バタフライ&ローゼス・ガーデン・1-2
シローはゴリアテの車体の上に上がっていた。砲塔の前にあるごついハッチを開いて、中を真剣な顔で覗きこんでいる。脇に冗談みたいな大きさをしたスパナを持ったリュウタが控えていた。
誰かが車体を回り込んできた気配に気が付いたシローが顔を上げると、彼の鼻の頭にグリースがついていた。
「おう」
なにか用事があるのだろうとシローの方から声をかけてくれた。
「何をしているんだ?」
やって来たのはテントから出てきた三人である。真ん中は、まだ着慣れない戦闘服にコート姿の公一であった。首筋へ右手を当てているのは、注射した後がちょっと痒いからだ。左手には愛用のヘルメットをぶら下げていた。
「機械ってのはな、毎日面倒看なきゃなんねえんだ。こんな荒野の真ん中でエンコも嫌だろ」
「たしかに」
頷く公一に控えるように後ろに立つヒカルの方へ顔を向けた。
「ヒカル。前に覚えておいてくれって言ったブースト圧はいくつだっけ?」
「三〇に七〇。それと一二〇です」
「そうか、ありがとな。だとすると、エアクリーナーのフィルターでも詰まったか?」
脇のリュウタと相談を始める。シローの言葉を聞いて、リュウタは肩を竦めた。
「だとしても、いま持ち合わせの水じゃあ、洗うことは無理だ。みんなの呑む分が無くなっちゃうから」
「だな」
長い顎髭をしごくように撫でてから、シローの顔がこちらへ戻って来た。
「八割回しで行くとするか…。食い扶持も増えたし、今回の冒険は、次の一か所で止めておいた方がよさそうだな」
「行った先で水が手に入ればいいんだけどね」
「なにかマズいのか?」
自分の顔を見て深刻そうに相談されたら落ち着かなくなるものだ。公一が訊ねると、シローは作業用の手袋をした手を横に振った。
「いや、何でもねえ」
シローは不意に閉まらないように突っ張っていた支持棒に手をかけた。リュウタがスパナを置くと、ハッチへ両手をかけて少し開く方へと力をかける。緩んだ支持棒を畳み、シローも手伝って、二人がかりでハッチを下ろす。なにせ車体前部ということは主装甲ということになる。見える厚みだけでも相当な重さを連想させた。
「よいしょっと。足、挟んでねえか?」
「大丈夫だ」
「よし、おろすぞ」
二人で声をかけてハッチが閉じられた。
「すまなかったな、料理の途中で手伝ってもらってよ」
「いや、どうせ後は煮込むだけだったから」
シローの言葉にニッコリ笑顔を返すリュウタ。
「それでジュン」
閉めたハッチの上へ、マットレスのような物を並べながら、今度はジュンにシローは訊いた。
「俺の靴下は見つけてくれたのか?」
「それはこれから」
ジュンは手に提げた医療パックを差し上げて示した。
「なんだ? 誰か怪我でもしたのか?」
シローが手元から視線を移して、こちらを見て真剣に訊いて来た。
「大丈夫。コーイチに注射してただけ」
「注射?」
「APO接種です」
訝しむシローにヒカルが説明した。
「ああ、アレか。他にもやっておかないとダメじゃないのか? 五種混合とか、BCGとか」
「それらは二一世紀でも接種していたはずです」
「なるほどね」
シローは再び作業へ戻りながら言葉を続けた。
「じゃあ、もういいだろ? ヒカルは当直へ戻れ。ジュンはナカムラさんに色々必要な物を揃えてやれ。俺の靴下を忘れずにな」
「りょーかい」
ジュンがニコニコと敬礼をし、ヒカルが公一へ頭を下げた。
「では、失礼します」
「ああ、うん。また何か分からなかったことがあったら、頼むよ」
「はい」
公一の礼に気軽に答えたヒカルが、乗降用ドアのある車体後部へと歩き出した。
「じゃあ宝探しだね」
医療パックを振り回しながらジュンがにこやかに言った。ジュンが腰に巻いた鎖が小気味の良い音を鳴らした。
「うん。よろしく」
ジュンが先に立ってリヤカーの方へ歩き出した。
リヤカーには後部に数段のステップがついており、そこから乗り込むことができた。
後部から中央に向けて荷物が置いていないスペースがある。そこが通路という事なのだろう。真ん中には下から見たように、重機関銃の銃座が据え付けてある。どちらを向いてもいいように、一段高く重機関銃を取り囲んで円形の足場が設けられ、それを囲む手摺があった。荷物が多いので、その手摺にすら色々な物がぶら下げてあった。
「まずは、靴だよねえ」
ジュンは、箱の一つに設けられたラックへ医療パックをかけると、別の大きい箱の一つに取りついて、バネでテンションがかかった金具をバチンバチンと音をさせて外して蓋を開けた。
中は綺麗に整理されており、さらに小分けされた箱もたくさん入っていた。
「靴下はこの箱かな?」
ボール箱を開くと、男物の下着が重ねて入れてあった。
「あ、違った。でもコーイチが必要かな?」
濃い緑色をしたボクサーパンツである。だがゴムのところが少しよれているので、新品では無いようだ。
「とりあえず…」
小箱と小箱の間から引きずり出した紺色のビニール袋へ二枚ほど突っ込んで渡してくれた。
「はい、コレね」
「ああ、うん」
同じ年頃の女の子に下着を渡される事に抵抗感すらあったが、先程テントでシローが口にした言葉が思い出され、その感情をグッと抑え込んだ。
「コッチかな?」
次の箱には女性用の下着が詰まっていた。
「あわわわ」
慌ててジュンが蓋を閉める。公一はエチケットとして見えなかったフリをした。
「どこに入っているのかなあ」
次の箱にはシミが付いたような汚れたタオル類。そこから一枚出して公一に渡したビニール袋へ詰め込んだ。
「雑巾も一枚は必要だもんね」
「雑巾なんて、何に使うんだ?」
(何もできないからって、掃除当番を押し付けられるのかな?)
公一の当然の質問に、ちょっとだけ口を尖らせてソッポを向いたジュンが、冷酷な現実を告げた。
「もうトイレットペーパーなんていう高級品は無いんだよ」
「えっ」
悲鳴のような声が出た。
「じゃあ、まさか…」
先ほど袋へ突っ込まれた雑巾へ細い視線を向けてしまう。
「いちおうトイレはゴリアテのを使ってね」
ソッポを向いたまま、ジュンが生きていれば誰でも抱える問題の答えを教えてくれた。
「シャワーで洗ってくれるから、残った水分だけ拭き取れば大丈夫。でも、ほら。気分的に顔を拭いたりするタオルとは別にしたいじゃん」
「…。意外に文化的だな」
「当然でしょ」
笑顔がクルリと回って戻って来た。
「不潔にしてたら病気のモトになるし。病気になったら軍隊じゃお荷物になるじゃん。だから、そういった設備もあるのよ、ゴリアテには」
「へえ」
(あれ、でも…)
公一は中学時代に仲が良かったミリタリーマニアの言葉を思い出した。
「昔の戦車なんかは、空薬莢にして、まとめて外に捨てたって聞いたけど?」
「戦車はね。ゴリアテは戦車じゃないもん…、この下かな」
ジュンはウィンチェスターライフルを背負ったまま上体を箱へ突っ込んだ。自分がスカートを履いていることを忘れている様な姿勢は、後ろにいる思春期真っ盛りな公一にはとても目に毒な物であった。
「戦車じゃない?」
公一はパタパタ動くジュンの脚からゴリアテへ視線を移した。硬そうな装甲を持った車体に、楔形の砲塔。もちろん砲塔からは長くて太い主砲が前方へ延びていた。
主砲の真上には、同じ目標を狙えるように重機関銃が一挺。そしてその後ろの左右には二挺の機関銃が備えられていた。後ろから見て左側の物は、リュウタが手を振ってくれた時に構えていた機関銃だ。さらに左側には、砲塔脇に並んだ発煙弾発射器に混じって長い筒が斜め上に伸びていた。あれも武器の一つなのだろう。
ここから見て、間違いなく戦車に見えた。
「戦車だろ?」
公一の再確認に、箱の中へ上体を突っ込んでいたジュンが、わざわざ顔を向けて言い切った。
「戦車じゃないんだって、シローやヒカルの説明だと。ま、ボクはどうでもいいんだけど」
「じゃあ、何だって言うんだ? あれ?」
ゴリアテを指差して訊いてみた。
「共同戦闘車って言うらしいよ」
「きょうどうせんとうしゃ?」
初めて聞く単語にキョトンとしてしまった。
「難しい話はヒカルに説明してもらって。ヒメとかリュウタはあんまりうるさく言わないけど、シローとかシンゴはすぐに『これは戦車じゃない、共同戦闘車だ』って言いだすから」
「ふうん」
昔、鉄道マニアの友だちに、ディーゼルカーを示して「電車」と呼んだら、まるでジュゲムのような説明をされた記憶が蘇って来た。
(まあ、あれと同じような感じか)
「戦車じゃないからトイレもついてるし、いざとなれば一〇人ぐらい中で生活できるようになってるんだよ~」
まるで歌うようにジュンが説明してくれ、そして一つの巾着袋を手に箱から顔を上げた。
「思い出した。確かコレだよ」
巾着袋を持ったまま、反動をつけて床へ足をおろす。ジュンの鎖が箱にぶつかってガインと耳障りの悪い音を立てた。
巾着袋の口を緩めると、中から靴下がたくさん出てきた。ただし、ちゃんとペアになっている様子は無かった。
「まあ、だいたい合えばいいよね」
「『ルイーダの酒場』だな、まるで」
「るいーだのさかば?」
キョトンとするジュンに、公一が苦笑いをしてみせた。
「ウチのおふくろが使ってた言葉。意味は知らね。こういう片っぽだけになった靴下をまとめて箱に入れて、たまにペアが出来てないか確認してた」
「へえ」
ジュンは箱の縁に、洗濯物を干す要領で靴下を並べ始めた。
「はい、ワンペア。これでツーペア、これはフルハウス?」
ほとんど同じデザインで、違いと言えばサイズぐらいな物だ。すぐに四つほどのペアが出来て、その内三つを公一の袋へねじ込んでくれた。
「靴下は履いたほうがいいよ。朝晩冷えるから、凍傷になるよ。そしたら最悪足の指を切り落さなくちゃならなくなるから」
「いや、履いてるんだけど」
紐を緩めてスニーカーから足を抜いて見せる。靴の外側からだと素足に見えただろうが、カバーソックスタイプをした丈の低い物を履いていたのだ。
「なんだそれ」
ジュンの目が丸くなった。
「みじかっ!」
「素足に見えてスマートに見えるだろ」
「でも、そんなのだと、暖かくなさそうだね。コッチ履いた方がいいよ」
ジュンの言葉に素直に頷く公一。凍傷の危険など指摘されたのは初めてだったからだ。足の指をそんなことで失いたくはなかった。
さっそく一組の靴下と履き替える。まあペアじゃなかったことからも推測できるが、これも新品ではなく誰かのお下がりに思えた。
「あと、靴かあ」
巾着袋にペアのできなかった靴下を詰め戻したジュンは、それを箱の中へ放り込んでポリポリと頭を掻いた。
「滅多に必要じゃないんで、コッチの箱じゃないかもなあ」
一旦開けていた箱を閉め、今度は側面に引き戸がついているタンスのような箱へ振り返った。振り返った反動で、ジュンが腰に巻いた鎖の先っぽが、公一の腿を軽く叩いた。
「いって」
「あ、ゴメン。えーと、コッチかなあ」
引き戸を開き、一番下の段にある深い引き出しを覗く。そこに入っていたのは、公一が見たことも無いような機械の部品であった。
「そうだよねえ、コッチにはパーツしか入れて無いもんな」
そこだけ見て諦めたのか、引き出しを戻して引き戸を閉める。腕組みをしたジュンはリヤカーの中を見回した。
「コッチは食べ物だし、これは水だし…」
中央にある架台まで行き、周囲を見回すようにして箱の中身を思い出そうとしていた。
「コッチはモノクルの部品だし…」
「なあ、これって撃てるのか?」
架台には空を向いた重機関銃が載せられていた。対空用の照準器を備え、一緒に乗せられている弾薬箱から金色に光る弾帯が機関部へと接続されていた。
「使えるに決まってるでしょ」
心ここにあらずと言った口調でジュンが答えた。
「空から襲ってくる獣もいるから」
「空からもかよ」
いまは大丈夫だろうかと、相変わらずの曇り空を見上げた。灰色の雲しか見えなかった。
雲から視線を滑らせて、重機関銃が睨んでいる先を見た。ガンオイルが薄く塗られた黒光りする筒先には、適当な布切れが巻いてあり、銃口からゴミなどが入らないようにしていた。
どうやら公一が知っている火薬式の銃であるようだ。
「未来なんだから、レーザー銃とか、ビームガンじゃないのか?」
「そういうのもあったよね~」
ジュンは探すのを諦めたのか、公一を真似るように重機関銃を見上げた。
「でも発振コイルとか、ビーム用の重粒子とか、もう使い切っちゃってるから」
「じゃあ、あったんだ」
公一の確認に頷いて答えるジュン。
「今でも廃墟の中で見つけることができるかもね。まあ、部品とか欠けてたりするから使えるかどうかはわからないけど」
「この弾はどうしてるんだ?」
「これ?」
訊かれてジュンは重機関銃を指差して確認した。
「この弾はまだ一杯あったからストックしてあるよ。色んな所に隠し場所作ってね。使ったら、そういうところで補充したりするけど…。そろそろ心もとないかもね」
「弾が無くなったら?」
ジュンは肩を竦めた。
「そうだよな」
頭を掻きながらジュンが背負ったウィンチェスターライフルを見た。
「それも弾が無いのに使っているのか?」
