陸
建物の前に到着してエンシェントの背中から降りると、一瞬、軍人指揮官さんに厳しい視線を寄越された。元々から硬い表情の人なのかどうかは分からないが、少なくともこんな厳つい軍人さんに見つめられると萎縮してしまうわけで……彼等からしたら、エンシェントは偉大なお方。畏敬の念を持って接するべきお方の背中にこんな若造がずっと乗っていたわけだから、なんて無礼なガキなんだと思われても仕方がない。それはもう、甘んじて受け入れるしかありません。
エンシェントの方に向き直った軍人さんは、こちらを見向きもせず建物の中へ招き入れてくれた。これはアレだ。空気。俺は空気になるしかない。
空気になることを決め、俺も中に入る。そこはまるで、中世ヨーロッパのお貴族様のお城のよう。絢爛豪華な造りの煌びやかな内観は、外観からして高貴な香りが漂っていたそのままの威厳を以ってそこにあった。ここもやはり、ゴシック建築か。
いやしかし凄い。目が痛い!
決してゴテゴテした造りにはなってはいないが、どこもかしこも光が反射せんばかりに磨かれていて眩しいばかりの家具達。クウィンシーもさっきまで大人しく寝ていたのに、ここに着いた途端元気に動き回ってマントをぐちゃぐちゃにしてくれている。目がチカチカして堪らないのか、まるで赤マントを前にした闘牛のように荒振ったり、光に攻撃されてると感じているのか怯えて丸くなったりと、大忙しだ。
いや、うん。気持ちは分かるが、取りあえず落ち着け。俺のマント死ぬ。
只今、絶賛闘牛モードのクウィンシーのことは放って置くとして。
広い通路の両脇の壁は太い大理石の柱で支えられ、玄関から真っ直ぐ伸びる玄関の床には赤を基調とした細かなデザインの施された絨毯が敷かれていた。突き当たった先には高い天井を有する大きなホールがあり、天井からはこれまた壁に点在する蝋燭の光を受けて煌びやかに光るシャンデリアが吊り下げられている。壁に施されている装飾にさえ、細部に至るまで一流の仕事を思わせるとんでもない仕様となっていた。なんで一々豪華なんだろうと、庶民な俺は呆れるばかり。
これぞ正に金持ちの道楽だよと呆れつつ辺りを見回していたら、さっきの指揮官さんよりも厳格な面持ちで厳つい格好をした、それでいて柔らかな仕草を併せ持つ御方が俺達の前に現れた。
ていうか……え? この方、その格好に見合うほどに凛々しく勇ましいのですが、どう見ても……女性?
「ようこそ御出で下さいました。私、警護隊長補佐官のラインハルト・シンシア・ジェノーヴァと申します。お会いできて、大変光栄です」
「おぉ、お主が、ヴァルサザーの言っとった優秀な補佐官か。確かに、実直さが容貌に出ておるわい」
「そのように言って頂き、大変光栄にございます」
非常に礼儀正しく、育ちの良さそうな所作とその地位に相応しい威厳。ラインハルトさんは、その全てを兼ね備えているようだ。
しかし、初めて見た。男装の麗人って、こういう人のことを言うんだろうなぁ。
「エンシェント様、さぁ、中へどうぞ。皆様すでにお待ちでいらっしゃいます」
「そうか。どうやら待たせてしまったようじゃのう」
「いいえ、そのようなことは……このように唐突に、隠遁生活を送っていらっしゃるエンシェント様に会議にご出席頂きたいなどと申し上げましたこと自体、礼節を弁えぬ行いでしたから。それどころか、お迎えにも上がれずにご足労をかけ致しましたこと、大変心苦しく思っております。どうか、無礼極まりない我々をお許しくださいませ」
「ほぉ? なんじゃ、それしきのことで無礼とは。儂は、そこまで狭量じゃないぞい」
何処までも低姿勢なラインハルトさんに、エンシェントはいつものようにおどけてみせる。しかし、相手がこうも生真面目だと、どこまでも真面目な反応しか返って来ないわけで……
そのようなことは露ほども思っておりませんが、誤解を招くようなお言葉で気分を害し申し訳ありませんって、エンシェントのおどけは、彼女の中では厳しく指摘されたということになってしまった。どうやらまったく冗談の通じない相手のようだとエンシェントが困った笑顔を浮かべるが、しかしさすがにそこは年の功、すぐに気を取り戻し、苦笑交じりにアドバイスする。
「ほぉっほぉっほぉっ、今からそんなに背筋を正して生きとると疲れてしまうぞい? もう少し肩の力を抜いても、誰も咎め立てせぬと思うがのう。まぁ、それがお前さんの良い所なんじゃろうて。さぁ、そろそろ行こうかのう。すまぬがその間、この子達をどこかの部屋で休ませてやってはくれんかの? 随分長く飛んどっとったからのぉ、疲れておるじゃろう」
傍観者1として完全に気を抜いていたところに、話題に上ってしまう俺。完全に空気になりきってたもんだから、びっくりして心臓が跳ねたよ。
ラインハルトさんも、俺がいることは初めから気付いていただろうが、エンシェントという、ドラゴン族においての生きた伝説と呼ばれる人を前にしてたから俺のことには触れなかったのだろうと思う。それがエンシェントに導かれるようにして俺と対面する形となったわけだが……
威厳に満ち溢れた姿そのままに、高貴な身分の証明のように洗練された仕草でその瞳が真っ直ぐ俺に向く。その表情が、目が合った瞬間に和らいでいた。
と、関係ないし今更だけど、ラインハルトって名前、なんだか男の人みたいだな。ミドルネームの方は女性的な名前が入っているけど……って、ちょっと待て。そういえばジェノーヴァって、どこかで聞いたことある苗字だ。確か、ヴェルモントさんの名前もジェノーヴァだった気が?
