十四
ヴェルモントさんもいない中、今ここで孵化されては本当に困る!
焦って周りを見回しても、ダミー君は目の前の実験を完遂することだけを目的として作られたのか、本当にそれだけしか見ていない。そもそも意思のない人形相手に助けを求めてもどうにもならない。
てことはやはり、ここは一旦外に出て人を呼んでくるしかないかと意識を逸らしたその瞬間、パキリだかパカリだから音を立てながら殻は大きく割れていた。
もう迷ってる暇はない!!
しかし、この絶対絶命な状態で俺に何が出来るというのか。一瞬の迷いはあれど選んでいる暇もないので、まずはドラゴンに見られないよう身を隠すのが先決だとしゃがみ込む。
そのまま、そろりそろりと抜き足差し足忍び足で扉へと向う……のだが。
「クゥ~!!」
一際大きな鳴き声が木霊し、その後断続的に鳴き始めたかと思えば、急にぴたっと鳴き声が聞こえなくなった。
驚き思わず振り返ると……
只今、深刻な顔をつき合わせた御三方が、目の前で頭を抱えている。いや、お一人の方は困り顔をしているので深刻顔ではないけど。
「前代未聞だ」
「そうですね」
「歴史上稀に見る出来事だ」
「本当にそうですね」
有り得ないどうしたものかと頭を抱える見覚えのある方の呟きに、ひっそりと相槌を打つこれまた見覚えのあるお方。前者はヴァルサザー、後者はヴェルモントさんだ。
一方シュレンセ先生は、そんなお二人のお姿に苦笑を漏らして居られる。無論、笑ってはいても対策を考えてくれているのだろうけども……一向に口を開かない辺り、まだ見つからないご様子。
ちょっと、本当にこれ、マジにどうすればいいの?
俺の膝の上で寛ぐ、生まれたばかりのドラゴンの赤ちゃん。たらふくご飯をもらった後、ぐーすかと気持ちよさそうに寝入っており……いいなぁ、呑気で。
丸まって眠る姿は非常に愛らしく、ドラゴンの縮小バージョンというだけなのだがどこか愛着がある。
いや待て、自分! ここで絆されたら終わりだぞ!
よく思い出すのだ。こうなってしまった経緯を。あの例えようのない絶望感を!!
思わず振り返った俺の目に飛び込んできたものは、籠から必死に顔だけ覗かせたドラゴンの赤ちゃん。それも、パッチリお目目を開いている……愕然!!
色々な思いが駆け巡り動けなくなる俺と、ばっちりと視線を交わしていた間はゆうに数分。俺の方は大いなる混乱でそうなっていたが、あちらさんは視界もはっきりしないながらも親を認識しようと必死だった。
そんな見えない拘束に金縛り状態の俺を見つけたのはヴェルモントさんで、その後すぐにやってきたのはシュレンセ先生とヴァルサザー。
しかし、当の俺は彼等が傍にいたことにすぐには気付けず、しばらくかちこちに凍っていたのだった。
で、現在に至るわけでして……
「この様な事はまったく経験がないゆえ、正直どうすべきかいいか皆目見当が付きません。シュレンセ殿、この様な場合はどうすればよいのですか?」
「非常に難しい問題ですねぇ。生まれたばかりのドラゴンは、ある程度成長しない限りは親以外からのご飯を一切受け付けませんし……とはいえ、幻想界の者ならまだしも夢現界での育児や、子供がドラゴンを育てるというわけにも」
ですが他にこの子を生存させ適切な教育を受けさせる方法は思いつきませんしねとシュレンセ先生も困り顔。いや、だとしても俺は育てられませんけどね。
こんないたいけなドラゴンを育児放棄するわけにもいかないけども……って、何が育児放棄だ。そもそも俺の子じゃないし。
内心慌てて反論するその間にも、皆さんの会議は行われていた。
「問題なのは、不測の事態が起こった時に彼では対処できないということだと思われますが」
そうだ、そうだ。まったくもってその通り。さすがはヴェルモントさんだ。
もしも育てることになったとしても、知能の高いドラゴンを犬猫のように飼うというわけにもいかないし、そもそもご近所さん達にひた隠しにして育てるなんて無理すぎる。
もし誤って外に出てしまったものなら、多くの人の目に架空の生き物であるはずのドラゴンを目撃されてしまうことになり……それはもう、間違いなく大惨事!!