「これ?」
顎で自分の背中を示して訊き返した。
「まあ、ヤリの代わりにね。どこかに部品があるかもしれないけどねー」
木の銃床に黒い金属部品。見た感じでは機関部さえ破損していなかったら射撃にはまだ充分耐える事ができそうである。銃身の下には後から溶接した痕がハッキリと分かる部品が取り付けてあり、黒光りする銃剣がそれによって保持されていた。
「弾が無くなったら…」
「うん。みんな、こうして身を守ることになるだろうね」
獣に囲まれた時の絶望感が蘇って来た。
「なんで壊れていない銃を使わないんだ? 節約?」
「それもあるけどねー。あんまり好きじゃないんだ、銃」
「ふうん」
ジュンの声色からあまり訊いてはいけないような気がして、公一は話題を変える事にした。
「で? 靴は無いの? まあ無かったら、コレ履き続けるけど」
足を上げて自分のスニーカーを示した。
「それなんだよなー」
首を傾げてジュンは最初に取りついた箱をもう一度開けた。
「服とかはここに纏めたはずなんだ。だから靴もココに入っているはずなんだけど…」
「もう品切れとか」
自分にとってあんまりよろしくない未来を予想してみた。
「それは無いよ。だっていつかは靴が死んじゃうから新しいのが必要になるもん。ヒメとボクの分が一組、シローたちのサイズが一組、ココに放り込んだはずだもん」
今度は背負っていたウィンチェスターライフルをおろし、まるでプールへダイビングを試みるような感じで、ジュンは箱へ頭から突っ込んだ。バチンと箱にジュンが巻いている鎖が当たって、派手な音を立てた。
「これはブラだし、これはきれいなタオル。あ、タオル必要か、一つ出しとかなきゃ。こっちは毛布で、これは寝袋。あ、コーイチの分の寝袋も必要か、これも出しておいて…」
まるで火山の噴火のように、色々な物が公一へ向けて放り出されて来た。
「おっ、と、と」
それらをひっくり返したヘルメットでキャッチする。
「あ、手袋もあった。これも出してと…、この箱は?」
破けたボロ布の水面から、ジュンがいきおいよく顔を出した。手には、また別のボール箱を持っていた。
「あったあった」
中から一組の半長靴が出てきた。サイズもジュンが履いているような小さいサイズではなく、シローたちドワーフが履いているようなサイズであった。
「これ、合わせて見て」
すでに靴下などを入れたビニール袋やタオル、寝袋を抱えて腕が一杯になっていた公一に、ボール箱から出して押し付けてきた。
「ちょっと待ってくれ」
一旦、重機関銃の架台へ荷物をおろす。そして架台の端に腰かけると、春におろしたばかりのスニーカーを脱いで、押し付けられた半長靴へと足を入れた。
第一印象は「硬い」だった。
ただ小さすぎるという事は無く、少し余裕があるぐらいだ。厚目の靴下に履き替えていたこともあり、そうサイズに違和感は無かった。
公一の体格は、所属していた一年二組でも、そう目立ったものではなかった。ムキムキでもなく、かといってヒョロガリでもなかった。高等部全体を見回しても「普通」の体格をしていたと言えるだろう。間違いなく高校一年生として平均的な体つきであった。もちろん足の大きさも平均的なサイズであった。もしかしたらそれが幸いして、靴とサイズがあったのかもしれない。
半長靴は靴ひもで縛るというタイプではなかった。内側から外側へ向けて金具を折り畳むと、適当な緊縛感で脱げなくなった。
「お、なんかいい感じ」
とりあえず履いた右足でピョンピョンと飛んでみる。今まで履いていたスニーカーより足に馴染む感じがした。
「それはよかった」
ニコニコとジュン。公一は左も履き替えて、今度は両脚で跳んでみた。
「いいね」
「じゃあ、コレはココに仕舞っておくな」
今まで履いていたスニーカーが、代わりに箱へ収められた。
「これさえあれば、もうそっちは要らないかも」
「靴だって、もう手に入らないかもしれないんだ。とっといた方がいいって」
ジュンが諫めるように言い、それを聞いて公一は先程シローから浴びせられた言葉を思い出した。
(もう世界は滅びて、靴を作れるヒトは一〇〇年前に死んだんだっけ)
それでふと気になる事を思いついた。
(えーと、もしかして…)
鎖の音を追ってジュンを視界に入れると、彼女は箱と箱の間に設置された小さなコンテナが並べられたところへ移動したところだ。
「そうだ。ココをコーイチの物入れにしちゃいなよ」
中から円筒形をした物を何個か取り出しながら公一へ言ってくる。
「いま空にするからさ」
透明な樹脂製らしい容れ物は、全部で一〇個ぐらいあった。その内半分ぐらいは何も入っていなかったが、残り半分には青い液体が詰まっていた。飲み物で言うならブルーハワイといった色調の液体は何に使うか見当もつかなくて、気にもなったが、とりあえずそれは後だ。今は別の質問を口にすることにした。
「あ、あのさ…」
「ん?」
屈託のない笑顔で振り返るジュンは、やはり公一の目から見て中学生ぐらいに見えた。
「ジュンって、歳いくつ?」
エルフが見た目通りの年齢じゃないなんていうネタは、公一が読んでいたライトノベルではよくある話だった。
「…」
ジュンの顔に悪戯気な笑みが広がった。
「いくつに見える?」
「俺よりは下に見えるから、十三ぐらい?」
「ぷふっ」
小さく噴き出したジュンは、口に手を当てて笑みを隠すと、目をまるで猫のように細めながら言った。
「それよりは、もうちょっと歳上かなあ。公一は何歳?」
「十六だけど」
「十六かあ」
コンテナから荷物を放り出す手を止めて、相変わらず曇っている空を見上げた。
「じゃあ、ボクの方がお姉さんだ」
「そうなんだ。えっと、その。歳下だと思っていました」
歳上に今までタメ口をきいてしまったと、背中に汗を掻く公一。しゃっちょこばる彼を見て、またジュンは吹き出した。
「ぷーっ。いいよ、いまさら口調を直さなくても。ええと、なんて言うんだっけ? そうそうフレンドリーに行こうよ」
「え、じゃあ、お言葉に甘えて」
相手が歳上と知って、とても喋りにくい。なにせ本当に中学生ぐらいにしか見えないのだ。体格だってそうだが、ちょっとした仕草も愛嬌があって大人には見えない。全体を見て雰囲気からしてそうなのである。
「それにさあ」
楽し気にジュンが言った。
「歳の数え方が、誕生日から始めるんだったら、いま一番歳上はコーイチじゃないの? 今言った歳に五〇〇年ぐらい足すんだから」
「へ?」
言われてみればそんな気もした。
(いきなり五〇〇歳って…。間違いなく世界で一番長生きした男ってことになるなあ。え~と、ヒカルは二五〇四年って言ってたから、あ、ちょうど五〇〇歳かな)
後頭部をポリポリと掻きながら、公一はジュンが開けてくれたコンテナの中を覗きこんだ。隅の方にホコリなど汚れはあるが、おおむね清潔なようだ。
そこにヘルメットで受け止めた荷物なんかを放り込んだ。
「カギは…」
「そんなのないよー。でも盗んだら犯人はすぐにわかるでしょ? だって世界には、もうボクたちしか残されていないんだから」
「んー、まあそうか」
これが公一の育った二一世紀の日本ならば、親にも秘密にしておきたいような物などが手に入るだろうが、ココではそういうものすら無さそうだ。
「あー、それと食べ物は入れておかない方がいいからね。独り占めにして後で食べようとして入れて、そこから虫が湧いても、片付けるのは手伝わないから。言ったからね。絶対イヤだからね」
とても真剣に言ってくるところを見ると、そういった事件が過去にあったのだろう。他のメンバーの顔を思い出してみた。
(シローはやりそうにもないな。ヒカルはロボットらしいから関係ないとして。第一印象からしてリュウタあたりがやらかしたのかな?)
「わかったよ」
あまりに真剣に言ってくるものだから、両手を軽く挙げて、自分はやらないとアピールする。公一が育った家でも、子供部屋に食べ物を持ち込むのは禁止だったので、すぐに了承できた。
「あーっと、それと」
チャリチャリと鎖に音をさせて移動したジュンは別の箱を開いた。そちらには何やら物騒な物が仕舞ってあるように見える。機関銃の銃身だけとか、青龍刀のような刃物、あの一輪車に装備していた包丁みたいなナイフと同じ物も見る事ができた。
そんな中からジュンが取り出したものを見て、拍子抜けする公一。
「えっと、飯盒?」
「うん。必要でしょ?」
当たり前のように押し付けて来る。蓋を開けると、中蓋に先割れスプーンが収められていた。公一が良く知っている二一世紀の飯盒と同じで、アルミ製のようだ。中蓋を開けて覗くと鈍い銀色が目に入った。外側はだいぶ使い込んだようで傷があり、それを煤が覆い隠していた。それでこれも中古であろうと推察できた。
「あ、それと」
ふたたび箱に振り返り、ジュンはガサゴソと漁り始めた。
また上半身が箱の縁の向こう側という姿勢に、公一は戸惑ってジュンの横へ並ぶことにした。
(いや、本当に遠慮とか恥じらいとか、もうちょっと気を付けて欲しいよな。いや、見てないけどさ)
眩しいほどの白い肌は目に焼きついていた。
箱を覗くと、ジュンは拳銃の成りそこないのような部品とか、何に使うか分からないような三脚が付いたパイプとかを押しのけて、コップを二つ見つけだしたところだった。
二つとも同じ物に見えた。外側には、やはりコートの胸にある流星マークと同じ物がプリントされており、金属製らしく内側は鈍い銀色をしていた。
片方はその銀色を全て見ることが出来た。
もう片方にはギッシリと歯ブラシが詰め込んであった。
(まさか…)
「よっ」
ジュンが気合を入れて歯ブラシを一本抜き取った。隙間が出来て緩くなると思いきや、一本ぐらいでは束がばらけない程である。どれだけ詰められているのだろうか。
「はい」
空のコップと、抜いた歯ブラシを押し付けてきた。
(うへえ。さすがにコレは…)
明らかに新品ではない。ただ毛先が開いているかというと、そうでもない。
「きれいに洗ってしまっておいたから。まあ、でも使う前に漱ぐぐらいはしたいか。来て」
ジュンは、歯ブラシが詰まっている方のコップを箱へ放り込むと、腰の鎖に音をさせながら、リヤカーの後部へ歩き出した。
公一が慌ててジュンに着いて行くと、当たり前のように地面へ降りて、ゴリアテとリヤカーとの間へ回り込んだ。
「喉が渇いたら、水はここから出るから」
リヤカー前部に蛇口が一つ取り付けられていた。タイヤの高さの分だけ上についているので、見るからに使いにくそうだ。そこは工夫して蛇口自体が横向きについており、背の低いジュンでも楽に取っ手が回せそうになっていた。まあゴリアテの乗員で、公一より背が高いのはヒカルぐらいなものなのだが。
蛇口の横には、いまジュンに貰ったコップと同じ物が、ナスカンでぶら下げられていた。
「この奥に元栓があるから、出なかったらコッチも緩めてね」
蛇口のついている配管はリヤカーの床下を通り、台上に鎮座したドラム缶の一つに繋がっているようだ。ジュンは床下を覗き込むようにしたが、背中のウィンチェスターライフルがコツンと当たって、腕だけが下に入った。公一が屈んでジュンの指差したところを覗き込むと、言われたところにコックがついていた。
「水は、絶対に、計りながら飲むんだよ」
人差し指を立ててジュンが「絶対に」を強調した。
「直接蛇口から呑むと、必要以上に呑みすぎちゃうから。コップを取りに行くのが面倒だったら、コレ使ってね」
細い指先が、蛇口の横にぶる下げられたコップを示した。
「もちろん洗い物とかも、水は節約して使ってね」
「う、うん」
言われて視線が周囲の荒野に向いた。なにせ拳大の石しか転がっていない場所である。水が無くなったら自分だけでなく、ヒカル以外全員が渇死だ。
「ま、今回は特別だよね」
誰かに言い訳するような事を言いながら、ジュンは公一の手の中から飯盒を奪うように手に取ると、そこへ水をちょっとだけ注いだ。
中蓋と本体をそれで漱ぎ、引っ繰り返した外蓋の中で、先割れスプーンも一緒に濯いだ。
飯盒とコップを交換して、飯盒に残った水を移した。それから何かを溶かし込むような勢いで、歯ブラシを突っ込んでグルグルと回しはじめた。
洗ってあったという言葉は本当だったようで、水は特に濁りもしなかった。が、さすがにもう再利用はしないようで、コップの水は足元へ。
「これでいい?」
「うん、まあ」
飯盒やコップの外側は、まだ煤か何かで汚れたままだった。まあ気分の問題であるが、それだけでも中は綺麗と感じる事ができるようになった。潔癖症の人間ならばまだ発狂するようなレベルかもしれなかったが、公一には十分だった。
だが、歯ブラシだけは抵抗感があった。
「これも今日からコーイチのなんだから、大切に使うんだよ」
公一へ飯盒の蓋と歯ブラシを差したコップを押し付けて、ジュンが念を押した。公一はまだ残る水滴を落とすために、飯盒を振りながら頷いた。
「分かったけど…」
飯盒の方はいい。歯ブラシとなると抵抗感はMAXだ。
「ん? どうしたの?」
そんな公一の様子にジュンは気が付いた。
