弐拾参
「僕の友人が昏睡状態なのは知ってるよね?」
「はい」
「彼はね、知りすぎたんだ。だからああするしかなかった」
「!?」
ルーゼル民族の昏睡状態にも、アルテミス先輩は関わっている、と? まさか、そんな、いくらなんでもアルテミス先輩はそんな人じゃ……
「大介、世界を救うためなんだよ。そのためならば、小さな犠牲は仕方ない」
あいつと手を組むのは嫌だけどね、とディクテリア先輩を見ながら言った。まだぶつぶつと独り言を言いながら、右手の親指の爪を噛むディクテリア先輩。
世界を救うためなんだと言いながら憂え顔をする。そこからは、言葉通りに犠牲を望んでいるようには感じられなかった。
「嘘ですね」
「え」
俺の断言に驚くアルテミス先輩。今の俺には、人の感情までも見れるらしい。先輩の纏うオーラの様なものには、後悔と苦渋が滲んでいた。
真剣に向き合う俺に先輩は苦笑を漏らし、敵わないなと言った。
「まぁ、僕の目的はあいつとは真逆の物だしね」
「どういう意味です?」
アルテミス先輩が口を開くより前に、ディクテリア先輩が再び高笑いし始めた。何に納得したのか分からないが、そうかそうかと言っている。
「あのお方への供物にすればいいのだ!!」
って、話してる間にあの人ブチギレている。魔力も上がっていた。
アレどうしたらいいんだとディクテリア先輩を見ていたら、ドアが開く音が。
「なんか危なそうだから、僕はもう行くね?」
いい笑顔でそう言って去って行こうとするアルテミス先輩。いつもの調子を取り戻すの早過ぎません!?
ちょっと、と引き留めようとする俺に、じゃあねと言って去って行く先輩。あなたはそれでいいでしょうけどね。俺はせっかく呼び寄せた魔獣騎士団置いて逃げる方が無防備で危ないから出来ないでしょうが!!
そもそも、こんなに暴れて誰も来ない状況もおかしい。よく周りを見ると、どうも空間がおかしい気がする。確かに医務室のようだが、何か違和感がある。
『空間の歪み……並行世界の狭間……』
な、なんだ!? なんか今、頭の中に声が!?
しかもこの声、聞き覚えがある。何度も何度も聞いて来た声だ。そう、例えばあの時も――
弟が病気になったばかりのこと。これからの長い病院生活のことを考えて、家族でキャンプに行った日のことだった。
あまり目を離して置けない弟に付きっ切りの両親に、ほんの少しだけ不満があった。別に弟が嫌いなわけでもなかったし、病気になる度苦しそうな弟を見ていたから守ってあげなくてはと思っていたのも事実なのだが、どうしても淋しさが込み上げて来てどうしようもなかったのだ。
少しは俺のことも見てほしいと、ちょっとだけ困らせちゃえと思って木陰に隠れて様子をこっそり見ていた。
俺がいないことにいつ気付くだろう? すぐ探しに来るかな? すぐに来てくれたら、さっき見付けた見たこともない綺麗な花を弟にプレゼントするのに、とワクワクしていた。だけど……
いくら経っても探しに来てくれない。いや恐らく、たった数分にも満たない時間だったのかもしれないが、子供には数秒でも長い時間に感じた。
その時、何かが音を立てて崩れていく気がした。諦め、という感情が芽生えたのはその時かもしれない。人に何かを期待することを止め、何事もなく普通の生活を送れさえすればいいのだという理念の根本が生まれた。
きっと、俺がいなくても大丈夫なんだ。俺も、誰もいなくても大丈夫なようにならなくちゃと感じた。
そのまま林の奥へと歩いて行くと、怪我をした子犬を見つけた。前足を怪我していて、傷口を舐めて直そうとしていた。ふと、怪我をしたところを舐めたらばい菌が入るよと父に言われたことを思い出して、子犬の頭を撫でながら言い聞かせようとする。しかし子犬は、俺を警戒して威嚇し始める。幼い俺には威嚇されている意味が分からなくて、ケガを見せてと言うのがやっとだった。
何故か子犬は、言葉が分かるみたいに威嚇を止めて、身を引くのを止める。子供にはその違和感なんて分からないから、ただ怪我を見て、リュックに入っていたペットボトルの水を傷口にかけて持っていたハンカチで止血するという、見様見真似の処置をした。子供の力で結んだハンカチはすぐ取れる。何度も何度も結び直したのを覚えている。
そんな処置でばい菌が流れるはずもないし、ハンカチも不細工になっていた。もう大丈夫だよと言いながら、雨の降り始めた山道を子犬を抱いて更に奥へと進んで行く。
道幅は狭いが、辛うじて参道の道を歩いて階段を上る。そこには、小さな祠があった。子供一人が雨宿りできるぐらいの屋根がある。
雨足は決して強くはないが、薄着の俺には耐えがたい寒さだった。ただ、子犬がいたおかげで暖を取れているといった感じだ。しかし子犬は、急に暴れたかと思うと走り出してしまう。
追いかけたかったけど、体が震えて動けない。一人にされたということがとても悲しくて、涙が出そうだったが、そんな時に誰かが近付いて来た。
『こんなところで、何をしている?』
直接、頭の中に聞こえてきているかのような声。ビックリして目の前の人を見るが、震えている俺に気付いて頭を撫でてくれる。すると不思議なことに、全く寒くなくなった上に濡れていた体が渇いていた。
「ありがと。ボク、たかさきだいすけ。きみはダレ?」
問われた人は、悲しそうに俯いた。
『名前はない。なくしてしまった……』
とても寂しそうで、その姿が自分と重なったのか、あるいは親切にしてくれたことへのお礼なのか、俺は咄嗟に言った。
『だったらボクが、つけてあげる』
何がいいだろうかと、幼い俺は考える。正直、名前を考えるなどという経験はないから難しい。だけど咄嗟に出たのだ。その名前が……
「スヴェン」
無意識の発言。”ヴェ”という発音をこの年で口に出来るわけもないのに出ていた。あまりにも自然に。当然のように。
その瞬間、目の前の人の姿が変わる。先程までの大人の姿から、青年の姿へ。
「うわぁ~すごいすごい!!」
急に若返った目の前の人に驚くよりも感動するが、何故か彼は急に口調が拙くなっていた。
『家族のところ、戻らないと』
そう言って、来た道の方を指差す目の前の人、スヴェン。だけど俺は、緩く頭を振った。その真意をどう見たのか、スヴェンは言った。
『心配して、探してる』
尚も頭を振る俺。だけどスヴェンは、言い聞かせるように更に言う。
『答えはお前の中に……強くなれ…ダイスケ』
前半は前の人の口調で、後半はスヴェンの口調。どういう意味だか分からないが、父の俺を呼ぶ声が近付いてくる。一瞬そちらに意識を向けている間に、スヴェンは姿を消していた。
そうだ。あの声だ。スヴェン、もしかして貴方は……




