってことでいいよな?」

「は、はい」

 反射的に頷いてから公一の顔が曇った。

(指揮権? 何の話しだ?)

「よし。それじゃあナカムラさんは、ジュンと一緒に行動してくれ。ゴリアテの中の方が安全なんだが、まあ世界がどうなったか自分の目で見た方が早いだろ。ジュン。新人のお守りを押し付けるようで悪ぃが、よろしく頼むぜ」

「それは任せて」

 ジュンがトンと薄い胸を叩いた。

「それと今回の探索は、次の候補地で切り上げることにする」

「え~」

 ジュンがコップを脇に置いて眉を顰めた声を上げた。

「探検面白いのに」

「そら俺も楽しいさ」

 シローは肩を竦めてみせた。

「まだ漁ってない倉庫なんか見つかるかもしれねえしな。だが、それも食料と水が無けりゃあ干上がっちまう」

「それって…」

 ジュンが微妙な目線を公一へ送った。

「そういうこった。食い扶持が増えた分、全体の行程を短くするしかないだろ」

「あの~う」

 どうやら自分のせいで何か予定が変更されたと悟った公一は、遠慮気味に挙手をして発言の許可を求めた。

「なんだ?」

「探索とか探検って?」

「そのことか」

 口調は怒っているようだったが、シローは説明してくれた。

「普段なら俺たちは、いつも決まったルートをグルグル回っているんだ。ここよりも、もうちいと北側をな」

「地名で言いますと、埼玉県から群馬県にかけてになります」

 ゴリアテの方から補足する言葉が飛んできた。

「全部で二十ヵ所ほどあるが、いつもなら井戸やらオアシスを順繰りに回っているんだ。で、ある程度余裕ができたら、こうして足を延ばして色々な場所を見て回っているわけだ」

 ヒカルの言葉に続けるようにしてシローが説明をしてくれた。

「なんのために?」

「そら食料やら燃料やら、なにかお宝を見つけるためさ。もうルート周辺は粗方漁りつくしちまったからな。それと…」

 スッとシローの目が細められた。

「プラント?」

 公一が先回りして訊ねた。

「そうだ。プラントさえ見つかれば、もしかすっと俺たちは滅びなくてもいいかもしれねえからな」

「そんなプラントって万能なのか?」

 公一はシローだけでなく、他の面々の顔も見回した。

「オレは頭が悪いから、わかんね」

 これは肩を竦めたリュウタだ。

 ジュンは苦笑いのような表情だ。

「…」

 ヒメは頷いた。それだけだと分からないと思ったのか、ポツリと呟くように発言した。

「ヒメはシローに従うだけだから」

「まあナカムラさんは知らないだろうからな。戦前は病気も老いもない世界だったらしいぞ」

 これはゴリアテのドライバーズハッチから顔を出しているシンゴだ。

「びょうきもおいもない?」

 口で言われてもピンと来なかった。すかさずヒカルの説明が入る。

「戦前の日本では、寿命を無限に延ばす薬が発明されて、老衰で死亡する事は無くなっていました。若返りの薬さえ実用化直前だったのです。また、どのような病気にもそれぞれ対応する薬も用意ができていました」

「それって、不老不死ってこと?」

 人類が太古の昔からそれを求めていたことぐらいは公一だって知っていた。

「完全ではありませんが、そう申し上げて構わないほど完成された医療体制であったことは間違いありません。ヒトは突発的な事故や、事件などでしか死ぬことは無くなっていました」

「すげー」

 素直に感嘆の声が漏れた。

「でも、最終戦争でみんな無くしちまったがな」

 シローは左肩だけ竦めると、ゴリアテの行く手に広がる荒野を見た。

 釣られて公一も振り返った。どこまでも拳大の石が転がる地面だけしか目に入らなかった。未来都市もそこに暮らす人々も、もうどこにも無い世界である。

「ま、こうなっちまったのはドラゴンが暴れたせいの方がデカいがな」

「どうにもできなかったろうに」

 リュウタも荒野を見て言った。

「ゴリアテの主砲だって岩を砕くのがやっとだっていうのに、地面を全部こんなにしちまうドラゴンなんてもんが暴れたんだ。逃げるので精いっぱいだったろうに」

「ま、親父たちが生き残ったから、俺たちが今こうしてココにいられるんだがな」

 シローの視線が戻って来た。

「よし、みんな今日やることは頭に入ったな。出発は三十分後、それぞれ準備にかかれ」

 途端にゴリアテが獣の咆哮のような爆音を立てた。後部にある排気管からポワッと黒い煙がひと固まり吐き出される。シンゴがエンジンを始動させたのだ。

「さ、ボクたちも準備しよ」

 コップに残ったほうじ茶を一気に飲み下したジュンが、自分の飯盒を纏めながら声をかけてきた。

「了解、あちっ」

 公一も真似をしようとしたが、まだお茶は熱いままだった。



「準備って、何すんだ?」

 先に立ってシャラシャラ腰に巻いた鎖を鳴らしながら歩き出したジュンを、慌てて追いかけて公一は訊いた。

「まずパムの暖機からだね」

 荷物を抱えたまま二人は、昨日荷台を弄ったモノクルへと歩み寄った。

 昨日運んだ工具箱もビニールシートも見当たらなかった。どうやら公一がノックダウンしている間に片付けたようだ。

「これがメインスイッチ」

 飯盒などの食器を地面に下ろしたジュンが、パムの計器盤の下にある大きなツマミを指差した。公一にはそれがガスレンジのツマミに見えた。公一の家の台所にあった物と、デザインが同じだったのだ。

「この位置がオフね。ここまで回すとオン」

 ツマミを時計回りに九○度回してみせる。

「この途中の印は?」

 時計で言うと一時と二時のあたりに小さな印がついていた。

「これはライト」

 ジュンが実際にツマミを二時の位置へ動かした。

「いまはエンジンがかかって無いから点かないけど、ライトをハイビームにする時はこの位置。消したいときはこの位置」

 どうやら一時の位置が消灯の様である。

「え? じゃあ普通に点けたい時は?」

 もっともな質問に、ジュンは半笑いで答えてくれた。

「エンジンがかかれば分かるけど、点けっぱなしだよ」

「あー」

 そう言えばスクーターも前照灯は基本点けっぱなしになっていた。確か免許を取る時に安全のためにそうなっていると教わった覚えがあった。

「メインスイッチをオンの位置かどうか確認したら、これが始動スイッチね」

 ジュンの細い指が、右ハンドルにある黄色いスイッチを示した。なにか字が書いてあったようだが、掠れていて読み取ることができなかった。頭の文字が「S」のような気もするので「START」か「STARTER」であろう。

「じゃあエンジンかけてみて」

「おれが?」

 いきなり仕事を振られて目を丸くしてしまった。

「うん。ボクがいなくても乗れるようにならないとね」

「わかった」

 公一も荷物を地面へ置くと、パムに跨らずに両ハンドルに手を置いた。右親指の位置に教えられたスイッチが来る。

「ダメだよ」

 そのままスイッチを押し込もうとしたところで止められた。

「燃料コック開かないと」

「ねんりょうこっく?」

「これ」

 ジュンが車体の脇にある大きなツマミを指差した。昨日、燃料を注ぎ足す時に動かしていたツマミである。これもメインスイッチと同じでガスコンロの物と同じデザインであった。

「ここに印があるでしょ」

 ツマミの一端に三角形をした印があった。そんな所もガスコンロを連想させた。

「これが上を向いている時は、タンクからエンジンに燃料は行かないの」

「へえ」

 初めて知る知識に、公一から素直な声が出た。それを聞いたジュンが不思議そうな顔をした。

「あれ? バイクに乗ってたんじゃないの?」

「おれが乗ってたのはスクーターだから、こんなのついてなかった」

 ここで嘘を言っても意味が無いので、ジュンへ素直に答えた。

「エンジンかけて、ブーンって走り出すだけ」

「うーんと、オートペットのことかな?」

「おーとぺっと?」

 キョトンとしていると、その表情だけで公一が知らない単語だと理解したのだろう、ジュンが教えてくれた。

「電気で動く自転車と、バイクの中間みたいな奴。こういう荒野じゃタイヤが小さくて走れないけど、廃墟の中とかでたまに使えるのが落ちてたりするよ」

「電動機付き自転車みたいなモンか?」

「アレよりもバイクっぽくて、スーパーカブよりは自転車っぽい」

「…」

(じゃあ電動スクーターみたいな…)

 公一は一回空を見上げてから、ジュンに振り返った。

「えええっ!」

 急に大声を上げた公一に、ジュンが首を竦めて飛び上がった。

「え? なに?」

「カブ、まだあるの?」

「う、うん。予備の燃料なんか置いてあるところに、まだ動くのが一台あるし、廃墟にもよく落ちてるよ。コーイチの頃からあるの?」

「ああ。俺もスクーターにするかカブにするかで悩んだから」

(こんな未来にまで残っているなんて、ホンダの技術すげー)

 公一が痴呆のように口を開けて感心していると、ジュンが声を改めてコックを指差した。

「で、この印を前に向けると、タンクからエンジンに燃料が流れるから」

「こうか?」

 指差された印に注意して、公一はコックに手をかけた。真上から九○度前に回したところで、小さな手ごたえがあった。

「それで燃料はオッケ」

 ジュンは指で丸を作ってから説明を続けた。

「次にギアの確認」

「ぎあ?」

「ちょっとどいて」

 半ば奪われるように場所を交代する。そしてジュンはパムに跨った。ちなみに服装は相も変わらずコートにプリーツスカートである。ふわっと舞った白い腿に目が行ってしまったのは、まあ公一が健全な男の子だからである。裾がもう少しというところで、背負ったライフルのストックが抑えて見えなかった。

「ここ」

 左足を指差すと、ステップの前後にペダルがある。

「前を踏むと一段下がって、こうして上げるか…」ペダルの下へ足を入れて上に上げてみせた。「それか後ろを踏めば一段上がるから」

 よく観察すれば、まるでシーソーのように前後のペダルが繋がっているのが分かった。

「前が下で、後ろが上?」

「これも普通のバイクと同じだけど?」

 ジュンが不思議そうに訊ねてきた。

「いやスクーターにはギア無かったし」

「そうかぁ、じゃあ知らなくても当たり前か」

 ジュンの足が前ペダルを何回も踏み込んだ。

「一番下がローギア。二番目がニュートラルで、動力は伝わらないから。後は二段、三段、四段、五段まで」

 実際にギアを動かして教えてくれる。

「二番目がニュートラルなのか?」

 ニュートラルが何かぐらいは知っていたが、その場所に驚いた。

「普段は三段か四段で走ることが多いかな。ほら、意外と坂になってるから」

「たしかに」

 確認するように公一は荒野を見た。こうして見ると平坦に見える荒野だが、丘と谷間の連続であることは昨日歩いて思い知っていた。

「で、エンジンをかける時は、ニュートラルになっていることを確認しないと、急に動いて危ないから」

「でも、どうやって確認するんだ?」

 公一はカウル内の計器類を覗いた。そこにギアの表示があるかと思ったのだが、それらしき物は見当たらなかった。

 公一の家にも自家用車はあった。父親はワイルドな四WDが欲しいといつも言っていたが、駐車場に停めてあるのは軽自動車であった。家族でその車に乗る時は、いつも公一は運転席の後ろの座席に座ることが決まっていた。幼い時はチャイルドシートなどの都合もあったが、大きくなっても場所を変える事はなかった。

 走る状況に応じて計器が色々と表示を変えるのを見ているのが楽しかったのだ。

 そういった経験からすると、ギアが今どの位置にあるかは、計器類にランプなどで示される物だった。

「一番下まで踏んづければ、絶対にローギアだろ。そこから一段だけ上げればいいだけ」

 カチカチと音をさせてジュンの足がペダルを踏みつけた。音がしなくなったところで足をペダルの下へ差し入れて、一段だけ上げる。これでニュートラルにギアが入ったはずだ。

「これでエンジンをかけても大丈夫」

 さっとスカートの裾を翻らせて、ジュンが席を譲った。チャリンと鳴ったのは腰に巻いた鎖であろう。笑顔を向けられたので、言われなくても分かった。やってみろというのだろう。

「よっしゃ」

 今度は公一がシートに跨り、ハンドルへ両手を置いてみた。

 ペダルを踏むとカチッという手ごたえならぬ足ごたえがあった。さらに踏むが、もう同じ感触は得られなかったので、ギアは一番下に入ったと推測できた。それからジュンの真似をしてペダルの下へ爪先を入れ、カチッと言うまで上へ上げた。

 ジュンが満足そうに頷いた。

「よし」

 気合を入れて、ハンドルの右親指に当たる場所にある黄色いスイッチを押し込んでみた。

 なにかモーターが重い物を持ち上げるような、低い音がした。

「?」

 エンジンが動くどころか、唸るような音がしただけであった。

「ダメダメ」

 ジュンが手を横に振った。

「もっと長く押しておかないと」

「お、そうか」

(そういやスクーターもエンジンがかかるまでキーを回しておいたしな)

 公一の親指が再びスイッチを押し込んだ。

 再びモーターの唸る音。そしてやっと車体右側にある円筒形のエンジンが目を覚ました。普通のエンジン音よりも金属的で、どちらかというとジェット機に近い音であった。

「かかったら、ちょっと吹かしてあげて」

 目覚めたばかりで機嫌が悪そうなエンジンの爆音に負けないように、ジュンが大声を張り上げた。

 エンジンの音が大きいので、頷いて了解したことを伝えた。

 二回、三回とアクセルを捻ると、その度にエンジン音が沸き上がる様に大きくなったが、アイドリングへ戻った時には、最初よりもだいぶ落ち着いた音へと変化していた。

「ん、今日もご機嫌だね、パムは」

 ジュンがまるでペットにするように、カウリングの風防を撫でた。

「じゃあ食器を片付けちゃおうか」

「パムはこのままか?」

「うん。暖機してあげないと、エンジンが長持ちしないから」

(暖機ねえ)

 公一が乗りまわしていたスクーターも、冬季などだけでなく、予備運転としての暖機を推奨すると取扱説明書に書かれてはいた。だが、キーを捻ればエンジンがかかって、すぐにアクセルを開いても問題なく走り出すことができたので、公一は特に暖機を行った事は無かった。

(ま、何でもあんなに便利じゃないってことか)

 公一はそう納得すると、跨っていたパムから降りた。



 二人がパムを起こしている間に、他のメンバーはゴリアテの方の暖機を行っていたようだ。ゴリアテからは獣の遠吠えのような音が何度も響いていたが、それが収まるとまるでバスのようなカロカロというアイドリング音に落ち着いた。

水場へ行くと、ヒメだけが居て、自分の分の飯盒を洗っているところだった。

「…」

 二人がやって来たのを見て、ヒメは下手投げでタワシをパスしてきた。飛んできたタワシを、ジュンはコップで器用にキャッチした。

 見事にコップへ収まったタワシを見た二人が、親指を立てて挨拶を交わして、場所を交代した。

 飯盒はそれほど汚れていなかった。まあメニューがあれでは汚れようもないと言った方が正解かもしれないが。

 サッと飯盒とコップを漱いでタワシを片付け、リヤカーの方へ向かった。



 リヤカーの上は、昨日と変わったところはなかった。もう定位置として覚えた手摺のフックと棚へそれぞれを片付けると、地面の方から声がかかった。

「おーう。畳んじまうぞ」

 見るとリュウタがテントに被さっていたタープから骨を抜くところだった。

 タープは一本の軽金属性の骨で展開していた。一方を地面に突き刺し、もう一方は撓ませてタープの芯となり、四隅をロープで地面に固定していただけだ。

 骨さえ抜いてしまえば、ただの広い大きな布だ。

「今行くね~」

 ジュンが声をかけてから走り出した。慌てて公一も後を追った。

「二人は、コットの方を頼むわ」

 タープの端を持ったリュウタが笑顔で言って来た。反対側はヒメが持っており、皺の無いように引っ張り合っていた。

 それを見たジュンが目を輝かせた。背中に回していたウィンチェスターライフルを地面へ置くと、ググッと体をしならせた。

「とう!」

 今はハンモックみたいにピンと張られたタープへ、ジュンがダイビングした。ポフンと張られた布が、ジュンの小柄な体を弾ませた。

「こら」

「…」

 引っ張り合っている二人が苦笑のような物を浮かべて、タイミングをあわせて揺らし始めた。

「きゃはは」

 大きなブランコにジュンが無邪気な笑い声を上げ始めた。

(こう見てると、本当に中学生ぐらいだよな)

 まさか公一までタープへ飛び込むわけにも行かず、唖然として見ている他に無かった。

「遊んでんなよ~」

 三人の戯れに、両脇へ畳んだコットを抱えてテントから出てきたシローが注意した。

「早くしないと、世界が終わっちまうぞ」

 その声は、だいぶ柔らかい物だった。

「ほれ」

 それを受けてリュウタとヒメがタープをさらに揺らした。その反動を利用して、ジュンは身軽に跳んで地面へと戻って来た。着地を知らせるように腰に巻いた鎖が鳴った。

「とっとと片付けるぞ」

 コットを抱えたシローがリヤカーの方へ片付けに行く。それを見送った公一は、ウィンチェスターライフルを回収したジュンが手招きをしていることに気が付いた。

「畳み方教えるね」

 二人して昨夜公一が使用したテントへ入った。寝具などは片付けたので、コットとディレクターチェアがあるだけだ。

「ここにロックがあるから、こう下げると畳めるから」

 ジュンがコットの脚にあたるパンタグラフの一部を指差した。

 屈んだせいで腰に巻いた鎖がチャリンと鳴る。公一も体を曲げて、ジュンが示した場所を確認した。

そこがプレス加工で凹凸になっており、噛みあう事で不意に畳んでしまうことが無いようになっているようだ。

 まずジュンがやってみせる。指で押すと脚自体が撓んで、凹凸の噛み合いが外れ、後は簡単に畳むことができた。

「こっちも同じだから」

 反対側の脚も同じ構造になっていた。同じ個所をジュンが指を差した。これもパムの暖機と同じく、やってみろということなのだろう。

 公一が示された場所に指をかけた。

「むむ?」

 ジュンは片手で簡単に外す事が出来たが、公一にはなかなかできなかった。

(こんなトコでも力の無さが出るのかよ)