(どうせ「新しい物なんて、もう手に入らないから」とか言われるんだろうけど、やっぱり黙ってられないな)
公一は譲れない一線を口にすることにした。
「歯ブラシには抵抗があるんだが…。コレ、誰かが使ってたヤツだろ?」
「洗ってあるって言ったじゃん」
説明されても顔が曇っている公一に、ニカッと悪戯気な笑みを見せると、ジュンはコップから歯ブラシを取り上げた。
「?」
公一が見る間にジュンは歯ブラシを咥えると、シャカシャカと自分の口内を軽くブラッシングして見せた。
「はい。これでいい?」
唾液のついた歯ブラシを、公一の顔の前に差し出して、ジュンの笑みがさらに広がった。
「へ? えーと…」
(これって間接キスってやつじゃあ…)
公一がさらに戸惑っていると、カランと音をさせて歯ブラシをコップへ放り込んだ。
「そっか、知らないのかな? こういう生活用品にはLSB…、ライフサポートバクテリアっていうのが塗ってあって、細かい汚れや、有害なバイ菌なんかを分解して食べちゃうんだ」
「ばくてりあ?」
「そ。だから食器とかも、洗わなくったって、いつの間にか汚れがすっきり片付くの。まあ、あまり食べ残しが多いと時間がかかるから、結局自分で洗った方がいいんだけどね。それで特に消毒しなくても、ずーっと綺麗な状態が保たれるの」
ジュンは自分のコートに手をかけた。
「このコートなんかもそう。服にもLSBが塗ってあるから、垢汚れなんかも分解吸収。だから、あまり臭わないでしょ。まあ、いつかは洗濯した方がいいんだけどさ」
「へえ、そうなんだ。でも…」
服に微生物がついているのは気にならないが、食器となると話はまた別だ。
「大丈夫だよ」
公一の表情だけで言いたいことが分かったのだろう、ジュンは笑い飛ばして言った。
「LSBが口の中に入っちゃっても、胃袋で融けて死んじゃうから」
「そうなのか?」
「そうだよ」
フフンと笑うジュンの笑顔を見おろす。まだ不安げな顔をしていたのだろう、ジュンは人差し指を立てた。
「詳しいことはヒカルに訊けばいいじゃん」
「…、そうだな」
(これも秘密道具の一種と考えて、納得するしかないか)
二一世紀の常識しか持たない自分では理解できない謎科学が使われているのだと、納得する事にした、考える事が面倒になったこともあったが。
「便利な道具なんだな」
「そ、便利だったんだよ」
ジュンが過去形に言い直して、ちょっと眉を顰める。こんな荒野になる前の生活って、どんな感じだったのだろうか。
「自分で洗う時は、今みたいに、なるべく水は使わずに洗ってね」
「うまくできるかな…」
炊事洗濯掃除などは母親に任せていた自分である。まあ料理当番をいきなりやらされるよりはマシと考えるしかなかった。もし任せられても、彼に作れるのはカレーかインスタントのラーメンぐらいだ。
「歯ブラシなんかは、さっきのコンテナに入れておくんだよ。散らかしておいたら誰かに取られても文句は言えないよ」
両腰に手を当てたジュンが、公一の方へ乗り出すようにして言った。腰の鎖がまたチャリと音を立てた。
先程は歳上と言われたが、どうみても兄へ指示する妹のような仕草に見えた。
「わかった」
水分が飛んだと判断したところで飯盒を組立てておく。コップはもう一度水を切るために振っておいた。
「こんな物かな? 必要な物は?」
宙を見上げて指折り数えていたジュンが、改めて笑顔を作った。
「ま、足りない物があったら、その時に調達するって事で」
「調達できればいいけど」
ニコニコな笑顔に対し、公一は不安な顔だ。なにせ周囲は荒野だ。必要な時に必要な物が手に入るとは限らないではないか。
「心配したってムダだよ、ムーダ」
明るく歌うようにジュンが言いきった。
「意外に何とかなるって。お姉さんを信じなさい」
この世界で長く生きてきた者に言われたら、もう納得するしかなかった。
「じゃあ、よろしくおねがいします」
「うむ、任された」
公一が頭を下げると、ジュンが自分の胸をトンと叩いた。
二人は顔をあわせると、自然に顔がほころんだ。
「あ、まだ濡れてるから、干しておいた方がいいよ」
リヤカーの上に戻ってきて、先ほどジュンに指定されたコンテナへ、盲滅法に飯盒やコップを放り込もうとしたところを止められた。
「こっち」
重機関銃の架台を取り巻くようにある手摺に、太い針金を曲げて作ったフックが複数あり、その内の一つに飯盒が下げられていた。
おそらくジュンの分なのだろう。他の乗員の分は見当たらなかった。
「蓋、開けておかなくていいのか?」
その横を選んでかけた公一が訊ねた。
「大丈夫だよ。中の水分はLSBが吸収するから」
「あ、そうなんだ」
「コップはコッチ」
連れて行かれたのは先程怪しげな器械を収納していた箱の脇だった。そこにいかにも手作りらしい木製の棚が据え付けてあった。棚はコップ一個ずつを収める深い仕切りが設けてあり、内一つが埋まっていた。
他に十個ほど収められる棚へ、二個目のコップを収めた。
「あとは、寝る準備かな?」
「寝る?」
公一は空を見上げた。相変わらずの空模様だが、まだ夜には時間がありそうだ。
「明るい内に準備しておかないとね」
こればかりは「そういうものか」と納得するしかない。なにせ公一の家ではあまりキャンプという物に出かけたことがなかった。よって公一には、アウトドアではどのタイミングで何をすればいいのか、全く分からなかった。
ジュンが自分のコンテナから寝袋を担ぎ出した。公一も歯ブラシと交換に、寝袋を取り出した。
改めて触れると、フカフカであった。羽毛布団のようでもあるが、どんな素材でできているのか公一には判断できなかった。
「じゃあ、行くよ」
二人して三張りのテントが立てられた場所までやってきた。
「いつもは二つしか立てないんだけどね」
嵩が大きいが重さを感じない寝袋を肩に担いだままジュンが説明してくれた。
「普通は、ゴリアテに近い方が男の子用。離れている方が女の子用。この普段は使っていない分は、今日は特別にコーイチ用ね」
ゴリアテから近い順に指差して用途を教えてくれた。
「近い方が男って決まってるのか?」
(ゴリアテの車内が一番安全だろうから、夜中に何かあって避難することを考えたら、女用のテントが近い方がいいと思うんだけど…)
公一の考えを表情から読み取ったのか、ジュンがニヤリと笑った。
「ゴリアテに近い方が男の子用。そうじゃないと、夜中にトイレに行く振りをして、潜り込んでくるヤツがいるかもしんないから」
「それって…」
詳しく説明されなくても意味ぐらいはわかった。つまり獣は野営地の外にいるだけではないって事だ。
「だ・か・ら」
ウインクをしながら公一の顔を覗きこんできた。
「今夜、オイタしちゃ、ダメだぞ」
「す、するかよ」
(やっぱ歳上かもしんない)
ジュンの悪戯気な表情にすっかり顔を赤くした公一は、震える声を抑えられなかった。
「それぞれ男の子だけ、女の子だけしか入れない事になってるから。用事がある時は、ヒカルに頼むんだよ」
(ヒカルはロボットだから、両方に入っていいって事なんだろうな。えっと…)
「ようじ?」
女の子をテントから呼び出すなんていう用事に心当たりが一つしか無くて、赤面したまま戻らなくなる公一。
「うん。当直の交代とか」
「あ、なんだ」
「コーイチは、なにを考えたのかな?」
理解した上でジュンが訊いて来た。
「い、いや。ほら、獣の襲撃とか…」
「そういう時は、ぶっ放せば大抵みんな飛び起きるから大丈夫」
「ぶっぱなす?」
「アレ」
ヒカルがゴリアテの大砲を指差した。たしかにあんなに大きな大砲なら、撃った時の音もそれなりだろうと想像が出来た。
「寝袋は…」
ジュンはその場で丸めた寝袋を解いてみせた。
アウトドアグッズに詳しくない公一であるが、見ただけで使い方が分かるような形だ。
解くと全体が四角く、脇のジッパーで上下の間が開く構造となっている。いわゆる封筒型と呼ばれるタイプであった。
「ここが長い方を下にした方が寝やすいよ。これをコットの上に敷いて、ここから潜り込めば暖かくて寝るのに最適」
実際にジッパーを下げて広げて見せてくれた。
「了解」
大きく頷いてみせると、ジュンは広げたままの寝袋をズルズルと引き摺りだした。女の子用テントの入り口を塞ぐように垂れ下がっているタープを捲りながら入って行く。
「テントは四人用なんだ。コーイチはたぶん明日からシローたちと一緒だと思うよ」
「了解…。やっぱイビキとか凄いのか?」
なにせ他の男と言えばドワーフの三人である。そして三人ともゴツイ親父顔である。そういったトラブルが多そうな雰囲気だ。
「どうでしょう?」
思わせぶりな笑顔を残してジュンはテントの中へ消えて行った。
自分にあてがわれたテントに入り、先ほどシローと会話した時に座ったコットへ寝袋を敷いた。
これで寝る準備は出来た事になる。他にやることを思いつかなくて、テントから出ると、ジュンの小さな背中がリヤカーへ戻っていくところだった。
慌てて小さな背中を追いかけた。
リヤカーへ上がると、ジュンは何やらゴソゴソと荷物を漁り始めた。特に指示をされないので、公一も少ないながら自分の荷物の整理をすることにした。
「で、さっそく手伝ってほしいんだけど」
さっきは歯ブラシを無造作に放り込んだコンテナの中で、ビニール袋から下着類を出して並べていると、後ろから声をかけられた。
「手伝い?」
振り返ると大荷物を持ったジュンがいた。右手には工具箱、左手にはポーチのような物を持っている。それだけではなく右肩には短い梯子のような物をかけており、左脇には丸めたビニールシートを挟んでいた。
(荷物運びかな?)
そう思いつつも公一は訊いてみた。
「何をすればいいのかな?」
「パムを弄るから、手伝って」
「ぱむ?」
「モノクルのこと」
「ものくる?」
首を捻っている公一の前で、ジュンは胸を張った。
公一はジュンに、中身の詰まったジェリ缶を持たされた。持ち運びしやすいように取っ手が工夫されているが、こんな重さを持たされるのは、ほぼ始めてであった。
ヒイコラ言いながら運んでいる公一を残して、ジュンはスタスタと行ってしまう。置いて行かれないように鎖の音になんとか着いて行くと、ジュンはゴリアテの脇に停まっている一輪車のところで荷物を地面へと下ろし始めた。
公一もジェリ缶を地面へと下ろした。
一輪車は、フロントカウルの下に装備したバンパー兼用のスタンドにもたれるように、前のめりになって止まっていた。たしかにこうすれば、横一線で支えるバンパーと、点で支える一輪で、止まっていても倒れずに立っていられる。
黒い車体に、元は白色だったが汚れてネズミ色になったらしい極太タイヤ。一つ目のヘッドライトとあわせて、公一からはバイクの部品を使った何らかの芸術品にしか見えなかった。
「そっち持って」
ジュンが丸めて持ってきたビニールシートを広げようとする。風にあおられてうまくいかないので、二人で端を持って広げる事にした。
地面に敷いたシートの四隅へ石をのせて錘とした。
「よっ」
ジュンが一輪車のハンドルを持つと、押してシートの上へと移動させた。
「これでよし」
公一はこれから何をやるのか、まったく想像がつかなかった。
「まず、燃料の補給から」
ジュンがタンクの蓋を開けた。公一が乗っていたスクーターとは違い、施錠などはされていないようだ。
「燃料って、コレか?」
自分が運んできたジェリ缶に手をかける。
「そうそう。でも待って」
持ち上げる前にジュンが制止した。不思議に思っていると、まずタンクの蓋の下にあったストレーナーを取り出すと、ゴミが詰まりすぎていないか目で確認をした。
ストレーナーをセットしなおすと、今度はタンクの下にある大きなツマミを一八○度回した。
一輪車の方の準備はそれでいいらしい。ジュンは工具箱からノズルを取り出して、ジェリ缶にセットした。
「じゃあ、お願い。零さないようにね」
「了解」
力仕事は当然男の仕事だろうと、公一はジェリ缶を持ち上げて、一輪車へ燃料の補給を開始した。
タンクへ流れ込んでいくのは、透明な液体である。臭いは特にしないが、水と比べて随分と粘り気がある液体であった。
「あ、全部は入らないと思うから、溢れないように気を付けて」
「ええ?」
慌ててジェリ缶を起こす。それと同時にストレーナーの所へ液面が上がって来たのが確認できた。
「あぶね」
ジェリ缶の半分どころか一割も入れていないはずだ。
「ちょっとでも注ぎ足しておかないと、次に足せるのがいつになるのか分かんないから」
質問が口から出る前に教えてくれた。
(たしかに。ガス欠は怖いだろうな)
また石だけの荒野を見てしまう公一。助けてもらう前の心細さといったら、比較できる物が無い程だった。
(これが二一世紀の東京なら、近くのガススタまで押して行けばいいけど、ここじゃあなあ)
燃料を補給したタンクの蓋を閉めながら、ジュンはメーター類を覗き込んでいた。といってもタコメーターらしき円盤と、あとは公一には見当もつかないメーターが二つあるだけだ。
(これで補給も終えたし、後は何をするのかな?)
