拾
女子の如く騒いでいたベネゼフを黙らせたヴァルサザーは、とても大事な話があると真剣な面持ちだ。よく見れば他の方達の表情も硬い。あのカヴァリエーレさんですら、笑顔を引っ込めているほど。
シュヴァリエさんやジョナサンさんも神妙な顔な上に、寝不足っぽい……って、ヴァンパイアに寝不足ってものがあるのかどうかは知らないが。
向かい合って座れる場所に移動したところで、レイモンド殿下は早速といった感じに話し始めた。
「君に確かめたいことがある」
「確かめたいこと、ですか?」
真剣な眼差しのレイモンド殿下に、胸騒ぎがする。でもそれは、今までの嫌な胸騒ぎとは違ったものだったけど。
「アシュリーとは面識があるか? いや、アシュリーの方でなくてもいい。白い小さな生き物の方でも構わないが」
「えっと、会ったことはありませんが?」
アシュリー殿下と面識があるわけないし、あっても歓迎祭の時に『潤しの源泉』の前ですれ違い様に目が合ったくらいのものだ。ていうか、白い小さな生き物ってのは何?
質問の意図がよく分からず首を傾げつつ思うのは、あのラビットフェアリーのことだろうかということ。いや、だとしてもあれを小さいと表現するのはおかしいだろう。普通に、ラビットフェアリーと言えばいいのだから。
じゃあ、何? 疑問符だらけの俺をじっと探るように見つめていたレイモンド殿下は、そうかと、諦めとも疲れともつかない声で言ってはソファーの背もたれに背中を預けてしまう。
しばしの沈黙が流れて……って、これだけ? え、これだけのために来られたの? だったら、カヴァリエーレさんあたりに頼めばいいことなのに。
重い口調でヴァルサザーが事の真相を教えてくれるまで、事の重大さに気付かなかった。たったそれだけの質問に込められた願いや希望が、どれだけ大きかったのかを……
その事実はあまりに衝撃的で、彼等が帰った後もしばらくはぼうっとしていた。情報の多さに俺の頭が処理しきれないといった感じで、順序立てて理解しようとしているがどうにも頭が回らない。
窓の外から聞こえる鳥の鳴き声だけが、室内に流れる唯一の音となっていた。
ほとんどの魔族さん達が帰った後、カヴァリエーレさんとリッターさんはここに残っていた。俺が混乱していることを察してか、俺が大きな溜め息を吐いて心を落ち着けるまで、何も言わずに見守ってくれている。無理に明るい声を出して。
でも、その声はもの悲しさを含んでいた。
「びっくりしたでしょ? 俺もびっくりしたよ。まさかアシュリー殿下が、あの光神アルメシアの使い魔シュナイゼルの一部だったなんてね」
確かに驚いた。ただの神話だと思っていたから。本当に実在するとは思っていなかった。
でも、それ以上に……
「アシュリー殿下は死んでいたんだ。あの儀式の後で……」
滲み出る悲壮感は、どう明るく振る舞おうとしても無理だった。悲しみを孕んだ声は、それを放った本人の普段の陽気さとは裏腹に、後悔に満ちているようで……
まるで、あの時止めればよかったと、己を悔いる懺悔の告白を聞かされているような気分だった。初めて会った時の、アシュリー殿下への軽薄な感情を見せ、それ故にシュヴァリエさんやジョナサンさんのことをからかっていた口調とは全然違う。
彼は彼なりに、アシュリー殿下のことを敬愛していたのだろうことが伺えるものだった。でもそれは、シュヴァリエさんやジョナサンさんとはまた違ったものなのだろうけど。
ヴァンパイアになる儀式の後、アシュリー殿下は数日間苦しみもがいていたと聞いた。声が枯れ果てるほどに叫び続け、のた打ち回っては痛みを和らげる魔法を施されていたらしい。しかしそれはあまり長くは持たず、強制的に眠りへと誘う魔法で深い眠りへと導いていたという。
その間際の瞳には光はなく、ただただ静かに流れる涙だけが彼の苦しみのすべてを物語っていたのだと……
一時凌ぎのようなそれらの処置を施されているうち、いつしか彼は、何の反応も示さなくなった。もがき苦しむことも、涙を流すこともなく。
何も映さない瞳だけが、ただ真っ直ぐと見上げていたのだと。それまでの彼の苦しみ方からは想像できないほど穏やかな、廃人のような姿。しかしそれは、彼の苦しみが既に終わっていたことを示すものだった。
彼は既に絶命し、その魂が体から抜けることなく残っていたため再び息を吹き返していたというだけ。それは、それまでの彼とその後の彼が、別人であることを意味していた。
アシュリー殿下がただの光属性の少年だったのならば、そこまで苦しまずに済んだのだろうか。元が光属性の精霊でなければ、こんな最期を迎えずに済んだのだろうか。
そうだとしても、もう元には戻れない。
誰もが待ち望んでいた、争いを終結させてくれた希望の少年は、闇に呑まれて消えてしまった。そこに宿った新たな命も、再びその姿を消してしまったのだから……
気が付けば、お昼をとっくに過ぎていた。あのヴィクトールさんが気遣わしげに部屋に入ってくるまで、時が経つのも忘れていたほど。
ヴィクトールさんも、内容が内容なだけに動揺しているのか、はたまた雰囲気を察してくれているのか、もたもたとお昼を食べる俺を急かしたりしなかった。
