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校長先生のおかげでだいぶ気持ちが軽くなったからか、馬鹿みたいに騒ぐ皇凛の話をうんざりせずに聞いたりして四時限目は過ぎて行った。
日本の授業形態と似通らせているとはいえ、授業数は少なめに設定されている分、休み時間が長い。日本の学校は授業を詰め込んでいるけど、ここではそんなことはないのでお昼休みも長めである。
約一時間ぐらいは自由なので、お気に入りのあの場所に行こうと、弁当を持って席を立つ。
「だいすけぇ~! 一緒に食べよぉ~う」
「悪い皇凛、俺は一人で食うから」
「えぇ~? またぁ~?」
そう言っていっつも一人じゃんかと、不満顔の皇凛に少し申し訳なく思う。ただ、こればっかりはしょうがないんだと自分に言い聞かせ、そそくさと教室を後にした。
まだこの世界に来たばっかりの、馴染めず苦労していた頃。この現実を受け入れられずに必死に抗っていた時に見つけたのがあの場所。ここから逃げ出したい衝動に駆られて学園を飛び出し、偶然見つけたのが今は昔の様だ。
今でこそ魔法を受け入れているが、自分の命がかかっていたこととはいえ、今まで信じてきたものが180度ひっくり返ったというショックは凄まじいものだった。簡単に喜び、受け入れられたならば楽だったかもしれないけど、そもそも魔法を夢物語の仮想だと思っていた分、自分がその只中に置かれている事実は、簡単には受け入れられなかった。
それ以来、精神安定剤のように通っていた場所だったからか、日課とまでは行かないものの安らげる場所として今では定着している。特に、今日みたいなことがあった時には、癒しを求めて行きたくなってしまうのだ。
裏門から出てすぐ目の前に広がる森の中へ、ためらいなく足を踏み入れていく。樹齢何百年ものの高く生い茂った木々の森は、俺を拒絶することなく受け入れてくれた。
生き物の鳴き声があまり聞こえないところが不気味と言えば不気味だが、大したことはない。等間隔に立ち並ぶ木々のおかげで圧迫感はないが、地面に差す光がほとんどないため仄暗い…いや、やはり不気味、か?
地面をキラキラと照らす木漏れ日とか、俺は好きなんだけどな。
道はほぼ真っ直ぐなので、迷うこともなく目的地に到着する。開けた森の中にありながら、視線の高さまで伸びた藪。その藪を抜けた向こう側には、輝く水面を湛える、透明度の高い泉。
これが、俺のお気に入りの場所・ランヴォアール湖。いつ見ても綺麗な泉である。
かつては飲み水として利用していたというのも納得の美しさなのだが、今はもう、人の踏み入らぬ場所となっている。別に入ってはいけないというお触れがあるわけではないのだが、近付く人がいなくなってしまったのだ。何故かは知らないが。
湖を一望出来る場所にたまたま倒れている倒木に腰掛け、弁当を広げる。空気も美味しいなぁと改めて感心しつつ、二段に別れた弁当を開いた。
いつも以上に凝ったおかず達が騒然と並んだお弁当箱に、思わず声が漏れてしまう。
「凄い…いつもより豪華」
頬の筋肉が緩んだのは自然な事だった。
家での料理は、料理下手なくせに作りたがる母に代わって父や俺や弟が作っている。
おかげでどんどん料理の腕は上がっていくけど、主婦である母が料理を作れないということのシワ寄せが俺達に来るっていうのは結構大変だ。特に父は、毎朝毎朝お弁当を作るために早起きしなきゃいけない始末。夜も遅くに帰って来るのに、結構な負担だ。
父自身が嫌がっていないからいいものの…えぇ、まぁ…母に任せるぐらいなら、男達で作った方がいいもので、ね…
小学生の弟まで料理上手になっている。已むに已まれずに、な。
いつもなら俺は朝早くから起きて料理の手伝いをするのだが、俺が起きてきた時にはもう既に父が弁当を作り終わっていた。一体何時から起きていたんだかと、疑問には思ったが、この豪華さを見て、少なくとも一時間以上前に起きて作っていたんだろうと推測される。
新学期を祝ってくれようとしていたのだろか。
「何を張り切ってんだか…」
有難いやら照れ臭いやらだが、有難く頂くことにした。おからの甘酢餡かけ彩野菜添えを一口頬張った直後、近くの茂みからガザゴソ音がし、体が飛び跳ねた。生き物がほとんどいないこんな森で、生き物の気配とは一体何なんだと警戒していたら…これまた可愛らしい、もふもふなウサギに小さな羽の生えたラビットフェアリーが現れる。
ウサギと言っても、あの普通のウサギではなくナキウサギのような耳の丸いものなのだが、あのもふもふ感はよく知るウサギと相違ない。フェアリーと言うくらいなのだから妖精なのだが、本来ならば警戒心も高く群れで行動しているはずなのに何故1匹なのか。
ひくひくと鼻を動かし、慎重にこちらに来ると、何故か俺の靴の上に鎮座する。どうして?
