漆
完全に決意してしまったベネゼフに、そうと決まればと言われるまま連れて行かれる……わけに行かない!!
「で、でも俺! この後エンシェントに、幻文書図書館に連れて行ってもらう約束でして」
「幻文書図書館?」
扉に手を掛ける寸でのところで止まり、振り返るベネゼフ。どうしてあの場所にと、不思議そうな顔をされる。
そりゃそうだ。学生如きが足を踏み入れられるような場所ではない、というのは友人達から聞かされていたこと。いやでも、エンシェントが言い出したことだからなぁ。
「あそこは、誰でも足を踏み入れられる場所ではないよ? それこそ、世界の起源を記した貴重な書物などを所蔵している場所だからね」
「世界の、起源?」
なんだその、壮大なテーマは!! まさか夢現界で言うところの、地球に生命が誕生した瞬間、とかそういうこと? いやむしろ、太陽系誕生なんていう宇宙規模な誕生秘話のことだったり?
いや待て、彼はきっと、宗教的な見方でそう言っているのかもしれない。神様が、アダムとイヴを作りました、的な。
彼等には彼ら独自の創世神話があるわけだし、あってもおかしくはないかぁと納得する。夢現界でも、歴史的に貴重なものは厳重に管理され、劣化させないよう細心の注意を払って所蔵しているわけだしな。古いものほど、きちんとした管理をしないと虫が付いたり菌が繁殖したりしてしまうから。
なんだそういう意味だったかと、ほっとしたのもつかの間。新たな疑問を抱かせる爆弾を投下してくれた。
「そう、創世神話や光闇の戦い以前の、この世界の軌跡を記した書物のことだよ」
まだ、神や悪魔との間に聖戦が繰り広げられる以前の世界の事とかねと……まだそんな、歴史秘話が存在するんですか? 何その、聖戦以前の話って。なんでそんなものが存在しているんだ? だって、誰も生きてないでしょうその時代。
嘘かほんとかは分からないが、つくづく、この世界の歴史にはついて行けそうにないと脱力する。
「昔から、悪魔と神は仲良くなくてねぇ。割を食うのは、いつも人間達だったよ!」
そんなことを語尾に星マークが付いていそうな弾んだ声でウィンクしながら言わないでほしい。人間サイドから聞くと、とてもそんな明るく受け止められそうにはない。まぁでも、他にも神話以前の世界の歴史があるっていうことは分かった。不要な知識ではあるが。
その度に人間が割りを食ってきたらしいって部分は割合するとして。
エンシェントが俺を幻文書図書館に連れて行ってくれるってのは事実なわけだし、何と言われようと、ここまで来たのに引き返せないんですけどと心の中で反論。
しかし、聞けば聞くほど、俺が行ってはいけない場所のような気がしてくる。
「確か、要人数名の推薦があれば入館は可能だったはずだけどね。もしかしたら、エンシェント様の推薦だけでも可能かもしれないねぇ」
「え、本当ですか!?」
「多分だけどね」
そうか、エンシェントの推薦だけでも大丈夫かもしれないのかぁ……って、要人数名の推薦とエンシェント一人の推薦がイコールの可能性ありってどういうこと?