言われる前にジェリ缶からノズルを外して蓋をしておく。するとメーター類のチェックが終わったジュンは、一輪車の脇のツマミを元の位置に戻してから、工具箱に寄って来た。
「しばらく一緒でしょ。だからパムに二人乗れるようにしなきゃ」
工具を探しながらジュンが言った。
「パムって…」何を指している単語なのだろかと質問したところで、答えを自分で見つけてしまった。目の前の一輪車を覆う黒いカウルに、白いペンキで後から書いたのであろう「PAM」とあったのだ。
「どうやって走るんだ? この一輪車」
当然の質問が口から出た。
「へ?」
工具箱のところでしゃがんでいたジュンは、そこへ手を突っ込んだまま公一を見上げた。
「エンジンだけど?」
そう当たり前のように言われても、その肝心のエンジンが見当たらなかった。なにせ普通はエンジンがある場所には極太のタイヤしかない。カウルに半ば埋め込まれるようにしてエグゾーストパイプが後ろに向かって生えていた。だが、それを辿ってもエンジンのような物はどこにも見当たらなかった。
「エンジン?」
キョトンとしている公一を見て、ジュンは工具箱を放っておいてやってきた。
「これこれ」
彼女が指差したのは、カウルの右側に走るエグゾーストパイプだった。銀色に光る円筒形が、少し焼けたのか虹色に変化する焼き色がついていた。これ自体がエンジンならば、二一世紀の常識しかない公一がピンと来なくても当たり前であろう。
「バイクは知っているんだが、こんな一輪車は初めてで」
「いちりんしゃ…、モノクルって言うんだよ」
「ああ」
先程の聞き慣れない単語の意味が分かって、溜息のような返事が出た。
「正しくはモノ・サイクル…、だったかな? モノクル、モノクルって呼んでたから忘れちゃったよ」
ジュンは後ろ頭を掻いた。
「バイクは知っているんだ?」
「うん、まあ。スクーターなら免許持ってたし」
唯一の自慢できることをひれかしたが、ジュンの反応はイマイチだ。
「めんきょ?」
「うん。免許」
「なにそれ?」
「えっ」
慌てて彼女の顔を見たが、その顔はキョトンとしたままだ。本気で知らないようだ。
(まあ、こんな世界になっちゃったら、試験も何もいらないか)
公一は一瞬だけ荒野を見てから説明することにした。
「昔はね、物を運転するときは、試験を受けて合格した人じゃないと、ダメだったんだ。で、試験に受かった人には写真入りで免許証って言って、このぐらいのカードが貰えたんだ」
左右の指でLの字を作って向かい合わせて、免許証の大きさを教えてやる。
「へええ。こんな簡単な機械でも?」
不思議そうなジュンに、頷いた公一は、もう一度荒野を見た。
「昔は建物だらけで、車もヒトもいっぱいいたから。下手すると車同士でぶつかって、ヒトが死んだりしたし」
こんな荒野では、どれだけアクセルを開いても、何かと衝突する方が難しいだろう。
「あー」
ジュンが上へ視線を上げて、何かを思い出したようだ。
「たしかに、あんなに一杯いたらぶつかったりしたかもね。ヒカルのライブラリーで見た事ある」
(そんなこともできるのか、あのロボット。未来の日本。どんなだったのかな?)
後で見せてもらおうと、心のメモ帳へ書き込んでおくことにした。
「おれにもコイツ、運転できるかな」
「バイクと変わらないよ」
ニコニコとしながらジュンは、ハンドルを示した。
「こっちのアクセルを捻るとスピードが出て、このレバーでブレーキ」
スクーターやバイクなどでは二種類のブレーキがついていることが多いが、この機械にはレバーが一本しかない。まあタイヤが一つなのだから当たり前なのだが。ただハンドルは固定されているようだ。スクーターとは違って、体重移動による重心変化で舵を切るようだ。
それからジュンの指がタンクを指差した。
「いま燃料入れたでしょ。それがこのパイプでエンジンへ流れて行って…」
カウルの内側に半透明をした樹脂製らしい細いチューブが走っていた。それがエグゾーストパイプの頭に繋がっていた。
「で、エンジンが発電して、ココに…」
つま先で軽くタイヤの中心を蹴ってみせた。
「モーターが入っているから、それで回るの」
「モーター?」
タイヤの軸はアンダーカウルに隠れており、どうなっているかは見る事ができなかった。
「で? 普通のバイクと、こいつとで、何が違うんだ? わざわざ選んだ理由は?」
当然の質問をしてみた。
「なんにも変わらないって」
工具箱の所に戻ってジュンはまた同じことを言った。しゃがんだ拍子に、腰に巻いた鎖の先が工具箱に当たって不快な音を立てた。
「パムを使っている理由なんて、簡単。パムの調子が一番良かったから。他のモノクルとかもあったけど、長い間使っている内に壊れちゃったり、エンジンのかかりが悪くなっちゃったり」
「あ~、そういう事か」
他の物と同じように、もっと便利な物がかつてあったが、今は使える物しかないという事のようだ。
「後ろ外しちゃわないとね」
工具箱から六角レンチの束を見つけたジュンは、それにジャラジャラと音をさせてパムに近づく。腰の鎖がチャリチャリいうのと合わせて、ひとつの演奏のようだ。
ジュンはパムに取りつくと、普通のバイクで言うところのシートカウルに手をかけた。そこに小さな蓋があって、開くと小さな物入れとなっていた。
今は、ジュンが小脇に抱えてきたポーチみたいな物と同じ物が入っていた。
そのポーチを適当にシートの上へ放り出すと、シートカウルの脇にあるヘックスボルトへとレンチを合わせる。
「ちょっと押さえておいて」
結構な力で締めてあるらしく、ボルトを回そうとするとパム自体が揺れてやりにくそうだ。
「お、こうか?」
慌てて反対側から取りつき、パムが揺れないように押さえつけた。
車体が揺れなければ簡単な作業だ。ジュンは自分側にあった二本のボルトをあっという間に緩めた。残りの長さを指で回しながら、レンチを公一へ差し出してくる。
「そっちも外して」
「どれ」
左右対称な位置にボルトを発見し、公一も緩めにかかった。
「ふんんぬううううううう」
顔を真っ赤にして変な声が出るぐらいの力で締めつけられていた。
最初はジュンの真似をして、レンチの長い方を差し込んで回そうとしたが、それが出来ないので。今度は短い方を差し込んでレンチ全体を梃にして力をかける。
「うぎゅうううううっ」
「なんだよ、その顔」
反対側で車体を支えるジュンが、公一の百面相を見て笑った。
「いや、かてええっ! かてええよ!」
悲鳴のような怒号のような掛け声で、やっと一本が緩んだ。
「そうかな?」
ジュンが反対側から手を伸ばしてきてレンチを受け取ると、次の一本を緩めにかかった。
二人で左右から車体を押さえているからか、今度はあっけなく頭が回った。
「大げさだなあ、コーイチは」
馬鹿にするでなく楽しそうにジュンが言った。
「いや、まだ固いって」
ジュンが緩めたボルトを指で回そうとする。回ることは回るが、まだレンチが欲しくなる固さだった。
「もしかして、力ないの?」
「普通のつもりなんだけど」
レンチを再び受け取って、ジュンが緩めたボルトを回し始める。今度は順調だ。
「さっきもイヌの脚に困ってたもんね」
「イヌの…、ああ、あれか」
ジュンが解体した獣の後ろ脚のことだろう。ジュンは軽々持っていたが、公一は両手でやっとだった。
「あれ重かったよ」
「うーん、そうかなあ」
抜いたボルトを工具箱の蓋へ置いたジュンは、不思議そうに首を捻った。
「いや、ぜってー重かったって。はい、ネジ」
やっと抜けたボルトをジュンに差し出すと、思案顔のままでジュンは受け取り、先程のボルトと同じところへと置いた。
「じゃあ、お尻外しちゃおうか」
プラスチック製らしいシートカウルが上に外れると、中には小さな荷台が隠されていた。
「これじゃ小さいから」
そう言って工具箱と一緒に持ってきた梯子のような物を荷台へ重ねるように置く。どうやら以前はそうやって面積を大きくして使っていたようだ。ちょうど梯子の横桟に当たる場所が、荷台の留め具の位置とピッタリだ。縦にはネジ穴が開いており、いま外したばかりのボルト穴とピッタリと一致した。
工具箱からボルトを回収すると、今度は締め始める。横桟が留め具で固定されているので、そうきつく締めなくてもよさそうだ。
「ん」
ジュンが公一へ手を出した。
「?」
「レンチ」
「あ、ああ」
それでも仕上げはレンチで一本一本確認するようにジュンは締め込んだ。
「これで、どうするんだ?」
「コレ」
最初からパムに入っていた分と、ジュンがリヤカーから持ってきた分と、二つになったポーチのような物を荷台へ乗せる。荷台の隙間に納めてあったゴム紐を使って、そこへと縛り付けた。
「何コレ?」
「サバイバルキット。三日ぐらいはコレだけで生活できるようになってるから」
「あ~」
感心した声が出た。
ゴム紐で縛ってサバイバルキットを固定したジュンは、両手で揺らしてみて、もう外れないかどうか確認していた。
公一の目から見ても、ちゃんと固定されたようだ。納得いっていない様子のジュンに、声をかけてやる。
「大丈夫じゃないか?」
「うん」
それでやっとジュンは頷くと、今度はパムのシートの上に右肘をついた。
「腕相撲してみる?」
「は?」
なんでそんな提案になったのかが分からなかった。
「いや、コーイチに力が無さそうだったからさ」
「…」
公一はジュンの腕を見た。
特にゴリラのような太い腕ではない。見るからに柔らかそうで、こんな機械弄りすら似合わない細さだ。
「よし」
公一のやる気のある声を聞いて、ジュンは左手に持っていたレンチを工具箱へと放り投げた。
パムを挟んでシートを台にしての勝負だ。
シート自体は、公一が知っているレーサーレプリカと同じような素材でできているようだ。まあ、さっきの歯ブラシみたいに、バクテリアだの何だの公一の知らない技術が盛り込まれているかもしれなかったが。
ジュンは力を込めやすいようにするためか、シートの下を握る様にして左手をパムの隙間へと入れた。公一も真似をすることにする。
パム自体は前のめりになって自立しているため、このまま地面に対して垂直に腕を握り合わせると、ジュンの腕が倒れる距離の方が、公一よりも短くなる。まあ勝負を挑んできた側のハンデといったところか?
ガッシリと手を組み、肘の置き場所を調整する。その向こうに見えるジュンの顔は、また悪戯気に輝いていた。
(やわらかくて、あったかい)
公一が他の事に気を取られていると、ジュンが訊ねてきた。
「どうやって始める?」
普通の腕相撲だとレフリー役がスタートの合図をするのだが、生憎と他はそれぞれ仕事をしているようだ。
「どうしようか」
「いいよ、コーイチがスタートって言って」
またまたハンデのつもりか、ジュンは余裕の態度だった。
「じゃあ『始め』って言ったら開始な」
高校に進学してからはやっていなかったが、中学の時などは同級生と競った事があった。その時の成績も、まあクラスで中くらいだった。そして普通ならば女子中学生に男子高校生は腕相撲で負ける事は無いはずだ。
「いつでもどうぞ」
「よし。よーい、はじめ!」
公一は号令と共に体重を右腕へ乗せた。卑怯かもしれないが、やはりこういう時は体重差で捩じ伏せるのがてっとり早い。だが、ジュンの右腕は、まるでそこから生えているかのように動かなかった。
「ふん! ぬうう! うおおおおおおおっ」
大声を上げて力を入れ直しても、ビクとも動かなかった。シートを下から掴む左手にも力を込めるが、やはり動かない。
「どうした、どうした」
対するジュンは笑顔のままだ。右腕どころか体も動いていない証拠に、腰に巻いた鎖が音を立てもしていない。
「くそおおおおお」
(まさか腕相撲で勝てないなんて! 男としての意地が!)
そんなことを考えながら力を何度も入れ直すが、特に何もしていないように見えるジュンの腕は動かなかった。
「ぬううううう」
何度目かの挑戦で、公一は気が付いてしまった。
向かいにいる対戦相手は自分と同じコートを着ている。右肘をシートに置くために屈んでいるから、コートの襟もとから内部が覗け、下に着たブラトップにすら胸元に余裕が生まれていた。
そのさらに向こう側が、見えそうな見えなそうな感じで…。
「ん?」
突然緩んだ公一の力に、ジュンは最初、訝しむ顔となり、そして彼の視線が自分の胸元へ延びているのに気が付いた。
「コラ、ドコ見てんだ!」
公一の視界にジュンの左拳がアップになり、星が散った。
騒がしい声で目が覚めた。
視界は暗く、そして横から柔らかい光が当てられていた。
「ここは…」
鼻が詰まったような声が出た。というか、鼻が詰まっていた。手を顔へやると、鼻の穴に柔らかい物が詰められていた。
「気が付きましたか」
光の方向から声をかけられて、飛び起きた。
そこにはディレクターチェアに座ったヒカルがいた。先ほどシローと会談した時のように、彼女全体が光っていた。
慌てて周囲を見回せば、自分にあてがわれたテントの中である。コットの上に自分で敷いた寝袋の上に横たわっていたようだ。
「おれは…」
「思い出せませんか?」
ヒカルの確認に、よりによってジュンの胸元を思い出してしまう公一。
「あ~、ジュンに殴られたんだ」
やっと現状を理解した。
「いまシローを呼びました。なぜ殴られたのか、事情聴取するそうです」
「おれは何もやっちゃいねえよ」
慌てて声を上げる。ヒカルが何か答える前に、テントの入り口が捲られて、シローが入って来た。
「邪魔するぜ」
いちおう二人に声をかけた。その声色はとても平坦で、公一は彼が怒っているのではないかと、少し恐怖を感じた。
ヒカルはシローへ座る場所を譲り、立ち上がって静かに公一を見おろした。
「で? どうだ?」
シローがどちらともなく訊いた。
「骨折などはしてないようです。少々の出血…、鼻血は出ましたが、それももう止まっています」
ヒカルが事務的に答えた。首がわずかに動いて公一の方を向き、相変わらずの声色で訊ねてきた。
「念のために痛み止めが必要ですか?」
「いや、いいよ。きっと大げさだって言われるし」
首を竦めて答えると、シローが溜息のような鼻息を噴き出した。
「なにがあった?」
「ジュンから訊いてないのか?」
「『コーイチの可愛さに、つい手が出た』しか聞いておらん」
(あれ? もしかしてジュンに庇って貰えたのかな?)
