拾参
何者だと問われても、俺にも分からない。何故俺にこんなことが出来るのかと聞かれても、答えられない。
彼にそんな意図はなかったとは思うが、どこか責められているような気がして俯く。
俺は一体何者? あなたなら、それを知っている? 視線を上げて、スヴェンさんを見つめる。だが彼は、答えを教えてくれそうになかった。
その代わり、彼もまた、ディザイアと同じことを言ってくる。
「答えはすぐに見つかる。それよりも、受け止める覚悟をして。それが唯一、君を護る方法」
受け止めるとは、それは過去の事? 俺が産まれる以前の、前世の?
彼は、それだけを言い残し消えてしまった。
それからどれぐらい経っただろう。もしかしたら、それほど時間はかからなかったのかもしれない。気付けばシュレンセ先生とカヴァリエーレさんとリッターさんが傍にいた。
クウィンシーも、クークー鳴いて巻き付いて来る。
「大介くん、大丈夫ですか? 顔が真っ青です。それに、このブラックウルフも……」
一体何がと呟いたシュレンセ先生に、答えられる言葉を見つけられない。だって、俺にもよく分からないことだったから。
眩暈に襲われ、ふっと体の力が抜ける。倒れるっと思った体が、何かによって支えられた。
そこに居たのは……
「なんだか面白そうなことになっているじゃないか?」
私も混ぜておくれよと、まるでチェシャ猫のように不気味なほどにんまり笑う人物。俺の記憶が正しければ、ルネッソ大陸の館でお会いした、ウェアウルフ族の王だった。
何故こうなってしまったのか、皆目分からない。気が付けば、顔色が悪いようだそうだうちで休んでいくといいと言われるがまま、あれよあれよと、一番近いはずの魔術学園をすっ飛ばしてウェアウルフ族のお城にいる。……何故?
『潤しの源泉』での出来事の最中、クウィンシーの警戒が最高潮に達していたのか何なのか、カイザードやらヴェルモントさんまで現れ、その後魔族の皆さんに止まらず『潤しの源泉』が現れたと魔法族の皆さんも現れ大騒ぎに。その間にブラックウルフは消え、てんやわんやの末に……ここにいる。いやホント、何故!?
今気付いたけど、シュヴァリエさんもいる。てことは今、俺の護衛のヴァンパイア御三方とドラゴン族の御二方がいる、と……実はさっきから、もう一人の視線を痛いほど感じていたのですが。
じぃーと見つめるばかりで、何も言って来ないので放っておいたけど。何コレ、デジャビュ?
ウェアウルフ族の領内なのだから、居てもおかしくはないでしょうけどね。あの時の、ウェアウルフ。
幻文書図書館でハンカチを返してくれたあの彼が、相も変わらず視線を送って来るのだが……せめて何か言ってくれ!
クウィンシーはクウィンシーで、離れていた時間を埋めるようにぎゅうっと抱き付いて離れないから、首にどえらいもんを巻き付けた格好で高級な革張りソファーに座っているという奇妙な状況。これがホントのエリマキトカゲ……いや、エリマキドラゴン?
なんか、中世ヨーロッパの人達が首に巻いてた白いビラビラみたいに邪魔くさい。そして、暑い。
クー勘弁してくれ、離れてくれと言っても、聞いてくれない。それどころか、どんどん締め上げられる始末。殺す気か。膝の上へと促すと、渋々ながら降りてくれたけども。
それはそうと皆さん、いい加減座りませんか? 最年少の俺だけがソファーに座っちゃってるというこの状況は、宜しくないのでは?
