十五
ガッシャーン!!
「!?」
何事!?
「ダイスケェ~」
見渡して確認した元凶は、たどたどしい片言で見上げてきた。クウィンシー…今日も、目覚まし時計を下敷きにして喜んでいる。まぁ、喜んでるのは俺が起きたからかもしれないけど、そんなことはどうでもよくて。
小さな羽根をバタつかせ、少々ふらつきながら機嫌よくやってくるチビドラゴン。辿り着いたクウィンシーが擦り寄ってくる中その先に見えたのは……寂しげに横たわる、目覚まし時計だった。
電池カバー、無念のご臨終。どうやったのか、木っ端微塵となった電池カバーにはお悔やみを申し上げるしかない。
寝起きの頭でそんな見当違いなことを考えつつ、今日も俺の寿命は縮まった。相手は遊びたい盛りの赤ん坊なんだから、多少の悪戯には目をつぶってやらなきゃいけないんだけど、そうはいっても、毎回毎回俺の心臓が悲鳴を上げるんじゃこのままにもしておけない。
軽症を負って横たわる暇つぶしの相手に見切りをつけたクウィンシーの構って攻撃を受けながら、どうせその場凌ぎにしかならない説教をすべきかどうか、改めて検討することにした。あ、なんか涙出そう。
「もうホント、いい加減朝ぐらい静かに迎えさせてくれ」
心の底からそう願った。
クウィンシーを預かってから約1ヶ月。毎日、平穏な日常を平気な顔でぶん殴っていく勢いで失われていく。その一番の被害者は勿論ながら俺だ。
ここ数日、十分な睡眠も取れずにいる原因も勿論クウィンシーで、羽の生えた小悪魔は俺の日常を脅かしている。本人に悪気なんてまったくないから、ただただ途方にくれるしかない。
それにしても、どう考えても日々刻々と現状が悪くなっているように思えてならない。魔術学園なんてものに通ってること自体が間違いだったんだと、今更言ってもどうにもならないけどさ。
ドラゴンが知能の高い生き物だったおかげで意思の疎通は図れてはいるけど、さすがに1ヶ月という短さではまだまだこちらの意図を正確に汲み取れるほど理解はしてくれないから大変だ。
しかし、子育てママの皆さんは皆通ってきた道だもんなぁ……って、なんでママ目線なんだよ!! 危うく状況に流されるところだったな。危ない危ない。
寝不足やらなんやらの疲労感を抱えながら1階に下りて、顔を洗いに行く。さっぱりと気分を入れ替えたところで台所に行くと、朝の早い父さんはすでに台所に立って朝食の準備をしていた。
仄かな疲れを漂わせる俺にもう少し休んでいなさいと父さんは言ってくれたけど、そう言う父さんの方が俺よりも睡眠時間が少ないはずだと思うと言葉に甘えるなんて出来なくて、なんでもないフリをして台所に立つ。そういう時の俺が引かないのを知っているからか、その後は何も言わずに料理の指示を出してくれた。
その間、食べるの専門のクウィンシーは暇になると分かって、早々にリビングの方に避難する。ふわふわと頼りなさげに飛び回っていたが、今日はテーブル中央の花瓶に興味を示したらしく、花瓶の周りをぐるぐる回って下から伺ったり、ふらつきながらも後ろ足立ちをして覗き込んだりしていた。
前に花瓶を割って怒ったことがあるから、花瓶には触れないように頑張りながら、そこから溢れ出るバラの花々を真剣に観察する。多分、バラの匂いに興味をそそられているのだろう。時々、匂いを嗅ぐ犬のような仕草でバラに顔を近づけていた。
昨日の夜も父さんが持ち帰ってきた時に興味を示していたけど、どうやら今朝も健在らしい。
そのまま放っておけばいつまでも見ていそうなクウィンシーだったが、ちょうど母さんがリビングに入ってきたことで少々状況が変わる。ただ単に、母さんがクウィンシーを抱っこするというだけなんだけど。
母さんに抱っこされたクウィンシーは頭の撫でられご満悦。気持ちよさそうに瞼を閉じる。
