#4 ぐうの音も出ない
ルクフェネが戻ると、夕暮れのオフィスは薄暗かった。ドア近くのスイッチに触れて電気をつける。圭はタブレット端末を抱えたまま眠っていた。
(けっきょく途中で諦めたってことね)
それ以上に特段の感想もなく、そんなものだろうと思う。
気配を感じて圭は目を覚ました。すっと立ち上がって頭を下げ、タブレット端末をルクフェネに手渡す。
(いちおう解くだけは解いた……と)
ルクフェネは面倒くさそうにタブレット端末のスリープを解いた。しかし、復帰した画面の内容にその鴇羽色の双眸を見開いた。表示された翻訳結果は完璧だった。
「な……」驚いて言葉が出てこない。
「あの……。やっぱり、間違っていますか?」
(むむむ……)
間違っているどころではないし、揚げ足を取りようにも場所によっては字のままに翻訳した上で、現代的な視点ではこれこれこういう意味だ、といったような注釈まで入っている……。ぐうの音も出ないとはこういうことだ。ルクフェネは認めざるを得なかった。
「いや……まったく正しい……。一箇所も誤りはない……」
「わあ、よかったです。この七箇所なんですけど、スペルや格変化・用法が通説とは異なっていたのでどう解釈すべきか迷ったんです。やっぱりこのあたりも試されていたんですね!」
「……」
すべてルクフェネの書き誤りだった。
(さっき急に書いたんだから、仕方ないし! でも何も知らないのにどうやって……?)
ルクフェネは手首の通信機で選考方法をもう一度確認した。残りは健康診断だけだ。小箱から取り出した腕輪状のデバイスを差し出す。
「これを付けたまえ。身長・体重・視力・血圧のほか細かな身体的特徴を計測させてもらう。疾患の有無も診ることになる。よいか?」
「もちろん、構いません」
圭はソファに戻って計測器を腕にはめた。
(結果を待つまでもないかな……)
ルクフェネが見る限り相馬圭は健康そのものだ。不合格になるとは思えない。
(仕方ないか……それに……)
ひどく動揺したり、その反動で急に落ち着いたりしたせいか、いつのまにか圭に対する悪い感情は消えていた。任用してもらおうという相手であることは差し引いても、圭のルクフェネに対する言葉遣いは丁寧で態度に嫌みはない。
(最初の印象は気のせいだったのかな……?)
——と、不意に鼻先へ戻ってきた臭気にルクフェネは眉を顰めた。