高校生である公一はセクシャルハラスメントという言葉は知ってはいたが、それがどれくらいで適用されるかまでの知識は無かった。
(ってゆーか、おれはなんにも悪い事してないし)
つい緩んだジュンの胸元へ目線が行っただけだ。
「ジュンと腕相撲したんだ」
「それは聞いた。で、なんでナカムラさんの方が殴られんだ? なにか余分な事をしたんだろ?」
「いや…」
(なんて説明しようか…)
迷った公一は、とりあえず思いついた言葉で誤魔化すことにした。
「女の子の手なんか握ったことがなかったから、ちょっと顔が緩んでいたのかも。その顔が気に入らなかったのかな」
公一の言葉を聞いて、シローとヒカルが顔を見合わせた。
どうやら二人して呆れたようだ。
「ジュンは?」
当のジュンがテント内に居ないことを確認するために、公一は周囲を見回した。ヒカルの仄かな明かりに照らされたテントには、他に人物はいなかった。
「ジュンは当直の時間だ」
簡単にシローが説明してくれた。
その時、テントの外で歓声が沸いた。
「あれは?」
「リュウタとヒメで腕相撲してる。ジュンがナカムラさんとやってたって聞いてな」
そこでシローは立ち上がると、テントの外へ顔を出しに行った。
「お前ら、うるせえぞ! なんだシンゴまで。やっぱりお前のアウターフォビアは仮病じゃねえのか?」
シローの怒鳴り声の後はシーンとしてしまった。
「まったく」
プリプリしながら戻って来たシローが、公一を睨みつけた。
「ナカムラさんも、ちょっと小突かれたぐれえで目を回すなよ。面倒臭ぇじゃねえか」
途端に我慢しきれなかった様子で、ヒカルが小さく噴き出した。
「あぁ?」
シローが彼女を振り返って凄んでみせた。
「素直に心配したとおっしゃればいいのに」
「男の心配なんかしねぇよ」
腕組みをしたシローがプイッとそっぽを向いた。
しばらくテントの中も静かになった。
「ちぇっ。俺も腕相撲の方へ行っておけばよかったぜ」
ブツブツと言い訳のような事を言い出すシロー。
「あの、ありがとうございます。すみませんでした、心配かけて」
「だから、男の心配なんてしてねえから」
もう凄まれても、公一はシローを怖いと感じる事はなかった。大体、彼は耳まで赤くなっていた。あれは決して怒りの感情からではないだろう。
(それにしても…)
なんとか誤魔化す言葉を「あーうー」と唸って探しているシローを見ながら、公一は微笑みが浮かんでくることを止められなかった。
(こういうのもツンデレって言うのかなあ)
女の子から恋愛感情として向けられるツンなら、何度もライトノベルで読んできた。
(それとドワーフたちはやはりライトノベルで読んだように、力比べが好きなんだな。ヒメまで腕相撲してたのは意外だったけど)
「じゃあ、ケンカじゃあないんだな?」
もう誤魔化すのが面倒になったのか、シローが大声を上げた。
「ああ。もし悪いヤツが必要なら、ジュンは悪くないから、おれが罰を受けるが?」
それでも重い刑罰が科されるのなら言いたい事はある。なにせ顔が緩んだだけだ。
「ケンカじゃなきゃいい。後でジュンと話し合っておくんだぞ」
ディレクターチェアから立ち上がりながらシローは公一を指差した。
「もう六に…、七人しかいないんだから、仲良くやっていかねえといけねえんだからな」
「ああ。言われるまでもない。謝っておくよ」
「そうしてくれ」
これで話は終わりだと言わんばかりの態度で、シローは歩き出そうとした。
「心配してくれて、ありがとうな」
「心配なんざしてねえ」
シローは怒鳴り声を残してテントから出て行った。
彼を見送っていたヒカルが、顔の下半分へ袖を当てていた。どうやら笑ったのを隠したつもりらしい。だが彼女には唇が存在していないので、笑顔と言っても目元だけだ。おそらく人間の動作をなぞっただけなのだろう。
公一はコットの上で尻を回し、足を地面へとおろした。
「なんだって、あんな馬鹿力なんだよ」
左手で右肘のあたりを揉んでみる。こちらも筋を違えたりしていないようだが、ちょっと痛んだ。
「それは当たり前です」
「は?」
そんな独り言にすらヒカルは答えてくれるようだ。
「エルフはヒトの改良種と教えたはずです。よって膂力もヒトとは比べ物にならないほど高いのです」
「りょりょく? つまり力持ちってこと?」
そう言われてみればリヤカーからパムの燃料が入ったジェリ缶を降ろす時に、ジュンはやけに軽々と持っていたような気がした。
「はい。同じようにドワーフもブリガも、ヒトより高い能力を持っています」
「なんだよ…」
不貞腐れた顔になった公一は、コットの上で胡坐をかくと、自分の膝に頬杖をついた。
「じゃあヒトに良いところなんて一つもないじゃないか」
「ですから彼らが生き残ったと言えるでしょう」
公一の心の機微が分かっているのか分かっていないのか、ヒカルがとても事務的に言った。
「それは当たり前だと言う事もできます。彼らは軍隊に必要とされて量産されました。死にやすい兵士が必要ですか?」
「ちぇ」
せっかくライトノベル系の体験ができたと思ったら、ヒトはただの劣等種でしたなんて現実を突きつけられて、公一には面白くないシチュエーションだ。
ふと『ビショップ』のところでした妄想の自分を思い出してしまった。
(あれとは真逆だな。武器も無いし、防具はただの服。ハーレムを持とうにも、女の子どころかヒトは絶滅してるし…。女の子…)
そのまま、また先ほどの眼福まで思考が行ったところで、真っすぐに座り直した。
「どうしました?」
「いや、なんでもない」
女性型で、さらにロボットのヒカルには分かりにくいだろう男の子の事情という奴だ。
「そういえばさ」
ジュンの事を考えていたので、先ほど抱いた彼女への疑問を思い出した。
「ジュンって、何歳なの?」
「本人から聞いていないのですか?」
「おれより歳上だとは聞いたけど?」
そのままヒカルは黙って、ジッと公一を見ていた。
(な、なんなんだ?)
視線をこう感じると、気持ち悪くなってきた。
「ナカムラさんは教わらなかったのですか? 女性に年齢の話しを聞いてはいけないと」
「は?」
ヒカルに言われて、小学生の頃の記憶が蘇った。
「やっだー、こんな目立つところに白いのが!」
「白髪一本ぐらいで騒いで。母さんは今年で幾つよ? その歳なら普通だろ」
「女はね、二十歳を越えたら、毎年十八歳の誕生日が来ることになっているのよ」
「つまり…」
眉を顰めた公一は、ヒカルに確認する事にした。
「ジュンは十八歳って事か?」
「おや?」
目を一回明滅させたヒカルが不思議そうに聞き返した。
「そこは『十七歳。おいおい』では?」
「十七歳教かよ!」
つい大声が出た。
「二一世紀初頭にあわせたつもりですが、なにかご不満でも?」
「誰だよ、そんなデータ入力したやつ…」
公一が絶句すると、クルリと髪をなびかせてヒカルがその場で一周して見せた。
「色んな疑問にお答えするのが私の役目でもありますが、その質問に対する回答は拒否させていただきます」
まるで本物の女性のような仕草に、公一はつまらなそうに組んだ脚の上に頬杖をつく姿勢に戻った。
「わかったよ。本人から聞き出せってことなんだな」
「私はけっしてそのような事を申し上げたわけではありません。ただ回答を拒否しただけです」
公一はまるで歳上の女性に翻弄されているような錯覚を感じ始めていた。
「ヒカルは、ロボットなんだよな?」
「厳密に言いますと違うのですが、その認識でも間違いはありません」
「違うという事は『ヒトの役に立つのがロボットの役割』というわけでは無いこともあるのか?」
「いえ」
心外そうにヒカルが胸に手を当てた。
「私たちハッティフナットはヒトのために存在します」
「本当かねえ」
疑う様な声を出したところで、ヒカルはテントの外を窺う様な仕草をした。
「そろそろ食事の時間です」
テントに駆け付けた時に持って来たのだろう、足元の医療パックを片付けながらヒカルは告げた。
「飯盒などの支給は受けましたか?」
「ああ、それならジュンから貰って、洗ってリヤカーで干してある」
「それでは、その飯盒とコップを持って、リュウタの所へ集合です」
「了解」
「それと、これも告げておいた方がいいでしょう。朝の軽食と、晩の多めの食事、一日の食事は二回となります」
「二回か…」
不満は無いが、三度の食事に慣れていた自分の腹がもつだろうか心配になった。
「それも分かったけど、途中で腹がすいたらどうするんだ?」
当然の質問に、ヒカルの目の明るさが変わった。どうやら苦笑したような雰囲気である。
「我慢してください。ただし、水を飲んで誤魔化すのはダメです。水中毒の危険もありますし、なにしろみんなで生きるだけの最低量しかありませんから」
「水にまで中毒があるのかよ」
呆れた声を上げる公一に、一回だけ目を明滅させるヒカル。おそらく驚いて瞬いたことを表現したのだろう。
「二〇世紀には発見されていた事だと思うのですが?」
「残念だけど、そこまで病気に詳しいわけじゃないんでね。鼻血が出たら首筋にチョップとか、フグに当たったら地面に埋めるとかしか知らないんで」
そういえばと鼻に詰められていた物を引き摺りだしてみた。未来の便利な医療道具というわけではなく、ただの脱脂綿であった。ヒカルが言ったように、もう鼻血は止まっていた。
「あの、それらも…」
おずおずと言うヒカルにウインクを飛ばす。
「冗談だよ」
「それはよかったです。まるで一九世紀のヒトと話しているような気がしましたから」
ホッと胸を撫でおろすヒカル。そんな仕草までヒトっぽかった。
「メシだぞ~」
遠くからリュウタの声が聞こえてきた。
「ほら、さっそく」
「よし。じゃあ大事に食べるか」
コットから立ち上がった公一へ、ヒカルは医療パックを差し出した。
「?」
「どうせリヤカーへ行かれるのでしたら、ついでに片付けて置いて下さい」
「…」
(ロボットが手間を惜しんでヒトに仕事を押し付けんのかよ。普通は逆じゃね?)
公一はジト目で医療パックを受け取った。
「了解」
まだ痛む右肘をかばって、左手で受け取る。テントを出ると外はうっすらと暗くなり始めていた。
「もう日が暮れるのか?」
辺りを確認した公一は、声に不安を混ぜながらヒカルに訊いた。
「それだけナカムラさんが気を失っていたということです。現在の時刻からして、もう日没は過ぎました。ちなみに地球自体の自転公転などは、二一世紀とそう変わっておりません」
「そう言われても、いつ陽が沈むなんて気にしちゃいなかったけどな」
二一世紀の東京では、陽が沈めば街灯が道を照らし、店の看板が辺りを明るくしていた。公一にとって夜という物を意識するのは、主にスマートフォンの時計からであった。
「それでは、私はこれで」
一礼してヒカルはゴリアテの方へと歩き出した。
暗くなり始めた中を、ホタルのように自ら発光して歩く女性。公一からは、とても幻想的に見えた。
「メシだぞー」
ゴリアテの脇でリュウタがまた声を上げた。まさか早い者勝ちで、後から来る者の分が無くなるとかいう事だと困るので、早く行く事にした。
医療パックを片付け、コンテナから飯盒とコップを手にする。速足でリヤカーを降りると、コンロの火が目印となってリュウタの場所が分かった。その赤い明かりの前に、二人が列を作っていた。
(やっぱ偉い順なのかな?)
