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「石頭め…」
「なんだって?」
「なんでもなぁ~い」
まったく…反省の色がないから困る。まぁ、説教はしておいたし、後で先生に何を言われようとも俺は知らないぞ。
それはさて置き、さっき言いかけたことはなんだったんだろう?
「それで、使い魔召喚の儀式中止の理由ってなんなんだ?」
もう責められることはなくなったと思った皇凛は、いつもの笑顔を取り戻す。人に聞かれないように声を潜めながらも、興奮気味だ。シャオファンも気になるのか、控えめながらも身を乗り出していた。
「それがね。今朝、『魔神の后土』に行った魔法使いが、大変なものを見つけちゃったらしいんだ」
「大変なもの?」
皇凛にしては神妙な、真剣そのものな顔。お前、そんな顔も出来るんだな…なんて、少々失礼な感想を抱くのだが、その内容を聞かされれば、そんな表情になってしまうのも無理はない。
「『我、契約の魔物 我が主の帰還 この世に終焉は来たる』って、門の扉に書いてあったんだって」
一瞬思考が停止するほど、かなり笑えない話だった。少なくとも、この世界の人達にとっては…
幻想界には、『光闇の戦い』と呼ばれる遥か昔の神と悪魔の戦いを伝承した創世神話がある。その中で語られる『契約の魔物』とは、魔王・ダークスターが使役していた使い魔・ロードの事なのだ。
吐く息は世界を腐食させ、雄叫びは世界を引き裂くと言われ、当時の戦場は、まさに地獄絵図の様相を呈していた。
しかし、光神・アルメシアと使い魔・シュナイゼル、そして祈りの女神・アースによってロードは封印され、魔王・ダークスターも消滅した。平和は取り戻せたが、世界はすっかり疲弊しきり、希望を抱くことすら出来ない有様となって、誰もが生きる力を失って今にも朽ち果てようとしていた。
消え行かんとする命を救おうと、祈りの女神・アースと光神・アルメシアは力の限りを尽くし、希望と安らぎの光に満ちた生命溢れる世界へと創世させたのだ。その創世された世界というのが、地球なのだと言い伝えられている。
信じる信じないは置いておくとして、そういう言い伝えがこの幻想界には存在している。これは歴史学の授業で一番最初に教わるもので、今尚この世界では強く信じる人がいる創世神話である。
神話なんてものは半信半疑な俺だけど、さすがにちょっと笑えないものであることは感じていて、神妙な気持ちで押し黙った…が、皆が恐々としている中で蒼実ただ一人だけが否定する。
「それはきっと、誰かの悪戯だよ」
きっぱり断言するということは、それなりの根拠でもあるのだろうかと思っていたのだが、そうではないようだ。ただ単純に、そこまで深刻な状態なら先生達が話してくれるはずだと思っていたようだ。
そうは言っても、内容が内容なだけに言えなかったという可能性もある。確証を得るまでは不必要な不安を抱かせないように配慮した、ということかもしれないのだ。
それにしても、土の精霊が守る『魔神の后土』にそのような事をやってのけるだなんて、やはり普通ではない。
この世界にとって精霊は、世界の命そのもの。精霊がいるからこそ世界は均衡を保ち、精霊がいるからこそ命は育まれる。
故にこの世界では、命は皆、精霊に生かされているのだと信じられているのだ。精霊なくして世界は豊かにはなれない…と。
それほど大切にされる存在に対しての冒涜。この事態を受けて調査が入れば、確実に犯人は捕らえられることが分かりきっているのにこのような強行に手段に出るとは…とても正気の沙汰とは思えない。
未だ創世神話を信じている人達の世界なのだ。例え悪戯でやったのだとしても、この事態だけでどれほどの不安を煽ることになるか…本当に、常軌を逸してる。
何事もなく終わればいいのだが…
一時限目も終わりに差しかかった頃、教室の扉が無遠慮に開いた。勿論ながら皆一斉にそちらを向くのだが、入ってきた人物は同級生で、しかも気だるげな口調でぼそりと言った。
