十
一体誰の声なのかなんて、振り返らずとも分かってしまう。タイミング悪すぎ。
いや、そもそもなんで皆、俺をストーキングするんだ?
「どうしたの大介?」
希望通り会いに来てあげたよと優しく耳元で囁かれたのだが、全然希望していない上に囁くの止めて。今日は俺の命日になるんじゃないだろうな?
せっかく穏やかで有意義な時間を過ごして家に帰れると思っていたのに、結局こうなってしまう。アルテミス先輩は俺の精神を擦り減らす天災……基、天才だと思う。
宮田先輩は人を振り回す空気の読めない人なんだけど悪意はない。だが、この人は隙あらばアリジゴクのアリの様に俺を地獄へ引きずり込むタイプだからな。怖さの質が違う。
取りあえずここは、無言の圧力に屈することなく平静さを装うことにする。
「今回は一体どのようなご用件でいらっしゃったんですか?」
「いやだなぁ。急にそんな他人行儀にならないでよ」
僕達の仲でしょうって聞いてくるが、何の仲もございません。この人ホント、宮田先輩と同じで自己中すぎ。世界の軸は自分だとでも思っているんじゃないだろうな?
思わずうろんげに見てしまうわけだが、ニコニコと笑うばかり。突っかかって来るでもなく受け流す様子に、若干恐怖心を抱く。普通ならここで、何か言いたげだねとか言って来るのだが。恐ろしいので、視線を逸らすことにする。
俺の質問には、アルテミス先輩ではなくサンダース先輩が答えてくれた。
「俺等は三年の夏合宿の検討会議に来たんだ」
夏合宿? あ、そうか。毎年三年生は、夏休み前に合宿が行われていて、その間の二週間程は学園を空けるんだったなぁと思い出す。
ということは?
「今、大介が何に思い至ったのかが分かるだけに、寂しいを通り越して怒り心頭なんだけどなぁ?」
考えるのを寸止めしたのだが駄目だった。さすがに顔に出てしまったか? やっとこの人の呪縛から開放されるってちょっと浮かれるくらい、別にいいと思うんだけど。
にしても、それと俺等の教室に来ることにどんな関係があるのか。
「大介はどうやら忘れちゃっているみたいだけど、元々二年生の教室って会議室に使われる場所だからね」
そういえばそうだったな。学園自体が巨大なこともあって、移動が大変だからとこうして身近な教室を兼用して使うことが多いんだった。二年の教室は職員室の真上で、三年の教室の二階下だから、両者の移動の手間が省きやすいため会議室扱いもされているのだ。
これだけ広いくせにどこかケチ臭いとは思いはするが、移動の手間を省くという点に重きを置けば、確かに効率的と言える。それじゃあ、これからは教室での雑談にも気をつけねばならないということか。面倒だなぁ。
「再会のハグでもしてあげようか?」
「結構です!」
ハグの文化はないので、と断った。幻想界にはあるよと言われたが、俺は日本人なのでと頑なに拒否。ハグとキスの文化は西洋に全てお任せしますので、俺はご遠慮させて頂きます。
君は本当につまらない生き方しかしていないねと蔑まれたが、折れることは決してない。
そのまま逃げるように教室を後にした。
教室を出た後、ふとあることを思い出す。まだ先のことだとは知りつつも、何故か無性に気になって方向転換。急に進路を変えたことに皆も不思議がるが、ちょっと寄り道と言って帰宅を後にする。
今頃、どうなっているだろう? そればかり考えていてすっかり失念していたことが……もしかしたら先生、会議の方に行っていてここにはいないかもしれないじゃないか、と。今更思い至っても、すでに扉の前なのだが。
来る前に職員室で聞いてからにすればよかったかと思うが、時すでに遅し。来てしまったからにはノックせざるを得ないよなぁと思っていたら、徐に目の前の扉が開いた。
「せっかく来たのに、中には入らないのですか?」
にこやかに出迎えてくれたシュレンセ先生。その口振りから、俺が来ていたことには随分前から気付いていたようだ。
「もしかして、あのファイアードラゴンの卵のことですか?」
