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トリニティ・クラウン  作者: たじま
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4、甘い生活

4、甘い生活




「クリス~、 お、き、て~!」


オルティアの楽しそうな声が耳元に響く。


〈あれ……? もう朝か……〉


微睡みから覚醒し、ゆっくりと瞼を開けると……目の前にはクスクスと笑うオルティアの顔があった。


「ご飯、できたよ」


そう言ってクリスの鼻先をちょんと突っつき、立ち上がって窓のカーテンを開けるオルティア。

部屋が光に包まれ眩しさに一瞬目が眩む。

日曜日の朝。

窓の外には雲一つない晴天が広がっていた。



「わり、一緒に起きようと思ってたのに……目覚まし全然気づかなかったわ……」


ベッドに起き上がって大きく伸びをする。

すると振り向いたオルティアが悪戯っぽくクスッと笑った。



「お疲れだったんじゃない?」


そんなに疲れたつもりはないんだが……まぁ、自分の思ってる以上に疲れてたんだと、そう思おう。



「とりあえず着替えはバスケットに入れといて。昨日洗えなかったシーツ、先に洗っちゃうから」



そう言って枕を手に取り、カバーを外していくオルティア。

ミニスカートから覗いた素足が朝日に照らされて眩しい。



〈って、いかんいかん……〉



オルティアから視線を外し、起き上がって着替えを準備する。

そしてオルティアが部屋を出ていくのを待ってから服を脱ぎ捨てて手早く着替えを済ませた。

洗面所に移動して脱いだ服をバスケットに入れ、顔を洗い、頭を整えてからリビングに行く。

テーブルには熱々のベーコンエッグとサラダにオレンジ。

他にもレーズンパンとコンソメスープ、ミルクポットが、まるで雑誌の撮影かのように綺麗に配置されていた。



「うん、合格!」

「合格……?」


食卓に目を奪われているとオルティアがそんな事を言ってきた。

突然の合格判定にクリスが首を傾げる。


「クリスの服よ。ダサダサだったらどうしようかってちょっと心配してたけど、杞憂だったみたい。想像以上のセンスの良さにホッとしたわ。花丸あげる」


「まぁ……主に姉さんの趣味だけどな」

事実を暴露しながらクリスが椅子に腰掛ける。


「双子のお姉さんだっけ?」

するとオルティアが尋ねながらコップにミルクを注いでくれた。


「いや、腹違い。もっとも同じ日に産まれたし、時間も一時間しか違わないけど……ぷはぁ!」

コップを傾け一気に喉に流し込む。

寝起きのミルクは最高だ。



「ねぇ……お姉さんって、どんな人なの?」

「うーん、一言で言えば……強い?」

「強いって事は、メタる(メタモルフォーゼ、獣化のこと)の?」

「あぁ。おまけに美人で明るくてモテるし、オルティアに遜色ないほど料理もうまい。さっき言ってたようにセンスもいい」

「なんか同い年とは思えないほどパーフェクトな人ね……」

「オルティアも負けてないと思うけど……まぁ、今度紹介するよ。それより今日はショッピングモールに行くんだよな?」

「うん。でもクリスの引っ越しがパッパと終わって良かったわ。お陰で今日はゆっくり買い物できるもんね」

「言ったろ?三十分で終わるって」

「まさか大っきいバックひとつとは思わなかったわよ。あれじゃ家出少年よ?」

「訓練艦に乗るまでの三ヶ月だし、家具も家電も付いてるとこ借りたからさ。意外と便利だったぞ? あ、塩取って」

「あれで? まぁ、なんにしても早めに保護しといて良かったわ」

「保護って……」

「保護よ。冷蔵庫覗いてびっくりしたわ。牛乳とトマトしかないんですもの。とにかくクリスの健康は私が守らなきゃって決意した瞬間ね。これは恋人である私の義務だし。でしょ?」