 少々自分が情けなく感じていると、ジュンの手が重なって来た。

「違う違う。ただ力任せに押すんじゃなくて、こうずらしながら押すの」

 ジュンが片手だけで外して見せ、そしてすぐに戻した。

「やってみて」

「ああ」

 もう一回チャレンジする。ジュンのように片手では無理であったが、両手でなら外す事ができた。

「そうそう」

 手を重ねた位置から公一を振り返ってニッコリと笑ってくれた。

「慣れれば片手でできるようになるから」

「う、うん」

 返事がどもったのは自信が無かったわけではなく、ジュンの笑顔が至近距離だったからだ。

 両足を畳めば、コットは一枚の板のようになった。布と軽合金で出来ているので、とても軽い。先ほどのシローのように脇に挟んで運ぶ事が可能だ。

 ディレクターチェアの方は何もない。ただ座面を下から持ち上げれば自然に足が畳まれた。

 畳んだそれらを持って、リヤカーへと運ぶ。リュウタとヒメは二枚目のタープを畳み始めていた。両手に端を持ち、端同士を合わせて半分に。さらに手を入れ替えて、半分になった端を両手に持って、端同士を合わせてさらに半分に。繰り返していれば、いつの間にかタープは縦長に折り畳まれているという寸法だ。

 それから二人並んで、片方の辺から転がすように丸め始めた。

「へ~」

「その内、アッチもやるようになるからね」

 ボケッと足が止まっていた公一に、ジュンが言って来た。

「さ、片付けちゃおう」

 リヤカーの右側面に、棚のような場所があった。そこへ差し込むようにしてコットと椅子を収めていく。コットも椅子も十人分ぐらいあるようだった。

 公一は身長があるので、差し込むのに苦労は無かったが、ジュンはコットの片側を棚に乗せると「えいや」と押し込むようにして載せていた。途中で他のテントで使っていた分のコットを持ってきたシローも、似たような身長なので差し込むのには苦労していそうだった。

 全てのコットと椅子を差し込み終わったら、ジュンが慣れた手つきでロープをかけて固定した。といっても棚の一番下を往復させただけで、一つ一つ結んだわけでは無い。だがそれだけで、棚が傾いてもずり落ちては来そうもなかった。

 コットと同じように椅子も固定する。

「結び方、覚えてね」

 ジュンに言われてハッとなった。ただ漫然と眺めてしまったが、ロープの取り扱いはどうだったろうか。慌てて結び目を確認するが、公一が見たことも無いような結び方だった。

「その内覚えてもらうから」

 別に責められてはいないが、ニッと無邪気に向けられるジュンの笑顔に申し訳なさが湧いて来た。

「大丈夫だよ」

 しょぼんとしていると、丁度後ろを通りかかったリュウタが優しい声をかけてくれた。

「みんな順番に覚えていったんだ。いきなり全部できた者なんかいない」

 そういうリュウタは、鍋やフライパン、コンロを抱えていた。それらはリヤカーの荷台に納める場所があるようだ。

 どうやら朝礼に遅れたのは、先にこれらを洗っていたからのようだ。七人しかいないとはいえ、食器を洗うために蛇口を取り合いにならなかったのは、そういう風にそれぞれが要領よく時間をずらせていたおかげであるようだ。

「さあて、テントを畳んじまおうかね」

 調理用具を片付けてきたリュウタに声をかけられて見れば、すでに一組のテントが、対角線に交差するように入れられた骨組みを抜かれ、地面にペタンコになっていた。

 立体的な縫製がしてあるので、タープと違って嵩が多かったが、隅を持って引っ張ってしまえば、これまたただの大きな布であった。

「そっちに回って」

 リュウタの指示に従って、公一は角の一つを担当した。

 他にテントの角を手にしているのは、シローにヒメに、リュウタである。

 テントが持ち上げられた。大きさの割に重さを感じさせないような素材である。おそらくこれも公一の知らない未来の謎素材なのだろう。

「きゃほーい」

 四隅を持ち上げられ、あるかないかの風にはためいた途端、またウィンチェスターライフルを放り出したジュンが、脇から飛び込んだ。

 タープの時と同じである。

「まったく、いい加減それはやめたらどうだ?」

 シローがぶつくさ言うがお構いなしだ。

「だってテントでこれできるの、久しぶりだったんだもん」

「久しぶり?」

 公一が頭の上に疑問符を生やしていると、シローがちょっと寂しそうに言った。

「オヤジが元気だった頃にやったのが最後だから、十年ぶりぐらいか…」

「さっさと畳まないと、時間ばっかり取られるぞ」

 リュウタが励ますように大声を上げた。

「よし。じゃあ、そっちをこっちに」

 シローがリュウタに声をかける。リュウタが持っていた角をシローの持っていた角に合わせる。必然的に公一の持っていた角をヒメの所へ持って行くことになった。

「わわ、ちょっと待ってよ」

 このままではテントに包まれてしまうとばかりに、ジュンが慌てて上から這い降りてきた。

 真ん中に折り目を付けて、今度はそこと合わせた角を四人が持つ。

 もう一回折ったところで、二人で畳める幅になった。

「じゃあ、こっちを畳む準備をしよう」

 リュウタが次のテントに取り掛かった。公一も最初のテントはシローとヒメに任せて、リュウタの取り掛かったテントに取りついた。

 錘として結ばれていた石を外し、骨組みを一回撓ませてから外していく。リュウタの手先を見様見真似で公一も手伝った。

 一か所さえ外してしまえば、骨自体はスッと抜くことができた。

 あとは皺の無いように地面へ伸ばして、シローたちが終わるのを待てばよい。タープと同じように丸めるのに、そう時間がかかるはずもなく、シローとヒメがすぐに合流した。

 後は同じ事の繰り返しだ。ちなみにジュンが飛び込むのまでも同じであった。

 丸めたテント本体にタープ、全部で六つの塊は、ジュンが手早くロープで解けないように上から縛り上げた。

 タープとテントで同じ物を使うらしい骨も、四か所ぐらいに関節があり、そこで折り畳むとロープで縛った。

 全部で布の塊が六つに、骨の束が二つ出来たところで、リヤカーの側面へ運んだ。

 コットなどを入れた右側とは反対側に、ドラム缶が並んだ箇所がある。そのドラム缶の上に荷台が組まれており、テントやタープと思われる塊が幾つか載せてあった。

 身軽に腰の鎖を鳴らしながらジュンがリヤカーの側面を登り、荷台から振り返った。

 あまり下から眺めていると怒られそうな気がしたので、ジュンが上っている間に公一は荒野の方へ顔を向けておいた。

「いくぞ」

 シローが反動をつけて、持っていた一つを、半ば投げるようにしてジュン目がけて振り上げた。それをしゃがんだジュンは片手で掴みと、ゴボウ抜きのような調子で荷台へと引き上げた。他の荷物に押し付けるようにして安定させる。

 同じ要領で他の五つの塊も荷台の上へと積み上げられた。

 全部上がったところで、ところどころ穴が開いているカモフラージュネットで覆って荷造りが完成した。

 骨を束ねた物は、後から布の塊の間へと押し込まれた。

「さてと、忘れ物は無い?」

 ジュンが荷台から見おろして全員に訊ねた。

 どうでもいいが、そんな高い位置で堂々と胸を張られると、どこを見ていいのか公一は困るのだった。なにせスカートが風に戦いでいるのである。

 ジュンからの確認に、他の三人が野営した後を見回した。今あるのは暖機中のゴリアテと、連結されているリヤカー、そしてパムぐらいなものだ。

 リヤカーの箱は全て閉じられ、ゴリアテの砲塔後部にある物入れも蓋が開いている箇所は無かった。

「大丈夫そうだな」

 シローが満足そうに言うと、首にかけていたヘッドセットの右だけをそのまま持ち上げて、耳へと当てた。

「シンゴ。ゴリアテの調子はどうだ?」

「油圧、電圧、回転数、問題なし」

「そうか」

 そこでシローはコートの左袖を捲った。そこに巻いた古ぼけた腕時計で時間を確認した。

「まだちょっと早いな。それぞれ小休止後に出発する」

 シローがその場にいる者と、通信機へ同時に告げた。

「どいてー」

 ジュンが荷台から声をかける。見上げた全員が、その場から後ずさりをして場所を作った。

 なんと彼女は結構な高さのある荷台から飛び降りてきた。

 器用にも折り曲げた脚と手を使ってスカートの裾を押さえて重力に身を任せていた。

 下が石だらけの地面で、少しはクッション性があるとはいえ、身長よりは高い場所であった。だがジュンは膝を曲げただけで着地のショックを吸収し、次の瞬間には何事も無かったかのように公一に話しかけてきた。

「さ、ボクらも準備を終わらせちゃおう」

 ポンとジュンが肩を叩いた。

「まだあるのかよ」

 もう何もないと思っていた公一から、不満の声が出た。

「あと一つだけ」

 それ以上告げずに、ジュンはプイッと行ってしまった。急に振り向いたので、腰に巻いた鎖がチャリンといつもと違う音を立てた。

「何だって言うんだ?」

 意味が分からず公一はポカンとして、背負ったウィンチェスターライフルを揺らして歩いていくジュンを見送ってしまった。要領を得ずにいる公一の後ろで、リュウタが押し殺した笑い声を上げた。

「?」

 答えを知っているらしい彼へ振り返ってみる。

「オレたちはゴリアテにいるから平気だがよ、偵察は外だから必要だろ? 爆撃」

「ばくげき?」

「自分の体からのさ」

(え? エルフもドワーフも、そんな変な…)

 そこまで考えたところで、天啓のように答えが閃いた。

「さいてー」

 ヒメがとても静かな声でリュウタに釘を刺し、そして公一へ視線を移した。

「な、なに?」

「ジュンだってレディなんだから、気を使ってあげて」

「…はい」

 こればかりは頭を下げるしか無かった。



 リュウタの言う爆撃を終えて、雑巾をリヤカーの架台へ干した後、これだけは二一世紀から持ってきたヘルメットをコンテナから出して、パムの方へ行くとジュンが腰に手を当てて待っていた。

 背中にウィンチェスターライフル、腰に鎖という勇ましい格好だ。

 パムのアイドリングの音は、先ほどよりも安定し、音階も少し低くなっているような気がした。

「準備できた?」

 ジュンの言葉に公一は自分の体を見おろした。

「教わった通りに。他は思いつかないや」

「どうだ? 行けそうか?」

 そこへシローまで顔を出した。

「どこか足りない物はあります?」

 確認してもらおうと両腕を少し開いて自分の姿を見てもらう。戦闘服の上に着たフード付きのコートに、ヘルメットしかない格好だ。まあジュンも似たような軽装備なのだが。

「問題は無さそうだな…」

 シローは自分の長い髭を撫でてから、口を一回空振りさせた。

「?」

 公一が訝しんでいると、シローが仕方なさそうに口を開いた。

「いいのか?」

「は?」

 何を問われているのか分からずに、公一はシローに訊き返してしまった。

「いや。普通の新人だと『俺にも銃を持たせろ』とか、『通信機ぐらいはいいじゃねえか』とか言い出すもんなんだが」

 どうやら公一がそういった装備品を要求しないことが不思議のようだ。公一は昨夜ジュンに教わったことを思い出してシローに言い返した。

「だって新人はすぐ死ぬから渡さないって決まっているんだろ? 装備品の回収が大変とか聞いたぜ。そう決まっているなら、従うしかないじゃないか」

(それに、鉄砲を渡されたって、当てられる自信は無いしな…)

 これが二一世紀に居た頃ならば同じような事を要求していたかもしれない。だが荒野で獣相手に何もできず、さらに腕相撲ですらジュンに勝てなかった後だ。公一のプライドは見事にへし折られていた。そのせいで半ば諦めたような態度になっていた。残りのもう半分は、規則にはそれなりに従うという、学校生活で刷り込まれた習性のような物だ。とは言っても公一は模範的な生徒では無かったのだが。

「いちおう確認しておく。なにか装備は必要か?」

「そうだな」

 腕組みをして考えた。ここでシローに『伝説の剣』を要求すると亜空間から召喚されて公一の物となり、長かったチュートリアルが終了し、勇者としての活躍が始まる、というわけではなさそうだ。

「もし我儘を言っていいなら、懐中電灯が欲しい。オレは暗闇だと何にも見えなくなっちまうんだ」

「あー」

 公一の言葉に、ポンと手を打つシロー。

「八〇年ぶりだから忘れてた。そうだったな、ヒトは暗い所じゃ目が見えなくなるんだった」

 それからジュンに顔を向けて告げた。

「もう出発だから探している時間は無えが、ナカムラさんが今日生き残ったら、夕飯の前にでも探しておいてやんな」

「へえ、いいんだ」

 ジュンが目を丸くした。

「暗いだけで役立たずになられても、こっちが困るんだよ」

 シローが少々乱暴に言い捨てると、クルリと背中を向けた。

「だから、そのう。懐中電灯のために今日は生き残れよ」

「了解しました、隊長」

 シローの背中に、わざと大仰な敬礼をしてみせて、公一は答えた。

「こんな時だけ…」

 シローがブツブツと言いながら、ゴリアテの後部にあるドアの方へと歩いて行った。

「さてと」

 ジュンがパムに跨った。

「二人乗りだけど、いける?」

 背負ったウィンチェスターライフルを揺らしながら、その姿勢から公一へ振り返った。

「大丈夫なんじゃないかな」

 荷台は昨日大きさを増やしたために跨ぐときに足を引っ掛けそうになったが、公一もパムへ跨ることができた。

 足の位置に予備のステップがある。そこへしっかりと半長靴を乗せた。脚を締めて腿でシートを挟むようにした。

「しっかり捕まらないと、落っこちても知らないから」

 ヘッドセットの上からコートのフードを被り、ジュンが告げた。

「ええと」

 公一は目の前の細い背中を見つめた。こうして観察すれば、不愛想なコートに邪魔されているとはいえ、それなりのくびれを持った体であることが分かった。

「こんな感じ?」

 変なところ触って鉄拳制裁なんていう定番なギャグは、アニメとかで見るのはいいが、いざ自分が当事者になるのはごめんであった。

 公一は、鎖が巻かれているジュンの腰へ腕を回し、自分の手首同士を掴んだ。

「うん、そんな感じかな?」

 ジュンが背負ったウィンチェスターライフルのストックが腹に当たるが、他に体を安定させる姿勢が思いつかなかった。

「こちらパパ、アルファ、マイク。ゴリアテ、無線チェックお願いします」

 ジュンが通信機に向けて話し始めた。

「こちらゴルフ、オスカー、リマ、ヤンキー、アルファ、タンゴ。感度良好です」

 ヒカルの声がジュンのヘッドセットから流れた。

「電波強度、周波数、共に良好です」

「こちらも受信良好。道案内をお願い」

「このまま学園通りを東進し、大学通りとの交差点を右折し南進。谷保駅の直前で右へ鉤状にロータリーを避けて南武線の踏切を渡り、直進。国道に出たところで左折して道なりに行けば辿り着けます」

 スラスラと説明したヒカルに、ジュンは溜息を返した。

「ですが、市街地が破壊されたため、このまま大雑把に南東方向へ走行するだけで、目標が視界に入ると思われます」

「最初っから、そう言えばいいのに」

「いえ、いちおう私有地に侵入する事は避けるべきかと」

「もう私有地も国有地も無いでしょうに。そんな説明してると、世界が終わっちゃうよ」

「ハッティフナットとして、現行法制に違反する事は、なるべく避けるように教わって(プログラムされて)いますので」

 ジュンがまた溜息をついたところを見ると、毎度の事なのだろう。

「南東方向ね、了解」

 そう言って彼女は、左ハンドルに巻いてあった腕時計をつついた。黒くてごつい実用的なデザインのソレには、時刻を示す文字盤の下に、球形コンパスが装備されていた。

 細い指先でつつかれた振動で、封じられた液体の中で方位を示す矢印の書かれたボールが、ユラユラと踊った。

 目盛りのついたベゼルを動かして七時半の辺りにゼロ表示が来るように調節する。これで常に北を示すコンパスの矢印をベゼルと合わせながら、文字盤の一二時が示す方角へ向かえば、おおまかだが進む方向を見失わなくて済むことになる。

「へー」

 ジュンから特に説明されなくても意味が分かった公一は感心した声を漏らした。

 たしかに拳大の石しかなく目印の無い荒野を行くには、簡単で確かな方法である。

「よし、じゃあ行くか」

 ジュンがギアをローに入れてエンジンを吹かすと、グッと車体の前部が持ち上がった。接地していたバンパー兼用のスタンドが地面から離れて、パムは動き始めた。重心が変わったことにより、ジュンはカウルに貼りつくように体を屈した。

(うほ)

 必然的にジュンの腰に回された公一の腕は、上下から圧力を感じる事になる。勝手に脳が腕にかかる圧力の内、上からかかる柔らかさに集中してしまった。まあ、健全な男の子なのだから許してほしいところだ。

 右向きでジュンのウィンチェスターライフルが背負われているので、公一は自然に彼女の左肩に顎を乗せるような形になった。

「気を付けて、パム」

「そちらこそ、ゴリアテ」

 それで通信は終了した。



 ゴリアテの脇を後にして、パムは走り始めた。

 野営地にした丘を下りながらギアをかき上げていく。谷間を過ぎて反対側の斜面を上る時には四段に入っていた。

 快走するパムの後部にしがみつくことになった公一の感想は…。

「さ、さみー」

 なにせスウェットでは震えがくる温度である。上に戦闘服とコートを着て、普通に過ごす分には寒さを意識しなくてもよい程になってはいた。だが、走行するパムの上となると話は別だ。

 計器盤でビリビリを振動している針は、速度計ではなかった。おそらく回転計であろうから、現在どれだけパムが速度を出しているのか分からなかった。が、最低でも公一が乗り回していたスクーターより速い体感である。