部屋に案内された時、ベッドに横になるように促されたけども、そこまで体調は悪くないですからと言って断ったのだ。ならばせめてソファーに座って待っていてくださいと言われ座ったはいいが……魔族の皆さんは、何故座らないのですか。
あのウェアウルフでさえ、座ってないし。
後、さっきから空気重すぎ。誰一人、一言もしゃべらない。カイザードやカヴァリエーレさんですらな。お喋りな二人がしゃべらないと、気まず過ぎるんだけど。
俺もおしゃべりな方じゃないからそれ自体は別にいいのだが、この重たい空気、どうにかならないものだろうか。
途方に暮れること数分、軽く扉がノックされる。入ってきた人物は、武骨な見た目ながらに丁寧な対応で、王がお待ちですと簡潔に述べた。
それはつまり、ついて来いって意味なんだよなと思い立ち上がるも。
「君は座ってなさい」
ヴェルモントさんに制される。どことなく、ピリッと空気が張りつめたような気がしたのは気のせいではないはず。
何故と思いながらも、ヴェルモントさんがそのまま話し始めたので口を噤んだ。
「ウェアウルフ王は、彼に一体何の用があって連れて来たのですか?」
その口調は暗に、彼は我々の護衛対象なんですけどと言っている。どうやらそれは皆さん同じみたいで、そもそもなぜあのタイミングで『潤しの源泉』に来たのかという疑念を抱いているようだった。
まさかとは思うが、彼等がこんなにも警戒している理由が、ウェアウルフ王への不信感から来ていたということなのだろうか? てことはもしかして、のこのこついて来ちゃった俺はバカだったの? 皆さんを巻き込んで、日本人的警戒心の無さアーンド無知をやらかしちゃった感じ?
俺の困惑も、ドラゴン族やヴァンパイア族の皆さんの警戒心剥き出しの姿勢も、じっと俺を見つめて来るばかりで無言だったウェアウルフの提案で杞憂に終わる。
「皆で行く。そうお伝えしろ」
案内は俺がすると、彼は武骨なウェアウルフに言った。承知しましたと言って武骨なウェアウルフが部屋を出て行ったあたり、階級というか身分はこの無口なウェアウルフの方が上、ということだろうか。
というか、意外や意外、ちゃんと喋れたんだなこの人と思ってしまう。だってあまりにもしゃべらなかったから、純一やロイド以上の無口さんなのかと思ってたよ。
いや、実際その通りだった! だって今まさに、スッと立ち上がったかと思ったら、何も言わずに部屋を出て行こうとしてるからな。
え、ちょっと待ってくれ! 慌てて彼の後をついて行ったのは言うまでもない。
後ろを振り返ることもなく、さっさと前を歩く彼。少しの距離を取ってついて行く俺について来る魔族の皆さん。ぞろぞろと、まるで医療ドラマの総回診のような光景。
実際にこんな集団は院内で見られないだろうが、魔族さん達なら本当にやってそうだと思っちゃったのは秘密だ。
そんな明後日なことを考えている間に、狼の顔を模した黄金の装飾が施された煌びやかな扉の前で彼は止まる。その扉に手を翳したかと思うと、狼の目が赤く光り、扉が開いた。
ゴゴゴと音を立てながらゆっくりと開いたその向こう側には……
「本?」
思わず声に出してしまうほどの、たくさんの本が整然と所蔵されていた。てっきり、王宮の大広間的な場所だとか、謁見の間のような場所に案内されるとばかり思っていたから、拍子抜け。まるで幻文書図書館レベルの本の多さに圧倒されながらついて行く。
整然と並べられた本の多くは、明らかに幻文書図書館のものよりも年季が入っているようだ。読みやすさと持ち運びやすさ重視の幻文書図書館の書物とは比べ物にならないほど本も分厚く、一冊を抱えるのがやっとだろうというぐらいに大きい。
中には、高さ3メートルはあろうかという、某夢の国のオブジェにでも使われていそうなほどに巨大な本まで置いてあるではないか。一瞬飾りかと思ったのだが、カイザードが、フライヤルド言語碌じゃん懐かしいと呟いたので一応ちゃんとした書物らしいと分かった。
しかし、あんなに大きな本を誰がどうやって読むのだろう。魔法の世界だから、なんとかなるものなんだろうか?
