弐拾肆
度々思い出していた、白昼夢の声はすべてこの時のものだったのか。
『呼べ……我が名を呼べ……いつでも傍に……我が主よ』
今度こそはっきりと聞こえてくる。そうだ。そうだった。どうして今まで忘れていたんだろう。スヴェンさんを見る度に、懐かしさを感じていたのは当然だったのに。
名前を付ける行為は、使い魔との契約の儀式。俺はあの時に、既に契約をしていたんだ。だから今まで助けてくれていたのか。
靄が晴れるように頭がすっきりして、俺がすべきことが手に取るように分かる。何をすればいいのか、何をしなければいけないのかが。
「スヴェン、俺をここから……奴の領域から解放しろ!!」
『仰せのままに』
俺の命令を受けた瞬間、視界が歪んで世界が軋み始める。ディクテリア先輩は驚いていたが、アルテミス先輩が言っていたように力の差なのかなんなのか、俺を引き止めることは出来なかったようで、悔しがっているように見えた。
辺り一帯が真っ暗な空間へと一変すると、目の前にスヴェンさんが現れる。ゆっくりとした動作で膝をつき、頭を垂れた。
「命を……主」
と仰られましても、命令することがないのですが。いや、一つあるか。元の場所に戻してほしい、かな?
「あの、元の医務室に戻りたいんですが」
「それは、命令ですか?」
「はい」
しかしスヴェンさん、一向に実行する様子はない。えぇっと……どうしたらいいの?
すると彼は、顔を上げて俺を見た。
「命じて下さい主。窺うのではなく」
「え? いやぁ……」
それはちょっと、と相手の年齢も分からないので躊躇していたら、彼は溜め息を。何故!?
というか、どうも彼の口調がおっとりしたものから変わっている気がする。きびきびしているとまではいかないが、普通の口調になっている気がするのだが。
ただ、感情の読み取れない表情なのは相変わらずだった。
「主、対等ではないのです」
「いやでも、人と精霊は対等な関係で、主従関係じゃないって聞きましたけど?」
「他の者達と一緒ではないのです。我々は」
「どういう意味です?」
使い魔との契約は、名付けで成立するわけだから。俺達の関係だったそういうことのはずでは? そう思っていたのだが、どうやらそうではないと言う。どういうこと?
「契約ではなく、盟約なので」
「あぁ……」
契約だと使い魔だが、盟約だと使い魔込みのそれ以上の契約のことだったか。ただ、それ以上というのがどういうものなのか、実際は分からないのだが。
他の属性は、盟約まで持ち込もうと思えば可能なんだよな。盟約したいって思えば割とあっさり出来てしまうのだが、闇や光の精霊との盟約は求めれば必ずできる他の属性とは違う。しかも、他の属性とは異なる盟約方法なのだということしか分からない。
そこの辺りの知識は、俺自身そこまで深く掘り下げずに適当に聞いていた気がする。どうせ学園を出たら夢現界で暮らすんだから、と思っていたから。
しかし、この空気の中で知らないです教えてください、なんて言っちゃってもいいものだろうか?
じぃっとこちらを見てくるスヴェンさん、その表情はいつもの彼のようだったが、口調は至って流暢だった。
「闇の精霊との盟約は、完全なる主従関係です。命令でなければ、従えません」
お願いでは駄目なのか。でも、命令だなんて……俺、そんな偉い立場の人間になった覚えもないし。どうしても躊躇いが出てしまう俺に、彼はそのままの姿勢で訴えかけてくる。
「主……」
いやそんな、後生ですからみたいな顔しないで。そんな縋られても困るんですけど!
しかし尚もその目で訴えかけられ、折れるしかないと察した。ただし……
「交換条件として、”主”って言うのだけはやめて」
「……ダイスケ」
よし、と心の中だけで頷く。というか、よくよく考えれば、もっと拙い口調だった時の方かもっとラフに話していたような気がするな?
「つかぬことをお聞きしますが……じゃない、聞くけど、なんで口調が変わってるんだ?」
「魔力が解放されて、安定し始めているからです。主……ダイスケの成長が、精霊である私の成長に繋がっているので」
敬語をやめる俺と主呼びをやめるスヴェンの、言い慣れるまでの葛藤が見え隠れするが、それはまぁ今は置いといて。盟約は契約と違って、俺の成長が精霊の成長と結びつくものなのか。
いやしかし、凄い変わりようだなぁ。小首傾げてこっちに来ちゃいけないと言っていたスヴェンと同一人物とは思えない。
逆に、そんな意思疎通がし辛い状態でよく俺のことを助けてくれていたなぁと感心する。おもに俺のせいではあるのだが。いやでも、あの時は魔力が安定しないからって防護壁を施されていたわけで、どうしようもなかったけど。
ふと、今のスヴェンになら聞けるのではないか、と思ってしまった。直近の出来事で、聞きたかったことを。
「一つ、聞きたいんだが」
「何でしょう」
「今、幻想界で起きていることに精霊達が沈黙しているのはなんでだ?」
精霊達に何か起きたことは間違いなのに、彼等は語らない。中には盟約まで交わしている人達だっているはずなのに、何故それでも語らないのか。
予想外の質問だったのか、スヴェンは驚いたように目を見開く。しかしすぐに、頭を垂れて答えてくれた。
「恐怖から、口を閉ざしているのです」
「恐怖?」
「精霊達にとって、全ての命が護るべき存在であり、大切なのです。だからこそ、語ることで大切な命を奪われることを恐れて何も言えないのです」
「何を語ると、奪われるんだ?」
「契約主の命です」
「!?」
精霊の契約主とはつまり、人だ。彼等は、人を守るために己の身に起きていることを語らないということか? だけど、それでは精霊達だけが痛みを負うことになるのではないか?
人と精霊は、共に手を取り合って生きて行くべきだ。昨今の夢現界での人の無謀さも、本来ならば精霊と共に手を取り合えれば変わっていたかもしれない。勿論、幻想界と違って難しいことなのは分かるが。
せめて幻想界だけでも可能なのではないか? むしろ、そうしなければいけない。
「言うべきだ。護るだけではなく、護り合うために」
対等であるべきなんだという意図で言った言葉に、スヴェンは驚いて見せた。そんな言葉を言われるとは思っていなかったのだろう。目を見開いて、俺を見ていた。
しばらくそうしていたスヴェンは、再び頭を垂れて……
「そのお言葉に、従います」
そう彼は言ったが、どう従うのだろうか。というか、俺命令したわけじゃないのに従うの? やっぱり命令口調じゃないといけないわけじゃなかったんじゃ、と疑問に思っていたら、急に暗闇の世界に光が満ちた。
急なことで目が慣れなかったが、慣れてくるとここが医務室であることに気付く。ただ、目の前にいたはずのスヴェンの姿はそこにはなかった。