いま鍋の前に座るリュウタの反対側に立っているのはシローだ。コンロ越しに蓋を締めた飯盒を受け取り、渋い顔をしたまま歩き出してどこかへと行く。次はヒメの番だ。飯盒を渡して深鍋の中身を注いでもらっている間に、自分は持っているコップへ脇のケットルから飲み物を注いでいた。
リュウタは深鍋からシチューらしき物を飯盒へオタマで掬い入れ、別の鍋からは茶色いソラマメみたいな物を中蓋へ盛ると、蓋をしてヒメへ返していた。
「ほい」
ヒメの分が終わったところで、リュウタは人好きする笑顔を公一へ向けた。短い手を差し出してきたところを見ると、飯盒を渡せということなのだろう。
「お願いします」
黙って渡すのも無礼な気がしたので、一礼して飯盒を託す。リュウタはヒメにしたように、飯盒へシチューらしき物を注ぎ、中蓋へ豆を盛った。
「これは?」
コップの縁を袖で拭いながらリュウタにケットルの中身を訊いた。
「今日は特別ってことで、ココアだ。温まるよ」
ホッコリとする笑顔でウインクしてきた。
「本当は、とっておきだからいけないんだけどな。まあ、あんたが加わったお祝いだ」
「それはどうも」
その有難いココアを貰おうと手を伸ばすと、先にリュウタの手が伸び、おそらく彼の物らしいコップへと中身が注がれた。
そのままケットルごと公一に渡された。
「これごと持って行ってくれ」
他に蓋を閉めた飯盒と空のコップを、二つずつ差し出された。
「?」
「シンゴと、ジュンの分だ」
そこでまたウインクされた。
「シンゴは、まあアレだし。ジュンは当直でゴリアテの中にいる。本当は当直が終わるまで食べちゃいけないんだが、まあシローも怒らないだろ」
「はあ」
意味が分からず半ばポカンとしている公一を余所に、リュウタは自分の分を鍋から飯盒へ注ぎ始めた。
「あったかいうちに持って行ってな」
「ああ、はい」
公一は右手にケットル、左手に飯盒を三つ持ってゴリアテの後部へと回った。コップは右の小指に引っ掛けた。
(そういえばゴリアテに入るのは、これが初めてか)
ちょっとドキドキしながら、開けっ放しになっている後部ドアをくぐった。
ゴリアテの第一印象は、匂いだった。はっきり臭いわけではないのだが、鼻に違和感があった。
(えーと、あれだ。他人の家に上がり込んだ時の、あの感覚だ)
車内は白色で塗装されており、思ったよりは整頓された空間だった。
ドアをくぐったソコはキャビンとなっていた。室内は思ったより広いが、高さがあまりなかった。公一の身長では絶えず屈んでいないとならない。キャビンには前に向かって右側に、四角い大きなロッカーのような出っ張りがあり、左の壁沿いにはベンチシートがあった。
ベンチシートの下や、四角い出っ張りの脇などに、何が入っているのか分からない木箱がたくさん積み込まれていた。
その先に床から縦に円筒形をした空間がある。はっきりと壁で仕切られているわけでは無いのだが、円いフレームに色々な器械が取り付けられており、床も一段高くなっていた。
あそこが砲塔内部ということのようだ。
複数あるシートに足だけ見えている人物がいた。あの細さはジュンに間違いないだろう。
「よ、メシ持ってきたぜ」
キャビンから見上げるようにして砲塔内部へ顔を突っ込む。そこにはドーンと主砲後部が鎮座しており、それを挟んで二つの席がある。
ジュンが座っているのはそのどちらでもなく、砲座を避けるように右側に寄った手前の席だ。
「ん? あ、大丈夫だった? 顔」
「ああ、もう痛くもない。その…、悪かった」
「ん」
チラリと公一の顔を確認したジュン小さく頷くと、すぐに正面のモニターへ顔を戻した。
「そっちに入って大丈夫か?」
「頭ぶつけないようにね」
ジュンの忠告を聞いて、慎重に砲塔内部へと上がる。砲塔からは、さらに車体前部にある席が見えた。
向かって右側の席に、ドワーフが座っているのが見えた。
頭にはラグビーの選手が着けているようなヘッドギアを被り、耳にはジュンとお揃いの通信機を着けている。服は他の乗員と同じフードつきの黒色のコートだ。
シローは制帽を、リュウタはキャップを被っているから、あれは残った一人であるシンゴであろう。こうして近くで観察するのは初めてだった。
シンゴの席には車と同じようなハンドルがついているのが見えた。他にもレバーが一杯ついているが、そちらの方の用途は、操縦装置だろうぐらいにしか公一には思いつかなかった。
隣にあたる左前の席にはヒカルが座っていた。ここでも柔らかい光を放っているため、車内で視界に困ることは無さそうだ。
ヒカルの席には、機関銃のお尻が前から突き出していた。銃身は前装甲を抜けて前方に向いているようだ。どうやら戦闘時には機関銃で前方のかなりの範囲を掃射できるようだ。
「ほら、メシ」
三つまとめて差し上げるが、ここで公一は困った。
(あ、ドレがダレのか分からなくなったぞ)
「ありがと」
ジュンが迷わず右端の飯盒に手を伸ばした。
「コレ、ドコに置く?」
右手のケットルを置く場所を探して砲塔の中を見回す。さすがに生活よりも戦闘向けに作ってある空間なので、置き場所が見当たらなかった。
「そこの弾薬箱のトコでいいんじゃないかな」
砲塔内にも積み上げてある木箱の一つを示してくれた。ジュンがいつも背負っている、あの壊れたウィンチェスターライフルも、横に立てかけてあった。
「ソコならシンゴも届くよね」
「ああ、充分だ」
運転席のシートを限界までリクライニングさせたシンゴが、振り返るとニヤリと笑った。それだけで右側の三番目の歯が欠けているのが目立った。
「じゃあ、ココに置くから」
ケットルとコップ、そして手元に残った二つの飯盒を置く。すると袖を捲った毛むくじゃらな腕が伸びてきて、自分の分の飯盒を選んでくれた。
「さっきからいい匂いがしておったが、今日はナニかな?」
蓋を開けて仄かなヒカルの明かりで中を覗いた。
「おー、豆にシチューかあ。気張りおったなあ、リュウタのヤロー」
豆に埋もれていたスプーンを掘り出すと、さっそく口へと運び始めた。
「うん。今日のシチューは濃いね」
見ればジュンも食事を始めていた。
二人の飯盒から旨そうな香りが漂って来た。
「では、さっそく」
公一も近くの椅子に座ると、自分の飯盒へと手を伸ばした。蓋を開けて、まず中蓋の豆に埋もれたスプーンを取り出した。
中蓋に盛られた豆は、公一は見た事の無い種類の物だった。見たまんまだと茶色いソラマメなのだ。ソラマメ自体あまり縁の無かった食生活だったので、恐る恐る口へと運んだ。
程よく熱が通った豆は歯ごたえも丁度良かった。豆自体の味はあまりしないが、大きさのせいか芋に似た食感がした。味付けは単純に塩だけだったが、逆に飽きが来なくて、これまた素材に合ったものだった。
しばらく豆を食べて減らしたところで、中蓋を膝の上へ移動させて、下のシチューに取り掛かることにした。
こちらは、ゴロゴロと大きな肉が入り、逆に賽の目切りをしたのではないかと思われる野菜が粒のように含まれていた。
肉の旨味が出ていて、これまた食が進む。豆と交互に食べると、いい具合である。
とろみが強めにつけてあり、そのおかげか体がポカポカと温まって来た。
半分ほど食が進んだところで、またスプーンの先が鈍った。そろそろメインの肉を食べる頃合いであろう。
チラッとジュンやシンゴを見る。二人は何の疑問を抱かずに、肉を口にしているようだ。
(なんの肉なんだろ)
見た目は角切りの牛肉に見えた。サービスなのか、それとも料理したリュウタの流儀なのか分からないが、公一の家でカレーに入れる大きさより倍は大きかった。
(こんなに大きいんじゃあ、一口に入らないな)
二人はどうしているんだろうと、また盗み見てみると、ジュンは中蓋に取ってスプーンで割って食べているようだ。シンゴが豪快に突き刺して齧りついていた。いかにもドワーフらしい食べ方だった。
(固くて歯が欠けましたなんて、イヤだしな)
公一はジュンの真似をすることにした。中蓋の豆を寄せておいて、肉の一つを空いたそこへ取った。
先割れスプーンで二つにしようとすると、意外に柔らかくて簡単に分ける事ができた。
(煮てあるからかな?)
断面など観察すると肉繊維が平行に並んでいる具合などが、これまた牛肉のようだ。
見ているだけでは意味が無いので、分けた半分を口へと入れた。
「ほうっ」
味はやはり見た目通り牛肉に近かった。牛肉よりは脂が感じられないが、安い部位だと言われれば、そう納得しかねない程だ。食感も牛肉に近かったので、二口目からは抵抗なく食べる事ができた。
「今日のお茶はナニかな?」
ジュンがケットルへと手を伸ばした。
「ココアだってさ」
配給を受けた時の情報を告げると、ジュンは目を丸くした。
「大盤振る舞いじゃないの。明日、世界に終わりでも来るの?」
ジュンの物言いに、シンゴが肩を揺らして笑った。キョトンとしている公一に気が付くと、ジュンより先に、自分のコップへココアを注ぎながら教えてくれた。
「最近、ゴリアテで流行っとる冗談だよ」
(ああ、世界が終わるってヤツね)
そういえば一回説明された気がした。ちょっと悪趣味だなと思いながらも、愛想笑いを返しておくことにした。
「ココアだと下に沈んでない?」
ジュンはシンゴからケットルを受け取ると、水平に回し始めた。中でココアがチャポチャポと音をさせた。
「お、しまった。薄かったかの?」
シンゴは顔を顰めつつコップに口をつけた。
「そうでもないか」
「じゃあ戻さなくて大丈夫ね」
ジュンも自分のコップへとココアを注いだ。そのまま公一のコップにも注いでくれた。
「あと一杯ぐらいはありそうよ」
ケットルを揺らしながらジュンは言った。
「早い者勝ちか?」
運転席からシンゴが鋭い視線を送って来た。ジュンは肩を竦めてみせた。
「ボクは当直中だから遠慮しておくよ。コーイチは?」
「え、う~ん」
(まあ、この程度で器の小さな男と思われたくないしな)
「オレもいいや。シンゴに譲るよ」
「本当か」
まるで花畑を見つけた少女のように明るい表情になったシンゴが、弾んだ声で言った。
「じゃあ貸し一つってことで、今度ナニかあったら返させてもらうぞ」
まるで小学生男子のような屈託のない笑顔であった。
(ココア一杯で大げさだな)
顔に出さないようにしながら、公一はコップを傾けた。
一人分のココアを倍に薄めた味しかしなかった。
「なんじゃこりゃ」
慌ててコップの中をよく見るが、泥水のような薄さの液体しか入っていなかった。
「ナニって、ココアだよ」
同じ物を飲んでいるはずのジュンは平気な顔だ。
「いつもより濃い目だよなあ」
最後の一杯を譲ってもらった安心感か、シンゴはゆっくりとコップを傾けていた。
「あー」
なにか言おうと公一は口を開いたが、思い直した。
(いつもは、これより薄いのを飲んでいるのかって訊いたら、逆に怒られそうだな)
そんなことを言った途端に、もう手に入らないんだと言われることが目に見えるようだった。
公一は、ココアは置いておき、遥かにマシな夕飯を片付ける事を優先する事にした。
黙々と食べているのも味気ない。残りがあと三割というところで沈黙に耐えられなくなった。
「ジュンはそこで何をしてるんだ?」
「なにって、当直だよ」
あらかた食べ終えた様子のジュンは、ココアの残りで飯盒の中を漱ぎながら答えた。
「とうちょく?」
「コーイチも慣れたらローテーションに入ってもらうからね」
漱いだココアを飲みながらジュンが言った。彼女がやっている方法はお行儀が良くないが、後で洗う時に楽になると気が付いた公一は、さっそく真似る事にした。
「具体的には?」
「この席に座って、近づいてくるものが無いか見張るの」
ジュンは、自分の席の正面にあるモニターを指差した。
「寝ている間とかに、獣に襲われたくないでしょ」
「一人で?」
「ヒカルも手伝ってくれるもの」
ジュンの視線が正面左、やや下を向いた。
「ヒカルはずっとだもんね」
「ハッティフナットとしては、お安い御用ですよ」
ヒカルの方は特にモニターなどを見つめてはいないようだ。まあロボットらしいから、何かしらの方法でセンサー類などとリンクしているのかもしれない。
「一晩中?」
大変だなと思いながら公一は訊いた。
「ううん、二時間交代。そうじゃないと疲れちゃうでしょ」
「二時間か…」
(六人いて、ヒカルがずっとだと五人か。一人二時間だと十時間か。順番以外の八時間は寝られる計算だな。そこに俺が入ると、一回の時間が減るのかな? それとも全体の時間が増えるのかな?)