 高所から低所へ下り、そして再び石だらけの斜面を上り始める。ギアもアクセルも動かさずに上っていくので、段々とパムの速度が落ちてきた。

 それでもスクーター程度の速度を維持したまま、パムは次の丘に上がり切った。

 鈍っていた速度のまま、ジュンは体を起こした。ざっと首を巡らせる。いちおうパムが先行するのは偵察のためであるから、周囲の確認は怠れないのだ。

 右はウィンチェスターライフルが邪魔をするが、彼女に左を向かれると、顔同士が異常接近する事になる。つい公一の頬が赤くなってしまった。

 公一の変化に気が付かなかったのか、それとも無視したのか、ジュンは右ハンドルから生えているバックミラーも使って周囲の確認を終えた。

 公一も慌てて右と左を確認した。さすがに後ろまでは首が回らなかった。

 どちらも同じ風景であった。

 この世界へ来た時と同じで、どこまでも続く拳大の石しかない荒野に、薄曇りの空。遠くに山らしきものが見えるだけだ。

 ジュンは一旦パムのギアを一つ落として回転数を上げると、またカウルに貼りつくような姿勢を取り、速度を回復させつつ向こうの斜面を下り始めた。

「ひょええええ」

 速度と共に弱まっていた風が強くなり、公一からまた体温を奪っていく。まるで氷が押し当てられている様だった。

 唯一、抱きしめているジュンの体だけは暖かかった。

 同じ調子で次の起伏も乗り切り、丘の上に至った。

 今度もジュンは周囲を確認する。公一も二度目なので準備が出来ていた。

 やはり右にも左にも荒野が続くだけだ。後方に煙を上げた物体を見て、もう一度確認した。どうやらゴリアテも動き出したようだ。

 あの煙は、おそらくゴリアテの排気であろう。

 そうやってジュンはパムを走らせ、公一はその背中にしがみついたままだった。ゴリアテとの距離は、丘へ上がるたびに開いていき、十度目ぐらいで点のようになった。

 代わりに前方から荒野にあっては不自然な物が迫って来た。

 誰かがどこかから持って来て置いたように、周囲の風景とはまったく違う建物だ。

 四階建てほどの建物が二棟と、それに纏わりつくように立つ蒸留塔のような配管に絡みつかれたような設備。ラティス構造で補強されたパイプラインが、立てた円筒形をしたタンクへと繋がっている。何本か束ねられたようなパイプラインの配管も、ある物は銀色、ある物は赤色と、おそらく用途によって塗り分けられており、公一は人体を走る血管を連想した。

 パイプラインが構内道路を横断する場所にはガーター構造の補強がしてあり、脇の四角いタワーを補強するラティス構造と合わせて機能美を見せつけていた。

 建物の内、片方は町中でも見かけるようなコンクリート外壁のビルだったが、片方はコルゲートで屋根も壁もできており、それが作業用に作られた存在であることを主張していた。

 全体的に見て、公一の二一世紀での常識から考えるに、それは化学工場に見えた。

 建物の敷地周辺だけは地面が石だらけとなってはおらず、どうやら土による地面があるようだ。

 荒野は、まるで砂浜に打ち寄せるさざ波のように、建物へ向けて起伏を緩めていた。

 敷地を巡るように金網で作られた囲いが設置されているが、ところどころ破けていた。あれはこの時代のヒトたちが中に入るために壊したのだろうか? それとも公一を昨日襲った獣のような生物が、安全なネグラを求めて侵入した形跡であろうか。

 もうちょっとで到着という距離で、ジュンはパムを止めた。



 今では分かる。昨日、だいぶ遠くに見えた棒のような物は、この工場の蒸留塔のような施設だったのだ。

 もう掴まっていなくても大丈夫だろうと、公一はジュンに回していた腕を解くと、高いその塔を見上げた。

「着いたな」

「着いたね~」

 ジュンがフードをおろしながら振り返って答えてくれた。

「これが実験施設?」

「たぶんね」

「ここで待つのか?」

「ちゃんとした入り口が無いか探してみようか」

 ジュンは再びパムのギアを入れた。低速域に入れたまま、塔を右手に見てトロトロと時計回りに走り出した。ちょっと公一の体勢が不安定になったが、再びジュンにしがみつくほどでは無い。シートの後部を掴んでいれば、体を起こしていても振り落とされるような事は無いだろう。

 施設を囲む金網は、最上部に有刺鉄線を持った本格的な物であった。もちろん本格的な装備を持った侵入者を止める事はできないが、ふと出来心で敷地内に踏み入るなんて事は出来そうにもなかった。

「こちらパム」

 ジュンが通信機へ手を当ててゴリアテを呼び出した。

「どうしました? パム?」

 昨日と同じ調子でヒカルの声が聞こえてきた。

「目標に到着」

「到着りょ…」

「絶対に先に入るなよ!」

 二人の通信に、ゴツイ声が割って入った。シローの怒鳴り声である。

「入らないよ」

 まるで右から殴られたように頭を傾けるジュン。なんとか持ち直すと、ちょっと不機嫌そうな声で言い返した。

「周囲の確認だけはしておくね」

「それはやっておいてくれ。だが…」

「わかったって。先に入ったりしないから。通信終了」

 まだガナり足りなそうなシローの声に嫌気がさしたのか、ジュンは早々に通信機から手を離した。

 通信の間、離していたアクセルを再び握って、ちょっとだけ回転数を上げた。

「まったく、シローのガンコ親父」

 ブツクサと口の中で文句を言っていた。悪くなった空気を換えようと、公一は口を開くことにした。

「コレだけ残ったなんて、不思議だなあ」

 遠くからも見えたメカニカルな塔を見上げながら公一が言うと、ジュンがつまらなそうに答えた。

「バリアだよ」

「は?」

「こういう軍の施設にはバリアが張ってあったの。それでドラゴンによる面攻撃による大規模破壊を防いだの」

「バリアか。じゃあキャラバンとやらのコロニーもそれで助かったのか?」

「いいや」

 ジュンが黙ってしまったので、ドロドロと低いエンジン音だけが公一の耳へと入った。

「バリアも、個別の攻撃を防ぐほどには強くなくて、ピンポイントで狙われた施設なんかは簡単に壊されたよ」

「ピンポイント?」

(えーと、こういうことか? 全体攻撃魔法のイオ○ズンをぶつけられた時は防ぐことはできたけど、単体攻撃魔法であるメラ○ーマを防ぐことはできなかった、と。いや、これはメラ○ーマではない、メ…)

 自分の知識に当てはまりそうな、コンピューターゲームに置き換えてみた。たいていのゲームだと、ザコがたくさん出て来るフィールドならば全体攻撃魔法は重宝するが、ボス戦となると単体攻撃魔法が役に立つ物だった。

「じゃあ、わざわざココを狙わなかったということは、そんなに重要じゃなかったって事か」

「そういうことにもなるね」

「そんなトコ探索しても役に立つのか?」

「残って無いよりは役に立つんじゃない。だって、他は全部ああだよ」

 ジュンが適当に反対側の荒野を示してみせた。たしかにただの石ころが転がる荒野になってしまっては、元が未来都市でも意味は無かった。

「住宅地にバリアは…」

「あるわけないでしょ」

「じゃあ国会議事堂とか、重要な建物は?」

「そういうのはバリア張って、最初の大規模破壊では残ったけど。国会議事堂なんかは、後で『キング』自らの手で壊されたみたい」

「きんぐ?」

 また初めて出てきた単語に公一は目を瞬かせた。

「反乱したドラゴンたちの中心となった、ドラゴン部隊の隊長」

「つまり、地球がこうなった原因?」

「そういうことになるねー」

 この施設は、塔を中心にバリアが張られたようだ。パムが辿り着いた側は金網がだいぶ残っていたが、反対側はそれほどでもない。施設で働く者のレクリエーションのためか、テニスコートがあったが、その半分が荒野にはみ出していた。

「こっちからの方が入りやすそうだな」

 なにせテニスコート半面である。ゴリアテを横付けすれば、簡単に野営地が造れそうだ。

 半分無くなったテニスコートを眺めながら、そのまま円形の島を巡るようにパムをゆっくりと走らせ続けた。と、ジュンが行く先に別の物を発見した。

「あれは?」

 特に速度を上げずに近づいて行くと、どうやらこの施設の正門らしき構造物であるようだ。

 左右にコンクリートで門柱が立ち、半分だけ閉められた鉄製の片引ゲートがある。佇まいは広めの校門といったところか。ただし向かって左側に警備員詰め所らしき建物が付属していた。

 正門から石だらけの荒野までの短い間には、まだアスファルト舗装の道まで残っていた。白いペンキで書かれた道路標示まで残っている。そこだけ見れば少々傷んではいたが、確かにかつてはどこかの都市へ繋がっていたことが分かった。

 向かって左側の門柱に灰色にまで変色した四角い板が取り付けてあった。

 パムが進むままに近づくと、何やら文字が書かれていた板のようでもある。風化したために判別は難しいが「第一七三実験施設」と書かれているような気がした。

 ジュンは正門の前でパムを停めた。

「こちらパム」

「どうしました? パム?」

「反対側に正門を発見。ここまでイヌもウサギも見なかったよ」

「了解です。他に異常は?」

「ん~」

 ジュンが唇に人差し指を当てて、ちょっと考え込んだ。

「コーイチにエロく体を触られるぐらい」

「してねえ!」

 自分は通信機を持たされていないので、ジュンのマイクからゴリアテに伝わる様に、公一は大声を上げた。

「…よし、わかった」

 いつの間にか通信の相手がシローに代わっていた。

「ナカムラは逆さ吊りの刑だ」

「濡れ衣だ!」

「ははは、ジョーダンだよぅ、シロー」

 流石にシローならば公一を本当に逆さ吊りにしかねないと思ったのか、ジュンが種明かしをしてくれた。

「本当か? 正直に言っていいんだぞ、ジュン。何だったらスマキにしてゴリアテの主砲から一晩中ぶら下げたっていい」

「ごめんごめん、本気に取るとは思ってなかったから。本当に冗談だから」

 ちょっとの間、通信機が沈黙した。

「よしわかった。じゃあ笑えないジョークを言ったジュンが逆さ吊りの刑だ」

「えー」

 だが、もうそれが本気ではない事が、通信機を通じても分かる程、シローの声は明るい物に変わっていた。

「そっちは、まだ敷地には入っていないんだな?」

 再度の確認に、音声通話だけなのにジュンは頷いてみせた。

「うん。いまは正門の前で止まってる。あと半周チェックしてから合流するね」

「了解だ。気をつけてな」

 通信を終えてジュンは公一を振り返って、ニィと笑った。

「やめてくれよ、心臓に悪い」

 懇願するような声が出た。

「大丈夫だよぅ」

 ニコニコとジュン。

「一晩ぐらい逆さ吊りでも、ちょっとのぼせるぐらいだから」

「いや、普通に死ねるだろ」

 公一は中学の時にそんな話を聞いた事があった。

「んーと、そこは根性で」

「無理言わないでくれ」

 公一の答えを聞きながら、ジュンはケラケラ笑ってパムのギアを入れた。再びトロトロと施設の周囲を回り始める。

(どこまで本気で言っているんだか)

 ちょっと機嫌を損ねた公一は黙って荒野の方向を見た。

 そちらは相も変わらず同じ風景である。石だらけの荒野が続き、遠くに山並みがうっすらと見える。空も薄曇りのままだ。

 いちおう施設だけ見ていて、背後から獣に襲われないように警戒するという意味もある。が、変わらない風景に飽きて、再び公一も施設を眺める事にした。

 金網で仕切られた敷地であったが、残り半周は少し様子が違った。ブロックを積み上げて作った頑丈そうな塀に囲まれた区画に、円筒形のタンクが並んでいた。

 タンク一つ一つが細かく塀に囲まれており、なかなか厳重な警戒がされている様子だ。

(なんだろう?)

 公一が感じた疑問もすぐに氷解した。壁の一角に錆びた赤い看板が掛けられており、そこに「火気厳禁」の文字を読み取ることができたからだ。

 あのタンクが燃料用の物ならば、爆発火災による延焼を警戒して細かく壁が建てられているのも納得である。

 燃料パイプと思われる配管は、タンクが並んだ横の小さな小屋に続いており、そこからは一本の太い配管がパイプラインに合流していた。おそらく小屋の中には、燃料を圧送するポンプが据え付けられているのだろう。

 その小屋からは再び外壁は金網に戻っており、パムは最初に辿り着いた辺りまで戻ってきていた。

 遠くからゴリアテのエンジン音が聞こえる。まあ、だいたい良いタイミングのようだ。

 ジュンは再びパムを停車させると、ゴリアテが到着するのを待った。

 こうして近づいてくる姿を見ていると、迫力があった。

 楔形の砲塔に据えられた主砲。その上に沿うように装備された重機関銃。いまは誰もハッチから頭を出していないので、エンジンの振動に揺れるままになっている二挺の増備機関銃。車体の前面を掃射する事ができる前方機銃は、向かって右側に装備されていた。

 見るからに分厚い装甲の上には、マットレスのような物が敷き詰められている。両サイドのキャタピラを隠すように下げられたサイドスカートも、そのマットレスと同じ物のようだ。

 砲塔の一際高いところでクルクルと回り続けているランタン型の物は周囲を警戒するセンサーであろうか。砲塔に三つ、車体には二つ。ちょうど乗組員と同じ数のオプチカルサイトが備えられていて、厚い装甲に守られた車内に引っ込んでいても、外の様子が分からないということが無いように配慮されていた。

 そのオプチカルサイトの内、砲塔左側に二つ並んで装備された物の一つが、ジッとコチラに向いたまま動かなかった。

 昨夜、車内に入った事を思い出して、それが当直だったジュンの座っていた席のオプチカルサイトだという見当がついた。

「ふふ、見てる見てる」

 どうやらジュンもそのオプチカルサイトに気が付いたようだ。

「あれは、もしかして…」

「うん。コマンダーズシートのサイトだね。シローったら心配性なんだから」

 ジュンはそう公一へ教えると、擽られているような小さな笑い声を上げた。

(そんなに心配するって事は、そういう事なのかな? でもラノベとかだと、エルフとドワーフって仲が悪いもんなんだけどな)

 公一がつまらなそうにジュンの笑顔を横から見た。

 相変わらずの中学生女子のような横顔である。シローの親父顔とは不釣り合いな気もした。

(でも、何年も一緒に旅をして来たんだろうから、そういう事なのかもな)

 ちょっと残念な気持ちが湧いて来た。公一だって健全な男の子だ。かわいい女の子と知り合えば、それなりに嬉しいし、さらにその次だって考えないことも無い。だが決まった相手がいる娘を強引に奪う程、気力に溢れた性格でも無かった。

 ゴリアテがある程度近づいたところで、ジュンはパムのギアを入れた。その音を耳にして慌てて公一はジュンにしがみついた。思った通り、ジュンは意外なほど小回りで車体を反転させた。横向きにかかったGで体を持って行かれそうになる。ジュンが腰に巻いた鎖の端が、少々強めに公一の腿を叩いた。

 反転の理由は簡単だ。ここから正門のところへ行くには、先ほどと同じ時計回りよりも、逆に回った方が近いはずだ。

 ゴリアテの速度に合わせるように、パムのギアをかき上げていく。この辺りは平坦に近いので、出そうと思えばもっとスピードは出せそうだった。

 再びブロック塀が続く辺りを回り込み、正門の前で停車する。ゴリアテはパムと施設の間に車体を入れ、砲塔を旋回させて施設へ砲口を向けた。

 大型の戦闘車両が来たことにより興奮した獣が飛び出してきた。なんて事もなく、相変わらず周囲は二つのエンジン音以外は静寂に包まれていた。

「ちょっと近いな」

 ジュンの通信機からシローの声が流れた。

「もうちょっと離れた場所に野営地を作るか。パムはゴリアテから離れてろ」

「了解」

 ジュンは飛び出すような勢いでパムを発車させた。

「うひゃあ」

 ゴリアテと無事に合流できて油断していた公一は、シートの上から転げ落ちるところだった。脚でしっかりとシートを挟んでいなかったら、後頭部から地面へ落ちていたかもしれない。しかも落ちていただろう位置を、すぐにゴリアテが通過した。

 もちろんあんなデカブツに轢かれたらたまったものではない。空転防止用に牙のように生えているキャタピラのスパイクで五体はバラバラにされてしまうだろう。

「うひ」

 慌ててジュンの背中にウィンチェスターライフルの上からしがみつき、施設から一旦離れる方向へ舵を切ったゴリアテを見送った。

 ゴリアテはまた荒野が起伏を始める辺りまで離れて停車した。やはり主砲は施設を向けたままだ。

「どうするつもりなのかな?」

「う~ん、一旦野営地を作ってから、探索するのかな」

 パムを大回りさせてゴリアテの向こう側へ回り込ませながらジュンが答えてくれた。

「泊りがけで探索するのか?」

「まあ、確実にやりたいだろうからね」



 ゴリアテのエンジンが一際大きな音を立てた後に、急に静かになった。どうやら盛大に一回噴かしてからエンジンの回転数を落としたようだ。だが完全に停止させていないようで、ライオンよりも大きな猫がいたら、こういった声で喉を鳴らすのだろうなという、ドロドロという音を立て続けていた。

 ジュンもパムを空噴かしした後に、こちらはメインスイッチを切った。

 プシュウとどこからか空気が抜ける音をさせて、パムがまるで生き物のようにへたり込み、前部に装備されたスタンドが接地した。

「よいしょ」

 後ろの増設した荷台に気を付けながら、まず公一が降り、ジュンが続いた。パッとスカートの裾を叩いて乱れを修正する。叩いた反動で鎖がチャリチャリ鳴るのが小気味よかった。

 ゴリアテのハッチが開いて、シローが顔を出した。

「よし。野営の準備をしろ。探索はその後だ。今日の当直は誰からだ?」

「ワシじゃ」

 車体のドライバーズハッチが開いて、中からシンゴが手を挙げた。

「よし。いつもよりちょっと早いが、当直につけ。警戒線は二重だ。出入口を作るのを忘れるなよ。テントは…」

 そこで公一を見おろしたシローはちょっと考えた。

「テントは二つだ。それでいいな、ナカムラさん」

「ええ、はい」

 わざわざ同意を求められた。もともとシローの決定には従うつもりだった公一は従順に頷いた。

「メシは、もういつもの調子でいいか?」

 隣のローダーズハッチから上半身を出したリュウタが訊ねた。

「ここから一番近い補給点までどのくらいかかる? ヒカル?」

「全速力ならば二時間ほどですが、いつものペースならば二日ほどです」

 ヒカルの声はジュンの通信機から聞こえて来た。シローもまだ制帽の下に通信機を着けたままだから、同じ音声が聞こえたはずだ。

「よし。では予備日も含め、四日以上食いつなげるように調整して作ってくれ」

「それなら、お安い御用だ」

 リュウタが明るい声で腕まくりをしてみせた。それを合図に、それぞれが動き出した。シンゴのヘッドギアを被った頭が車内へと引っ込み、ゴリアテ後部にあるドアが開くと、みんなが降りてきた。

「じゃあ、荷物をおろしちゃおうか」

 ジュンに袖を引っ張られた。

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 公一は慌ててヘルメットを外すと、それをパムの荷台へと被せるように置いた。二一世紀ならば盗難や悪戯を警戒するだろうが、ココではそういった心配も無さそうだった。

