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授業時間も迫ってるのに、一体いつまで続ける気なのか。さすがに付き合いきれないと、隙を見て皇凛の拘束から脱出する。
汚れたローブを叩き、教科書を抱え直してから彼等に忠告。
「もうすぐ授業が始まりますよ、李先輩。それから皇凛、まだ続けるつもりなら、俺達先に行くからな」
「あ、後もうちょっとだけ! すぐ終わるから!」
すぐ終わる? なんか、嫌な予感がするなぁ。
ごそごそと、ローブを漁ってはあの強烈毒色悪臭ビンを取り出す皇凛。何のためにそれが出て来たのかなんて、あえて語るまでもない。
李先輩の目の前にかざされた、禍々しいもの。しっかり蓋をされているため匂いはそれほどきつくはないが、やはり匂うものは匂うわけで…つらい。離れているのにそう思うんだから、鼻先に翳されている李先輩は一溜まりもないだろう。
現に、笑顔が引きつっているし…
「えぇ~っと…これは一体、何かな?」
「これ? これはねぇ~…飛鳴のために作ったの」
はい、嘘。今朝俺で実験しようとしたやつです。元から李先輩に試すためだった可能性はあるけど…
「あの薬のせいで飛鳴がまだ辛そうなら、苦痛を和らげる薬を作らなきゃと思って作ったんだけど…でも、もういらないかぁ…」
せっかく作ったのに無駄になっちゃったね…と言わんばかりに落ち込んで見せる皇凛。その小悪魔の演技は李先輩を騙すには充分だったようで、ビンをしまおうとする寸でで、先輩はそれを制止する。
「ま、待って皇凛! そんなことないよ。ありがとう!」
飛鳴のために作った…という言葉がリピート再生されているであろう李先輩の感激の笑みに、恋は盲目とかいうそれすらも超越した何かを見た気がした。皇凛は本当にいい子だね、優しい子だね、と訴える李先輩のオーラ…皇凛にもし本当にそういう一面があったのだとしたら、決して貴方を実験台になんかしないと思いますけどね。
好きだから自分を見てほしいとか、好きだからいじめるんだとか、そういうレベルを遥かに超えたドSっぷり。そんな本性を優しさだと勘違いする可哀相な李先輩の桁違いな勘違いぶりもまた、かなりのレベルで恐ろしい。
てことで、怖い者同士似た者同士で仲良くやったらいいんじゃないですかね? で、置いてくこと決定。
教室に着いた早々、出入り口付近を占拠した俺達は、俺とシャオファンと、後から追いついて来た皇凛で一班、蒼実とロイドと純一で一班に分かれて席に着く。
にしても……今から行われる授業は、ちゃんと授業として成立するものになるのだろうか。実に、心配である。
俺の不安とは裏腹に、今か今かと皆は待ち遠しそうにしているわけだが、今朝あんなことがあったばかりなのによく楽しそうに出来るなぁと思わざるを得ない。
ざわつく教室内に、始業の鐘が鳴り響く。途端、隣の部屋とを繋ぐ扉が盛大な音と共に勢いよく開き、そこから宝塚的仕草でご登場。
「やぁ、諸君! 見目麗しいこのヴァンパイア貴族のヴァン・アルスター様が、君達の凡庸なるその頭に、崇高にして高尚な知識を分け与えてしんぜよう!」
暑苦しい人なぁ、もう。皆も、リアクション出来ずにただただ硬直するばかり。それを何と勘違いしたのか、一人優越感に浸っているアルスター先生。
あなたはホント、例えようのないレベルで凄いですね。
誰もがどうしたらいいのか分からない…と困惑する中で、自分に酔いしれ俺達を置き去りにしていく先生。それでいいのか、一応教師だろ?
皆の困惑を受けつつ彼は尚も暴走し、自らを賞賛する言葉を並べ立て続け…この苦行はいつ終わるんだ? 授業はどうなるの、という皆の不安が最高潮に高まったその時、勇気ある若者が一人、挙手をして…って、シャオファン!?
