五
気持ち悪いぐらいルンルンなアホ面の皇凛に断りを入れ、密かに気になっていたことを確かめるべくシュレンセ先生の書斎へと訪ねる。
時間も時間なだけにすでに他の生徒は居なかったが、いつものように優しい笑顔で招き入れてくれたシュレンセ先生に来た早々尋ねた理由は。
「あぁ、あの卵のことですか? それならば、隣の研究室の方でしっかりと管理していますよ」
道端で拾ったあのドラゴンの卵のことだった。拾ったのが俺達だということもあるし、何よりヴァルサザーですらその処遇をどうするか思いあぐねいているみたいだったから気になっていたのだ。まさか、このまま親が見つからないままなんてことにはならないとは思うが、心配だった。
良かったら見ていきますかと聞かれ見せてもらったその先には、赤々と燃え盛るダチョウより一回り小さな卵。その中には小さく無防備な命が宿っていて、今も必死に生きようと頑張っているのだ。
その一方で、まだ孵化の兆しは見えていないようだが。
「まだ孵化はしないんですね」
「そうですね。もう少しかかるでしょうねぇ」
灼熱過ぎてゆで卵……というか、普通なら炭化しちゃっているであろう高温の中温められている信じ難い光景を前に、傍にいるだけで全身から汗が噴出すほどの熱さに耐えながら眺め続けた。とは言え、さすがに孵る見込みもないものを熱さを我慢してまで見るのはきついなと思い、シュレンセ先生の研究室内を見回してみる。
部屋の大きさこそ皇凛の研究室の二倍ほどとそれほど変わりはないようなのに、こじんまりとして小さいものが多かった皇凛の所とは違って道具一つ取ってもまず大きさが違った。
壁や天井にも敷き詰めるかのように整然と物が置かれており、こんなにも物が溢れ返っていながら圧迫感を与えないのは、きちんと整頓されているからなのだろうかと眺めながら思う。
皇凛の所は、現在進行形の研究物が所狭しと煮詰められていておどろおどろしかったが、シュレンセ先生の研究室は研究資料などの書類の方が多いように見受けられる。8割方は書類物なんだろうか。
見ている限りでは、錬金術的な研究が行われている部屋には見えないのだが……まぁ、シュレンセ先生は指を鳴らすだけで何でも出来てしまう特異なお方なわけだし、そもそも皇凛のように常に道具を出しておく必要もないから整理整頓も出来るのかもしれないが。
俺もそんな便利な能力が欲しいなぁなんて思っていれば、シュレンセ先生がティーカップ片手に傍にやってきた。
「よろしかったらお茶を飲んでいかれませんか?」
「あ、ありがとうございます」
「では準備しますね。あ、カイザードくんもどうです?」
え……今なんと!?
「あ、では頂きま」
「くん!?」
あ、いや失礼……とすぐさま謝罪したが、カイザード『くん』呼びに思いがけないほどの衝撃を受けた。そりゃあ、シュレンセ先生の方が年上なわけだし、そう呼んでいてもおかしくはないけど。
しかし何故、カイザードのことを『くん』と呼んでいるのだろうか。それこそ生徒相手だったり、親しい間柄でないとそう呼ばないみたいなのに。そんな疑問に、シュレンセ先生は答えてくれる。
「それはですね。私が彼を幼い頃から見てきたからですよ」
「そうなんですか?」
「あぁ、俺がまだ小さかった頃、随分とシュレンセ殿にはお世話になってなぁ。それからも度々、シュレンセ殿のところに通っていたから、シュレンセ殿にとって俺は赤子も同然なんだ」
「赤子だなんて、さすがにそんな風には思っていませんよ。ただ、生死の境を彷徨っていた頃から知っていて、その後もよく私のところに遊びに来ていたから、教え子のような感覚なんです」
「生死の境!? どういうことです?」
なんだか聞き流せない言葉を聞いてしまった気がしてそう問うと、二人は一瞬呆けたように視線を交わし、苦笑しながら話してくれた。
「カイザードくんはね。ずっと卵の中で、孵化することなく眠っていたんですよ」