 ヘルメットを脱いだ公一は、ジュンと一緒にリヤカーの方へと行った。

 荷造りの時と同じようにジュンが腰の鎖を鳴らしながらリヤカーの荷台へ身軽に登ると、カモフラージュネットを捲って、布の塊を手に取った。

「離れていて」

 そう断って、テントやタープを地面へ向けて放り出し始めた。

 ドサドサという音は結構重く、直接受け止めようとしたら怪我をしそうな勢いだ。

「そんじゃあ、建てちまうか」

 いつの間にかリュウタが横に来ていた。

 全部で四つ落とされた布の塊のうち、テント本体の物を一つずつ抱えて、ゴリアテとリヤカーと等距離に離れた位置へと運んだ。

「ここいらでいいだろう」

「場所を選ぶのに基準みたいなのはあるのか?」

 当然の質問に、リュウタが苦笑いのような物を浮かべた。

「夜中に便所に起きて、漏らさないで済む距離かな」

 呆れて彼の顔を見たが、どうやら本気のようだ。

(つまり平らだったら、どこでもいいのかな)

 ガシャンという大きな音に振り返れば、ジュンがテントの骨組みを纏めた束を地面へ放り投げた音だった。

 荷台の下へと戻り、リュウタは骨の束を、公一は荷台から飛び降りてきたジュンと一緒に、タープを抱えて、設営予定地に戻った。

 二人がそれぞれテントを解き始める。公一はどちらかを手伝うか迷ったが、思い直して自分は骨組みを纏めているロープを解きにかかった。

 ばらけた骨の関節を伸ばして一本棒にしている間に、二人がそれぞれテントを引っ張って地面へと広げた。角ごとに風で捲れないように適当な石を置いて錘としていた。

 それから公一が用意した骨を、テントへと通していくと、軽合金で出来た骨の撓む力でテントは自ら立ち上がった。

「ナカムラさんは、端っこに生えてるヒモに、石を結び付けてくれないか」

 リュウタの指示で、公一はテントに錘を結ぶ作業に取り掛かった。石だけはたくさんあるので探す事には苦労は必要なかった。

 公一が錘を結び付けている間に、二人はタープの組み立てに取り掛かった。こちらはテント本体よりも簡単な構造なので、公一の作業が終わる前に立ち上がった。

 まるで大きな旗のように持ち上げると、それぞれテントの上に差し掛ける。これにも錘の石を結ばなければならない。

 石を結び付ける事に飽きてきた頃に、やっと仕事が終わった。

 これで完成と安心していると、二人はまたリヤカーへと向かった。今度は反対側からコットを降ろす作業だ。

 ここで、やっと公一は役に立てたと思える事が起きた。二人とも公一よりも身長が低いので、差し込むように積んであるコットを降ろすのに、ちょっと無理のある体勢にならなければいけなかった。それに比べて公一は、ただ手を伸ばして引っ張るだけでコットを降ろすことができるのだ。

「おー」

 リュウタが感心した声を上げた。

「これからはコーイチに任せておけば安心だ」

 ジュンも手を叩いて喜んだ。

「まあ、お安い御用だけどさ」

 どうも馬鹿にされているような気がして来たので、ちょっと渋い声になってしまった。

 三人で二つずつ。計六個のコットを脇に挟んで、テントへと運ぶ。ジュンは「ろ」と書かれたテントへ二つを運び入れた。

「今日からこっちは四つだなあ」

 リュウタが嬉しそうに言いながら、タープを捲ってテントへ先に入った。

 外で待っていても意味が無いので、公一も続いた。

「こっちに二つ、縦に。俺はこっちの二つを並べるから」

 入って左右に縦二列となるように四つのコットを設置した。

 これで寝る準備は完成だ。

「ここが俺の場所な」

 リュウタが入り口から見て右側すぐのコットを叩いた。

「こっちの手前はシンゴ、奥はシローの位置だから」

「いつも決まっているのか?」

 公一の質問に、大きく頷くリュウタ。

「いつもな。特にシンゴはうるさいから気をつけた方がいい。本当はゴリアテの中で寝たいらしいけど、シローが許さなくて」

「なんで?」

 意外に広かった車内を思い出して、公一は理解できずに訊き返した。あれだけ広ければ車内で寝ることも可能であろう。

「眠気が当直にうつるからなんだと」

「ねむけ?」

 意外な答えに鳩が豆鉄砲を食ったような顔になってしまう公一。

「そう。当直が寝たらヤバイぐらいは分かるだろ?」

「ま、まあ」

「だから寝るのはテントと決めてある」

「でも寝るぐらい…」

「ナカムラさんも経験あるんじゃないかな? アクビが移ったこと」

「ああ、まあ」

「そういうこと」

「はあ」

 まだ納得できずに気の抜けた返事をしていると、リュウタは笑顔を作り直した。

「それじゃあオレは、メシの準備があるから」

 外に出たリュウタは風向きを確かめるように左右を見回してから、ゴリアテの脇で石積みを始めた。今日はそこがキッチンになるようだ。



「さて…」

 テントの前で公一は迷った。ジュンはテントの中に入ったままだ。そして女性用テントは男子禁制と聞かされている。ここで待っていてもいいのだろうか。

 ちょっと不安になったところで鎖の鳴る音がした。ジュンがテントから出て来た音だ。

「さてと。じゃあ次の仕事を片付けちゃおうか」

 ジュンが先に立って、後部からリヤカーの上へあがる。あの飯盒が出てきた箱を開けると、プラスチック製らしい箱を幾つかと、数本の棒を取り出した。

 箱は何かの器械のようでもある。棒の方は、適当な木の枝のままだ。

「これが警報器ね」

 大きさはレンガほどしかない器械を片手に、ジュンが説明を始めた。

「ゴリアテのセンサーだけでも警戒できるけど、これを仕掛けておけば、より安心ってわけ」

「どうやって使うんだ?」

 見た目は大きなトランシーバーのようでもある。初めて見る器械に、公一の好奇心が刺激された。

「ん、まあ。一緒に仕掛けてみようか」

 二人で六つの警報器を抱え、棒の方は、ざっと一掴みといった感じで箱から出した。地面へ下りると、ゴリアテから施設の反対方向へと歩き出した。

「どこ行くの?」

 いつもと違って膝を伸ばした変な歩き方を始めたジュンの背中に訊ねると、なかなか答えが返ってこなかった。

 オモチャの兵隊みたいな歩き方をするものだから、いつもよりも大きく鎖が腰で踊っていた。

「?」

 不審に思って近づくと、どうやら歩数を数えていたようである。

「…二十八、二十九、よし三〇。ここに三つ置いて」

 言われるままに公一が抱えてきた警報器三つを地面へと置く。その間にジュンがさらにゴリアテとは反対側へ歩き出した。

「このままでいいのか?」

 その背中に訊ねても返事が無い。やはり歩数を数えるのに集中しているようである。あまり邪魔をしてもいけないので、手ぶらになった公一は、その小さな背中に小走りで追いつくことにした。

「…三十五、三十六、三十七、三十八、三十九、よし四〇。ここだぁ」

 両足を揃えて止まったジュンは、荷物を地面へ置くと、そこにある石を積み始めた。

「?」

 何をやっているのか分からない公一は、まるで賽の河原の石積みのような作業を見守るだけだ。

 その高さが一メートルほどになったところで終えると、今度は警報器を一つ取り上げた。

 下半分だけ開くようになっていたらしく、そこを開いた。

 中はどうなっているのだろうと好奇心から横から覗き込むと、円筒形の物が備えてあった。公一の知っている物で一番近い物で言うと、釣りで使うリールのようだ。横倒しのドラムに透明な糸が何重にも巻いてあった。糸の先にはナスカンが縛り付けてあった。

 ジュンはナスカンに指を通すと、巻いてある糸を引き出し始めた。カチカチと逆戻り防止の金具が鳴るので、二一世紀から来た公一には掃除機の電源コードを連想させた。

 二メートルほど引き出すと警報器本体は石積みの上へ、指に通していたナスカンを地面へと置いた。

 それから糸を直接引っ張って引き出し、引き出した糸は地面へ円を描くようにして敷き始めた。少しの長さではない、そのまま結構な量を引き出し始めた。円形に引き出された糸が積みあがって結構な量になった。その労力も凄いが、この長さがこの小さな器械に入っていたかと思うと、公一は驚くほかになかった。

「このくらい」

 足元に結構な量の糸が同心円を描いて積みあがっていた。

「は? 何がこのくらい?」

 この行為の意味がまだ分かっていない公一が聞き返したが、ジュンは明確に答えてくれなかった。

「で、棒を持って…」

 地面に散らかしておいた棒を数本、腰に巻いた鎖へと差し込んだ。

「こうして…」

 糸の束を持ち上げると、両手に持って回し始めた。そうやって繰り出しながら後退さりするように、さらにゴリアテから離れる。両手で作業しているから、背負ったウィンチェスターライフルがまるで調子を取っているように揺れていた。ちょっと前屈みになるので、公一の目が自然とジュンの白い太腿へ寄ってしまった。

「まず二メートルぐらい真っすぐ敷いて」

 束を地面へ丁寧に置くと、棒を地面に一本だけ立てた。石の隙間へ突き刺すだけだから簡単なものだ。

 棒の先端は枝分かれしていた箇所を切り取ったらしくYの字になっていた。そこへ警報器から伸ばしてきた糸を一周だけ巻き付けた。

「ここから、ぐるっと野営地を囲むわけ」

「ええ?」

 ジュンはゴリアテを中心に、指で結構大きな範囲を示してみせた。公一は周囲を確認して驚いた。結構な広さになるのではないだろうか。

「囲む?」

(ええと、四○歩歩いたから、半径がだいたい一歩一メートルとして四○メートル。円周は直径かける円周率だから…)

 円周率の小数点が面倒臭いので三で計算してみた。

(二四○メートル!?)

「じゃあ、行くよ」

 再びジュンは中腰の姿勢で後退さる様にしながら束を回して、糸を繰り出し始めた。今度はゴリアテを右に見て、等距離を保つようにしているようだ。再びメトロノームのように背負ったウィンチェスターライフルが揺れていた。糸を繰り出すたびに彼女の腰に巻かれた鎖が応援するように音を鳴らした。

「この糸はなんなんだよ」

 彼女について行きながら訊くと、結構息の切れた声で返事があった。

「警報器のセンサーファイバー。難しい話はヒカルに訊いて」

「あ、あれだ。これに触ると、アレが鳴るってことだ」

「う~ん、ちょっと違うかな」

 糸自体に赤い印がつけられているようだ。印が何メートル置きかは分からなかったが、何個目かの印でジュンは再び作業を止めた。

 また棒を突き刺して、糸を巻き付けた。だがピンと張っているわけではなく、風にだいぶそよいでいる状態だ。

「いいのか? こんなにダランとしていて」

「うん大丈夫。実際に引っかからなくても鳴るようになってるから」

 それでも先程の棒との間の張力を調整してから、再び後退りしながら糸を繰り出し始めた。

「なんか大変そうだけど?」

「大変だよ」

 息が上がってはいるが明るい声でジュンが言った。

「でもダイエットに最適」

(あ、いちおう、そういうことにも気を付けてるんだ)

 女の子らしい発言に虚を突かれた。

「それに、今日からは半分だし」

「半分?」

「そ」

 また目印が来たのだろう、ジュンは束を地面に置いて、棒を地面に突き刺した。姿勢に無理があったため、グッと腰をのばすようにして胸を張り、下から公一を見つめた。

「半分はコーイチがやるんだよ」

「げ」

 見ているだけで重労働だろうなと思ってはいたが、まさか自分の仕事になるとは考えていなかった。

「もっと簡単な方法無いのかよ」

 恐る恐る訊いてみた。それをジュンは糸を棒へ巻き付けながら聞いた。

「ん~、無いね」

 再び糸を繰り出し始めたジュンが告げた。

「直接ビーッと引き出して行くんじゃダメなのか?」

「直線で囲むときはそれでもいいんだけどね。でも大抵、ある程度引っ張ったところで警報器が倒れちゃって、出て来なくなっちゃうんだよね」

 ジュンの経験からくる説明に、公一も容易に想像がついた。糸の先を持って、まっすぐ引っ張ると糸が出て来る。しかし、地面に置いた本体自体が動き出してしまえば、もう糸を引き出すことはできなくなり、下手な凧揚げのような見物になるだろう。

(でも…)

 公一は思いついたことを訊いてみた。

「二人いるなら、片方が本体を持って、片方が先っぽを持って走ればいいんじゃないか?」

「そうだよ」

 相変わらず大変な作業を繰り返しながらジュンはあっけらかんと言った。

「だったら…」

「でも、一人でやれる方法を知らないと、困るでしょ」

 また目印が来たのか、ジュンは地面に束を置いた。棒を地面に刺してから、また「うーん」と腰を伸ばして公一を見た。合いの手のようにチャリンと腰に巻いた鎖が鳴った。

「世界は滅びちゃってるんだから、いつも一緒に居られるわけじゃないんだよ」

「うっ」

 言外に、手数があればこんな面倒な事はやるわけないと怒られている気がして、公一は言葉を詰まらせた。

「まあ、だんだん軽くなってくるから、楽になるんだけどね」

 そうは言っても中腰で後退さりである。重労働には違いが無いはずだ。

 目に見えて束の太さが減っていく。次の棒が最後であった。今までとは逆に、先に糸の先端に結ばれていたナスカンを棒に通してから、地面へと突き刺した。

 見回せばゴリアテの周りを、だいたい半周していた。

「これ、変な形になったりしないの?」

 木の棒は今のところ五本である。全部あわせて十角形で野営地を囲むのだろうか。

「ま、細かいことは気にしない。どうせ明日の朝には外しちゃうんだし」

 半分をやり終えたジュンは、腰に手を当ててグッと体を反らしていた。やはり腰に負担があるようだ。

「じゃ、次はコーイチの番ね」

 まっすぐゴリアテの横を通って近道をして、最初に設置した警報器のところへと戻った。

「今日は、出入口つきの警戒線だから、こんな形にするんだよ」

 ジュンが右手の親指と人差し指でCの形を作り、それに蓋をするように左手の人差し指を添えた。

「こっちが出入り口になるんだ」

 左の人差し指を、右手で作った形につけたり離したりして役割を説明してくれた。

「だから、ここは真っすぐアッチに」

 ジュンの指が敷設した側とは反対を指差した。

「だいたい一五メートルぐらいだから。はい」

 警報器を地面から拾い上げて、軽い調子で渡された。

「ええと」

 ジュンのやっていた手順を思い出す。警報器の蓋を開いて、糸を手元に二メートルぐらい引き出す。本体を先ほどジュンが積み上げた石積みの上に並べるように設置して、さらに糸を引き出そうと引っ張ってみた。

 本体が軽い音を立てて地面へと落ちた。

「あらら」

 慌てて拾おうとしたところを、ジュンが先回りして、警報器を石積みの上に戻してくれた。

「本体を押さえながら引っ張って」

 確かにジュンはそうやっていた。彼女の作業を思い出した公一は、言われたとおりに糸を引き出した。感触的にもやっぱり掃除機の電源コードと同じだった。

 ジュンが器用に同心円を作るようにしていたのを思い出し、真似をしようと努力してみる。だが意地悪な風で糸が流されて、どうも同じ円が描けなかった。

「慌てない慌てない」

 公一が苦戦しているのを見て、ジュンが苦笑のような物を浮かべた。人差し指を立てて優しく教えてくれた。

「自分が持てる大きさなら、ちょっと変でも大丈夫。それに明日にはもう片付けちゃうんだから、悩まなくてもいいんだよ」

 公一の表情が余程の物だったのだろう。ジュンが励ましてくれた。

「で? どのくらい?」

 足元にできた束を見おろす。初めてだから実感が湧かない。

「このくらいかな? 本体を持って…」と空中で警報器本体に手をかけたような姿勢になったジュンは左手をそのままに、右手を胸元まで引いた。

「これでだいたい一メートルぐらいだよ」

「これが?」

 自分でも右手に合わせた左手を胸元まで引いてみた。

「両腕を開いた長さが、だいたい身長と同じなの。だから腕一本分の長さを引くと、一メートルぐらいになるの」

「う~ん」

 ちょっと薄曇りの空を見上げて考えた。

「ヒトによって身長はそれぞれだから、変わるんじゃないか?」

「まあね。コーイチは背が高いから長めになるだろうね。ボクやシローなんかは、ちょっと足りないもん。ま、誤差範囲だよ。精密機械を作っているんじゃないんだから」

 毎日行う作業にそれほどの精度を求めていないということだろうと納得する事にした。

「さってと」

 ジュンは地面へ棒を突き刺すと、公一が引き出した糸の途中を巻き付けた。これで糸を引っ張っても、警報器本体が石積みより落ちる前に、この棒が先に地面から抜けるだろう。

「はい、じゃあ次。アッチへ向かってゴー」

 地面から荷物を回収したジュンが、何も目印すらない荒野を指差した。

「まずは真っすぐ敷けるようにならないとね」

「こうか?」

 ジュンの真似をして、糸の束を抱えると中腰になり、回しながら後退さりしてみた。すぐに腰が悲鳴を上げ始めた。

「ほらほら、ドンドン敷いて。あ、ほら曲がらないように」

 先ほどとは反対に、敷設する公一の横をジュンがついてくる形になった。

「曲がらないって言ったって」

「なんのために後ろ向きなんだよ。今まで来た方向を確認すれば、自分がどう歩いているか、わかるだろ」

 ジュンに指摘されて成程と感心してしまった。首を起こして確認すれば、たしかに右へ曲がっていた。

 蟹歩きをして左右を調整し、再び後退さり始める。一五メートルと聞いて大変だなと思っていたが、意外に早く終わりがやってきた。

「はい、ご苦労さま」

 公一からナスカンを受け取ったジュンが、棒に引っ掛けて、地面へと突き刺した。

 ちょっと張りが足りなかったのか、風に気をつけながら位置を一度だけ修正した。

「じゃあ、次。ここにも石を積むんだよ」

「あいてて」

 慣れない姿勢で凝った腰を伸ばしながら公一が呻き声を上げた。

「ほらほら急いで。次の仕事が待っているんだから」

「へいへい」

「返事は、はいって言わないとダメだよ」

 石を積むのには技量はいらない。それにこれが二一世紀の公園とかならば石を探すのにも苦労があるだろうが、ココには無尽蔵にある。掘っても掘っても出て来るのは石ばかりなのだ。