「寝坊した…」
まぁ、あいつのああいうところは昔からあったから、今や誰も気にしてないけども。
相変わらず、我が道を自由に生きるこの男は、クラスメイト達の野次を気にすることなく、俺の席の脇を通り抜けようとしていた。眠たげな表情を隠しもしない彼に、内心嫌味を込めつつおはようと声をかけたら、あぁ…と返しただけで、そのまま通り過ぎて行った。
お前が、そういうそっけない態度を取るやつだと知らなければ、何コイツ喧嘩売ってんのかと思っていたところだ。まぁ、純一はどこまでいっても変わらないだろうけど。
彼の名前は、浅間純一。常に気だるげな雰囲気を放ち、特に友人というものを持とうとしない一匹狼な俺の友人の一人だ。
同じ、夢現界生まれということもあって、向こうの世界での時事ニュース等を話しかけても、一々説明が必要のない唯一の友人である。
いやホント、これが皇凛だったらと思うと…一つ一つに説明が必要になるので倍も掛かってしまう。
疲れることなく夢現界の話ができるのはいいのだが、如何せん、彼の家はじーさんの世代から魔法使いなものだから、常識と非常識の境界線が曖昧だったりする。おかげで、この学園内において、非科学的現実否定派なのは俺だけ、という構図は変わらない。
えぇ、分かってましたけどもね。
今日は始業式早々、疲れてばかりだ。毎回ではないものの、こういう気苦労が絶えない。こういう時に俺が心の拠り所にしているのは、マイナスイオンに満ち溢れたあの場所だけ。今日もそこに行くことにしよう…
二時限目開始の鐘が鳴り響き、実技訓練が始まる。主な授業内容は、当然ながら他の授業で習ったことの実践で、たまに箒に乗って遠出するなどの社会科見学もあるので密かに楽しみにしている授業だ。とはいえ、毎回そんな楽しい授業ばかりな訳もない。
今日は属性それぞれの詠唱呪文の実践訓練ということだったが、実はこれは俺の不得意とするものだったりする。
学園内の広大な敷地の開けた野外に集まり、あちらこちらでどの詠唱呪文をやってみるかで楽しみにしている彼等と違い、俺は憂鬱な気持ちだった。前回やった時は偉い目に遭ったし、嫌なんだよなぁコレ。
詠唱呪文は、一つ一つの言葉自体に魔力が宿っていて、そこに自分の魔力を注ぎ込むことによって魔法をくり出す術である。それぞれの属性で呪文内容は変わる上に、魔法を行使する際には必ず必要なもののため、皆暗記しなければいけない。
中には、延々と聖書みたいに分厚い本を詠唱し続けるというものまであって、さすがにその時ばかりは本持参で行うようだが。
属性的なものが関係しているのか、それぞれの詠唱呪文には特徴的な言い回しがある。
風属性や緑属性は癒し属性だからか、攻撃的な呪文はほとんどなく、優しい言葉が多い。逆に火属性や闇属性は、攻撃的な言葉を含む呪文がほとんどだ。
土属性は守りの呪文が多く、さきほどの聖書のように長い呪文というのも土属性の特徴で、光属性は全てを包み込むかのような優しさと、何者をも寄せ付けぬ強い力を含んだ呪文が多い。
とまぁ、魔法においての基本中の基本でもある詠唱呪文は実技訓練で行われることも多く、それだけ重要なものである。とはいえ、そもそも魔法使いになる気のない俺からしたら必要ない訓練な気もするのだが、魔力を安定させる上で重要な訓練なんだと言われてしまったら、やるしかない。
嬉々とするクラスメイト達とは打って変わった気持ちで、教科担任であるクラヴィス・ラクター先生を待つ。
因みにラクター先生とは、あの講堂での騒動の渦中にいたシュレンセ先生付きの執事兼従者兼護衛の方。機嫌が直っていればいいなぁと思うわけだが、そもそも授業に引きずるような先生でもないので大丈夫だろう。
程なくしてやって来たラクター先生は、それぞれの属性に分かれて呪文の確認を行うよう指示を出す。となると、俺の属性にはロイドしかいないのだが…確認も何も、奴は俺と話す気なんて更々ないと思うのですが?