「頼りにしてるよ。なんか甘えっぱなしで悪いけど。それより食費とか光熱費なんだけど……」

「そんなのいらないわよ。私が好きで誘ったんだもん」

「そう言う訳にはいかないだろ」


「いいの。クリスには幸せいっぱい貰ってるから。これ以上なんか貰ったらきっと罰が当たるわ」



そう言ってにっこり笑う。

昨日のクリスの「好きだぞ」宣言からこっち、ずっとご機嫌なオルティアだった







そんな二人のいるマンションを見上げる影が一つ……。

茶色い髪を三編みにして帽子を目深に被り、淡い色のサングラスを掛けた少女。



「ここがオルティアの家ですね」

クラスメートのシャーリーだった。


「なぁ、お嬢……なんで俺までここにいるんだ?」

それを眺めながらアレックスが不平満々に尋ねた。


「そんなの決まっています。常に笑顔を絶やさぬ私でも、さすがにその……ゴニョゴニョ (小声)の最中に、にこやかな顔してお邪魔する勇気はありませんので……」

「それを俺にやれってか? 俺だってそんな勇気ねぇよ」



アレックスがソッコーでツッコむ。

それを無視してシャーリーがグッと拳を握りしめた。



「これは私達風紀委員(自称)の責務です。二人がこれ以上道を踏み外さないよう、しっかり見守りましょう!」

「え? 俺もその枠に入ってふっ!?」


呆れ顔のアレックスの言葉が途切れる。

シャーリーがアレックスの口を塞ぎ、物陰にスッと隠れたのだ。

視線の先にはクリスとオルティアの姿が……。



「どうやら出かけるみたいだな」

「行きますよ、アレックス」

「えぇ!?……まさか後付けるの?」







「オルティア、ショッピングってなに買うんだ?」


エントランスの案内板でショップの位置を確認し、二人並んでエスカレーターに乗ってからクリスが尋ねた。



「いろいろ。でもメインはクリスの食器。 どうせならお揃いにしたいかなって」

「それってペアのカップとかお皿って事だよな?恋人とかがよく使う……」

「うん。憧れだったんだ。えへへ……」



そう言って幸せいっぱいな笑顔を見せるオルティア。

釣られてクリスも笑顔になる。


二人仲良く手を繋ぎ、ショップ案内で見た地図を頼りに店内を歩くこと五分。

二人は色とりどりの洋食器や焼き物の器が所狭しと並べられた専門店へと到着した。


さっそく買い物籠を手にしたオルティアが店内をサッと見回す。

そしてクリスの手を取り、洋食器が並べられたコーナーへと歩きだした。

進む先には一際目を引く色鮮やかな青と赤のラインが入った白いペアカップがある。

男性が青、女性が赤ということなんだろう。


「クリスクリス!これ良くない?」

「俺も思った。色も綺麗だし、サイズもちょうどいいし」

「カップだけじゃなくて、大小のお皿もセットであるよ。ねぇ、これにしよう?」

「いいぜ。俺も気にいった」

「やったー!」



喜びも露にオルティアがさっそくカップと皿を籠に入れる。

ちょっと重そうだったんで籠を代わってやると、オルティアがふふっと笑って腕に抱き付いてきた。



「クリスのそういう然り気無いところ、好きよ」

「こんなの普通だろ?」

「普通って思えるところがまた好き」

「もう、なんでも好きなんじゃないか?」

「あはは、そうかも。あ、クリス……お茶碗とお箸、それと湯呑みも! せっかくだからナイフとフォークとスプーンも新調しましょ!」



オルティアに導かれて店内を歩き、今度は和食器の器が並ぶコーナーへと足を踏み入れる。

洋食器のペアと同じように、茶碗と箸、それと湯呑みが目立つ場所にでん!と飾られていた。



「夫婦……夫婦かぁ……」



だいたい想像できるが、オルティアがにへらと笑いながら恍惚とした表情を浮かべていた。




その後も二人のショッピングは続く。

ブランドショップの前を通れば……、


「あっ!? あの服、クリスに合いそう!ちょっと見てこ!!」

「あぁ……」


とクリスの手を引き、

靴屋の前を通れば……、


「さっきの服に合う靴探そうよ!」

「靴も!?」


と進路を変え、

