十一
シュレンセ先生の書斎を出て玄関へ向かうと、外はまだ明るかった。日が暮れ始めると途端に冷え込む幻想界。急いで帰らなければ、また凍死寸前の恐怖体験をしてしまうかもしれない。
足早に魔術学園を出て住宅街か『潤しの源泉』かの分かれ道にやってくると、見覚えのある団体がそこに。
「あ!! だいすけぇ~!!」
いち早く俺に気付いた皇凛が、振り切れんばかりに大手を振って主張するのだが……その前に、なんでここにいる? 精々40分やそこらの用事だったとはいえ、まさかその間ずっとここに居たと言うのか?
暇人かと内心突っ込みつつ近づと、振り返った面々の中心に、見知らぬ少年の顔が覗く。
サラサラの白銀の髪と同色ながらに深みを増した瞳。着ている服が男物でなければ少女かと見まごうばかりの美少年である。
目の前まで来てもやはり、性別を断定しにくい。
「こ、こんにちは」
「こんにちは」
挨拶を返したはいいが、初対面なのでどなた様ですかって気分である。本人に直接誰ですかって聞きたくとも、おろおろしている感じだったので聞きづらい。友人達を見渡して視線で尋ねると、蒼実が小声で教えてくれた。
「ブランシェくんだよ」
「ブランシェくん?」
「ほら、ユニコーン一族の長の息子さん。幻想界散策の時に聖獣の森で会ったでしょ?」
「あぁ…」
そういえば……って、え!? あの時の、ユニコーン!? いやだって、思いっきり人の姿なんですけど?
出生率の低くなった近年では、生まれながらに魔力の高い子供達が生まれ、幼いながらに優秀な子供が多いとは聞いていたけど……まさか、しゃべるだけでなく人型にまでなれる逸材が聖獣の中にも居るってこと?
人の姿になるには、何十年もかかるものだと教わったのだが。
「君、もしかして天才的な魔力の持ち主なの?」
「え?」
「いや、その年で人型になれるって普通ないんでしょ? っても、魔族の場合の定説しかしか知らないんだけど」
授業ではほとんど魔族についてばかり教わるから、聖獣のことは分からないけど。でも、魔力が高ければ云々が同じなら、人型になれるという状況も同じなのではと思ったのだ。
「ち、違うよ! 僕は愚図だし……」
慌てて否定し落ち込む彼。いや、そんな落ち込まれると俺も責任を感じちゃうんですけど。
まぁ、あれだけ完璧で我が道を貫く強く厳しい父親がいるのだ。自分に自信を持てなくなってしまう気持ちは分からないでもない。
それはそうと、なんでここに居るのだろう?
「ここには一人で来たの?」
もうすぐ暗くなるから早く帰宅した方がいいよと言い終わる前に、強い口調の声が響いた。
「ブランシェ」
「父さん……」
「こんなところで何をしている」
これまた凛々しい人型で現れた漆黒のお姿のお父様。魔術学園方面の道から現れたということは、何か用事があったのだろう。
厳しそうな目元は笑みを作った形跡はなく、微笑みの仕方を一体どれほど忘れているのかと思ってしまうほど頬の筋肉は凝り固まっている……ように見える。
いやそれよりも、なんでそんなに美形揃いなんだ? その後ろには、彼に付き従っているかのように従者っぽい人が控えていて、これまたこちらも大層な美形だった。
「おぉ、ブラン坊。なんだ、友達が出来たのか?」
気さくに声をかけるあたり、従者ではないようだな。何よりブランシェくんが、彼のことを叔父さんと呼んでいた。ということは、彼等は血縁の可能性もある……まさかまさかの美形家系か。いや、あくまで人の姿で見たら、だけど。実際のユニコーン姿を一瞬しか見てないから、そっちではどうなのかは分からないが。
そんなことを考えながらのん気に彼等を見守っていたのだが、何やら前方からものすっごい視線を感じる。吟味するような鋭い視線で射抜くのは、ユニコーン一族の長さんとやら。