眼中にない俺のことなど、どこまでの気にも留めないロイド。しょうがないかと、ロイドの隣に一応いることはいる…が……私語厳禁、な雰囲気になる。話すことが何にも御座いません。
居心地が悪いなぁと思いつつ、詠唱呪文何にしようかなと教科書をめくる。出来るだけ難しくなくて、すぐに終わりそうなやつにしようかなと思っていたら、蒼実が近付いてきた。光属性なのは蒼実だけだから、寂しかったようだ。
「いいなぁ、大介君とロイドは。僕、一人だから…」
「まぁ、光属性や闇属性自体、数が少ないからな。中でも光属性は蒼実と校長先生を含む僅か数名だけだし」
闇属性が十数名いる中で、光属性はたったの数名。元々光属性は、その絶対数が少ないことで有名だが、実技訓練ともなれば尚のこと一人で待っていることが多い。
だからって、ロイドと一緒で羨ましがられるのは嫌である。こいつの蒼実専属番犬感は凄いからな。蒼実が居なかったら、完全なる一匹狼だから。協調性ってものは、コイツに関して言えば皆無である。これでいったら、純一なんかはまだ可愛いものだ。
それにしても、蒼実はもう決めたんだろうか? 既に光の精霊と盟約を交わしている以上、凄い技だって繰り出せるはずだ。蒼実はどうするんだと聞けば、難しいものはやらないかなぁと返って来る。やっぱり、注目を集める属性ってのは早々に終わらせておくに限るよなと返しておいた。
精霊と盟約を交わすというのは、魔力の増強という意味合いが強い。己の力が尽きる時、どちらかの力を分け与えるという契約になる。ただ、実質のところ精霊から魔力を借りるということになるのだが、その逆もあり得るらしい。つまり、素質がなければ不可能なのだ。
では使い魔とは何かと言うと、前にも言ったように友人や侍従関係に近い契約を精霊と交わすということになる。そしてこれは、精霊全体との契約である盟約とは違い、あくまでも一体の精霊との個人契約。その違いは大きい。
まぁ、だから蒼実は凄いって話になるんだけど。
「やぁ、ロイド。今日も元気に不機嫌なようだねぇ」
早く終わってほしいなぁと時間が来るのを待っていたら、また変なのが絡んできた。同学年とはいえ、ハイド組とハロン組では同じ授業になることがほとんどないから、こういう時ぐらいしか見かけないけど。
因みにこのハイド組とかハロン組というのは、一学年から三学年までを二分する組の名前で、それぞれの学年でどちらかに振り分けられている。イギリスで使われている、あるいは使われていた単位の名前らしいのだが、その辺は俺にもよく分からない。
不機嫌がどうのとのたまっているが、お前のせいで不機嫌になったようにしか見えないのだが? そもそも元気に不機嫌って、意味不明な文法だぞ。聞き間違えかと思ったわ。
シルヴィー・アンルシェグ、というこの男はロイドやシャオファンと同じく、錬金術専攻科二年の高飛車で有名な奴である。常に自分がトップでなければ気がすまない彼は、毎回ロイドに負けているせいで何かとロイドを敵視する。つまらない対抗意識というやつである。
専攻も違えば組も違う俺なんかは、シルヴィーと遭遇するリスクはないに等しい。そうは言っても、実技の授業とか何かの行事では見かけることもある。
蒼実と友達である限り、確率は高いだろうなぁ…つまりは、そういうことです。
「やぁ、蒼実。今日も君は可愛いね」
蒼実を前にして、急に態度を改める。お前…本当にそれ、やめてくれない? 蒼実に声をかけたことで、ロイドの怒りゲージが振り切っただろうが! もう本当に、俺の居ないところでやってくれよ…
睨み合う彼等、その間に挟まっている蒼実…と、おまけの俺。俺は無関係だぞ!
というか、俺は未だにロイドの蒼実に対する感情がなんなのか量り切れないんだよな。色恋沙汰なのかなと思っていたんだが、それにしては、危害を加えるか加えないかで判断している節があるんだよ。色恋ならもっと、誰も近付かせないって感じがあってもいい気もするんだが…まぁ、よく分からないんだから放って置こう。
火花散るその狭間で苦しんでいたが、彼等の牽制合戦を知らないラクター先生のおかげで納まった。
「皆、暗唱はできたか? では火属性から一人ずつ、あの草原の方に向いて詠唱呪文を唱えてみろ」
やっと終わったぁと喜んでいる間にも、火属性の生徒が数メートル前に出て詠唱を始める。それを横目に、シルヴィーは挑戦的な言葉を残して踵を返した。
「今学年こそ君には負けないからね。そして蒼実は、僕が貰う」
といういらぬ宣言を残して……今、俺達の周りだけ、ピリピリした空気が流れている。余計なことを言うなよ。俺を巻き込むな!
ロイドはどう思っているかは知らないが、少なくとも蒼実はロイドのものではないので、シルヴィーの宣言はそもそも無効だと思うんだけど…なんて言葉は、呑み込んで置く。