拾陸
正蔵さんの計らいで、前もって俺の帰宅を知らされていた両親は家の前で待っていた。
車から降りた途端に泣き出しそうな表情をしていた母だったが、無事な姿を見るとホッとしたように肩を震わせ、涙を流し……てはいない。化粧が落ちてしまうかもしれない可能性を拒絶する、母性を上回る女の理性の神髄がそこにはあった。
予想していた反応に、思わず空笑が出てしまいそう。
正蔵さんから両親へと色々な話がされている間、疲れただろうからゆっくり浸かっておいでと言う父と、そうした方がいいと言う正蔵さんの計らいで久しぶりの我が家の風呂を堪能する。一軒家の、差して大きくない造りの風呂でクウィンシーとまったりし過ぎたせいか、正蔵さんは帰ってしまっていて、送って頂いた御礼を言いそびれてしまった。まぁ、最初に父さんが言ってくれていたけどね。
夕飯を食べながらどんな話をしていたのか聞いてみたら、やはりというべきかタイタンさんのお話だったらしい。もしもの時の護衛というのも良いものですよ的に進められたらしく、イェスマンな我が家の両親が拒絶するはずもなく……お部屋の数が、という一点のみを危惧する両親に畳みかけるように、魔法で何とかできますから、で解決させたようだ。
もう、ね。分かってたけど、ね。予想通りの結果ですよ。俺の意思とか二の次ですよねぇ……もう、寝よう。
数日ほど休校となった魔術学園の、ドゥルーシア学園に置いての表立っての理由は、校舎の耐震性強化のための修繕、ということになったらしい。まぁ、無難な理由と言えよう。わざわざ日本に移設してきた建物であることは確かだし、昨今の状況を考えれば無理のない理由ではある。
ただ、あまりにも急すぎるだろという感じは否めない。普通こういうのは、夏休み期間中にしたり授業に差しさわりのないように行われるものだろう、なんてことを言ったところで仕方がない。本当の理由を言うわけにはいかないし、口裏を合わせるしかないわけだが……
目の前のこの人には何と言うのが適切だろうか?
「大ちゃん! 急に耐震工事でお休みだなんて、そんなに校舎が危なかったの? 耐震性に問題があるなら、本校舎にも教室あるんだからこっちで授業受ければよかったのに」
「俺の判断じゃないですし、何とも言えないですね。それは先生方にお伺いしてください。では」
「あ、待って待ってぇ~!!」
待つわけないです。てか、何故ついて来るんだこの人は!!
「でもさぁ、可笑しくない? サンダースくんやアルテミスくん達も何か驚いていたみたいなんだよね。他の子達も不安そうだったし、何か慌ただしく色々な人達が特別クラスの校舎に来てたけど、一人として業者さんがいなかったんだよねぇ」
門が閉ざされていた間のこちらの状況は俺も知らないから、何とも返答の仕様がない。更に宮田先輩。
「心配だったから君のお家にも行ってみたんだけど、ご両親に会えなかったんだよね。その前に別の人達が家に出入りしてて、今はそっとしておくようにとか言われちゃったし……ねぇ、何があったの? 何か事故にでも巻き込まれてたの?」
えぇっと、なんかすっごい裏工作が荒くない? 確か、多少の魔法を使ってその辺の出来事は”事実”に沿うように変えたと言っていたはずだが?
このままでは不自然で不完全だから、その部分は多少修正すると言っていた。だから大丈夫なのだと。
思わず宮田先輩を見る。何故、宮田先輩には”効いていない”んだ?
魔法が効かない人もいるが、そんな人でも多少の暗示ぐらいなら効くはずなのだ。
人の”思い込み”というのは厄介な面もあるが、時には役に立つ。今回の場合も、多少の魔法を織り交ぜつつも暗示のようなもので”事実”と思い込ませることで不自然さを無くしたと言っていた。
つまり、宮田先輩がそれを不自然だと感じることの方が不自然なはずなのだ、それなのに。
「君達、そんなことよりも早く教室に入ったらどうかな? 学生の本分は学業だよ? 授業はちゃんと受けようね?」
と、今回の護衛さんのカヴァリエーレさんが仲裁してくれた。さぁ行こうと促されて校舎へ向かう。それでも、疑念は残るばかりだ。
もしかして宮田先輩は、暗示にもかかりにくい人だってことなのだろうか? だとしたら、今後どうやってあぁいう人から魔法の存在を隠し続けていくつもりなのだろう。
いくら考えてみても、俺には解決策を見出せそうにない。
授業が終わり帰宅しようとしていたら、アイガン先生に呼び止められた。恐らくタイタンさんの要件だろうなと思っていたら、どうやら違うようで。
「急で悪いんだが、今週の日曜って空いてるか? 魔法族族長会議が、元老院の要請でお前に会いたいらしくてな」
「予定はないですけど、魔法族族長会議? 元老院? 何ですかそれ?」
聞き慣れない言葉ではあるが、どう考えても大事になっていそうなネーミングである。更に上を行く驚きなのは。
「実はな、どうも神族からコンタクトがあったらしくてなぁ。あの閉鎖的で、自分達の生存をずっと隠し続けて来た彼等が連絡して来るだなんて、前代未聞過ぎて魔族も魔法族も魔族も魔族も幻獣も、皆大騒ぎだ」
いやぁ本当に凄い凄いと、話が逸れそうだったので戻してもらうと、どうやら神族の使者が来ているらしいのだ。神族の使者、ということは神族が来たのかと一瞬驚愕したがどうやらそうではないらしく、あくまでも使者であって神族ではないのだという。
神族はかつて、魔力のある者の魔法教育に知恵を貸したとはいえ、彼等の前に姿を現したわけではなかったが、ここに来ても姿を現す気はないようである。とはいえ生きていることすら確認できず、もはや神話に近かった存在の生存を確認できたことは凄いことではあるけども。
そんな彼等からの連絡だ、一体何事だと騒ぎが起きるのは当然であった。
しかし、だ。それとこれとはどういう繋がりがあるというのか。俺がその魔法族族長会議に呼ばれることと、神族の使者のことと、どういう関係があると?
