#10 追憶のきのう
「素敵ね」
本を閉じて、ナユナは吐息を零すように感想を口にした。
風渡る丘の上、柔らかに木洩れ日が落ちる白いベンチにナユナとコヨは座っていた。その耳は氏族に伝わる色彩で装飾され、コヨは鮮やかな虹色、ナユナは華やかな春色だ。
「ありがとう。ほとんどの人は映像を楽しむだけで、冒険記まではあまり読んでもらえないんだけど」
「わたしはこっちのほうが好き。遠い世界の片隅で誰かが見上げた空の色を、こころの中に感じられるから」
「いつかきみと一緒に行けたら、どんなにいいだろうに」
「仕方ないわ、長い旅に耐えられないこの体もわたしのもの。先天性のものだって先生はおっしゃってるわ。あなたのお話を聞いて、読んで、誰かの故郷に想いを預けるだけでじゅうぶん」
もう暖かい季節なのにナユナは重ね着をしている。風がいたずらした膝掛けをコヨは直してあげる
「この広い宇宙、どこかにはきみの体を元気にしてくれる術があるはず。僕が旅を続ける理由はただそれだけ。いつかきっと持ち帰ってくるから……待っていてほしい」
「うん、待ってる」
❖
レースのカーテンが揺れる部屋でナユナは眠っていた。
かすかに聞こえる寝息はいつもと変わらない。よい夢を願ってまどろみ、爽やかな朝に目覚めるものだ。しかしナユナはもう三日間、眠ったままだった。
スツールに座ったコヨはうなだれていた。
ふとナユナは唇をかすかに震わせた。けれども何も聞こえないし、ナユナは目覚めない。コヨは立ち上がって病室を出た。
(医者は原因すらわからないという。理由がわからなければ処置を施しようもない……)
療養所を抱く丘の上、木洩れ日が踊る白いベンチに座ってコヨは苦悶の表情で呻いた。そこへ、不意に黒い霧が渦巻いたかと想えば、黒いローブをまとってフードと仮面で顔を隠した男が現れた。
(依り代に憑依しているだけ……)コヨは落ち着いている。「何者だ?」
「珠兎と名乗って置こうか」
「その珠兎が何の用だ?」
「この炎が紅く燃え上がるとき、お前の想い人は目覚めるであろう」
仮面の男は懐から石を取り出した。黒曜石のような、それでいてずっと透明な石だ。その内にかすかな炎が燃えている。
(取引か。何者だ? 何が目的だ? この男はナユナのことを知っている。ならばそもそもこの男ははじめから関与しているし、原因そのものだ。そんな者と取引だと? しかしほかに選択肢はあるか? 駆け引きは……時間の無駄だ)
「その言質を示せ」
「くくく……、噂どおりに話が早いな。これには古のユーグネアが施されている。覚えは無いか? もともとはお前たちサヌラに伝わる物だ」
(禁じられたユーグネア……か。確かに聞いたことはある)
「ではなぜそれを我が持っているのか、我は何者か。それはこれが示すであろう」
「大仰な物言いに、そして時代錯誤の骨董品か」
男の腕には古めかしい腕輪がはまっていた。身分証の一種だが、実際には形に意味はない。コヨは通信機を腕輪にかざして表示された情報を見た。
「なるほど。その首飾りを持っていることも持ち出せることも道理にかなっている。身分証の実体にも疑いはない。条件を聞こうか」
「口の利き方には気をつけるがいい」
「サヌラの民は誰にもおもねらない」
「よい度胸だ。我がお前に求めるのは結果だけだ。これより示す場所へ赴き、指定した地点に境の礎をなせ」
「境?」
「お前に求めるのは結果だけだといったであろう?」
「……」
「そういうことだ。お前はその時に放たれる力を集めればよい」
「……わかった」




