弐拾弐
「――グワァーウゥ~……」
「?」
なんだ? 唸り声?
目を開けて音の方向を確認する。俺の腹の上に乗っかって、足元の方へと唸るクウィンシー。そこに居たのは……
「アルテミス先輩?」
てか、今何時だろう? 面会謝絶は解除されたのかと考えていたのだが、どうもアルテミス先輩の様子がおかしい。いつものように笑顔ではあるのだけど、どことなく雰囲気が違う気が?
「おや、まだ終わっていなかったのかい?」
カーテンで視界が遮られていた右側から、ディクテリア先輩が現れる。不思議な取り合わせだなと思った。何故なら彼等は、犬猿の仲だったはずだ。
俺と同じく闇の魔力を有したディクテリア先輩は、その不気味な言動で周りから一歩引かれている印象しかない。学園にもほとんど顔を出さないと有名だった。なのに、どうしてお二人が一緒に?
いやそれよりも、おかしなものが見えるようになったせいか、ディクテリア先輩が纏っている雰囲気が邪悪すぎる。闇属性の魔力がどうのとか、そういうもの以前の何かだ。
警戒感が増す。危険な気がしてならない。
「それにしても、そのドラゴンは邪魔だねぇ……殺そうか?」
ディクテリア先輩の悪意がこちらに向く。寝起きの頭であっても、この危機感を感じ取れないほど馬鹿ではない。
詠唱を始めたディクテリア先輩から逃げるように、クウィンシーを抱えてベッドを降り、左隣のベッドの下へ潜り込む。その瞬間、俺のいたベッドが吹っ飛んだ。
本気かよ!? いや、今は逃げないと!!
そのまま3つ4つベッドの下をしゃがみ込んだ姿勢で逃げると、やっとドアを目前にする、が。
「!?」
「ごめんね、大介」
ドアの前にアルテミス先輩が立っていた。その目が、通すつもりはないと雄弁に語っている。ただ、憂え顔だったが。
そんな顔をするくらいなら、そこを退いてほしい。だってあの人、完全に殺す気だぞ!?
「フフフッ…面白い。本当に面白いねぇ。あのヴァンパイアの次は、君だなんて」
「!?」
ヴァンパイア? それってまさか!!
「魔郷の王者……孤高の闇……」
再び詠唱を始めたディクテリア先輩に、このままでは不味いと思う。俺もやるしかない。だが、詠唱などしていたら間に合わない。どうすれば!?
頭が急に冴える。
ならば、”詠唱などしなければいい”と――
「挟撃せよ……深淵の獅子!!」
「魔獣騎士団!!」
「!?」
詠唱を省略して化身の名を呼んだ俺に驚くディクテリア先輩。彼の放った2体の黒獅子は、俺の放った屈強な獣達の姿をした5体の騎士団に撃ち伏せられる。
力の差は歴然。圧倒的だった。あまりにも一瞬に倒せてしまい、俺まで呆気に取られる。
今のは一体、何の詠唱呪文の文末だったのだろう。もはや、俺自身でも知り得ないものを自然に言えてしまうことに怖くなる。
俺はちゃんと俺自身なのか。それとも、もはや俺ではないのか?
魔獣騎士団は消えることなく、俺の目の前で身構えていた。まるで、次の攻撃にも対応するという意思表示のよう。それは、俺の意思に関係なく戦うということを意味している。
なんだこれ? どうしたらいいんだ? そもそもこの状況、一体どうなっているんだ?
ディクテリア先輩と、アルテミス先輩を交互に見る。あまり交流のないディクテリア先輩よりもこの状況を説明してくれそうなアルテミス先輩を見るが、彼はドアにもたれ掛ったまま諦めたように俺を見るだけで口を噤んでいた。
そんな時、ディクテリア先輩が急に笑い出す。
「ハハハハハッ!! なるほどなるほど? すでに目覚めかけているのか。いや、さすがに早いか? ならば……」
何かブツブツ言いだしたが、段々と聞こえなくなってくる。ただ、時間を置けば置くほどディクテリア先輩から放たれる魔力が増大するのが分かる。あの悪魔に比べたら天と地ほどとはいえ、俺からしたら脅威だ。
それにしても、何故クウィンシーがこんなに警戒しているのにカイザードやヴェルモントさんは来ないのだろう。ディクテリア先輩も、精霊や化身の名を口にしていた。失われた呪文を知っているなんて、どういうことなのか?
