三
本当にもういい加減にしてくれ、なアルテミス先輩からの通信内容は使い魔召喚の儀式についてだった。正直、ありがた迷惑……いや、有り難くアドバイスを受け取ることにする。
まず『魔神の后土』内に入りまっすぐ歩いていくと、ちょっと段差の上がった円形の台があるらしい。その上に乗ると土の精霊が出てくるので、出てきたらただ精霊の指示通りに儀式を進めればいいだけ、とのこと。
うん、まぁ、そんなアドバイスのためだけにわざわざかけてきたとか、絶対口実だろう。
『魔神の后土』前で整列する俺達に、いつもの微笑を浮かべた校長先生が何やら言っているが、全然聞いていない。恐らくとても大事なことを言っているのだろうけど、こういうものは大体同じようなことしか言わないからなぁなんて暢気に周りの大人達に目をやる。
その中に、何故かヴァルサザーやべネゼフが……いや、まさか魔族の高位に就いている方達を借り出してまでもとか、そうまでして推し薦めるべき意味のある儀式なんだろうか?
本来ならば二年生限定で行われるはずの使い魔召喚の儀式に新一年生の姿があるという情景からも、これがそれほどまでに深刻な状況なんだということを感じさせる。
それにも関わらず、それを微塵も感じさせずに不安と緊張を和らげようと、大人達の多くが落ち着きのない生徒を和ませようと明るく振舞っていたのだから不審感を抱くのも無理はない。
その中でただ一人、ただまっすぐと前だけを見つめて佇む一人のヴァンパイア。俺の見間違えでなければその人は、アシュリー殿下の付き人として付き従っていた男の一人のはず。
ヴァンパイア特有の青白い肌で、無感情な表情でそこに立っていた。
今はヴァンパイア族特有の衣装に身を包んでいるが、確かにあの時のヴァンパイアに違いない。てか、あの時は注視していなかったから分からなかったが、今なら分かる。
この人絶対、アルテミス先輩の同属だ! なんていうか、腹黒さが滲み出ていると言うか……いや、失礼。
まぁ、気にしたところで俺には関係のない人だけど、と早々に視線を外した。
使い魔召喚の儀式の準備も終わり、ついに儀式は始まった。名前を呼ばれ、一人ずつ門の中へ消えていく同級生達。また一人、また一人と門の中へ入っては出てきてを繰り返し、着実に儀式は進んでいった。
列に並んでいた同級生達が減っていく中、思った以上に俺も緊張してしまう。普段ならそんなに緊張もしないから、自分でもなんでこんなに緊張するのかは分からない。
ただ、あの門をくぐった先にて出会う使い魔が、これから先、俺が死ぬまで一緒に居続ける相手になるのだと思うと期待より不安の方が大きい。
死ぬまで一緒に居続ける相手なんて言い方、なんか一生涯のパートナーみたいで嫌だなと黄昏れつつ、緊張の糸を断ち切ろうと深呼吸を繰り返す。
もうすでに事の済んだ皆は使い魔に話しかけたり、交流などをしながら浮かれているのだが……こっちの方はそれどころではない。まぁ、終わってしまえばそんなもんだよなぁ、なんて門から出てきたばかりの同級生を見て思っていた時、ついに俺の名が呼ばれる。
一瞬気が緩んでいたせいで驚いてしまったが、跳ねた心臓を落ち着かせ門の階段を上がった。上がりきったところで最後のアドバイスを歴史学のマリア先生から受け、深呼吸を繰り返す。
「ずいぶんと緊張しているようですね。でも安心して下さい。中に入っても緊張することなんてありません。難しいことなんて何もないので、リラックスして前に進んで手をかざして下さいね」
「はい」
男の人なのに女の人みたいな名前のマリア先生の指示通りに深呼吸をし、門に手をかざす。
門の継ぎ目が発光し、重々しい軋みを轟かせながら独りでに開いて冷気と共に霧を吐き出した。もうもうと立ち込める視界のない霧の中へと、一歩一歩足を進める。
中は本当に、無音の……音のない世界だった。真っ白なスモークがまるで、ステージ上の歌手の足元のそれのように立ち込め、もの凄い湿度。
白すぎて足元が見えない中を右前方の柱辺りにいたシュレンセ先生の視線での指示通りに進む。足元が見えないので、おっかなびっくりでぎこちない歩き方にはなっていたけど。
というのも、足元の両サイドから水音が聞こえてきているのだ。足を踏み外せば水に落ちてしまいそうだと思って慎重になるのは仕方ない。
言われた通りにまっすぐ歩いていくと、さながら神殿の柱然とした造りの大理石の支柱が、何処までも続いていた。高くそびえ立っている光景を延々と見続けながら奥へと進みながら上を見る。
足元のスモークと同じ靄が、柱の上部の天井付近にも蠢いているというなんとも不思議な光景が広がる。まるで鏡を見ているような錯覚に囚われながら、足元に注意しながら進む。
途中、左方にラクター先生の姿を見つけたりしながらも、やっとここで終わりかと思われる場所に校長先生を発見した。それも、校長先生だけではなくシュレンセ先生やラクター先生の姿まで……って!!