アイスクリームショップの前を通れば……、


「クリスクリス、二人でダブル買って分けっこしない?四つも味わえるよ?」

「あ、それいいかも!」


と二人して楽しそうメニューを見ながら並び、

雑貨屋の前を通れば……、


「あっ!? クリスのスリッパ買わなくちゃ!」

「別に客用でもいいぞ」

「ダーメ!」


とまたまた立ち寄り、

そして下着店の前を通れば……、


「あれ? なんか見てたよね? 気になる?」

「……別に」

「ふふん……着てあげよっか?」


とクスクス笑ってクリスをからかう。

そんな二人を見て、



「ねぇ、アレックス……?」

「なんだ、お嬢……?」

「私達……何してるんでしょうね?」

「それをお嬢が言うか!?」



なんか幸せオーラいっぱいの二人に充てられ、シャーリーが精気を失っていた。



「もう……帰りましょうか?」

「いや、せっかくだし……俺等もぶらっとしてかねぇか? ほら、昼飯もまだだしさ……」



そう言って頬を掻きながら視線を反らすアレックス。

端から見たらデートとも取れる発言に照れてるのだ。

それを見てシャーリーは一瞬きょとんとし、次いでふっと笑顔になった。



「そうしましょうか……」



クリスとオルティアの仲の良さは正直ショックだったが、せっかくここまで来たんだから、せめて自分達も楽しまなくちゃ。

そう思い反したのだった。







「あはは……ちょっと買い過ぎちゃったね」

「ロッカーに入らないかと思ったよ」



クリスとオルティアが可笑しそうにクスクス笑う。

あれからたっぷり三時間。

結局、店内のほぼ全てを歩き回り、遅めの昼食を取ろうと二人はカフェに入ったところだった。





そんな二人を遠くから指差す男がいた。


「ガルティエさん、あれ見てください!」


呼び止められた男が振り向く。

身長180センチほどで、厳つい顔とがっしりとしたガタイ。

ASの腕は確かだが、素行の悪さからC組に配属された軍閥の息子、アドリアン・ガルティエだった。



「オルティアじゃねぇか……」



ニマリと笑ったガルティエがオルティアの胸から腰、そしてスラリと伸びた白い足をみてペロリと舌舐め擦りをする。



「あの女、最近勘違いしてるみてぇだから、ちょっと身の程を教えてやるか……」







「オルティア、裾上げ出来てるから取りに行こうぜ」


サンドイッチとコーヒー、それとサラダのセットで腹を満たして店を出るとクリスがそんなことを言った。すると、


「あ、うん……私、ちょっと用事あるから先に行ってて?」

と、オルティアが立ち止まって微笑んだ。


「用事……?」

「うん、用事」


首を傾げるクリスに尚もにっこり微笑むオルティア。

それを見てクリスも悟ったのだろう。


「じゃあ、先に行ってるよ。さっきの店で待ち合わせな」

「うん。二、三分で行くから待ってて」



にこやかに手を振り、クリスが通りの向こうに見えなくなると、オルティアは踵を反してレストルームに続く通路へと消えて行くのだった。







「アレックス、あれを!」


シャーリーがアレックスの肩を掴んで引き留めた。

そしてシャーリーの指差す先を見てアレックスが眉をしかめる。

レストルームへの通路をガルティエの取り巻き達が道を塞ぐように屯し、他の客を脅して近づけないようにしていたのだ。


二人が顔を見合わせる。

取り巻きがあそこにいるということは、ガルティエがあの先にいるということだった。


コクンと頷き合った二人が歩きだす。


ガルティエはオルティアに気があるのか、やたらちょっかいを出しているのを知っていたからだった。







「よう、オルティア!」

「が、ガルティエ!?」


オルティアが怯えた顔で一歩後ず去る。

レストルームから出てくると、ガルティエがオルティアを待ち伏せしていたのだ。

そしてガルティエの後ろには取り巻きが二人。

そのうちの一人がオルティアの後ろにスッと回り込んだ。

それに気を取られた瞬間、ガルティエの腕がヌッと近付く。