 どれも、おおよそ野球のボールという形をしていて積みやすいので、ジュンが積んだ物と同じ石塚が簡単に出来上がった。

「はい、次」

 ニヤリと笑ったジュンが警報器を石塚の上に置いた。



「おれ、もうダメかもしれん」

 ぐでーっと、うつ伏せに地面へ伸びた公一が、力の無い声で言った。

 だらしない様子を見おろしてジュンが笑い声を上げた。

「じゃあ野営の度に、コーイチは死んじゃうんだね」

「そうかもしれん」

 俯せにしていた顔を上げて、こんな曇った空に現れた太陽のような明るい彼女の笑顔を見上げる。風にスカートの裾が舞っているので、少々際どい姿であった。

 警戒線は二重ということで、ジュンに教わりながら張った外側の糸とは別に、内側にももう一周張ることになった。

 そちらの方は棒で地面から浮かせるのではなくて、地面へ直接敷いて行くだけだったので、幾分かは作業が楽だった。が、中腰で後退さるのには変わりが無かった。

 同じ場所から同時に初めて、だいぶジュンより遅れて到達した反対側で、こうして伸びてしまったのだ。

 こんな重労働は初めてだ。

 ジュンは半円だけでなく、内側の出入口を作ってもなお公一より早かったのだ。彼よりも作業量は遥かに多かったはずである。

 それなのに、まあ慣れもあるだろうが、地面に伸びている公一を指差して笑うぐらいの余裕があった。腹筋が震えるのに合わせて、彼女が腰に巻いた鎖もあわせてチャリチャリと鳴っていた。

「さ、戻って、今度はパムのお世話をしてあげないと」

「一度ぐらい、いいんじゃね?」

 公一の悪魔の囁きは、生憎とジュンには効かなかったようだ。

「その一度をサボったせいで、帰って来なかったヤツを知ってるよ」

「うへえ」

 帰って来なかったと聞いて、再び昨日荒野で一人きりだったことを思い出した。パムのエンジンがかからなくなったら、最悪歩いてゴリアテと合流を計らなければならない。あんな真似は二度とごめんだった。

 半ば飛び起きた公一は、まだ疲労が残っている腰を伸ばしつつ、身長差からジュンを見おろした。

「さっさとやっちゃおう」

「ん。いい返事」

 ジュンはニッコリ笑うと、リヤカーに向けて歩き出した。

 用意するのは、工具箱とビニールシート、そしてパム用の燃料が入ったジェリ缶である。

 また重いジェリ缶を持たされた公一は、だいぶ顎の上がった姿勢で、先を行くジュンを追いかけた。

 ジュンは、公一がパムの所へ辿り着くまでに、ビニールシートを敷いて、その上にパムを移動させた。

 手順は昨日とまったく同じだった。ストレーナーを確認すると車体脇にあるコックを切り替えて、工具箱からノズルを取り出した。

 そこで追いついた公一からジェリ缶を受け取ると、ノズルをつけて給油を開始した。

 こんな見た目なのに、おそろしく燃費がいいのか、ジェリ缶の重さがあまり変わらない内にタンクが再び一杯になった。

「これさあ」

(片付ける時に、また持たされるのだろうな)

 ジェリ缶を恨めしそうに見た公一は、タンクを閉めて計器類を確認しているジュンに訊いた。

「ガソリンでもないし、灯油とも違うし、一体何なんだ?」

「パムの燃料だよ」

 計器類に異常は無かったようで、すぐに振り返ったジュンは、ジェリ缶からノズルを外しながら教えてくれた。

「正確には、えーっと、なんて言ったっけ?」

「いや、おれに訊かれても…」

 可愛らしく小首を傾げたジュンは、危なげな様子で単語を口にした。

「たしか『みでぃあむりきっど』とかいったっけ?」

「はあ」

 どうやら横文字のようだ。英語の成績も普通だった公一が、こんな怪しげな発音から正確な単語をヒアリングはできなかった。

(「みでぃあむ」ってアレか? ステーキの焼き具合のヤツか?)

「詳しくはヒカルに訊いて」

「そればっかりだな」

 つい苦笑が浮かんでしまった。公一の顔を見たジュンは、両腰に手を当てると胸を張り、頬をぷっくりと膨らませた。

「いいの。ヒカルは説明するのが好きなんだから」

 まるで幼稚園児のような反応だった。

 目眩のような物を感じた公一は、顔に手を当てて表情を隠すと、もうちょっと訊くことにした。

「じゃあ石油じゃないんだな」

「セキユ? なにそれ?」

 不思議そうに訊き返されてしまった。小首を傾げた反動で、彼女の腰に巻いた鎖がチャリンと鳴った。

「石油だよ、石油。えーっと…」

 公一は義務教育の内に習った事を慌てて脳内から掘り起こした。

「地面に埋まっていて、火を点けると燃える水…、いや油」

「昔は油が地面から湧いてたの?」

「いや、そうじゃなくて」

 一瞬だけ周囲を見回す。こんな石しかない荒野だけを見て来た者に、なんと説明すればいいのか分からなかった。

(ヒカルって凄いんだな)

 自身をロボットのような物と言っていたが、これだけ常識の違う相手に、分かりやすく説明する彼女の偉大さが理解できた。

「水だって、どこからでも湧くわけじゃないだろ? 石油も同じで、だいたい中東の砂漠に埋まっているから、それを色々調査して見つけて、井戸を掘って汲み上げるんだ」

「ちゅうとう?」

(そっか。国すら無くなっているんだっけ)

「ええと、日本から見て地球の反対側辺りをそう呼んでいたんだけど…」

「日本じゃ取れなかったの?」

「取れなかった…、いや、ちょっとだけ日本海側で取れたはず」

「にほんかい? 日本専用の海があったの?」

「あー」

 公一は曇り空を見上げた。

「えっと、日本が島だったのは知ってるか?」

 どこまで説明しなければいけないのか確認するために、もっとも基本的な事を訊いた。

「うん。それは知ってる」

「で、大陸と日本の間には、海があったんだ。それを日本海って呼んでたの」

「日本の傍だから日本海?」

「そ」

 小首を傾げて確認するジュンに、大きく頷き返して、彼女のあどけない表情から視線を外した。そうでもしないと、つい見取れそうになったからだ。

「おう」

 二人の会話が一段落したのを待っていたのか、見回りをしていたらしいシローが横から声をかけてきた。

「それが終わったら、八九式に装弾しとけよ」

「八九式?」

 シローの指示にもキョトンとするジュン。

「あれ? いつもより重武装だね? 誰がライフルなんて持つの? ヒメ?」

 ジュンの質問に、とても言いづらそうにシローが答えた。

「ナカムラさんに持たせろ」

「ええ~っ」

 シローの言葉に大きなアクションで驚いて見せるジュン。

「新人には、装備品を渡さないんじゃなかったの?」

「俺も本当はそうしたい」

 目を伏せて、苦々しく言葉を口にするシロー。腕組みをして、そっぽまで向いてしまった。

「だがナカムラさんをゴリアテの中で留守番させるのもなんだし、施設の探索には人手がいくらあっても足りないし…」

 段々と声が尻つぼみになって、終わりの方は何と言っているのか分からなくなった。

「とにかくナカムラさんには、施設の探索を手伝ってもらう。そのためにゃ、考えられるだけの準備をしてやらんとな」

 声を張り上げて、何かを言いかけたのを誤魔化したような感じがした。

「全部となると、ボディアーマーからになるけど?」

 ジュンが探るように訊いた。

「それもだ」

 ジュンを指差してまで強調すると、逃げ出すようにシローは歩き出してしまった。

「了解」

 その背中にジュンが真似事のような敬礼を送った。



「銃は撃った事ないんだが」

 シローが行ってしまってから、公一は恐る恐るジュンに打ち明けた。二一世紀初頭の日本では、高校生が気軽に銃を撃つなんていう機会は無かった。まあ玩具のエアーソフトガンならば巷で流通しており、公一も男の子だから興味はあった。特に中学の時にクラスメイトだった北条君はミリタリーマニアだったので、色々なエアーソフトガンを持っており、何度も借りて撃ったことがあった。

「ん~、そうか~」

 ちょっと口を尖らせて顔を曇らせるジュン。

「気を付けないと、自分の足を撃ち抜いて、死んじゃったりするもんね」

「ひえ」

 公一の青ざめた顔を確認すると、ジュンは底なしの笑顔で言った。

「大丈夫、ちゃんと手順を守れば、安全に使えるから」

(人を傷つける武器に、安全も何もないと思うけど…。なにせ撃たれたら死ぬんだろ)

 気乗りしない顔をしている公一を見ると、ペロッとジュンは舌を出した。

「脅かしすぎちゃった?」

「え…、と」

 ジュンの告白に返事が遅れたのは、その表情がとても彼女らしくて見とれてしまったからだ。

「ひどいぜ。脅かしっこなしだ」

「まあ実際、暴発事故なんかは起きるから、全部ウソってわけじゃないんだけど」

 もうその手には乗らないと公一はジュンを睨みつけたが、意外にも真剣な顔で彼女は言葉を続けた。

「ボクがライフル使わないのも、余分な威力が嫌いだからってのもあるんだ」

「余分な威力?」

 言われて改めてジュンの背中の壊れたウィンチェスターライフルを見た。

「そ」

 大きく頷いたジュンは、腰の鎖を鳴らしながらリヤカーへ向けて歩き出し、公一を身長差から見上げた。

「世界は終わっちゃったんだから、自分を守る以上の力は要らないでしょ」

「…」

 ジュンの言葉に、そういう物かなと思う公一と、いやだからこそ力が必要なんじゃないかと思う公一がいた。どちらも間違いなく中村公一である。

「おい、片付けなくていいのか?」

 そのまま行こうとするジュンを慌てて呼び止める。周囲はパムの面倒を見るために散らかしたままだ。

「そうだね。燃料だけは要らないか。持って来てヨ」

 やはり重い物を持つのは男の役割のようだ。

 単純な力比べではジュンの方が上であったのに、なにか釈然としない物を感じながらも、公一はまだまだ一杯入っているジェリ缶を提げて、彼女の後を追った。

 ジェリ缶を定位置に戻している間に、昨日ジュンが飯盒を取り出した箱から、複数の部品を取り出した。

 パッと見ただけで、軍事用のライフルの前半部分と機関部、そして肩に当てる部分であるストックの三つだ。それとこれは素人の公一でも分かった部品だが、曲がった長方形と表現できる形をしたマガジンを三つ取り出した。

「はい、これ持って」

 ジュンは公一に銃の部品を押し付けた。これで終わりかと思ったら、背中のウィンチェスターライフルを脇に立てかけると、もう一回箱の縁へお腹を乗せるようにして上半身を中へと突っ込ませた。自然と短めのスカートに隠されていた白い肌が露出することになる。

 魅惑の脚線美を眺めていても怒られないだろうが、公一は慌てて顔を空へと背けた。

「オイル入ってるかな?」

 独り言のような声に首を戻せば、濃い紫色の巾着袋を取り出したジュンが体勢を戻していた。巾着袋を右手だけで乱暴に揺らして、ヘッドセット越しに耳を立てるような仕草をしてみせた。

 公一にもチャポチャポと容れ物に入った液体が波を立てる音がした。

「足りそうね、はい」

 巾着袋も押し付けられた。

(何が入っているんだろう?)

 中身がまったく想像できなくて、その荷物をマジマジと見てみる。外から触った感触では、細い棒や、四角い箱のような物が入っているようだ。

「これが一番まともかな?」

 最期にジュンが発掘作業のように箱の中を掻き回して見つけ出したのは、自動拳銃(オートマチック)だった。

 グリップの中にマガジンが入っていない事を確かめ、スライドを引いて排莢口から内部を覗き込む。

 パッと手を離すと、バネの力でスライドは元の位置へ戻った。一連の動作でハンマーがコッキングされたので、銃口を空に向けてトリガーを引いてカチリと戻した。

「はい」

「うは」

 今まで渡されていた部品では実感が湧かなかったが、拳銃を丸ごと渡されるとなると話は違った。公一も男の子であるから、クリスマスの朝にツリーの下で子供たちが見せる表情と同じ物になった。

 緊張で拳銃を持て余している間に、ジュンは腕だけを箱へ突っ込むと、いかにも無造作に拳銃用のマガジンを三つ取り出して、これも公一へと押し付けた。

 もう両手は一杯だ。

 だが、まだ探し物があるのか、ジュンは別の場所に移った。

 木箱や鉄製の箱が積み上げてある場所だ。そこから大きな鉄製の箱を引き出す。それが何だか公一は知っていた。

 弾薬箱だ。規格化された大きさで、中に銃弾が入っているはずだ。

 なぜ公一が知っているかというと、話しは単純だ。振り返ればリヤカー中央のある銃座に据え付けられた重機関銃の機関部に、ぶら下げられているのと同じ物だからだ。

 重機関銃に取りつけられている弾薬箱は、側面の一部分が開かれ、そこからベルト状に連なった銃弾が、機関部へと繋がっていた。

 形状は全く同じだ。濃い緑色に塗られ、側面に描かれた流星マークまで同じ。違うのは、長手方向に開く蓋にステンシルで書かれた数字だ。重機関銃の方は一二、七×九九と書かれているが、ジュンが引き摺りだしたのは六、五×五一と書いてあった。

 ジュンは中からボール箱に小分けされた一つを取り出すと、もう蓋を閉めて足で箱同士の隙間へ足を使って押し込んだ。

「はい、これも持って。あ、落とさないでよ」

 両手で抱えている銃の部品の上に、ついでのように乗せられた。

「お、おう」

(きっとこれが弾丸(たま)なんだな)

 銃の部品を持たされるよりも緊張した。油染みが浮いているようなボール箱には付箋のような表示が貼ってあって、ここにも六、五×五一と書いてあった。

 公一がボール箱を観察している間に、ジュンは別の弾薬箱の蓋を開いていた。

 そちらは同じ箱の山でも上の方に積んであったためか、特に引き出さなくても中身を取り出せた。

 そちらの表示は八×二二と書いてあるようだ。上に積んであるため表示がだいぶ風化しており、読みづらくなっているので公一は自信が持てなかった。

「はい、弾丸。落としたら爆発しちゃうからね」

 公一に新たなボール箱を差し出しながらジュンがニヤリと笑った。下から彼の表情を覗き込むような仕草までしてきた。

「落とさないから、大丈夫」

「本当かなあ」

 軽口の延長で公一の反論に応じ、ジュンはバランスを競うゲームのような調子で、先ほどのボール箱の上に、今取り出したボール箱を重ねた。

「よし」

(よしじゃねえよ)

 一つ一つの重さはそうでもなかったが、これだけ持たされると腕へ負担になってきた。

 何か文句を言ってやろうとしたら、鎖の音が移動した。今度は銃の部品が出てきた箱とは別の大箱の前に移動していた。

「よ」

 蓋を開けて、また縁から向こう側へ上半身を潜り込ませる。今度は相当深いらしく、そのせいでジュンの角度も急になった。

「わわわ」

 チラリと見えたような気がして、慌てて公一は彼女へ背を向けた。

(少しは気を付けて欲しいもんだ。これでジックリ見てたりなんかしたら、また殴られるに決まってるし)

 昨日の腕相撲での顛末を思い出しながら、それでもジュンが何をやっているのか気になって、目を細めて半分だけ振り返った。

 公一が二一世紀から持ってきた物とは形の違う黒いヘルメットを取り出して、なにやらガラガラと部品のような物などを放り込んだ。それからコートと共通のデザインをしたダウンジャケットのような妙に襟の高い服を取り出した。

「こんな物かな?」

 ジャケットを片手に、部品を入れたヘルメットを小脇に抱えたジュンが周囲を見回した。

「ああ、これこれ」

 思いついたように、今度はビールジョッキみたいな大きさの空き缶を手にした。警戒線を張る時に使った木の棒も一本加える。

 どうでもいいが今のジュンの佇まいは、どう見てもガラクタを集める事が趣味の人のようだ。

 もう思いつく物は無かったのだろう、もう一周リヤカーを見回したジュンは、自分のウィンチェスターライフルを回収すると、大荷物を抱えた公一に顎で示した。

「パムのところでお店広げようか」



 二人はパムのところへ戻って来ると、敷いたままのビニールシートの上に荷物を散らかした。荷物の真ん中で、まるでオママゴトをするかのように向き合って座った。

「さてと、じゃあ準備を始めるとしますか」

 背中のウィンチェスターライフルを脇に置き、女の子座りをしたジュンが、どこか楽し気に言った。

「準備って?」

「お・め・か・し」

「???」

 上等のスーツを前に言われるのならば何をするのか分かるが、いま散らかされているのは、今まで馴染みの無かった物ばかりだ。

「じゃあ、まずコレ」

 はいと拳銃用のマガジンを一つ手渡された。

「これを、どうするんだ?」

「弾丸を込めるに決まってるでしょ」

 そう言うと、二つのボール箱の蓋を開く。上に開くのではなく、横に開いて中から厚紙をプレスして形作られたトレーを引き出した。

 どちらにも鈍い金色をした弾丸が立てるようにして並べてある。弾丸の形状であるが、片方は細長く、片方は対照的に太くて短かった。

「こっちの短い方がピストル用。はい」

 二段になって入っていたらしいトレーごと渡された。すでに何発か使用したのか、トレーの半分には弾丸を起立させる穴しか残っていなかった。

「こめる…」

 マガジンと弾丸を持て余していると、ジュンは苦笑のような物を浮かべて、公一の手の中から両方を掻っ攫った。

「見てて、こう」

 一発をトレーから外すと、お尻からマガジンへと押し込んだ。マガジンがカチャンと軽い音をさせてその弾丸をキープした。

「一五発だから、はい」

「お、おう」

 戻って来た両方を抱えて、ジュンがやったように弾丸を押し込んでいく。その間にジュンは、拳銃の側面にあるレバーを押し下げて、半分だけスライドを引き、斜めに持ち上げて上下に分解した。

「うん。仕舞う時にクリーニングしといたから、ばっちり」

 グリップの方に残った銃身を抜き出すと、まるで万華鏡のように中を覗きこんだ。それから紫色の巾着袋から出した四角いオイル缶の蓋を開き、オイル缶の中身を巾着袋にこれまた入れてあったボロ布に染み込ませた。布は、新たに取り出した細い棒へ巻き付けて、それで銃身の中を拭き始めた。

「どうかな?」

 しつこいぐらい空拭きを重ねてから再び銃身内部を覗き込む。そのままグルッと回って公一の顔を銃口に捉えた。

「何やってんの?」

「なにって、たま!」

 円形に区切られた視界の中で、公一は顔を真っ赤にしていた。彼は膝立ちになると、両方の親指でマガジンの上から弾丸を押し込んでいた。最初の二、三発は簡単に込める事ができたのだが、段々とマガジンの中のバネの力が指数関数的に強くなり、一〇発を越えたあたりで、両手を使わないと入らなくなっていたのだ。

「それで何発目?」

「ラストのはず!」

 う~んと唸りつつ、最後の弾丸を押し込んだ。

 最後は指の力どころか、マガジンを地面に置いて体重をかけるようにしないと入らなかった。

「どれどれ」

 指先から痛みが散るように、手をプラプラ振る公一から、ジュンはマガジンを受け取った。背面に当たるところに小さな穴が開いており、五発ずつの目盛りが切ってある。そこを見るとマガジンに残った弾数が分かるという寸法だ。

