弐拾壱
一体何を言っていて、何を納得していたのかは分からないが、消える瞬間に一瞬だけ見えた舞い散る漆黒の羽根。人ならざる何かであることは間違いない。
あの女性がシュレンセ先生を無視してくれてよかったと心から思う。そうでなければ、シュレンセ先生に何をしたか分からない。大鎌を目視出来たのは恐らく俺だけ。シュレンセ先生も、見えていない様子だった。
他の魔法使い達に至っては、息も出来ないような魔力に充てられ気を失っている。
「大介くん、大丈夫ですか?」
「先生は?」
「私は大丈夫です。他の方達を見て来ますが、離れても問題はないですか?」
「はい」
シュレンセ先生は大丈夫だと言っていたが、その表情からは激しく体力を消耗している様子が窺える。同じ闇の魔力を有するからといって、あの魔力に充てられて普通でいられるわけはない。あれは闇かどうかの問題ではない。根本が違う。
有り得ない。普通じゃない。魔力量が未知数すぎた。その気になればすべてを滅することなど簡単にできる。そんな強さだった。
寒さのせいか、恐怖のせいか、体が震えてしまう。クウィンシーに至っては、普段肩の上に乗っているのにマントと背中の間に隠れて震えていた。そうだよな。怖かったはずだ。
あの女性は異常だ。明らかに魔族という概念では語れない。魔物とも違う。あれは恐らく……
不意に、目の前に影が差す。シュレンセ先生だろうか、と思い見上げたら……真っ白な人がいた。白髪の長髪に、表情の読み取れない真顔のイケメン。着ている服まで真っ白という彼の唯一の色と言えるのが、真っ赤な瞳。
一瞬、魔力を使っている時のヴァンパイアなのかと思ったけど、そんな素振りはない。ということは、アルビノ? なかなか瞳まで真っ赤な人は見かけないけども、存在するらしいし。
いやでもここは幻想界。元が人であるとも限らない。
彼は、俺を立たせようと両手を差し出してくる。好意を無下にもできず感謝を述べつつ立ち上がるが、それに対する彼の反応は、まるで飼い主の言葉が分からず首を傾げて見せる犬みたいだった。
その例えは案外的を得ていた。何故なら彼は、遠く山の方から聞こえたオオカミの遠吠えに反応したかと思うと、俺の目の前で真っ白なオオカミに変身したから。え、と驚いている間に、オオカミは一瞬振り返った後、森の方へと走って行った。
どういうこと?
ただ一つ思ったのは、あのオオカミが駆けて行った方向には神族が住まうアウタール山岳があるということ。まさか、あのオオカミは使者?
いや、さすがに考えすぎかぁと、頭を振る。だけど……
触れた手から感じる魔力が、神聖さを帯びている気がした。
実はさっきから、あの倒れている魔法使い達の魔力の属性が”見える”気がするのだ。辺りを見れば、木々から放たれる力が可視化されたかのように”見えて”いる。
気のせいだろうか? いや、気のせいだと思うにはあまりにもリアルだ。
まるで胞子が上へと舞い上がるかのように、緑色の淡い光が上っていく。傷を癒す様に、それらの光が枯れた木々に引っ付いていた。それは、瞼を閉じても感じることが出来る。何なのだろうこれは。
その後、クウィンシーの怯えに気付いてカイザードが大丈夫か―って言いながらやって来たし、ヴァンパイア族の方はリッターさんが凄く冷静に歩いて来た。対照的過ぎる。
魔法族の方達も続々と現れて、初動捜査時の状況を聞いていたからか、再び生い茂っている北の森に困惑していた。その現場にまた俺がいるので、この子何なのみたいな視線を送られている。
俺もよく分からないので、説明してくれみたいな視線を寄越すのは止めて。
今はとにかく彼等を休ませましょうとのシュレンセ先生のお言葉のおかげで、俺は学園へ、気を失った人達は治療所へと運ばれた。俺の方はというと、不調だったのが嘘のように今は何ともないわけだが、あの女性の魔力に充てられたことを心配されて医務室に連れて行かれる。
友人達やブランシェやタイタンも、今は色々とあった後だということで面会謝絶にされていた。確かに、その方が考えが纏まっていいかもしれない。別に病人ではないけども。
俺よりむしろ、クウィンシーの方が心配だ。元気が取り柄のクウィンシーが、すっかり怯えて大人しい子になってしまっていた。
もう大丈夫だぞと声を掛けながら、膝で丸まるクウィンシーを撫でながら考える。
アフィロディアとは、誰だ?