孵化の予定日数を超えてね、とシュレンセ先生。しかしそうすると、普通は命の危険があるのでは。
「それで心配になった一族の者が、この非常事態に対応できる人はあの人しかいないと白羽の矢を立てたのがシュレンセ殿だったんだ」
「そうだったんですかぁ」
「えぇ、でも当時は……大介くんもご存知の通り、まだ人間との間に諍いがあった頃で、ドラゴン族の数も極端に減っていた時期ですから」
あぁ、人間と魔族の間に大戦争が起きていた時期、か。聞けば聞くほど、本当に酷い戦争だったらしいからな、当時は。
ドラゴン族のドラゴンとしての力が、それこそ血も肉も骨や鱗までもが戦争だからを言い訳に狩り尽くされていたのだ。本当に酷いことをする。
例えそれが生存を賭けた戦いの名を借りていても、強欲なその仕打ちには嫌悪感しかない。
その戦いの最中にあって、生き延びるため人であるシュレンセ先生に助けを求めた、ということの意味を考えると、戦士としての彼等がそのプライドを捨ててまでも守りたかったものがたった一つの小さな命、だということが彼等の真実の姿なんだろう。
二人の話から、そのカイザードのことをきっかけに、段々と人間とドラゴン族の間の溝が埋まり始めたそうだ。
そもそも、これ以上の犠牲を出して闘い続けられないと思い始めていたドラゴン王もまた、これを機にシュレンセ先生を仲介者として和解協定を結ぶ決意をし、実に数年ものの話し合いの末に和解に至ったのだそうだ。
つまり、歴史的大変革の最初のきっかけになったのって、カイザードだったってこと!? まさかそんな凄い人だったなんて……って言っても、本人の知らぬところで起きたことではあるけれど。
そんな、両者を結んだ立役者が今やこんなファンキーな格好をしているだなんて……何とも言えないな。
その後も、当時のやんちゃな少年時代のカイザードのことを暴露していくシュレンセ先生に、もう勘弁して下さいよとカイザード。昔話に花が咲いて、なんとも楽しい時間を過ごすこととなった。
しかし楽しい一時を過ごせばその分、勿論ながら時間は経過するわけで……随分と長居してしまったことに気付き、早々に帰り支度を始めた。
カイザードも再びドラゴンの姿に戻り、俺の肩に乗っかったので部屋を後にしようとする扉の前まで来た時、シュレンセ先生が呼び止める。
「大介くん」
「はい」
「貴方の、使い魔のことですが」
心持ち声を沈ませ言いづらそうに話すシュレンセ先生。あぁそういえば、そんなことがあったなぁなんて、それも今日のことだったにもかかわらず本人がすでにこんな感じの重大事実。
使い魔がいないわけでもないのに現れない。それも、姿を見せることが出来ないのは何者かに狙われているからだ、なんて理由。
そして正式な契約をやってもいないのにすでに使い魔がいるという事実。謎過ぎて、逆に気になっているのではと聞かれれば確かに気になるが。
「私の方でも、どういうことなのか調べてみますね」
使い魔がいないと大変ですから、と苦笑するシュレンセ先生。特に俺の場合、何かとてつもないものに巻き込まれそうになっているようだし、さすがに居ないなら仕方がないからじゃあこのままでってわけにもいかないんだろう。
でも、あの精霊の口ぶりでは、使い魔自身が姿を現すことはなさそうな気がするけど。
「とにかく、大介くんの使い魔のことについてや貴方自身に起こるあらゆることが解明するまでは、しばらくドラゴン族の皆さんにもご協力してもらいますので。ですからカイザードくんも、よろしくお願いしますね」
「えぇ、構わないですよシュレンセ殿。この少年に関しては我が王も、独自に調査したいとのことですし、それに…どうやら我々だけでなく、ヴァンパイア王やウェアウルフ王も調査の対象にしているようですから」
えぇ!? 初めて知った新事実! って、なんで皆さん俺を?