実に2000言語もの言葉を解し、魔族に置いて一番の長寿にして穏やかな性格のドラゴンであり、魔族と人間達との戦いが激化した時においても、エンシェントに対してだけは治外法権的なものが適応されていたとは聞いていたが。って、今更ながらかなり凄いことだよな。
その上まだ他にも優遇されているっていうなら、魔術学園の番竜なんてやらせちゃいけない気がする。
こりゃあ、魔族に恨まれても文句は言えないなぁ。実際、本人の意向があったこととはいえ恨まれていたらしいし。
そんな時代に生まれなくて良かったなぁと思う。だって俺、魔力の制御も出来ないほど弱いから。
今は幻想界にいるから魔法行使しない限り魔力が不安定になって暴走することはないけど、一度魔力を使えばどんな風に暴走しちゃうか分からない。スヴェンさんは大丈夫だと言っていたけど、本当に大丈夫なのかは未知数な上、今は不測の事態によって学級閉鎖状態。
魔力安定のための練習しようにも、それが出来る状態ではないし。
ならばと、自分達の範疇を超えているかもしれない夢の中で見たことや、それに付随する身の回りで起きていることを探っているのは、決して暇つぶしなどではない。ただそれも、一向に進展していないんだけど。
諦めムードも漂い始める中、それでも真剣に協力してくれている友人達。そうなるともう、いつもの持病のメンドクサイを発動させるわけにもいかない。
正直、自分の事なのに面倒くさ過ぎて止めたいんだけどな。って、思わず本音が。
そんなことばかり考えていたせいか、こんなところでメンドクサイを発動し始めた俺。ベネゼフの、まぁ取りあえず今は観光しようねの言葉に拒否もせず連れて行かれようとしていた。
そこではたと気付く、クウィンシー置いて来ちゃったと……
俺から離れられないようになっているのは夢現界だけでのことだから、幻想界ではどこまで離れていてもお互いに影響はないとはいえ、さすがに一人にしておくのは可哀相だろう。すみませんクウィンシー置いて来ちゃったんですけどと、ベネゼフに言った頃にはあの大きなホールになっているところまで来てしまっていた。
「あれ? そうなの? ごめんね気付かなくて」
「いえ、俺も今気付いたので」
ぐっすりとソファーの肘掛の所で寝ていたから忘れてしまっていたが、今連れて来ないときっと暴れる。泣いて泣いて、仕舞にはドラゴン族の方達を意図せず呼び寄せてしまうかもしれない。
ドラゴン族の子供特有の警戒フェロモンを出されてしまえば、俺が育児放棄したとドラゴン族の皆さんに疑われてしまう可能性がでる。それだけは、何としても断固阻止しなければ!
クウィンシーを連れてくるので待っていてくださいと踵を返す。
「やっぱり、ママとしては子供が心配だよね」
ママじゃありませんけど!? 思わず、心の中だからと強気な反論。
ベネゼフの強行に抵抗する気がなかったため、渋々ではあるが案の定大暴れしていたクウィンシーを連れてホールに戻ることにする。その間、ご機嫌斜めなクウィンシーを宥めすかしたのは言うまでもない。
それにしても、部屋で大人しくしてなきゃいけないはずなんだけどなぁ。本当にいいのかなぁと思いながら歩いていると、何やらホールの辺りが騒がしいことに気付く。
一体何なんだろう?
「あ、大介くん! ごめんね、観光は無理みたい」
そうですかと、事情はよく分からないが申し訳なさそうにしているベネゼフにそう返答すると、もう一度ごめんねと言いながら謝って来た。いや、別にそこまで観光したかったわけでもないし、という本心は告げないまま、別に構いませんよと返す。
しかし、何なんだ一体この人だかりは。かなり大きなホールであるにもかかわらず、とんでもない数の人間が溢れていた。優に50人近くいるだろこれ。
いやでも待てよ? 確か今ここで開かれているのは魔族会議なるもののはず。じゃあ皆、魔族だってこと?
見れば、青白い顔という特徴があるため一番見た目で判断しやすいヴァンパイア族の方達がいるのが見て取れた。他は、よく見ると話す度に鋭い犬歯が覗くウェアウルフ族と見られる方達もいるようだ。やっぱり、魔族さん達大集合なようである。
俺はどうすればいいんだろう、引き返した方がいいのかなとベネゼフに聞いてみようかと思ったわけだが。俺の目に前に、妖艶な美貌をした美人が現れて、只今、その方に興味深げに覗き込まれています。何故!?
「あらぁ、この子、人間ね? とても強い闇属性だわ」
顎を引かれ、上を向かされたり左右に向かされたりと、じっくりと観察される俺。そんなじっくり眺められましても、何処にでもいる平凡な顔なんですけども!