いやでも、ドラゴン族にとって同じ種族で同じ苗字って珍しくないと、前に誰かに聞いた気がするし……違うかも?
「君が、隊長の言っていたダイスケか。君のことは、私の従兄弟からも話を聞いている」
報告書という形でだが、と仰られて……それ、絶対あの人だろ。
「ヴェルモントの対応はどうだ? 少々堅苦しいかもしれないが、どうか我慢してくれ」
「あ、いえ。こちらはむしろ、お世話になっている身ですので。大丈夫です」
多少の息苦しさは、許容の範囲内だと思うようにしていますなんてことは口が裂けても言わない。どこでそういうのが回り回って本人の耳に入るか分からないからな。
アルテミス先輩相手だったら、皆まで言わずとも察して圧をかけてきそうだが。
「今回の話は聞いたよ。とても大変な状況だとは思うが、どうか頑張って耐えてくれ。私達ドラゴン族は君の味方だ。いつでも我々を頼ってくれて構わない」
「あ、ありがとうございます」
思いがけず強力な後ろ盾を得て、照れるやら恐縮するやらでむず痒い気持ちになりながら、俺を部屋へ案内するようにラインハルトさんに命じられた指揮官さんと二人きりでホールに残される。ついて来るように言われてついて行くと、小さな部屋だがここを使ってくれと言われた部屋は、屈強な上にそれなりに身長のある彼等サイズで言えばそうなのかもしれないが、俺からしたら十分な広さだった。
指揮官さんも退室してしまい、ふと考える……俺、どうしたらいいの? 待つって結構大変だよな?
手持ち無沙汰さとは正にこのこと。取りあえず、ソファーに座って待ってみようか……うん、暇。
そもそも一体どれぐらい待たされるのか分からない。せめてトイレの場所だけでも把握して置こうかなと思い、部屋の扉を片っ端から開けてみる。
一つはベッドルームで、一つはバスルーム。だったら位置的に、絶対トイレ!!
うん、確かにあったけど……この、どう見ても貴賓室らしいこの部屋の中で一番光り輝いているのがトイレってどういうことですか? 清潔感を出すためなのか何なのか、どこか成金趣味な人の家の無駄に豪華なトイレって感じで粗相しにくい金ぴかぶり。そっと、扉を閉めた。
クウィンシーはというと、入った直後は借りてきた猫みたいにキラキラした空間に怯えていたが、すぐに飛び回って辺りを物色し出したので、文字通りに肩の荷が下りてホッとする。クゥークゥー鳴いて、楽しそうに部屋の中を縦横無尽に飛び回っていた。楽しそうで何より。
いやしかし、なんだかとっても疲れたなぁ。疲れた体が、ソファーに座った途端徐々に眠気を招く。うつらうつらと、ソファーへ沈む……
ふと、霧が晴れるようにはっきりする。それが深い眠りから目覚める感覚だと気が付いたのは、変な体制で寝て体のあちこちが痛いと認識してからだった。
ここはどこ……てか、体痛い。あ、そうか、ここは……
えっとぉ……誰かと、視線がぶつかった。クウィンシーはいつの間にやら俺に寄り添うようにして丸くなって寝ていたので違うとして、その人は、ニコニコと満面の笑顔を向けていた。
「おはよぉ大介くん!」
「おはよう、ございます」
俺今、絶対ポカーンとなってるよ。ていうか、何故ここにいるんだベネゼフ!!
へらりと人のいい笑顔で見下ろしているのは間違いなくベネゼフで、テーブルに腰掛けるという行儀の悪い体制なのにも関わらず、美形というだけでどこかエレガント。俺がやったら、間違いなく行儀が悪いと一蹴りされるに決まっているのだが。
って、そんなことより。
「どうしてここに? ていうか、そもそもここは何なんです?」
ここぞとばかりに一気に質問すると、一瞬おやって顔をして、俺が何も知らされずにここにいるのだと悟ってくれた。
「そう、ここで何が行われているのか君は知らなかったんだね。実はね、たった今、この館で魔族会議が行われているのだよ」
魔族会議とは、聞くところによると魔族三大種族のそれぞれの王達を筆頭とする魔族の面々が勢ぞろいした重大な会議なのだそうだ……って、そんな重大な会議が行われているの!?