いや、何故なのかは分かるけども。出来れば一人に、してほしいんだ。
もうすでに色々と自由がなくなっているのに、更にここに来て自由を失ったりするなんてことは嫌なんだが。
「大丈夫ですよ、大介くん。皆さん、独自に調査するということは、実質的に貴方の生活に関わっていくということとは違うと思いますから」
「あぁ、彼等はどちらかというと、君の秘められた力の方に興味を示しているようだからな。特にヴァンパイア王は、息子を一人あんな目に合わされているから、手がかりを掴もうと必死なんだろう」
アシュリー殿下、か。確かに、すれ違う直前のあの視線には何かを感じたけども。って、俺そのことまだ誰にも言ってなかったような。
一応言っておくべきかなって思って顔を上げたけど、それと同時にカイザードが口を開いたのでそれも叶わず。
「それともう一つ、この件に関して気になる動きをしているところもあるが…」
「え? 今度は何ですか?」
もったいぶった言い方をするものだから余計に気になるのだが、その『動き』とやらのことをどうやら知っているらしいシュレンセ先生は、カイザードに代わり教えてくれた。
「どうやら、聖獣達の方でもこのことに関して騒ぎが起きているようなのです」
「俺のことで、ですか?」
「いえ、そのことだけでというわけではないのですが…」
どうして二人ともそんなに言い渋るのか、中々本題を言おうとしない。でも俺が交互に見つめ続けたおかげか、観念したように話してくれた。
「ディザイアだ」
「え?」
「聖獣ディザイアが現れたのですよ。もうずっと昔に、姿を消したはずの聖獣の王が」
聖獣の王・ディザイア。どこかで聞いたことがあるようなないような、という感じでピンと来ない。
でも二人の面持ちから察するに、何かとんでもないことの様だが。
「聖獣の王と呼ばれてはいますが、元は精霊だった者です。予言の力を持ち、その予言の力で世界を救いへと導くはずなのですが……」
「今回はそうじゃない。救いへと導くどころか、破滅への予言をしてみせたんだ」
「破滅?」
なんだか穏やかじゃない言葉だ。思わず胸の辺りがぞくりとする。口を開くことをためらう意味に、何か嫌なものを予感させるが……なんとなく、俺は知らなければならない気がした。
先を促すようにシュレンセ先生を伺い見れば、先生も意を決したのか重く口を開いた。
「『暗冥は解かれ 無情な終焉は来る 今までのことは序章にあらず 誠の序章はアシュリー殿下』」
俺の中で何かが、ぞわりと沸き立った。一気に恐怖が押し寄せ、寒気がする。何かが迫り来る足音が、俺を追い詰め不安を掻き立てた。
たった一度、瞬間的に交わしただけの視線だとしても、身近な誰かの『死』が序章だなんて!
不快な胸の疼きを必死に耐えると、それを見透かすようにシュレンセ先生はしゃがみ込み、視線を合わせた。
「大丈夫です。貴方にはドラゴン族の保護と……シェスカくんの庇護がありますから」
そう言って俺の手を取ったシュレンセ先生の言葉の意味を腕に嵌められた腕時計の存在で理解した。勝手に嵌めさせられた呪いの品ではあるけど、ないよりは確かに安心する。
カイザードの存在も、一人の不安を感じることがない事実には変わりない。そう思うと少し、ほっとできた。
「ディザイアの予言に関しては、どうやらまだ続きがあるようです。ただ、一つ予言を告げると次の予言まで間が開いてしまうので。今後も、予言の内容には注視しながら、先手を打って最悪な事態を回避していきます。ですから貴方は、心を強く持って、この苦難に耐えて下さい。いつかきっと、この恐ろしい事態は終息する。私はそう、信じていますから」
「……はい」
何が迫り来るのかさえ分からない中でただ一つ確かなことは、予言の中の『暗冥』という言葉が、闇の門の一つ名であることだけだった。