 公一が込めたマガジンは、しっかり下まで弾丸は入っていた。

「はい、ご苦労さま。あと二つあるからね~」

 明るい声で行われたジュンの宣告は、名主に徹夜で小麦を収穫しろと命じられた小作人の気持ちを、公一に感じさせた。

「なによ、その顔」

 半ば吹き出してジュンが訊ねた。

「いや。映画のヒーローなんか、バンバン弾を撃っているけど、陰でこんな苦労していたのかなあって」

「えーが? ああ、映画ね。きっとそうじゃない?」

 明るく言って公一の手に空のマガジンを握らせた。

「うへえ」

 マガジン一本でお腹いっぱいだった公一は、嫌な顔を隠そうともしなかった。

「そんな貴方に朗報です」

 ニコッと貼り付けたような笑顔をしたジュンが、なにか小さな箱のような物を取り出した。

「?」

 箱の正体が何なのか分からなかった公一は、首を傾げるばかりだ。

「見てて」

 箱は、丁度マガジンに被さる大きさだった。二つを組み合わせると、まるで親鳥に餌をねだる雛のように箱の反対側に口が開いていた。

 ジュンは、箱の口へ弾丸をお尻から差し込むと、箱ごとガチャンと上から押した。一発分の高さが引っ込んで、すぐに戻って来る。弾丸はマガジンに装填されたので、箱の中は空になっていた。次の弾丸をまたお尻から差し込み、ガチャンとやる。その繰り返しで、あれよあれよと言う間に十五発の弾がマガジンに飲み込まれた。

「簡単でしょ」

「なんだよ、こんな便利な物があるなら早く教えてくれよ」

 公一は口を尖らせて文句を言った。彼には理屈が理解できなかったが、どうやらこの箱を被せると、余分なバネの力がかからないようになっているようだ。

「ダメダメ、最初が肝心。それで有難味を知らないとね」

 二本のマガジンを並べて立てたジュンは、三本目を公一へ差し出した。

「はい、チャレンジ」

「はいよ」

 受け取った公一は、ジュンがやっていたように、まず箱をマガジンへ被せた。前後が逆にならないように形に工夫がされていたので、公一も間違えることなく組み合わせる事ができた。箱の下から平たい棒がマガジンの中へ差し込まれる形となる。ここの部分がバネを押し下げて弾丸を込めるのをやり易くしていたようだ。

 一発目をお尻から差し込み、上から押し込んでみた。

 ガチャンと小気味よく装弾された。感触的には大き目の日付印を捺す感じだった。

「なんだよ、ラクチンじゃん」

 最後までその調子でガチャンガチャンと弾丸を込める事ができた。途中で重くなることも無い。腕相撲の経験から、ジュンには簡単な事でも、実は大変な作業じゃないかと勘繰っていたのだが、そんなことは無かった。

「できた?」

「ああ」

 いまだに親指に残るヒリヒリする感触だけが、道具無しで装弾する大変さを感じさせていた。

「じゃあ、一本貸して」

 公一の前に並べたマガジンを一本攫うように手にする。偶然か故意か分からぬが、それはジュンが装弾したマガジンだった。

 公一が三本目に装弾していた間に、ジュンが慣れた手つきで組み立てた拳銃へ、マガジンを装填した。

「よいしょっと」

 ジュンは立ち上がると、拳銃を持ったままの手を口に添えて大きな声を上げた。

「みんな~、今から試射するから、驚かないでね~」

 公一も周囲を見回したが、視界に入ったのはコンロで何かを茹でているリュウタぐらいだ。彼は首を伸ばしてこちらを確認すると、公一と目が合ったからか、手を挙げて答えてくれた。

 ジュンは迷いなく荒野の方へ銃口を向けた。

 スライドを引いて初弾を薬室へ送ると、両手で構えた。なかなか様になった姿勢であった。そのままリラックスした様子でトリガーを引いた。

 パアン。

 意外に大きな音を立てて弾丸は発射された。反動でスライドが後退し、次弾を薬室へと装填する。

「うん、大丈夫」

 クルッと手の中で回転させて、公一へグリップを差し出した。

「はい、公一も撃ってみて」

「もったいなくないか?」

 目の前に差し出された拳銃を見て、昨日の会話を思い出した。たしか弾丸は心もとないと言っていたはずだ。

「それとこれとは話しは別だよ。ちゃんと銃が作動するか確認しなきゃ。動かない銃の弾丸がいくらあったって、宝の持ち腐れでしょ」

「どちらかというと無用の長物のほうが正しいような気がする」

 ジュンの言葉を訂正しながら公一も立ち上がり、ジュンから拳銃を受け取った。

「まず、どのくらいの反動があるか、体で覚えてね」

「了解」

 ジュンが撃った方向へ銃口を向ける。どこまでも石だけしか見えない荒野だ。もっと目がよければ、二人で張った警戒線の糸も目に入るだろうが、公一の視力では無理だった。

「糸に当たるってことは無いよな?」

「運が悪けりゃ当たるよ」

 何のことは無いという態度のジュン。

「逆に当てて見なよ。それだけの腕前があれば、もう射撃で教える事は無いから」

「いや、無理だろ」

 風にそよいでいた糸を思い出す。あれに当てるなんて、人間業では無理だろう。

「ま、とにかく撃ってみなよ」

 ジュンに急かされるように促され、公一は手にした拳銃を見おろした。

 持った感じで素直な感想は、エアーソフトガンと同じぐらいの重さだなといったところだ。ただ公一がクラスメイトの北条君に借りた物とは形が全然違った。北条君が持っていたエアーソフトガンは大体四角だったが、これは簡単に表現すると楕円体とグリップを組み合わせたような形なのだ。

 デザインだけ言うと、出来の悪いワンコインショップの玩具コーナーから持ってきましたと言われても不自然ではなかった。しかも素材だって金属では無くてプラスチックのようだ。

「こうか?」

 北条君がよくやっていた、片手で横に傾けた構え方を真似してみた。

「ダメダメ」

 ジュンが苦笑して手を振った。あからさまに「これだから素人は」と態度で言っていた。

「そんな変な構え方をしたら、動作不良しやすくなるから、ちゃんと真っすぐ持って」

 ジュンの手が公一の手に重ねられて、ちゃんとした構え方に直された。

 右手で握ったグリップを、さらに左手で包み込むようにして両手で構える姿になる。公一の足をジュンの爪先が突いて、下半身の姿勢も正された。足は前後に開くが、ちょっと幅を取って斜めに開くようだ。それからジュンの手が優しく背中を押して、少し前傾姿勢を取らされた。体の重心は思ったよりも前にかけるようだ。

「そんなにギュッと握らなくても大丈夫。あ、でも反動は肩で跳ね返すつもりで受けないと、スライドが戻り切らなくて、弾丸を噛んじゃうから注意してね」

 さらに肘の角度から体の向きまで手早く修正された。

「ん?」

「え、いや」

 ペタペタと全身を触られて、ついジュンとの距離を意識してしまった。公一は一回そっぽを向いてから、拳銃の向こうに広がる荒野を見た。

 遠景さえ無視すれば、石以外に何もない。ヘタなところに当たって誰かが怪我する事もないだろう。

「じゃ、改めて、撃ってみようか」

 公一からジュンが離れた。視線を一回やると、許可するように頷いてくれた。

 公一はエアーソフトガンの時を思い出し、指の力をかけすぎて銃口を下へ向けないように注意しながらトリガーを引いた。

 パアンと、ジュンが撃った時と同じ感じで銃声が発せられ、スライドが動作した。

(意外に反動が無いんだな)

 未来の技術なのだろうかどうか分からないが、二一世紀で撃ったエアーソフトガン程度の反動しか感じられなかった。

「どお?」

 下から覗き込むようにしてジュンが訊ねて来た。

「どうって?」

 銃口をおろして質問の意味を訊ねる。

「使えそう?」

「まあ、これなら」

「よし」

 笑顔を作り直したジュンは、ビニールシートに散らかした荷物から、空き缶と木の棒を拾い上げた。

「はい、的」

「まと?」

 ジュンが放り投げて来た空き缶を、空いている左手で受け止めながら公一は訊き返した。

「マガジン一つ分ぐらいは練習しておいた方がいいよ」

「そんなに撃っちゃっていいのか?」

「何事も練習、練習」

 拳銃と交換で、木の棒も受け取る。

「どのくらいの距離だ?」

「う~ん。最初の警戒線ぐらいかな? 本当は五○歩ぐらい届くけど、外は風があるから」

「そんなものか」

 公一は真っすぐと荒野に向けて歩き出した。自分が敷いた糸を踏みつけないように足元に注意して行くと、探すのが飽きた頃にキラキラと光る糸を見つける事ができた。

 糸のすぐ手前に棒を突き刺すと、上に空き缶を被せて的にする。振り返って立ったまま待っていてくれるジュンとの距離が意外に遠くて驚いた。

 戻ると、拳銃のお尻を向けて差し出してくれた。

「さ、コーイチは練習してて」

「ジュンは?」

「アッチ」とパムの横にまだ散らかっている銃の部品を指差した。

「あれ組み立てちゃうから」

 どうやら射撃に関しては自主練という事のようだ。

「姿勢は、さっきの感じだから」

 他に注意なども無しにジュンはビニールシートに戻ると、座り込んで部品を弄り始めた。

 振り返って自分が用意した空き缶を視界に入れる。周囲に何もないせいか、点のように見えた。

「当たらなくても当たり前だから、ドンドン撃って」

 ジュンが自分の手元から顔を上げずに声をかけてきた。確かに的があんなに小さくしか見えないのだから、当てるのは偶然の要素も必要だろう。

(たしか…)

 二一世紀で北条君に教わった事を思い出そうとした。

(「銃は腹を狙って撃て」だったか。それと「拳銃は最後の武器だ」だったか)

 人間に対して射撃をするとき、もっとも重心に近く避けづらい腹部を狙うのが基本である。公一が差してきた木の棒の高さがまさしくそのぐらいであった。

 ああまで言われたら、逆に当ててやろうと、慎重に銃本体の上に設けられた照星と照門を合わせてみる。すると、照星には一つ、照門には二つの白い丸が描かれていることに気が付いた。

 白い丸が同じ高さになるように狙いをつけた。

 トリガーを引くと、再びの銃声に反動。直後、チュインという音と共に銃口の延長線上にある荒野で火花が散った。

「へ?」

 ジュンが顔を上げた。公一も信じられなくて、拳銃を下に向けて的を観察した。

 火花の名残のように、空き缶がクルクルと棒の先で回っていた。

 どうやら空き缶の真ん中には当たらなかったが、角を弾丸が掠り、金属同士の衝突から発生した火花であるようだ。クルクルと回る運動は、その衝突の名残だ。

「すげー」

 いつの間にかに近くに来ていたリュウタが、溜息のような声で感心してくれた。

「一発目で掠らせるなんて、相当だゾ」

「ど、どうも」

 キラキラした目で(身長差から)見上げられて、鼻白んでしまった。

「ほへ~」

 ジュンも手元に持っていた部品をほったらかしにしてやってくると、公一の横から的の方を眺めて感心の声を漏らした。

「マグレって怖いな」

「…じ、実力だよ」

 慌てて訂正させようとしたが、微妙な微笑みで肩を叩かれてしまった。

「実力ね。次、当てられたら認めて上げる」

「本当だぞ」

 まあ公一もマグレ当たりだと自覚はあった。が、もう一度、先ほどの感覚を思い出して拳銃を構えてみる。

 白い丸が三つ並び、その向こうに的である空き缶が重なった。

「力が入ってるよ」

 ジュンが声をかけて来た。一瞬だけ、こちらの集中力を乱すつもりなのかと勘繰ったが、たしかにグリップを握る指に痛みがあるほど握力をかけていたことを自覚できた。

「それと、的を見るんじゃなくて、真ん中の丸を見るようにした方が当たりやすいよ」

「真ん中…」

 目の焦点を真ん中の白い丸に合わせると、その向こうにある的がぼやけて重なった。

 再び、引き金だけを動かすことを意識して、人差し指を動かした。

 パアン。

 銃声が荒野にコダマする。

 今度は火花も何も起きなかった。

「ほらね」

 ジュンがバカにするのではなく、どこか笑いをこらえたような顔で言った。

「ピストルでこの距離だもの。マグレだと思った」

「そんなことないぞ」

 ジュンの言葉に肩を落としていると、反対側からリュウタが優しい声をかけてくれた。

「だいたい一メートル付近に寄せられれば合格だ。いまの射撃だって、そんな見当違いのところでも無かった」

 どうやら脇で見ていたリュウタには、公一が撃った弾が、どこら辺に飛んで行ったか見えたようだ。

「ま、必要なのは練習…」

 またビニールシートのところへ戻りながらジュンは言った。

「『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる』って言うでしょ」

「それも意味が違うような気がするぞ」

 公一は首を傾げながら言い返した。

「オレに言わせれば、慣れだよ。慣れ」

 ポンとリュウタが励ますように肩を叩いてくれた。

「料理だってそう。慣れてくると、勝手に手が動いたりするもんだ」

「そんなもんかね」

 慰めなのか励ましなのか分からない言葉に、公一は首を捻った。

「だから、ほら。撃って、撃って」

 ジュンが急かすように手を叩いた。

「おう」

 ジュンは射撃に関しては注文をつける気が無いようである。代わりにリュウタが横に居てくれた。

「こんな感じか?」

「力み過ぎずに、リラックス。当てれば儲けもの程度でいいんだから。これは練習だ」

 再び引き金を引くと、また的には掠りもしなかったが、リュウタが褒めてくれた。

「そんな感じだ。あと、同時に二発ずつ撃つ癖をつけた方がいい」

「二発?」

 意味が分からずにリュウタを見おろすと、彼は指鉄砲を的に向けた。

「パンパン。パンパン。こんな感じで撃つんだ」

「?」

 不思議そうな顔をしていると、自分の説明不足に気が付いたのか、苦笑いのような物を浮かべて話してくれた。

「一発目が当たらなくても、二発目が当たる可能性が出て来るからだよ。だいたい的の一メートル周辺に二発とも撃ち込めたら、それで充分」

「まあピストルなら三発目を撃つ前に接近されて殴り合いになってるもんな」

 後ろからジュンが補足してくれた。

「そうか?」

 的との距離を見直してから、ジュンを振り返った。

「相手が走り込んで来たら、そうそう当たるもんじゃないしね」

 ジュンはライフルの引き金辺りをフレームから抜き出しながら答えた。

「走り込む…」

 公一の脳裏に、昨日一番に襲われた獣たちが浮かんできた。確かにあの速さならば、三発目を撃つ余裕は無さそうだ。ついでに言えば、拳銃程度の武器でどうにかなるとも思えなかった。

「まあ、無いよりはマシだから」

 どうやら公一が想像していたことが予想できたのだろう。リュウタが励ますように言った。

「わかった」

 それでも練習しておけば、なにかの役には立つだろうと、公一は銃口を的へ向けた。

「こうか?」

 リュウタの指鉄砲を真似して、連続して引き金を引いてみる。最初の銃声に二回目の銃声が重なって、パパアンという間の延びた音になった。

「そうそう」

 構えている公一自身には見えないが、どうやら弾はリュウタの納得する精度で的の近くを通過したようだ。

「どんどん撃てば、慣れて来るだろ」

 リュウタにそう言われて、公一は納得するところがあった。先程はグリップを握っただけで緊張していたが、いまはそれほどでもなかった。

「そ、ドンドン撃て撃て」

 ジュンも囃し立てるように声をかけて来る。

「よし」

 今度こそ当ててやろうと、白い丸を睨みながら二連射。だが、やはり掠りもしなかった。

「その調子。もうちょっとで、また当たるぞ」

 真ん中の白い丸。つまり照星を見ているために、銃弾がどれだけ逸れているのかは、公一自身には分からない。リュウタの言う事を信じるしかないだろう。

 再びの二連射。と、火花は散らなかったが、カラカラという音を立てて空き缶が棒の上で回転した。

「あ、惜しい。いま当たったと思ったのに」

「そうなのか?」

「ウソ言ってどうするよ。ホント、もうちょっと」

 リュウタが手放しで褒めるので、逆に半信半疑になってしまう。

「これだったらド真ん中に命中させることができるんじゃないか?」

 リュウタがジュンを振り返って訊くように言った。

「うん、そうかもねー」

 一方のジュンは気の無い返事だ。それもそのはず、彼女はライフルを分解して取り出した銃身の中を覗きこんでいて、そちらに集中していたようだ。

「ほら、ドンドン撃て」

「お、おう」

 二連射を二回重ねたが、それ以上の成果は上がらなかった。次の二連射は、一発撃ったところでスライドが後退したままで止まった。

 故障ではない。ただ単にマガジンに込めた弾丸を撃ち尽くしただけだ。最後の弾丸を撃つと同時に下から弾丸を送っていたマガジンフォロアが銃のスライドストッパーを押し上げ、スライドを後退した状態でキープするのだ。新しいマガジンを入れてストッパーを外せば、わざわざ初弾を送る動作を省くことができる。公一も借りたエアーソフトガンが同じ構造だったので、知識だけはあった。

「うん、合格じゃないかな」

 調子が出てきたところで終わってしまって、ちょっと物足りなさを感じていると、リュウタが背中を叩いた。

「おっふ」

 構えていなかったので息が詰まった。

「でも掠らせることしかできなかった」

「なにを言ってる。実戦は大会じゃないから、的のド真ん中に当たらなくていいんだ。撃った相手が、死ななくたっていい。それ以上自分を襲ってこなきゃ勝ちなんだよ」

「そういうものか?」

「そういうものだ」

 髭面でも分かる程の柔らかい微笑みを見せてくれた。

「さてと、いま撃った分は込めといてね」

 ライフルを組み立て始めたジュンが、爪先で、拳銃弾の入ったボール箱と、例のマガジンに込める時に便利なアダプターをつつきながら言った。

「OK」

 公一はビニールシートへ戻り、ジュンの前で弾込めを再開した。とはいってもスタンプを押す調子で十五回やればすぐに装弾は完了だ。

「寄越して」

 組みあがったライフルを横に、ジュンは公一へ手を差し出した。最初はマガジンか弾を要求しているかと思ったが、手の向きから拳銃本体を手渡す。

 すると、またジュンは手早くスライドをフレームから抜いて、銃身を外し始めた。

「また分解するのか?」

「煤なんかついてたら嫌でしょ?」

「そういうものか?」

 意味が分からずにキョトンとしていると、ビニールシートの端に腰かけたリュウタが教えてくれた。

「銃身に煤なんか溜まっていると、最悪暴発するからな。そうしたら指なんか全部無くなっちまう」

「ひえ」

 簡単に想像できて公一は首を竦めた。

「まあ、定期的に掃除していれば大丈夫」

 リュウタは髭の生えた顎をしゃくり、銃身の中をまた布を巻いた棒で拭き始めたジュンを示した。

 特に布に汚れがついたりもしない。マガジン一つではそんなに汚れないようだ。

「できた?」

 手慣れた調子で拳銃を組み立てながら、ジュンが公一の手元を見た。

 いま消費した分の弾丸の補充は終わっていた。

「じゃあ、つぎ」

 ジュンが今度はライフル用のマガジンと、細長い方の弾が並んだトレーを差し出した。

「今度は三○発ずつね」

 三本のマガジンを受け取った公一は作業を開始しなかった。

「?」

「これも便利な道具があるんじゃないの?」

「ちぇ」

 ジュンが、悪戯が失敗した男子小学生のように、唇を尖らせた。

「変な知恵がついて…」

 ブツブツと言いながらも、拳銃の時と同じようにマガジンの上に被せるような箱を取り出した。弾のサイズが違うので、こちらの方が大きい。さらに言うならば右側にレバーと機械式のカウンターがついていた。