「あ、あの…アルスター先生…授業、を始めなくて…いいん、でしょうか?」
人見知りの激しいあのシャオファンが、驚くべき勇敢な姿でもって直談判。それにはさすがに皆も、どよめきと共に一挙に視線を向けてきてしまうことになる。それに気付いたシャオファンは、視線を受けてビクビクプルプルと羞恥心から震える。
今にも泣き出しそうなシャオファンに着席を促すが、その直後教室内の変化に気付いたらしいアルスター先生は、渦中の人物に気が付く。
「おや? 君は確か…」
「あ…パク・シャオファンと、言います。あの…父が、お世話に、なって…」
「パクとな? では君は、パク・シェンフェの息子なのかい?」
「はい…」
何だと? シャオファンのお父さんとアルスター先生って、知り合いなのか? 先生の口ぶりから、シャオファンのお父さんとは面識があると窺えるのだが…
あぁ、だから講堂でのアルスター先生の言動の話の時、ヴァンパイア貴族について何やら知っている風な口ぶりだったのか。てことは、アルスター先生以外のヴァンパイア貴族とお知り合いなんだろうか。
「いやはやそうかい、何たる偶然! まさか、シェンフェの息子を受け持つことになろうとは、思いも寄らなかったよ! 彼はとても優秀な錬金術師でねぇ。蓮見政信と肩を並べるほどの優秀な人物なのだよ。あぁ勿論、シュレンセ先生には遠く及ばないがね!」
はいはい、そうでしたね。だってあなた、シュレンセ先生目当てで入ったんですもんね。
しっらぁ~と呆れながら聞いていたが…ふと、今、蓮見政信と言わなかっただろうか、と反芻する。俺の記憶違いでなければ、その名は確か、蒼実のお父さんと同じはず…
しかも錬金術師ということは、間違いなく蒼実のお父さんのことなのでは? そう思ったのは蒼実もだったようで、席を立ってアルスター先生の演説ばりの口上を止める質問をした。
「先生…僕の父をご存知なのですか?」
「おや? 君は誰かな?」
「蓮見蒼実と申します。蓮見政信の息子です」
「なんと! 赤の錬金術師の息子かね!」
いや驚きすぎだろう、と思わず突っ込みたくなる驚き方。オーバーリアクションな気がする。
「では君が…その歳にして光の精霊と盟約を交わしたという子なのかい?」
「はい、そうです」
あっさりと返答した蒼実に、更に目を見開き驚くアルスター先生。
光の精霊との盟約というものが、いかに他の精霊との盟約よりも重要視されていることか。本来ならば人が持ち得る力ではないとされる光や闇の魔力の中で、光の存在だけは別格に扱われているのは、圧倒的に数が少ないためだ。にもかかわらず盟約まで交わせてしまうのは、例外中の例外。しかもこの年で、だ…
驚いて当然ではあるのだが。
「そうか…まさか青の錬金術師と赤の錬金術師の息子が居ようとは、思いもしなかった。何たる偶然! 何たる運命! これはまさに、私に与えられた使命なのだ!」
どういう思考回路? 今のこの一瞬で一体どなたのお告げを聞いたかは知らないが、絶対その使命とやらはあなたが果たさねばならないものではないと思いますよ。
勝手に自分の世界に入って悦ってる人の暴走に巻き込まれたくないから口は挟まないけども…本当にこの人大丈夫?
「よいではないか、よいではないか! 君達を立派な錬金術師にしてあげようぞ!!」
「あの、僕は魔法使いになりたいんですが…」
控えめな蒼実の訂正に、先生はぴたりと高笑いを止めて、もう一度言い直す。
「よろしい。では君は魔法使いに、そして君は錬金術師に、この私が立派なマジカリストにしてあげようぞ!!」
高笑いしているところ悪いんですが、要らぬ世話だと思いますよ。というかこの人、本当に何しに来たの。俺等の存在は無視かよ、とか思うわけだが、関わりたくないので何も言うまい。
不安は尽きないが…
教室に帰ってまずやったことは、突っ伏し。精神疲労を回復させるため、全力でだらけることにした。今なら俺、死相とか出てるよ間違いなく。
疲れた姿を晒していたら、シャオファンが心配してくれた。
「大介…大丈、夫?」
「まぁ、なんとか…」
「だいすけ、死んじゃやだぁ~!!」
「痛い痛い! 本当に死ぬ!」
死んじゃやだとか言いながら、人のことプレスするなよ。お前は息の根を止めに来たのか!
