八
しばらく走ったところで限界になり、もう無理……と歩きに変えると、ずっと無口になっていたカイザードがなにやらぼそりと言う。
「あの者、只者ではないな」
「は?」
何を急に言い出すのか、あまりに脈絡がないので反応に苦しむ。何かを再確認するかのような口振りだったからきっと、ずっとそのことを考えて黙り込んでいたのかもしれない。
呟きに反応した俺の声も耳に入っていないのか、まったくの無反応なカイザード。多分、自分でも気付かぬうちに口にしていただけなのだろう。
「あの……カイザードさん?」
「ん? なんだ?」
「いや、一体誰のことを只者ではないって言っているのかなって」
「あぁ」
指摘してやっと心の声が思わず口に出ていたのだと気付いたようで、普通の人が見えないのをいいことにミニチュアドラゴンへと変身して俺の肩の上に乗っかった。そして歩行時の振動にもびくともしない安定感を保ったカイザードは、何かを思い出しながら口を開く。
「あの少年のことだ」
「少年?」
俺はてっきり、あのヴァンパイアの龍衣さんのことなのかと思っていたから、少年というキーワードで更なる疑問が浮かんでしまう。
というか、いきなり何? ずっと黙り込んで何を考えてるのかと思ったら、只者ではないらしい少年のことをずっと考えていたってのは一体どういうこと?
大体、今更只者ではないとか言い出すの遅くないか? 誰のことを言っていたかは知らないが、少年と呼称される人物には1時間以上前にしか居ないはずだが?
とんでもないタイムラグだなと思っていたのだが、改めて言っちゃうほど只者じゃない感を出していたのはアルテミス先輩ぐらいしか思いつかない。きっとアルテミス先輩のことを言っているのだろう、と高を括りつつも気になったので聞いてみる。
「えっと……少年って言うのは一体、誰のことなんです?」
やっぱりアルテミス先輩のことですよね、と同意の用意をしていたんだが、カイザードが話し始めようとした声に被る声が。
「それは」
「まぁ、大介君じゃない! 今日は遅いお帰りなのね」
せっかく言いかけてくれたのに、お隣のおばさんに遭遇して声をかけられてしまって中断。いつも夕飯のおかずをお裾分けしてくれるので無碍にもできず……
「こんにちは」
そう返す他なかった。しかも、夕飯の食材で足りないものを急いで買いに行っていたのだと、聞いてもいないことまで話し始めてしまい……ちょっとした世間話に、巻き込まれてしまう。
急いでいるとか言っていた割りに、歩調は極めてゆっくりで帰宅までに15分もかかってしまった。代わりに煮物とお裾分けの食材を貰ったので、まぁいいかと帰宅するのだが……玄関を入ってすぐ、カイザードはじゃあ俺はこれでと言って早々に帰ってしまった。
結局一体誰のことを言っていたのか分からず仕舞いとなったわけだが、今はそんなことを気にしている暇はない。さっきから気になっていたんだけど、開け放たれたリビングの扉の向こう側から、何やら楽しげな母の笑い声と軽快な包丁の音が聞こえているのだ。
まさかもう、手遅れなのか!?
「ただいま!!」
慌ててリビングに入って目撃したものは……
「あら、おかえりなさい大介」
「……おかえり」
ご機嫌にテレビを見ている母さんと、不機嫌に台所に立つ弟だった。セーフではあるが、ある意味セーフではない。
台所から恨みがましい目でこちらを見ている慎介の不機嫌オーラには、今日は俺の当番じゃねぇだろ、という文字が書かれている気がするのだ。慎介の格好から察するに、友人達とサッカーの約束でもあったのだろうが、なかなか俺が帰らないせいで、仕方なく夕飯作りをする羽目になった、と……本当にごめん!!