ぼうっとそんなことを考えていたら、目の前の背中が止まる。一礼したその先にいた人物は勿論、大きな扉の向こう側から眩いばかりの光を浴びて輝く、ウェアウルフ王だった。
って、陽が暮れて久しいはずだがと疑問に思っていたら、何のことはない。もう朝じゃん。あれ朝日だよ。
基本、魔族の土地は厚い雲に覆われていて昼間はほどんとないと聞いていたけど、恐れくそれはヴァンパイア族の領内に限り、なんだろうなぁ。じゃなかったら、ウェアウルフ族のお城で朝日が見れるわけがない。
「王、お連れしました」
「あぁ、ご苦労様。君達、よく来たね」
朝を自覚し始めたら、疲れがどっと来てしまう。体がだるい。アドレナリンか何かが出てて気付かなかったようだが、いつの間に朝になってたんだろう。俺、完全に徹夜じゃん。
それでも、笑顔で迎え入れてくれたウェアウルフ王に失礼のないように対応するのは、生まれ持った日本人的配慮である。
「どうだい、ここの本は」
「凄いですね。量もですが、書物の古さが凄くて」
ヴィクトールさんが喜びそうと呟いたのは無自覚だったが、ウェアウルフ王は豪快に笑って同意していた。彼は本の虫だからね、と楽しそうだ。
しかし、何故ここに?
「君が、調べたいことがあって幻文書図書館にいるのだと聞いてね。あそこの書物は、確かに多種多様な書物が所蔵されているけど、どれも近代になってから作られたものだ。魔族に関する資料の多くは置いていないからね。魔族の資料ならば、どこよりも多くここにある。君にとっては、正に宝の山と言えるのではないかと思ったんだよ」
それで誘いに行こうとしたらあれだからねと、無邪気に笑うウェアウルフ王。あれ、とは勿論『潤しの源泉』のことだろう。
しかし、魔族にとって貴重とも言える資料を見せて貰えるのは有難いが、何ゆえにそこまでしてくれるのかが分からない。だって、幻文書図書館に所蔵することが出来ないほど貴重なものだと聞いているのに。
魔族の全てを知ることが出来るというほどの本達だからこそ、悪意ある人の手に渡れば魔族を窮地に追い込むことも可能なため、門外不出なのではなかったか。
その疑問が顔に出ていたかどうかは分からないが、ウェアウルフ王は確信を持って言った。
「君ならば、正しくここの本を使えるだろう」
何を持ってそう断言するのか、その瞳は揺るぎなかった。ただ、持ち出し禁止のものがあるそうで、それ以外ならば持っていくといいと言われ少々困惑する。
持って行っていいと言われても、これだけ沢山の本があるのだからどれが何なのやら分からないし、そうは言われてもやはり貴重な資料なのだからと躊躇してしまう。
厳重に管理されているようだし、持ち出しOKと言われても……
俺には責任重大すぎると遠慮していたら、ならば、とウェアウルフ王が妥協案を出してくれた。
「こうしようではないか。うちのタイタンに、本の管理を任せるというのは?」
持ち出している間はタイタンが本の管理をする、それならば君も気兼ねすることはないだろう、と俺達を案内してくれたウェアウルフを見ながら仰って下さったが……それってつまり、俺のせいでこのウェアウルフが面倒を押し付けられる、ということになるのでは?
いくらなんでも、そこまで人様に迷惑かけるわけにはっと恐縮してしまうが、ウェアウルフ王の心は既に決まってしまっていた。楽しそうに部下に指示を出して本を選ばせている姿を見れば、俺に決定権がないのは明らかである。
これでいいんだろうか? 一歩前に出ているウェアウルフのタイタンさんを窺い見れば、その視線と一瞬だけ合うが、すぐに前を見てしまう。
迷惑なのかそうでないのか判断できなかったが、ひとまず俺のせいなので謝罪すると、別に、という返答。また一人、扱いにくそうな人が俺の周りに増えたなと心の中で溜め息を吐いた。