しかし、反論とか出来る状態じゃない雰囲気が漂っていた。彼女が人間だと、闇属性だと言ったことから、周囲の魔族さん達の突き刺さるような視線を一身に受けることになったからだ。
それを受けてクウィンシーも、ウ~ウ~唸り声を上げている。
「シリル、大介くんを放してやってくれるかな?」
挨拶もなしにいきなりそれは失礼だよと、苦笑しながら言ってくれたのは勿論ベネゼフ。それで彼女も俺の顎から手を放してくれたけども、それでも尚、周りの視線は俺に突き刺ささっておられる。
まさか皆さん、人間達ばかりがいる大陸に来て置きながら人間が珍しいんですか、と聞きたくなるほどの注目度だ。好奇心と、何かを見極めようと探る目、その集中砲火を一身に浴びていた。
俺をこの視線のど真ん中に送り込んだ張本人は、まったく悪びれた様子はない。
「あら、ごめんなさい? 私ったら、初対面の子に失礼なことをしちゃったわね」
仕舞には、悪く思わないでねとどことなく上から目線のお言葉まで頂戴する羽目に。いや、まぁ、身なりからしてお貴族様らしい雰囲気醸しだしていたし、俺がこういう扱いをされてしまうのもある意味庶民の運命なのかなって思うけどさ。
所詮庶民な俺にとって、上流階級の人達なんて雲の上の人達のようなものだとはいえ、今までの人達が身分のあれこれを感じさせない人達ばかりだったからちょっと驚く。って、アルスター先生っていう前例が居たなそう言えば。
まぁ、彼女とはもう会うこともないだろうしと思い、大丈夫ですと返した。すると彼女、妖艶な美しさをこれでもかと放出しながら微笑んだのだ。なんか、こう、蛇に睨まれた蛙な心境。何でだろう?
しかしそれも、一瞬で雰囲気が変わる。上から目線のお貴族様な彼女が、途端低姿勢になり跪いた。信じられないことに、彼女から彼に変わっていく。
女性から男性に変化した姿に驚いて見つめていると、彼はまるで部下が王族に跪くような体制のまま言った。
「私の名前は、シリル・バトン。ヴァンパイア騎士団の西軍団長にして、レイモンド殿下のお目付け役にございます。以後、お見知り置き下さいませ陛下」
頭を下げたまま、彼はつらつらとそう述べた。一瞬、何を言われたのか分からなかった。ただ彼が、陛下と言った瞬間、固唾を呑んで見守っていたホール中の人達が騒めき始める。
え…え? え!? 一体何事!? てか、陛下って何!?
何故、彼に今跪かれているのか分からない。困ってベネゼフを見れば、彼も心底驚いていた。
それでも、俺の困惑の視線を受けて我に返ったのか、シリルさんを止めに入る。
「な、何を言っているんだ君は。とにかく、早く立ちたまえ」
「ベネゼフ様。ベネゼフ様とて、その可能性にはお気付きなのでは?」
「それは!」
「人が、このような強大な闇の魔力を持つことなど、到底考えられない。その器の大きさに対して、魔力があまりにも大きすぎる。それが可能であるとするならば、答えは一つ」
陛下か王殿下の、どちらかであると……
その瞬間、ホール内が悲鳴とも歓喜とも取れない騒めきに包まれ、皆が恐れおののき、俺達の周りに大きな空間ができた。
しかしベネゼフは動揺しなかった。普段見せない冷静な顔付きで、それを否定する。
「可能性は一つではない。今までも、器の大きさに見合わない巨大な魔力を保有する者達はいただろう。そして彼等は皆、その力量に見合う人格者達であり、また、そのような例外的な人物ではなかった。強大な魔力を保有するからと言って、その者が何者であるかを断言することはできないだろう」
「ですが、その例外が過去に一つありましたよね? 例えば、シュウィンミル王殿下、とか?」