「クゥーちゃん、薔薇が好きなの? ママと一緒ねぇ」
「キュ~ウ~」
このクウィンシーの相槌は、どう考えても同意ではなく気持いいから出た声だろう。事実、別にバラが好きだから見ていたというわけではないことはすぐに判明する。
「これはね、深紅の薔薇なのよ。綺麗でしょ?」
同意を求める母さんだったが、一通り撫でられて満足したクウィンシーはじぃっとバラを見つめて……パクッと、食べた。
これだけを見れば、確かにバラが大好きなように見えるのだが。
「まぁ、食べたいほど気に入ったのね!」
自分のために父さんが買ってきてくれたバラを食べられても嬉々として喜んだ母さんではあったが、その喜びとは裏腹な形でクウィンシーは……吐き出した。
可愛らしくぺっぺっと吐き出すその表情には、苦痛が浮かんでいた。まぁ、徐々に肉以外も食べられるようになるとは聞いていたけど、小さいうちは肉しか食べないドラゴンにしてみれば、植物なんで論外だろう。それ以前に、それ食用じゃないし。
「あらあら、まだクゥーちゃんには早かったのねぇ」
いやだから、そもそも食用じゃないから。
母さんがクウィンシーの相手をしてくれている間に淡々と料理を作っていった。
「クゥ~!!」
不満そうに、抗議の雄たけびを上げるクウィンシー。これは、もはや恒例ともなった攻防戦の一幕である。
「クウィンシー、しょうがないだろ? 外ではお前のその姿を晒しておけないんだから」
「クゥ~ウ~!!」
何度言い聞かせても断固拒否の姿勢のクウィンシー。よほど、登下校時の強制変身状態がお気に召さないらしい。まぁ確かに、その間まったく身動き出来ないのだから当然といえば当然だが。
俺から離れることが出来ないよう魔法を掛けられているわ、外ではドラゴンの姿ではいられないわ、家の中では十分に飛行訓練できないわ、色々な事情を考慮してもこれは避けられないことなんだよな。まぁ、こっちは頑ななクウィンシーに言うことを聞かせる方法がないわけではないので。
「そうか、じゃあクウィンシーは家に残れ。俺は学校に行くから。じゃあな」
さらばの仕草で片手を挙げながら玄関のドアに手を掛けると、後ろで寂しそうなクウィンシーの鳴き声が聞こえてくる。ちょっと卑怯な作戦ではあるが、こうやってクウィンシーを誘導するしかない。
今日も俺の作戦勝ちとなってクウィンシーはネクタイピンに変化する。何度も確認して、よし大丈夫だと思って玄関を開けると……目の前に一瞬、壁が現れた。いや、壁っていうか、人っていうか。
「君が高崎大介か」
壁の人……ではなく、高身長の外人さんは、厳しい表情で俺を見下ろした。てか、俺が誰なのかの前に、あなたは一体誰ですかと聞きたいところなんだが。
高級ブランドのカジュアルスーツに身を包み、青白い肌と鋭い眼光。その特徴から、どう見てもヴァンパイアであることは明白だった。
何故ここにいるんですか、あなたは何者ですか、と色々疑問が浮かんできて返答に時間がかかっていると、もう一人の声が玄関前の軒先から聞こえてくる。
「こんなところで何をなさっているんですかぁ? レイモンド殿下」
「カイザードか。久しいな」
ここ1ヶ月ほど、クウィンシーがいるから安全だとか言って夢現界では会うことがなかったカイザードが、どこか胡散臭い敬語で現れる。会うのは実に、数日ぶりのことだろうか。クウィンシーが来てからは頻繁に会うこともなくなって、幻想界の方で会うことがあるかなぁというくらいだったのだが。
因みにヴェルモントさんに至っては、クウィンシーを預かることになって以来会ってない。その理由は、幼いドラゴンには自己防衛本能があって、その身に危険が及ぶと判断すれば周囲に警戒フェロモンを分泌するらしい。おかげで同族のドラゴン達の警戒網も高まって、警戒フェロモンの発生地に集結するからなんだとか。