アシュリー殿下のこと云々以上に、アシュリー殿下の片割れとされる白い小さな生き物の言葉が頭から離れない。猫をリスぐらいの大きさにした生き物だというそれは、共にシュナイゼルの一部だそうで、彼曰くアシュリー殿下は魂の双子なのだそうだ。一つの魂を共有する者なのだと。
その彼が、大事に棺に保護されていたアシュリー殿下の体を連れ去る直前、捨て台詞として言ったらしい。
『精々、ダイスケを闇に奪われないよう気を付けるんだね。彼を奪われれば、世界が焦土と化すことは避けられないよ』
それを聞いた瞬間、瞬発的な胸の痛みと冷え、身の毛のよだつ感覚。一瞬にして駆け巡った恐怖心に、抗うことも出来ず体が強張った。
今思えば、何度となく危ない目に遭っていたのだから、一度でもそれが実行されていたなら俺はどうなっていたことだろう。いつそうなってもおかしくはないんだぞと言われているかのようで怖い。
もしも、もしも俺が強くなれれば、そんな事態は避けられるのだろうか? スヴェンさんは、俺に彼等に立ち向かってと言っていた。彼等とは、恐らく……
それにしても、どうしてその白い小さな生き物は俺の存在を知っているのだろう。俺が奪われると世界が終わる、とは一体どういう意味なのか。
「……いんですか?」
唐突に聞こえてきた質問に、えっとなる。完全に自分の世界に入っていたから気付かなかったが、ヴィクトールさんは既に食べ終わってお皿を下げていたようだ。
その瞳が真っ直ぐと、どうするんですかと聞いてくる。そこに来てようやく、自分の手が止まってしまっていたことに気付いた。
正直、食欲はない。けど、せっかく作ってくれたものを残すわけにもいかない。
「洗い物はするので、もう少し食べていてもいいですか?」
俺にできる最大限の配慮だ。じっと見つめてきたヴィクトールさんは、そうですかと返すと、とくに嫌味も言わず部屋を出て行った。
少々急ぎ気味に見えたのは、俺のせいで時間を食ってしまったからなのだろうか。申し訳ないなぁと思いながら、今後どうなるんだろうかとそればかり考えていた。
しかし、この状況下においても空気なリッターさんの存在感には舌を巻く。気を抜いたら気配すら感じないからな。忍者とかになれる素質があると思う、だなんて明後日なことを考えて気を紛らわせるのが精一杯だった。
もうすぐ日も落ちるという時間になって来訪者があったようで、玄関ホールの辺りが騒がしくなる。その足音がこちらに近付いて来るに連れ、魔族さん達相手には強気に帰れと叱りつけていたヴィクトールさんの怒号が響かないことに気付く。
お呼びでない来訪者じゃない、ということだろうか?
ノックの後開かれた扉の向こう側から現れたのは。
「シュレンセ先生?」
思わず零れた名前に、シュレンセ先生は笑顔で返した。久しぶりですねと、朗らかな笑みで近付いて来るのはいいのだが、何故ここへ来られたのだろうか。
興味深い文献の多くが所蔵されているのだから、それを目当てに来たという可能性もあるけども、なんとなく、そうではないような気がした。あくまでも勘だけど。
「随分と熱心に調べているのですね? 古代神話の書まで読もうとする人は、学者の中でもそうそう居ないのですよ」
ヴィクトールさんに用意してもらった書物の数々の中にあった本を手に取りながら、魔族や神族所有の古代歴史の文献が非公開なせいで曖昧な表現が多いものですからねとシュレンセ先生は言った。そうなんですかと思わず当たり障りのない返答をしたのは、まだ読んでいなかったから。ただ、とても貴重なものですから慎重にお願いしますねと念押しはされたのは覚えているが。
書物を置いたシュレンセ先生は、俺に向き直って、少しお時間を頂いてもいいですかと柔らかい笑みを崩さないながらも拒否を許さぬ雰囲気で聞いてきた。拒否する理由もないしと了承すると、シュレンセ先生は更に続ける。
「君に、是非ともついて来て貰いたいところがあるのです。君に会いたいと言っている方がいるので」
勿体ぶったような、濁した言い方。まるで、物事の善悪を理解できない幼子に語りかけるような、とても穏やかな口調だ。
「聖獣の王ディザイアが、君に会いたがっています」
ついて来てくれますねと尋ねるシュレンセ先生の瞳には、ほんのわずかだが戸惑いが覗く。何故聖獣の王と謳われる救いの予言者が俺に会いたがるのか、先生も分からないからだろう。
俺も分からないけども。
長い間消息を絶っていた、世界を救いへと導く最高の預言者とされる聖獣の王ディザイア。その姿を再び現したのはここ最近の事だったというが、現れた途端、世界の破滅を予言した。
『暗冥は解かれ 無情な終焉は来る 今までのことは序章にあらず 誠の序章はアシュリー殿下の魂』
幻想界に衝撃が走ったのは言うまでもない。
そんな恐ろしい予言をした張本人様が、何ゆえ俺に会いたがるのか。奇跡の生還劇を何度もやらかしちゃっているからなのか、俺の前世に何かあるからなのか。いくら考えても、俺の頭ではどうにもならない。
ただディザイアならば、俺の求める答えを教えてくれるような気がした。
「行きます。連れて行ってください」
知りたい。知らなければいけない。
自分が立ち向かうべき運命の正体を。