 マガジンと組み合わせると、出来の悪いスロットマシーンの玩具のような見栄えになった。

「これは、こう」

 ジュンがまず手本を見せてくれた。

 細長い弾丸をお尻から差し込むと、右側のレバーを倒す。それだけで簡単に装弾されていくようだ。作業の早さにトレーから弾丸を拾い上げるのが遅れがちになるため、いっぺんに五発ぐらいを手に持って、テンポよく進めていく。あっというまに一つのマガジンが一杯になった。

「簡単だな」

「じゃ、コーイチの番ね」

 弾丸と空のマガジン、そして便利道具が渡された。

「あ、そのカウンター壊れてるから、アテにしないで」

 見ればカウンターの表示は三五となっていた。三○発入りのマガジンでは有り得ない数字だ。

「了解」

 いきなりジュンの真似をして複数の弾丸を手にしようとしたが、思いとどまった。ジュンは軽い調子で装弾していたが、こちらは拳銃と違って力が必要になるかもしれないと思ったからだ。

 一発差し込んで、ガチャンとレバーを下げてみた。拳銃用とは明らかに抵抗が違う。だが顔を真っ赤にして力を込めなければならない程でもない。例えるなら重ねた紙に穴を開ける文房具のパンチャーぐらいの抵抗だった。

 これならば苦労無く装弾できそうだ。

 公一はジュンがやっていた手つきを思い出しながら、リズミカルに作業を進める事にした。

「…二十九、三十。どうだ?」

 数えながら作業していたが、ちょっと不安になる。カウンターは相変わらず三五を表示していた。

「不安なら確かめればいいじゃん」

 公一が装弾したマガジンを手に取ったジュンは、横にあるスリットを指差した。そこからマガジンの内部を覗き込むことができ、五発ごとに目盛りが切ってあった。

 一番下の弾は、六番目の目盛りに並んでいた。

「ちゃんと入っているみたいだよ」

 ジュンの細い指先が目盛りを差して教えてくれた。それを見て納得したとばかりに頷く公一。

「じゃあ、もう一個ね」

 最後のマガジンも渡された。

「それはオレがやっておくから、ナカムラさんは撃ってみたらどうだ?」

 リュウタが思いも寄らない提案をしてくれた。

「いいのか?」

「一本だけだろ? 世界が終わるまでには片付けられるだろ」

 そう言ってリュウタは、マガジンと弾の入ったボール箱へ手を伸ばしてくれた。

「今度はジュンが教える番だ」

「え~、ボクが?」

 面倒臭そうにジュンが眉を顰めてみせた。

「さっきは、オレが教えたんだから、順番」

 リュウタはさっさとやれと言わんばかりに手で的を示した。

「ん~、じゃあコーイチ。八九式ライフルの使い方を教えるね」

 手にしていたマガジンと、組みあがっていた八九式ライフルを手に、ジュンはビニールシートから立ち上がった。後から気が付いたように自分のウィンチェスターライフルをシートから拾い上げた。

 鎖が鳴る音に公一も後に続く。リュウタが意味深な目配せを送って来たが、まったく意味が分からなかった。

 拳銃を撃った位置でジュンが待っていた。

「はい」

 ライフルとマガジンを渡された。公一が持て余している前で、ジュンは自分のウィンチェスターライフルを斜に背負いつつ口を開いた。

「これが八九式標準型小銃(スタンダードライフル)

「すたんだーどらいふる? アサルトライフルじゃなくて?」

「詳しくはヒカルに訊いて」

 さっそく口にした公一には聞き慣れない単語の説明を放棄して、ジュンは苦笑を隠そうとしなかった。

「まあ、わかった。名前なんて性能には関係ないだろうしな」

 後でヒカルに訊くことばかり増えていくような気がした。

(他にヒカルに訊くことはなんだっけな)

 公一が思い出そうとすると、ちょっと怒った顔でジュンが顔のド真ん中を指差してきた。

「ほらほら、いまは射撃に集中する。そうじゃないと事故の元だからね」

「う、ううっむ」

 素人の公一ですら正論だなと思わせる言葉に、変な声が出てしまった。

「まずサイズの調整ね。構えてみて」

「こうか?」

 マガジンを差さずに八九式ライフルを頬付の姿勢で構えようとした。が、片手にマガジンを持ったままではやりにくい。考えるまでもなくマガジンをコートのポケットに捻じ込んでから姿勢を正して構え直した。狙いは先ほどの空き缶だ。

「ちょっと短いか」

 ジュンの手が伸びてきたので、構えを解いて八九式ライフルを差し出した。すると彼女は伸縮性のストックを鷲掴みにした。

 握力で下側の一部を凹ませると、固定が外れて自由に伸縮させる事ができるようになるようだ。

 ジュンはストックを目一杯伸ばすと、公一へ八九式ライフルを返した。

「どお?」

「こうか?」

 再び頬付けの姿勢を取る。今度は肩にストックのバックパットが当たり、姿勢が安定した。

「うん、そんな感じ」

 腕組みをしてうなずいたジュンは説明を続けた。

「コレが安全装置ね。セレクターも兼ねてるから」

 グリップを握ると、親指で弾きやすい位置に小さなレバーがついていた。右手でも左手でも操れるようにしてあるのだろうか、両側に同じ物があった。

 セレクターの表示は「ア・タ・レ」と三か所あった。いまは「ア」の位置にある。

「アは安全のアね。タが単発で、レが連射。で、おまじないもあってアタレらしいよ」

「当たれ、ね」

 こんな遥か未来でも「おまじない」なんていう物が残っていることに、公一は肩を竦めるばかりだ。

「じゃあ装弾して構えてみて」

「おう」

 さすがにコレを暴発させたら拳銃よりも大変な事になることは、言われなくても分かった。公一は慎重にマガジンをポケットから抜き出すと、八九式ライフルのハウジングへ差し込んだ。念には念を入れてマガジンの尻を叩いて確実に填まったことを確認した。

「プルバックとかじゃないんだな」

 公一が二一世紀で北条君に借りたアサルトライフルを模したエアーソフトガンは、プルバック式と言って、肩に当てるストックのところに機関部があり、そこへマガジンを差し込むようになっていた。だがこの八九式ライフルは(公一から見て)ちょっと古いタイプのように、グリップの前にマガジンハウジングがあった。

「プルバックもあったけど、故障が多いし、なにしろウルサイしね」

 ジュンがわざとらしく右のヘッドセットの上から、耳の穴をほじるような仕草をしてみせた。

「ウルサイ?」

「こうして構えると、ここで火薬が燃えるでしょ。だからウルサイんだよ」

 背中に回していた自分のウィンチェスターライフルを構えると、頬つけして遠くを狙う様な格好をしてくれた。たしかにプルバックだと顔面のすぐ横に機関部が来ることになるのが分かった。

「なるほど」

「で、チャージングハンドルを引いてみて」

 ジュンが背中へウィンチェスターライフルを戻しながら言って来た。チャージングハンドルとは何ぞやと思う間もなく、彼女の指が、公一が構える八九式ライフルを差した。

 機関部の上に引き金を逆さにしたようなレバーが生えていた。

(こいつか)

 レバーに指をかけて、一気に引いた。強力なバネが組み込まれているらしく、構えた肩と、引く指に結構な抵抗を感じた。引ききると、ガチャリと機械の作動音がした。

「それで、リリースボタンを押して完了」

 機関部の真ん中あたり、指差された箇所に小さなボタンがあった。それを押し込むと、まるでゼンマイが解けるような音がしてボルトが解放されて前進し、初弾が薬室に送られた。

「二本目のマガジンからは、リリースボタンで装弾されるから」

「押さないとどうなる?」

「どうなるも、ただ弾丸が出ないだけだけど」

「お、そうか」

 公一は拳銃のマガジンストッパーを思い出し、アレと同じ仕組みなのだろうなと納得する事にした。

「狙いはココ」

 ジュンの細い指が八九式ライフルを指差した。機関部の上は運搬するときに便利なように掴んで提げられるように取手となっていたが、そこがスコープも兼ねているようだ。小さくて四角いレンズだが、見るとたしかにレチクルが切ってあった。

「覗くと赤い点があるでしょ?」

 ジュンが言うように、レチクルの中心に、赤い光点がある。

「それを的に合わせてみて」

「うん、あわせた」

 左目を閉じて小さな視界に集中する。十字のレチクルの真ん中に、自分が用意した空き缶を持ってきた。

「それで当たるから」

 簡単そうにジュンが言った。

「は?」

 あまりの説明に、照準から目を離して、彼女の顔を見てしまった。

「あとは反動を肩で受け止めるだけだよ。受け流すと、ピストルと同じで作動不良になるからね。まずは単発から撃ってみようか」

「よ、よし」

 慣れれば指先で弾いただけで自分がどのモードを選択したのか分かるのだろうが、公一は目で確認しながらセレクターを「ア」から「タ」に切り替えた。

 再び小さな接眼レンズを覗き込む。

 視界が狭いのでレチクルの中心から空き缶が外れそうになった。その時、赤い点がスゥと動いて空き缶に重なった。どうやら自動で追尾しているようだ。

「できるなら両目で狙って」

 ジュンが注文をつけてきた。

「両目?」

 双眼鏡ではないので、両方の目を開いても、片目(この場合は公一の右眼)だけでしかスコープは覗けない。

「片目で狙いをつけて、もう片方で周囲を警戒するの」

「はぁ?」

 裏返った声が出た。

「射的大会なら周りを気にしないでもいいけど、戦場だとドコから敵が出て来るか分からないから」

 ジュンに言われて確かにと納得できた。スコープで狙ってしまうと、すぐ横から別の者が顔を出しても気が付くことはできないだろう。

 右と左で違う視界という慣れない感覚に、背中に汗が浮いて来た。

 公一は息を吸ってから呼吸を止め、トリガーを引いた。

 パアンと拳銃とは比較にならない程大きな銃声がして、八九式ライフルを構えていた肩に、蹴飛ばされたような衝撃が来た。

 バシッと野球で豪速球をグローブで受け止めたような音がして、空き缶が棒から吹き飛んだ。後からスローモーションのような感じで棒が倒れてカランという音を立てた。

「へ?」

 どうやら命中したようである。

 自分の為した結果が信じられなくて、ジュンの顔を見た。

「うん、故障して無いみたいだね」

「こしょう?」

「そ、故障」

「どういうことだ?」

 眉を顰める公一に、不思議そうにジュンが言い返した。

「狙ったところに弾丸が飛んで行ったんだから、故障してないだろ?」

「?」

 なにか話しに齟齬が生じているようである。

「普通、ゼロインとかしないと命中率を確保できないもんだろ?」

 二一世紀で北条君が言っていたことを思い出す。普通、銃の照準は試射を重ねて照準器が示す位置と、実際に弾が飛んで行く位置を同じにしなければならないのだ。少なくとも二一世紀ではエアーソフトガンのような玩具でもそうだった。

「ぜろいん? なにそれ?」

「ゴリアテの主砲なんかに必要な調整のこった」

 マガジンへの装弾を終えたリュウタがやってきた。

「ほら昔の銃は、狙ったところに飛んで行かないこともあったから」

 リュウタがジュンの背負っているウィンチェスターライフルを指差した。

「ああ、あーあー」

 納得いったとばかりに手を振り回すジュン。それに合わせて腰に巻いた鎖が小気味よくチャリチャリ鳴った。

 ジュンはニコッと笑うと、公一に教えてくれた。

「スタンダードライフルは、AIが狙った物へ弾丸を誘導するんだよ」

「弾丸を誘導?」

 あまりの事に公一から素っ頓狂な声が出た。それもそのはずだ。二一世紀で誘導弾と言ったら、ミサイルなどの大型兵器に限られていたからだ。もちろんその理由は、大きな誘導装置を乗せるためには、ミサイル自身も大きくなければならないからだ。先ほどマガジンへ込めた弾丸みたいな小さいサイズに誘導装置が入るわけが無かった。

「じゃあ一度狙ったら、後ろを向いていても当たるのか?」

 公一はそういうSF映画を見た事があった。

「ムリムリ」

 手を横に振って、ジュンはまるで笑いをこらえているような表情をしてみせた。

「こうやって親指を立てるでしょ」

 実際にジュンが右手を突き出して親指を立てた。

「この親指に隠れるぐらいに入ったら当てられるって言われてる」

「このぐらい?」

 八九式ライフルの銃口を上に向け、空いた左拳を突き出してみる。荒野の方向へ向けて親指を立てたが、実感が湧かなかった。

「どのくらい先で?」

 拳が届く距離なら狭いだろうが、これが一○○メートル向こうだと相当な範囲になるのではないだろうか。

「え~、大体だよ。そんなの知らないよ~」

 ジュンからいい加減な答えが返って来た。

「ま、狙って外れたら、次を撃つ。そういう理屈だ」

 どうやらリュウタも知らないようだ。まあ三○発もマガジンに入っているのだから、弾数には困ることはないだろう。

 ふと気になった事を訊いてみた。

「弾を誘導って、中にコンピューターが入っているのか?」

「そうだよ」

 何を当たり前のことを言っているのか分からないという顔をされた。

「センサーもちゃんとついていて、風向きとか気温とか、色々な事をチェックして照準を修正してくれるんだ」

「…、電池は?」

 たしか昨日の話しでは、最終戦争とやらが終わってからも、相当時間が経っているような雰囲気だった。そんなに長く電池が使えるとは思えなかった。

「でんち?」

 ジュンとリュウタが二人して不思議そうな顔をした。

「なにそれ?」

「へ?」

 まさかの返答に、公一の方も目を点にしてしまった。

「電池って、電気を貯めて置いて必要な時に取り出す物なんだけど…。通信機とか、ライトとかに使わない?」

 二人は顔を見合わせると、首を横に振った。

「もしかしてコイルのことかな?」

「こいる?」

 公一にとってコイルと言われたら、理科の授業で使用した電磁石の物ぐらいしか思いつかなかった。

「こういう携帯式の電源は、コイルって言って、離れた所から電気を貰う部品が入っているんだ」

「え?」

 ピンと来なかった公一は、眉を顰めると荒野とジュンの顔を見比べた。

 少し考えてスマートフォンの非接触型充電器に思いが至った。

「つまり、ずっと電源と繋がっている状態?」

「そうだけど?」

「どこから?」

「発電所」

 なにを当たり前のことを言うのだろうという顔をするジュン。

「そんな重要施設、戦争だったら真っ先に壊されるんじゃないの?」

「ホントはね」

 軽い調子でジュンが言った。

「でも壊されたら日本中のコイルが使えなくなるから、艦隊全部出して守ったんだって」

「それにしたって」

 周囲をもう一度見回す。荒野になったのは戦争が原因というより、ドラゴンが反乱したせいであると聞いた。何が言いたいのが察したのか、ジュンが付け足してくれた。

「ドラゴンだってエネルギーが惜しかったんじゃないの?」

「まあ、そうか」

 一理あるなと納得する公一。もう一度八九式ライフルを構えて的の方を向いた。だが的は一つしか用意していないので、地面に落ちた空き缶が見えるだけだ。

 ここからでは詳しくは分からないが、撃ち抜かれた空き缶は、無残にひしゃげているようにも見えた。

(赤い点に合わせたら、そこへ弾が飛んで行くのか…)

「これじゃ、あんまり練習しても、意味が無いんじゃ?」

 思った事を口にしてみた。

「そうだよ」

 ジュンはあっけらかんと言った。

「誰でも練習しなくても戦えるように造られているんだよ。そうじゃないと人手が足りなくなった時に困るじゃない」

「あ、そういうことか」

 納得してストンと胸に落ちるものがあった。このライフルならば、兵士が足りなくなったら学生や老人でも戦いに借りだすことができるだろう。最悪、子供でも兵士になれるはずだ。

「さ、次」

 ジュンが人差し指を立てた。

「つぎ?」

 拳銃にライフルと来て、他に武器は無さそうだ。公一は周囲を見回した。

「フルオートで撃ってみないとね」

「フルオートか…」

 公一はエアーソフトガンでも連射に切り替えて撃ったことがあったが、玩具だというのに結構な反動を感じた。さらにこれは実銃だ。先程の単発でも蹴られたような衝撃だったので、どれだけ反動があるか、想像できなかった。

 動画サイトなどで、銃をフルオートで撃ったのはいいが、制御できなくて周囲へ乱射してしまう事故の映像を見た事があった。

 あんなことになって、しかもジュンやリュウタを傷つけてしまったら、シローに殺される事は間違いなしだ。逆さ吊りどころか、銃殺刑…、いや八つ裂きかもしれない。

「自分の持っている武器の威力を体験しておかないと、いざって時に困るよ」

 ジュンに言われて頷き返した。

「今より反動があるんだろ?」

 暗に制御できるか不安な事を伝えると、二人してニヤリと嗤った。

「『世界が終わるまで生き延びて来られた、ワシたちの運を信じろ』」

 異口同音に格言めいた事を言われてしまった。

「誰かの言葉?」

 公一が知らない未来の賢人の言葉だろうか? 公一の質問に肩を竦めた二人が目を合わせた。

「コーイチの知っているヤツだよ」

「はあ」

 なんだか納得できずにいると、その背中をリュウタが叩いた。

「さ、うだうだしていても始まらないぞ」

「お、おう」

 公一は目で確認しながら、セレクターを「タ」から「レ」に切り替えた。それからおもむろに先程と同じように肩づけで構えてみた。

 モードが切り替わったせいか、スコープのレチクルと赤い点が消えていた。

 リュウタが背中を、今度は軽く叩いた。

「ほら、しっかり腰を落として構える。最初の内は肩づけよりも、腰だめで撃った方がうまくやれるぞ」

「こ、こうか?」

 言われたとおりに八九式ライフルを腰の高さで構え直した。

「もっと足は前後に開いた方がいいな」

 リュウタの爪先が公一の左足をつついた。

「こんな感じ?」

 荒野へ向かって構え直して、首だけ回して訊いてみた。

「どうだ?」

 リュウタは目線でジュンに確認した。

「いいんじゃない。さあ、ぶっぱなせ!」

 ジュンが拳を突き上げたのを合図に、脇にストックを挟み直して、身構えた。

 トリガーを引くと、まずタタタンと三拍子で弾丸が発射された。

「?」

 弾詰まりかと思った直後に、またタタタンと三拍子。

 合計三回の三拍子があった後に、ドドドと連続して弾が吐き出された。三拍子の時はなんとか耐えられたが、連続して発射されると、体全体が揺さぶられて、何がなんだか分からなくなった。