頭の中で計算した公一は、ヒカルの方へ視線を移した。
「いつもこんな感じ?」
「はい」
背中で見ていたのだろうか、ヒカルが答えてくれた。
「もっと人数がいれば、まったくオフの日も作れるのでしょうが、もう六人しかいないのですから」
「寒い日だと、エンジンが冷えすぎないように、時間で回したりもしなきゃならん」
これは最後のココアにありついているシンゴだ。
「バッテリーだって寒いと電圧が下がるしの」
「備えておかないと、カバとかに襲われた時にやられちゃうからね」
「カバ?」
ジュンから、こんな荒野に居そうもない獣の名前を聞いて、公一の目が点になった。
「ナカムラさんが知っている河馬とは違いますよ」
すかさずヒカルのフォローが入った。
「席の左側モニターをご覧下さい」
「え、どこ?」
公一が座っている席にもモニターが複数設置されていた。その内で一番大きなモニターに灯がともった。
二一世紀の液晶とか有機モニターに慣れている公一ですら鮮やかに見える映像が浮かび上がった。
「ヴッ…」
浮かび上がったのは何とも言えない醜い獣であった。たしかに河馬と言われれば似ているのだが、二本の脚で立ち、前足でドワーフのような太鼓腹を撫でている様子は、あけぼの子どもの森公園あたりで客に愛嬌を振りまいている北欧の妖精をもとにしたキャラクターの様だった。
ただしそんな愛されるキャラクターとは大きさが遥かに違った。獣の近くに針葉樹のような物が立っているのだが、それが肩程度の高さまでしか届いていない。あれが普通の杉の木だとしたら、なんという巨大な獣であろうか。
肌だって河馬のピンクから茶色に変化しているような色ではなくて、全体が薄墨色といった色合いをしていた。それでその巨体であるから、公一の目からはただの獣と言うより怪獣に見えた。
「これで性格は獰猛です。見つけたらすぐに先手を取らないと、我々の戦力では生き残る事も難しいでしょう」
「たしかに」
中蓋に残った豆の最後の一掬いを口へ入れながら公一は頷いた。
「こんな化け物がいるんじゃ、誰かが起きてないと危ないな」
「同じようにナカムラさんの時代と、同じ名前をしながらも、大きく変わった生き物は複数います」
「犬だって、俺の時代じゃ、ああじゃなかったぜ」
「へえ~」
ジュンが目を丸くしてみせた。
「あれがイヌじゃなかったら、どんなだったんだろ」
「画像をご覧になりますか?」
ヒカルの質問に、ジュンが元気よく頷いた。
「見る見る」
「ワシも見たいのう」
シンゴも興味深々だ。
「では、みなさまのモニターに」
この時代のカバを映していた公一の前のモニターも含めて、画像が切り替わった。小学生ぐらいのオサゲをした女の子が、おそらくドッグランらしき緑地で豆柴のようなコロコロした犬と追いかけっこをしている映像だった。公一にとっては、たまの休日にやることがなくて、近所をブラブラしていれば見られた光景だった。
「わあ」
ハートマークを散らしながらジュンが声を上げた。
「かわいい」
「ほほー。まるでオモチャのようであるな」
これはシンゴの感想だ。
「これがイヌ? 全然違うじゃん」
画像は女の子が茶色い毛の塊を抱き上げたところで止まった。
「こんなのがいたんだ」
モニターから公一に顔を移してジュンが訊いた。
「ああ。こんなのが一杯いたぜ。たしか子供の数よりペットの数の方が多いとかニュースでやってたな」
「子供って、ヒトの?」
ジュンは目を剥いて驚いた。
「ヒトって、たしか一○〇億人いたんだよね? それより飼ってるイヌの方が多かったの?」
「ジュン、それは違います」
ヒカルから訂正が入った。
「ナカムラさんがいた時代は、日本の少子高齢化が問題になっていた時代で、子供の数が極端に少なかったのです」
「あ、なあんだ」
ジュンがすぐに納得した。
「イヌが多かったんじゃなくて、子供が少なかったのか。ま、今じゃドコにも居ないけど」
飯盒を弾薬箱の上に置くと、頭の後ろで手を組んで、大きく伸びをしてみせた。
「他にも見ますか?」
「もういいよ」
ヒカルの確認に、もう興味は無いといった声でジュンが答えた。
「どうせ世界は終わっちゃったんだ。昔の幸せな生活より、今をどうにかしなきゃね」
「ワシもお腹いっぱいだぞい」
シンゴも飯盒を組み立てて、座席の脇に置いた。
「手に入らない物を羨ましがっておったら、今日のメシが手に入らなくなる」
「それ、誰の言った言葉?」
ジュンはだいぶ仰け反った姿勢のまま訊ねた。
「もちろんワシだ。いいこと言うだろ」
シンゴは振り返って砲塔の中へウインクを飛ばした。
「さて、そろそろ交代の時間かの」
シンゴは狭い車内で立ち上がると、ジュンに真面目な顔を向けた。
「当直交代する」
「お願いします」
敬礼の真似事をしながら、ジュンも真面目な声を出した。
「連絡事項はありません」
「了解である」
そのままシンゴは砲塔の方へ移ってきた。ジュンは席を譲るために、立てかけておいたウィンチェスターライフルを手に取り、蓋を閉めた自分の食器と、ケットルを手にした。
「シンゴの分も洗っておこうか?」
「お、助かる」
砲塔の中へ体を入れていたシンゴは、自分がいた席へ取って返すと、脇に置いておいた飯盒を取り上げた。
「ココアはまだ残っておるから、自分で片付けるぞ」
狭くて器材が置いてある中で、意外に敏捷に動いていて、公一はちょっとビックリした。あの体格であるから、もっと移動に難渋すると思っていたのだ。
ジュンは先にウィンチェスターライフルをキャビンへと送り、それから砲塔のフレームを掴むと、まるで鉄棒をするように、軽やかに後部へと降り立った。
「コーイチはどうする?」
砲塔の中からシンゴの飯盒を受け取りながらジュンが訊いて来た。
「おれも一緒に行く」
慌てて飯盒の蓋を閉めて後に続こうとした。それがいけなかったのか、ゴチンゴチンと頭をそこらにぶつけることになった。少々の痛みは我慢して、キャビンへと下りた。
「じゃ、後はよろしく」
「うむ。飯盒、よろしくな」
中身を零さないよう大事に抱えていたコップを差し上げながらシンゴが返事を返した。
ジュンの後についてキャビンを抜けようとしたが、その途中で彼女の足が止まった。
「な、なに?」
まさか止まるとは思っていなかったので、半ば背中へぶつかってしまった。
「ここがトイレね」
ジュンはそう言うと、キャビンにはみ出すようにして置かれたロッカーのような物に手をかけた。ガチャッとこれまたロッカーを開けるような安い音がして、扉が開いた。
ジュンの腕越しに覗くと、とても狭い空間に、洋式便座が設置してあった。どこもかしこも安っぽい造りだ。壁なんかプレス製品らしい薄板一枚である。
「外でしちゃっても、まあ構わないけど、なるべくココでするんだよ」
「臭いで獣が寄って来るからか?」
その理由が思いつかなくて、公一は訊いてみた。
「あ~、それは考えなかったな」
扉を閉めながらジュン。どうやら不正解のようだ。
「ボクたちが出した物で、ゴリアテのエンジンが回るんだ」
「へ?」
とても不思議な事を言われた気がして、公一の目が点になった。
「ゴリアテのエンジンは、バクテリアエンジンだから」
「ちょっと待って。待ってくれ」
公一は頭を抱えた。
「ばくてりあえんじん?」
「?」
「説明が必要ですか?」
前の方からヒカルの声が届いた。
「うっ」
公一は一旦声のした方向を見たが、ジュンに向きなおすと肩を竦めた。
「あとで、おいおいに」
「了解しました」
「いいの?」
ジュンが前の方を覗くように首を伸ばしながら訊いた。
「せっかく説明するチャンスだったのに」
「何もかも説明していたら、その内に教える事が無くなってしまいます。楽しみは後に取っておきましょう」
(やっぱりロボットじゃないみたいだ)
先程の医療パックを自分に押し付けた件とあわせて、公一はヒカルがロボットとは思えなくなった。ゴリアテの乗員たちが彼女をヒトのように扱うのも納得がいった。
「簡単に言うと、トイレの先は燃料タンクに繋がってて、そこに大量のバクテリアがいるの。出した物は、そのエサってわけ。ゴリアテは、そのバクテリアを燃やして走るんだ」
「バクテリアを燃やす…」
イメージが沸かなくて、公一は額に人差し指をあてた。
やっぱりヒカルの解説が欲しくなったが、断ったばかりで訊いたらちょっと格好が悪いと思い、ぐっと我慢した。
「じゃあ、さっさと洗っちゃおうか」
公一が納得したと思ったのか、ジュンは先に立ってゴリアテから降りていった。しばらくトイレを睨みつけていた公一も、結局は何も言わずにその後に続いた。
外はもう真っ暗だった。
「ん~、つかれた」
「ごくろうさま」
車外に出たところで体を伸ばすジュンを労いの言葉をかける。
「さ、洗っちゃおうか」
体を捩じって振り返る様は、無邪気そのものだ。公一には先ほどまでの真面目な様子がウソだったように思えた。
空はやはり曇りのままの様で、月明りも星明りも全くない。鼻を摘ままれても分からない程のこの暗さは、そのせいかもしれない。ただゴリアテとリヤカーの要所には蛍光塗料が塗られているらしく、ポツリポツリと人魂のような白い光を放っていた。
ヒカルの体が発する光で満たされたゴリアテの車内に目が慣れていたのか、余計に暗さを感じた。
それでも目を凝らせばゴリアテもリヤカーも、三張りのテントも輪郭はうっすらと見えて来る。暗闇の中にさらに黒が濃い輪郭が浮かんでいるように見えるのだ。
二人してリヤカーについている蛇口の所へ行った。
ジュンが手を伸ばすと、蛇口の所に豆電球ほどの灯りが点いた。そんな小さな明かりでも、暗闇の中で見るとホッとできた。
説明を受けた時は気が付かなかったが、蛇口の横に小さな蓋があり、そこからジュンは何かを取り出した。水を少しだけ飯盒へ汲んで、ゴシゴシとそれで擦る。まずシンゴの分、次はジュンの分。ケットルの中を一周させてからそれが公一に手渡された。チクチクしてゴワゴワする触感であった。
何かと思って豆電球の明かりへ透かして見れば、二一世紀でも使ったことがある亀の子タワシであった。怪しげな三文字の略称やら、バクテリアエンジンだの、公一にとっての謎技術の欠片も見られなかった。
(いや。これも実は洗剤が中から湧きだしてくる不思議物質で出来ているとかあるかもしれない)
そんなことを考えながら飯盒の中を軽く擦った。暗いので感覚でしか分からないが、綺麗に汚れが剥がれて落ちるようだ。
「ちょっと待ってて」
公一が洗っている最中に、ジュンがどこかへと移動始めた。
チャリチャリと鎖の鳴る音が、ゴリアテの方へ移動して行った。あれはジュンが腰に巻いている鎖の音であろう。その間に、公一の方は飯盒の中を一通り擦り終えた。水で漱いで完成だ。
ゴリアテの上からチャリチャリという音が聞こえてくる。どうやら砲塔の後ろの辺りを開いて何かをしているようだ。
しばらくして慎重に足掛けを使って降りて戻って来る気配がした。
「何をしてたんだ?」
「ケットルと、シンゴの分を置いて来た」
「ああ」
言われてゴリアテの砲塔の方を振り仰いだ。足掛けの場所とか、出っ張っているところなどが蛍光で小さく光っているが、詳しいディテールは分からなかった。
「ボクたちはリヤカーに物入れがあるけど、ゴリアテのみんなは、あそこに物入れがあるんだ」
「仲間外れってことか?」
「え?」
意外な事を言われたようで、豆電球の明かりの中で不思議そうな顔をされた。
「五人で動かすクルマに、五人分の物入れがあるだけだよ? で、ボクたちは六人…、あ、今日からは七人か…。ゴリアテの外にいる人は、リヤカーに物を入れておくのは、当たり前じゃないかな」
「え、だってヒカルはロボットなんだろ?」
「ハッティフナットな」
「そのハットなんとかなんだろ? 私物入れなんて必要なのか?」
「まあね。外付けのオプションとかあるし。それに、外に居る事が多いボクがゴリアテの物入れ使うの、なんか変じゃない? リヤカーに置いておいた方が便利だし」
「えーと」
それでも納得いっていない様子の公一に笑顔を見せると、ジュンは蛇口横の豆電球を消しながら言った。
「ゴリアテと別々に動く時、ボクの荷物を持って行かれちゃうじゃん」
「ああ、そういう事もあるか」
ポンと手を打つ公一。
暗闇の中へジュンの気配が薄まっていく気がした。
「ど、どこに行くんだ?」
「荷物を片付けるんだけど? どこ見てるんだよ」
半ば馬鹿にしたような響きを含んだ声が、闇の中からした。
「こんなに暗いと、何も見えないよ。よく動けるな」
豆電球に甘えて、瞳孔が狭まってしまったようだ。さっきよりも物が見えなくなっていた。
「へ? そんなに暗いかな?」
近くに気配が戻って来た。
「ああ。そうだっけ、忘れてた。キミたちヒトは暗いと目が見えなくなるんだったね」
「まったく見えなくなるわけじゃないんだが…。じゃあジュンには見えているのか?」
声のした方向を向きながら質問した。
「見えてるよ。ただし、これだけ暗いと白黒にしか見えないけどね」
ジュンに言われて公一は思い出したことがあった。
(そういえばエルフには暗視能力があるっていう設定のラノベもあったな。それみたいなものか)
「ちなみにシローたちドワーフも暗いところを見通せるみたいだよ。ただボクと違って『セキガイセン』とやらを見てるらしいから、風景が違って見えるらしいけど」
お話の中のドワーフは鉱山に住んでいる事が多く、地下世界での生活に不便が無いように、暗闇でも目が見えるようになっている事が多かった。
(ドワーフも暗いのが大丈夫なのか。とすると…)
エルフとドワーフが大丈夫と言うなら、ヒメのブリガなる種族も暗闇を見通すことができそうだ。
「ヒメはどうなんだ?」
「あ~、ヒメはね、さすがに暗いところは見えないよね」
(よかった。おれだけがダメってわけじゃないのか)
公一がホッと胸を撫で下ろす暇も無く、ジュンが言葉を繋いだ。
「でも反響定位で、目が見えなくても大丈夫みたいだけど」
「えこ…、なんだって?」
つい険しい声が出た。
