二十二
仄暗く、まがまがしい雰囲気を放つ大広間。壁掛け松明の青い炎が大きく揺らめき、その度に悲鳴のような叫びが木霊する。
イライラと落ち着きなく左右を行ったり来たりし、上段に備え付けられている玉座には座らない。ただひたすらに報告を待っていた。
傍にいた側近の一人が、徐に数歩前に出て膝を付く。
目元を布で覆い隠した長髪の男は、顔が青白く耳が尖っている。鋭い犬歯の先端しか見えないほど静かな口調で言った。
「王、シュウィンミル様がお越しになられたようです」
「そうか、すぐにここへ」
「は!」
待ち望んだ朗報に、歓喜と安堵が押し寄せる。無事を確認出来たことは、何よりの喜びだった。大切な宝物が、一つずつ奪われていく。その得も言われぬ喪失感に、胸が張り裂ける思いだった。
ここ数日間の苦しみも、少しは和らいで行くようだ。
鋼の扉が重々しく開かれ、そこから待ち望んでいた人物が現れる。息子のシュウィンミルだった。
纏った甲冑やマントが煤で汚れている。ここに来るまでに何があったのか、察するに余りある姿だった。
「シュウィンミル、よく無事だった」
「父上!!」
幾年ぶりの再会か、裕に10年は経っているはず。懐かしさと安堵感で、抱きしめずにはいられない。
「父上、何が起こっているのですか!? 兄上だけでなく、姉上まで……皆、殺されたと聞きました!! どうして!!」
「私にも分からない。だが、神の魔力の痕跡が残っていたようだ。神の中の誰かが、息子達を殺めていることは間違いない」
「神が? では、協定を破ったということですか? よくも……アルメシアめ!!」
「違う!! アルメシアではない!!」
「何故、庇うのです!? 彼でなければ、誰がやったというのですか!! 兄上や姉上のお力をご存知でしょう!? あの光神以外に有り得ないではないですか!!」
それはない。絶対にない。それだけは絶対に有り得ないと断言出来る。
何故かと聞かれると説明しがたいことだが、絶対に違うのだということだけは言える。
「とにかく、お前は今すぐアルメシアの所へ行け」
「!? 私がですか!? どうして!!」
「口答えはするな。とにかく、今すぐ行くのだ。クレイヴ、クインビー」
クレイヴは、色白長髪の男。
クインビーは、鍛え抜かれた体をプレートアーマーで武装したドラゴンの羽根を生やした男。
呼ばれた二人は前に出て、次の指示を待つ。王の決断こそ、身命を賭して遂行すべき義務だとの決意を瞳に宿して……
「シュウィンミルをアルメシアの所へ、無事に届けてほしい」
「「王の仰せのままに」」
膝を付き、王命を受け入れる二人。
しかし、シュウィンミルは反論した。
「何を言っているのですか!? 私は行きません!! 絶対にここにいます!! 父上のお傍に!!」
「シュウィンミル、ここも安全ではない。いつ何時、刺客が現れるか分からない。だからこそお前は、アルメシアの所へ行くのだ。もうあの者しか、信用できない。裏切り者誰なのか、分からないのだからな」
「……神が、兄上達を殺したのではないのですか?」
「そうだ。しかし、身内に手引きした者がいなければ、二人を殺せるはずがない。いいかシュウィンミル、ここにも敵の魔の手が忍び寄っているのだ」
「ならば、父上の命も危ないではないですか!! 何故、私の護衛に二人を寄越すのですか!?」
父上の護衛なのにと、声を荒げるシュウィンミル。それでも怯まず、どこまでも静かな口調で言った。もう、誰一人失うわけにはいかないという思いを込めて。
「お前には話すまいと思っていたが、そうはいかないだろう」
「一体、何のお話ですか?」
「今朝、ミラーディアとウェルティスが殺された」
ミラーディアは、妻の名前。ウェルティスは、先日11歳になったばかりの末息子の名前。
シュウィンミルは、信じられないといった顔で緩く首を振って否定した。自分の父親が嘘をつくはずがないと分かっているだけに、それが真実なのだと実感してついには泣き崩れてしまった。
最愛の母と、可愛がっていた弟までも失い、シュウィンミルは己の無力さに怒りと悲しみで床を何度も叩いた。その拳を掴み、言い聞かせる。
「シュウィンミル、もう私の子供はお前だけだ。これ以上私から愛する者がいなくなる前に、どうか生き残ってくれ」
何が起こっているにせよ、シュウィンミルだけは護らなければいけなかった。
城の外の村では、今も尚惨殺されていく同胞達。それはもう、城下のすぐ傍にまでやってきている。
広大な森は焼けつくされ、湖は血に染まった。邪悪な悪魔の力と、本来神聖であるはずの神の力。それが混ざり合い、ただの残虐な闇として魔界を脅かしていた。
急に、場面が切り替わる。
だけどこれは、切り替わったというより……
『…ぬぞ……けっして…許さぬぞ!!』
「っ!?」
心臓が、潰れるかと思った。鼓動が早鐘のように打ち鳴らされて、とにかく胸が痛い。
そのまましばらく、飛び起きたままの状態で胸を押さえてやり過ごす。するとクウィンシーが、心配そうに覗き込んできた。
「クゥ~?」
「ごめん、クウィンシー。何でもないから。本当に、なんでもな……っ!?」
まったく気付かなかったが、部屋の奥の扉の傍に、誰かいた。窓から差す月明りで、下半身だけが照らされる。夜なこともあって顔が見えず、それが更なる恐怖を感じさせた。
マントを着ている。それはつまり、家族の誰かではないこと。誰だか分からないが怖い!!