 それでも荒野に向けた銃口が、どこかへ逸れるような事が無いように踏ん張ることができた。

 握力に自信が無くなった頃に、八九式ライフルは作動を停止した。

「どうだった?」

 なぜかヘッドセットの上から耳を塞ぐような格好をしていたジュンが、公一に感想を求めた。

「なにがなんだか」

 眼を回した後のような、それでいてコーヒーをガブ飲みした後のような、そんな不思議な感覚のまま公一は、固くなった体をほぐすようにして構えを解いた。

「調子悪いのか、コレ?」

「なんで?」

 ジュンが不思議そうな顔をする。

「いや、最初はあまりスムーズに弾が出なかったから」

「いんや、わざとだよ」

 リュウタが笑顔で答えてくれた。

「弾丸の節約ができるように、連射モードで引き金を引いても、最初の内は三発ずつ出るようになっとんだ」

「へえ~」

 感心していると、チョンと両足を揃えて前に出たジュンが、下から顔を覗いてきた。腰に巻いた鎖がチャリンと可愛らしく鳴った。

「使えそう?」

「なるべく撃たないことにするよ」

 連射の余韻か、公一の体は、アチコチ硬直がまだ解けていなかった。公一が、素直な感想を述べると、ジュンはクスクスと笑った。

「それがいいよ。銃なんて、使わないに越したことはないから」

「それも実体験か?」

 壊れたウィンチェスターライフルを背負う少女に問うと、大きく頷かれた。

「もう世界は終わっちゃったんだから、強すぎる力はいらないよ」

「そうは言うけどよぉ」

 リュウタが横からつまらなそうに口を挟んだ。

「銃があったって心もとないバケモノが出る時もあるし」

「どっちなんだよ」

 八九式ライフルからからマガジンを抜きながら公一が問うと、ジュンは名案を思い付いたというように、人差し指を立てた。

「ヤバイ時には逃げればいい」

「そうは言うけどよぉ」

 リュウタはいまだに納得いっていないようだ。

「ま『三十六計逃げるに如かず』って言うもんな」

 身長差から二人を見おろしていた公一が言うと、二人が不思議そうな顔をした。

「なにそれ?」

「昔の中国に居た策略家の言葉。色々策を立てるよりも逃げるのが一番ってな意味」

「へえ~」

 ジュンは感心した声を漏らした後に、またニッと笑った。

「それは間違いないよ。逃げて逃げて、ここまで来たのがボクたちだもの」

「それじゃあオレたちが根性無しのように聞こえるが」

 リュウタには不評のようだ。

「根性ないの?」

 不思議そうにジュンがリュウタに訊いた。リュウタはわざとらしく自分の体を見おろすと、自身の太鼓腹を撫でながら言い切った。

「うむ、無いの」

 その言い方が滑稽だったので、三人同時に笑い出してしまった。

「仲がいいのはいいんだが」

 突然話しかけられて、公一は飛び上がってしまった。振り返ると相変わらず面白くなさそうな顔をしたシローがそこに立っていた。いつの間に接近したのか、全然気配を察知する事ができなかった。

「準備はできたのか?」

「うん、後はボディアーマーだけ」

 ジュンが悪びれずに言った。

「そうか。早くしろよ、他の準備はだいたい終わっている」

「了解」

 ジュンが真似事のような敬礼すると、シローは何か言いたそうに彼女を見ていたが、やがて溜息をつくと、ゴリアテの方へと戻って行った。

「じゃあ、オレが装弾やっておくから、ジュンはナカムラさんにボディアーマーを」

「うんうん」

 半ば奪うように公一の手からライフルを受け取り、リュウタがニッコリと笑った。

「あ、どもっす」

 なにか仕事を押し付けてばかりのような気がして、少し頭が下がる公一。

「なあに簡単なことだよ。それにオレの仕事は元々装填手(ローダー)だしな」

「いまの笑うトコ」

 リュウタの言葉に目を点にしていると、ジュンが下から囁いてくれた。

「あ、あははは。それじゃあ、おねがいします」

 無理に笑って、もう一度頭を下げた。

 三人して敷いたビニールシートの所へと戻る。さっそくリュウタがアダプターをマガジンへ被せてガッシャンと装弾を始めた。



「コーイチはコレ」

 ジュンにダウンジャケットのような物を渡された。

「お、重い…」

 親戚の保育園に通う男の子ぐらいの重さがあった。似たデザインのダウンジャケットが羽根のような軽さを売りにしていたりするから、余計に重く感じた。

「これがボディアーマーね」

「防弾チョッキってヤツか」

 自分の言葉に変換してみる。とりあえず着てみようと、シートの上へ一回置いてから自分のコートの前を開く。と、ジュンが、ハンドクリームが入っているような円い容器を差し出した。

「その前にコレ」

「なんだこれ?」

 公一の質問に答えるように蓋を開いて見せる。中身もやはりハンドクリームのようだった。

「虫よけ」

「むしよけ?」

「そ」

 軽く答えたジュンは、一掬い手に取ると、自分の首筋に塗り始めた。

「ああいう生き残った施設には、セイタイケイが残っている事が多いから、刺してくる虫も結構いるんだ。だから塗っておいた方がいいよ」

「へえ」

 そういえば荒野には虫の一匹もいなかった。まあ。肌寒い気温だから、あまり気にはなっていなかったが。

 半分ぐらい減っているクリームを、公一も指に掬って、まず頬へとつけてみた。

 感触や匂いまでハンドクリームのようだった。

「これ肌荒れしない?」

「人による」

 そこは未来の技術でも克服できなかったのだろう。まあ公一は今まで薬類でかぶれた事が無いので、大丈夫だと思うことにした。

 目の前のジュンに習って、顔の他に、首筋や手首など肌を晒しているところへ塗りこんでおく。

 一通り終えたところで、ボディアーマーの装着に取り掛かった。袖を通すと、ずっしりと重さがかかるが、着るとそんなに気にならなくなった。持つと手だけの負担だが、着るとなると全身へ負担が分散されるからだろうか。

 袖はコートと変わらない生地であった。胴部分は何か詰め物がされていて、あまり馴染みのある手触りではなかった。無理に似たような感触を思い出すと、小学生の時に「生活」の授業で触れた「おてだま」が一番近いだろうか。

 細かい生地の中に顆粒が詰められている感触なのだが、不思議な事に重さで下へ寄ることも無く、均一に貼りついていた。

 まるでダブルボタンのコートのように、前を重ねるようにして合わせる。するとペタリと生地同士が癒着した。

 ダウンジャケットとデザインが大きく違うのは、襟である。まるで顔の下半分を隠すかのような高さのある襟なのだ。ここの感触も「おてだま」のようだった。

「これで撃たれても大丈夫か?」

「ぜんぜんダメ」

 首を横に振るジュン。反動で腰に巻いた鎖が鳴ったのは、もう定番の効果音の様だった。

「ライフルで撃たれたら『死ぬよりはマシ』程度」

「マジか」

「手足は守ってくれないしね。そこに当たって出血多量なんて事にもなるし」

「うへえ」

「で、はい」

 ジュンが拳銃とそのマガジンを拾い上げた。並べて公一へ差し出してきた。

「?」

 意味が分からないまま受け取ると、彼の左胸を軽くつついた。

「ここがピストルのホルスターね。で、コッチがマガジン入れ」

 右胸には二つの縦長をしたポケットが並んでいた。

「こんなところに着けるのか」

 意外な場所に驚いていると、八九式ライフルのマガジンに装弾を終えたリュウタが補足してくれた。

「プレートの代わりだ。運悪く弾に当たっても、心臓は拳銃が盾になってくれるってわけだ」

「ああ、なるほど」

 どうせ装備するのなら、一石二鳥の役割を持たせたということなのだろう。

 マガジンを装填して、スライドを引かずに渡された拳銃を、自分の左胸のホルスターへと収める。

「初弾を送ってなくてもセフティは入れておいた方がいいぞ」

 リュウタの忠告に、慌てて拳銃を取り出してスライド後部にあるセフティレバーを入れて戻す。そのまま流れ作業で、右胸へ二本のマガジンを入れた。

「これがお腹をまもるプレートね」

 次に渡されたのがお皿のような物だった。

「お腹にポケットがあるでしょ。そこに入れるの」

 手渡されたプレートには裏表の区別は無いようだ。腹部中央を確認すると、たしかにポケットがある。形は国民的に有名なネコ形ロボットの腹にあるポケットに近い。プレートを収めて蓋をすると、そこも生地同士が癒着するように貼りついた。

「あとは脇」

 二つの袋みたいな物を渡された。よく見なくても外見が八九式ライフルのマガジンと同じ形をしていた。

「両脇にコレをつけて」

 言われるままに脇腹へ貼りつける。これまた生地同士だとペタリと綺麗に貼りついた。

「そこにコレを入れるの」

 渡されたのはもちろん八九式ライフルのマガジンだ。

「これもアーマーの代わりか?」

「うん、そう。正解」

 なにせ脇腹である。ちょっと取り出しにくい位置だ。だが防御を兼ねた配置と言われたら納得するしかなかった。

「あとは腰ダレだけど…」

「必要か? あんなの?」

 戸惑うジュンに懐疑的な意見のリュウタ。

「こしだれ?」

 公一はもちろん意味が分からない。

「ここに貼りついているけど」

 ジュンがボディアーマーの下から手を入れてきた。

「おっふ」

 構えていなかったので公一はつい腰を引いてしまった。

「探索は屋内でしょ? これ出しておくと邪魔だって言うんだよね。でも男だったら当たった時、大変な事になるらしいけど」

 どうやら腰の前側を守る部位が内側に折りたたまれているらしい。ジュンは、バリバリと破壊的な音を立てて剥がすと、実際に前へと下ろしてくれた。

 半円形をした部品が、ボディアーマーの下へぶら下がった。それも「おてだま」のような感触であった。

「下ろしておくと、しゃがんだ時とか邪魔になるぞ」

 経験者らしい忠告はリュウタだ。

「でも、撃たれたら大変だし」

 防御第一を考えるジュンと意見がまとまらないようだ。

「撃たれた時は、さっと右へ左へと避けるから大丈夫」

 リュウタが人差し指を立てて言うと、ガッハッハと豪快に笑い出した。

「は?」

 キョトンとしていると、リュウタがバンバンと背中を叩いてきた。

「右から撃たれたらヒョイと左にずらして避ける。左から撃たれたら、今度は右にずらせばいいんだよなあ」

 そういってリュウタは、自分の両手を当てた腰をグリングリンと回してみせた。

「あ!」

 それで言っている意味が分かった公一は、チラッとジュンの顔を盗み見た。呆れた顔をしていた。

「あははは」

 リュウタに付き合うように笑おうとしたら、とても渇いた声が出た。

「またそんな下らないこと言って」

 プリプリと怒り出すフリをしたジュンは、いちおう怖い顔をして見せた。だが目尻が下がっているからポーズだけなのは丸わかりだ。

「チョン切っておけば、もう当たる心配もないんじゃないの?」

「おおこわ」

 首を竦めて股間を抑えるリュウタ。

「まったく、ヨタ言ってないで」

 ジュンは、もうこの話は終わりとばかりに、シートの上に転がしたヘルメットを拾い上げた。

 形は耳を覆う縁のついた流線形をしていた。色はみんなが着ている服に合わせたのか黒一色となっており、ツバが長めなのが特徴だった。

 何も説明されずに渡されたらモトクロス用のヘルメットと思ったかもしれない。

「はい、これ」

 ジュンは、ヘルメットの中から縁の無い布製の帽子を取り出して公一へ渡した。

「これは?」

「中帽。汗とかで蒸れないように、先に被るの」

「あ、なるほど」

 そのまま何気なく被ると、ジュンが手を伸ばしてきた。

「髪の毛はなるべく収めて。じゃないと戦闘中に垂れて来て邪魔になるよ」

 公一の軽いウェーブした髪を下から帽子と頭皮の間へと押し込んでくれた。リュウタが持て余していた八九式ライフルを受け取ってくれたので、半分は自分でやることができた。

「その上にコレ」

 強化プラスチック製らしいヘルメットを渡された。何の疑問も無しに被ってみた。

 グッと首に負担を感じるぐらいの重さがあった。

 顎紐は途中で分かれている二点式という奴だ。耳を覆うようにクッション材が取り付けてあり、顎紐と合わせて密着感が相当ある。だが不思議と周囲の音が聞こえづらくなるということはなかった。

「このグラスをおろすと、いちおう情報が出る事になっているけど」

 ジュンが鍔の下側に貼りつくように畳まれていたビニールシートのような物を垂らしてくれた。途端に公一の視界に、まるでパソコンの起動画面のように、白い流星マークが入った。

 どうやら実際の視界に重ねて色々な情報を表示してくれるというシステムになっているようだ。

「これにマスクをつければ完全防備になるけど」

 もう一つシートから拾い上げたものは、顔面を保護する面頬のようだ。

「…。つけなきゃダメか?」

 おそらく機能優先でデザインされているとは思うが、まるでヒョットコのような面頬に、公一は素直に難しい顔をしてみせた。

 戦闘服にボディアーマー、それに戦闘用のヘルメット。ここまで黒で統一された服装に加えるには、そぐわないデザインだった。

「いちおう、この口の先にフィルターをつけて、あらゆる化学兵器から体を守るようになっているんだけど」

 ジュンも分かっているのか、薦める態度というより、公一の遠慮する態度を理解できるという雰囲気で説明してくれた。

「ま、まあ、廃墟の探索に毒ガスもないだろ」

 どうやらリュウタも着けない事に賛成であるようだ。

「それにフィルターの残りだって少ないしな」

 そういう事情を忘れかけていた公一は、その言い訳に飛びつくことにした。

「そうだよ。フィルターとかは、もっとヤバイ時に使うためにとっておかないと」

「そうだよね」

 ジュンがポイッとぞんざいにシートへ投げ捨てた。

「これで完成かな?」

 ジュンは完全武装をした公一を見た。リュウタから戻された八九式ライフルを、スリングで肩から吊って、ボディアーマーを着こんだ上半身はモコモコして動きづらかった。

「まあ、見た目は一丁前だね」

 ジュンが評価してくれた。

「ジュンたちは着ないのか?」

 リヤカーから持ち出したのは、公一が身に着けた一人分だけである。同じような装備をするのなら、それなりの広さと時間が必要に思えた。

「ボクたちはねえ…」

「ああ」

 ジュンとリュウタは意味深に顔を見合わせた。

「もう慣れているって言うか…」

「そんな重い物はゴメンって言うか…」

「ええ~」

 公一は素直に非難の声を上げた。

「おれだけかよ、こんな重装備」

「だってナカムラさんは、唯一生き残ったヒトだし」

 これはジュン。

「大事にしないと、人類が滅亡しちゃうからね」

 言っていることは深刻だが、どうやら冗談で口にしているような雰囲気であった。

「わかったよ」

 ちょっとヘソを曲げたような声になった。

「心配してくれるのは、本当ってことだよな」

「まあね」

 ジュンがウインクをしてくれた。



「さて、コイツらを片付けないと」

 リュウタが周囲を見回した。

 ビニールシートの上には、パムの整備のために散らかした工具、公一に持たせるために散らかした銃の部品やら整備用具、さらに使わなかったボディアーマーの装備品などが、露店を開いたように置かれていた。

 それらを一つずつ集め、仕舞う物は仕舞った。

 公一が脱ぎ散らかしたコートは、ジュンが丁寧に畳んでくれた。

「よいしょ」

 荷物が片付いたところで、ジュンがパムを推してどかした。風に飛びそうになるビニールシートを、フル装備のままの公一と、リュウタで慌てて畳んだ。

 肩に八九式ライフルをかけたままだと、非常に邪魔だったが、置いておく場所がない。石の地面に置いてもいいが、汚れるなどの理由で怒られる気がしたのだ。まあジュンも背中にウィンチェスターライフルを背負いっぱなしだし、きっとそういう理由があるのだろう。

 リュウタが畳んだシートの上に、荷物をまとめた。

「お、そっち持って」

細長く畳んだビニールシートを、まるで担架のようにして荷物を運ぶ気のようだ。ただ重い工具箱を乗せるとビニールシートが撓みすぎてしまうため、これはジュンが手に提げた。

 軽々と工具箱を片手に提げるジュン。もう片手には公一のコートを持ってくれた。

「それじゃあ、いくぞう」

「OK」

 前を持つリュウタの合図でリヤカーへ向かって出発した。

「えっほ、えっほ」

 一歩ごとに軽快な掛け声をかけるリュウタに乗せられて、公一も真似する事にした。

「えっほ」「えっほ」「えっほ」「えっほ」

 時代劇に出て来る駕籠かきの要領で、そのままリヤカーまで上がった。

「とうちゃく~」

 リュウタの合図で、リヤカーの床面へとシートをおろした。

 それぞれを出した箱へと放り込んでいく。リュウタを見ていると、銃の部品を入れるのはこの箱、装備品を入れるのはこの箱という具合に決まっているが、さらにそこから整理して入れるつもりは無いようだ。

 その程度だったら公一も、どの箱からどの荷物を出したぐらいは覚えていたので、手伝うことができた。

「適当に入れるなよな」

 工具箱を定位置に仕舞ったジュンが、二人の「片付け」を見て口を尖らせた。

(まずかったかな)

 公一が首を竦めて振り返ると、リュウタは「まあまあ」と笑って取り合っていなかった。

 その程度の片付けであるから、すぐに荷物は収まった。最後にジュンから手渡されたコートを、自分のコンテナへ公一が仕舞って終了だった。




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