「エコーロケーション。ヒカルがコウモリみたいな物ですって言ってた。なんかキーンって音を出して、前に何があるか分かるみたい」
「あー」
さすがに公一も蝙蝠が自ら超音波を出して、その反響により暗闇で何も見えない洞窟内でも周囲の状況を把握していることぐらいは知っていた。
「じゃあ、もしかして…」
(ロボットのヒカルが暗闇で困るって事は無いだろうし。またヒトだけが劣ってるってことか)
彼の肩がガックリと落ちたので、何を考えたのか分かったのだろう。ジュンは明るい声を出した。
「ま、明るい方がいいのは、ヒトもエルフも変わらないよ。暗いところでも灯りがあると、ホッとするじゃん」
どうやら励ましてくれているようだ。
それでも気分が浮かない様子を見て取ったのだろう、ジュンが空を見上げる気配がした。
「二一世紀かあ。こんな雲なんか無くて、星も月もいつでも見えたんだろうな」
「ん? まあね。でも都会だと街の灯りが眩しすぎて、星はあんまり見えなかったな」
公一も釣られるように空を見上げた。
そこには何も見えなかった。どうやら昼間と同じように一面曇りのようだ。明るく輝いて道を示してくれるような物は何も見えなかった。
「明かりが眩しくて?」
信じられないとばかりのジュン。
「家もたくさんあったし、ビルなんかもピカピカ光ってたし。そこら中に商品を宣伝する看板が立ってて、それも灯りに照らされたり、ネオンで自分から光ったりしてさ」
「ふうん」
「車もライト点けて一杯走っているから、眩しくてさ。あ、あれだぜ。日本なんか女の人が夜に一人で歩いてたって安全に目的地に行けるって、言われたぐらいでさ」
「そ、想像できない…」
今度はジュンが頭を抱える番だった。
「だって、夜中に一人で行動してたら、危険だよ。こうして野営してたって当直してなきゃいけないんだから」
「そうだよなあ」
公一は溜息をついた。
二人で話していると、モソモソと衣擦れの音がして、黒い山のような影が近づいて来た。
「二人で世間話か?」
黒山から声がする。声の感じからするとシローであろう。
「ん、まあね」
暗闇が見通せるらしいジュンが特に警戒しないので、少なくとも野営地に紛れ込んできた獣とシローを間違えているわけでは無いようだ。
「ジュンは当直を終えたのか?」
「そだよ。次は朝の四時から」
「じゃあ、とっとと寝ちまえ。寝不足は任務の大敵だからな」
「シローだって」
クスクス笑いながらジュンが指摘する。
「この後、シンゴの次に当直でしょ? 寝ないの?」
「俺はいいんだ」
どうやら声の質からむくれた感じがした。
「またまた。警戒線がちゃんと設置されているか見回ってたんでしょ。ちゃんと明るい内にやっといたからね。心配性なんだから、シローは」
「ふん」
どうやら面白くなかったようだ。シローは鼻を鳴らすと、矛先を公一に向けてきた。
「ナカムラさんも、自分のテントで寝ておけよ。しばらくは当直から外しておくが、慣れたら、ローテーションに入ってもらうからな」
「了解。って言われても、なにやればいいのか、分からないけどね」
「それは教えてやるから大丈夫だ。肝心なのは、任務中に寝ない事だしな」
おそらく当直が寝てしまって酷い目に遭った事があるのだろう。声の重みが冗談に聞こえなかった。
「じゃあ、寝ようかな。寝不足はお肌の大敵だって言うし」
ジュンが歩き出しながら言った。
「そうしろ。俺は、もう一周点検してから寝るから」
「そお? そんなことしたら寝ている暇は無いと思うけど?」
ジュンはからかうように言った。
「うるせ、寝ちまえ」
シローが吐き捨てるように言うと、またモソモソと歩き出した。
「ナカムラさんもな」
「了解」
この暗闇でも見えているらしいので、胸の前で小さく手を上げて、反抗の意思が無い事を示しておく。
「さてと、片付けちゃおう」
ジュンの気配が横に来て、公一の袖を掴んでくれた。
「こう暗いと、どこをどうしていいやら」
「こっちこっち」
ジュンに引かれて、真っ暗闇の中を公一は歩き出した。
「懐中電灯か何か無いのか? 不便でしょうがない」
「ん~」
ジュンが悩むような声を上げた。
「渡してもいいのかなあ? シローがいい顔しないだろうなあ」
「なんでまた」
「まあ、その…」
とても言いづらそうにジュンが口を開いた。
「新人にはどんな装備品も預けないって、まあ決めてあるわけじゃないけど、そんな感じなんだよね」
「なんで?」
しばらくジュンは黙って公一の袖を引っ張って歩いていた。
「新人は簡単に死んじゃうだろ。そうすると、残りが少ない装備品も回収できなかったりするからさ。懐中電灯一個でも、もう手に入らないと考えるとね」
残酷な真実に公一も黙るしかなかった。この世界で長く生きてきた者の意見の方が優先であろう。自分は安全な都会の道路しか歩いてこなかったのだから。
(ま、その安全だったはずの道であんな目に遭って、いまここに居るんだけど)
リヤカーへ着くまでに、公一は気を取りなおした。
リヤカーに二人して上がる。公一に割り当てられたコンテナや、靴などが出てきた箱などの位置は分かるが、細かい物は見分ける事ができなかった。
唯一、真ん中で空を睨んでいる重機関銃だけは、その特徴的な形だけでなく、操作に必要な最低限の場所が蛍光で光っていたので、引き金の位置まで見分ける事ができた。
「こっち」
ジュンに案内されて、架台の手摺の位置まで移動する。そこにあるフックを手探りで見つけて、飯盒をかけた。
並んでぶる下がった飯盒が、重機関銃の蛍光している場所を遮り、闇の中でも場所ぐらいは分かるようになった。
コップを棚へ、これまた手探りで戻し、荷物が入れてあるコンテナに向いた。
コンテナの蓋を開くまではできたが、公一にはまったく中が分からなかった。
「懐中電灯を渡されない理由は納得したが、荷物も探せないのは、ちょっと…」
「コレ」
するとジュンが重機関銃の架台へ戻って、下の方に手を伸ばした。その足元に貼りついていた物を剥がして持ち上げた。
ポッと弱い明かりがついた。
「あるじゃん。懐中電灯」
ちょっと眉を顰めて公一は灯りに振り返った。それは公一の知っている懐中電灯とは、ちょっと違う物であった。長さ一五センチぐらいの握りやすそうな棒の全体が、白い光を発しているのである。
「これはみんなのだから、いつもココに貼っておくんだよ」
ジュンが取り出した位置をまず照らした。そこには小さな表示があり「非常灯位置」と読み取る事ができた。
「あと、あまり頻繁に使わないように」
「なんでだ?」
「暗いところで光ってると、目印になってナイトウォーカーに襲われたりするから」
まさかの理由に、公一は首を竦めた。
「当直していても、そのナイトなんとかは襲ってくるのか?」
「石投げて来るよ。頭が潰れるぐらいの勢いで」
「ひえっ」
慌てて周囲を確認するが、公一には照らされている範囲しか物は見えなかった。見えない暗闇が多いせいで恐怖感が強くなってくる。
「わかったよ。荷物を探す時だけって事だな」
ジュンが持っている灯りを頼りに、コンテナの中を確認する。
(この雰囲気だと、風呂どころかシャワーも無しだな)
着替えとタオルを取り出そうとして止める。ジュンはと見ると、自分のコンテナから歯ブラシを取り出すところだった。
「歯、磨かないの?」
「朝じゃダメなのか?」
「夜の方がよくない?」
ここでも文化の違いが出たようだ。公一は溜息をまたつくと、腰に手を当てた。
「みんなは?」
「みんなも寝る前だよ。朝は出発の準備で忙しいから」
「えーと」
公一は家での習慣を告げる事にした。
「二一世紀では、食事ごとに歯を磨いた方がいいって事になっていたんだが」
「いまは一日一回、一〇分以上ってことになってるけど?」
弱い懐中電灯の明かりの中で、ジュンは挑戦するように下から見上げてきた。
「それにあわせて歯ブラシも出来ているのか?」
「そうじゃないかな。よく知らないけど」
(歯ブラシにもバクテリアがついているって言ってたけど、それが歯まで綺麗にしてくれるのかな?)
ここは二六世紀である。道具もその生活様式にあわせて作ってあることは間違いないだろう。
(郷に入っては郷に従えって言うしな)
「了解」
降参とばかりに両手を軽く挙げた公一は、歯ブラシだけを取り出した。
二人して歯ブラシを持って蛇口の所へと取って返した。
電池の節約のためか、ジュンが足元を照らしてくれるなんてことはなく、また暗闇の中を歩く破目になった。非常灯は架台の定位置に戻された。
ジュンは見えるらしいからスタスタ行ってしまうが、公一はおっかなびっくりだ。これで要所が蛍光で光っていなかったら、間違いなくどこかをぶつけていた。
しかも相手は柔らかいヌイグルミとかではなく、無骨な軍用のリヤカーや、同じく軍用の物入れである。頑丈な鉄製だ。
もし勢いよく顔でもぶつけたら、また鼻血を噴くことになるだろう。
先に着いたジュンが、また豆電球を灯してくれた。
特に歯磨き粉などをつけることなく、濡らした歯ブラシを口の中へ。公一も真似をして歯ブラシを咥えた。
するとジュンは、タワシが入っていた蓋を開くと、中にある物を取り出した。
なにかまた未来の秘密道具が出て来るのかと思いきや、それは砂時計であった。
(ああ。一〇分以上って言ってたもんな)
大きさからしておそらく一〇分用の砂時計であろう。時間を計りながら歯を磨くのは、公一は初体験であった。
物をそんなに長く咥えていると、唾液が溢れて来る。公一の口腔内も自然な反応として、唾液で一杯になって来た。
(なんか苦しくなってきた。ペッて出しちゃおうか?)
公一が悩んでいる内に、砂時計の砂が落ちきった。ジュンが蛇口横にかけてあるコップで口を漱ぐと、地面へ吐き出した。
「はい」
一個しかないコップが回って来た。
(えっと…)
歯ブラシの時もそうだったが、どうやらジュンは同じ容器を使いまわすことに抵抗は無いようである。
口の中が一杯で苦しくなってきたこともあり、公一も漱ぐことにした。
「ぷは」
「歯ブラシも洗って仕舞っておくんだよ」
コップを受け取ったジュンが、また水を少量汲むと、コップの中で歯ブラシをグルグルと回した。
「はい」
まだ渦が収まらないコップで、公一も歯ブラシを漱いだ。
「さてと、あとは寝るだけ」
ウーンと伸びをしながらジュンが告げた。
「ボクは明日の四時から当直だけど、コーイチはどうする?」
「どうするって…」
「一緒に当直してみる?」
ちょっと考えてみた。
(今は新しい出来事に興奮しているのか、全然疲れを感じていないけど、明日になったらどうかな? 意外と筋肉痛になっているかもな)
「起きれたら、じゃダメか?」
公一の自信なさげな声を聞いて、クスクスと笑い出すジュン。
「それって、起きれないって言っているようなもんじゃん」
「いや、ダメなら起こしてくれても構わないが?」
「いいよいいよ。まだ最初だもんね。明日の夜の当直から一緒にやろうか」
暗くて見えないが、あの屈託のない笑顔が向けられているのが分かった。
「それじゃあ、ちゃんとトイレに行ってから寝るんだよ。オネショしないように」
「しねーよ!」
からかわれていると感じた公一は、ちょっとだけ声を荒げた。
ジュンと別れて、闇を透かしながら歩く。テントにも蛍光で印がしてあり、自分にあてがわれたテントはすぐに見つける事ができた。
(歯ブラシを仕舞いに行くのが面倒だな)
なにせ真っ暗闇の中を歩かなければならないのだ。
(朝に寝袋と一緒に片付ければいいか)
公一はタープを捲って、テントの中へと入った。
歯ブラシをディレクターチェアへ放って、靴を脱いで寝袋の中へ潜り込んだ。
すぐに公一自身の体温で温かくなってきた。
(今日は色々あったな)
相変わらず止まない風が、テントを叩いていた。隙間を抜けた幾分かは、テントの中で渦を巻き、駆け抜けていった。
そんな環境であるが寝袋の性能が良いのか、公一に寒さなどを感じさせることは無かった。
暗くて分からないが、テントの天井方向を見上げる。心の底から何とも言えない感情が沸き上がって来た。
ネットもゲームも無しに過ごした半日。もしかしたら人生で初体験だったかもしれない。
(明日はどんな日になるのかな…)
疲れていたのだろう、風の音を聞いている内に公一は眠りについていた。
★Dragon of the Next Chapter appearance。
その部屋に明かりはほとんど無く、真っ暗であった。
元は鮮やかな色で、災害時に避難路を示していたと思われる誘導灯が、劣化したオレンジ色の光を、溜息のように漏らしているだけだ。
部屋の隅までは光は届かず、そのお陰で広さはまったく分からない。ただ、薬品を入れた棚や、クロスパーテーションなどが散らかっているので、医療施設だということが分かった。
しかし、まともにベッドは並んでいなかった。ある物はひっくり返り、ある物は破壊されて残骸となっていた。
永遠に闇に沈んだ、静かな世界。
ただ、どこか配管に緩みでもあるのか、天井から滴る水滴が、思い出したように水音を立てるのみだ。
その昏い部屋で、誰かが身じろぎをした。
ギシッとへたったスプリングが、少々耳障りな音を立てたのだ。同時に、鎖が鳴るような金属音が鈴のように響いた。
無事だったベッドの一つに、一つの影が横たわっていたのだ。
胸に白い流星マークの入った黒いコートを着ているのが分かる。
明かりが乏しい中でそんな色の服を着ているので、はっきりとした輪郭は分からないが、少なくともヒトと呼ばれていた者たちに近いシルエットをしていた。
闇の中に一対の紺色をした瞳が開かれた。
「…」
闇に沈んだように眠っていた者が、溜息のような物を漏らした。いや溜息でよかったのかもしれない。まだ、こんな世界になる前の幸せな世界。その頃を夢に見たのか、この永遠に続く黄昏のような部屋の中で、どこか遠くを見つめた。
夢なんて久しぶりに見た。
それだけで感じる事ができる。
何かが変わる予感がする。
ただし、いまはその変革は待つしかない。
紺色の双眸は閉じられ、そして浅い寝息が続いた。