「えぇ、なんとなく気になって」
そんなことまで見抜かれるとは、さすがはシュレンセ先生である。
ていうか先生いたなぁ。てっきり会議の方に行っているとばかり思っていたのだが、のんびりと研究室でくつろいでいるところを見ると会議には出席しないんだろう。
「先生は会議には行かれないんですね。三年生の夏合宿の会議があるって先輩には聞いたんですけど」
「あぁ、それならばクラヴィスが出ていますよ。あの会議は夏合宿の当事者と同行者のみのものですから、私は同行しないので参加していないのです」
なるほど……てことは、ラクター先生は同行者なのか。できればアルスター先生も同行者ならいいのにとか思ってしまうのは、あの人の授業が全く授業になっていないからだ。
ほとんどの時間が自分自慢かヴァンパイア贔屓の御託ばかり。よくあれで教師として雇われたものだと不思議なほど。
絶対あの人、教師に向いてない。いや、今更な結論だが。
不純な動機で入った上に全く授業にならないなんて、本当にそれでいいのだろうかと思いながら、先生が出してくれた紅茶を一口飲む。甘い香りと味が口いっぱいに広がった。
この紅茶を持ってシャオファンとのほほん茶したいなぁとか思っていると、ドラゴンの入った籠を目の前に持って来てくれた。
「この子もだいぶよくなったみたいで、今朝からずっと、元気に殻を揺らしているのですよ」
「そうなんですか。それにしても、回復が早いですね」
「えぇ、元々ファイアードラゴンは生命力が強いですから」
「その分性格の方も野性味溢れていますけどね」
ひっそり付け足すヴェルモントさん。時々、その存在を忘れてしまうほどの見事な気配消しで口を閉ざす人ではあるが、言わずには居れない事情が何かあるのだろう。
確かに、俺の知る限りのファイアードラゴン情報は、いい印象を持てないものばかりだけど……ヴァルサザー以外。
「ヴェルモントくんも何か飲みますか?」
「いえ、お気遣いなく」
丁重に断って、頭を俺の肩にもたげたヴェルモントさん。一体何を考えているのか皆目見当が付かない言動にはドギマギするが、決して邪魔にもならない存在。果たしてそれがいいことなのか悪いことのかは微妙だが。
砂糖いらずの甘い紅茶にほっと和みながら、ものすっごい熱波を放つ卵に食い入る。時折小さくコツコツと音が聞こえ、たまに卵が揺れていることからも確かに元気一杯のようだ。
一時は皇凛に割らせそうになるほど弱っていたとは思えないほど活発に動く。耳を澄ませば、鳴き声のような声が聞こえないでもないし……って、もう孵るのか?
「孵化が近いんですか?」
「えぇ、きっともうすぐ孵るでしょう」
「いつ頃になります?」
「大体、2、3日程度でしょうか」
たった1日でだいぶ元気に動き回るようになりましたからね、とシュレンセ先生。2、3日かぁ……それで、その後はどうなるんだろう?
「生まれた後はどうするんですか? 親元に帰せるんですか?」
純粋にその後が気になったからの質問に、シュレンセ先生は悲しそうな顔をした。
「生まれてしまった後では、この子自体が親だと認識できないでしょう。ドラゴンも鳥類などと同じで、刷り込みの習性がありますから」
「じゃあ、シュレンセ先生が育ての親になる、ということですか?」
「それはどうでしょうか」
「え、でも、カイザードさんの時は……」
確か、命を救ったのは先生だって言っていた気が、と思い返していたのだが。
「確かに、生死の境をさ迷っていた彼を救いはしましたが、その時は生まれる前に親元に帰しましたから、実際には私が育てたというわけではないのです」
「じゃあ、今回はどうするんです?」
「多分、隊長が引き取るのだと思います。他のファイアードラゴンでは、ちゃんと育児も出来ないでしょうから」
と仰るヴェルモントさん。隊長、というのはヴァルサザーのことだとは思われるが、他のファイアードラゴンじゃ育児も出来ないって、一体どういうことなのだろう?