思ったことは即行動な皇凛。悪気はないが、悪意がないというだけで被害がないとは言えない。大体は、迷惑の限りを尽くされる。
恨みがましく見ていたら、大人しく着席してなくちゃだよねと席に戻って行った。俺が説教でもし始めそうな顔をしていたのかもしれない。そんなつもりは更々なかったが、最小の労力で最大の効果を出したと思って今回は見逃しておこう。
程なく四時限目の選択授業は開始され、俺や皇凛や蒼実や純一は教科担任のダリアス・ヴィリウンセ校長を待った。てか、ここの学校って教師が始業のベルと共に入ってくることが本当に少ないよな。ここじゃあ、それが普通なのか?
しかし、漏れ聞こえる微かな声から判断するに、お隣はすでに授業は開始されているようなんだよなぁ…じゃあ、何故?
そもそも校長自ら授業をやるってどんな学校なんだかと思っていたら、ヴィリウンセ校長のご登場。
「やぁ、こんにちは皆。始業式早々の授業でそろそろ疲れて来た頃だろう。今日は授業はやらないから、皆リラックスしてくれて構わないよ」
と、来た早々教員席の革張り椅子に深く座って告げた…って、先生がリラックスしすぎ。
授業をやらないって言われても、今日はほとんど自習みたいな授業ばっかだったんだけどいいのだろうか。使い魔召喚の儀式は中止、薬学の授業は独壇場と、大した授業できてないよ今日。やらないんだったら帰りたいよ。
魔法術学は基本である魔法を教える授業なんだが、基本魔法に錬金術の複雑な構造式を覚える錬金術学の方が難しそうに見えて、実は魔法術学の方が大変だったりする。元々研究肌を育成するのが錬金術学の目的なのだが、魔法術学では実用的な難しい課題を出されることが多い。
構造を理解しそれを分解・構築する錬金術では失敗は成功の基だが、魔法術では失敗はタブー。それ故、試験でも一発必勝を求められるため本当に大変なのだ。
だからこそ、授業をやるならやって欲しいんだけど。
皆喜んでるし、水を差す必要もないので、これ幸いと気になっていたことを聞いてみることにする。ヴィリウンセ校長ならきっと、知っているだろうし。
「あの…ヴィリウンセ校長」
「何かな、大介くん」
「その…ラクター先生は、大丈夫でしょうか」
俺のせいで怪我を負ったラクター先生のことが、ずっと気がかりだったのだが、授業があるせいで聞けなかった。もし可能ならばと、この授業でヴィリウンセ校長に聞いてみようと思っていたのだ。
あぁそのことかと言いたげに、目を細めたヴィリウンセ校長。
「ブラックウルフに負わされた傷のことなら、既にシュレンセ先生の対応のおかげで治っているよ。安心したまえ」
治っている、と聞いて正直に安堵が込み上げてくる。あんなにも酷い怪我を負わされて死の瀬戸際だとか聞かされたら、さすがに気が気じゃなくて様子を見に走り出していただろう。
でも、やはりお見舞いくらいは行かないと…と思っていたのだが。
「すぐに処置したおかげで三時限目の授業では既に復帰していたから、そう気に病むこともないよ」
「って…三時限目で、ですか?」
「そうだよ」
一歩間違えば死ぬかもしれないあの傷を受けたのは二時限目。なのに回復って…いくらなんでも早過ぎないか?
唖然としていたら、その顔が面白かったのか、優雅な紳士の微笑みを浮かべたヴィリウンセ校長は詳しく説明してくれた。
「彼はヴァンパイアだから、吸血行為をすれば大抵の傷は治るんだよ。例え命の危険を伴う大怪我でもね。これは君も知っているだろう? 強い魔力を持つ者の血を吸血すれば、すぐにでも瀕死のヴァンパイアは蘇生できるのだと」
「はい…」
アイガン先生の授業で確か、聞いたことがある。だからヴァンパイアは、魔力の強い者を襲いたがる習性があるのだと。
ということは、今回は…?
「そう。今回はシュレンセ先生の血があったからこそ、ラクター先生は治ったということだよ。とはいえ彼等は、元々そういう意味での需要と供給を昔から行っているのだがね」
そんな市場経済みたいな言い方…
要するに、そんな心配をする必要はないよ、と慰めてくれているのだけど、需要と供給って…どうしても、引っかからずにはいられない。