しかも運が悪いことに、今日の夕飯の献立は手間のかかるものばかり。慎介が不機嫌な理由のもう一つはきっと、これだ。
「ごめんな、慎介。お詫びにこれ、お隣のおばさんから」
「煮物?」
「あぁ、お前の好きな里芋がたっぷり入ってるみたいだぞ」
「……ご機嫌取りにはならねぇからな」
とか言いつつ、タッパーの中の里芋群に見入る慎介。
あの15分の間に得た情報の中に、実家から里芋がたくさん届いて煮物を作った、里芋たっぷり煮物になっちゃったというものがあったのでそれとなく慎介は里芋が大好きなんだという情報を教えると、里芋の煮物をたっぷり入れてくれた上に生の里芋のお裾分けまでくれたのだ。これで慎介の機嫌が直らないはずはない。
里芋のホクホク感とあの粘りが大好きな上に、おばさんの煮物の味付けは抜群だと知っているから、完全に不機嫌指数はご機嫌指数に塗りつぶされたはず。慎介のことはこれで攻略できたな、と思いながら料理を引き継いだ。
にしても、この時期に里芋を作っているご実家というのも凄いなと改めて思う。
小鳥のにぎわう早朝に心地よい目覚めをし、慎介へのお詫びも兼ねて朝食は俺と父さんとで作っていると……こんな朝早くから、チャイムの音が聞こえてくる。
「俺が出るよ」
「あぁ、頼む」
まだ朝の7時という時間。こんな時間に尋ねてくるなんて人、そうそういないんだけどと思いながら出てみると。
「おはようございます貴方が高崎大介さんですねお迎えに参りました」
丁寧な口調ながら急いた物言いの神経質そうな人が現れる。しかも眼鏡!!
ていうか、誰?
能面みたいに笑顔一つ見せない仕事命風な秘書かエリートタイプの黒スーツ男をただ唖然と見上げることしかできない。
すると彼、間抜け面で見上げるばかりの俺を見て、内ポケットから手帳を取り出しそれと俺を見比べ始めた。
「貴方が高崎大介さんですよね? それとも弟さんの方?」
「いえ、確かに俺が大介ですが……貴方は一体?」
「申し遅れました。私、警護隊長ヴァルサザー・ミシュッフェル直属の部下でヴェルモント・ジェノーヴァと申します。貴方の護衛をするよう、隊長より言いつかって参りました。以後お見知り置きを」
とか丁寧に説明され、あぁなるほどと納得した。確か昨日も、こんな風に突然俺の目の前にカイザードがやって来たんだよなぁと。
にしても、昨日は別の人が来るだなんてカイザードは言ってなかったんだけど。
「今日は別の方が来るんでしたか」
「えぇ、我々も決して暇ではないので、毎日交代で来るのが精一杯でして」
「はぁ…」
なんか、棘がある。まぁ、これだけ事務処理系な雰囲気にして神経質なら、仕事なんての山ほどありそうだからから、確かに暇なんてないだろうなぁ。文字の書き間違えとか、一から全部書き直しそうだもん。
いやしかし、ちょっと迎えに来るの早すぎないか?
「あの、まだ朝食も食べてないんですけど」
「そうですか。では車で待機させて頂きます」
「え!? 車!?」
幻想界の人の口から車だって!?
皆さん大体現代の科学文化に疎いから、それこそ魔法みたいだと言って驚くのが通例かと思っていたのに……車!?