育児に意欲的ではないとは聞いていたけど、一体どの程度のものなんだ? なんだか、嫌な想像しか出来ないんだが。
「そんなに酷いんですか? ファイアードラゴンの育児って」
「いえ、大介くんが想像しているものほど酷くはないですよ。ただ、ドラゴン族にとっての育児期間は大体2年ほどのことなのですが、ファイアードラゴンだけは1年にも満たないのです」
鳥類だと更に短いのだが、それが一体どれほどの違いなのかがよく分からない。その補足をヴェルモントさんがしてくれるまでは。
「2年と1年以内では、育児過程の違いから情緒発達に違いが出るのです。それゆえにファイアードラゴンには他のドラゴンにはない好戦的性格が宿るのですが、彼等の言わせれば、野生の厳しさを知るための訓練であり、己の力だけで生きていくことを学ぶための試練なのだそうです。育児期間中においても食事を与える以外では排泄の処理しかせず、十分な量の食事を与えているわけでもないので兄弟間での食べ物争奪戦の喧嘩が絶えません。ですから、いかに生命力が強くとも生き残れる子供はたった一人なのです」
壮絶すぎる……
でも確か、猛禽類でも最初に生まれた一羽が優先的に餌を貰えるんだって聞いたことがある。しかも親がいない間に最初に生まれた方に苛められるらしい、とも。
いや、それにしても俺の知る野生っていうのはファイアードラゴン程厳しくない。少なくとも、小さい頃は可愛がられることがほとんどだ。
そりゃあ、兄弟間での食べ物を巡る争いとかは野生では普通に見られることだけど、どんな理由があろうと親兄弟から愛情を持って接されているのが普通なはず。
それなのに彼等は……愛情というものが薄い、のだろうか? それとも、彼等に言わせればそれも愛の鞭だと言うのだろうか。
いやホント、ファイアードラゴンのような厳しい生存競争の只中に生まれなくて良かったと本気で思うよ。
そんな俺の心境を見抜いたシュレンセ先生は、付け足すように彼等を弁護した。
「彼等は、強く生き抜くための厳しさというものを痛いほどよく分かっているのでしょうね。だからこそ、幼い子供に対しても厳しさを教えるのかもしれません。その点は、人間のそれと違っていて当然でしょう」
まぁ確かに、人間のように野生の厳しさを知る必要のない者とは違っていて当然なのかもしれないな。人間社会というものを確立した俺達には、野生に生きるものの厳しさは必要ない。
ただ、人間社会だからこそ守らなければならないモラルがあるだけで。それを守りさえする限り、人は理性の生き物として存在していられる。
「それに、ファイアードラゴンはドラゴン族の原始とも言うべき一族なので、魔族としての獰猛性が非常に強いのです。ドラゴンが火を吐くという能力を持つのも、彼等が原始だからですしね」
「原始……だったんですか」
「えぇ、そこから例外的なドラゴンが現れ、世界中に拡散し、その地に根付いたことで今の豊富な種族が誕生したとされます。だから隊長のような例外は、今日まで普通に起こっていることなのですよ」
やはり、ヴァルサザーは例外だったのか。
それが本来の魔族なのだと言われてしまえば、それまでなんだろうけど。ほとほと、和解協定が出来て良かったと思うよ。そんな獰猛性を宿している一族と和解できてなかったらと思うと、怖すぎるだろう。
それにしても、ドラゴン族の原始がそうだとすれば、ヴァンパイア族もウェアウルフ族も恐ろしい一面があって当然ってことになるんだよなぁ。結局、どっちにしても恐ろしいことには違いない。
魔族はやはり、闇に属する種族なんだな。
「それじゃあ、すぐにでもこの卵を受け取りに来てくれないと困りますね」
「そうですね。この子が孵る前に来てくれないと、私が親になってしまいますから」
いくらなんでもドラゴンを育てるのは至難の業ですからご遠慮したいです、なんて謙遜するシュレンセ先生。
そうは言っても偉大なる錬金術師だ。きっと上手くやれてしまうに違いない。
紅茶を飲み干し帰ろうとしたら、研究室の扉がノックされ、シュレンセ先生が扉へ向かう。そのまま誰かと二言三言話した後、シュレンセ先生は、用事が出来たので出てきますねと言いい、卵を奥の部屋に持ってほしいと頼まれた。
別に断る理由もないのでそれを了承すると、お願いしますと言い残して足早に出て行く。ものすごく慌てているような感じだったけど、何かあったのだろうか?
不思議に思いながらも卵の入った籠を慎重に持ち上げ隣の部屋へ運び、昨日見た時に置いてあった場所に置く。
その間も元気に動き回るドラゴンになんとなく声をかけたくなって、返事もないだろうに励ましてみる。
「元気に生まれて来いよ」
非常に並の励ましだったが。ただ、その直後にクゥという小さな鳴き声が返ってきて、それがまるで返事のように感じて微笑ましくなる。
きっとヴァルサザーなら、しっかりお前を育ててくれるはず。だからお前は、きっと優しい子に育つさと心の中で語りかけていた。