確か、えーと……そう、確かウルヴォロスさん。
てか、一体何事? 怖くて仕方がないんですが。
何故に睨まれているのやら分からない。俺は何もしていないというのに。
「お前……」
え、やっぱり俺!? 内心あたふたしつつ見つめ返していると、予想だにしていなかった人の声が肩口から聞こえてきた。
「私の存在が不愉快なのは分かりますが、不可抗力です。私共の進路にたまたまご子息がいらっしゃっただけなのですから」
なんだ、ヴェルモントさんを睨んでいたのか。
言われてみれば、俺の肩に乗っかっているヴェルモントさんと俺の目の位置はほぼ同じ。ぶつかる視線も、ほぼ同じ位置になるということ。どうやら俺の取り越し苦労で終われそうだ。
「それにしても、このような往来にご子息を置き去りとは、貴方らしくありませんね。ウルヴォロスさん」
敬称を付けてはいるが、それは広く使われるものだった。シュレンセ先生に対して話していた時には様が付いていたけど彼には付けていないってことは、ヴェルモントさんの中では様付けするほどの敬意は持ってはいないということのようだ。
口調は至って冷ややかだし……シュレンセ先生の時には、もっと柔らかさがあったのだが。
そのどれに不快だと感じたのか、眉間に皺を寄せていたウルヴォロスさん。しかし一瞬睨んだだけで、ブランシェくんや叔父さん達に向かって行くぞと声をかけた後、住宅街へと去っていった。
それを追って早足になっていたブランシェくん。俺より頭一つ分背が高かったとはいえ、彼のお父さん達は更にでかくて足も長いわけで……コンパスの違いは、罪である。
彼等が去って行った後、またもや皆して俺を見送ると言い出し、連れ立っていく。その道すがら、なんでブランシェくんと一緒にいたのか聞いたところ、たまたまあの辺りで右往左往していたブランシェくんに会ったのだと返ってきた。
何故そうなったかの経緯も聞いてみると、どうやら森の外に出ること自体が初めてだったため、色々と見て回っていたらあの場所まで迷い込んでしまったらしい。学園のすぐ外でおとなしく待っているよう言われていたのに、森の外であることと人の姿であることに浮かれて気付いたら……だったようだ。
これはもう、家に帰ったら絶対説教を食らうだろう。
まぁ確かに、ここの分かれ道は木々が同じように生えているせいで三方同じように見えてしまうから、自分がどこから来たのかも分からなくなってしまった場合は迷うかもしれないが……って、そんなミラクルはそうそう起きるわけがないだろう聖獣様に限って。
でもあの子、どこか抜けている気がするからなぁと失礼な感想を抱いてしまう。
皆に見送られる中、夢現界へと戻っていった。
地下室に着くと、ヴェルモントさんは人型になる。神経質そうに眼鏡をかけ直し、一瞬だけ俺を見て行きますかと言って早々に歩き出す。いや、別にいいんですけどねぇ……なんか、この人との間には、決して越えられない壁があるような気がするよ。
高級外車に乗り込む際には自らドアを開けて乗り込んだが、ちょうど事務関係の職員さん達の帰宅時間と重なってしまい、視線を集めてしまった。
ここでは別に、家が金持ちかどうかなんて特に気にもされないのだが、俺から滲み出る何かが原因なのか何なのか、平凡な俺がこんな車に乗って送迎されていることに多少の驚きを感じているらしい。いや、俺だって別に好きでこんな目に合っているわけではないのだが。
帰りの車の中、学園を出るまでは身を潜めることにする。
家まで送ってもらっている間の無言が堪えられなくて、何故こんな目立つ車に乗っているのかと聞いてみることにした。
「うちの社長の趣味です」
「社長? 趣味?」
社長の趣味で、どうしてヴェルモントさんがこんな車に乗るのだろう?