俺のことを見ながら話していたのだから、俺のことなのだろうけども。ということは、俺の前世の名前だということなのか?
現に、目覚めていないとかなんとか言っていたからな。彼女は俺の前世を知っている、ということなのだろうか?
また人物名が増えて混乱してしまうが、凄く大事な気がするから覚えておこう。
しかし……
あの方、が誰だかは分からないとしても、女神というのも出て来ていたよな? 俺の知る限り女神ってアースだけなのだが、なんとなく違う気がするのは何故か。
そして、あの場に現れた二人の女性。初めに現れた女性は儚げで、直感的なものなのだが、どことなく光を纏っていた気がする。
光属性の方だったのだろうか? あるいは、霊的な存在とか? いや、後者だけは嫌だ。幽霊なんて見たくない。だから幽霊だとは思わない。
二人目の女性は、魔族でも魔物でもない。むしろそれ以上だと思われるとなると、答えは一つしかない。そうだとは思いたくないけど……悪魔、なんだろうなぁ。
そんな人に知られている俺の前世って一体何だよ? 絶対人じゃないよな。
そしてあのアルビノのオオカミ。何も話してくれなかったけど、彼も一体何者なのか。人の姿になれるのだから、魔力が高いことは確かだ。ウェアウルフって感じでもなかったし。大体、北は魔族の土地ではないから。
うーん、色々考えれば考えるほど深みに嵌る気がする。
もうよく分からん、とベッドに横たわる。今のところ、答えへと近付ける術が夢しかない。
どうか教えてくれ。俺が何なのか。夢でしか知ることが出来ないのに、断片しか見られないから分からない。
瞼が重くなっていく。眠気に誘われるまま、瞼を閉じながら思う。どうか、頼むから……
暗い廊下を歩く。広々とした廊下の両面は何処までも暗く、光さえ存在しない。天蓋まで突き抜ける太い支柱の数々に、黒い炎が揺らめいている。
支柱の傍に、小さな少年が佇んでいた。少年はこちらに気付くと走り寄って来る。
「お姉様を見かけませんでしたか」
知らない意を示すと、悲しそうに俯き、泣きそうな顔をした。
その頭に左手を乗せて安心させると、振り返ることなくそのまま歩いていく。その後の少年の動向は分からないが、今は彼に構ってはいられないという気持ちだった。
しばらく歩くと大階段に出て、進んだ先にある左右に別れた階段を左に進んでいく。登り切った先の道を真っ直ぐ歩くと、前から女性が歩いてきた。燃えるような真っ赤な髪に、真っ赤なシンプルなタイトドレス。マントを肩から羽織るだけの状態で、堂々たる姿で歩いていた。こちらに気付いて不敵な笑みを浮かべるが、妖艶さというよりも挑発的なものだった。
「こんなところで会うなんて、珍しいじゃない。また出兵しないつもり?」
嘲笑いながら言われる。
「命を狩るのが私達の使命よ?」
楽しそうに言う彼女には答えず、横を通り抜け様に言った言葉を聞いた途端、彼女は不快そうに顰めた。アレは悪魔の端くれにも劣る、と。
「悪魔に善など不要。お前もそのうち解るわ」
その声は遠ざかる。歩みを止めない俺に、更に彼女は言った。
「魔王陛下への忠義を尽くせ。さもなければ、私がお前を殺す!」
歩みを止め、振り返る。
「私の忠義は魔王に向くことはない。私はお前達とは違うのだ」
その言葉を聞いた途端、彼女は怒りで体から魔力を放出した。手には特徴的な形の杖を持ち、その先端が青白く光って槍になる。彼女はそれをこちらに向けた。
「一度お前と戦ってみたかったのよね。古の――」
「止めろ!!」
彼女が言った言葉の最後が聞き取れないまま、誰かの静止が響く。何者も従わざるを得ない重圧に、すぐさま傅く。
「アリア、誰が許可した? 私の言葉を忘れたのか?」
「!? 申し訳ございません。魔王陛下」
同じく傅いた彼女は、深く頭を垂れる。そして魔王は、こちらに向けて言った。
「アフィロディア、私はお前の忠義など期待していない。ただお前は、お前の役目を果たせ。必ず見つけろ。世界のために」
そんなことは言われなくても分かっている。誰よりもそれを願っているのは”私”なのだから……
ぶつりと、映像が途切れる。頭の中で声が響いた。
『お前にはまだ早い……眠れ。夢を見ずに……』
優しい声。それは、アフィロディアと呼ばれた人と同じ声だった。