慌てて振り払おうとしたがそのまま手を掴まれ、万歳する形で壁に押さえつけられてしまった。

ガタイが良いだけに、こうなるとオルティアには成す術がない。



「へっ……急に色気づきやがって。そんなに俺に抱かれてぇのか?」

「そんな訳ないでしょ! 触らないで! いやッ……んんッ!!!」



オルティアが叫ぼうとした瞬間、ガルティエの左手にバッと口を塞がれた。

さらに股下に右足を差し入れられ身動きを封じられる。


呼吸も出来ないほどの恐怖がオルティアを襲った。

心臓がバクバクと暴れる。



「んんっ!? んんーーーーーーッ!!」



オルティアが逃げ出そうと必死に身を捩った。

スッと伸びたガルティエの右手がオルティアの胸を鷲掴みにしたのだ。



「お前は俺の女だ。なんてったって俺が先に目ぇつけてんだからな。ロンドなんかにやるか。それをこれからお前の身体に教えてやる」



「んんッ!! んんんーーーーーーッ!!」



泣きそうな顔でオルティアが首を振る。

身を捩って逃げ出そうとするが、それも叶わない。

そんなオルティアをガルティエは吐息のかかるほど顔を近づけ、ぎろりと睨み付けた。



「へっ、暴れても無駄だぜ?すぐに大人しくさせてやる」



ガルティエが獰猛に笑いながらペロリと舌嘗め摺りした。

シャツの裾から手を差し入れる。

ぞわぞわと背筋を虫酸が走った。



〈うそでしょ!! いやッ!! いやッ!! クリス! クリスッ!!!〉



オルティアが心で悲鳴を上げる。

その時だった。



「ごあっ!?」


「往来の真ん中で通せんぼしてんじゃねぇよ」

「「てめぇ!?」」



物凄い音とともに部下達が騒ぐ声が響いてきた。



「あん? なんだ?」


ガルティエが通路の先を見る。

蹴られた拍子に頭を壁にぶつけたものか、仲間の一人が気絶して床に転がっていた。

他の仲間もたじろぎながら蹴り飛ばした男を見ている。

その蹴り飛ばした男というのが……。



「おい、ガルティエ!!」

「ちっ、ハートランドか……悪いが今取りこんってぇ!?」


自分から注意が逸れた一瞬の隙をついて、オルティアがガルティエを突き飛ばした。

そのまま逃げ出し、アレックスの後ろに立つシャーリーへと抱き付く。

何をされたのか、いつものオルティアからは想像もできない怯え方だった。



「ガルティエ……お前、オルティアになにしてる? いや、なにをした!?」

「残念ながらまだ何もしちゃいねぇよ。もうちょい遅けりゃ、俺の女にしてやったんだがな……」



「胸……触られた……あんなやつに……あんなやつに…………」



「てめぇ!?」

「お止めなさい、アレックス!」

「でもよ……」

「こんな頭の足りない輩の安い挑発に乗ることはありません」

「何だと!?」


「あなたに一つ教えて差し上げます」


オルティアを背に庇いながらシャーリーがガルティエをキッと睨み付けた。

そして一歩踏み出す。



「女性の胸は好きな殿方の為にあるのであって、あなたのような野蛮人がおいそれと触れていいものではありません。覚えておきなさい!」


「言ってくれるじゃねぇか、コンラットさんよ」

「それ以上、臭い息を近付けないように。私は公衆の面前でも容赦なくASを起動させます。大事になって困るのはあなたの方ですよ」

「先にAS起動させりゃ、いくら後ろ楯があったってこっちは正当防衛だと思うがね?」

「相変わらず頭が足りませんね……」

「何だと!?」

「吠える前に上をご覧なさい」



シャーリーに指摘されガルティエが通路の上を見る、そしてドキリとした。

監視カメラがあったのだ。



「一部始終を防犯カメラが録画しています。あなたがオルティアに行った野蛮な行為もね。正当防衛はこちら。そしてトリニティー・クラウンでは校外でも規律正しい行動を義務付けられています。事が公になれば除隊はもちろん、ガルティエ家のASも取り上げられるでしょうね。分かったらこの場を去りなさい。そしてオルティアには金輪際関わらない事。それを条件に今あった事は不問に付しましょう」



