弐拾陸
何かあれば、スヴェンを呼べばいいというのは分かる。ただ、前に使い魔召喚の儀式の際に、スヴェンも誰かに狙われていると言っていた。その言葉が本当なら、簡単に彼を呼ぶべきではないだろう。しかし、今日みたいなことがあった場合、どうすればいいのか。
考えている間に校長先生が手のひらを掲げ、そこに何処からともなくやって来た滴型の記憶が乗った。その滴は、禍々しい色をしている。まるで、邪気を放っているかの如く……
「この学園が出来る際に、神族より提案されたのがこの記憶方法なんだ。文字での記録も大事だけど、記憶と違って曖昧になるからね。確実な記録として残すために、この部屋を作ったのだよ」
出来事を風化させないために、と校長先生。確かに、映像ほどの物的証拠はない。それは昨今、夢現界でも言われていることだった。犯罪に巻き込まれた際の映像証拠が何よりも力になる、と。
まさかそれをそんな大昔からやっているのかと驚かされる。これはもう、夢現界の常識をこの世界に当て嵌めちゃ駄目なレベルなのだろう。最先端は常にここにある。
それにしても、その手の中の記憶は一体何が映っているのだろう。他のものと比べて真っ黒で、滴の外側にまで闇が迫っているかのようだ。
「そしてこれが、アシュリー殿下の事件の際の精霊達の記憶だよ」
「!?」
なんだって!? アシュリー殿下のってことは、『魔神の后土』のことだろうか。それを俺に見せるということ?
しかし校長先生はそれを再び手放してしまい、広大な空間の中に消えてしまった。
ん? まさか見せびらかしただけ、なわけはないよな?
「あれには、何も記憶されていないのだよ」
「え? じゃあなんで」
「精霊達が、非協力的になる時がある。その法則は分からないが、少なくとも何かに怯えて協力を拒むようだ。あの黒い記憶も、真っ黒に塗りつぶされたまま我々の元にある。それは、150年前のあの時と同じだ」
150年前というと、確かアシュリー殿下がヴァンパイア族に来る少し前だ。魔法族と魔族との戦いが終息へと向かい始めたのもそのあたりであり、むしろアシュリー殿下の臣下であるジョナサンさんの弟さんの失踪事件があった頃ではなかったか?
ちょっと待てよ? 確か、失踪事件自体は度々起きていたはずだ。それも500年前から。もしかするとすべて……
「察しのいい君ならば、もう分かっているだろうね。そう、この500年もの間、失踪事件時の記憶は一つもない。精霊達の恐怖心だけが、闇という形で記憶されていくばかりなのだよ」
ならば、だ。もしかして『魔神の后土』に書かれた文面の記憶も、俺がコールディオンから落ちた記憶もない、ということだろうか? 更に言えば『潤しの源泉』消失時の記憶すらも? 大樹の一件も?
校長先生の頭上に、いくつもの記憶が集まってくる。しかしどれもが、禍々しく闇を放っていた。
「俺の身の回りで起きていることの記憶もない?」
「そうだよ」
精霊達が、何かに怯えて語らないのはすべて、契約主を守るため。じゃあ、俺のことを語らないのも契約主を失うことへの恐怖に他ならない。でも彼等は確実に、俺の身に起きていることを知っていたはずだ。それでも尚、語れないほどの”何か”があるということ。
『潤しの源泉』で門が消失した際、水の精霊に助けられた。彼等は彼等なりに、出来うる限りの手助けをしてくれたわけだ。もしかしたら、俺が崖から落ちた時も何かしてくれていたのだろうか?
だとして、何故彼等は何かに怯えて語らない代わりに俺を助けてくれるのだろう。契約主を守るために語らないのは分かるが、契約していない俺を助ける意味が分からない。
俺もまた、何故彼等を助けることが出来るのか。闇属性でありながら、何故他の精霊達を救えるのか?
