#8 戸惑い
ルクフェネは民家の屋根の上に降り立った。すぐに指先で別の何かを虚空に描く。文字と文字を組み合わせた複雑な紋様だ。
(いま火と鋼の力を解き放つ、ロクティーレ)
不思議な幾何学模様で装飾された重火器が右腕に実体化する。六つの砲身を束ねたガトリング銃だ。ルクフェネはそれを軽々と持ち上げ、いまだ土煙の中で見えない敵に照準を合わせた。
「こころに浮かんだ曖昧な願いを言葉というかたちに託して指先で空に描く。それをそのままに幾度も幾度も繰り返す。やがて力の宿った軌跡がユクルユフェーア」
グレイルはまるで何事もなかったかのように反撃してくる。ルクフェネもルクフェネでそれが当然のように躱し受け流す。
「言葉が長く絡み合って複雑で、でも美しくきららかで雅びやかなほど出来上がったユクルユフェーアは強い。そして繰り返し繰り返し同じ軌跡をたどるほど、幾重にも幾重にも強くなっていく。素早く正確に再現できるほど、こころは鮮やかに応えてくれる。ユクルユフェーアを操る者がアルテリウア・ユーヴェ、あるいは単にアルテリウア」
「『強き熱き力よ、我が身に宿れ』と『いま火と鋼の力を解き放つ』、どちらも原セヴァ語の言葉を組み合わせたもの……?」
「そう(……なんだけど)」
圭がいうようにルクフェネが描く軌跡は原セヴァ語の言葉を組み合わせたものだ。しかし原セヴァ語の文字はいわゆる『崩し』が激しく、まして空中に指先でたどったものなど初見で読める代物ではない。
(どうしてはじめて見たのに読めるのかな……)
半分あきれてツッコミ混じりに思い悩む。とはいえ、いま考えたところで何もわからないから諦めるしかない。
「どんなに複雑で、どんなに長く美しい軌跡であったとしても、想いがこもっていなければ意味がないから、だから言葉を編み、そして軌跡をつなぐの。わたしは原セヴァ語の言葉を選んだ。古い文字はその年月の分だけ想いを強く受け止めてくれるから——」
無数の光弾が飛んでくる。さらにその弾幕にまぎれてクロスボウの矢が高速に向かってくる——が、もとの場所にはもうルクフェネはいない。矢が貫いたのはその幻だ。
戸惑うグレイルを、背後に回り込んだルクフェネは蹴り飛ばした。
(そういえば、どうしてあのとき『ついてきて!』なんていったんだろ……?)
ふとルクフェネは不可思議に思う。
防衛局補佐の職務は事務作業全般だ。書記と呼んでもいい。だから連れてくる必要なんてなかった。
そもそも一人のほうが動きやすいし、足手まといなんてまっぴらだ。
たった一人の防衛局勤務、できないことはあるかもしれない。けれどもそれは自分の責任であって自分の力で乗り越えればいいだけ。実際ずっとそうしてきたし、これからもできるはず——そのはずだ。
(でも、いまわたしはまるで教え導くかのように圭に知識を与えている。どうしてだろう……?)
考えてもわからない。
「定式化されたユクルユフェーアが〝ユーグネア〟。ユーグネアは体系化されているから、たいていのアルテリウアはすでにあるものをそのまま、あるいはアレンジして使用する。でも一部のアルテリウアは何も無いところから自分だけのユーグネアを紡ぐ。
中途半端なオリジナルなら既製品のほうがマシ。既製品は既製品で繰り返し使われきた実績があるから。だけど完成されたオリジナルは圧倒的に強い。なによりも使い手の想いがこもっているから。それに、本人がいちばん描きやすいかたちになっているから敵に悟られることはまずないし、誰かに真似されることもない——」
ルクフェネは新たな紋様を指先で描いた。
(すべてを分かつ光の刃、フォンティニーレ)
左手に巨大な剣が実体化する。ロクティーレと同じように不思議な幾何学模様で装飾された大剣だ。ルクフェネはそれを軽々と持ち上げて相手との間合いを探る。