俺の驚きようを不審そうに見つめるヴェルモントさんは、器用に片方の眉だけ吊り上げ何か問題でもと言いたげに見つめ返してくる。今日一日お世話になる人なだけに、変な雰囲気で気まずい時間を作ってはいけないと思い慌てて弁解する。
「すみません! あの、幻想界の方の口から車だなんて言葉を聞いたことがないものですから…」
因みに乗り物で思いつくものはと聞くと、十中八九馬車って帰ってくる人達だからな。そのことに思い当たるのか、なるほどという顔をする。
「あぁ、確かに我々の中には疎い者が多いですからね。私も100年ほど夢現界に住んでいなければ、多少は驚くかもしれません」
「あ、そうなんですか」
それでも多少どころで済んでしまうのはやはり、確かな情報を予備知識として十分に頭に入れてから来ているからなのだろうか、とかすでに彼の性格を見抜いちゃったりしている。そういうことを卒なく熟してそうだもんな。
それからヴェルモントさんと二言三言話した後、キッチンに戻って、新しい護衛の人に車で送迎してもらえることになったと報告し朝食の準備を再開した。
食事を終え玄関を出る際、父や弟の見送りを受けたのだが……たまたまそれを目撃してしまったらしいご近所さん達の、社長か重役しか乗らなそうな高級外車の後部座席に乗せられる俺を唖然と見つめるあの顔は一生忘れられない。
庶民には敷居の高い車内では、まったく会話がない。なんかもう、本当に息苦しいんですけど。
私語厳禁とかそういう車内ルールでもあるのか、と思わず聞きたくなるほどの無音。俺の緊張感を増大させるってのは、一体どういう趣向なのか。
ただしゃべらないだけなら俺だって余裕で耐えられるけど、さすがにこの車では落ち着かない。
居心地の悪さを抱いている間に学園に到着した、のだが。
「え…あの、ここでいいのでは?」
正門の中まで進入するこの車。ゆえにとっても目立って……皆の視線が集中するんですけど!
内心大慌てで彼等の視界に捉えられないよう身を隠す俺に、淡々とした答えが返ってきた。
「正門前で降ろす方が目立つと思いますが? それに、この車を止めに行かないといけないので、駐車場まで向かいます」
「そうなんですか」
この、そうなんですかって台詞、今日は何十回も言いそうな予感がする。
車通勤の教員用駐車場の一角に停車した高級車は、遅めの通勤をしてきた教員達の人目を引く。そりゃそうだ。一体どんな社長が乗ってんのかと、気にならないわけがないほどの場違いぶりだからな。
なのに乗っているのは庶民の俺。期待はずれだろうと俺のせいではないけど、さすがに今回も後部座席のドアをオープンしてもらって更に人目を引きたくないので自ら降りた。
どっちにしても、降りてきたのが俺だからすごい注目度ではあるが。この分じゃ、二時間目までの間に全校生徒がこのことを知ってしまいそう。
あまりドゥルーシア学園の方にはいないとはいえ、更なる好奇と妬みの視線を受ける話の種を提供するだなんて、嫌に決まってる。深い溜め息が、堪えきれずに吐き出されたのは言うまでもない。
好奇な先生方の視線を一身に受けつつ、どこまでも義務的なヴェルモントさんの後に続いて特別クラス校舎へ向かう。というか、さっきから気になってたんだけど、この人まさか、カイザードみたいに縮小ドラゴンバージョンにならずに人型のままついてくる気なのだろうか?
いくらなんでも、ずっと人の姿でボディーガードされるのは……辛すぎます。
本当に、無言なのはいいからこの息苦しい空気はどうにかならないのか。この人と一日ずっと一緒かと思うと、気が重いんですけど。
一抹の不安を抱きながら、仮校舎である洋館内に入る。
「あ、大介ぇ!!」
と、またまた皇凛が。しかも先ほどまでそこで一体何があったのか、李先輩の顔が赤く妙に慌てている。
本当に何があった!
李先輩が全力で照れるような何かがあったことは間違いないだろうが、その張本人であるはずの皇凛はいつもと変わらないので詳細までは推測できず……まぁ、どうでもいいけど。
「おはよう皇凛、李先輩」
「おっはよ~う!!」
「おっ、おはっ、おはよっ、う!!」
いや、そんな無理して返さなくていいですよ李先輩。大パニックを起こしているのはもう分かってるので、とりあえず落ち着いたらどうですかと思ったけど、もっと混乱しそうだったから言わないで置く。
「皇凛、また迎えに来たのか?」
「うん! だって暇だから!!」
嘘のつけない性格ってのはいいのか悪いのか……皇凛の場合、微妙。