つまり、すでに俺にはクウィンシーという防犯ブザーがあるから心配ないってことらしい。いや、防犯ブザーの比喩は俺が今思いついたんだけど。
要するに、クウィンシーというセキュリティーのおかげで安心だということだ。その分、日々の保育は大変なんですがね。
一瞬の黄昏れつつも、二人のやり取りからお二人が親しい間柄なんだと理解する。
「よぉ、ホント久しぶりじゃねぇか」
「私は、一度としてお前にその口調を許可した覚えはないが……本当に相変わらずだな」
呆れたようにカイザードを見やるヴァンパイアは、どうやらヴァンパイア族の第一王子のレイモンド殿下だったようだ。
立場の違いや年齢の違いから考えても、当然カイザードの方が敬語を使わなければならないところを許してしまう王子。カイザードと並んで立っていても、その見た目年齢に大差ないことが空恐ろしいのだが、カイザードの態度を寛容に受け入れる心の広さはさすがに堂々としている。
まぁ、それを当然のことと受け止めてるカイザードもある意味凄いけど。
「そりゃあ、そうそう変わんねぇよ。んなことより、お前はこんなところで何してる?」
「彼に会いに来ただけだ」
「あぁ、そうですか。って、許可は出てねぇんだろ?」
「何故私が、王の許可を得て彼に会いに来なければならない」
「そういう通達が、お前等のとこで出てるんだぜ?」
「私はもう、王家と関係もなければヴァンパイア族とも関係はない。従う必要などない」
「そう言う割には、今でもアルバス王のことを王って言うのな」
指摘されて初めてそのことに気づいたのか、一瞬怯むも王族の気品を失うことなく冷静で堂々と振舞う姿はさすがだ。俺から言わせれば、その一般人とは一線を画す立ち居振る舞いはすでに、王族の身のこなしだと思うのですが。
「習慣はそうそう抜けないからな」
「ま、そういうことにしておくか。で、なんでここに来た? まさかお前も、アシュリー殿下のことで彼に会いに来たのか?」
「お前も? 私以外にも誰か来たのか?」
「あぁ、アシュリー殿下の愛人がな」
からかい口調で答えるカイザードに、一瞬不愉快そうに眉を歪めたレイモンド殿下。カイザードの言わんとする意味を正確に理解しているからこその反応なのだろう。
恐らく、愛人と呼称された人物が誰なのかも当たりがついているのかもしれない。
「だが、彼に会ったところで何も分からないな」
「あぁ、あいつもよく分からなかったみたいで、自己紹介だけして帰ったぞ」
「だろうな。普通の人間にしては魔力が強いということぐらいで、取り立てて目立ったところのない子供だからな」
「それは本人を前にして言うことじゃないだろ」
まったくだ。そんな容赦なくズバッと失礼なことを本人の前で言ってくれちゃうなんて、普通なら失礼過ぎるところだ。俺だったからよかったものをなぁ。
その後彼は、再度上から下まで俺を見た後、何も言わずに去っていった。え、なんなんだ皆。魔族っていうのは、皆ああなのだろうか? 高貴な身分なせいで、どうも俺達みたいな下々のことをぞんざいに扱う傾向がある気がする。
いや、あの人はそんなつもりで無言のまま去っていったわけではないのかもしれないけど。そんな、無意識の悪意を感じなかったから。
「結局、あの方は何しに来られたんですか?」
「多分、あいつなりにアシュリー殿下のことを知りたかったんだろう。王宮にいた時は、そりゃあ大層可愛がってたみたいだし。あぁ、変な意味じゃないぞ? 弟としてって意味だぞ?」
慌てて補足してくれたが、別にそんな意味では受け取ってないんですけどと思った。一応、そんな付け加えはいらないですよ、と返しておくことにする。