挑戦的なシリルさんは、どこまでも追及を止めない。それに対してベネゼフもまた、彼に負けじと受け答えしていた。
彼等のやり取りが周りの人達を尚怯えさせ、恐怖と混乱に陥っていたその時、シリルさんの追随が尚続こうとしていたのを誰かが止める。
「止めよ!!」
良く通る声がホール内を響き渡り、人垣がまるでモーゼのように道を開けたかと思うと、腰まである黒い髪を緩く後ろで縛った長身の男性が、数名の部下らしき人達を連れて歩いて来た。その内の一人がコンラッドさんだったことで、この集団がヴァンパイア族であると理解する。
よく見れば、筆頭を歩くお方は、どことなく前に一度だけお会いしたことのあるレイモンド殿下と同じ目をしている気がした。彼がヴァンパイア族の王であることは、この場の雰囲気からしても間違いないなさそうだ。
「王、お騒がせしてしまい、大変申し訳ございませんでした」
ヴァンパイア王の登場で、シリルさんは王様の方に向き直り跪き直した。そんなシリルさんを一瞥した後、ヴァンパイア王は視線を俺に向け、じっくりと探るように目を眇めたかと思えば、ぽつりと感想を述べる。
「なるほどな」
え……なるほどって?
今のこの状況で何を納得したのか分からないが、ヴァンパイア王は一言そう言ったかと思うと、興味を無くしたと言わんばかりに踵を返し、風雅な歩行で出口へと向かってしまった。
コンラッドさんに軽く叱責されたシリルさんもまた、彼等の後に続いて行ってしまい……今のは一体何だったのな俺の気持ちだけを置いてきぼりに、遠ざかっていく彼等。
呆然と彼等の背中をしばし見つめていると、何やら物凄い近くで気配を感じる気がするなぁと、左に振り向くと……
「ほうほうほう。なるほどねぇ」
って、またなるほど!? 目の前の人物との距離が意外に近すぎて、反射的に身を引いたのは不可抗力。しかし皆、一体全体何なのこれは!
三度目の探るような視線を受けながら、彼の犬歯が鋭いことに気付く。その瞳はまるで、オオカミのように獰猛さがある、とくれば、この人がウェアウルフ族であることは明白だった。にしても皆、特に秀でたところなんて何もない俺を見て、何を納得しちゃってるんですかね?
貴方方みたいに長く生きてきたわけではないので、空気の読み方が分からないんですけど。
目の前にいるのは、どうやらウェアウルフ王のようで、さっきのヴァンパイア王同様、彼も後ろに数人の部下達を従えている。まるで、面白いものを見つけたかのような好奇心いっぱいの表情で超短距離で覗き込んでくるのだが。
どんどんと距離を縮めて来られるうちに、こちらもどんどん仰け反って距離を取っていくことになる。さすがにこれ以上仰け反れない、というところまで来たところで、やっとウェアウルフ王は引いてくれた。
ただし、最後にとびっきりの笑顔……俺的には、悪戯を思い付いちゃった少年の笑顔に見えた……を最後に、出口へと歩いて行ってしまう。本日二度目の、何だったんだ、である。
「あの二人は、本当に変わらんのぉ。まぁ、あまり気にせんといてやってくれ。あ奴等はどうにも、人付き合いが苦手の様でなぁ」
「は、はぁ……」
今度はどなた? とか、聞くまでもない。エンシェントだったから。
しかし、彼のお隣にいた方が、これまた部下を引き連れておいでだったので、今度はドラゴン王かなって直感した。傍にはヴァルサザーとラインハルトさんが居たし。
って、今更だが、エンシェントとヴァルサザーに敬称を付けなくていいのか俺! エンシェントに至っては、口に出して呼び捨てにしてるし。ラインハルトさんにはさん付けなのになぁ。なんかごめんなさいと、心の中で謝っておく。