ちっと舌打ちしたガルティエが部下達に顎をしゃくる。

この場は引くしかなかった。

だが腹の虫が収まらなかったのだろう。

ガルティエはシャーリーの横でピタッと立ち止まった。そして、



「覚えとけよ、コンラット……」

「たいへん不愉快ですが、あなたのように下衆な顔は忘れたくても忘れられませんのでご心配なく」

「言ってろ……」


ふんと鼻息を吐いてガルティエがその場を去っていく。

これで当面の危機は去った。




「大丈夫ですか、オルティア?」

「うん……ありがと、シャーリー……アレックスも…………」

「気にすんな」



まだ恐怖が去らないのだろう。

オルティアは震えながら礼を言うのが精一杯なようだった。そこに、



「オルティアッ!!」



シャーリーから連絡を受けていたのだろう。クリスが駆け込んできた。

その顔を見た瞬間、



「クリスッ!!」



オルティアがクリスに駆け出す。

クリスの胸に抱きついてふるふると震える。

尋常ではない怯えかただった。



「いったい何が……?」

「まぁ、人も集まってきた。とりあえず買い物は終わりだろ?移動しながら話すよ」


そう言ってアレックスは先に立って歩きだすのだった。







「落ち着いたか?」


クリスが尋ねるとオルティアはクリスの胸に顔を埋めたままふるふると頭を振った。

そのまま無言でクリスに身をよせてくる。

そんなオルティアの頭をクリスは優しく撫で続けた。


自宅のベッドの中。

既に部屋の中には夜の戸張が降りている。



アレックスに事の経緯を聞き、帰宅するなりオルティアは突然服を脱ぎ捨てた。

そのまま風呂場に駆け込んで頭からシャワーを浴びる。

ガルティエに触られたところを消毒したかったのだろう。

そしてシャワーから出てくるとクリスの服をちょんと摘まみ、目にいっぱい涙を溜めながら「慰めて……」とベッドに誘ったのだった。



「オルティア、そろそろ腹減ったろ? 今日は俺が晩飯作ってやるよ」


ピクンッ!と反応したオルティアがのろのろと顔をだしてクリスを見上げる。


「クリス……料理できるの?」

「食器も鍋もないからコンビニで済ませてただけさ。オルティアほどじゃないけど、ちゃんと作れるよ」

「ホント……?」

「本当だ。だから任せろ。オルティアは寝てていいぞ」

「……うん」



クリスが毛布にくるまるオルティアの頭をポンと撫でた。

そのまま部屋を後にする。



〈クリス……優しいな……〉


そんなクリスをオルティアが元気のない笑顔で見送る。


慰めてと言ったら、クリスはなにも言わずに抱き上げ、そっとベッドに運んでくれた。


クリスに抱きつき、両足の腿でクリスの足を挟んですりすりと擦りつけた。ガルティエが足を差し入れたからだ。

するとクリスはそっと抱き寄せてくれた。


クリスの手を取り、左の胸にすっと誘った。ガルティエが掴んだからだ。

するとクリスは下からそっと乳房を持ち上げ、手のひらを優しくあてがってくれた。


クリスの顔をじっと見つめると、優しく引き寄せてキスしてくれた。


キスを終え、クリスの胸に顔を埋めてからは、クリスはずっと抱き続けてくれた。

何も言わずに……オルティアを守るかのように……いつまでもいつまでも……。



〈楽しい一日だったのに……あいつのせいで全部台無し……〉



枕を引き寄せ、毛布に潜り込んでぎゅっと目を瞑る。

二年前……機乗者登録した頃から、あいつは絡んできた。

家柄を盾に威張り散らし、自分がいかにも偉い人間であるかのように振る舞う。

取り巻きを常に侍らしながら此方を威嚇し、隙あらば身体を触ってくる。

さすがに今日のようにあからさまな事は無かったが、クリスと付き合い始めた今、もうどうなるか分からない。



〈何が先に目をつけたよ……気持ち悪い。私はクリスのものよ……〉



枕に抱きつきながらクリスの笑顔を思い描く。

ガルティエを頭から追いやる。

そっと撫でてくれた胸の余韻を感じながらキスの感触を思い出す。腿を擦り合わせる。



〈クリス……〉



枕に顔を埋めるとクリスの匂いがした。

陽だまりの草原のようないい匂い。

クリスが側にいるようで心が落ち着く。

もう……このままずっと、布団から出たくない……。

そんな事を考えた時だった。



「オルティア、できたぞ~!」

「はやっ!? 」


驚いたオルティアがベッドにガバッ!と飛び起きた。

作ってくるとベッドを離れてからまだ十分しか経ってなかったのだ。



「え……? もうできたの? ホントに?」

「ま、簡単な料理だけどな」



と言いつつも自信があるのか、クリスがニマリと笑っている。

沈み込んでいたのも忘れ、つい興味を引かれて起き上がる。

そしてリビングに行くと……テーブルにはおかずが二品とスープ(乾燥わかめとコンソメスープの素が入ったカップ)、それにチンした冷凍ご飯が……。



「料理って……これ?」

「ああ。どうだ?ちょっとしたもんだろ?」

「冷蔵庫にあったサラダチキン暖めて、長葱刻んで、生姜のチューブうにょんて絞って、醤油とお酢と胡麻油掛けただけよね? 」

「あれ? 良く分かるな」

「こっちは……ザク切りしたキャベツに醤油と塩と胡椒、それとこれまた胡麻油?」

「本当はもやし使ってナムルにしようと思ったんだけど、なかったからキャベツで代用した」

「なら……すりおろしニンニクが抜けてない?」

「あっ!? ……それは、あれだ……お好みで?」



「ふふ……ふふふ…………」



「なんだよ、笑う事ないだろ?」

「だって……これが料理って言い切るクリスが可笑しくて……」

「どーせ俺にはこれが限界だよ」

「もし冷蔵庫にもやしがあったら、生でナムル作ってそうね」

「え……?もやしって生で食えないの?」



「やだっ!? もう、うふふふふふ…………ッ!!」



「そ、そこまで盛大に笑うことないだろ」

「だって……ふふ……ごめんごめん。でも……」



そこでオルティアは笑いを納め、大きく息を吸い込むとにっこり笑った。



「おかげで元気でた。ありがと、クリス」



そう言って笑うオルティアの顔は、いつもの明るいオルティアだった。







翌朝。

なんとか元気を取り戻したオルティアが、いつものように朝食を作ってくれた。

それを腹いっぱい食べ、二人並んで登校する。


ガルティエがいるからだろう。

少し怯えた表情を見せるオルティアを庇うように歩き、無事教室の前まで来たところで突然クリスが立ち止まった。



「どうしたの?」

「ちょっと用事思い出したわ。これ、よろしく」



そう言ってクリスは笑いながら教材の入ったバッグをオルティアに手渡した。

そしてそのまま教室を素通りして行ってしまう。


おトイレかな?