それに、一般人の中には宮田先輩みたいな特殊な能力を持つ人だっているわけで、その人達が何かを感じ取っちゃったりしたらどうする? 考えれば考えるほど、俺が育てるという選択肢は消えていく。
そこでヴェルモントさんは、彼に寮生活をして頂くというのはどうですかなんて提案をしてきたが、それは俺が全力で拒否したため却下となる。
しかしそうなると、どんどん選択肢は狭まっていくこととなり、結局ただ一つの結論に達してしまう。
「では、出来うる限りの予防措置を施した上で大介くんに育ててもらうということでいいですね」
「はい。こればっかりは致し方なく……」
「気難しい種族ですから、そうするしか道はないでしょう」
ということになってしまった。いや、勿論俺も抵抗はしたんだよ? でもね。でもさぁ……これしかなったんだ。最初から、道は一つだったようである。
ぐっすりと寝入る赤ちゃんドラゴン。この子が生きるために俺が出来ることは、この子を立派に育てることだった。
死の淵から生還した奇跡の赤ちゃんドラゴンに、悲しい最後は必要ない。俺の決意は、致し方ない成り行きで固まることとなった。
育て方一つで凶暴性はなくなるという言葉を信じての現在。実家の居間にて、テーブルを挟み向かい合う母とヴァルサザー。
大方の事情を説明され、母は驚きつつも了承した。
「本当にこのようなことになってしまい、大変申し訳ありません」
「いえ、いいんですよ。こちらは一向に構いませんから」
「そう言って頂き、安心致しました。どうかよろしくお願い致します」
深々と頭を下げたヴァルサザー。さすがウン百年と生きているだけはある。日本人の常識、深々お辞儀と丁寧語を駆使して受け答えしていた。
因みにドラゴンは、未だぐっすりと夢の中である。
というか、そもそもファイアードラゴンって火山口にて育つはずではないのか、そんな中で四季折々な気候変動激しい日本で暮らせるのかと疑問だったが、どうやらそのような心配はご無用らしい。
なんでも、一度生まれてしまえば極寒の地でも生きられるのだという。なんともまぁ、ドラゴン族の中でも一番生命力が強いだけあって素晴らしい適応能力ですなぁ……俺的には逃げ道が一つ減ったので困るけど。
ただ、気候変動が激しい分体温調節が難しいそうなので、その分食費がかさむらしい。いやそんなの困るよと思ったのを察したのか、ご飯の方はこちらで用意して配達するからと即座に帰ってきてまた逃げ道が塞がった。自分的にも往生際が悪いとは思うけどさ。
因みに、出来うる限りの予防措置というものについても教えてもらった。一つ目は、夢現界において俺から半径3メートル以内にしかいられなくさせる魔法。二つ目は、夢現界では火を噴く能力を使えないようにする魔法。三つ目は、一定の大きさ以上に大きくはなれないようにする魔法。四つ目は、夢現界において家の外にいる間はある程度成長するまでは日用品に変化する魔法。というものだった。ある程度成長というのがどの制度の成長のことを言っているのかは分からないけども。
因みに、他にも便利な魔法をかけているのだそうだ。
それをまるで通販番組みたいにあれこれあるから大丈夫とか熱弁されたけど、ないよりはマシだからといって、お買い得だよみたいなニュアンスだったのはどうなのか。俺的には全然お得感ないもんなぁ。
膝の上の赤ちゃんドラゴンを見て、お前はのん気に寝てていいなぁなんて黄昏ている間に、いつの間にやら帰宅した父にまで説明し、説得し、了承を得たヴァルサザー。
その必死さを肌で感じるだけに、心中複雑な気持ちでそれを受け止めるしかない。今日、この瞬間、我が家に、今世紀始まって以来の重大な秘密と新たなる家族が増えた。
ヴァルサザーもヴェルモントさんも帰った後、早速俺達は家族会議を始めることとなる。まず初めに突き当たった壁。それは……