それってセキュリティー面は大丈夫なのか? だって、どう見ても部外者の侵入を容易に可能にしてしまえる沿岸添いの建物だよ、ここ。ちょっとそれはどうなんですか、な気持ちが顔に出てしまっていたのか、ベネゼフは付け加える。
厳重に秘密を保持し護られねばならない会議だからこそ、キリシク大陸よりも自然界に満ちている魔力量が少なく、刺客などに狙われにくいルネッソ大陸で行われているんだ、と……
そう言われても、俺にはそこんところのことはよく分からない。大人の事情とか、そんなアレなのかなぁと思うことにする。
そもそも、今まで魔族さん達の会議は人間の世界に紛れて行われてきたんだそうだ。夢現界で行われたこともあるんだとか。
元々、こういった会議が招集されることは異例で、本当に深刻な事態が発生しない限りはないみたいだ。で、それを安易に部外者に教えちゃっているベネゼフに呆れてしまう。あなた、それでも竜騎団の団長かよと、開いた口が塞がらない。
まぁ、この会議の招集に関しては魔法族側も周知の事実だから、別にいいらしいんだけど。本当かなぁ? なんか、失礼ながらもベネゼフの大丈夫が信用ならないんだ。
しかし、そういう会議が招集されているということは、ベネゼフも仕事で来たってことなんだろう。正直、顔馴染みに出会えたことは嬉しかったが、仕事の合間にわざわざ顔を見せに来てくれた、にしては格好がラフ過ぎるのが気になる。
いやまさか、そんなまさか……
「いやぁでも! たまたま暇だったからヴァルサザーについて来たけど。こうして大介くんにも会えたし、本当に来てよかったなぁ!」
この人、本当に想像を裏切らないな!!
ヴァルサザー……その心中、お察しします。よく知る苦労人のお姿を思い出し、内心目を細めた。
それにしても、今正に同じ建物内でドラゴン族とヴァンパイア族とウェアウルフ族の王が会議中って……俺、場違い過ぎないか? そもそもここに用があったのはエンシェントなので、俺に選択権がなかったから仕方がないんだけど。
魔族会議と聞かされて、納得したことが一つある。建物に入ろうとした時に寄越されたあの視線とか、この部屋に通された時の素っ気ない態度とか、だ。
そりゃあ、警戒するよな。なにせ、ここにいるのは魔族三大種族の王様なのだ。そこに部外者がいるんだから、それが例えただの学生だと分かっていても彼等の警戒心が刺激されてしまうのは言うまでもない。
だからって帰りたくても帰れないので、大人しくしてるからどうかここに置いておいて下さいと、土下座でもして置いてもらうしかないけど。
いつもの調子で聞いてもいないのにベラベラと話してくれた情報によると……
建物の周りの警備はドラゴン族の護衛部隊がやっているんだけど、その指揮を一任されてるんだよとか、皆ヴァルサザーの部下で堅物ばかりだったから、美酒でも飲んで和ませようとしたら頑なに拒まれちゃったとか、とか、とか……うん。取りあえず、ヴァルサザーと護衛部隊に謝れ。
ヴァルサザーの苦労が、手に取るように分かってしまうよ。
勝手について来ちゃったベネゼフを送り返すことを早々に諦め、このスタンドプレーの名手として知られるベネゼフの、竜騎団長という立場を考え野外警備の指揮を一任したのだろう。しかし彼は、ヴァルサザーの仏心も大河の涙を流すほどにぶっ飛んだ人である。
裕に事欠いて、仕事中の部下達にお酒振る舞おうとか、逆に指揮が下がるだろう! いや本当、ここにいるのがヴァルサザーのところの部下でよかったなぁと思う。これがベネゼフのところの部下だったらどうなっていたんだろう。いや、指揮官がこんな人だからこそ部下がしっかりしているっていう反面教師パターンだったら心配ないかもだけど。
竜騎団の方達も大変だなぁと思っていたら、突然話をぶった切ってとんでもないことを言い出した。
「そうだ! 観光しよう!!」
「は……え!?」
待っている間暇だろうから私と一緒に観光ついでに部隊の見回りをして行かないかい、と……え、ちょ!? この人今、見回りがついでって言った!? いやまさか、俺の聞き間違いだよな? そもそも、魔族三大種族の王様がいらっしゃるのに呑気に観光って?
この人のゴーイングマイウェイのどこに突っ込めばいいのか分からない。助けて! ヴァルサザー!!
って、そんな都合よく出て来てくれるわけがない。