「何だお前、仲間と逸れたのか?」
当然ながら答えが返ってくるわけもないが、なんとなく聞いてみる…も、返事はない。そのまま日向ぼっこし始めたので、本格的に足が動かせなくなる。
「そこ、俺の足なんですけど…」
ひくひく鼻を動かしはするが、それ以上のリアクションはない。どうにも出来ないので、取りあえずレタスを与えてご飯を再開する。いつか居なくなるはずだと、淡い期待を込めて…
完食し終えたのだがさてどうするか、としばらく考える。寝ているのに起こしちゃうのもかわいそうだし、でも教室に戻らないといけないしと思案していると、ふと足が軽くなった。
気付けば、ラビットフェアリーは元来た道を戻って行った。
まぁ、解放されたってことでいい、か? 帰らなくちゃなぁと立ち上がった瞬間、今度は先程のラビットフェアリーの比ではないほどに茂みが揺らいだ。
もしかして、大型の獣か? さっきのラビットフェアリーが向かった方向なので、獣にでも追いかけられて戻って来てしまっているのだろうかと警戒するが、どうやら違った。
どこか物憂げな、澄んだ瞳の儚げな美青年…だと思われる人。年齢、性別共に不詳すぎて判断しかねるが、こちらの木が抜けそうなほどぼうっとしている。眠いのだろうか。
じろじろと不躾な視線を送っていたのだが、ふっとその人と視線が合うと、衝撃波のようなものが凄まじい速さで全身を駆け抜けた。な、何なんだ…?
得体の知れない感覚に、どうしたらいいのか分からない。恐怖で震えたとか、そういうものではなかったが、じゃあ何なんだと問われても答えに困る。一番しっくりくるのが、警報ということ。
身動き出来ずにいると、その人は段々と近付いてきた。足元にいたラビットフェアリーを抱え上げながら……あなたのペットだったんですか…?
暴れることなくその腕に抱かれた姿を見れば、こちらの警戒心も薄れてしまう。心地良さそうに目を閉じてすらいるのだ。危険な人だったら、妖精がそんな無防備になるわけがない。
とはいえ…
黒に近い灰色の髪と澄んだ青色の瞳と、中性的な顔立ちと半端に伸びた髪。性別を疑問視させるほどに綺麗なその人からは、危険なオーラは一切感じないのに何故か距離を置かなければいけないような、そんな居心地の悪さを感じる。悪い人ではないと、直感で分かっているのに、だ。
「ここに来ちゃ…危ないよ?」
突如そう口を開いた彼は、小首を傾げつつ更に近付いてくる。覇気のない口調なため、一気に緊張感が消えた。
まるで寝起きの様な雰囲気だなぁと思っていたら、やたらと近くまで来ていてびっくりする…って、至近距離にもほどがある。
「あの…何、ですか?」
俺に何か言いたいことでもあるのか、この顔に見覚えでもあるのか、とにかく非常に近い。戸惑いを隠しきれず尋ねると、彼はやっと離れてくれた…が。
「ここに来ちゃ…危ないよ?」
先程とまったく同じ台詞が返ってくるだけだった。
いや、行動の理由の方を聞きたかったんですけど…もう、いいです。
「そう、ですか…それはご忠告どうも」
きっと彼とはまともな会話は出来ない気がすると感じ、さっさと不思議ちゃんな彼と別れて学園に戻ろう。
失礼のないように挨拶し、背を向け歩き出した途端…
「い…でも……を…」
「え…」
風の音に掻き消された言葉が耳に届く。振り返った時にはもう、彼はいなかった。
……だから、不気味にもほどがあるんだってば!