恐怖から、クウィンシーを思いっきり抱きしめてベットの上を後退る。
逃げたくても、ドアの傍には奴がいるから無理。窓から逃げるにしても、ここは二階だ。飛び降りることは出来るかもしれないが、そのためには窓の傍まで行かないといけない。男との距離を縮めてまでそれが出来るかというと、今の心理状態じゃ無理そうだ。
どうしよう? どうすればいい?
男は、一歩一歩近付いてくる。
もう駄目だ!! 殺される!!
夢の中の記憶と混同していた。
怯える俺の頭に、重みが。ビクッとなって、身を縮める。震えながら耐えていると、その重みはなんと、俺の頭を優しく左右に行ったり来たりした。
……俺、頭を撫でられているんじゃないか? そうだと気付くと、恐怖はなくなった。
一体誰が? 視線を上げて、少し頭も上げてみる。
そこにいたのは……
「スヴェン……さん?」
湖畔の傍で出会った、スヴェンさんだった。え、なんで…?
放心していると、初対面の相手はまず警戒なクウィンシーが、何故かスヴェンさんのことは警戒せず、それどころか嬉しそうに懐いていた。しまいには、俺の腕の中からするりと抜けだしスヴェンさんの肩に乗っかって満足気にしている。
そう言えば、こんなにも俺が恐怖で震えていたのに、クウィンシーは全然威嚇していなかった。そのことにもっと早く気付いていれば、こんなにも怯えずに済んだのだろうが……いや、あのタイミング、この状況ではそれは無理か。
よく見れば、室内だっていうのに靴を履いたままなスヴェンさん……ちょっと、室内で靴とか、止めて。あぁ~あと靴を見ていたら、俺と視線を合わせるようにしゃがんだスヴェンさんは、頭を撫でていた右手をそのまま俺の頬に寄せる。
「護らないと」
「え?」
「護らないといけない」
えっと……この人、前から思っていたけど、主語なくいきなり話し始めるのだが。
いや、俺的にはまず靴を脱いでもらいたいんですけどね。日本人としては、そこはかなり重要なことなんだよ。
でも、スヴェンさんにとっては違うんですねぇ。
「近付いて来ている。君まで、囚われる。あの、ヴァンパイアみたいに」
「ちょっ、ちょっと待って下さい! 近付いて来ているって誰が? 囚われるって、あのヴァンパイアって、誰のことです?」
聞きたいことはいっぱいある。あなたが誰なのかってことも含めて。でもまずは、単語と区切って話すのをやめてもらいたいんですけど!
じゃないと意味がよく分からないのでという意図を理解したのか、彼は一つ一つ答えてくれた。
「魔王だ。正確には、使い魔・ロードだけど。ヴァンパイアは、アシュリーのことだよ」
ちゃんと答えてくれたはいいけど、魔王……いや魔王の使い魔が、俺に何の用だっていうんだ? 理解したくてもあまりにも現実味がない。確かに何かに狙われてる感はあったけど、それ以来ないものだから実感が……それ以前に、魔王とか使い魔・ロードとか、こっちの生まれの俺にはやはり事態の重さが分からない。
ていうか、アシュリー殿下のことをアシュリーって呼び捨てしちゃってていいんでしょうか。
ひとまず、ヴァンパイア族の方々には知られないようにした方がいいかもしれない。それよりも……
「俺が、狙われているんですか? どうして?」
とても重要なことだから、聞いておかなければいけない。こんな平凡なやつをまさかそんな御大層な御方が狙うだなんて信じられない。
そもそも、魔王の存在すら信じてないのだ。どう受け止めたらいいのか、まったく分からなかった。
でもスヴェンさんは、その理由を話してはくれない。ただただ、狙われているとだけしか言わない。
「力を解放しなくては……身を護るには、それしかない」
「力を解放って? 誰の? 俺の?」
「そうだよ」
でもそれって、せっかくシュレンセ先生が俺のためにって施してくれた防護壁を消すということで、結局俺の力を不安定にさせるだけなのでは?
不安を抱くのは当たり前のことだった。何故ならシュレンセ先生のおかげで、ポルターガイストを起こしたりせずに済んでいるのだから。
「自分の力を信じて……君なら、できる」
どうしてなのかは分からない。だけど、その言葉が俺の心を動かしてくれた。極ありきたりな言葉だというのに、何故だか彼から言われると出来る気がした。
懐かしい……と、思った。何故そう思ったのかはやはり分からないけど、でも安心する。
聞きたいことはたくさんある。例えばついさっきまで見ていた夢のこととか、それ以外にも……だけど彼は、もう帰るつもりのようだ。
「もう帰るんですか? あの、今度はいつ会えます?」
「またすぐ、会いにくるよ」
そうか、それなら次の時に聞くとしようと思いながら、なんか甘えてるみたいな口振りなのが最高に気持ち悪いと自分の言動に引いた。
とはいえ、スヴェンさんは唯一掴んだ糸口なのだ。自分に一体何が起きているのか、何が起ころうとしているのか、それを知りたければ彼から聞くしかない。皆が知りたがっている出来事の真相を知る、唯一の存在だった。
また会える、それだけで安堵して、碌に熟睡できなかったことが災いして徐々に瞼が重くなっていく。傍にいた人影は、俺の意識が遠のくまでそこに……
気付けば朝になっていて、スヴェンさんはいなくなっていた。そりゃそうだ。帰るつもりだったのだし。その前に俺が寝ちゃったみたいだけど。
そういえば、今更だが助けてもらったお礼を言い忘れていたと気付いた。部屋の床にくっきりと残った足跡を見ながら、そのことを思い出す。
次に会ったら、部屋の中では靴を脱いでもらうようお願いしてみよう。そう決意した。