俺は一体、何者なんだ。
いつもその疑問で終わってしまう。答えが見えず、いつも行き詰まる。自問することもあれば、人から問われることもある。何者なのか、と。
俺には、何故か他の精霊を救える力が備わっている。もしかして、俺にはタイタンみたいな無属性要素があるということだろうか。属性全ての力を有している、或いはどれでもないという力が。
「俺は、『業火の洗礼』をやり直した方がいいんでしょうか?」
『業火の洗礼』は、魔力の選定と精霊との盟約を交わす門だ。当然、新入生は皆そこへ行って自分の属性を知る。属性に合わせた練習をするためにも必要な選定の一つなのだが、もし万が一俺の属性が間違っていたのなら合点がいく気がした。しかし正蔵さんは、首を振る。
「その必要はないよ。君は、間違いなく闇属性だからね」
「ですが、それだと納得できないようなことが起きていますよね?」
「だからこそ、君にはこれを見てもらいたいのだよ」
そう言って校長先生が見せて来たのは淡い水色の光を放つ記憶。てっきり、見てもらいたいものというのがあの黒い記憶達のことなのかと思っていたのだが、どうやら違うらしい。
それは校長先生の手の中で弾け、辺り一帯を白い霧で覆いつくす。先程まで居た場所とは明らかに空気感が違う場所にいた。正確には、記憶の中に居るのかもしれない。
妙な既視感だなと思っていたら、それは今日の出来事だった。大樹の森での出来事の一幕。枯れた大樹の前にしゃがみ込んで大樹に手を突っ込む俺と、離れたところにいる銀髪の女性。
まさか、この場面を記憶で見ることになるとは。
「この方は恐らく、神族だろうね」
「え!? 神族ですか!?」
隣に立っていた校長先生の言葉に絶句する。長年謎とされていた神族の方だったのか。
あの時、時間が止まっていたと解釈した俺の見解は正しかったのか、俺と女性以外は静止した状態で止まっている。まさかその場面をこうして客観的に見られるとは思わなかった。
ただ、何故か俺達の会話だけは記憶されていない。彼女が何か言っているということと、それにより俺が大樹を助けようとしていることしか分からなかった。
会話が記憶されないものなのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
「会話が聞こえないことは今までなかったのだけど、何故かなくてね。それに、大樹の森での出来事は、森が枯れ果てた原因と森の復活後の部分がないのだよ」
「じゃあ、何故大樹が枯れたのかは分からないんですね」
「そうだよ。そして、その後現れたという黒髪の女性のことも分からなくてね」
神族の女性のことは精霊達は教えてくれたのに、あの黒髪の女性のことは教えてくれなかったのか。まぁ、明らかに桁違いの魔力を持っていたけども、まさか語ることも恐れるほどのことだったとは。
相手が悪魔だから? それとも他の要因があるのだろうか。例えば、あの時あの女性が臨戦態勢だった理由が関係している、とか。
俺達に対して殺気を放っていた感じではなかったが、確実に戦う気満々だった。それが精霊達が怯える理由と関係していたとしたら、その部分の記憶がないことに納得する。
彼女に対して怯えたのではなく、他の何かに怯えた可能性があるということだ。勿論、彼女自身に怯えた可能性も排除できないが。
ある程度シュレンセ先生から聞いていたのか、校長先生は黒髪の女性のことを知っていた。精霊達の記憶がなくても、シュレンセ先生の記憶があるから補足されている感があるが、そこに俺の記憶も必要なのではないか?
「あの、俺の記憶も保存できるんですか?」
「出来ないことはないが、やめておいた方がいいだろうね」
「どうしてですか?」
「君はまだ若いからね。それに、前世の記憶や過去の記憶、予知などが混在しているだろう? 記憶を整理することが上手く出来ない状態でこれに記憶しておくのは、心身ともに負担がかかるからね」
断片的な記憶を残しておくことに適さないのか、あるいは成長期だからやめた方がいいということだろうか。だけど、これだけのことが今起こっているのに、その時になったら忘れてしまうんじゃないかと不安になる。
とは言え、やめた方がいいと言うのだからそうなのだろうし、忘れないように何かに書いておくしかなさそうだ。記憶力はいい方だから、メモでも取っておけば何とかなるかもしれない。
って、記憶力がいい割にスヴェンとの出会いをすっかり忘れていたけどな……ん? 何かもう一つ忘れている気がする。