話の脈絡がなさ過ぎて付いて行けていないと、それまで黙っていたカヴァリエーレさんが口を挟んだ。
「なるほど。それで今朝、リッターが急に護衛を代わってくれと言ってきたのか」
あの命令順守、王族に完全服従の生真面目が珍しいこともあるものだと思っていたらと、納得していた。そちらもそちらで何かあったようだけど、俺も俺でこの話が気になるのでアイガン先生に尋ねようとしたが、それより早くカヴァリエーレさんが尋ねた。
「神族の使者が今更何の用なんですか? 魔族と魔法族の戦いにも無関心だったのに、今更現れて何を考えているんです?」
が、何やらとても刺々しい。不愉快だ、を全面的に押し出した彼の口調には、俺だけでなくアイガン先生も、友人達も一様に驚いていた。
何故ならあの神族だ。神の御加護があると言われ、それ故に人との関わりを一切断って山籠もりしているのでは、とまで囁かれているという神話級に神秘的な存在。そんな彼等に対してどうしてそんな嫌味を言う必要があるのかと誰もが疑問に思うが、アイガン先生は何故か納得したように溜め息を吐いて、カヴァリエーレさんを窘めた。
「カヴァリエーレ、お前の気持ちがどうであろうと、神族の出現にはそれなりの意味がある。彼等ほどの存在が現れたとなると、聖獣の王ディザイアどころの話ではなくなる。神の導きがあった可能性があるんだ。だとすれば、この世界に脅威が迫っている可能性がある」
というアイガン先生に対し、カヴァリエーレさんはどこ吹く風である。大袈裟なぐらいに肩を竦めて、はいはいそうですねと言わんばかりだ。
「確かに、魔族と魔法族の戦い程度の小事、彼等にとっては何でもないことだろうな。そのために我々が、どれほどに大切なものを失おうともね」
彼等は神の寵児だから、神に護ってもらえるものねぇと嫌味は止まらない。
正直、何故そこまで嫌うのやらさっぱり分からないのだが、彼は彼で何かあるのだろう。その証拠に、苦々しい心情を隠しもしない表情で憤っていたから。
頑ななカヴァリエーレさんに、アイガン先生も言っても無駄かと言わんばかりに頭を振って諦めていたし、本人もそれ以上に語る気もない様子だったのでスルーすべきなのだろう。
それ以上は詮索しないとして、それとは別に俺が魔法族族長会議に呼ばれているという事態と、神族の使者とがどう関係しているのかと聞いてみたら、アイガン先生もその理由までは分からないのだそうだ。
「はっきりとしたことは分からないんだが、元老院を動かしたのがどうやら神族の使者だったらしい」
どうも、一連の事案に関連しての情報を持って来たんじゃないかってのがもっぱらの噂だ、とのこと。
なるほど、とか納得できないのは、そもそも元老院って何だ、な気持ちだったからだ。それを察してくれたのか、蒼実が補足してくれた。
元老院とは、何か有事が起こった際にのみ召集されるメンバーで、魔法族の中でも特に知識も経験も兼ね備えた人格者達の総称なのだそうだ。メンバーのほとんどが非公開ではあるが、少なくともシュレンセ先生やヴィリウンセ校長はメンバーなのではないかと言われている。
実は、アシュリー殿下をヴァンパイア族に託すか否かを審議したのも元老院だったのだという。中々結論は出なかったそうだが、元老院メンバーの鶴の一声で、少年本人に決めさせてはどうか、ということになったらしい。まぁ、その結末は皆様もご存じの通りである。
要するに、元老院とは有識者会議と本会議を合体させたみたいな人達のことのようだ。魔法族族長会議よりも権威がありそうな雰囲気的に、国連における常任理事国のような権力を持っていそうな気がする。
だからこそなのか、元老院に接触してきたとされる神族の使者。何故今なのか、という疑問は当然だった。
神族達が連絡を取ってきたということは一体何を意味するのか。これはアイガン先生の言う通り、聖獣の王ディザイアの預言どころの話ではない。何か大変なことが起きて、神族達を動かしたのではと勘ぐってしまうのは当然のことだった。
或いは、その予言こそが彼等を動かしたのか。
或いは……
ともかく、その神族の使者に会ってみたいと思った。一体何が起きているのか、何が起きてしまったのか。その人に会ってみない限りは分からない。
もしも会うことが出来るならば、直接尋ねてみたいのだ。長きに渡る沈黙の理由と、それを破って接触してきた理由を。彼等が知っていること知ることが出来れば、俺が探している真実に近付くことが出来るのではないかと思えてならなかった。