「この子、どんな料理を食べるのかしら?」
「大介は知っている? ドラゴンの食べるものって」
「うん、まぁ、一応教えてもらったけど」
「で、なんなんだ?」
とか、いつも通りの不遜な態度で尋ねる慎介を気に留めることなく、メモ紙に走り書きしたことを読み上げる。
「まず、生肉を用意する。そしてそれを耐熱皿の上に乗せ、そのまま差し出す……以上!」
「えっと……つまり、調理はしなくていいってことなの?」
「うん」
そうなんだ、なんてそれぞれ口にしながら、どこか心配げに視線を交わしては俺にアイコンタクトしてくる面々。いや、何を思い言わんとしているかは重々承知しているが、これに関してだけは俺とてコメントし難いんだからあえて突っ込まないでほしい。
いつもなら賑やかな一家団欒を送っているはずのリビングだが、今は妙な空気が流れている。しばらく黙り込んでいたが、皆やっとご飯にしようかと動き出す。
因みにドラゴン用の肉はすでに用意周到なお二方によって先ほど貰っていたのだが、何分生肉のままなんて発想はなかったようで、食材の一つを渡されたのだと両親は思っていたようだ。
まぁ、普通は生肉のままって、ねぇ? ライオン的猛獣でもない限り、思わないし……いや、ドラゴンもある意味猛獣だけど。
さすがに冷えたままはとの配慮で常温に解凍されている間に、美味しそうな匂いを嗅ぎ付けたドラゴンはあくびをしながら目を覚ます。起きた直後に俺の手にすりすり頬ずりをして愛情表現を示す姿に、母はキャアキャアとはしゃいでいた。
楽しそうだねぇ……是非とも俺と代わってくれ!! という本音が思わず飛び出そうになりながら気づいたことなんだが。
「まぁ、クゥ~クゥ~鳴いて、ホント可愛いわねぇクゥーちゃん!」
「ちょっと待って、いつの間にクゥーって名前になってんの!?」
「え? だってほら、クゥ~って鳴いてるでしょう?」
「クゥ~」
「ほら!!」
いや、ほらとか言われても。ていうか、名前をどうするのかについてまったくお二人と話し合っていなかったことに今更ながら気付く。
ちょっと、どうすんだよ!? いや、まずはこれだけは言っておかなくてはだな。
「とにかく、勝手に名前決められるのは困るって」
まだお二人とちゃんと話し合えてないしと続けたが、今日からうちの家族なんだから、私達が付けたっていいでしょう、と返ってくる。いい訳ないだろう!! いやそもそも、いくらなんでもその名前は絶対駄目だと思うんだが?
犬猫の名前じゃないんだし、自我のあるドラゴンが一生使う名前としては不十分だろう。そう指摘したのだが。
「あら、どうして? 可愛いじゃない。ねぇ? クゥーちゃん!」
「クゥウ~」
「あら、気に入ってくれたの? ママ、嬉しいわぁ」
だから、勝手に自我のない本人の了承を得ようとしないでくれってば!! しかも何気にそれが気に入っているらしい赤ちゃんドラゴン……まぁ確かに、いつまでもドラゴンドラゴン言ってるのも変だけどさ。いやしかし、勝手に決めていいことではないと思う。
それ以前の問題としてクゥーなんて名前は酷すぎだ。愛称ならともかく。
そんな心の声が聞こえたか否かは分からないが、一口大にカットされた解凍し終わった生肉を持って父が参入してきた。
「じゃあ、クウィンシーなんてのはどうだろう? それなら愛称がクゥーでも問題ないと思うんだけど」
「あら、名案ね!! さっすがあなた!!」
俺が口を挟もうが挟むまいが勝手に話が進んで行く。しかも、完全にそれでいこうと決定している母を前に俺の抵抗はまったく通用しないわけで……ヴァルサザーにヴェルモントさん、マジですみません!! 心の中で深々と謝っておいた。
そんな俺の心境を置き去りに、呼ばれている本人は大喜びで生肉に貪り付く。
うん、さっすがドラゴン。怖いくらいに猛獣なお姿である。