さっき見かけたあの方々は、確かに先生方のはずなのですが、何故俺より先にいるのでしょうか? もしかして変な幻覚でも見てしまったのかと少々不安に思ったのだが、数段の段差のある円状の台に上がるよう促されたので素直に従う。
台の中心までやってきてしばし辺りを見回すと、円の真上にアーチ型の建造物が存在していた。ただ不思議なのは、本来ならその流れで支柱があってもおかしくないのにそれが存在しないところだろうか。
ぷっつりと途切れたそれがどのような状態でぶら下がっているのかは確認できないが、柱以外の人工的建造物が存在しているという安心感に少しほっとする。
どうもこの中は重力というものが存在していない気がするんだよな。いやホント、これ以上非科学的な現象はもういいから。
深呼吸を繰り返し、シルクのようなふわりとした風が頬を撫ぜたのを感じた途端に、目の前に何か現れる。
『お前が、使い魔を欲する者か?』
風など吹いていないはずの室内で、ひらひらと衣服の端と髪をはためかせ現れた人。そのあまりに透き通りすぎている姿から、どうやらこの方は「人」ではないようだと悟る。
女性の容姿をしたその人は、体の中に響いて聞こえてくると表現するに相応しい声で問いかけてくる。まさか初っ端から、こんな質問をされるだなんて聞いてなくて一瞬戸惑ったが……当然、ここに来た目的はそれなので、はいと答えた。
しかし精霊は見透かしたように、尚も語りかける。
『お前は使い魔を欲してはおらぬ。お前の使い魔も、お前の元には来ぬ』
「!?」
え? それはどういうことだ!? 俺が求めていないから来ない、ということだろうか?
確かに使い魔は、求める者の元にやってくるもの。その存在を純粋に求め欲しているわけではない俺では、使い魔を召喚するなんて確かに無理かもしれないけども。
きっぱりと無理だと言われ軽くショックを受けていると、生徒達を見守る代わりに話すことを制限させられていたのだろうと思われる先生方が、思わず何故だと口を挟んだ。
人が強くその存在を望まなくとも、強い力のある者の元には使い魔が来てしまうものではないか、と……そうなの!?
「確かに彼は、それほど使い魔を必要としていないかもしれない。しかし、それを本人が望む望まないに限らず現れるのが使い魔だろう。それが我々と君達の長きに亘る契約のはずだ」
『そうだ。それが契約だ。しかし、この者に至ってはそれも例外』
校長先生の追求に精霊は肯定しながらも、俺だけは例外なのだと言う。何故と誰もが疑問に思ったのを悟ってか、静かに精霊は答えた。
『お前の使い魔は当の昔に決まっている。そして今も、お前の傍にいる。ただやつは、お前の呼びかけには答えても、お前の元には現れぬ。やつ自身もまた、狙われているからだ』
「狙われている? それは一体、どういうことなのです?」
シュレンセ先生が尋ねると、精霊はちらりと先生を見て、また俺に視線を戻した。
『答えはお前の中にある』
強い口調の言葉に思わず肩が跳ねる。何故なのかは分からない。
ただ、どこかで…どこかで同じような言葉を聞いたような気がするんだ。
『答えはお前の中に……強くなれ…ダイスケ』
あなたは誰? どうして俺の名前を知っている? 何故、答えは俺の中にあるって言うんだ?
俺は何も知らないのに……段々意識は遠くなる。
遠い日の記憶の断片が、思考の鈍化と共に逆光の中の誰かの影を連れ去っていく。
『きみはダレ?』
思わず問いかけた幼い姿の俺に、「彼」は言った。
『名前はない。なくしてしまった……』
寂しそうにそう呟いた彼を元気付けたくて、思わず出た言葉。
『だったらボクが、つけてあげる』
そう言ったのは、確かに「俺」で……
一番に感じたのは、体のだるさ。一体何がと鈍痛のする頭を振って瞼を開ける。
その作業だけできついとか、ホントに何なんだと思いながら周りを見回した。まず、ここが何処であるかは一目瞭然、医務室だ。で、なんでここにいるんだっけ……思い出して脱力。
また俺、倒れたらしい。いつから貧血体質になってしまったんだと落胆していると、あまりお世話になったことがない保健医のアシュトン・ジェノーヴァ先生が気付き寄って来た。
「体の方はどうですか? まだつらいですか?」
「少し」
「そう……とにかく、今は何も考えずに休んでね。と言っても、君の場合はそうもいかないかな?」
逆に考えすぎちゃうタイプでしょ、と見透かされ驚く。この一年ぐらい、数回会ったか会ってないかくらいなのに見透かされている。
そんなに分かりやすいのかと疑問に思っていると、ジェノーヴァ先生がくすりと笑った。どうやら、今のも見透かされたらしい。
「シュレンセ先生から倒れたと聞いていたけど、どうやら君は、記憶を引き出す度に精神的負荷がかかるみたいだね」
それで倒れてしまうんだろうね、とジェノーヴァ先生。言われてみれば、そういうパターンのような気がすると考えていたら、またまたジェノーヴァ先生がくすりと笑う。
その視線の先を追えば、アルテミス先輩から貰ったあの呪いの腕時計が……
「ということだから、心配しないように」
俺に、というよりも時計の向こう側の人にって感じに語りかけて机の方へと戻っていく先生。いや、なんで俺にじゃなくて先輩に!?
あの人はいつから保護者になったんだと、心の中で憤慨しつつ取りあえず大人しく横になっていることに。
にしても、記憶を引っ張り出す度に倒れるってどれだけ強烈な記憶なんだ。正直、さっきのあれはそんなに嫌な感じはしなかったのに。
温かくて、微笑ましくて……でも、それ以外はよく思い出せない。ただ輪郭だけがある感じで、記憶の中身がどんなものだったのか。
思い出したいのに思い出せない記憶。まるで思い出すことを邪魔するかのように、白い濃霧が覆い尽くしていた。