さして気にも止めずにオルティアが教室の扉を開けると、先に来ていたシャーリーとアレックスが笑顔で迎えてくれた。







「ガルティエさん」

「あ……? 」

「う、後ろ……」

「後ろ……?」



ドカッ!!

「おあっ!?」



後ろを振り返ろうとしたガルティエが前のめりに吹っ飛び、無様な格好で床に転がった。

尻を思い切り蹴り飛ばされたのだ。



「てめぇ! 何しやがる!!」

「理由は分かってんだろ?」



今にも噛みつきそうな勢いのガルティエを、クリスが怒りを込めた目で睨み返した。







「大丈夫か?」

「うん。 昨日一日でなんとか復活した。心配かけてごめん。シャーリーもありがとね」

「えぇ、元気になってなによりです。ところで、その……クリスさんは?」

「ちょっと用事があるから先に行っててって……」


「「用事……?」」


アレックスとシャーリーが顔を見合わせる。

とてつもなく嫌な予感がしたのだ。

そしてそれは的中した。

血相を変えたクラスメートの一人が教室に駆け込む。



「大変だ!! ロンドがガルティエと喧嘩してる!!!」

「あのバカッ!?」



叫ぶと同時にアレックスが慌てて駆け出した。

オルティアとシャーリーもすぐ後に続く。

そして二つ向こうの教室、C組に足を踏み入れた途端、



ドカンッ!!