「それはきっと、湖畔の幽霊だよ」
「馬鹿か。ちゃんと足はあったぞ」
悩みに悩んで泉での出来事を皆に話したのだが、話し終わった途端、皇凛がおかしなことを言い始める。確かに不気味って点では同じだとは言えなくもないけど、それにしてはやけに小奇麗過ぎるっていうか…いや、幽霊なんて見たことないから標準は分からないけど。
「じゃあさ、きっと魔物だったんだよ」
「魔物にラビットフェアリーが近付くわけがないだろ」
「例外のある魔物かも知れないじゃん」
「だとしても、魔物と妖精じゃあ、あまりにも対局な存在じゃないか?」
相容れることのない対局する者が共存することなんて、出来るわけがない。とは言え、魔物と妖精がどこまで対局な存在なのかというと、実は未知数なのだが。
世間一般的な判断として、そう認識されていた。
現に、その指摘に最もだと納得したのか、皇凛は唸り声を上げながら必死に他の考えを搾り出している。結局結論は出ないのか、唸るばかりだ。
答えは出そうにないんだし、もういいかと思っていたのだが、今度は蒼実が提案する。
「大人の魔法使いなんじゃないの? 大人なら、いくらでも移動手段を習得していると思うし」
「でもさぁ…だったら何で、大介がその人を怖いと思ったわけ? 大介が不穏なものを感じたってことはさ、やっぱり魔物だったんだよ」
「う~ん…僕もそこが引っかかるんだよねぇ」
二人してどんどん白熱しているのだが、当の本人の俺はもうどうでもいいと思っているのだ。気にしてもしょうがないと言って終わらせようとしたが、丁度アイガン先生が教室に入って来たので自然消滅した。
「皆、席に着け! ホームルーム始めるぞ!」
皆が着席したのを確認すると、アイガン先生は明日からの予定を話し始めた。俺の憂鬱行事第一位のアレの話を…
「よし、じゃあ明日からの行事について説明するぞ。お前達はもう二回目だから勝手は分かっていると思うが、明日はとうとう、待ちに待った歓迎祭だ! 明日より三日間、歓迎会兼交流会が行われる。一日目は新入生歓迎のダンスパーティーが講堂で、夜間は校庭内にてキャンプファイヤーが行われる。二日目は交流会として全校生徒で幻想界散策を行い、最終日の三日目は同じく交流会として全校生徒で夢現界へ行く。幻想界での行動で気をつけることはあまりないが、夢現界ではくれぐれも団体から離れないよう気をつけるんだぞ。分かったな?」
アイガン先生の問いかけに皆が浮き足立ちながら返事をする。忠告を本気で聞いているのか、いささか不安。
年中行事なわけだし、やるとは思っていたけど…やっぱり今年もやるんだな。この三日間の苦労を思うと、考えるだけで疲労が溜まるのだが。
毎年始業式の翌日から行われる恒例行事、歓迎祭。これは、ドゥルーシア学園という魔術学園の隠れ蓑的学園では行われない、つまり特別クラスのみが行う歓迎会であり交流会である。
しかも交流会というだけあって、二泊三日のお泊り付き。入学したばかりの新入生なんか、今日の夜からお泊りだ。
去年の俺がどれほど精神的に参ったことか…
ダンスパーティーやらキャンプファイヤー、幻想界散策に、社会科見学という名の夢現界散策を行うのはいいけど、拒否権行使が出来ないのはどうしてだ。俺は心の底から嫌なのに…
元は、幻想界も夢現界も一つの世界だった。だけど光神と魔王の戦いでこの世界が深く傷ついたため、傷の浅かった部分だけを分離して夢現界が出来た。
二つの世界を兄弟星とし、一方の安寧がもう一方の安寧を導けるように…というのが創世神話の末文を締めくくる言葉だ。
まぁ、そのおかげで幻想界も平和と安定の世界となれたらしい。
でも、その創世神話が本当だとして、じゃあどうして地球では太陽系が生まれた云々の論説が存在するっていうんだ? いやそもそも、どう考えても学者達の言い分の方が的を得ているというか…
俺の持ちうる限りの知識で反論するも…尽く、生命を宿す可能性のある惑星を兄弟星に選んだんだとかなんとかいって説き伏せられる。
それだと、元は一つの世界だったっていう言葉はどこに行ったんだとツッコミを入れたくなるのだが。ホント、つじつまが合っているのかいないのかよく分からない。
とにかく、片や魔法と呼ばれる魂の資質からなる術の発展、片や科学と呼ばれる元素を理解し利用する技術が発展、それがお互いの世界に作用しあって均衡を保っている、のだそうだ。
俄かには信じられない話だけど、そういうことらしい。
まぁ、そんな世界の始まりはどうでもいいとして、幻想界育ちの彼等を夢現界に連れて行くのは勘弁願いたい。去年の悪夢再来は、絶対に嫌だからな。
幻想界だけしか知らない彼等が、もう一つの世界に興味を抱かないわけもなく、それ故に気になるものを追いかけてったり質問攻めされたりで…しかも通行人には、田舎から出て来たにしてはえらく身なりも育ちもいいおぼっちゃんのような団体だと思われ、視線を集めるのだ。
思い出しただけでも嫌になる…そんなことが再び起こると分かっていて、どうして喜べようか。無理だ!
まぁ嘆いても意味はないんだけどな。ただ、あの半端ない心労は、受けた人にしか分からない。
「あぁ、それと。今日出来なかった使い魔召喚の儀式の日程についてなんだが、この歓迎祭が終わったら、後日行われることになった。因みにお前達は、俺の貴重な授業を犠牲にすることになる。心して使い魔を召喚しろよ」
とか言われても、俺には何一つ喜べる要素はないなぁと皆とは間逆な落胆を一人感じていた。
皆のふざけたような生返事は聞こえていたが、俺には彼等のようにおふざけできるほどの余力もない。そんな笑いの絶えない教室内に、ホームルーム終了の鐘の音が鳴り響く。