そういえば、人間の会社に潜入しているとは聞いていたけど、結局何の役職に就いているのかは聞き忘れていたなぁ。
「私は今、とある会社のCEOの秘書をやっているのです。その社長がまた問題児でして、自分や部下の素晴らしさをアピールするため、我々直属の部下に対し高級なものを身に着けるよう言ってくるのですよ。初めは拒否したのですが、業務外であるプライベート送迎なども時々やっているものですから、彼の体裁を保つためにも仕方なく購入したのです。ほとんどの場合送迎はお断りしているのですが、中にはトラブル処理などもありますので……」
泣く泣くと言った感じに不本意感を露にするヴェルモントさん。そう言えば、彼が着ているスーツも非常に高級感があるような。
それにしても、ただ見栄を張りたいだけで部下にそんな要求をするとは、とんでもない社長だなと思っていた数分後、家の前まで到着したはいいのだが……見慣れない、これまた高級外車が家の前に停まっていた。何事かと思い車を降りる際、ヴェルモントさんが苦い顔をしていたような気がしたけれど。
車から降りた俺達に気付いたあちらさんは、まさに運転手なお姿の人のドアオープン後に車を降りた。これぞ正にセレブなオーラをまといて……
「やぁ、ヴェル! 用事とやらは終わったかい?」
役になり切った舞台役者のようなうざったい仕草だな。そもそもヴェルって誰と思ったのだが、それも一瞬のこと。お隣のヴェルモントさんが、小さな溜め息と共に眼鏡をかけ直したから。
なんとなく、この人がヴェルモントさんの頭痛い人なんだなぁというのは分かった。ついでに、多分この人が社長なんだろうということも。
いやそれよりも、こんな狭い住宅街の道にでかい車が二台もあると非常に邪魔なんだが。そんな危惧は一切していないらしいあちらさんは、堂々たるお姿でこちらにやって来る。
「いやはやホント、仕事熱心で口うるさい君がいない一日は変な感じだったよ」
「一日も何も、社長としての業務はまだ終わっていないはずですが」
「なぁに、そんな細かいことは気にするな」
果たしてそれは、細かいことなのだろうか? いや、絶対細かくない。
「貴方という人は……自由奔放なのもいい加減にして下さい。社員を路頭に迷わせる気ですか」
「なぁに、君みたいな優秀なのがたくさんいるのだから大丈夫さ」
「だったら今すぐ社長を辞めればいいですよ」
ここでもヴェルモントさんの棘は炸裂。むしろ、この人のおかげで刺々しくなっちゃったんじゃ?
温度差の激しい両者の会話を見守りつつ、ヴェルモントさんの方が数倍年上のはずなのに社長さんの方が年上に見えるのが不思議だなぁとか思っていた。幻想界の人達は皆、年齢詐欺かと思うほど若い人ばかりだからな。
イライラが募ると眼鏡をかけ直す癖があるのか、しきりにヴェルモントさんは眼鏡をかけ直し、のん気な社長さんは更に彼のイライラに油を注ぐ。
「やはり君のそのストイックさは堪らないね。ゾクゾクするよ」
「変人は黙ってて下さい」
こういう変人を相手にする身がよく分かるだけに、ヴェルモントさんに同情せずにはいられない。傍観者としてそれを見守っている内はまだいいのだが、何故か俺にも火の粉が降りかかる。
「おや、この子が君のワイフかね?」
「違います」
ヴェルモントさんのお早い即答に、俺も心の中で同意。てかこの人、ワイフの意味知ってて言ってんだろうか。はじめましてなんて勘違いしたまま挨拶してくるけど、人の話をまともに聞く気がないってのはどうなんだ?
一応挨拶はしたが、その際中学生なんで結婚はしてませんとちゃんと主張しておく。同性婚をする気がないこともな。ちゃんと理解してくれたかどうかは自信がないけども。
お互いの車が対向したまま停車していたせいで、社長さんの車の方からやって来た車が立ち往生する。クラクションも鳴らさず困っている車を目ざとく見つけたたヴェルモントさんは、運転手さんに指示して場所を移動させた。
だが、俺にはその車に見覚えがあった。父さんの車だ。
せっかく運転手さんが移動してくれたにもかかわらず、父さんは車から降りて俺達の方にやって来た。深々と頭を下げて、ヴェルモントさんに感謝と御礼の言葉を述べる。
「今日は大介がありがとうございました」
「いえ、仕事ですから」
という会話の後、父が顔を上げると……社長さんがはっとしたように父の顔を見、父も同じく、社長さんと目が合うと一拍置いて驚いた。
その瞬間のヴェルモントさんはというと……何故か、溜め息を吐いていた。どうして?
…何故?