ガルティエが机を薙ぎ倒しながら吹っ飛んできた。

鼻血で顔の下半分が真っ赤に染まっている。

そしてガルティエを殴り飛ばした張本人、クリスの顔も血だらけだった。

瞼の上を切ったのか、ダラダラと血を流し、口元からも出血している。

そのクリスがゆっくりと歩きだした。

床に倒れたガルティエの胸元を掴んで引き起こす。



「女をなんだと思ってんだ! 意思も感情もある人間だぞ! それを力ずく? ふざけんな!!!」


「うるせぇ!!」

「がっ!?」


クリスの身体がふらりとよろめく。

ガルティエの頭突きをまともに食らったのだ。


「へっ、ざまぁべッ!?」


だが直ぐさまクリスが反撃した。

腹に蹴りを食らい、舌を噛んだガルティエが口を押さえながら蹲る。

それをクリスがキッと睨みつけた。



「家柄を盾に威張り散らすなんて子供か! 振り向いて欲しいなら努力しろってんだ!」


「黙れ!! 知ったような事言ってんじゃねぇ!!!」


「黙るか! 誰でも知ってるのにお前は知らないから教えてやってんだろ!」



「うるせぇつってんだ!!」



立ち上がったガルティエがクリスに掴み掛かる。

お互いに殴る蹴るの応酬を繰り返す。



「クリス……」


それをオルティアは呆然と見守った。

クリスの気に充てられて止めることが出来ないのだ。

それほどの怒りだった。

そしてそれはアレックスとシャーリーも同様だった。

いや、その場にいる誰もが動けずに呆然としている。

あのガルティエに真っ向から立ち向かい、互角以上に渡り合うクリスに近寄りがたい畏怖を感じていたのだ。

そんな時だった。



「いい加減にしろッ!!!!」



突然起こった怒声に二人の動きがピタリと止まった。

辺りがシーンと鎮まり返る。

それほどの大音声。

オルティアがそっと後ろを振り向くと、そこには物凄い形相の教官が立っていた。



「ロンド!これは何事だ、事と次第によっては除隊にするぞ!!」



教官に事情を迫られクリスが言葉に詰まる。

理由はどうあれ、自分から喧嘩を売ったのだから当然だろう。



「黙ってないで、なんとか言え!!」

「……ガルティエと組手をやってたら、つい熱くなりました。……申し訳ありません」

「組手? そんな言い訳が通るとでも思ってんのか! ガルティエ!喧嘩の原因はなんだ!」



教官に睨まれ、今度はガルティエが言葉に詰まる。

先に手を出したのはクリスの方だ。

だが、その原因は確かに自分にあった。

もしクリスやシャーリーが昨日の一件を口にしたら、それだけでガルティエ家はお終いだ。

だからガルティエとしては不本意だが、クリスに口裏を合わせるしかなかった。



「……喧嘩じゃありません。 こいつの言う通り、つい組手に熱中しました。 場所もわきまえず、申し訳ありません」



ガルティエの返事を聞いた教官が怒りを堪えるように、ふんと鼻息を漏らす。

こいつ等に聞いても埒があかないと思ったのだ。

だから後ろを振り向いた。そして、



「……おいコンラット、事実を話せ」



優等生のシャーリーを名指しして睨み付けた。

嘘は認めない。そんな顔だった。


指名されたシャーリーがクリスとガルティエをチラリと見る。

喧嘩の原因が先日の一件なのは明らかだった。

しかも、手出ししたのは間違いなくクリス。


〈まったく……〉


シャーリーが教官に悟られないよう小さく溜め息をついた。

まさかクリスがこんな短絡的な行動に出るとは思わなかったのだ。

まぁ、それだけオルティアを泣かせた事が許せなかったのだろう。

そう思うと本当の事などとても言えなかった。



「いささか非常識ですが、確かに組手でした」

「…………」



シャーリーの返事を聞いた教官が無言で周りを見回す。

誰もが口を閉ざして真実を語らない。



「分かった。お前等がそう言うなら組手なんだろう。だが…… 場所を弁えろ、ロンド!ガルティエ! お前等は今日の授業は受けさせん! 帰って謹慎だ!明日の朝一で俺の所に反省文を持って来い! 以上だ、解散!!」



教官に一礼してそのまま教室を後にするクリス。

オルティアが駆け寄ろうとしたが、クリスがスッと手を上げてそれを拒んだ。

傷の手当てもせず、その足で帰宅するつもりなのだろう。




「まったく……クリスもバカな事すんな……」


それをアレックスは呆れた顔で見送った。

エリート育成機関であるトリニティ・クラウンでは規律を重んじる。私闘は懲罰の対象だった。

教官の言うように除隊もあり得るのだ。だが、


「そうですか?」

「え……?」


なぜかシャーリーは慈しみを込めた目でクリスの背中を見ていた。

規律にうるさいシャーリーにしては珍しい。だから驚いたのだ。

それに気づいたシャーリーがアレックスを振り向いた。



「ああ言うところですよ、アレックス。あなたに足りないところは……」



そう言ってシャーリーは含みのある笑顔を浮かべるのだった。







一時間目。

近接格闘術に関する講義。

教壇に立つ教官から見えないよう、オルティアがそっと携帯端末を手にした。

そろそろクリスが自宅に帰った頃合いと見たのだ。そして、


バカ。


一言打ち込んで送信する。すると返事がすぐに返ってきた。


しかたないだろ。

バカ。


再び送信する。


オルティアに手を出したらどうなるか教えてやらないと。

バカ。


いや、違うか。やっぱムカついたからだ。

バカ。


でも、スッキリしただろ?

バカ。


…………。

無視しないでなんか言ってよバカ。

まぁ……バカかな? 除隊になるかもなんて考えてもいなかったし。とりまちょっとクラクラするから寝るわ。



「それを早く言いなさいよ、バカ!!!」



突然、オルティアが叫びながら立ち上がった。

教官を初め、クラス中の視線が一斉に集まる。



「教官!!」

「なんだ? ロンドとのメールは終わったのか?」

「はい……じゃなくて!オルティア・リース、具合が悪いので早退します!!」



有無を言わさぬ目でオルティアが教官を見つめる。

クリスの容態を聞いて居ても立ってもいられなくなったのだ。

また、それの分からぬ教官でもない。



「……まぁ、いいだろう。具合が悪いなら医務室に寄ってけ。傷薬くらい処方してくれるだろう。打ち身の薬も忘れるな」

「はい!ありがとうございます!!」



嬉々として早退するオルティアを、「ふん……」と笑いながら教官が見送る。

そして視線を前に戻すと……生徒達が全員、無言で「じーーーっ」と見ていた。



「……あぁ……まぁ、なんだ……すまんな」


自分でも依怙贔屓したと思っているのだろう。

教官が後頭部を掻きながら視線を反らした。

それを見てシャーリーがくすりと笑う。



「別に、怒ってる訳ではありません、教官」

「そうですよ。むしろ粋な計らいに感動してるんすから」



アレックスが言うと、生徒達から「そうそう……」と同意の声が起こった。

きっとクリスが怒った原因を知っているのだろう。

だから全員が全員、クリスに同情しているのだ。

そう悟った教官が「はぁ……」とため息をついた。



「なんかやる気なくなっちまったな。今日はもう自習だ。適当に教材でも見てろ。それと午後の授業だが、明日の基礎トレと入れ換える。基地外周でも走ってろ!」


「ひょーーーッ!!」

「さすが教官!!」

「すてきーーーッ!!」


「うるせぇ!誉めても何も出んぞ!コンラット、ハートランド、お前等で仕切れ。俺は先週の技能テストの評価付けでもしてる。なんかあったら職員室に来い」

「了解しました」







バンッ!!!