あらゆる疑問が尽きない。何をどう解釈すればいいのか分からなくて混乱する。どうしたら?
「大介」
アルテミス先輩が俺を呼んだ。正直、どういうことなのか分からないのにアルテミス先輩に反応していいのか迷ったが、今までの状況からして、アルテミス先輩が俺に危害を加える可能性がないと思った。勿論、そうではないと確信を持てないほど不可解な状況ではあるが。
「先輩、一体どういうことなんですか?」
「ごめんね」
「何に対してです?」
さっきから謝ってばかりだ。いいから何を考えてこんなことをしているのか話してほしい。
「君をコールディオンで、崖から落としたことだよ」
「!?」
「そして、今から君を眠らせること」
眠らせる? いや、あれは完全に殺す気ですけど!? というか、俺を崖から落としたって、あの風属性の魔法!? 確か、高等魔法の複合技だとか言っていなかったか?
あの後調べたら、高等魔法の複合技はかなり難しいのだと知った。それこそ、天賦の才の持ち主でなければ成し得ない、と。当然、学生如きが使える技ではない。
まさか、そんなわけ……
予想外のことに、何も考えられなくなる。だって、俺は本当に死を覚悟したのに。それにあの時、俺の身に起きたことの状況確認のために先生達に呼ばれた日の帰りに、二人はいがみ合っていたじゃないか?
「じゃあ、あの時二人がいがみ合っていたのは、演技?」
「それは違う。君の命を奪わないとだけしか聞かされていなかったから」
まさかマオが弾き飛ばされて君が消えるとは思わなかったと、アルテミス先輩は言った。つまり、シュレンセ先生の使い魔のマオがいるから大丈夫だろうと思っていたってこと? だとしても、あんな崖から人のこと落とすなんてどういうつもりだ?
「君を眠らせることには同意したけど、君を殺すことには同意していないよ」
「じゃあ、今ディクテリア先輩が俺に向けている魔法をどう受け止めているんですか?」
暗に、あの人俺のこと殺す気だぞと仄めかせば、頭を振ってそれを否定した。
「君は死なないと確信しているからね」
何を根拠に? あんな魔法撃たれたら、さすがに死ぬだろ?
だがアルテミス先輩は、疑心に思う俺の心情を汲み取っていた。
「潜在的な魔力量が違うからね。だからアシュリー殿下も死ななかった」
魂の封印がやっとだったみたいだから、とアルテミス先輩。いや、かなり大事のような気がしますが?
更にアルテミス先輩は、侮蔑を含んだ目でディクテリア先輩を見ながら言う。
「あいつの魔力じゃ、君達に怪我一つさせられない」
まだ何事かブツブツ言っているディクテリア先輩を軽蔑しながら、こんなことをするアルテミス先輩のことが分からない。嫌いなのに手を組んでいる意味が。
「何でこんなことをするんですか?」
魔獣騎士団の警戒網から洩れていることから見ても、敵意を向けてきていないことは明白だった。片や、俺をコールディオンで突き落とした張本人だと言う。なんで、どうしてという疑問だけが浮かんでは消える。
もしも初めから仕組んだことだったのなら、ビェーザという魔道具にも意味があったということだろうか。一体何のために? 俺の周りの状況を確認するため?
もしかして、正蔵さんが外してくれたのも意味がある、と? いや、それならばその時点でアルテミス先輩を警戒しているはずだが、そんな素振りはなかった。
人の行動を深読みしても、答えなど本人にしか分からない。こんな究極の状態でどれだけ話を聞けるか分からないが、アルテミス先輩から話を聞くしかなさそうだ。