「うわっ!?」


突然、寝室の扉が勢いよく開き、驚いたクリスがベッドに飛び起きた。



「びっくりした……オルティ……ッ!?」


そこでクリスの言葉が途切れる。

オルティアが部屋に入るなりクリスに抱き付いてきたのだ。

声を殺して泣いているのだろう。抱いた肩がふるふると震えている。



「こんなに顔腫らして……バカ……」


「ごめん……オルティアを泣かせたのが、どうしても許せなかったんだ……なのにまた泣かせて……ホント、バカだな俺……」



謝罪しながらオルティアのさらさらの髪を撫でる。

するとそれから逃れるようにオルティアがスッと身を離した。



「オルティア……?」

「……頭クラクラは……もう平気なの?」


クリスの頬にそっと手を添える。

甘えてる場合じゃないのを思い出したのだ。



「あぁ、ちょっと寝たら治ったと思う」

「思うじゃ安心できない。今日はもう動いちゃダメよ?じっとしてること。いいわね?」



「じゃあ、オルティアが全部してくれんの?」

「え……?」



きょとんとした顔で問い返す。

言ってる意味が分からなかったのだ。

だがクリスのからかうような顔を見て気づいたのだろう。やがてオルティアの顔がクスッと笑顔に変わった。



「……ばか」







「クリス! オルティア!」


喧嘩騒ぎのあった翌日の朝。

コックスベースの正門を入って直ぐ、後ろから声を掛けられた。

振り向くとアレックスとシャーリーが小走りで駆けて来るところだった。



「おはようございます、クリスさん、オルティア」

「おはよ、シャーリー、アレックス」

「おはよ。昨日はその……心配かけてごめん」

「はは、気にすんな」



そう挨拶をかわして四人並んで歩きだす。

が、すぐにアレックスがクリスの顔を心配そうに覗きこんだ。

瞼と頬が見事に腫れていたのだ。



「なぁ、クリス……」

「うん?」

「お前、今日は休んだ方が良かったんじゃねぇのか? 」

「別に平気だって」



クリスはふっと一笑に付すが、正直その顔で暗がりに立ってたら相手が腰を抜かすレベルだった。



「なぁ、オルティア……こんなこと言ってるけどよ、本当に平気なのか?」

「うん? へーきじゃない?身体の方は意外と元気みたいだったし」


そう言ってオルティアがクスッと笑う。



「ふーん……ならいいけどよ……」

「それに、もし俺が休んでガルティエが来てみろ、なんだか負けたみたいじゃないか」


ああ……。

なるほど。


アレックスとシャーリーが妙に納得した表情を浮かべる。

要はやせ我慢しているのだ。

まぁ、オルティアがさして心配していないところを見ると、酷いのは顔だけで身体の方は本当に平気なのだろう。



「とりあえず、クリスさんは職員室ですよね?」

「ああ、朝一って言われてるし……反省文提出しないと授業受けさせて貰えそうにないしな」

「では私が鞄を持ちますので、アレックスとオルティアは付き添いを……」

「分かった」

「別に子供じゃないんだ。一人で平気だよ」



まるっきりの子供扱いにクリスが苦笑いを浮かべる。

だがシャーリーは引かなかった。

むしろ心配そうな顔でクリスを見つめた。



「クリスさんは知らないでしょうけど、彼 (ガルティエのこと)は些かしつこい性格です。自分は手を出さずに、取り巻きに命令して何やら企むかも知れません。校内とはいえ、念には念を入れた方がよろしいかと……」

「そうか? 考え過ぎだと思うけど……?」

「言ったでしょう?念には念です。ではアレックス、頼みましたよ?」

「ああ」



シャーリーと別れ、三人が職員室へと向かう。

いつもとは違う階段を登り、そして通路を曲がると……、



「ガルティエ!?」


ガルティエが職員室の扉を開けて出てきたところだった。

オルティアがサッとクリスの後ろに隠れる。

アレックスも何かあればすぐさま動けるよう身構えた。



「大丈夫だよ」



だが、そんな二人とは裏腹にクリスは全く警戒していなかった。

常の足取りでガルティエに近づいていく。

そしてそれはガルティエも同様だった。

一瞬立ち止まったものの、クリスが歩き出すと、何事もなかったように歩きだしたのだ。そして、



「へっ……ひでぇ顔だな、ロンド」

「老人みたいな動きしてて何言ってんだ」

「ふん。言ってろ」

「そっちこそな」



互いににまりと笑って何事もなく別れる。

それどころか、オルティアとすれ違う瞬間、「悪かったな……」と小声で囁いて行くではないか。



「ねぇ、アレックス……」

「なんだ?」

「男って……殴り合うと和解して仲良くなるってホントなの?」

「さぁな?」


何故かいまいち納得いかないオルティアだった。

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